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朝の騒動

 やわらかな朝日を顔に浴びたと感じて目が覚めた。


 ベッドから抜け出て軽くのびをして硬くなった身体をほぐした。

 窓を開けて外気を身体に浴び、深呼吸をした。いつもは淀んだ部屋の中で目覚めるのとは違い、新鮮な空気が肺の中を浄化してくれる感覚になる。


 しかもヘルフゴット公爵の屋敷は自然に囲まれている。塀の向こうに見える緩やかな丘陵には畑が広がり、朝早く起きた農夫たちがすでに作業に取り掛かっていた。


「失礼します」


 とドアを叩く音がした。どうぞ、と俺が応じると、屋敷のメイドが俺の着替えを持って入ってきた。


「おはようございます」


 メイドは恭しく挨拶をする。たしかカティアという名前だった。顔が整っているが化粧っ気が薄く、目が細いせいか少々冷淡な印象がある。余計なことに口を挟まず、粛々と自分の仕事をこなすタイプのメイドだろうと俺は想像した。


「どうも」


 俺は彼女に近づいて、着替えを受け取ろうとした。


 そのとき、側頭部に凄まじい衝撃を感じた。 


 いや、カティナは一切手を出していない。彼女も体勢を崩して床に倒れそうになったのだ。


「おっと」


 俺は横になりかけたカティナの身体を抱えて、倒れるのを防いだ。


「あ、申し訳ありません」


 カティナはすぐに身体を起こして俺から離れた。


 俺は窓に目を向けた。ガラスが床に散らばり、窓枠から朝の外気が侵入してくる。

 おそらく近くで大規模な爆発が起きたのだろうと察しがついた。

 窓の外へ顔を出し、首を回して辺りを探った。左側の塀の向こう、広場らしきところから凄まじい煙が上がり、その中を火炎の筋が走っているように見えた。


 すぐに俺は剣を手に持ち、部屋の外へ駆け出した。お待ちください、と叫ぶカティナの声を振り切った。


 さっきの爆発で屋敷中が混乱していた。剣術や魔法を遣える使用人は戦闘準備を整え出口へ殺到している。

 俺もその中に混ざり、皆と一緒に外へ出て行った。


 流れに従って広場までたどり着くと、想像以上の煙が上がっている。

 その前に女が佇んでいた。

 アレシアだ。

 彼女は稽古着を着用し、呆けたような後姿を晒していた。


「魔法遣いは消火活動! あとの者はお嬢さまの安全を確保しろ!」

「はい!」


 使用人たちが淀みなく行動を起こした。まるで騎士団のような統率ぶりに感心しそうだった。


 あわただしい使用人をよそに、俺はほっとした。賊の襲撃か寮内のクーデターといった物騒な出来事ではないとすぐにわかったからだ。


 爆発を起こしたのは間違いなくアレシアだ。夢の中でマヤから教わった魔法を早速試したというところだろう。屋敷にいたときは、さすがに俺も動転していたが、よくよく辺りを見ると、夢の中でマヤが遣った魔法――大地を抉るような爆発魔法と一緒だと気づいた。


 魔法遣いたちが消火活動を終えると、アレシアが魔法を遣った跡が鮮明に残っていた。地面が抉れ、むき出しになった土が黒焦げになっている。点々と赤くなっているのは石が溶けたらしい。魔法遣いが大量の水を浴びせてもわずかに赤みが薄れる程度だ。アレシアが遣った魔法がどれだけの威力を秘めているのか物語っているように見えた。


 アレシアは使用人たちに囲まれた。怪我がないとわかると安堵の声が漏れた。


「あ、シズマさん」


 アレシアはぎこちない笑みを向けた。後ろめたさと困惑が綯い交ぜになったような表情だった。


「アレシア、場所を考えて魔法を遣えよ」


 俺は頭を掻いて呆れる素振りを見せる。


「まさかこんな威力が出るとは思いませんでしたので」

「少しは加減しろ。屋敷の人たちに心配かけるだろ、まったく」


 と、俺が忠告していると、何人かの使用人は不思議そうな目つきで俺を眺めていた。昨夜、ろくに挨拶もせずに寝てしまったので、俺の顔を知らない人がいても無理はない。


 アレシアが使用人たちの間を抜けて俺に近寄る。


「みなさん、こちらはシズマ・ロランドさん。元憲兵で剣術の稽古をつけてくださる方です」


 アレシアが気を遣って俺を紹介してくれた。


「どうも、シズマ・ロランドと申します。しかし、アレシアお嬢さまは大変魔法の才に恵まれてますなぁ。さすが勇者マヤ・トウリの子孫と言ったところでしょうか」


 ちょいと白々しい気もしたが、仮にも公爵令嬢なので社交辞令のひとつぐらい言っておこうと思った。


 使用人たちが怪訝な面持ちで顔を見合わせる中、俺はアレシアに顔を寄せた。


「なんで魔法を遣おうと思ったんだ?」


 俺は小声で訊いた。


「現実でもマヤさんの魔法が遣えるかどうか試したかったのです。まさか本当に撃てるとは思いませんでした」

「言ったろ。夢の中の稽古は現実でも反映されるって」

「シズマさんもマヤさんに鍛えられたのですね」

「ああ。学生時代にやっとこ一本入れられるようになった」


 俺は記憶を呼び起こして伝えた。初めてマヤから一本取ったのは十五、六のときだった。


「あと、体術もマヤさんに習ったのですか? たしかマヤさんが体術を遣う史料はなかったはずですが」

「あれは俺のじいさま譲り。相手の命を奪うことなく制圧する術って言ったところだな。荒事が起きたときに重宝してるよ」

「素手で炎狼を制圧したのですから、かなりの実力があるのですね」

「アレシアも魔法が遣えなくなったときのことを考えてみたらどうだ? 魔力が切れて使い物になりませんでしたってなったら立つ瀬がないだろ」

「はい。では、早速シズマさんに剣術を教えていただきましょうか」


 アレシアに微笑が浮かんだ。


 ふと、アレシアとマヤの影が重なった。

 容姿が整っている点では一緒だが、マヤは黒髪に冴えた黒い瞳、アレシアは金髪に勝気な目つきをした翡翠色の瞳だ。代を重ねて色々な血が混ざった今は二人に共通する顔つきがどこにもなかった。なのにマヤの面影が重なるのはやはり血のなせる業なのだろうか。


 俺が想像を巡らせていると、土を噛むような音が背後から近づいてきた。


「アレシア」


 険のある若い男の声が背中を打った。


 俺はおもむろに振り向いた。眉がり上がり精悍な顔つきをしているが、眉根をひそめて俺を見据えている。袖からのぞく前腕が引き締まっており、かなり鍛え上げていると見て取った。


「お兄さま」


 と、アレシアが驚く。


「アレシア、これはどういうことだ?」


 兄が厳しい口調で問いかける。


「いえ、魔法の訓練をしていたのですが、思いのほか威力が出てしまいました。騒ぎを起こして申し訳ありませんでした」


 と、素直に謝るアレシア。


「魔法、か……。アレシア、こんな魔法いったいどこで習得したんだ? わがフリゼット家に伝わる魔法書にはなかったはずだが」

「どこ、と言われましても……」


 アレシアは口籠ってしまい、俺に顔を向けて助けを求めてきた。


 さすがに夢の中で勇者マヤ・トウリに教わったと言えば、気が触れたと勘違いしかねない。この場は誤魔化すに限る。


「どうも、お初にお目にかかります。シズマ・ロランドと申します。ヘルフゴット公爵の依頼でこちらにお邪魔させてもらってます」


 俺は彼の注意を引き付けるため、自ら名乗った。若干不意を突いた感じになり、兄が一瞬目を瞠った。


「ほう、貴様がシズマ・ロランドか。父上から聞いている。私はグレヴィル・フリゼット、アレシアの兄だ」


 グレヴィルは表情を崩さすに言った。


 それにしても初対面の人間を貴様呼ばわりするのはこの家の特徴なのだろうか。アレシアのときは俺が容疑者候補だったから百歩譲って理解できるとしても、客人として招かれた人間相手にその口の利き方はどうなのかと思う。


「お兄さまですか。ということは、次代のヘルフゴット公爵はあなたということですな」


 違和感を押し殺しながら俺なりに恭しく尋ねた。


「ああ、長兄だからな。それで、貴様が剣の稽古をつけると」

「はあ。公爵からはそのように仰せつかっておりますが」

「ほう、平民ごときがか」


 グレヴィルが眉根をひそめて俺を睨みつけた。敵意がありありと浮かんでいる。


「お兄さま、シズマさんに失礼です。シズマさんは元憲兵、それも凄腕と評判の憲兵だったのですよ。それにシズマさんの腕はわたしが保証します。なにしろ大人数の犯人を叩き伏せたのですから」


 アレシアがフォローに出る。


「アレシア、ずいぶんこの男を買っているんだな」

「当然です。もしかしたらウィスティア王国一の剣士かもしれません」


 アレシアが毅然と言い放つと、使用人たちがざわめき始めた。そしてグレヴィルの眉間に皺が刻まれた。


「ほう、この俺よりも優れた剣術遣いだと?」


 グレヴィルの口調が若干荒くなる。自分の妹が兄よりも胡乱な男の方が上と見られて、怒りが滲み出ているようだ。


「はい。わたくしが見たところ、お兄さまや父上、それに先生よりも数段上とお見受けしました」

「はん、そこまで言うなら試してやろう。シズマ・ロランド、今から俺と試合をしよう」

「お待ちください、グレヴィルさま」


 と、いつの間にかカティナが現れた。


「なんだ?」

「まずは朝食を召し上がってくださいませ。それからでも遅くはないでしょう。それに、お客さまに対してその態度はいかがなものかと」

「ちっ、わかったよ。食べたらすぐに試合としよう」


 グレヴィルはくるっと背を向けてこの場を去った。カティナもいそいそと後について行く。


「メイドさんの方が上手(うわて)だな」


 俺は二人の関係に興味が惹かれた。跡継ぎとメイドの関係を超えた間柄かもしれないと思うと、いろいろな想像が頭の中を巡る。


「カティナはしっかり者です。兄もお世話になりっぱなしなものですから」


 アレシアは少し濁した言い方をした。


 まあ、プライベートな事情に踏み込むのはさすがに礼を失する。深く訊くつもりはなかった。

 俺も朝食を食べに屋敷に戻るとしよう。


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