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夢の中

 ベッドの上で寝入ったとき、あの人が声をかけてきた。


 ガキの時分から何度も体験してきたことだ。


 草花の香りが鼻腔をくすぐると、俺は目が覚めた。

 いや、実際に起きたわけではない。

 夢の中に意識が飛び込んだのだ。


 目にはいつも通りの光景が映っている。色とりどりの草花が生い茂る平野には美しい蝶が舞い、どこからか小鳥のさえずりが聞こえてくる。筆で塗ったようなかすれた薄い雲が遠い空にかかり、柔らかな日射しが草原に落ちている。


 俺はジャケットのポケットに手を突っ込み、歩を進めてあの人の許へ向かった。どれだけ歩くか、考えたこともない。ただ思うままに歩いているといつの間にか辿り着くのだ。


 やがて草原に似つかわしくない光景がぼんやりと浮かんでくる。


 白のテーブルにティーセットが置かれ、その傍らで椅子に腰かけている女性がお茶を嗜んでいる姿が目に映った。プレートメイルの下に黒いシャツ、くすんだカーキ色のズボンに革製のロングブーツを着用している。器用にも腰に剣を佩いたまま椅子に座っていた。

 一見雑兵にも見えるが、史料に記されている通りの姿だ。五感では感じ取れない魔力を帯びているおかげでかなりの防御力があるのを俺は知っている。


 長い黒髪を後ろで結わえ、黒目がちの冴えた目をした美女である。食後のティータイムを楽しんでいるかのような優雅な雰囲気を携えていた。


 彼女の名は、マヤ・トウリ。五百年ほど前、魔王を討伐した勇者だ。剣術、魔法に優れた才能を示し、仲間と共に世界を救った。戦いを終えて平和な時間を過ごしたあと、当時の王子と結婚し王妃になった。

 だが、第三子を出産してわずか七日後、この世を去った。病死とも暗殺とも伝えられるが、今となっては闇の中。彼女も詳しい死因がわからないらしい。


 そしてマヤは、俺のご先祖様らしい。


 らしい、というのはそれが定かではなく、マヤが俺を末裔だと言い聞かせたからだ。現存する系図にはいくつもの漏れがあり、マヤにつながる子孫はたくさんいるというのが通説で、俺もその一人だとマヤが言ったことがある。


 だが、俺と彼女は髪が黒いということ以外全く似ていない。もっとも代を重ねた今となっては姿かたちが似なくても当然ではあるが。


 現実世界では俺も勇者の末裔だと冗談っぽく周りに言っているが、もちろん誰も信じていないし、俺も場を盛り上げるためのネタだと割り切っている。


 現在マヤの血を公式に継いでいるのは、王族とそれにつながる公爵家のみだ。俺はそのどちらでもなく、ただの平民に過ぎない。たとえマヤ本人の口から俺が末裔だと言われてもピンとこないのが現状だ。


 マヤはカップをテーブルに置くと、俺に目を向けた。


「久しぶり、シズマ」


 マヤは微笑んだ。魔王を討伐したとは思えないほどの柔和な口調だった。


「お久しぶりですな、マヤさん」


 俺はポケットから手を出して挨拶をする。


 マヤが俺を対面の椅子に腰かけるよう手を差し伸べた。さらに彼女は手をテーブルの上にかざし、カップを出現させた。そしてポットからお茶を注ぐ。夢の中だからこそできる技だ。


「はい」


 マヤは皿に乗せたカップを俺の前に置く。


「じゃあ、遠慮なく」


 俺は椅子に腰かけてからカップを手に取り、一口飲んだ。ほのかな甘さが鼻腔をくすぐった。マヤと一緒にいる夢の中では現実世界と同じように五感が機能する。そして目覚めたあともこの記憶は明瞭に残るのだ。


「それで、今日は何の用で?」


 お茶で味覚と嗅覚を和ませたあと、俺は訊いた。


「ふふ、ずいぶんすれた喋り方をするようになったのね」


 と、マヤは口に手を当てて笑う。


「社会に揉まれてそれなりに世の中を知れば、嫌でも世間ずれしますよ」

「そっか。シズマも苦労しているのね」

「苦労は誰にでもあるものですから、俺だけの問題じゃありません」

「ほんと、大人になっちゃったねぇ。小さなころとは大違い」


 マヤは笑みを絶やさずに言う。


「茶化さんでください。で、用件は?」


 と、俺はテーブルに頬杖をついて改めて訊いた。


「慌てるでない。しばらく会っていなかったんだし、少しぐらいお姉さんとお茶につき合ってくれたまえよ」


 マヤはおどけた口調で言った。まだ本題に入る気がないようだ。もう一度テーブルの上に手をかざすと、今度はお茶菓子を出現させた。マヤの言動や仕草には煙に巻いているとも取れるが、長い付き合いの俺には彼女が本音で語っているのをわかっている。


 現存する史料にはマヤの性格に関する記述に乏しい。ただ、時代を経るにつれマヤ・トウリの神格化が進み、聖母のように崇められるようになったという。いまとなっては彼女の実像に迫ることは難しくなっている。


 そんな先入観もあってか、夢の中で初めて会ったとき、彼女が本物のマヤ・トウリだと思わなかった。天真爛漫で時には俗っぽい口調で話す姿には、勇者や王妃として名を馳せた影が微塵も見えなかった。()()()、どこにでもいるお姉ちゃんぐらいの認識でしかないし、今でもその印象は変わらない。


 俺は彼女に甘えて、菓子をほお張り、お茶で流し込んだ。


「それで、シズマは今どんな仕事をしているんだい?」


 マヤはテーブルに両肘をついた。


「探偵ですよ。依頼料を受け取って人や物を探したり、素行調査したり、そんな仕事です」

「ふうん。わたしが生きていたころには、なかった仕事ね」

「そりゃあ、大昔と比べると仕事の種類も段違いに増えましたからな。けど、今でも凶悪なモンスターだっていますし、冒険者になって一旗揚げるって連中もいます。俺もときどきモンスターや荒くれどもの相手をしないといけませんから、気が抜けませんよ」

「じゃあ、少しは腕を上げたのかしら?」


 マヤの口調には幾分挑発じみたものを感じられた。


 これだな、と俺は直感した。小さなころから夢に現れては俺に稽古をつけてくれた。久々に俺の腕を試そうというのだろう。


「確かめてみますか?」


 と、俺はマヤの挑発に乗る。椅子から腰を浮かせた。


「ええ」


 マヤも席を立ち、テーブルや椅子、ティーセットをこの場から消した。

 そして一本の剣を出現させると、俺に放ってきた。現実世界で俺が使っている片刃の剣だ。この剣は特殊な加工が施されており、魔力を打ち消す効果がある。


 俺は剣を受け取ると、鞘を抜いた。試しに一振りしてから青眼に構えた。切っ先越しに見えるマヤから不敵な笑みがこぼれた。


 マヤは剣を地面につきたてる。

 

 するとあたりの景色が一変し、晴れ渡った荒野が姿を現した。草花が香る草原は戦いの場にふさわしくないと思い、景色を変えたのだ。これも夢の中だからこそできる芸当だ。


 マヤは半身の体勢を取ると、右手をつきだして魔法を撃つ構えを取った。激甚な魔法を撃てるほどの魔力を体内に秘めている。


 にわかに緊張感が忍び寄り、一筋の汗がこめかみを伝うのを感じた。


「さあ、行きますぜ!」


 俺は己を奮い立たせるために、声を張った。地を蹴り、一足飛びにマヤの懐に飛び込む。一気に斬り上げた。


「おっと」


 マヤは後ろに飛び、余裕の表情を浮かべて俺の剣を躱す。そしてすぐさま魔法を撃ってきた。凄まじい速度の光球が襲ってくる。

 俺は光球を薙いでかき消し、すぐさま距離を詰めようとした。


 だが、マヤの魔法が止まらない。


 彼女が地面に着地すると、今度は夥しい数の光の矢が俺を囲んだ。


「ちぃっ」


 矢が放たれる前に俺はマヤに殺到する。


「おそい!」


 マヤは俺の動きを読んでいた。光の矢が四方八方から襲ってくる。


 ここで怯むと、確実に負ける。


 そう直感した俺は、脚を緩めず、矢の中へ飛び込んだ。


 剣を振るい、光の矢を打ち消しながら距離を詰める。時には身体を回転させて後ろから襲ってくる矢も打ち消した。俺の遣っている剣には魔力を消す効果があり、だからこそできる戦術なのだ。


 そして、剣の届く距離まで間合いを詰めた。


「しっ!」


 俺は横薙ぎを放った。一筋の光が尾を引くほどの速度で、マヤの胴を捉えようとしていた。


「ざんねん」


 マヤは余裕の笑みを浮かべる。なにしろいつの間にか剣を手に取っていて、俺の剣を受け止めたのだから。


「相変わらず、容赦ありませんな」

「これぐらいのことできないと、魔王討伐なんて無理だから、ね!」


 マヤは俺の剣を弾くと、すぐさま俺の肩めがけて剣を打ち下ろしてきた。

 俺は彼女の剣を受け止めた。しかしすぐさま連続斬りが俺に襲い掛かる。

 打ち下ろし、左右の薙ぎ、下段からの斬り上げ。どれも凄まじい速度だ。俺は彼女の攻撃を防ぐのに精いっぱいだった。


 マヤ・トウリが聖女という二つ名ではなく、勇者と呼ばれる所以だった。美しい容姿からは想像もできない苛烈な攻撃を繰り出し、敵を殲滅してきた。そのことは史料にも記載されてある。

 あらゆる魔法をマスターし、剣術も人間離れだったという。彼女に稽古をつけてもらうたびに、その伝説が正しかったと実感した。


 俺もこのまま防戦一方の甘んじる気はない。


 衰え知らずの連続攻撃の最中、マヤが剣を振り上げたとき、右の胴に隙を見出した。


「うらあぁぁぁ!」


 裂帛の気合とともに、横薙ぎを放つ。


 マヤは剣を縦にして、俺の剣を防ごうとした。

 しかし反応がわずかに遅れて防御が間に合わず、俺の剣が彼女の胴を撃った。


「おみごと」


 マヤの微笑が目に入ったとき、あたりが暗闇に包まれた。


 ああそうか、もう目が覚めるのか。


 俺はマヤから一本取った感触を掌に感じながら目蓋を閉じた。


 暖かい光を感じて目を開けたとき、俺は夢から覚めたのに気づいた。


お読みいただき、ありがとうございました。


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