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ゲリマンダー  作者: 守尾八十八
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弐の5 格好悪い男を演じたくなかったのです

「ゆうううこちゃああん」

 やみ夜をつんざく声の主を求めて振り返ろうとした瞬間、悲鳴のような金属のきしむ音がして、進藤の股間に異物が挟まった。それは自転車のタイヤで、金属音は、フレーキが発したようだ。声の主も自転車の主も、同じクラスの江原(えはら)だった。

 ミニサイクルとカテゴライズされる小径タイヤの、女性を主な消費ターゲットとした自転車で、江原のそれは、ハンドルをカマキリの前脚のように反った下品な角度で取り付けてある。

「おまえ、こんな真っ暗なのに後ろからぶつかってきて、人違いだったらどうするんだよ」

 進藤が尻の汚れを手で払っていると、高いテンションのままで江原は言った。

「優子ちゃんのお美しい後姿は、見間違えようがありませえん」

「おれの尻は見分けがついたのか」

「優子ちゃんに近づく男は、みんな敵なのだあ」

「江原くん、きのうまで帰りに全然会わなかったね」

 よせばいいのに優子が、江原に気を使ったのか会話に加わってきた。

「うん。きのうまでは、隣のクラスの女子を別ルートで送り届けてたんだ」

 ばか野郎。きょうも別ルートに行きやがれ。進藤は、デリカシーの欠落したこの男を、ひどく嫌悪した。

「あれれれれ。ひょっとしてぼくって、お邪魔だったかしら」

 江原の心底憎らしい流し目が、進藤に向けられる。

「そんなことないよね、進藤くん。江原くんも一緒に帰ろ」

 優子は本気で言っているのだろうか。進藤は、優子の態度をいぶかった。

「やっぱり優子ちゃんは、その名の通り、優しい子なのだあ」

 自転車にまたがったまま江原は、今度はまるで進藤のことなんて眼中にないかのように、強引に優子の横に着いた。

「お荷物はこちらへえ」

 優子のかばんをひったくり、自転車のかごにすでに入れてある自分のかばんを端に寄せ、すきまに差し込んだ。

「さあ優子ちゃん、参りましょお」

 相変わらず自転車をまたいだままの江原は、足で地面を蹴りだした。

「進藤くん…」

 かばんを奪われた優子は心配そうな表情を見せたが、進藤が江原を追うと、後ろからついてきた。


 三人は、前になったり後ろになったりした。巧みにカマキリハンドルを操る江原の自転車の機動力に、進藤と優子はほんろうされた。そのうち進藤は押し出され、前に並ぶ優子と江原、後ろに一人取り残された進藤というトライアングルが固定した。

 前の二人は、江原が会話の主導権を握っている。それに優子が渋々追従しているように見える。歩きながら進藤は、優子の後ろ姿を見つめていた。

 ところがそのうち、優子から笑い声が漏れるようになった。江原がくだらないことを言うと、優子は両手で腹を抱え身をよじらせる。

 そして江原は、優子だけに聴こえるような小さな声で、なにかをささやきかけた。

「もお。ばかっ」

 優子はそう言って、自転車にまたがる江原の背中を、軽くたたいた。

 進藤は、みじめな気分になった。いたたまれなくなった。これ以上、格好悪い男を演じたくないと思った。

 用水路沿いの道の途中の角で、進藤は決心した。

「おれ、ここで失礼するわ。家、こっちだし」

「そうなの?」

 驚いた顔で優子は振り返った。

「古河さん、江原に乗っけてってもらいなよ。な。いいだろ江原」

「おう。優子ちゃん、乗りなよ」

 訴えるような表情で優子は進藤の顔を見上げる。優子がなにか言ってくれるのではないかと進藤は期待した。自分がもっとほかになにか言わなければならないような気もしたが、進藤にはその内容が浮かばない。

 自転車にまたがったままの江原が優子の名を呼び、低い荷台をぽんぽんとたたいている。

 言われるがまま、優子は制服スカートの広がりを手で押さえ、江原の荷台に腰掛けた。そして、半そでのブラウスからすらりと伸びた腕を、江原の腰に回した。女子の夏服は半そでと長そでがあって、優子はその日、半そでを着ていた。

「優子ちゃん、行っくよお。ブルンブルン、ブロロロロ」

 バイクのエンジン音を声でまね、江原はペダルを踏み込んだ。

 優子は下を向いたまま、荷台に乗っている。二人が去って行くのを見送るのがつらくて、進藤はそのまま角を曲がった。


「日本の庭園」は、大盛況だった。鹿威しが本領を発揮し、訪れる者をうならせた。

「本当に水が流れてるの?」

「本物だって。パンフレットに書いてあったよ」

 パンフレットの二年五組のページは、最初にラフスケッチを描いた美術部の男が、丹精込めてイラストとキャッチコピーをデザインし出稿していた。

 二年五組の生徒たちは、鹿威しの動作管理をするための当番を残し、レジャーランドと化したキャンパスに散っていった。

 廊下の壁にもたれかかって腕を組み、進藤は教室への客の出入りをぼんやりと眺めていた。

 カランコロンと下駄の音が遠くで聴こえる。

「浴衣じゃあん」

 同じく管理当番の江原が叫んだ。あでやかな衣装に包まれたクラスの女子数人が、ぎこちない足取りで近づいてきている。浴衣のすそに、足を取られている。滑りやすく音が響く廊下の床に配慮してか、慎重な歩みだ。

「えへへ。着替えてきちゃった」

「男子には内緒にしてたのよ。これで、お庭に花が咲くでしょ。本当はちょっと季節外れなんだけど、まだまだ暑いからいいよね」

 浴衣集団の中には、優子もいる。彼女のまぶしい黄色い帯が、進藤の網膜を強く刺激する。

「やっぱり優子ちゃんが、一番きれいだなあ」

 また江原が調子づいている。優子は、恥ずかしそうにうつむいている。

「違うでしょ。みんなきれいって言いなさい」

 別の女子が、江原を諭している。

 優子の定まらない視線が、ようやく進藤の視線をとらえた。優子は、安心したように、にっこりほほ笑んだ。

 進藤は、腕を組んだままうなずいて、それに答えた。


         ◇        ◇        ◇


(「参の1 なぜ彼女はそこにいないのでしょう」に続く)

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