弐の3 母と娘のやり取りに圧倒されました
「だけどさ」
そう明るくない街灯に照らされ怪しく浮かび上がる優子の横顔を、進藤は改めて見つめた。
「古河さんが中央小にいたなんて、おれ、全然知らなかったよ。中学当時にすれ違っても気付かないはずだ。古河さん、小学校ではなん組だったの」
「わたしはねえ…。そうだ。進藤くん、帰ったら卒業アルバムからわたしを探してみてよ」
「なんだよ、教えてくれたっていいじゃん。意地悪だなあ」
「なぞがあった方が、楽しいじゃない」
「うん。まあ楽しいかも」
「進藤くんは、六年一組だったんだよね」
「そうだよ。だから古河さんは、二組から五組か」
「井山くんと、仲良しだったでしょ」
「そうそう、井山ね。あいつとも中学のころ、たまに朝すれ違ってたよ。でもあいつ、だんだんと、見るからに不良少年化していってさ。最初のころは『よう』とかあいさつ交わしてたのに、終わりの方じゃ、お互い目も合わさないの。ほんであいつ、工業高校に行って、野球部の部室でシンナー吸ってるのが見つかって、退学になったんだろ。ばっかだよなあ」
「お友だちのこと、悪く言うもんじゃないよ」
「にゃははは、そりゃそうか。おれらの学年って、一年生から二年生に上がる時に四クラス編成が五クラス編成になるからってクラス替えしたっきり、五年間クラス替えがなかったじゃん。小学生の五年間って長いよ。物心ついてから十二歳で卒業するまでの人生の半分に当たるわけだからさ」
「ゲリマンダーでおかしな進学先に行かされるから、小学校側も配慮してたんじゃないの。せめて小学生の間だけでもクラス替えを極力控えて濃密な友だち関係を築かせようって」
「それはあるかもね。井山なんて、半分親戚か家族みたいなもんだったよ。家が近いから一緒に下校して、井山んちに寄って遊んだりしてた。井山の自転車に二人乗りで、おれんちまで送ってもらったりとかも。ランドセル背負ったまま。それからおれんちで遊んだり、おれも自分の自転車を引っ張り出して、そのままあちこちに出かけたり」
「楽しそう」
「いい思い出だね。だから、よそのクラスのことなんて全然知らない。古河さんが中央小にいたってこともちっとも知らなかったよ」
街灯が、二人の長い影を路面に落とす。影は、その主に仲むつまじさを見せつけるかのように、一つになったり二つになったり。
「ここよ」
用水路に架かる小さな橋に差しかかった時、優子は進藤の前にぴょんと一歩飛び出した。
「ここで毎朝、友だちと待ち合わせしてたの。そしたら、進藤くんが自転車でシャーって」
「学校行くとき?」
「そう。いつもわたしが先に来て、その子を待つの。いつもいつも、待たされるのよ」
前を歩く優子は振り返ると、片手に持っていたかばんを両手に持ち替え胸に抱いた。そして、進藤の目の奥をのぞき込み、なにかを試すように、挑発するように、あやすように、上半身を小し前に傾け、ゆっくりと進行方向に後ずさりし進藤を先導した。
「わたしは、ずっと待ち続けるの。ずっとずっとよ。待って待って、待ちくたびれるの」
「遅刻しちゃうじゃん。友だち、置いてっちゃえばいいのに」
「そんなわけにはいかないよ」
優子はぷいと横を向き、そのまま身体をくるりと半回転させると、再び進藤の横に戻ってきた。
「わたしん家、ここ」
橋から五、六軒目の一戸建てだ。門の表札には、《古河》と立派な文字が刻まれている。
「ちょっと待ってて」
内緒話でもするかのように小声で優子は進藤に言って、アコーディオン式の門扉を開き、玄関ドアのノブを引いた。
「お母さあん。進藤くんに送ってもらったあ」
今度は、家中に響きわたるような大きな声だ。玄関ポーチの照明がともり、品の良い女性が出てきた。
「進藤くん」
優子は片手をこちらに向け、まるでなにかの演技でもするかのようにきりりと胸を張り、進藤を母親に紹介した。
「進藤くん? 優子がいつもお世話になってます」
「これから文化祭まで、毎日進藤くんに連れて帰ってもらうの。ね、進藤くん」
「まあ、そう。うちの優子をよろしくお願いしますね」
進藤はしどろもどろになった。優子の母親へのあいさつさえきちんとできたか分からない。母と娘のやり取りに圧倒された。
「あした、学校でね」
そう言って優子に送り出された進藤は、逃げるように、来た道を戻った。橋を渡って角を曲がる時、やっと落ち着いた思いで振り返ると、母娘はまだ玄関ポーチの明かりの下にいた。優子が手を振っている。進藤は深めに頭を下げて、その場を立ち去った。
(「弐の4 いつもより早く二人きりになれたのですが」に続く)