弐の1 あれは十七歳になる初秋のことです
進藤の通う高校は、三年生の大学受験への影響を考慮し、文化祭を、国民の祝日である十一月三日の「文化の日」より一カ月以上早い九月下旬に開催する。二学期が始まるとすぐに、生徒たちはその準備に取り掛かる。早々に、夏休み段階から壮大な計画を推し進める団体、個人もいた。
「うちのテーマは、『日本の庭園』。これでいきます。反対意見は。ないですね」
進藤のいる二年五組は、クラス展示の内容を決めるホームルームで、大規模農家の息子の提案が全員の賛同を得た。司会を務める委員長の男も、書記を兼任する副委員長の女子も、仕事は楽に終わった。
前の年に一度経験しているから、高校の文化祭がどういうものなのか、進藤たちは知っている。この日のホームルームで展開された、農家の息子の構想はこうだ。
教室の三分の二を使って伝統的な和風の庭を、実物大で造り込む。庭は、さまざまな仕掛けで趣向を凝らす。あずま屋あり、庭石あり、灯籠ありだが、メインは水を張った池と、実際に駆動する鹿威しだ。教室に似つかわしくない水を床にはわせることで、見る者の度肝を抜く。教室の残りの三分の一は、見物人の通行、立ち見エリアとする。
床に池を掘るわけにはいかないから、旧校舎で使っていたという取り外し式の教壇を借りてきて周囲に敷き詰めかさ上げする。そして、教壇全体に、農業用の頑丈で簡単には破れない広いビニールハウスのシートをかぶせ、ずれないよう固定し、真ん中のくぼみに大量の水を貯める。
水を循環させるために電動ポンプでくみ上げ、ホースを介して竹筒に注ぎ、鹿威しのあの独特のシーソー運動と音を再現する。ビニールハウスと電動ポンプ、竹筒という、いかにも農家の息子らしい発想だ。
「おれは水回りに専念させてもらうぞ。これが成否のカギだからな」
農家の息子は宣言した。進藤たちに異論はない。農家の息子は「日本の庭園」そのものより、教室で鹿威しを駆動させることのみに強い関心を抱いているようだった。だから、水回りに関しては全権をそいつに委任するべきだと、進藤を含めクラスの全員が納得したはずだ。
進藤たちは、伝統的な日本庭園の資料写真を収集することから準備を開始した。美術部の男に、完成予想のラフスケッチを描かせた。それを立体模型に起こすために必要な材料や手順を、総力を尽くして論じ合った。鹿威しの設計図は、農家の息子の頭の中ですでに完成していた。
毎日放課後になると、クラスの男女は手分けして、ラフスケッチを元に詳細な図面を引いたり、廃品業者や商店を回って必要な道具や材料の買い付けに出かけたりした。広いビニールシートや電動ポンプの調達は、農家の息子が滞りなく進めた。鹿威しの要となる自然の竹も、そいつがどこからか大量に仕入れてきた。
大工仕事は男子が主導した。のこぎりを引き、金づちを打つ。
「危ないから離れてなよ。かけらが飛ぶからさ」
竹筒にシーソー運動の軸を通す穴を開けるため慣れた手つきで電動ドリルを操作する農家の息子が、目を保護するためのグラスを装着し、女子を遠ざける。ドリルが放つ破壊音に女子はおびえた様子で、両手の指先で耳を押さえながら、農家の息子のりりしい姿を遠巻きに見つめる。
「真奈美ちゃん、ちょっとこっち押さえてて」
「ばか、女子にやらせるな。おれがやる」
力仕事に女子を巻き込もうとする不届きな男を、別の男がいさめる。
女子は、庭を構成する小物の製作に当たったり、軽食の買い出しに行ったりした。クラスは一丸となった。学校中が同じような状態だった。
準備が本格化したころ、全校生徒の指定下校時刻が大幅に繰り下げられた。それまでは、作業は日が暮れるまでとされていた。日没がまだ遅い九月に文化祭のスケジュールを設定する正当性がここにもあるのではないかと、進藤は推量している。
その日から、日が暮れた後の午後八時まで作業を続けていいことになった。練習が厳しい運動部の連中も、厳しい練習を終えてから教室に戻り、汗臭いユニフォーム姿のまま作業に加わる。クラスとは別に展示の準備をしているらしい文化部の連中も同様だ。
(「弐の2 学校の授業で教わったじゃないですか」に続く)