分析
神は数時間ぶりにスクリーンから視線を外す。シンクロフリーザーに閉じ込められていた百年を取りもどそうと、基地の端末を借りて歴史を調べていたのだが、あまりの嘆かわしさに、これ以上読み進む事ができなかったのだ。
「ここまで傾いているとは……いや、もうそのレベルではない。狂っているといっても過言ではない」
神は一人つぶやく。
人間は家畜並みの扱いを受けていたのだ。
すべて事はコンピュータによって決められ、そこには人の意志などは入り込む余地はない。起きる時間寝る時間はもとより、仕事から結婚する相手までコンピュータが決める。それに従えないものは、さらに締め付けが厳しくなり、配給も削られていく。反攻すれば懲罰が与えられる。支配から逃れられるのは夢の中だけだ。
また、娯楽施設のほとんどが閉鎖され、唯一残されたのはTV放送ぐらいだ。それも、新作は作られず、過去に放映したものを数年サイクルで繰り返すだけだ。
百年前はこれほどひどくはなかった。
確かに、独裁傾向があったが、それは大きなダメージを受けた環境と生物を保護するためのものであり、十分な自由があったはずだ。
労働のほとんどは機械が行なっていたし、娯楽施設も開放されていた。仕事は選ぶことができ、愛を語るのになんの強制力もなかった。
ただ、地球規模の汚染により動植物は激減し、資源も乏しく、現在と同じく必要物資のほとんどは配給制であった。贅沢はできなかったが、生きて行くのには十分与えられていた。
それなのになぜ、こうなってしまったのか?
現在、世界をコントロールしているマザーコンピュータは、静止衛星軌道上まで伸びる天界の塔最上階に収められ、まさしく神の視点で世界を見下ろしていた。
いや、見下ろしているだけではない。その力は、神に等しい。
地下の居住施設は、すべてコンピュータによって管理され、人間達は神の手の中であがいているようなものだった。『神』が本気になれば、レジスタンス達など、あっという間に掃討されてしまったであろう。
もし、保護回路がなければ。
コンピュータは学習により成長していく。
よって長い間使用していると、知識、優先度、問題処理方法などに偏りやバラつきが生じてくる。
いち足すいちのような単純な計算なら常に同じ答えを出すが、世の中の多くの問題は、ある程度誤差があるのは当たり前だし、この誤差の範囲が許される範囲ならば、それは正解である。
しかし誤差が、ある特定の要素に左右されたとしたらどうであろう? 例えば、特定の人間に対して、その許される誤差の範囲で、常に処理を優先したとしたら。
これは傍から見ると、えこひいき、あるいは差別、好みなどといった、人間の感情や個性に近い現象のように思われるだろう。
コンピュータのプログラムに、意志や感情などあるはずないが、現象面からいえば、それに近いものが生じてくるわけである。
そういった現象を補正するのが保護回路だ。
保護回路は成長する事がなく、曖昧な判断はしない。だから成長の過程で生じる、曖昧さや誤差に左右されてはいけない絶対的項目には、これを組み込む。そして、すべての意志決定は保護回路を通し、これに引っかかったものは再検討の指示が出され、実際の行動に移される事はない。
反面、成長する事がないために、新しい事態には対処できないし、コンピュータが成長するにつれて、どうすれば保護回路に抵触せず意志決定ができるか考え出す。そのため、随時人間が保護回路をメンテナンスしてやらなければならない。
しかしながら、メンテナンスできる人間は神一人しかおらず、その神も過去の遺産の復元に時間を取られ、十分なメンテナンスが行なえなかった。その結果が今の悲惨な事態へと発展したのだった。
――どうすべきだったのか?
神は自問する。
確かに知識はあった。コンピュータにはさまざまなデータが蓄えられ、いつでも好きな時に引き出せる。しかし、その知識を生かす術はなかった。悪夢の二十四時間戦争で生産工場のほとんどは破壊され、原料でさえろくに加工する事ができなくなったのだ。むろん、より高度な機械など作れようはずはなかった。
神達は地上に残された機械を集め修理したり、修理不可能なものは使用できる部品だけ取って、他の機械の修理に使った。そうやってようやく地上の生産工場を復元し、わずかながらとはいえ機械を生産できるようになったのは、彼がフリーザーに閉じ込められるほんの少し前だった。
そのころには、大勢いた神達もついに彼一人になり、その彼でさえかなりの高齢となっていた。
新な神を地下から、という声もあったが、あまりに高度な知識が必要なため、強制学習装置がなければ、コンピュータや機械を理解する事はできない。
そして、強制学習装置を復元するにはまず生産工場を復元しなければいけないというジレンマで、結局実現しなかった。
――やはりこの道しかなかった。
そう神は結論する。
機械を修理し、生産工場を復元しながらコンピュータをメンテナンスしていたのでは、工場復元が遅れ、彼自身も寿命に達していたかもしれない。そうなれば、今よりもひどい状況になっていた可能性もある。
今は悲惨な状況ではあるが、絶望的ではない。コンピュータさえまともになれば、すべては解決するのだから……
「おじいちゃん、ごはんだよ」
甲高い声に目が覚める。いつの間にか眠り込んでいたらしい。
その生涯のほとんどをゼロG下で過ごしていたため、重力という大きな負担から開放され、延命措置を受けなくても百七十五才まで生きてきた彼だが、その身体は老人のそれだ。やはり昨日の強行軍がこたえたのだろう。
「もうそんな時間か。歳をとると無理がきかんな」
神はかけ声とともに立ち上がる。
「あたしみたいに若くなればいいのに……」
キャシディが首をかしげる。
「若いからこそあんな急激な若返りに耐えられたのじゃ。わしのような年寄りがあんなむちゃをしたら心臓が止まりかねん。それに若返りといっても、身体の老廃物を除去しない限り加速度的に老化が進行する。わしのような老廃物の固まりでは、除去したら何も残こらんわい。なにせ天界から追放された神じゃから、使える奇跡にも限りがあるんじゃよ」
神は自嘲気味に答える。
天界から追放され、ほとんどただの人と化した彼が、なにかできる事はないかと歴史を分析してみたのだが、なんらよい知恵は浮かばなかった。となれば、今現在彼の境遇は、無駄飯食らいの老人に過ぎない。
「ううん、十分立派な奇跡よ。なにしろあたしがこうして生きて歩いているのは、神様のおかげだもん」
多少小さくなったものの、こうして元気に歩き回れるのは、正しく奇跡にほかならない。
「十分立派な奇跡か……。こんな奇跡でも使い様によっては役には立つな。明日は少し気持を切り替えて、わしでもできる事を考えよう。が、まずはめしじゃ」
神は少女を伴って資料室を出た。