汚名から逃れたい
『愛の家』へ帰ってみると、
なんだか、みんなの様子が違う。
なんとなくよそよそしいというか・・・
それで、気がついたんです。
みんなも僕のこと、自転車ドロボーだと思っているって。
そりゃ、駅前の人通りの多い所で、
結構長時間、あの男に自転車ドロボー、
自転車ドロボーと怒鳴られていたのですから、
通り過ぎて行った人たちはみんな
僕のことを自転車ドロボーと思ったことでしょう。
そして、そのことを伝え聞いて、
みんなも僕のことを自転車ドロボーだと思っているんだな、と。
だから、僕、『愛の家』のお母さんに、すべてを話そうと思ったんですよ。
でも、言い訳がましくなるかな、と思っていたところへ
お母さんが夕食のお盆をもって現れたんですね。
僕が、白状しようかな?と思って、お母さんの顔を見ると、
お母さんは本当に心の底から優しい、
これ以上ないというほど優しい笑顔で笑いかけてくれたんだ。
おそらく、お盆を持っていなかったら、
僕を抱きしめてくれたのではないかと思われるような笑顔だったんだ。
それを見た瞬間、僕は安堵したというか、心がとき放たれたというか、
何とも言えない安心感に包まれたんだ。
お母さんだけは分かっていてくれる、って。
それからは、みんながどんな顔をしても、
何を言われても気にしないようにしようと思ったんだ。
でもね。
『愛の家』の中ではそれで良かったんだけど、
学校へ行くとまた事情は違ったんだ。
『愛の家』の子たちはみんな同じ孤児だから、
助け合うというか、仲間意識というか、
連帯感のようなものがあったから、
僕を傷つけるようなことは言わないけど、
ほかのやつらは残酷だからね。
先生のいないところでは聞こえよがしに
『自転車ドロボー!』と言ったり、
僕が笑えば、
「おい、自転車ドロボーが笑ってるぜ。」
そんなことは滅多になかったけれど、
僕が泣けば
「自転車ドロボーが泣いてるぜ。」
テストで100点をとれば、
「100点取ったって、自転車ドロボーじゃな。」
誰かに親切にすれば、
「親切にしたからって、自転車ドロボーの罪は消えないよ」
なんて、陰口をたたかれるわけです。」
「それは、辛いですね。」
「辛いなんてもんじゃないですよ。
時々、死にたいと思うくらい苦しかったですよ。
僕は自転車ドロボーじゃない、
倒れていた自転車を立て直そうとした善意に満ちた人間なんだ。
でも、僕のそんな面を見てくれる人はいない。
みんなあの男が貼った自転車ドロボーのレッテルだけを見て、
僕が自転車ドロボーだと思ってるのだ。
だから、そんな陰口をたたかれないためには、
笑ってもいけない。
泣いてもいけない。
人にやさしくしてもいけない。
勉強でよい点数を取ってもいけない。
とにかく、目立たないように、目立たないように、
生きていかなくちゃいけないんだな、と、思いましたね。」
「そんなことがあったんですか。
それからは?どうしました?」
「『愛の家』のお母さんは、高校まで行っても良いよ」と、
言ってくれたんです。
でも、ここにいたのじゃ、
ずっと、自転車ドロボーで生きていかなくちゃならない。
それは、僕には耐えられなかった。
人の眼を気にして、笑うこともできない、泣くこともできない、
大きな声を出すこともできない。
そんな生活が続くのなんて嫌だった。
だから、中学を卒業すると
住み込みで、働くことにしたんです。」