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談話室にて

「しかし、何故、入院しようなどと思われたのですか?」


「そう、それなんですよ。

先生、聞いてくださいよ。全部、話しますから。

私の話をお聞きになれば、きっと、理由がお分かりになると思います。」


「そうですか?

 では、お聞きしましょうか。」


「え~と、まず、何処から話せば良いのかなぁ。

うん、やっぱり、初めから話さないと分かってもらえないでしょう。

いいですか?

初めから順に話しますから、とにかく、聞いてください。」


「分かりました。」


「僕、弱かったんです。子供の頃、体が。

小児喘息とか言われていて、

毎日のように病院通いをしてましたね。


だから、小学校へ行くまでは、近所の子と遊んだことなんか一度もなかった。

もちろん、喧嘩したこともありません。


いつも家にいましたよ。

絵本を読んだり、レコードで童謡を聞いたり、

庭の池の金魚に餌をやったり、

雨が降ると水たまりができて、そこに水の輪が広がっては消えていくのを眺めているのも、好きだったなぁ。


押し花を作りたいと思ったこともあったけ。

名前は分からなかったけれど、庭に咲いてた花をとってきて、

本の間に挟んでおいたんですよ。

でも、あれは、ダメだったな。

全部腐って、綺麗な押し花は一つもできなかった。

それで、やめちゃったんですけどね。


小学校へ行き始めると、小児喘息も収まって、親はほっとしたようでした。

僕はと言えば、それまで、こんなに大勢の同い年の子供と一緒になったことはなかったので、面食らいましたよ。


でも、『とにかく先生の仰ることは良く聞くのですよ。』と母親から言われていましたからね。

先生のおっしゃることはよく聞きました。

だから、勉強で特に困ることもなく、学校へ通っていましたね。


2年生の終わり頃の父兄会で母親は担任の先生から言われたんです。

『お子さんには音楽を習わせると良いでしょう』って。

そして、上野音楽学校に児童科というのがあるが、そこで音楽の勉強をさせると良いのではないか、と言われたというんですよ。


先生は偉い人、我が家にはそんな風潮がありましたからね。

先生のおっしゃることにはすべて従わないと、ということで、僕は音楽を習い始めることになったのです。


あ、上野音楽学校というのは、今の芸大の前身です。

その児童科には小学校の4年から入れるのですが、試験があるというので、

3年になるのと同時に、僕はピアノと歌のレッスンを受けるようになったんです。

僕はどちらも好きでした。

だから、3年になると学校の勉強よりは、音楽の勉強の方に力を入れていましたね。


そんなわけで3年の時の学芸会では独唱をしましたよ。

学芸会で独唱をしたのは全校で僕只一人。

気分良かったなぁ。

ちょっとしたヒーロー気分ですよ。


4年になる時に受けた上野音楽学校の児童科への入学試験も無事にパス。

本格的に歌とピアノの勉強が始まったわけです。」


「それで、音楽の道へ?」


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