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早朝の訪問者

朝、目覚めると私は精神病院のベッドにいた。

窓外に見える年輪を重ねた樹木の若葉が5月の風を受けて微かにそよいでいる。

その風景はここがコンクリート造りの精神病院であることを忘れさせてくれるほど優しい。


そうだ、私は医局からの緊急要請で、3日間だけこの病院のレジデントとして勤務することになったのだった。


精神科の病院勤務は初めて。

しかし、特別なことは何も起こらず、2日間は無事に過ぎていった。

今日が最後の日。


穏やかだ。実に穏やかだ。

晴れた空、白い雲。

きっと、今日、最後の一日も穏やかに過ぎて行くことだろう。

そう思った時、1台のタクシーが木立の中から現れ、正面玄関前で停車するのが見えた。


こんなに早い時間に何だろう。

玄関前で一人の男をおろすと

タクシーはすぐに戻っていってしまった。


今日は日曜日、だから休診。

そして、面会時間は午後と決まっている。

それなのに

一体、あの男は何の用があって来たのだろうか。

とにかく様子を見に行かなければ。


玄関ホールへ入ると

入り口のドアの所で警備員と男が盛んに言い争っているのが見えた。


警備員は近づく私を認めると

少しほっとした様子で、

「先生、この方が入院したいと言って、聞かないのですよ。」と言った。


すると、男は私の方を振り向いて、


「なんだ。お休みだって、先生がいるんじゃないか。

先生! 私は入院したくて、来たんです。

入院させてください。」


私は思わず答えていた。


「病院は病人が入院するところで、

健常者が入るところではないのですよ。

ですから、健常者のあなたが入院することはできませんね。」


「でも、先生、政治家とか芸能人とか、都合が悪くなると、すぐ、入院するじゃないですか。

だったら、私だって、入院できるはずですよね。

入院費用はきちんとお支払いしますよ。

その用意は出来てるんですから。」


私は苦笑するしかなかった。


「まあ、まあ、おっしゃることは、分からなくもないですが・・・

病院は病気になった人が治療を受けて、病気が治ったら退院していく所なんですよ。

良くお分かりとは思いますけど。

それに、今日は、日曜日ですから、休診です。

ちちろん入院も退院もできません。

ですから、

また、明日にでも、予約をとって、診察を受けにいらしてください。

診察の結果、入院が必要だと分かれば、入院していただくことになると思いますよ。」


「先生、冗談じゃない。

私がどこから来たと思っているのですか?」


「さあ? どこからですか?」


「松江ですよ、松江。」


「松江って、島根県の?」


「そうですよ。島根県の松江。

昨夜のサンライズ出雲で松江をたって、今朝東京に着いたんです。」


「なぜですか?」


「だって、入院の手続きが済んでからでないと、会社に辞表なんか提出できないじゃないですか。

だから、今日入院手続きを済ませて、今晩のサンライズ出雲で松江に戻り、明日の朝一番で辞表を出すつもりなんです。

そ~して、私は晴れて入院する。

私は自由になる!

だから、絶対に、今日入院手続きをしなきゃならないんですよ。」


「しかし、診察もしないで、健常者を入院させることはできません。」


「でも、あなた、お医者さんでしょ。

お医者さんなら、今、診察してくださいよ。

ぼくだって、健常者どころか、異常だと思われることは色々とあると思いますよ。

何時だって、みんなから、『あいつ、おかしいんじゃない?』とか、『変わってるね』とか言われてますからね。陰の方で。」


「まあ、いろいろとご事情はあるとは思いますが、

休日に予約もなしに緊急でもない診療はできません。

まして入院の手続きなど絶対に無理です。

また、改めて、正規の手続きをとってご来院いただけませんか?」


「そんなこと、言われたって。

私は入院したいんです。

入院するって、決めたんです。


だから、今日、入院申し込みをして、

明日、会社へ辞表を提出して。

その後、すぐに、入院できるように段取りは全て整えてきているんですよ。

ですから、入院申し込みをするまでは絶対にここを動きません。」


「困りましたね。

こうしてお話をしている限り、あなたは健常者としか見えませんしね。

緊急でもないのに、診療をすることはできません。」


「先生! 緊急ですよ。緊急じゃありませんか。

絶対に今日入院手続きをとらなければならない切羽詰まった状況なんですよ。私は。

これを緊急と言わないなんて。

緊急って、一体、何ですか?

私がここでひっくり返ったら、緊急になりますか?

なんなら、そこのガラス戸に頭をぶつけたって良い。

そんなに緊急が必要なのなら、緊急になろうじゃありませんか。」


「まあ、まあ、まあ、まあ、

そんな急ごしらえの緊急になられても・・・

休診ですから、診療はできませんが、まあ、お話を伺うだけなら・・・

ここで、立ち話というわけにもいかないから談話室にでも行きますか。」


そう言って、私は、心配そうに二人を見守っていた警備員に眼で合図をすると、男と談話室へ入っていった。


話を聞いてくれるということで、男は少し安心した様子だった。

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