1.現状の私
転生前の、主人公の楽しい時間です。
現状に不満はない。
高校出て、即就職。会社で借りてくれたアパートでの一人暮らしは居心地がよい。
職場も別に程よく忙しい、同僚や上司もいい人ばかりだ。福利厚生も悪くない、高卒で入社した割にはいいとこに入った。スーパーマーケットだから、潰れる事はまず無いだろう。堅実な選択だ。
友人はネットの友人の方が多いけど、リアルで会ってカラオケや推し語りもガンガンできる。
ネットとリアルの境界線は、薄い。
恋人はいないが、まぁ今のところ別にいらん。私にはこれがある。
「……よーし、これで後残るのは鳴神先輩のトゥルーエンドルートのみ!」
小さいテレビにゲーム機繋いで、右手にはオレンジジュース。現在はまってる乙女ゲー『陽だまりの吸血鬼』を風呂上がりに少しずつ進めるのが私の日課だ。
『陽だまりの吸血鬼』、略してひだヴァンは二ヶ月前に発売した乙女ゲー。声優も割りと豪華で、作画よし、戦闘よしで今度アニメ化もする予定。攻略ルートは恋愛キャラ5名+友人キャラ3名とてんこもり、世界観も比較的現代日本に近くて私は好きだ。乙女ゲーは色々あるけど、個人的に世界観は現代日本に近い方がのめり込みやすい。異世界や外国も嫌いじゃないけどね。
ちなみにゲームする時はぼっちではない、通話アプリでオタ仲間のみずきちちゃんと喋りながら。
「だいぶ時間かかっちゃいましたね、オレンジさん」
ちなみにみずきちちゃんは、もう全て攻略済み。だけど私が攻略しながら、長電話に付き合ってくれる。おまけにわからない時アドバイスくれる、まじいい子。
「やー、流石に二年目だと結構仕事忙しくてさ。……でも、最後に推しは取っておいた」
そう、これ以上推しの創作漫画を探す為に推しのネタバレをSNSで踏みたくない。思わず右手に持ったグラスを掴む手に、力が入る。
「オレンジさん、人によってはそれ鳴神先輩推しに聞こえる発言です。私は今同担NGな気分なんですよ、こないだ知り合ってブロックした鳴神先輩推しの子がめんどい子だったんで。オレンジさんならいいかなー、とも思うけど。同担でも」
「まじか、誤解は困る。私の嫁はつぐみたんだし」
私の推しは鳴神先輩ではない。鳴神先輩も美人で嫌いじゃないけど、圧倒的に推しが可愛すぎる。
私の推しーーー井吹つぐみが、一番救われて出番も多いルートが鳴神先輩のみに用意されたトゥルーエンド。ただ、つぐみたんの出番が多いからという理由だけで取っておいた。
伊吹つぐみは、恋人キャラでも友人キャラでもない。主人公達と戦う敵、ラスボスだ。
私が攻略した全てのルートで敵対し続け、そして倒されて死ぬ。救いらしいものは無い。
そんな彼女の見た目はどストライクだった。金髪で愛嬌のある童顔、声優さんもロリボイスで大人気な人をチョイス。そんなロリボイスが、基本敬語で毒のあるキャラクターをやるとか、神か。しかもそんなロリが格闘戦で、必殺技は飛び踵落とし。見た目とのギャップ萌えすぎぃ。ただそんなつぐみたんの名前をSNSで検索かけた結果、踏んでしまったのだ。
究極にして、至高のネタバレスチルを。
「早くみたい。鳴神先輩と、つぐみたん死に際の和解スチル……!」
そう、私は踏んだ。倒れてぼろぼろになったつぐみたんと、その傍らで鳴神先輩がつぐみたんの右手を両手で優しく握ってる一枚絵。二人の表情は、つぐみたんは弱々しくも明るい笑顔で。鳴神先輩は、少し泣きそうだけど穏やかに笑ってる。つぐみたんは可愛い、鳴神先輩は美人、まじでいい一枚だった。
つぐみたんは、鳴神先輩のいとこ設定なんだけど。つぐみたんは鳴神先輩の事、大嫌いなんだよね。なにがどうしてこうなった。
「や、よくピンポイントで踏み抜きましたよ。伊吹つぐみで検索かけたら、一番上に完全和解のハッシュタグ付きで公式スチルをSNSに投稿した愚か者の投稿を。まじおつです」
「ほんそれな、投稿は著作権侵害で即通報した。……っと、そろそろ寝ないと不味いね。明日池袋駅集合だよね?ひだヴァンコラボカフェ何時予約だっけ?」
スマホの時間を見ると、もう0時過ぎている。慌ててゲームデータを保存し、ゲーム本体の電源を切った。
「10:30の初回です、申し訳無い。まさか友人が行けなくなって、初回をオレンジさんに付き合わす事になってしまって……」
コラボカフェ、最初は明日12:00の回に一人で行く予定だったんだけど。まさかのみずきちのリア友、ドタキャン……よりによってリア彼とデートぇ……。
「気にしないで、初回を量少なめのメニューにすれば二回目も余裕。……みずきちちゃんと初めて遊ぶの、楽しみだし」
みずきちちゃん埼玉の大学二年ってぐらいしか、知らないんだよね。ネットでの付き合い、5年あるのに。
「私も、オレンジさんに会うの楽しみです。明日、10時で池袋駅に。寝坊注意ですよ?おやすみです」
声が明るい。リアルでも可愛い子なんだろうなぁ。
「タメなんだから、リアルでは敬語なしね。おやすみ、いい夢を」
そして、通話を切った。ネットの友人は、私にとって特別。寂しい時、電子の海の中で一緒にいてくれる。
ベッドに入り込み、スマホを充電する前の作業を済ませる。スマホのLINEを一応確認、今日も家族からは一件も通知はない。最後に連絡きたの、多分正月だよね。今四月、もうすぐごーるでんうぃーくだよ。
「……父さんも、母さんも、結局一番は姉さんなんだから」
家に帰っても、誰もいない。でも、電子の海に潜れば同好の士がいて。そこから、友人が増えていく。
親、特に母親はいい顔はしなかったけど。それでも何も言わなかった。
家族に不満はない。両親が仲がよくないのも、二人共仕事で忙しいのも、頭がよくて運動もできて美人な姉が一番大事なのも、仕方がない。
私は、模範生にしかなれなかったから。
そんな私の寂しさを埋めた、オタ文化。萌え、そしてネットの友人。
今のところ不満はない、充実してる。
明日の楽しみで興奮しすぎない内に、さっさと眼を閉じることにした。