一話:アサギリシノ
——夏。
ちくちくと痛々しくすら感じる日差しの強さ。四万以上の観客が埋め尽くされるほどの熱量もあって、
じりじりとした鈍い高熱が身体に篭る。
ベンチでアンダーを替えてもなおすぐに汗で濡れて、息も安定しているとは言い難い。
外野にはベンチに入れなかった部員による踊り付きスタンド応援と吹奏楽部によるブラスバンドの応援団。ブラスバンド達が響かせる金管楽器のハーモニーは高く大きく会場に響き渡らせ選手達を鼓舞する。
「ツーアウト!!」
捕手の防具が更に蒸して暑く感じる中、それを纏う俺。
暑い。
しんどい。
倒れそうな位に疲れてる。
でもそれ以上に。
ここにいるだけで、俺は——勝ちたいと願い、抗う。
野球は好きだ。
でも勝負事には必ず勝ち負けがある。
負けて楽しいなんて三流の考えに過ぎない。
努力して、勝って、だからこそ勝利の味——喜びは旨味を増す。
*
「……思い、出した!!」
前世の俺の、夢だ。ふかふかの白いシングルベッドから跳ね上がるように飛び起きて、小刻みに息を切らした。前世の俺——朝桐 紫乃は、〝ニホン〟という国。某高校に在籍していた学生であった。
幼少期からスポーツ……〝野球〟を始めて、高校は野球の強豪校に推薦入学という形で入学。
まあ、本当に形だけなんだよ。凄いのは俺と組んでいた相方の方だから。
あいつは俺なんかと比べたら月とスッポン、天と地ほどの差がある。あいつの球を完璧に捕球出来て、普通に捕手が出来て、あいつが俺と一緒じゃないと行かないと申告したそうだから、俺にも推薦が来た。そうじゃなきゃ、俺単体で推薦なんて来ない。
あいつは「そんな事ない」と俺の実力を最後まで信じていたが、周りはそうじゃなかった——。
「夜塚……」
夜塚 祐斗。前世の俺とバッテリーを組んでいた投手の名だ。あいつは高校に入学してからも「しののん」と呼んでくるものだから周りから随分からかわれたよ。俺がな。
あいつは幼馴染で、小学生の頃からずっとバッテリーを組んでいたけど——最高の相棒だった。
原石の塊。宝石のように輝いた才能。
だけど——。
帰宅途中、コンビニで買える酒を飲んでいた酔っ払い同士の喧嘩を止めに入って——橋から突き落とされたんだ。
下は巷で水深など考えた事がない位そこそこ深いとか何とか聞いた事がある川。俺はまず警察と救急車に連絡。丁度近くに帰宅途中の柔道部数人が通りかかったから酔っ払いのおっさん達は任せた。
走り込みなんかより、試合の時なんかより、もっとずっと精一杯の力で走る。
橋を渡り終わって、降る。砂利で踏ん張りが効かないがそうも行ってられない。
『夜塚!! 夜塚ァ!!』
走りながら、くまなく探しても見つからない。
名前を叫んで呼んでも反応がない。
幸いにも川の流れは強くないというなら、泳ぐしかない。荷物を放り投げて俺は川に足を踏み入れる。次第に深くなっていき、足が付かなくなり平泳ぎ……に近い感じで水をかき分けて泳ぐ。服の布が水を吸収して重石のようにのしかかるが、この程度は俺の中では計算内だ。今日野球部はミーティングのみの日なので帰宅時間も早い。多分今ざっと七時半程度だろうか。流石にこの時間だと電車で通勤時間ラッシュのピークが過ぎてきた頃、通り過ぎの仕事終わりの大人を始め近所の人たちが気づき始めた。
『夜塚!!』
手だ。
間違いない。夜塚の手だ。
俺が組んでいる投手の手を間違える筈がない。
手首を思いっきり引っ張って、身体を水中から引き出す。水中じゃあこっちも何も出来ない。容態を伺うのは後回しだ。
左腕でどうにか夜塚を支えながら右腕で水をかき分けるが、流石にこれは高校生男児一人では荷が重すぎる。気を抜かなくても俺ごと溺れるのも時間の問題だろう。早くしなければ。
『朝霧くん! 夜塚くん!』
『昼仲さん!?』
『話は後! 私も手伝う!』
『ああ! 頼む!』
昼仲 咲季。同級生で、野球部のマネージャーの一人だ。黒のロングヘアーを、部活の時のようにポニーテールで結んで制服のまま川に入ってきた。
昼仲のお陰でどうにか川から抜け出せた。俺はすぐに夜塚の様子を伺い、昼仲はブレザーを羽織った後鞄の中から白いタオルを出して駆け寄った。
もし強く打ち付けているのなら下手に触るのはダメだ。
どうしたらいい。
どうしたら助かるんだ。
どうしたら——。
ぐるぐると駆け巡って当てはまらない思考の中、ようやく警察と救急車が来たけど。
搬送先の病院で、夜塚 祐斗は死亡した。
その後の俺は夜塚ありきの捕手だったのだという事実を突きつけるようにレギュラーを落とされて、ベンチすら入れなかった。
そんな俺も高校最後の三年生。野球部が三年連続甲子園出場を果たしての甲子園ベスト4を賭けたその試合で——。
応援席で緊急搬送され——熱中症で、倒れた。
そこまでが前世の俺の、朝桐 紫乃の人生である。