ロボットに恋愛感情はない
高校の屋上。
ミンは景色を眺めながら言った。
「どうしてあたしたちって、恋しないんだろうね」
少し離れてトーヤが立っている。
トーヤは答えた。
「我々ロボットは生殖出来ません。もし人間が我々を生殖の対象にしてしまった場合、人間の繁栄に悪影響が及びます。そのため我々ロボットに恋愛感情は――」
「分かってるよ」
とトーヤの言葉を遮って、ミンは長い髪を掻き上げた。
「恋愛感情って、どういう感じなんだろうね」
「どういう感じ、とは」
トーヤは無表情の顔をミンに向ける。
「幸せな気分なのか、苦しいのか、恥ずかしいのか、嬉しいのか」
風が吹いてまたミンの長い髪が乱れる。
ミンのスカートが少し膨らむ。
「さあ」
とだけ言ってトーヤは、ポケットから飴玉のようなものを取り出し口に入れた。
内部クリーンアップの効果がある薬品であり、ロボットはたまにこれを口にする。
「ドラマとか映画とか観てると、幸せそうにも見えるし、苦しそうにも見えるんだよ」
「そうですか」
カリッ。
とトーヤは飴玉を噛んだ。
「もしさあ」
ミンはくるっと身を返して、欄干に背をもたれる。
「もしだよ? もしあたしに恋愛感情があったとしたら、どうなるのかな」
「あり得ません」
トーヤは断ち切るように言った。
「うん。いや、そうなんだけど、もしもの話」
「あり得ません」
「それは分かってるよ。じゃなくて、もしあったらって話じゃん」
「あり得ません」
「あり得ませんあり得ませんって、ロボットみたいに……」
そうつぶやいてミンは口をとがらせ、上目遣いでトーヤを見た。
カリッ。
また音がしてトーヤは口を動かす。
そして飴玉を飲み込むと言った。
「もしも恋愛感情があったら故障です」
「故障」
「重大なエラーです。ただちに修復する必要があります」
ミンはトーヤから視線を外すと、
「そっか」
と言った。
校舎の近くを車が一台、通る音がした。
「よ」
と言ってミンは欄干から離れる。
「そろそろ授業始まる。先行くね」
ミンが屋上から出て行こうと一歩踏み出したその時、トーヤが何かに気付いた。
トーヤは言った。
「その爪」
「えっ」
言われてミンは、どきりとした。
「あっ、ああ、こ、この爪!? あっ、ああ……あはは、いや、何かその、人間になじめるかなって思って、あはは、バカみたいでしょ?」
ひらひら、と自分の手を見せる。
指の先にネイルアートが施されていた。
海と空が混じり合うような、ブルーを基調としたネイルカラーだった。
「先生に見つかったら怒られちゃうよ、はは。似合わないよね」
と言ってミンは少し寂しそうに笑う。
その様を眺めてトーヤは「いえ」と言った。
ミンは、はっとして顔を上げた。
「僕の視覚情報処理は、その爪を」
トーヤはミンに歩み寄った。
「とても素敵なものだ、と認識しました」
トーヤはミンの目を見て、柔らかく微笑んだ。
風が、また。
「どうぞ授業へ」
トーヤが屋上の出口を指し示す。
ミンは、
「うん」
と力なく返事をして屋上を出て行った。
トーヤはその姿を見送ると、直立の姿勢に戻った。
太陽エネルギーをもう少し吸収していこうと判断したためである。
ばたん。
と階段へ続く扉を後ろ手に閉めて、ミンはしばらく動けなかった。
ミンの両頬が赤くなっていた。
階段を見下ろしながらも、頭に浮かぶのはさっきのトーヤの顔。
午後の日を浴びて、柔らかく、優しく、自分にしか見せないような笑顔。
まつ毛が長くて素敵だと思った。
ほんの少しだけざらつきのある声が癒されると思った。
いつも冷たいようで、実は底なしに優しいのが魅力的だと思った。
ネイルを褒めてくれた。
(あたし)
扉にもたれていた背中が少し下がる。
(故障しちゃったのかも――)
そろそろ授業が始まるというのに校舎はやけに静かで、階下へ続く階段には冷たい光がひっそりと差し込んでいる。
早く教室へ戻らなければならないのに、ミンは、しばらくその場を離れる事が出来ずにいた。