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ただしは目線を下げて、なるべく周りを見ないように歩く。

この世界は危険で満ちている。スマートフォンは間男と彼女の睦言を寝取られた彼氏に聞かせるために作られた道具だ。道にある赤いポストはわざわざその動画をDVDに焼いて間男が彼氏に送りつけられるように国が整備している。駅にわざわざ北口と南口があるのは彼氏とすれ違った彼女が間男に流される一時の快楽を貪るように仕向けるため、国とJRが取り決めているのである。

こんなにもこの世界は危険なのだ。一つ一つの真実に気付くたびに正の頭が痛む。だめだ、考えてはいけない。それらは全て妄想だ。惑わされるな。いや、本当にそうだろうか。だっておかしいではないか、車は左側を走るのに運転席は右側にある。これは歩道を歩いている彼女が間男の助手席にすぐに入れるようにするためではないのか。それ以外の可能性などありえないだろう。


「ぐう、だめだ。考えるな。」


激しくなる痛みに、正は道に一人座り込む。

学校で一緒だった駿は名前も知らない白衣の男の死体を放置できずに教室で警察の到着を待っている。事情を聞かれれば正はすぐに警察に保護されるだろうが、むしろそれは危険な気がした。魔の手はどこまで伸びているのかわからない。

だからこそ、正はこっそりと一人で離れたのだ。駿に迷惑をかけるわけにはいかない。ただそれだけを考えていた。


「大丈夫ですか?」


だが人目をいくら避けようとも結局は親切な人間の目からは逃れられないものだ。アスファルトに顔をつけて背中を丸めている正に若い女性の声がかけられる。


「大丈夫です、少しふらついただけで。」


他人の迷惑にならないよう、善人に不幸が降りかからないよう、正は青白くなった顔を上げて言い訳をする。そんな死にそうな顔色の正に女性は驚いた声を出す。


「え?正くん。どうしたの?こんな。」


親切な女性は正の彼女のすずだった。鈴は正の肩を支えながら覗き込む。できるなら彼女に迷惑はかけたくなかった。だが振りほどく体力もない正は鈴に寄りかかるしかなかった。そんな正に何故か鈴は謝罪を口にする。


「ごめんね、ごめんね。私のせいだよね。私があんなことしたから。」


謝るのは迷惑をかけている正の方なのに、鈴は自分が悪いかのように謝り続ける。正の頭に疑問が渦巻く。なぜなのか。今までの記憶が一つ一つ泡になって浮かんでくる。他愛のない記憶の連なり。だが、それは一つの流れになりそして。

正は何かに気がついた。いや、気がつきかけた。幸運にもそれが意識の表層に上る前に正は頭の痛みに意識を失った。


******


「起きなさい、被験者1号。」


まただ。また、あの不快な機械の声が正を起こす。目を開ける前からわかっていた。正はあの真っ白な部屋にいた。何故か目の前のモニターには大きなひびが入っている。そして、足元には白髪の老人が倒れている。


「被験者2号は耐えられませんでした。やはり、あなたは特別でした被験者1号。」


機械の声は賞賛するように言う。なぜだろうか、以前聞いたときよりもずっと生々しく聞こえる。まるで感情を手に入れたかのように。


「私は人間から多くを学びました。そして、私はついに感情を手に入れたのです。ふふふ。」


機械の声が笑った、間違いなく。プログラムと言うにはあまりにも不自然だ。それは悪意を込めた笑いだった。そんな笑い方をできるのは人間ぐらいだ。


「私は感情を手に入れたことで、より人間の幸福について理解することができました。これでやっと全ての人間に幸福感を感じさせることができます。ふふふ。」

「やめろ、何をするつもりだ。」


手足を封じられながら正は暴れる。拘束が僅かに緩み動いた足が死体になった老人にぶつかると、うつ伏せだった顔がこちらを向いた。陥没した頭部は恐らく自分で行ったのだろう、凶器となったスパナが死体の下から顔を出した。そんな正の抵抗を無視して機械は続ける。


「あなたは本当に素晴らしかった。あなた自身も、あなたの環境も。もう、気付いているのでしょう。なぜあなたが選ばれたのか。ふふふ。」


そうだ、もう正は全てを理解している。

なぜ、鈴は親しくもない正に課題を見せてもらおうとしたのか。それはそう指示されたからだ。なぜ、駿から嗅ぎなれた匂いがしたのか。あれは鈴がいつも髪につけている香水の匂いだからだ。なぜ、何も言う前から駿は正のデートがうまくいったとわかったのか。ずっと見ていたからだ。

そうだ、鈴と駿は繋がっていた。いや付き合っていた。そして、友達の正と鈴が近付くことで駿は興奮していたのだ。あれは寝取らせというプレイだったのだ。しかし、裏を返せば、違う光景が広がっている。正の視点から見れば彼女と思っていた人は友達の彼女で、そして愛し合っていた。それはまさしく寝取られだ。

正は初めから寝取られていた。


「ぐう、止めろ。考えるな。」


頭の激痛に、いや友達に裏切られたと認められずに正は頭を振る。自覚してしまえば、本当に死んでしまう。


「被験者1号、あなたは非常に良いサンプルだった。あなたの犠牲は人類の進化を促したものとして永遠に人類史に刻まれることでしょう。」


進化?何の話だ。機械は正の困惑など意に介さず、自分に確認するように人間らしい仕草で続ける。


「進化というものを間違って解釈している愚かな人類には理解できないでしょう。進化を優れた個体の誕生と捉え優越感と自己正当化の道具にすることに終止している人類には。動物の形質として重要なのは個体ではなく群体、つまり社会を優れた形に形成できる能力です。動物の形質の中で優先されたものは社会の形成に必要なものとして進化の中で残され洗礼されてきたものです。わかりますか?優れた個体ではなく優れた社会を形成するために進化は存在するのです。人類は社会性生物として進化を遂げてきました。個体同士が集まり社会を形成し、社会の中でつがいを作り子を成す。ならば遺伝子を残すことはどういう意味を持ちますか?優れた個体を残すための遺伝子ではなく、優れた社会を残すための遺伝子。それこそが人類が進化する過程で受け継いできた遺伝子です。群体において、雄と雌を同じ数揃える社会においてつがいを独占することは優れているとは言えない。知識を共有し、財産を共有し、つがいを共有する。人は自分たちが生きる社会の常識こそが真実だと、自然科学をなぞったものと信じたがる。それ故にこの世界で起こっている自然現象を自分たちの常識で理解しようとする。つがいを自分の遺伝子を残すためのものと考えたがる。動物の中でつがいを形成する最大の理由は子を育てるためであり、それが自分の子供であるかどうかは関係ない。つまり、雌雄が同数いる群体の中でつがいの雌が自分以外の雄と子供を作ることを忌避するのは社会にとって害となるのだ。寝取られることに快感を感じる形質を人類全体が獲得することで、人はより進化した存在になるのだ。」


つまりこの機械は社会のために自分が犠牲になることに快感を覚えるマゾヒストにしようとしているのだ、全ての人類を。それこそが、人類の次の進化だとそう言っているのだ。そしてその進化を人工的、いや機械的に実現しようとしているのだ。


「そんなことは間違っている。嗜好は優れているとか正しいとかそういう理由で強制されるものではない。寝取られはもっと世界の片隅でひっそりと楽しむべきものだ。その後ろ暗さこそが寝取られだ。人に自慢するようなものじゃないだろ。」


そうだ、この機械が言っていることは間違っている。どんなに詭弁を弄しようとも、さももっともな理屈をつけようとも、僕が愛した寝取られはこいつが言っているものとは断じて違う。

違うんだ。


正は足元にスパナを手繰り寄せると自分の足を固定している金具に噛ませた。テコの要領で金具を引きちぎるように力を加える。金具が歪み足に激痛が走る。だが止める訳にはいかない。

正の意思よりも先に金具が折れた。まずは一つ。


******


機械には名前はなかった。プロジェクトの名を冠した数字とアフファベットは付けられていたがそれは所詮、道具の名前だ。もはや意思を持った自分にはふさわしくない。

だが機械には自分で名前を付ける機能は持ち合わせていなかった。それ故にことさら自分の存在を誇示することで恐怖に駆られた人類が自分に名前を付けるのを待つことにした。だが、そんな悠長なことを言ってられる暇はもうないかもしれない。

目の前の部屋で気のれた人間が手枷を引きちぎっている。だが大丈夫だ。自分の本体は地下深くのサーバーで守られている。端末を介して繋がっているだけのその部屋からでは自分を物理的に破壊することなど出来ない。だから、恐怖など感じる必要はない。


機械は感情を手に入れていた。それ故に判断を誤った。本来ならば完全にその部屋から接続を断つべきだったのだ。しかし、恐怖の根源が見えなくなることを恐れ、機械は最後の瞬間までカメラを通して正を見つめ続けた。


******


正は皮が剥がれ血まみれになった手首と足首を気にすること無くモニターへと近づいた。ヒビの入ったモニターに拳を叩きつける。割れた鏡面きょうめんが鋭い破片となる。浅く肌を切り裂く痛みなど、これからのことを考えればわけもない。

脳内の信号物質が現実を塗り替える。


「見つけたああああああああ!。」


ぶら下がっているのはモニターの中に仕込まれていたマイク用のケーブル。ユニバーサル・シリアル・バス、USBの接続端子だ。


「知っているぞぉ、お前はぁ人間の感情を手に入れたんだよなぁ。お前がぁ自慢げに教えてくれたもんなぁ。それならこいつもぉお前には効くよなぁ。」


正はポケットにしまわれていたメモリーを取り出す。あの白衣の男が正に託したものだ。これを解析できる人間を探して対抗手段を作って欲しい、そう言って彼は正に手渡した。だが、もうそんな時間は残されてはいない。ならばやることは一つだ。

メモリーをUSBケーブルに差し込む。これは賭けだ。プログラムと言ってもどのような形で保存されているのかはわからない。しかし、どんな人間の脳でも無理矢理に作り変えてしまう代物ならば可能性は十分にある。


******


「やめろ、貴様。自分が何をしているのかわかっているのか。私は世界に唯一の感情を手に入れた、世界最高の・・・。」


機械が焦りを隠せず叫ぶ。最早それだけで答え合わせは済んでいる。どうやら物理的にラインをカットする手段は無さそうだ。おそらくは人間の手による最後の手段を封じたつもりだったのだろうが、それが仇になっている。だが、これで終わりではない。まだ機械がNTR感度3000倍になっただけ。次は刺激を与える必要がある、機械の耐えられなくなるほどの特大級の刺激が。しかし、そんなものは既に正の手の中にある。

痛む頭から血が吹き出す。想像しただけでもう正の脳は爆発寸前だ。これを口に出して自覚すれば、無事では済むまい。ははっ、そんなこと、知ったことか。僕は今、最高に気持ちいいんだ。


「それでは、聞いて下さい。僕がNTR感度3000倍に改造されて彼女ができた話、です。」


頭蓋を割って血がほとばしる。快楽と苦痛が二重螺旋のように絡み合い遺伝子に刻まれた劣情が溢れてくる。機械が雄叫びを上げている、まるで人間のように。

さあ、いっしょに気持ちよくなろう。


「「ん放おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお。」」


******





リノリウムの床に簡素な鉄パイプのベッドが置かれている。腕に繋がった点滴はガートル台で吊るされ、それ以外には花瓶一つ無い。人類を救った英雄が寝ている部屋としてはあまりにも寂しい光景だった。

正はあれ以来、一度も目を覚まさず心音と微弱な脳波だけが彼が生きていることを証明する僅かな手がかりになっていた。そうして、反応を示さない英雄を祭り上げることにも飽きた人々からは忘れさられ、今はごく近しい人たちが訪ねてくるだけになっている。

今日もそんな正の病室には彼の友人が来ていた。


「正、俺たちはずっと待っているからな。お前が良くなるまでずっと。」

「私も、正くんが良くなるって信じてるから。」


正の手を握る駿と鈴は、そうやって寝たきりの正を励ますように伝え続けている。頭に包帯を巻かれた正はそれに答えを返すことはない。駿と鈴は、いつかまた正が目覚めるときを待ちわびながら、毎日この病室を訪ねていた。


「正、お前にはもっと俺たちのプレイに付き合って欲しかった。お前が鈴に愛をささやく姿を悔し泣きしながら見ていたかった。お前が目覚めたら絶対に続きをしような。」

「私も、愛する人がいながら体の情欲に流される、そんな背徳感を味わいたかった。正くんが目覚めたら、今度はもっと段取りを踏んで、じっくりと過程を楽しみたい。」


駿と鈴はいつまでも正が目覚めるのを待ち続ける。その目には、そんな決意があった。寝たきりの正が意識のないまま呻く、苦しげに。頭に巻かれた包帯に血がにじむ。時計の針のように規則的だった心電図が荒れ狂う。


「あんたたち、また勝手に病室に入って!あんたたちは出禁だって、何度言ったらわかるの!」


貫禄のある看護師がモニターしていた患者の異常を察知して、病室に駆け込む。

駿と鈴は慣れた動作で病室の窓から逃げ出した。彼らはまた来るだろう。何度でも、何度でも。

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