3 捜査(1)
鏡を見ると傴男がいた。うわ怖、と思ったら自分が映っていた。
インドア派とは言えこれはあんまりというか、外を出歩くのが許される姿ではなかった。
とりあえず髭を剃ってザンバラと伸びた髪を一つくくりにし、意識して背筋を伸ばしてみた。不審者…?くらいにはなっただろうか。着ているものは結構いいやつなのにどうあがいても不格好なのは残念なものがある。
一歩外に出てみればむわっとした熱気が肌を焼いた。蝉が暑さをかきたてるように鳴いている。皐は地味なバケット帽を被り、噴き出してくる汗を拭いながら、連絡がついた4年前の事件の関係者に会いに行った。
◆
「はじめまして、今日は急にすいませんね」
「はじめまして。野兎 望です」
指定した喫茶店に来たのは、やや地黒ながらくりっとした目と人懐こい笑顔が好感のもてる、爽やかな青年だった。大学生らしくTシャツとジーンズというシンプルかつお安めの服装をしているのに初対面の印象が凄くいい。まったく羨ましい限りだ。
甘いもの好きだという彼にはアイスクリームの乗ったメロンソーダを、自分はコーヒーを頼み席に着いた。
皐が言うまでもなく、五十嵐美里刑事は当時の関係者に改めて話をきこうとしたようだが、大体が非常に迷惑がり電話を切られたり、そもそも繋がらなかったりと散々だった。その中で唯一、4年前から携帯番号を変えることもなく連絡がつき、話が聞きたいと言えば快諾してくれたのが野兎望だった。
「五十嵐刑事はちょっと遅れてくるそうなので、まず私のほうから少しお話を伺ってもいいでしょうか?」
「はい、構いませんがあなたは…?」
「自己紹介が遅れてすいません。僕はアドバイザーとして五十嵐刑事に協力している、華蔵閣 皐といいます」
「よろしくお願いします。華蔵閣さん」
歯を見せて笑う彼と握手をしたところ、野兎の薬指と小指の付け根がやや隆起し乾燥して固くなっているのに気づいた。
「・・・。剣道をやっていらっしゃるんで?」
「わ、凄い。流石ですね。高校の時は剣道部でした。大学ではラグビーやってます」
改めて野兎の姿を見てみれば、Tシャツから出る腕の節々は筋肉の盛り上がりがあり、また胸板にかなりの厚みがあった。引き締まっているのでそれほどの圧はないが、これはいわゆる細マッチョという奴だった。
(剣道…、剣道か。そういえば犬飼少年は日本刀で斬られたんだったな)
凶器の特殊さがそのまま事件の特異性でもあった。そちらから検討するのもいいかもしれない。
皐はメモを取り出し、野兎に尋ねた。
「4年前に合宿で参加したメンバーで、剣道部に所属していたのは誰ですか?」
「?俺だけですけど」
「……。」
お、おう。爽やかに言い切られて言葉に詰まる。
「あー、そういや凶器が日本刀でしたもんね。刀を扱える人間が知りたいってことなら、俺と荒木竜茉くん、あとまぁ、忠山狗竜さんですね」
「死んだ竜茉くんも剣道の経験があったんですか?」
「ええ。というか忠山家って古流剣術の…ええと、天真天正忠山神道流の宗家なんですよ。狗竜さんと竜茉が実は兄弟っていうのはご存じですか?」
「ああ、そうらしいですね」
父親がひどいやつだ、というのがひしひしと伝わってくる捜査資料を思い出していた。家庭があるにもかかわらず外に愛人をつくり、妻が死んでから忠山家に愛人とその子を連れてきたという経緯だったか。死んだ正妻の子が狗竜で、愛人の子が竜茉だ。
「狗竜さんは天真天正忠山神道流で皆伝の腕前だったと聞いてます。一方で竜茉は忠山家つれてこられてから、慣れない剣道させられてかなり大変だったみたいでした。授業中も筋肉痛でグロッキーだったりしてたし。竜茉の剣ダコなんて俺の比じゃなかったですもん。いつも手が真っ赤で。」
「野兎君は竜茉君とは仲が良かったんですか?」
「はい。とても」
真っ直ぐな目で間髪入れず言い切られて、またも言葉が詰まる。どうも端的に言葉を話す野兎という青年とは会話の相性が悪いな、と皐は一人ごちた。色んな引っ掛かりから話を広げるものだが、無駄なくシンプルに会話が終わってしまうので、こちらから色々話題を振っていかないと情報が得られないのだ。
「ええと…、それでは忠山狗竜君とはどうですか。仲が良かったですか?」
「うーん、ぶっちゃけ言っていいですか?」
「ハイドウゾ」
「よく知らないです。」
うーん知らないなら仕方ないかぁ。皐が困り顔になったのが相手にも伝わったのだろう。記憶を手繰って何かしら言おうと考えこんでるのが分かる。会話のテンポは合わないが、いい子である。
「ええっと…そうっすね。忠山さんとは同じクラスになったことないんですよ。俺らが通ってた学校は中高一貫校なんですが、中学校からの持ち上がり組と、高校からの受験組がいるんです。授業の進みが違うんで、ほとんど接点がなかったというか…。忠山さんは中学校からの内部進学組、俺は高校からの受験組です。」
「ああ、なるほど。覚えている範囲でいいんで、この名簿を内部進学組と受験組で分けてもらえますか?」
「了解です。受験組は少なかったんで全員分かりますよ」
<内部進学組>
・犬飼 正(男/17被害者③/昏睡ののち回復)
・榎本 みはる(女/17)
・大鏡 茉白(女/16/被害者②/死亡)
・忠山 狗竜(男/17/容疑者)
・布津 結衣(女/17)
<受験組>
・梅村 春香(女/16)
・田中 荘平(男/16)
・野兎 望(男/16)
<転入>
・荒木 竜茉(男/17/被害者①/死亡)
「ありがとうございます。竜茉君が転入してきたのはいつ頃ですか?」
「ええっと、高校1年のときの冬だったと記憶してます。あー、冬休み明けだったから1月ですね」
「竜茉君が入ってきたのは受験組の方のクラスですね?」
「そうです。竜茉は公立高校から転校してきたって言ってたんで、授業の進み方が近い高校からの受験組の方に入れられたんでしょうね」
「…成程。」
皐は眉を顰めた。事件の輪郭がぼんやりと形を成してきたようである。成程、この事件は分かりやすい。…そして単純すぎたから孔が開いたのだ。渾沌を穿つ闇の歯牙の如く。
しばらく考えをまとめ、目線を再び目の前の青年に合わせると、野兎は真っ直ぐにこちらを見ていた。案外鋭い視線にたじろぐ。野兎になら、この質問も意味があるだろうか。思いがけず興味を惹かれ、大暴投の質問をしてみた。
「僕はね、犯人は忠山狗竜ではないと考えています。君は誰が真犯人だと思いますか?」
「率直に言えば…」
野兎はそこで少し言葉を切り、少し逡巡した後思い切るように言った。
「率直に言えば、犬飼君を斬ったのは忠山狗竜さんだろうと思います。俺1度だけ真剣の日本刀持ったことあるんですが、重いし薄いし振り回されるしで竹刀とは全然勝手が違いました。多少剣道かじってたくらいで人を殺せるとは思いません。あの合宿に参加してた人で、真剣扱う腕持ってたのって忠山さんだけじゃないかって思います。」
言い切ってから、野兎はふう、と息を吐き頼んでいたメロンソーダを飲んだ。
質問には即座に答えるのに、答えた後にいくらか迷いが見える。
「ええっと、ただ…」
「“ただ…” 何ですか? 何でも話してください。間違っていてもいいし、どんな小さなことでもいいから」
「…昔、見たことあるんですよね。竜茉と狗竜さんが打ち合ってたの」
彼らの流派は、他流試合は元より、剣技を外に見られることを良しとしない秘密主義だった。
だからたまたま早朝に学校に行ったとき、体育館で竹刀で打ち合う彼らを見て、興味惹かれて覗き見しちゃったのは許してほしい。
2人は無言で、凄い汗で、ひたすらに打ち合っていた。正確にいうと竜茉ががむしゃらに向かっていき、ひたすら技を仕掛け、それをことごとく捌いた狗竜さんが一太刀のもと打ち据える。膝をついた竜茉はすぐに立ち上がってまた仕掛ける。それを防がれる、今度は狗竜さんの技が決まる。・・・その繰り返しだった。
普通の鍛錬とは思えなかったし、正直目が疲れるのでいつ終わるのかと思ってたけど、2人は飽きもせず結局始業のベルが鳴るまで続けていたのだった。
自分も竜茉も遅刻したけど、絶対あれは狗竜さんも遅刻したと思う。
「まぁだから何だって言われると、ほんと何だ…?って感じなんですけど。竜茉は家のことあんまり口にしなかったし、俺が知ってることはほんとないんですけど。
・・・言われてるほど兄弟仲悪くなかったんじゃないかなあ?って、ちょっと思ったりするんですよね」
「・・・・・・。」
「あーー、だから何が言いたいかというと、忠山さん犯人じゃないって調べる人の気持ちは分かる気がします。だから協力したいし。何か適当ですいません」
「いや、ありがとう。大変参考になったよ。
………。
ところでもう一つ質問いいかな?野兎くん」
「はい何でも」
「事件のあった20××年7月28日の夜と29日の朝、君のアリバイはあるかい?」
「いやぁないっすね! 夜は寝てたし朝は1人で捜索してました。」
野兎望は相変わらずイイ笑顔であっけらかんと答えた。