2 事件概要
「・・・それは、大問題じゃないか?」
皐は目を白黒させた。
急すぎる少年法改正、及びその即時適用は、たしか国内外からかなりの非難を浴びたのだ。不遡及の原則に反すると。
しかし当時の日笹木法相は異例の厳しい態度で臨んだ。
『例え、年若いものであったとしても、命の重さをしっかりと分かっていただきたいのです。前例ばかりを大事にしては、果たしてこれからの時代の少年犯罪に対応することができましょうか。今、この臨時法案は必要なのです。血の通った裁判が必要なのです』
この国会での答弁は話題になり、何度もニュースで繰り返し流された。彼の大衆人気を決定付けたのはこの瞬間と言っていい。
そして現在、当時の日笹木佑人法相は、内閣総理大臣となっている。
「政権が吹き飛ぶ」
確かな予感とともに、皐は言葉を零した。
間違いなく正しいことをしたからの人気、皆が望む結末を見せたからの人気であったはずだ。その前提がひっくり返れば、いとも容易く大衆は彼に背を向けるだろう。
「ふっふっふー♪」
美里は薄い唇を釣り上げて蠱惑的に笑ってみせた。
「もう週刊誌も嗅ぎ付けてるわ。この事件、すぐに大事になる、注目が集まる―――つまり、私の出世の大チャンスって訳よ!」
「だから、いつも通りにお願いね!」
叩きつけるような言葉だった。────皐には、命令のように聞こえた。
「・・・・・・全く君は」
いつも通りに。もの言わぬブレインとして。美里の影となり手足となり事件を解決する。
自分は人間ではなく駒だった。普段はほとんど意識の埒外にあり、必要に応じて存在を思い出す程度の。
彼女の隠しもしない傲慢さを好ましいと思ってしまうのは、我ながら厄介な性質だった。曖昧に笑いながら、皐はいつも通りに「やるよ」と言った。
得がない訳ではない。美里を通して通常一般人なら知り得ない捜査資料を悉く見ることが出来る。
単純な興味があった。犬飼正の証言が正しいとするならば────、犬飼少年が背後から襲われた時、向かい合って話していた忠山狗竜からは犯人が見えていた筈なのだ。真犯人を目撃しながら、更に自らが容疑者として裁判にかけられながらも黙秘を続けた理由。
・・・それを、知りたいと思った。
■事件概要
皐はだらしなくごろんとソファに仰向けになりながら、貰った捜査資料のうちの一つ────合宿に参加した引率者と少年少女の名簿を眺めていた。
不謹慎だが、この名簿に不細工が1人もいない。強いて言うなら荒木竜茉と犬飼正はまぁ地味というかどこにでもいそうな感じだ。それ以外は引率の先生は美人だし、生徒はどの子もまぁ端整で爽やかな顔立ちをしていた。美しい連れ合いを得た成功者の子供たちなのだろう。
<合宿参加者 名簿>※五十音順/年齢は当時のもの
<引率>
・刀弥 靜(女/27/地理歴史科・教師)
・葉狩 美月(女/29/数学・教師)
<生徒>
・荒木 竜茉(男/17/被害者①/死亡)
・犬飼 正(男/17被害者③/昏睡ののち回復)
・梅村 春香(女/16)
・榎本 みはる(女/17)
・大鏡 茉白(女/16/被害者②/死亡)
・田中 荘平(男/16)
・忠山 狗竜(男/17/容疑者)
・布津 結衣(女/17)
・野兎 望(男/16)
コテージ:
東棟、南棟、西棟の3つがあり、当時東棟と南棟が使われ西棟は閉鎖されていた。
東棟は男子生徒が、南棟は引率教員と女子生徒が利用していた。
正面出入口、背面通用口が施錠可、マスターキーは教員の刀弥が所持。
被害者①
死亡推定時刻 20××/7/28 22時~翌午前2時
死因:外傷性ショック死
発見時刻:20××/7/29 9:40頃 場所:食堂(西棟)
第一発見者:榎本みはる&犬飼正
状況:朝食時間になっても来なかった為捜索したところ、使用されてなかった西のコテージの食堂の大時計の下敷きになっている被害者①荒木竜茉が見つかった。
ステンドグラスが散乱しており近づけず、遺体が収容されたのは警察が到着してから。死因は大時計の下敷きになったことによる外傷性ショック。
司法解剖の結果、残留した尿中からセボフルラン(=吸入麻酔薬)が検出され事故死が否定された。
被害者②
死亡推定時刻 20××/7/29 9:30~10:00頃
死因:水死
発見時刻:20××/7/29 10:50頃 場所:佐名湖ボート係留施設付近
第一発見者:刀弥靜
状況:朝食をとった後荒木の捜索に加わったが戻ってこないため、生徒たちを南棟1Fで休ませ教員2人で手分けして探したところ、佐名湖の係留バース付近で仰向けで浮かんでいる被害者②大鏡茉白を発見した。すぐに心肺蘇生を行ったが呼吸は回復せず同日死亡。
背中右上部に3cm円ほどの痣が複数あった。大鏡は泳げなかったという。
被害者③
発見時の状況:
20××/7/29 19:45頃 場所:東棟2F
警察官2名が東棟コテージに入った際、大きな物音が2階からしたため駆け付けたところ、背中から血を流し倒れている被害者③犬飼正と、血の付いた日本刀を持って立っている忠山狗竜がいた。「お前がやったのか?」と聞いたところ頷いたためその場で現行犯逮捕。
刀傷は大きなものが一つ。右背から左腰部への背袈裟斬り様。刃先は肋骨を寸断し左胸部にまで至っており、心臓の拍動とともに血が溢れ出すと言った様相で救命は絶望的と思われたが、現場の適切な処置もあり奇跡的に一命をとりとめた。
凶器の日本刀の出所は不明。恐らくは黙秘を続けている忠山が持ち込んだものと思われる。
備考:
被害者①荒木は忠山狗竜の異母弟。同い年の兄弟というので家庭の複雑さが伺える。
死んだ荒木竜茉の方が非嫡出子、いわゆる妾の子だった。狗竜の母親が病気で亡くなってすぐ、父親が妾とその子を呼び寄せ家にいれたらしい。
兄弟間の不仲は事件前から有名だったようだ。
被害者②の大鏡は評判の美人で、学校のアイドル的存在だった。
忠山狗竜の元交際相手で、別れ話がこじれていたらしい。
◆
「ふむ・・・」
疑いようもない事件として処理されたのも理解できる。
忠山狗竜は現行犯逮捕だった。また荒木と大鏡は、忠山狗竜にとって邪魔な人間だった。先2人の殺人は事故死に見せかけられており、裁判での論点は寧ろこちらの状況証拠の立証だったと記憶している。
3番目の犬飼だけ事故を偽装しようとした痕跡がなく、口封じの為の突発的な犯行と目されていた。総じて、動機もストーリーも無理なく描けるものだったのだ。
そして今となっても難しい事件ではない、と皐は感じた。
夏期合宿、悪天候、キャンプ地の中という限定された状況で、2人の死者は出たものの9人生き残ってるのだ。全員に洗い浚い吐いて貰えば自然と解決するはずのものだろう…本来ならば。
(まー・・・、一番不利益被った忠山が何もしゃべらないんだから言うほど簡単ではないんだろうけど、な)
真実を知る者はいる。ただ明らかになっていないだけ。
死刑すら囁かれるなか沈黙した者の口を割らせるのは難しいだろう。ならば、考える葦らしく手足を動かし脳髄を振り絞って無音の闇を打破するのみだ。
気が付けば朝になっていた。皐はうーん、と伸びをして徐にスマホに手を伸ばした。
「とりあえず2、3気になる点があって。
何とか事件関係者のうち2人と話がしてみたいんだけど、できるかな?美里さん」
次回捜査パートです。
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