3
この学園に纏わるこんな言い伝えをご存知だろうか。
美少女の集いと言われた白百合の会。
全ての運と引換にして運命の人と出会えるという聖乙女の会。
その姿を見たら幸せになるという幻の歌姫。
それから――。
何かしらの変化を遂げ頑張りたいという女の子の願いを叶えてくれる放課後の魔術師。
放課後の魔術師には正体不明であり、その依頼も必ず受けてくれるとは限らない。
一週間に一度、学園のどこかに用意されるという図書カード程の小さな紙に名前と願い事を書くと上手くいくと放課後の魔術師が叶えてくれるのだ。
そして、放課後の魔術師の正体を知っても明かしてはならない。
もし明かしたことが発覚すると綺麗になった魔法は解け、二度と可愛くなれないと言われているからだ。
そして長い年月を掛けてただの幻とされていた放課後の魔術師を復活させたのが衣織であり、衣織の為に尽力してくれる三人の先輩なのである。
「学校に忍び入るって……何考えてるの?」
頭痛いと額を抱え始める澪にまぁまぁと宥めるように声を掛けるのは崎津悠斗という先輩ってよりは、衣織のビジネスパートナーである男の先輩だった。学年はまだ高1だが、二年間の留学経験があり最年長の18であるからこう言った場合取り纏めなどしてくれる。
「何か理由があるんでしょ?学校に侵入したい理由が。教えてご覧よ」
にこにこと優しい優男の発言に待ってましたと衣織は侵入したい理由を述べる。
「このカードの持ち主に会いたいのです」
衣織はそう言うと、藍が拾ってくれたあの落ちていたカードを差し出した。
「これって?いつも掲示板の裏に潜ませているカード?」
「それがちょっと違いまして……私の教室の前に落ちていたのです。名前のとこよく見て下さい」
衣織の指摘に澪と悠斗は覗き込むようにして名前を読んだ。
「ハンナ=クレア・バァッティスタ・ヴィアヴォルフ。女性の名前だね」
「あ、そんな読み方するんですね。初めて知りました」
いかんせん衣織は海外に行ったことはあるが英語を使わずにいたのだ。当然こんな難しい名前なんて読めるわけない。
「ドイツの名前かしら。でも名前だけしか書かれてないのね」
「どうしてだろう。依頼したかったからじゃないのかな」
不思議そうに何度もカードをひっくり返す二人の前に依織は司に調べてもらった資料を差し出す。
「どうしたの?これ」
「弥永に調べてもらったこの学園に在籍するハーフや外国人生徒の名簿です」
二人はそれをぱらぱらとめくりそれからそれがどうしたと言わんばかりに衣織を見た。
「その中にハンナと名前の生徒はいません」
名前は読めなかったがしかし、そんなに長いフルネームの人物、リストに乗っていなかったのだ。
二人は資料をめくるが確かに見つからなかったらしい。
不思議そうな顔をする。
「おかしい。いくらなんでも在校生徒の名前が書いてないなんてありえない。この学園は広すぎるから先生の為にある程度の生徒情報が調べられるはずだわ」
「でもそれが出来ないってことは正体を隠しておきたいってことか」
「そうです、だから思ったんです。この人物は正体を隠しておきたいのにこうやってフルネームを記載したカードを落としてしまった」
「だから、人がいないときに探しに来るかも。忍び込みたい、か」
合点が行ったと苦く悠斗が笑う。衣織に振り回されがちのため理解が早いのは助かる。
「このカード藍が拾ってくれたんですけど、藍が言ったんです。この人助けて欲しいからもしかしたら依頼したくて名前を書いて大事に持ってたんじゃないかって。でも出来 ない事情もあったのかもしれないって。でも、藍が拾って私の手にあるってことはそういう神様の思し召しだろうから助けてあげてって」
あの子は衣織達がグロウ ーgrow&glowー、放課後の魔術師をするきっかけになった子だ。
その藍が言うなら衣織は助けてあげたかった。それに名前を書いたって事は助けて欲しかったのだと思うから。衣織は手を差し伸べてあげたいのだ。助けを求めてくれる全ての女の子に。
「分かった。そこまで言うなら協力しよう」
「怒られたら責任とってあげるわ」
「うわーい! ありがとう御座いますー!」
「俺は反対だぞ」
先輩たちの優しさに両手を上げて喜ぶ衣織に水を射す発言が聞こえる。が、きっと気のせいだ。絶対気のせいだ。
「うわーい!」
「おい、二宮。無視してんな」
ちっ。どうやら気のせいじゃ無かったらしい。
仕方なく声のした方を見るとそこにはこちらをじとりと睨みつけてくるもう一人の先輩である飯田拓海の姿があった。
すっ…………かり存在を忘れていたものだ。
このまま消えてくれてよかったのに。
「おい、テメェ今舌打ちしたろ?」
「気のせいじゃないですかぁ。若いのに難聴とかヤバいですよぉ」
「てめぇこそ優しい先輩の存在忘れるのはボケの始まりじゃねぇか?」
「あ、優しい先輩じゃないんで忘れて問題ないですね」
「本当可愛くないな、お前」
「可愛いって思われたくないんで」
「はいはいそこまで。拓海くんも心配なの分かるけど、今回は俺に免じてここまでにしてあげて、ね」
この人に心配という感情が有ったのかと驚だが、悠斗に免じて今回はここまでにしてやった。
相手してるだけ時間の無駄なのだ。とっとと切り上げるのが正解だろう。
「こんな奴心配って訳では無いですが、これが夜道歩いているのを見かけて人の方が可哀想でしょ」
おうおう。言ってくれる。本当は殴りたいところだがグッと我慢した。
「俺が家まで送るから。そしたら心配ないでしょ」
ね、と言われ、拓海はしぶしぶ、しぶしぶ納得したようだ。ただし、自分も立ち会う条件で。こいつ、単に仲間外れにされたのが悔しかっただけかもしれない。
これでこの話は終わりと言われたので、衣織のために尽力してくれる(仕方ないから拓海をいれてやる)先輩と今晩、学校に乗り込むことが決まったのだ。
ひたりと息を殺した気配が足音を立てぬようしてこちらに向かっていた。
ことん、ことんと打ち消すことが出来なかった音が直前で止まる。
それから、何かを探ってるのだろう。ひたひたと辺りを軟らかいものが硬いものに触れる音が鳴る。
「………探し物はこちらですか?」
ピンっと音を立てて明かりがついた教室の向こう、驚きで目を見開く人物の姿が見て取れた。
「藤堂先輩」
暗闇の中で探し物を当てていた人物、藤堂先輩は衣織の手の中のものを見ると癖なのか髪の毛を弄りながら違うと嘯いた。
「実尋と会った時に自分の当番表をなくしてしまったようでそれを探してたんだよ」
いやー困ったとくるくると髪の毛を巻く藤堂琥太郎の額には薄らと冷や汗が見える。
それが本当だとしたらおかしなことが起きると分かっって言っているのだろうか。
「では先輩、当番表を無くしたのが本当だとして探すのは明日でも良くないですか?わざわざこんな遅い時間に探しに来なくても」
時刻はもう10時近い。当番表を探しにわざわざ中等部まで訪れるには遅すぎるだろう。
「気にしいな性分でな。見つからないかもって思うと不安で夜眠れなくなっちまうんだよ」
「それは初めて聞いたな。琥太郎」
「澪!」
言いながら現れたのは……里中澪先輩だ。澪も驚いているのかその口調は何処か固い。
「琥太郎、嘘つく時髪の毛弄るって知ってる?」
指摘され彼はハッと弄っていた髪の毛を解く。気付いて居なかったらしい。
「当番表も、夜眠れないのも嘘だよね。どうして嘘つくの?こたの情報が閲覧出来ないのと関係あるの?」
「その前になんで澪がここに居るんだ」
「私達が放課後の魔術師だから」
「私達……」
澪の言葉に悠斗と拓海が出てきて、琥太郎はもう逃げられないと思ったのか、小さく笑った。
「そうだよ、俺が落としたんだ」
「ハンナって名前は?」
「それがあなたの海外で名前なんですよね、藤堂琥太郎先輩。それとも藤堂七緒先輩とお呼びしましょうか」
「気付いてたの?衣織」
「ええ。だって。肩幅とか身体の作りは女性だったので。ずっと意味があって男装しているんだろうなとは。悠斗さんも気付いてましたよね」
「まぁ」
衣織はずっと気づいていたのだ。琥太郎が女性だと。ただ理由があってそういう振る舞いをしているのだと思って聞いたことはなかった。
それに琥太郎、七緒の名前が検索エラーだった時にもしや同一人物だろうとは踏んだのだ。それがハンナと繋がったのは今だったけど。
「そうだよ、俺、実は女なんだ」
「知らなかった……」
彼、いや、彼女の話はこうであった。
彼女はロシアの伯爵一家の産まれであり名家のお嬢様らしく育てられていてらしい。
七緒が5歳になったある日のことだ。
当主であり七緒の祖父であるアーサーのもとに日本人の友達が孫を連れて遊びにきた。
歳が近い二人はすぐに意気投合して遊んだらしい。
一日掛けてすっかり仲良くなった二人が別れが辛くなった。
離れたくないとぐずる七緒に相手は言ったらしい。
いつか結婚しよう、18になったら迎えに来るからと。
七緒は伸ばされた指切りの手を取って誓ったのだ。たった5歳で。永遠の愛を。
それからが大変だった。
相手は大富豪の子息。見合う為の女にならなければならないと勉強にマナー講座にとありとあらゆるレッスンをうけ教養を身に付けた。
18になったら迎えに来るとの言葉を信じて。
しかし、それは叶わなかったのだ。
「相手が裏切ったの?」
「いや、まさか。12の時に向こうの父君が暗殺されたんだ。その時に相手も殺されかけてな。その時のトラウマで誰とも会いたがらなくなって。だから俺決めたんだ。まだ18じゃないけど側に居てやりたいって。けどもし18になる前に会いにきたらあいつキレるだろうから男として会うように決めたんだ。それからずっとこの姿であいつのそばにいる」
なんと深い愛なんだ。
女性が男性として生きるなんて大変だろうに。それでも相手の為に全てを犠牲にして生きているなんて。
「それでなんで依頼に繋がったんですか」
拓海の質問にこくりと七緒は頷いた。ちゃんと話してくれるつもりらしい。
「この前さ、そいつに18になる前に会おうって言われたんだ。可愛い洋服まで贈ってもらってさ。困ったよ。俺、こんな姿だし。この姿で会いに行ったら確実に騙していたのがバレる。それが怖くなった時に放課後の魔術師の噂を聞いてな。こんな男らしい見た目の俺も誤魔化しが効くかもしれない。胸はって会えるかもしれないって思ったけど、よく考えたらそんなの無理だって思ってさ。名前だけ書いてもってたんだ。お守り代わりに。名前書いてるだけで効果あるって聞いたからさ。なのに落としてしまって困ったよ」
苦く笑う彼女の目の下のクマが長い間の彼女の葛藤を示している気がした。
だから衣織は決めた。最初から決めてたけど。改めて決めた。
だから聞いてみた。
「先輩。どうしたいですか?」
「どうしたいって?」
「名前書くほど切迫詰まってたんですよね。どうしても助けが欲しかったんですよね?今、私達はここにいます。助けたい気持ちも有ります。あとは先輩次第です。先輩がもし依頼をしたいなら、私達は依頼を受けますよ」
「けど……正当な手順があるんだろ?」
確かに正当な依頼手順を踏んでもらわないと通常なら依頼を受けない。
それでも衣織たちだって人間だ。情だってある。
「私が依頼を受けたいと思ったら特別に受けることだって有ります」
前回のましろの時のように。必ずなんてどこにもない。
「後は先輩次第です」
衣織の言葉に七緒は暫く悩んだあとややあってゆっくりと頷いた。
「依頼、したい。……していい?」
いいも何も。
「私はその言葉を待っていました」
女の子をハッピーにできる魔法の呪文に特別なのはいつだって女の子の勇気だ。これがなければ物語は進まないのだ。
「あなたを可愛くできるよう約束します」
恭しく頭を垂れると彼女は小さく笑い宜しくお願いしますと頭を下げた。
「ところで気になったんだけど琥太郎……ってより七緒って呼んだ方がいいかしら?」
「琥太郎でいいよ。そっちの方が呼びやすいだろ」
「なら琥太郎。琥太郎の婚約者って誰なの?」
澪の質問にあれ? 言ってなかったか? と七緒は首を捻った後あいつだよと続けた。
「夏樹」
「は?」
「それほんと?」
「有りえない」
「嘘でしょ」
あのプライドが高そうで恋愛なんて一切興味なさそうな高等部生徒会長がまさか幼少期に結婚しようと言うような男だったとは。
これはスキャンダルかもしれない。
けどそんなことより……。
「あの藤堂先輩の好きな人があの生徒会長とは……」
恋とはほんと不思議なものである。