5.救世主、此処に4
玄関を出ると、それはもう素晴らしいほどに何もない広い庭があった。
庭の存在理由を問うほどに何もない。
その庭を突っ切って、ぼくは庭から出た。
「あれは……?」
何百メートルかした先に、建物が連なっているのが見える。
大きくもない、かといって小さくもない街だろう。
その街のさらに奥には城壁のようなものが建っていた。
「城壁とかファンタジーかよ……また現実味のないものを。俺はまだ夢だって信じるからな……認めてたまるか」
人間の視線は大きいものから向くため小さいものはあまり目立たないが、街にたどり着くまでにも何軒か家も建っているようだ。
なるほど、あの人間嫌い。
人間と近寄りたくないからって住む場所までこんな遠くに建てたのか。
推測でしかないが、彼女のことなので普通にあり得そうな話だ。
とにかく、こんなところで突っ立っていても仕方がない。
ぼくは先にある街を目指して歩き出した。
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約二十分、平坦で平凡な真っ直ぐの道を歩き続け、ようやく街にたどり着いた。
家との距離が中途半端に長い。
まぁ、もう着いたのだからそんなことはどうでもいい。
「綺麗な街だな、おしゃれで」
と、呟くほどに綺麗で、有名な観光地って言われても普通に信じてしまうほど見ごたえのある街だ。
野良猫がそこらの日陰で寝ていたりしていて、街の華やかさや雰囲気をより強めていた。
ビルのようなあまり飛び抜けて大きい建物はなく、人も飛び抜けて多いというわけではないため、都会ではないのだろう。
建物にはたくさんの窓があり、壁や屋根の色が他の建物と統一されていて、例えるならばヨーロッパのようなおしゃれな建物が目の前に広がっている。
それと、普通に道路も車もちらほら見える。
魔術がある世界とはいえ、アンドロイドというバリバリの機械が存在するような世界なのだから、車があるのは当たり前か。
とりあえず辺りを散策してみよう。
ぼくは適当に、直ぐ目の食べ物の出店に行ってみることにした。
「おじさん、これ何ですか?」
スポンジケーキのような木地で、それをベビーカステラのような形にしたお菓子を売っていた。
とても甘い香りが漂っていて、食べたら甘そうだ。
「これは『クストゥーレ』っていうお菓子だ。ストゥーレの内臓を溶かして焼いたらこうなるんだぜ、ボウズ」
「ストゥ……?何ですか、それ」
「この地域で狩れる魔獣だな。五十センチくらいの、肌色の毛をした可愛いやつだ。ま、性格は狂暴だから見たら逃げることをおすすめするぜ」
その話を聞いて、そうだ、と思い付く。
動物はこの世界にいるのだろうか。
「この辺りに何か動物とかっていますか?」
「猫ならそこらじゅうにうようよいるぜ。なんたってここは<猫街>なんて呼ばれてるくらいだからな!ま、ここに来るような観光客はみんなそれ目当てだろうから、ボウズも知ってると思うがよ」
確かに猫は多い。
視界に必ず一匹はいるくらいだ。
ぼくはおじさんにお礼を言って、その場から離れた。
さて、次はどこを見て回ろうか。
そう考えていたとき、丁度どんぴしゃなものが目に入ってきた。
「……あれは」
___倒れた猫?
街の道路を挟んだ先にある建物の壁際に倒れている。
ぼくは道路を渡り、その猫の前で屈んだ。
口から血、僅かに身体がピクピクと震えているため、まだ死んではいない。
生きているならば助けられる。
「君、ちょっといいか」
「え?」
ぼくは右側を見上げた。
ぼくと同じ160センチほどの身長、雰囲気的に、多分同年代くらいだろうと思われる少年が真横に立っていた。
金色の若干パーマ掛かった髪の毛が印象的で、目線がそっちに動く。
彼は腰を落とし、ぼくと同じ目線になってからこう言った。
「俺のばあさんが獣医をしてるから、その猫を引き取らせてほしい」
「丁度この猫をどうしようかって思ってたところだよ。助かる宛があるなら、この猫は君に託すよ」
「分かった。サンキューな」
彼は猫を抱き、立ち上がった。
それと同じタイミングで、ぼくもその場を立つ。
「心配だから、ぼくもついていっていい?」
「え?……分かった。じゃあ付いてこい」
そう言って彼の足は動き出した。
その後にぼくも付いていく。
ジョギングより早いペースで、彼はあの場所から真っ直ぐ、道路に沿って街の外れに向かって走った。
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走って約数分、街の端に彼の家はあった。
ぼくは付いていくのがやっとで、着いたときにはかなり息が上がっていた。
こんなに体力無かったか?と、自分の体力に疑問を浮かべる。
「ごめん、また来るからここで待ってて」
「え?あぁ……分かっ……た」
息の乱れが酷すぎて、答えられていたかすら自分でも分からなかった。
取り合えず、ここで待てと言われたからには待つしかないだろう。
丁度休憩できるし悪くない。
ぼくはその場で座って、彼の家の壁にもたれた。
彼のおばあさんが獣医と言っていたが、家は結構小さいこと以外は普通の家だ。
動物病院的なことは何も書かれていないということは、職場はここではないのだろう。
つまり今家におばあさんがいるということは、きっと今日は休みということか。
そんなことを考えながら待っていると、ほどなくして彼が玄関から出てきて、ぼくに声を掛けた。
「待たせたな。お前の方は大丈夫か?」
「何とか息は整ったよ、付いていくって言ったのはぼくなのに悪いね」
動物だけでなく、他人まで気に掛ける精神、これはいわゆる聖人というやつだ。
「それで猫は?」
「あぁ、命に別状はないってさ」
「ならよかった。これで安心かな」
ホッとして胸を撫で下ろす。
ここに来て何もしていないけれど、その報告を聞けただけで十分来た意味がある。
「ここまで来させて家に入れなかったの、悪かったな。ばあさん、昔に何人か客と揉めたらしくて、あんまり知らない人に会いたくないんだ」
「獣医なのに人と会いたくないの?」
「いや、実はもう引退してんだ。年も年だし。辞めた理由はそれじゃなくて年齢だ」
「……なるほど、そういう理由なんだ。でも、悪かったなんて言うことはないよ。ぼくが勝手に付いていっただけだし、目の前で倒れてる猫が助かるかどうか、それだけでも聞きたかった」
「……聖人か?お前」
「そっちこそ」
ここで話題が付き、一瞬の間が出来た。
が、彼は直ぐに話を続けた。
「そうだ、お前名前は?」
「ぼくは……そうか、名前考えなきゃな」
「え?」
「ぼく丁度記憶無くしてて、今は自分の名前すらないんだよね」
ぼくは笑って返答するが、非常に返しに困る返答をして申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「……記憶、戻るといいな」
ぼくはその言葉を聞き、立ち上がった。
「ありがとう。ぼくはもうそろそろ行くよ。最後に君の名前を教えてほしいかな」
「俺はカランだ。困ったらいつでも来い」
カランは座ったまま、こっちに右手を差し出してきた。
そのサインを見て、ぼくも右手を出す。
握手だ。
カランの頬と口が若干上がったような気がした。
結構クールな笑い方をする。
「じゃあまた」
ぼくは手を離し、笑顔でその場を去った。
そして、その後ろ姿を見ながらカランは呟いた。
「……なんとかバレずに済んだか」
当然、その声はぼくには届かなかった。
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このまま歩いて街の中心へ向かって、少ししたら帰ろうか。
実際はもっとこの街を見て回りたかったのだが、どうやら身体が嫌と拒否しているらしい。
あそこで走ってなかったらもう少し街にいても良かったのだが、どうやら昔より体力が落ちてしまっていて、さっきの出来事で体力がもう残り少ない。
それでも見て回ろうと思うのは、この街が綺麗で美しい街だからだろう。
___そして今、その綺麗で美しい街が悲鳴を上げたのだった。
『警報、警報、全ての住民は避難してください、全ての住民は避難してください。全ての__』
突然街の全てのスピーカーから、一斉に同じ音が街を響かせた。
「これは一体……!?」
街のすぐ側に来たところで、この警告が鳴り響く。
いきなり避難しろと言われても、どこに行けばいいのか分からない。
ぼくはただ立ち尽くしていた。
するとスピーカーから発する音が少し変わり、今度はこの音が街に鳴り響く。
『天使が現れました。全ての住民は避難してください、天使が現れました、全ての住民は__』
その三文字の言葉には聞き覚えがあった。
そして直感で感じとる。
まずい、と__
そう思った瞬間、巨大な爆発音と共に遠くの方から煙が上がった。
ぼくの足が無意識に徐々に後ろへと後ずさりしていく。
そして、アレが瞳に映る。
「……嘘……だろ」
まずいという感情に遅れて、ぼくは気付いた。
色んな世界からこの世界の説明をされる度、理解できない、意味不明だと言い、真剣にこの世界と向き合っていなかった。
ある程度理解していれば大丈夫だって、どこか心の中で思っていた。
そう、ぼくはこの世界は現実じゃないと決めつけていたんだ。
「はは…………この世界、創り物でも夢でもないってことか」
ぼくは空に黒く舞い上がる煙と、青空に佇む『天使』を見上げて、そう呟いた。