2.救世主、此処に
『起きろ。いつまで寝ている、救世主』
「……え?」
暗闇の中で、目が醒める。
何も見えない、真っ暗な空間。
「……ここは……?」
ぼくは何も見えない場所で、ただ言葉を発した。
「救世主……?」
そこで、ぼくの意識は覚醒した。
###
白い壁……?いや違う、天井だ。
今の自分は仰向けに寝ているんだ。
明らかに室内、つまり外ではないということは、誰かに運ばれてここまで来たということか。
何故?と、懸命に頭を振り絞る。
「……そう……だった」
確か、何故か森の中にいて、何故か魔獣から逃げて、何故か右腕を食った魔獣が死んだんだった。
ぼくは右腕を見た。
その時に右腕が千切れたはずなのに、ぼくの右腕はちゃんと繋がっていた。
今は板で固定されていて、ほとんど痛みを感じない。
「……なんだったんだ?」
あれ……?
「目が見える」
右目に視界がある。
ぼくは思わず、左手で右目を触ろうとした。
「ちょ、ダメダメぇ!」
「え?」
横から女性の叫び声が聞こえ、ぼくはそっちを見た。
女性はこちらに来ながら、また叫んだ。
「右目は触らない!」
ぼくは身体を起き上げようとした瞬間、彼女がさらに声をあげた。
「身体を起こすのもダメ!今は絶対安静!万が一!」
その言葉でぼくは起き上がるのをやめて、首だけで彼女を見るようにした。
純黒でツヤのある短髪、大きくてパッチリした黒い目、そして黒縁眼鏡という黒一色の顔に、白衣を着た女の人が目に映る。
身長は平均よりも低いと分かるくらいには小柄だ。
「ぼくの腕と目が治ってるんですけど、これは一体……」
「腕はアタシの『偽癒過去』の魔術によるものだよ。あらゆる病気や怪我をした部分の時間を発症前の状態に巻き戻すんだ」
「は?」
意味不明すぎて思わず声が出た。
いや、だがもしかすればもしかするかもしれない。
無くなった腕を元通りにしたのは確かだし。
ここが現実だとは思ってないが、夢にしては出来すぎているような気がすることも確かなのだから。
「眼は義眼だね。それもとっておきの機能があるやつ。触ると面倒なことになるかもしれないから、これからも触っちゃダメだからね?」
「は、はい」
機能ってなんだと言おうと思ったが、それを聞く前に彼女の口が開いた。
「遅れたけど、一応簡単に説明を。アタシはリリィ、ここの管理をしている者だよ。それで君は?」
「いや……それが何も……記憶がほぼ無くて」
「ホントにぃ?」
リリィと名乗る女の人は目を細めてぼくの目を見つめた。
何かわざとらしい。
まるで演技みたいな聞き方。
「本当です。目が醒めたら何故か森にいて、もう何がなんだか……」
「時間があんまりないから全部は答えられないけど、私が分かる範囲でなら分からないことを教えてあげる。なんでも聞いて?」
「じゃあ……魔獣って何ですか」
魔獣は創作だけのものであり、普通は存在しない。
記憶が抜けても、そういう知識は残っている。
「魔獣は魔獣だよ。魔術が使える獣」
「…………はぁ」
返答を聞き、もう付いていけないと確信した。
ここは物語の中か何かか、
これが顔に出ていたのか、リリィはぼくの顔を見るなりこう続けた。
「あ、これ頭にはてなが浮かんでる顔だ。でも事実だし、信じて貰うしかないかなぁ。何か他に何か聞きたいことは?」
「もう理解出来ないのでいいです。雰囲気でどうにか……はい」
「じゃあこっちから質問してもいい?」
ぼくの返答を待たずに、彼女は続けた。
「君のその魔術は何?」
「魔術?」
ぼくに魔術なんか……と言おうとしたが、それは出来なかった。
きっとあの事を言っているに違いない。
「魔術研究チームの情報によると、魔力を自由自在に操作出来る魔術が使えると報告がきてる。名前を付けるなら『魔力支配』はっきり言ってぶっ壊れてる。チートだよチート」
「『魔力支配』……?」
「その魔術は、君の周りにいる生き物を問答無用に殺すことが出来るよ」
「……!?」
ぼくは自分の腕を見た。
信じられない、信じたくない。
「魔獣が死んだのって……」
「魔力は生き物の生命力。血が無くなれば死んじゃうのと同じで、魔力が無くなれば死ぬ。君は『魔力操作』で魔獣の魔力を操作して、体内の魔力をゼロにしたわけだよ。そして体内の魔力が無くなった魔獣は死んだ。こんなところかな」
「……最初に言った通り、ぼくは何も分からなくて。だから、何も答えられないです」
自分の名前、年齢、どこに住んでいたか、どんな人生を送っていたのか。
それら全ての情報が思い出せない。
自分の身体の下にある物はベッド、数メートル離れた壁にあるのはドアといったように、そういう知識は残ってはいるが、自分自身の記憶がすっぽり抜けている。
「しかしまぁ、記憶がなかったりこんなチート魔術使えたりと、君はあの伝説の人物みたいだねぇ……」
「救世主、ですか?」
ふと、ぼくはその言葉を口に出していた。
「え?」
「言われたんです……どこかで、誰かに。救世主って」
確かに覚えている。
何もない空間で誰かに話しかけられた記憶が確かに存在している。
あれは聞き間違いなんかではないと断言できるほどに。
「世界の均衡を保つために召喚される、異世界からの来訪者」
リリィが呟いた。
「君が……救世主?」
「もうぼく理解を諦めていいですか?」
ぼくはこう言ったが、リリィは手を顎に当てていかにも考えている人のポーズを取り石のように固まった。
ぼくの声は届いてそうもない。
そして数十秒ほど立った後、口が開いた。
「……やっぱり……か」
「はぁ」
「ごめんね、ちょっと固まっちゃって。でも、君が救世主っていうに相応しい人物だってことは、多分分かった。というか、最初からそう思ってた」
「多分、ですか」
「ほぼ確定だと思うんだけどね~。けど、わたしはそう信じてる。何となく」
「何となく」
「うん。何となく」
何て返答すればいいか分からず、沈黙。
とりあえず、ぼくが今思っていることを素直に吐くことにした。
「それで、ぼくはどうすれば?」
「今後過ごして貰うところはもう確保してあるから安心して。……後」
リリィは椅子から立ち、ぼくに頭を下げた。
「わたしたちの力になって下さい。救世主様」