経験する、ということ
人は経験したことほど、たとえそれが本を読んで疑似的に体験したものであったとしても、リアルに描写することができる、と考えている。例えば車の運転にしても、自分でハンドルを握らなければ見えない世界、というものも存在している。
こうした経験というのは、自分が経験してすぐの方が、より鮮明に描き出せるだろう。ハンドルを握り始めてすぐの気持ちは、しだいに慣れて当たり前に車を運転できるようになれば忘れてしまいそうになるものだ。
例えば風邪をひく、ということを挙げよう。万人が経験するものだし、一度ぐらいはこれを患ってしまったことがあるだろう。なので、その時の状況を思い出せば、鮮明でリアリティに富む風邪の描写ができるはずだ。
しかし、風邪をひいてすぐにその症状を書き留めておくなどということは難しい。なにせ自分の体調が崩れているのだから、それどころではない。
喉のひりつくような痛み方や、咳をしたときに痛むのは喉だけではなく背中だということ、凝り固まった筋肉と鼻詰まりのせいでぼんやりする意識、全身くまなくのしかかる形容しがたい倦怠感などなど、風邪の症状と、周囲の看病の様子を描写するだけで簡単な話ができあがるほどのネタであるが、やはり自分の体調が万全でなければそういう気持ちにもならないというものだ。
まぁ、一番この拙文の根底にある気持ちというのは、望まずしてこれほど苦しい思いをしたのだから、せめて話の種にぐらいしてやらなければ気が済まない、というものなのだが。
これくらいの反骨精神は、日々持ち続けたいと思う。




