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ふみがたり  作者: 水瀬ふみ
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米を食べる、ということ

炭水化物好きな自分としては、麺や粉もの、そしてパンに米と、いろいろなものを愛している。しかし、この中で最も曲者の炭水化物がある。それが、パンだ。

もちろん、味に不満があるわけではない。菓子パンのようなものから、総菜パン、サンドイッチなど、食べ方のバリエーションも豊富で飽きさせない。暖めてもいいし、ものによっては冷えていても問題なく食べられるものだ。


自分が問題としているのはそこではない。

パンを食べる。例えば、きつね色に焼きあがったトーストに、たっぷりのバターを塗って食べるとしよう。バターの味と、香ばしい食パンの取り合わせには感服するしかない。シンプルながらしっかりとマッチングしたその味は、文句のつけようがないものだ。だが、問題は食後から始まる。自分の中に、ある欲望が持ち上がってくる。


それは、米食の欲求である。

パンの香ばしさとは別の、みずみずしい炊き立ての米の香りや味、そして食感が脳裏によみがえってくる。あの湯気を立てる白い炭水化物を、ちょっとしたおかず……場合によってはそれも不要だ……を乗せて、思うさま食らいたいと思う欲求が、しばしば自分を悩ませるのである。歳を取ってさすがに回数は減ってきたが、学生の頃にはしょっちゅう感じていたものだ。


こうした欲求を感じるたび、ああやはり自分は日本人なのだ、としみじみと感じるものである。

子どもの頃から慣れ親しんだ米は、日本の田で育まれ、春の田植えから夏の緑鮮やかな時期を経て、黄金色の穂をつけて、やがて収穫される。そのサイクルを目の前にして育った我々であるからこそ、こうした米への欲求を強く感じることがあるのかもしれない。

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