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ふみがたり  作者: 水瀬ふみ
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ひらがなで書く、ということ

日本語を構成する要素の一つに、ひらがなという存在がある。日本人であれば小学校に進学する頃には皆が、場合によってはそれより以前にこの文字を書き記すことができるようになるだろう。

皆にとって慣れ親しんだ文字であるこのひらがなであるが、実に多くの意味を内包するものである、と自分は考えている。


たとえば、筆者の愛称である「ふみぞう」という言葉を例に出そう。

ふみぞう、というひらがなには、さまざまな漢字が当てられる。たとえばこれを「文造」とすれば「文を造る」という意味を感じられるだろうし、「文蔵」となれば「文章の蔵」と見える。いきすぎて「文臓」となれば、もはやそれは文を生み出す臓物の一つを意味するように取れるであろう。


漢字というものは、見る者にある程度固定した観念を提供する。もちろんそれを狙って使われるものであろうし、その是非を問うのが本文の主旨ではない。あくまで漢字とはそういう機能を持っているものだ、というだけでのことである。


ここで、ひらがなを見てみよう。ふみぞう、というひらがなは、漢字をあてている例示の三つとも違うように見えるが、読みは同じだ。すなわち、人によって、また時によって、もしかすると気分によっても、違う意味を含めて使うことができるのではないか、と思う。

ふみぞうとは文造であり、文蔵でもあり、また時に文臓でもありうる。それは時に文章を造ることを意味し、時には文章の蔵でもあり、また別の時には文章を生み出す臓器をさす言葉である。そう思い込み、そう説明すれば、それほど大きく否定できるものでもないのではないだろうか。

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