カメラにはまる、ということ
昨年からまだ一年も過ぎていないが、仕事柄、休日でも一眼レフのカメラをぶら下げて出かけることが多くなった。ごつい外観の割に繊細で高価な代物である。間違って地面に落とした日が来てしまったら、間違いなく後悔で眠れない夜を過ごすことになるだろう。
だが、極めてデリケートなそれを扱うことでしか、たどりつけない世界がある。
スポーツ選手のインパクト、水しぶきの一粒一粒、美しい夜景……挙げていけばきりがないそれらを写し出すことは、高性能になったとはいえども、まだまだスマートフォンのカメラではたどり着けない領域なのである。
残念ながら、初めてカメラを購入して被写体にそれを向けた時から素晴らしい作品が撮れるなどということはない。撮影技術を身に着けるのもまた、修行である。撮影についての書籍を読み、実際にシャッターを切り、新たな被写体を求めて車を走らせる……真新しいカメラが古ぼけて手垢にまみれるまで、ひたすらに撮り続けるのだ。
すると、いつからか欲が生まれてくる。もっと美しい画角で、もっと素晴らしい一瞬を、もっと色々なものを撮りたい……気が付けばファインダーを覗き込む行為が日常になり、気になるものを見かければよく見える角度を探す、そういう性質を帯びてしまうのである。
しかしカメラが恐ろしいのは、そうなってからが始まりであるという事実だ。
カメラは沼である。はまり込み、足が動かなくなってからが、楽しくなってくるものなのだ。