ママに
沙里は芽衣にお礼を言い、輝久の元へ向かったが、家の前まで来て、沙里はなかなか家に入れずにいた。
「(どんな顔して会えばいいんだろう‥‥‥とりあえず最初に殴ったことを謝って‥‥‥普通に、普通に‥‥‥よし!)た、ただいま‥‥‥」
家の中は真っ暗で、かなり静かだった。
「輝久?」
輝久は家のどこにもいなく、リビングにはカップ麺のゴミとペットボトルが散乱していた。
それを見た沙里は、とりあえず掃除しながら輝久の帰りを待つことにした。
※
夜になっても輝久は帰ってこなく、沙里はご飯を炊いて、スーパーで買ったメンチカツを置いて芽衣の家に戻ってきた。
「戻って来ちゃった」
「どうして?」
「輝久いなかった」
「そっか、また明日行ってみな」
「うん、今日も泊まっていい?」
「いいよ!」
その頃、輝久は沙里と入れ違いで家に帰ってきて、リビングへやってきた。
(片付いてる‥‥‥沙里さん来てくれたのかな)
輝久は、沙里が炊いたご飯を見て、ため息をついた。
(何人前だろ。こんなに一人で食べれないよ‥‥‥)
※
次の日も、その次の日も沙里は輝久と会えなかった。
輝久は、輝久を心配した一樹に誘われ、一緒に畑仕事をしていたのだ。
「輝久君! 畑仕事って気持ちいいでしょ!」
「そうだね。緑に囲まれてると落ち着くよ」
「もう、沙里さんとは会わないの?」
「どうだろうね‥‥‥僕、最低なことしちゃったし」
「きっと、結菜さんも心配してるよ?」
輝久は何も言わなかった。
「ご、ごめん!」
「大丈夫‥‥‥」
「たまには気分転換に、一人でどっか行ってみたら?」
「そうだね‥‥‥」
輝久は畑仕事を終えて、昔、結菜と行ったカフェに向かっていた。
「(あの日、お爺さんが言っていたこと‥‥‥今の僕にはできていないな‥‥‥)あれ‥‥‥休み?」
店の前で独り言を言うと、隣の家で花に水をあげていたお姉さんが話しかけてきた。
「お客さんですか?」
「あ、はい」
「今開けますね」
「あの、店の人ですか?」
「はい、ここで働いていたお爺ちゃんの孫です。どうぞ入ってください」
店に入り、カウンターに座った。
「ご注文決まりましたら言ってください」
「あの、お爺さんは‥‥‥」
「去年ぐらいから体調崩し気味で、家で休んでもらってるんです」
「そうなんですか‥‥‥」
その時、誰かが入ってくる音が聞こえた。
「お爺ちゃん! 休んでないとダメでしょ!」
「いやー、久しぶりに店を開ける音が聞こえたからな。おっ、君はあの時の少年じゃないかい?」
「あ、はい、お久しぶりです(覚えててくれたんだ‥‥‥)
「千秋、家に戻っていなさい」
「また倒れるよ?」
「この少年と話したら店を閉めるよ」
「わかったよ。約束だからね」
店の中でお爺さんと二人っきりになると、お爺さんは昔と変わらない優しい表情で話しかけてきた。
「なにか、悩みを抱えて来た様子ですな」
「分かりますか‥‥‥」
「いろんな人の表情を見て来たからの。あの日のお嬢ちゃんと喧嘩でもしたかい?」
「あの日の人とは、結婚して子供もいます」
「それはおめでたい!」
「ですか、結菜さんは亡くなりました‥‥‥」
お爺さんは僕に背中を向けて言った。
「コーヒーでいいかな?」
「は、はい‥‥‥」
お爺さんはコーヒーを作りながら、優しい声で言った。
「人生ってのは難しいのう。お前さんは今も、その結菜さんを愛せているかい?」
「愛してますよ。ずっと好きです。ですが、辛すぎて‥‥‥忘れようとしてます‥‥‥」
「あの日、君は結菜さんの何を見ていたんじゃ?」
「え?」
「あの日のあの子は、今の君と同じような状況にいたじゃろ。それを君が支えたんじゃ。きっと今の君のことも、支えてくれる人がどこかにおる。その人を大切にしなさい」
(沙里さん‥‥‥)
「ゴホッゴホゴホ」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃ、支えてくれる人を大切にして、結菜さんを大切に思い続けなさい」
「わかりました‥‥‥ありがとうございます。それじゃ僕は、これ飲んだら帰ります」
「代金は大丈夫じゃ」
「いえ、前もタダだったので今回は払います」
「前来た時にな、お嬢ちゃんがコップとコースターの間にお金を挟んで帰ったんじゃ、支払いはそれで足りるから大丈夫じゃ」
「そうですか‥‥‥わかりました。ありがとうございます」
輝久も、こっそりコップとコースターの間に千円を挟んで店を出た。
すると、沙里はまた行き違いでカフェ近くを歩いていた。
(今日も輝久いなかったなー。どこに行ってるんだろう‥‥‥ご飯は食べてくれたみたいだったけど。って、こんなとこにカフェなんてあったっけ、ココアでも飲もうかな)
沙里は少し休憩しようと、さっきまで輝久が居たカフェに入った。
「いらっしゃい」
「ココアってありますか?」
「ホットとアイス、どちらにしますか?」
「アイスでお願いします」
沙里がアイスココアを一口飲んで言った。
「お爺さん、お爺さんは悩みとかある?」
「そりゃあるさ。若い頃は大人になれば悩むこともなくなり、いろんなことが上手くいくと思っておったがな、この年になっても悩みだらけじゃ」
「そうなんだ」
「お嬢ちゃんも悩んでいるようじゃな」
「うん‥‥‥」
「他人だから話せることもあるじゃろ。話してみなさい」
「あのね、私には輝久と結菜って家族がいるんだけど、まぁ、本当の家族じゃないんだけどさ、家族だって言ってくれて、輝久と結菜は結婚して子供がいるの。でも、出産の時に結菜は死んじゃって‥‥‥それから輝久は凄い落ち込んじゃってね、子供を施設に預けて、私と輝久も関係が悪くなっちゃってさ‥‥‥仲直りしなきゃなって‥‥‥」
「そうか、あの方は輝久と言うのか」
「輝久を知ってるの?」
「二回だけ、この店に来たことがあってな」
「そうなんだ‥‥‥」
「君は輝久君と仲直りして、どうしたいんじゃ?」
「家族をやり直したい‥‥‥結菜が夢見た未来を叶えたい‥‥‥」
「君は優しいのじゃな」
「多分、私は輝久のことがずっと好きだったから、ほっとけないって気持ちも正直あると思う」
「理由はなんでもいい。誰かを救いたい気持ちを持つことは素敵なことじゃ」
「輝久と仲直りしたい‥‥‥結菜に会いたい‥‥‥」
「結菜さんは今も、きっと君達を心配そうに見ている。輝久君とも、いつ会えなくなるか分からない。生きてるうちに、お互いに逃げずに気持ちをぶつけあってみなさい」
「分かりました‥‥‥」
「そのココアは輝久君の奢りじゃ」
「どういうこと?」
「さっき、コーヒー一杯じゃ多すぎるお金を置いていったんじゃ」
「さっき!? さっき輝久が来てたんですか!?」
「来ていたぞ」
「ど、どっちに行きました!?」
「店を出て右じゃ」
「ありがとうございます! ココア美味しかったです!」
店を飛び出していった沙里を見て、お爺さんはカウンター裏に隠していたお婆さんの写真をみて微笑み、コップを洗いながら思った。
(輝久君、君を支えてくれる人が、こんなに近くにいるじゃないか)
「お爺ちゃん? 二人もお客さん相手にして、早く部屋に戻って!」
「すまんすまん。でも、今日は良い日じゃな」
※
沙里は街中を走り回って輝久を探した。
(公園かも‥‥‥)
沙里が公園に行くと、沙里の読みは当たり、輝久はベンチに座って泣いていた。
それを見た沙里は、自分の携帯から牛のストラップを外して輝久に近づき、ストラップを輝久に差し出した。
「これあげるよ」
「‥‥‥沙里さん‥‥‥」
「まったく、何泣いてんの? とにかくこれ」
「牛のストラップ‥‥‥」
輝久は今の状況で、結菜の『やったことは返ってきます』という言葉を思い出していた。
沙里は牛のストラップを輝久に渡して、輝久の隣に座った。
「‥‥‥殴ってごめん」
「僕も‥‥‥本当に‥‥‥本当に‥‥‥」
「咲花ちゃん、パパに会いたいってさ」
「咲花に会ったんですか?」
「うん、また一緒に暮らす気はないの?」
「もう、どうしたらいいか分からないんです」
「私はまた暮らしたい‥‥‥四人で‥‥‥」
「結菜さんがいないのに、沙里さんは僕と咲花と一緒に暮らしたいんですか? 沙里さんにも人生があるじゃないですか‥‥‥」
「それも、私はちゃんと考えて答えを出してる」
「聞かせてください‥‥‥」
「私は‥‥‥」
沙里は立ち上がり、涙を流しながら輝久を見て言った。
「私は、輝久に私の人生をあげる!! 死ぬまでずっと、あの家で暮らす!! 結菜が好きだから! 咲花ちゃんが好きだから! 輝久が好きだから! 大切だから!! だから‥‥‥また四人で‥‥‥」
輝久は泣きながら俯いて言った。
「僕も‥‥‥やり直したいです‥‥‥家族をやり直したい‥‥‥」
その瞬間、一瞬だけチリンチリンと、沙里の後ろから鈴の音が聞こたような気がして、輝久と沙里は音がした方を見た。
「輝久‥‥‥今」
「結菜さんがそこにいたような気がしました」
沙里は優しい表情で輝久に手を差し伸べた。
「帰ろっか」
「はい」
二人はそのまま手を繋いで同じ家を目指した。
「手なんか繋いで、結菜に怒られちゃうね」
「手を差し伸べたのは沙里さんからなので、お仕置き部屋送りは沙里さんだけですね」
「結菜に会えるなら、お仕置きでもなんでもいいけどね」
「僕もです」
二人は家に帰り、咲花の話を始めた。
「咲花、元気でしたか?」
「元気だよ。咲花ちゃん、私のことママって呼ぶんだよ。何回もお姉ちゃんだよっていってるんだけどね。それに、紙飛行機が地面に落ちると可哀想って言うんだよ? なんか、結菜みたいだよね」
「‥‥‥ママになってあげてくれませんか」
「え!?」
「お願いします」
「でも、結菜と結婚してるじゃん」
「僕は結菜さんが好きです。今も愛してます。でも、咲花にお母さんがいないのは可哀想です‥‥‥」
しばらくの沈黙の後、沙里は口を開いた。
「‥‥‥いいよ、輝久が死んだ時、結菜になにされても知らないからね」
「はい」
輝久は、結菜が買った分の結婚指輪を引き出しから出し、沙里に一つ渡した。
「これは?」
「結菜さんと僕がしてる結婚指輪とは別に、まったく同じものを結菜さんも買っていたんです。僕は結菜さんとの指輪を外したくありません。だから、沙里さんはこの指輪をつけてください、家族の証です」
沙里が指に指輪を通すと、少し嬉しそうに言った。
「ちょっとだけ緩いや」
「もしあれなら、チェーンとか買って、ネックレスにしましょう。もう一つの指輪は、ストラップにして咲花にプレゼントします」
「家族四人が同じ指輪を持ってるのって、なんか素敵だね」
「はい」
「咲花ちゃんを連れて帰るには、輝久が迎えに行かなきゃいけないんだってさ」
「さっそく明日行きます」
「よかった‥‥‥」
「沙里さん」
「なに?」
「ハンバーグカレー‥‥‥作ってくれませんか?」
沙里は立ち上がり、嬉しそうに笑顔で言った。
「大盛りにするから、ちゃんと全部食べてね!」
「はい!」
※
沙里が作ったハンバーグカレーを食べていると、輝久は何故か涙を流し始めた。
「どうしたの? 不味かった?」
「結菜さんと同じ味です‥‥‥」
「だって、結菜に作り方教えてもらったんだもん」
「そうだったんですか‥‥‥嬉しいです」
「それと輝久、これ」
「腕時計‥‥‥」
「次売ったら、本気でぶっ飛ばすからね」
「シリアルナンバーも同じです」
「当たり前でしょ?」
「ありがとうございます‥‥‥」
「いいから早く食べちゃって! 冷めたら美味しくないよ!」
「はい!(今後、沙里さんと本当に結婚するかは分からないけど、今日、本当の家族になれたような気がした)」