9 日曜日の午後
ショウにとってマルマ世界に来て二度目の日曜日となった。前回の日曜日は彼が召喚された日で、曜日も日付もわからないまま一日を過ごし、ブルーと出会った。
一般市民にとっては待望の休日であるが、ショウは今や学生でもなく、社会人とも言いがたく、はっきりと形容すればフリーターだった。
ゆえに彼は多くの人間が休日を満喫しているときに、朝から市場での品出し作業に勤しんでいた。以前にも請け負ったカートマンの店である。現場のリーダーは当然のように元ラグビー選手のイソギンチャクが取り仕切っている。
二度目となると要領もわかっているぶん、仕事に余裕がある。四人中、一人だけ未経験者が混じっており、彼の補助もできるくらいに落ち着いていた。
空の木箱を片付けながらイソギンチャクと雑談をする。彼は昨日でレベルが上がったらしく、今日がこの現場の最後の日だった。その話を聞き、不意にカッセとリラのコンビが脳裏に浮かんだ。あの二人との別れを思い出し、寂しさがわいた。
「この先はどうするんですか?」
「決まっている」後輩に問われ、イソギンチャクは考えを語った。
「訓練所で体格を活かした戦士職の修行だ。予算も余裕はないが足りるだろう」
「やっぱり訓練所に行くんですね」
「それはそうだろう。なんだ、おかしいか?」
ショウの顔に陰りが見え、イソギンチャクは問いただした。
少年は内心を悟られたと気付き、大げさに否定した。
「いえ、先輩にはぴったりです。前に出て暴れるもよし、仲間を守る盾になるもよし、適正だと思います」
「ああ、オレもそう思う。だがまぁ、オレはラグビー一筋で武道経験は高校の体育でやった柔道くらいしかないからな。まずは地道に鍛錬をしてからだ」
「ですよね。それがいいと思います」
ヤケに乗り気な後輩に、イソギンチャクは察した。
「そう心配するな。生き急ぎも死に急ぎもしない。それに金に困れば、またこの仕事もする。当分は町からは離れんよ」
いかつい顔でニッと笑い、最後の一仕事とばかりに木箱を積み重ねていく。
ショウは自分でも気付かぬ安堵の息を吐き、仕事に戻った。
12時の鐘が鳴る。作業は早めに終わり、ショウはそのまま市場に残った。異世界人管理局へ戻っても、休日ゆえに窓口は開いていない。報酬は明日まで待たねばならなかった。ならばと昼食ついでに屋台を物色していく。ついでに何か珍しい物や、役立ちそうなアイテムでもないか漁っていた。
人ごみの中で眼を引く人物を発見した。正確にはその人間ではなく、衣装が目についたのだ。あれはこの世界でも一着しかない希少価値の高いものだった。
「アカリ」
背後から声をかける形となり、彼女は驚いて振り返った。露店を覗いていたらしく、手にはキラキラと光るネックレスが握られていた。
「……ビックリしたぁ。なによあんた、こんなところで」
「こんなところってことはないだろ。オレたちが暇を潰せるところなんてここぐらいしかないぞ」
彼らはまだ町の外どころか外区へも行けない。他に娯楽施設もないので、市場か公園くらいしか楽しめる場所はなかった。
「ま、そりゃそうね」
アカリは不意打ちから復活したのか、いつものふてぶてしい顔に戻った。
「それ、着てるんだな」
「着ないのも悪いじゃない」
アカリの服は、アイリが残したワンピースだった。ゲームのインフィニティ・ハーツ3に出てくる騎士エルティナの普段着と同じようなデザインである。そして今、アカリが持っているネックレスは、エルティナの装飾とよく似ていた。
「オレ、ファイ・オニ派でインフィニやってないんだけど、いいな。似合ってんじゃん」
「そ、そう? ありがと」
「なんだっけ、馬子にも衣装って言うんだっけ」
「……あんた、意味ちゃんとわかってる?」
一瞬、キレかかったアカリだが、ショウの間抜けな顔を見て気付いた。これは誤用していると直感が働いたのだ。
「どんな身分でも衣装しだいでよく見えるってことだろ?」
「合ってんのか!」
アカリが吼える。
ショウは「冗談だって」となだめた。
「でもたしか、エルティナって金髪だよな。赤毛なのが惜しいな。サイド・テールほどけば、長さは合いそうなのに」
「うっさいわね。アカリはそういうキャラだからいいのっ」
ショウは「え?」と軽く驚いた。
「原作キャラなのか? なんの?」
アカリは顔を赤くして、そっぽを向く。
「うっさいなぁ。どうでもいいじゃないっ」
「んー、ゲーム……? アカリなんて名前、ありふれてるからなぁ……」
「もういいって言ってんでしょ!? あたし帰る!」
手にしていたネックレスを露店商につき返し、アカリはさっさと行ってしまった。
「悪いことしたかな……」
まさか逃げるとは思いもせず、ショウは反省した。
「にーちゃん、にーちゃん。カノジョ怒らせたときはプレゼントが一番ですぜ。今なら安くしとくよ?」
商人がアカリの持っていたネックレスを見せびらかす。
「カノジョじゃないんだけど……」
「だとしてもさ、仲直りはしなきゃ」
「ん~、ちなみにそれいくら?」
「銀貨7枚――のところを5枚にまけるよ」
「2500円かぁ……。う~ん……」
「このぉ、にーちゃん、商売上手め! 4枚でいいよ」
「うーん……」
ショウはしばらくその場で悩んだあげく、買わずに立ち去った。
食欲を誘う匂いにつられるまま、屋台で手当たり次第に食べまくったせいか、いささか胃のもたれを感じた。市場を抜け、近くにあった公園で休憩を決め込む。公園といっても、ただ芝生のある平地である。それでもたまの休日をのんびりしたいのか、人影は少なくない。
14時の鐘が鳴った。
賑やかな声とともに、大勢の人が公園わきの白い建物から溢れ出てくる。老若男女、全員が晴れやかな顔をしているのが印象的であった。
建物の扉の上にはシンボルが彫刻されているのだが、ショウはそれに見覚えがあった。
「どこだっけな。たしかに見た記憶はあるんだけど……」
首を捻っていると、今度は少年が不意に声をかけられた。
「ショウさん、こんにちは」
「あ」と彼女を見た瞬間に思い出した。「どうも」と頭を下げた相手は、異世界人管理局受付のツァーレ・モッラだった。
彼女は神官着を着ており、その胸元に建物と同じ印があった。光の神の紋章である。
「ここにいるということは、光の神聖教への入信を決心されたのですね?」
ツァーレが微笑む。
「いえ、仕事上がりの休憩ですっ」
生真面目な少年は必死に否定した。
「それはお疲れ様でした。今日の糧を得られたことを祝福いたします。そして明日も心健やかに過ごされることを……」
ツァーレは残念がることもなく、印を切った。
「あそこが光の神様の教会?」
「はい。日曜礼拝です。信者の方が多いので、朝から四回にわけて行われています。もっとも、わたしは新米なのでお手伝いだけですけど」
「やっぱり光の神様って大人気なんだなぁ」
「やっぱり、ですか?」
ツァーレは不思議そうな顔をした。
「光の神様っていうくらいなんだから、正義の神様なんでしょ? それは大人気だよ」
「正義……?」彼女は言葉を反芻し、ゆっくりと考えた。
「あれ、違うの?」
「光の神に『正義』という意味合いはありません。いえ、すべての神に、そのような教えはありません」
「そうなの? 光と言ったら正義、闇と言ったら悪みたいな……」
「なんですか、その物騒な思想は? 異世界の神は、そうなのですか?」
ツァーレは血相を変えて詰め寄った。
「え、いや――」
今度はショウが血相を変えた。
「いいですか、光も闇も自然の一部です。どちらが正義で、どちらが悪と断定するものではありません。どちらも大切なのです。わかりますか?」
「えと、はい……」
ツァーレの顔が近い。少年は恥ずかしくなって、反射的に答えて尻込みした。
「たとえばですよ、疲れてゆっくり寝たいとしましょう」
ツァーレは何かに目覚めたように語りはじめた。「あ、まだ続くんだ……」とショウはつぶやくが、彼女は聞いていない。
「ですが、世界に闇はなく、光しかなかったらどうなるでしょう? あー、寝たいなー。でもまぶしいなー。寝付かれないなー、となると思いませんか?」
「あ、はい、なりま……す?」
「そうですよね。でも、ここに闇があるとどうでしょう? あ、暗くなった。落ち着くなー。寝やすいなー、となるではありませんか」
とてもとても強引な話だが、ショウは納得した。しなければならないとまで思った。
「このように、光には光の、闇には闇の役目がちゃんとあるのです。だからすべては平等に尊いのです」
「はい、よくわかりましたっ」
「わかっていただけてよかったです。何事も行き過ぎてはいけません。マルマにはこんな言葉があります。『光、多くして影は生まれず、闇、深くして灯は照らさず。大地、育ちて水は涸れ、水、唸りて地を削る。火、激しくて風は凪ぎ、風、渦巻きて火を滅す』。何事もほどほどがよいのです」
「いい言葉だと思います」
「はい」
ツァーレはやりきった笑顔を浮かべた。
「ツァーレ・モッラ二官、次の礼拝の準備を始めますよ」
教会から、彼女と同じような神官着の中年女性がこちらに声をかけてきた。
「はい」と彼女は返事をし、またショウに向き直った。
「では、これで失礼します。また今度、お話をしましょう」
「はい、またぜひ……」
ツァーレは微笑み、教会へと戻っていった。
立ち去る彼女を見送り、教会の扉が閉まると、ショウは深く安堵した。そしてつぶやく。
「宗教ってスゲェ……」
その言葉には、いろいろな意味が込められていた。
同時刻、ギザギ国王都オースムの、とある屋敷の一室。
一人の女性がセミダブルのベッドから這い出した。最上級の絹ごしらえの寝巻きをだらしなくはだけ、かけていた羽毛布団を床に寝かせ、枕には涎のシミを残して。
長い金髪をわずらわしげに後ろに流し、カーテンを魔法一つで横着に開ける。まぶしい陽光が差して、彼女は「のはぁっ」と若い娘に似合わぬ悲鳴を上げてまたベッドに突っ伏した。
アリアド・ネア・ドネの24年3ヶ月21日目の朝……昼は、こうして迎えられた。
「お嬢様、起きられましたか?」
両開きの扉を豪快に開けて、メイド服姿の若い女性がアリアドの寝室に入ってきた。『お嬢様』と彼女は呼んだが、アリアドはこの館の主人である。両親・祖父母は他界しており、兄弟もいない。ドネ伯爵家は彼女を残すのみだった。
「ん~……。まだ寝てるぅ~」
「起きなさいっ」
だらしなくお尻をつきだして突っ伏している名家主君の襟首を持ち上げる。すると素材の良さか、スルリと服だけが脱げ、本体は下着一枚でベッドに張り付いている。
「なんてだらしない! 大旦那様が見たらお嘆きになりますよ!」
「お爺様ならこんな姿のわたしに、きっと興奮してくださるわ……」
「大旦那様をヘンタイみたいに言わないでください!」
「ヘンタイじゃなくても変人だったわよぉ」
たしかに、と、アリアドとこの屋敷で姉妹同然に育ったテテラは思った。が、口にはしない。
「とにかく、もう昼もとっくに過ぎているんですよ? いくら日曜だからってだらけすぎです。礼拝にも行かないで……」
テテラが今度はアリアド本体を持って起こした。彼女は仕方なしに目をこすり、大あくびをして眠気を逃がす。
「きのうの夜さぁ」
「はい?」
アリアドはテテラに対してだけは友達として話しかける。乳母であったテテラの母親の乳を飲んで育った仲は、身分を超えて強くつながっている。テテラのほうも言葉遣いはともかく、二人のときの態度は友達感覚だった。
「魔力に余裕あったし、テテラはお休みで遊び相手はいないし、暇だから召喚やってたわけよ。どうせ釣れないんだろうなぁと適当にやってたら、一人かかったわけ」
「そんな野釣りみたいに……」
勇者召喚業務はハードな仕事だ。アリアドは土曜・日曜・祝祭日・有給休暇年10日以外は朝から晩まで仕事に励んでいる。毎日魔力が切れるまで繰り返し、他人の嫌な人生を覗き見て、それを他に話せもしない。結果も思わしくなく、下からは無能上司、上からは給料泥棒とののしられ、ストレスMAXな職場だった。にもかかわらず、彼女は黙々とこなしていた。今、こうして仕事の話をしているのが非常に珍しいのだ。それだけに、大したことのない雑談程度で済まそうと軽口まじりに話す彼女が、テテラには心配だった。軽いツッコミはいつものクセだったが。
「異世界で再スタートを望む人なんてさ、大なり小なり問題があるわけじゃない? 今回もご多分に漏れずそんなカンジなんだけど、いやぁ、まいったなぁ……」
「まいっちゃったんだ」
テテラはとなりに座るアリアドを抱き寄せ、頭を撫でてやった。二ヶ月年上のテテラは、アリアドの友であり、姉であった。
しかし、アリアドに神妙さはなく、不満を一気に爆発させた。
「いやもう、ホンットまいったの! すっごいマイペースでさ、人の話を聞きゃしない! 要求は多いわ、質問は長いわで、気がついたら夜明けよ? もうとっとと出て行ってくれって最後は蹴っ飛ばしてやったわ!」
「そういう大変さか! 酔っ払い相手に疲れたようなものか!」
「そう、まさにそう! いやぁ、もしかしてわたしも酔うとあんなカンジなのかなぁってちょっとだけ反省しちゃったわ」
「むしろ今のアンタに反省を要求するわ」
テテラは妹の頭を突き飛ばしてベッドに転がした。
「うはぁ」とわざとらしく倒れるアリアド。まだベッドには温もりがあった。
「わかったから、今日は好きなだけ寝てなさい。あとで食事を持ってくるわ」
「……うん、ありがと」
床の羽毛布団をひっぱりあげ、アリアドは包まった。
「でも、そんな人でも勇者候補なのね。適当すぎじゃない?」
テテラの呆れに、アリアドはベッドの中で微笑んだ。
「勇者は選ばれるモノじゃない。選ぶモノよ。そしてあの人は、選んだの」
ショウは陽気のよさに誘われるように町の散策を続けた。考えてみればこの一週間、ナンタンの中区、それも南側しか歩いていない。主に仕事の都合なのだが、いい機会だと思って北側へ向かった。
そのためにまず内区と中区を隔てる第一防壁へ行き、壁伝いに北を目指そうとした。ついでに関所も見てみたい。うまくすれば少しでも内区の様子がわかるかもしれない。
第一防壁までは10分もかからなかった。高さ5メートルほどの石壁が続いており、壁越しに綺麗な屋根が見える。家の大きさも中区とは異なり、高さも広さもありそうだった。
左手を壁に押し付けるように進んでいく。すぐに関所らしき門が視界に入った。
多くの荷馬車に混じって、人だけが乗る豪華な馬車も行きかっている。
その片隅がやけに騒がしい。どうも只事ではなさそうな雰囲気だった。
門の前で、兵士二人が一人の民間人に威圧的な言動をしていた。民間人は銀髪の若者で、しきりに中へ行かせてほしいと訴えている。
ショウは関わり合うつもりはなかったので、チラリと横目に見るだけで通り過ぎようとした。若者に見えたのは、どうやら女性だったようだ。髪が短いので勘違いしたが、顔は男にはありえないほどカワイイと思った。ただ、体つきの方は残念な方向にいた。
「あ」
見とれていたのか、彼女のほうも気付いてショウを見た。瞬間、ニンマリと微笑む。ショウとしては嫌な予感しかしない。典型的な巻き込まれイベントに遭遇した気分だった。
「ねーねー、キミ、日本人でしょ? ちょっとこの人達に話しつけてくれないかな」
やっぱり、とショウは思ったが、こうなっては仕方がなかった。
「たしかに日本人だけどさ。力にはなれないと思うよ? オレ、こっちにきてまだ一週間だし」
彼女はキョトンとし、それから――
「大丈夫! ボクはついさっき来たばっかりだから!」
「何が大丈夫――って、来たばっかり?」
「うんっ。だからいろいろ珍しくて歩き回っていたんだけど、どうしてもこの先に入れてくれないんだよ」
ボクっ娘は憤慨していた。アリアドから呼んでおいて、この扱いはないだろうと。
ショウは心情として同意したが、今では少し、状況がわかっている。ここは先輩として彼女に説明すべきだと判断した。
「えーと、この先に行くには許可証が必要なんだよ。だから今は行けないんだ」
「同じ町でなんで許可がいるの? 大使館とか自治領とかいうヤツ?」
「どっちでもないけど、偉い人がいっぱいいるから一般人は入れない」
「あー、特権ヤロウのエリアか」
彼女は口汚く吐き捨てた。それを聞いた兵士の表情がこわばる。
「キサマ、今なんと言った!」
「え、聞こえなかったの? 耳悪いね。とっけ――」
「わー!」ショウがあわてて口を塞ぐ。
「すいません、今日来たばかりの何も知らない異世界人で、これからきちんと教育します! では!」
「なんだい、教育って」と憤る銀髪少女の腕を取り、ショウは壁からダッシュで離れた。
兵士の一人は追う素振りを見せたが、もう一人が「かまうな。異世界人だぞ」と相棒を止めた。
そんな背後の状況を観察する余裕もないショウは、息切れするまで走った。
「……もう、追って、来ない、か……」
「初めから来てないけどね」
彼女はさもおかしそうに笑った。息切れ一つしていない。
その笑顔があまりに豪快であったため、ショウは呆然とした。
「ね、キミ、そろそろ手を放してもらえるかな?」
「あ、ゴメン……」
ショウは赤面し、大げさに手をどけた。
「いや、ありがとう。けっこう楽しかったよ」
今度の笑顔は先ほどと違う。単純にカワイイと思った。
赤面面積がさらに拡大する。
「ところで、たぶんキミは勘違いしてると思うから初めに言っておくよ。ボクは男だからね?」
第三の笑顔。意地の悪い笑み。
「……え?」
「ほら」とショウの手を取って、胸を触らせる。たしかに、ない。むしろ筋肉質だった。
「せっかくの異世界だから、ちょっとがんばってイケメンを目指したんだけど、女顔に近過ぎたみたいでさ」
その結果、男の娘のような顔になったようだ。ショウはいろいろな意味でガックリと落ち込んだ。
「ドンマイ!」
ニコやかに肩を叩いてくる少年に、ショウはさらにヘコむ。
「そうそう、名前がまだだったね。ルカだ」
「……オレはショウ。よろしく……」
とても『よろしく』な表情ではなく、握手を求める。ルカは気にせずに手を握り返した。感触は柔らかく、とても男とは思えない――と感じて、ショウは壁に頭を打ち付けたくなった。
「さて、ショウ。これも何かの縁。いろいろ教えてもらおうかな」
「あー、うん」どうにもやる気が出ないが、召喚初日の人間を放っておくわけにもいかない。
「じゃあ、ハンドブック出して。もらってるでしょ?」
「ああ、もらったよ。でもどっか落とした。あはは」
ルカは笑った。
「マジか。少しは読んだ?」
「いや、ぜんぜん。ホールを飛び出して、ずっとフラフラしてたからね。その途中で落とした」
「それでよく笑ってられるな。怖いとかないの?」
自分がその立場ならかなり怖いと思うだろう。知る人のいない、どことも知れない場所にいきなり放り出されるのだから。たった一冊の本でも、頼るものがないよりは心の持ちようがぜんぜん違う。一週間前のショウも彼と同様に到着と同時に街に飛び出しはしたが、いざというときのためにハンドブックだけは失くさないように気にかけていた。
「怖い? なんで?」
「なんでって……」
「だって自分が行くと決めた世界だよ? 望んだ場所じゃないか。それに言葉は通じる。それだけでどうにかなると思うだろ?」
「思わねーよ!」
晴れやかに語る銀髪少年に、ショウは力いっぱいツッコんだ。
「ショウってけっこう心配性なんだね。男なんだから、もっと状況を楽しまなきゃ」
「男女は関係ない」
「それじゃ性格の問題かな。ボクはあんまり深く考えないから」
「幸せそうだなぁ」
ショウは本気で感心した。彼くらい奔放だと、どこにいても楽しく生きられそうだった。
「幸せかどうかはわかんないけど、楽しいのはたしかだね。で、もっと楽しむためにはどうすればいい?」
「とりあえず異世界人管理局へ行こう。そこで簡単な説明を受けて、それからまた話をしよう」
「わかった。案内を頼んでいい?」
「いいよ。ハンドブックもないんじゃ、場所がわからないだろ」
「いやぁ、助かる。最初の友達がキミでよかったよ」
「友達……?」
「友達がイヤなら、戦友? だってボクたち、同じ道を志す仲間だろ」
「……そうだな。じゃ、友達で」
「改めてよろしく。で、ついでと言ってはなんだけど、お腹すいたな、ボク」
ふてぶてしく言い放つルカに、ショウはもうあきらめた。いっそ清々しい。
「その顔はもう、目星をつけてるんだろ?」
「わかる? さっき屋台でさぁ、すっごいいい匂いさせててさ」
先に立って歩き出すルカに、ショウは苦笑をもらしながらついていった。
異世界人管理局に到着するまで間に、ルカは5軒の露店をはしごして満足するまで食べた。ショウ自身はすでに昼食は済んでいたので、ただ集られている状態だった。それでも最後まで付き合ったのは、相手が初心者であったのも理由の一つだが、ルカという少年が嫌いではなかったからだ。好きだとまで言い切れないのは、初対面の勘違いによる反動がなくもない。タイプとしてはマルに近いが、黒髪の少年と違い、ルカの言動には嫌味がない。二人とも言いたい放題だが、マルは皮肉や嫌味を混ぜるがルカは感じたままを言う。それが棘にならないから、話していても疲れないし面白い。
「ここが管理局」
「なんだ、出てきたところの隣じゃないか。どうせならつなげておいてくれれば外を出歩いたりしないのに」
ショウも「やっぱりそう思うよな?」と力強くうなずいた。
扉を開けて中へ入ると、いつもと雰囲気が違った。平日の真昼は人が少ないが、今のようにまったくいないのは珍しい。受付にも誰もいない。
「日曜だと窓口も閉まってるのか」
カウンターに向かう。職員が窓口から離れているときの呼び出しに使う呼出鈴も置いていなかった。声もかけてみたが返事はない。
二階へ上がる階段にも立ち入り禁止のロープが張ってあり、上がれそうになかった。
「完全にお休みだ。講習は明日だな」
「仕方ないね。出直すよ」
ルカはあっさりしたものだった。
「といっても、お金もないわけだろ? 初日が日曜の人はどうやって乗り切れって言うんだ?」
ショウがシステム上の問題にグチる。考えてみると、ショウも日曜に召喚された口だ。もしブルーに出会わなければどうなっていたのだろう。そう思うと、今回ルカがショウと出会ったのは、その再現ではないだろうか。こうして世界は回っているのかもしれない。
「――なんて思うかっ。なんていいかげんなんだ!」
「まぁまぁ。彼女も悪気があったわけでもないし、許してやろうよ」
「彼女? ……ああ、アリアドかぁ! そうだよ、あいつが呼び出したんじゃないかっ。ホント、無責任なヤツだよなぁ」
「無責任? ん~、それはどうだろう? 本当に無責任なら、こっちの都合お構いなしで危ないところに放り出してるよ。それがこうして管理局なんて造ってる。けっこうマメで親切だと思うけど」
ルカの言葉は頭に浮かんだ直感そのままだった。ショウはそれとわかっていたので、なるほどとうなずいた。そもそもレベル制度や講習も、なるべく死なないようにするためだ。伝説のレベル3勇者の二の舞を防ぐために。
「ルカって人のいいところを探すのが得意そうだよな」
「そうかなぁ。今のところ、キミのいいところは面倒見がいいくらいしか見つからないんだけど」
「おまえの悪いところは、思いつくまま話すことだっ」
「あははは」
ルカは笑った。受け止めるつもりも、反省する気もなさそうだった。
「とりあえず、管理局内を案内しようか?」
「うん、頼むよ」
ショウのあとを、ルカは観光気分でついて行く。
「といっても、今、案内できるのは――」
窓の向こうに見える裏庭と井戸と洗濯場、廊下の途中で診療室を、さらに歩いて休憩所とトイレ、最後にガラクタ置き場に到着。そこで持ち出しのルールを説明した。
「それじゃ、とりあえずこれをもらっておくかな」
と、入り口近くの棚に置いてあったウエスト・ポーチを取った。
「それ……」
「ん? まずいの?」
「いや」ショウは首を振った。アイリが置いていったポーチだ。戻してあったのを彼は知らなかった。肩掛けカバンはアカリが使っている。
「ああ、でもそれだけだと、今後荷物が増えたときにぜんぶ持てないよ? ロッカーや家があるわけじゃないから、自分で管理しないとね」
「そっか。それじゃ、大き目のカバンもいるか……と、これでいいか」
ルカは眼についた背負い袋を拾い上げた。口紐だけではなく、底面にも布紐が縫い付けてあり、背中に背負って口紐と結んで固定できるようになっていた。
「普通のリュックもあるけど?」
「いや、これがいいな。このほうが冒険家っぽい」
ショウは乾いた笑みを浮かべた。彼はまだ、自分が『冒険者』ではなく『労働者』であるのを知らない。
ショウがそれを伝えると、当然のようにルカは驚いた。ついでに仕事や、町についても教えた。ショウが初日に熟練召喚労働者のブルーから聞いたときのように、ルカも呆然としたのか無言だった。
銀髪の少年が重い息を吐く。伝えたほうもため息がこぼれた。しかし、その呼気の意味は、二人ではまったく逆だった。
「すごいね、そこまで親切なんだ? でもそれってさ、レベル3になれば自由ってことだろ? まぁ、はじめの数日はしょうがないさ。オリエンテーションってことで手を打つよ。でもそのかわり、レベル3になったら好きにやらせてもらう。どのみち冒険にもお金は必要だしね」
まくし立てるルカに、ショウはぽかーんとした。そして慌ててルカを諭す。
「え、聞いてた? ぜんぶ管理されているんだよ? どこにいてもわかっちゃうし、税金だってある。自由になんかならないんだ」
ルカは首をかしげた。
「それでどうして自由にならないんだい? 要は犯罪行為をしなきゃいいだけだろ? それに税金だって払いたくはないけど、払えば済むじゃないか。だから位置がわかろうが関係ないよ」
「いや、まぁ、そうかもしれないけど……」
「かもじゃない、それが真実だよ。誰も兵隊になれと強制はしていないのだろ? 外に出るのも止められてはいないのだろ? ならそれだけでボクらは冒険者たりうるんだ」
「……」
言い切るルカに、ショウは反論したかった。それは、彼の決意が否定されたからだ。召喚労働者として成長し、いつかアリアドに会う。その目標が考え違いの末の結論だったと認めたくなかった。そこまで明確な言葉として理解してはいなかったが、根底がひっくり返されたのは衝撃だった。
「あ、わかった」ルカは押し黙るショウを見て、一つ気がついた。
「キミはあきらめていたんだね。冒険者にはなれないって。この世界で普通の仕事をして生きていく覚悟もなく、兵士として戦う意思もない。でも自由にもなれない。なりたいものがわからない。キミはそれが不安で、とりあえずの目標を決めて、ただ先人のあとについて行く決心をしてしまったんだ」
ルカは嫌味を言ったわけではない。思いついたままを口にしていた。しかしそれが時として人を傷つけるものと、彼は気付いていない。
「言うな!」
ショウは激昂した。事実だったからだ。まとまっていなかった濁っていた気持ちが、ルカの言葉で一つに集約した。彼の言葉は正しい。正し過ぎた。だからもう、言葉では否定できなくなり、感情の行き場をなくして暴走した。
飛びかかってくるショウを、ルカは軽くと躱した。勢いがとまらず、ショウはガラクタの中に転がる。
「ごめん、気に障ったならあやまるよ。怒らせるつもりはなかったんだ」
「……!」
心底から困ったような表情を浮かべるルカに、ショウは悔しさがわいた。けれど、ガラクタに頭をぶつけたことで少し血気が下がり、暴力に訴える気持ちは抜けてしまっていた。
だからといって、行き場のない感情をすぐに治められるわけではない。持て余す激情を、ただ歯を食いしばることでしか留めておけなかった。
「っせーなぁ、なに騒いでんだよ?」
ガラクタ部屋の入り口に、アクビをしながら黒髪の少年が現れた。
「マル……」
「あ? おまえ、なにゴミに埋まってんだ? それに、こいつは?」
「ボクはルカ。今日、ここへ来たんだ。ショウから少し聞いてるよ。よろしく」
ルカは今までの出来事などなかったように明るくマルにあいさつした。
「お、おう。よろしくな」マルは出された手を握り返す。馴れ馴れしいが、悪いやつには見えない。
「で、おまえ、何してんだ?」
マルがルカ越しに訊いた。
「別に、転んだだけだ。おまえこそ何してんだよ?」
「診療室で昼寝してたんだよ。今日は日曜で職員いねーからな。んで、何か音がしたから来てみたんだ」
「そうか。起こして悪かったな」
ショウは立ち上がり、それ以上言葉もなく部屋を出て行った。
「おい、どこ行くんだ?」
「……」
ショウは答えずに廊下を進んでいった。
「なんだ、あいつ? ……おまえ、追いかけなくていいの?」
「ボク? 特に理由がないんだけど」
ルカはあっさりと答えた。
「そっか。じゃ、オレはまた寝るわ。またなー」
「うん、またね」
マルがいなくなると、残された少年はまた町へと出て行った。好奇心はまだまだ尽きなかった。
ショウは町をフラフラとさ迷い、気がつけば日が暮れていた。そのあいだルカとの会話がずっと脳内をリピートしていた。それを否定し、自己正当化する言葉はすでに浮かばなくなっていた。ついでに、体力も底をつきかけていた。
どう動いたのか意識はなくとも、体は自然とその道を歩いていた。見上げると、コープマン食堂の看板があった。賑やかな声が漏れてくる。
中は満席に近く、店員に相席を勧められた。誰か知り合いがいないものか探ると、六人用テーブルにリーバがいた。彼も相席なのか、知らない四人と同席だ。ちょうどよく彼の前だけが空いている。
「相席します」
「……ああ、ショウくんか。どうぞ」
リーバはショウに対して警戒心はなかった。基本一人を好むが、孤独が好きというわけでもない。ただ、マルのように騒がしいのや、何を考えているかわからない相手は苦手で、その点、ショウは裏表がなく常識もある。
ショウは適当に注文し、あとは上の空でため息をこぼしていた。
人との関わりを最小限にとどめたいリーバとしては放置一択なのだが、少年の様子はいつもとはまるで違う。
彼のみるところ、ショウは普通の少年だった。野球で挫折したというが、それによって人生が一変し、絶望してここへ来たわけでもない。ただ次の目標がみつからず、焦っていたときにアリアドに呼び出されたというだけのことだ。召喚されなければ若者の一時の葛藤ですんだであろう。そして数年もすればもっと大きな試練にぶつかって、そのときのことなど鼻で笑えるくらいになっていたはずだ。
それでも今はマルマ世界で数人の仲間ができ、前向きにがんばっていた。その姿は自分の過去を思い出させ、ほほえましくも感じた。そんな少年であったからこそ、目の前の変わりようは気にかかった。
「……なにかあったのかい?」
「え?」
「いや、食事を前にため息をつかれるとね」
「す、すみません」
ショウの前にはすでに注文の品が運ばれていた。置かれた食事も、その匂いも、店員の声もわからなかった。
「こういうのはガラじゃないんだけど、よかったら聞くよ。マルやアカリのようにキーキー騒がないならね」
リーバとしては最高級のジョークだった。
ショウは愛想で笑い、それからルカのことを話した。
「なるほどね。そういう考えもできるのか……」
リーバは深く感心した。
「リーバさんもルカの意見に賛成ですか? 自由な冒険者になれるって」
「否定はできないね。けれど理屈の上で正しいだけで、実際に行動して問題があるかないかはわからないよ? それに、その自由はあくまでこのギザギ国内限定じゃないかな。せっかく召喚した労働力が国外に流れるのを放っておくとは思えない」
「国外か……」
ショウのマルマ世界の知識はギザギ国、それもナンタンの町周辺に限られている。その他の地方や、ましては他国の話はまるで知らない。この国の大きさも、世界の広さも、何もわかっていないのだ。しかしそれは逆に考えると、知る楽しみがあるのではないか、と少年は少し興奮した。それを知る旅こそが冒険ではないのだろうか。
ショウの夢想をよそに、リーバはさらに思考を展開させた。
「それもレベルが上がれば解放されていくのかも知れないな。放浪の魔剣士バルって人がいるらしいけど、その人は兵隊でも勇者でもなく、好きに動いてるって話だよね? なら、自由と言ってもいいのかも」
「ルカの言葉は正しいってことか……」
「いや、その結論はまだ早いよ。バルだけが特別という可能性もあるんだし。……考えてみると、そもそも『召喚労働者』って名称がよくないよね。この名を聞いたときから捕らわれていたのかもしれない。自由にはなれないと。それが管理局や国の狙いなのかもしれないけど」
ショウはリーバの一言ひとことにうなずいた。ブルーに聞かされたとき、この世界には冒険も自由もないのだと知らずうちに自分で心に植えつけていたのかもしれない。
「それは思い込みで、本当は冒険者になれると言われても、今さらね。オレは初めから勇者や冒険者に興味もなかったからどうでもいいけど、キミなんかは痛いカウンターを喰らった気分だろうね。それは悔しいよな」
「はい……」
ショウは素直に認めた。
リーバには少年の純粋さがうらやましい。その彼を、もう一段階、貶めなくてはならないのは辛かった。自分の役目とは思えなかった。だが、この場には自分しかいない。だから彼は続けた。
「……でも、キミが本当に悔しかったのは、冒険者になれると信じなかったことだろ?」
「……!」
「キミはよくゲームの話をしてたよね? 勇者とか、冒険者とか、そういう話。憧れていたのがよくわかるよ。剣と魔法の異世界に来て、冒険の『ぼ』の字もないんじゃ、悔しいよな。どうにか整理をつけてあきらめていたのに、でも、視点を少し変えたら世界までが変わってしまった。それを自分で発見できなかったのが、何より悔しかったんだろ?」
リーバの言葉が突き刺さる。グサグサ、グサグサと。ショウは気付いた。自分はルカに嫉妬していたのだと。こんな近くにあった本当に求めていた答えを、他人に見つけられてしまったことに対して。それがとてつもなく、本当に、怒りに震えるほど、悔しかったのだ。
「……はい……」
ショウはうつむき、涙を浮かべた。頬を伝うものを感じ、少年は慌てて拭う。
「悔しがるのは悪いことばかりじゃない。次につながるものが発見できたのなら、絶対に無駄にはならない。オレはそう思うよ」
リーバはそう語る自分を恥じていた。こんな模範解答の偽善的な言葉は嘘だと知っているからだ。もしその言葉が真実であったら、自分はこの世界にはいなかったはずなのだ。そうわかっていても、少年には必要な言葉だった。自分と違い、彼はまだ後悔してあきらめるべきではない。後日、その言葉が嘘だと気付かずに、真実としてしまう可能性もゼロではないのだから。
「ありがとう……ございます……」
ショウは頭を下げた。また一つ、この世界にいてよかったと思える出来事に遭遇した。出会えてよかったと思える人に出会えた。世界にいる理由ができた。
「いや、いいよ、そういうの。なんであれ、オレたちはまだこれからなんだ。もっと知識をつけたら、もっと違う発見があるかもしれない。なるべく多方面から物事が見えるようになるといいね」
「はい」
ショウは返事をし、食事をはじめた。ようやく味が感じられた。
「ところで、オレには一つわからないことがあるんだ」
リーバも食事を再開しながら言った。
「なにがです?」
「さんざん区別しておいて今さらなんだけど、冒険者と召喚労働者はどう違うんだ? やってることは結局、他人から仕事を請けて解決する。オレはあまりゲームには詳しくないけど、そういうものなんだろ?」
「違いますよ」ショウはスプーンを置いて、質問者に正対した。
「冒険者は、冒険をするんです」
「……うん、わかってる」
「いえ、わかってませんっ。冒険者は報酬のために動かないんです。自分の求める物を、場所を、理想を目指して進むんです。仕事はそのオマケに過ぎません。もしくは冒険するために必要だからです。もっと単純に言えば、報酬を要求するのが労働者で、しないのが冒険者です。だから本来、ゲームのようにお金を稼ぐ行為をクエストなどと呼ぶのはおかしいんです。あんなのは仕事なんです! そして冒険者は職業じゃない、自由の称号なんだ!」
「な、なるほど……」
ショウの熱気に、リーバはたじろいだ。少年が思い描く『冒険者』の別名が『召喚労働者』では、絶望するのも無理はない。
「ちょっといいかな?」
隣席から声がかけられた。三十代前半くらいの穏やかな風貌の男性だった。額に一筋の刃物傷がある。革鎧を身につけており、腰には剣があった。
「……な、なんですか?」
熱く語っていた少年は、急に恥ずかしくなって引きつった笑みを浮かべた。
「君は世界を知りたいか?」
「え?」
男の顔を覗き込む。冗談やからかっているつもりはないようだ。
「本気で世界を知りたいのなら共に来ないか? できるかぎりの世界を見せてあげよう」
訴えかけてくる眼に怪しさはなかった。だが、それが詐欺師の顔ではないと否定もできない。
ショウは一瞬だけ考えた。
「やめときます。オレはまだ知らないことが多すぎます。まずは学んで、それから自分で始めたいです」
少年は言い切り、リーバはホッとした。もし暴走するようなら引き止めようとしていた。
「そうか、がんばれよ」男は席を立った。周囲にいた三人も同時に立ち上がり、代金を置いて帰っていった。
「……お金を置いていったな」
「え、あ、そういえば。あの人たち、召喚労働者じゃないのかな」
「雰囲気はそうだったけど、地元の冒険者かもね。熱く語ってるのを聞いて、声をかけてきたのかも」
ショウは「ああ」と納得した。何も冒険は異世界人の特権ではないだろう。
「おー、席、発見! アキトシぃ、さっさと来いよ!」
「……うるさいのが来たな」
リーバはその声を聞いた瞬間、ゲンナリした。
「ホントに」ショウも同意する。マルの声はどこにいても喧しい。
「あ、なんだおまえら。二人だけでメシ食いやがって!」
ショウの隣に座り、二人を眼にすると食ってかかった。
「今まで寝てたのか?」
「おう、さっきまでな。ちょうどアキトシがいたからメシに来た。それと、もう一人拾ってきたぞ」
「アカリか?」
「ちげーよ。ン……」
マルがアゴをしゃくる。その先に、アキトシに担がれてルカが運ばれてくる。
「ルカ!?」
ショウはアキトシを手伝おうと、迎えにいった。
「ルカ、どうしたんだ?」
「やぁ、ショウ。いやぁ、歩き回り過ぎて、お腹すいちゃって……。店の匂いにつられてきたのはいいけど、お金ないからさ、倒れてたらこの二人に助けられた」
「なんだよ、昼にあれだけ食べておいて」
「ははは、面目ない。どうやらこの体、あんまり燃費はよくなさそうだ」
「ったく……」
呆れながらもアキトシを手伝って、テーブルにつかせる。
「おまえが奢れよなー」
「なんでオレが? 連れてきたのはマルだろ」
「おまえの知り合いだから連れてきただけだ。金ははじめからおまえに請求するつもりだったんだよ」
「わかったよ。ルカの分はオレが出す」
「オレたちの分は? 運搬料~」
「アキトシだけな。マルは運んでもいないじゃないか」
「チッ。ケチくせ」
マルは会話を打ち切り、自分の食事を頼んだ。ショウもルカとアキトシの分を追加注文する。
「ボクはいいのに……」とアキトシはことわったが、ショウは押し切った。
「なによ、またあんたたち?」
そこへアカリがやってくるのはもはやお約束のようだが、実は選択肢のなさがこの店に集まってしまう理由だ。この店の他に手ごろでうまくて量が多い店がない。召喚労働者、それもレベルが低い彼らにとって、贅沢は敵だった。
アカリが六人テーブル最後の椅子に座る。汚れるのを嫌ってか、アイリのワンピースではなく普段の服に戻っていた。
「――て、誰!?」
となりのルカに今さら驚く。アカリの理想美形がそこにいた。
「やぁ、ボクはルカ。今日来たばかりなんだ。ショウの友達だよ」
ルカは朗らかに挨拶をする。ショウは『友達』と言われ、胸が少し痛んだ。
「あ、あたしはアカリ。こいつ……いえ、彼らと同期なの」
アカリは視線を合わせられず、チラチラと彼を見ていた。
「なにキョドってんだよ。それとイヤなら別の席探せよ。どっか空いてんだろ」
マルがツッコむと、アカリはムッとして「あんただけがいらないのよ!」と言い返した。そしてハッとしておとなしくなる。
「みんな、仲がいいんだね」
ルカが和やかに微笑んだ。
「ま、まぁ、それほどでも……。いちおう、仲間だし……」
「誰が仲間だ。仲間引裂魔のくせに」
「なんですって?」
アカリとマルの舌戦をよそに、ルカは届いた食事にかかった。外界を遮断し、食べることにだけ集中していた。
「ルカ」
「ん~?」
恍惚の表情でご飯を食べている銀髪の少年に、ショウは話しかけた。ルカの反応はすこぶる鈍い。
「さっきはごめん。悪いことは何も言っていないのに、勝手に怒って、飛びかかって」
「ん? あー、うんうん。別にいいよ、そんなの。思ったまま話すのがボクのクセみたいなんだ。だから気にしないで。それに、ここは奢ってくれるんだろ?」
ルカはフォークに刺した肉団子を突きつけてきた。
「……はいはい、好きなだけ食べてくれ」
ショウは呆れながら笑った。
「うん、やっぱりキミはいい人だよ」
ルカは何事もなかったように食事を再開する。
つられるようにショウも残りのパンを手に取った。
いつもの塩気が多いパンが、なぜかおいしく感じた。