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召喚労働者はじめました  作者: 広科雲
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8 サイセイ砦防衛戦

 ギザギ国の最も西にある町、サイセイ。王都に告ぐ大都市であるとともに、国を守る第一の砦でもあった。数十年間、一度たりとも敵の手に落ちたことがなく、最前線にも関わらず内部は華やかで陽気だった。

 その鉄壁の防御を誇る理由のひとつが、まさに壁である。間隔15メートルで建造された二重防壁は外側高さ15メートル、内側18メートルを越え、蟻の入る隙間もなく町を囲んでいる。出入り口は南北二箇所の跳ね橋のみ。外壁の周囲に深い堀を造り、汚泥を流して外壁への取りつきを困難にしていた。ナンタンほど汚泥処理システムが整っていないのを逆手に取った策だ。堀が造られる以前は、壁を這い上がってくる敵に対抗する一手段として、壁の上から汚泥をぶちまけていた。

 壁の上にも対・魔軍用兵器が並んでいる。大型弩砲バリスタや投石器はもちろん、大型鉄球がついた振り子や、壁の内側から槍や弓矢での攻撃ができるように狭間さまも造られている。

 このように外部からの攻撃に対しては無敵を誇るサイセイではあるが、一度だけ陥落寸前に追いやられたことがある。ゴブリン王クラシアスが軍勢を率いて攻めてきた最初の戦いである。

 20年前のギザギ十八紀じゅうはちき14年7月6日、サイセイは二万を越えるゴブリンの軍勢に包囲された。群れの中には共闘した獣鬼オーク喰人鬼オーガ単眼巨人サイクロプスの姿もあった。

 当時、現十九代ギザギ王は王太子として第十八代ギザギ王の補佐をしていたが、その一報を王都で受けたときは恐怖のあまり声を失い、偉大な父王にすがるような眼を向けた。

 父王は息子のふがいなさにため息を吐き、家臣の前で叱責した。そして自ら陣頭に立つべく、近衛兵団を率いてサイセイへと向かった。

 兵団が出兵するころには、クラシアス軍はサイセイを完全包囲していた。当時はまだ壁も一重ひとえで半分の高さしかなく、装備も今ほどそろってはいなかった。兵力も少なく、砦に篭って防衛する以外に策がなかった。

 四日後、北門を破ったゴブリンの群れが砦内に押し寄せた。壁を越えてやってくる魔物も増えはじめ、砦の中枢からも敵の姿が目視できるまでに侵略を許していた。

 追いつめられたサイセイ砦指揮官オランフ将軍は、相談役を務める魔導師ドネに打開策を求めた。

 彼は、長年研究を続けていた異世界からの召喚術を試みた。救済を得られるならば魔神でも悪魔でもかまわないという追いつめられた心境と、失敗しても状況がこれ以上悪化しようがないと判断したからこそ、実行に踏み切れた。

 この国家の命運をかけた博打ばくちに、ドネは勝利した。

 数時間にも及ぶ召喚術の結果、疲労困ぱいとなった老師の前に一人の男が現れた。

 壮年で、ボサボサの黒髪を後ろで束ねた異相の持ち主だった。中肉中背だが筋肉は発達しており、一見して戦士だとわかる。前合わせの服とブカブカのズボンを腰紐で止め、そこに二本の細身の剣を差している。足元は素足に藁を編んで作ったサンダルという粗末さだ。

 老師は彼に語りかけたが、男に通じたふうはない。そこで伝心系魔術を用いたところ、相手は驚きながらも理解を示した。

「バテレンの妖術使いか。するとここは異国か?」

 ドネは辛抱強く状況を説明し、男の警戒を解こうとした。なにせこの男、隙あらば一太刀で自分を殺しかねない殺気を飛ばしてくるのである。狂戦士のたぐいだと直感でわかった。だが、それでこそ召喚した意義もある。

「ここが拙者の切望した、あまねく強者きょうじゃが集う地か。ふむ、よろしい。では、参るとしよう」

 彼はニンマリと笑い、ドネの言葉も待たずに扉を開いた。広がる地獄絵図に、彼の胸は躍った。

 そして三日三晩戦い続け、ついにはゴブリン軍最強の用心棒・単眼巨人サイクロプスを二体討伐。敵を完全に浮き足ださせた。守勢に回っていたサイセイ守備軍は息を吹き返し、到着した近衛兵団との連携で一挙にゴブリン軍を背走へと追いやったのである。

 その後、彼は王都で歓待を受けたのち、姿を消した。彼が求めたものは賛辞でも褒美でもなく、ただただ強者のみである。彼は自らの望むまま、ふらりと旅へ出て、それきりギザギ国に戻ることはなかった。噂では今も大陸のどこかで、サムライと呼ばれる狂戦士が強敵を求めてさ迷い歩いているという。

 ドネ老師は異界召喚術の研究をさらに続け、20名ほどの勇者の呼び出しに成功した。が、術の負担は大きく、老齢も重なってついには倒れた。

 その研究データは次世代へと紡がれ、ドネの一番弟子であったクロ・ネアを経て、現在はネアの子でありドネの孫娘アリアドが受け継いでいる。彼女がデータを元に完成させた術は、ドネが用いたものよりも召喚範囲は狭く、被召喚者の承諾も必要だった。が、そのぶん発動は軽く、体への負担も小さい。ドネが質を取ったとすれば、アリアドは量を選んだ。こうして異世界人が数多く召喚され、現在のシステムができあがっていく。


 そのかつての英雄が臨んだ大地を、一人の勇者が壁上から月明かりを頼りに見下ろしていた。右も左も正面も、ゴブリンで埋め尽くされている。彼は英雄と同じようには笑みをたたえなかった。口をへの字に曲げ、不愉快な光景に唾棄したい気分だった。

 ランボ・マクレーは、召喚労働者サモン・ワーカーとなってすでに9年を数えている。20年前からはじまった勇者の異世界召喚計画から考えれば中堅といったところである。が、生業なりわいを鑑みれば彼はすでにベテランであり、彼以上の熟練者はもうほとんど残ってはいない。何より彼の業績は凄まじく、ギザギ史上に名を残すほどである。もはや生ける伝説であった。

 身長はそれほど高くはないのだが、筋肉量が彼を体格以上に大きく見せる。黒い髪は砂と太陽に痛めつけられてボサボサとなり、眠たそうな目も、下唇の厚い受け口も、彼を美男子とは形容させない。さらには常時、余裕のない表情が致命的に女性を寄せつけない。騎士や戦士というよりも、歴戦の傭兵という雰囲気をかもし出している。

 しかし、戦場では容姿よりも重要視されるモノがある。

「ロッター将軍よりマクレー殿へ。北門側第三歩兵隊の指揮は任せるとのことです。なお、北門側の司令官はオルニール騎士長となります」

 伝令兵が走り寄り、報告した。少年兵のランボ・マクレーを観る眼は、憧憬に溢れていた。マクレーはサイセイ砦・総司令官ロッター将軍やその他の騎士長よりも兵士には人気がある。彼は役職もないただの一兵士として常に最前線にあり、敵を駆逐し、味方を救ってきた。砦に篭って指示を出すだけの将たちとは器も力量も違う。

 マクレーはただうなずいた。彼は戦闘開始までは寡黙な戦士だった。

 ギザギ十九紀じゅうきゅうき14年7月6日午後8時の鐘が響いた。くしくもゴブリン王クラシアスの初陣と初黒星からちょうど20年後であった。

「一陣、突撃!」

 万感を込めたクラシアスの号令を受け、ゴブリンたちが大きな手押し車を押して走りはじめた。車には丸太を縦に並べて作った壁が縛り付けてあり、彼らは隙間から前を除き見ながら進んでいた。一台車あたりを10人がかりで転がしているが、それでも重そうだった。

「構え。て!」

 壁の上では、人間の弓兵隊長が叫ぶ。一斉に火矢が放たれ、弧を描いてゴブリン軍の頭上に降り注ぐ。

 が、危険を察知するとゴブリンたちは車を止め、下に潜り込む。台車の守りを受けて、矢はほとんど効果を発揮しなかった。さらには燃えにくい材質なのか湿気ているのか燃焼もしない。ただ、丸太に刺さった火矢は松明代わりとなって、ゴブリンたちの動きを教えてくれた。

 数度にわたる矢の攻撃を最小限のダメージで抑え、ゴブリンたちは堀のギリギリ、門の正面を塞ぐように数十の盾車を並べた。

「まずは壁に近づいたか。だが、その後はどうするつもりだ? 跳ね橋が上がっている以上、堀は越えられんぞ」

 ロッター将軍は南門側壁上で眉根を寄せていた。伝令によれば、北門側も同じ状況だという。南を封鎖して北側から攻めるつもりなのかとも考えたが、それもどうやら違うようだ。

「堀の幅はおよそ10メートル(ラード)、深さは7ラード、汚泥層は2ラードほど……。これを越えて来るのは不可能だ。……誰か、ゴブリンたちの狙いがわかるか?」

 将軍は居並ぶ部下たちを見渡した。だが、誰もが首を振るばかりである。

 唸る将軍の耳に、轟音が響いた。ついでかすかな振動が壁を伝わってくる。

「何事か!?」

 問う将軍に、はじめは誰も答えられなかった。

 次の爆音と振動で、物見に立っていた兵士が叫んだ。

「遠方より何か飛んできました! それが門にぶつかった音のようです!」

「なんだと?」

 将軍たちは壁から身を乗り出し、門を確認する。すると、遠くから風を切る音が聞こえた。

たるが飛んできます!」

 物見の声は裏返っていた。報告終了と同時に、樽が跳ね橋に当たって破裂した。中には砂が詰められていたのか、砂塵が舞った。

投石器カタパルトか? どこからだ?」

 闇夜に眼を凝らす。なるほど、ゴブリン軍の本陣らしきところに巨大な建造物があった。人間のシルエットをしているのは、ゴブリンなりのジョークなのかと思った。

 否、そうではなかった。

 それは、巨大なヒトだった。

 人間を軽く掴んで潰せるほど巨大な手で樽をいくつも鷲づかみし、投擲する。

 前職は投手ピッチャーだったのかと感心するほど正確に、樽を跳ね橋に当てる。そのコントロールを可能としている夜目の効く眼は、一つしかなかった。

単眼の巨人(サイクロプス)……!」

 夜ということもあり距離感がはっきりとはつかめないが、その巨人はサイセイの壁よりも高い身の丈を持っているように見えた。20年前にクラシアスとともに現れた二体のサイクロプスでさえ、10メートルほどであった。それに倍する大きさの巨人など、伝承ですらそう多くは語られてはいない。

「次、来ます!」

 樽が飛んでくる。今度は砂ではなく水が入っていたようで、飛沫が撥ねるのが見えた。

「だが、これはなんだ!? こんな攻撃で跳ね橋が壊せると思っているのか?」

 ロッター将軍は、サイクロプスへの恐怖と、意図のつかめない攻撃に混乱をきたしていた。

 投擲は10回ほど繰り返されたのち、止まった。

 遠くで巨大な物が動く音が聞こえた。サイクロプスが移動する足音のようだった。

「効果がないと悟り、いったん退いたか。北門はどうなった?」

 将軍の問いに、高速通信兵としてそばに控える魔術師が伝心系魔術を用いて北門側の魔術師と交信する。それによると、北門はゴブリンの盾車に囲まれてはいるが、攻撃は一切なかった。ただ、ジッと丸太盾の裏で様子を窺っているのだという。

「どうやらサイクロプスは今の一体のみのようだな。あれの動きに注意せよ」

 将軍は直下の兵にそう命令し、一時ヘルメットを脱いだ。

 換わってより緊張感が増したのは北門にいるランボ・マクレーだった。

 彼は南門側の状況を聞くと独り言を漏らしはじめた。彼の考えるときのクセである。

 そして、一つの結論に至った。

「オルニール騎士長に伝令だ。至急、野戦の準備を整えるように。跳ね橋を降ろすぞ」

 マクレーは北門側司令官に向けて言伝ことづてを頼むと、壁から地上へとつながる階段を駆け下りはじめた。

 伝令を受けたオルニール騎士長は、驚いてマクレーを呼び出した。

 が、彼は召喚に応じず、黙々と準備を進めていた。

 彼直属の歩兵隊も装備の確認を急いでいた。緊張に不安を零す兵士もいたが、上司たるマクレーに不満を漏らす者はいない。

 再三の召集にも応じないマクレーに業を煮やし、オルニールは怒気を隠そうともせず異世界人の陣幕に踏み込んだ。

「マクレー、貴様、どういうことか!」

「どう、とは?」

 マクレーは面倒くさげに返事をした。返事をしただけマシだった。

「なぜ野戦の準備がいる? ゴブリンどもはすでに陣を張っているのだぞ。跳ね橋を降ろした瞬間になだれ込んでくるぞ!」

「そんなものは薙ぎ倒せばいい」

 マクレーは長年愛用してきた赤いバンダナを頭に巻いた。顔には暗色の塗料を塗りたくり、上半身はなぜか裸である。ランボ・スタイルと呼ばれる彼の戦闘衣装だ。

「なにを言っているのだ、貴様は!」

 ヒステリックな声を騎士長は上げた。

「わからないのか? ヤツらはオレたちを閉じ込めるつもりだ」

「なに?」

「サイクロプスが投げた樽、おそらくは凝固剤となる粉と液体だ。跳ね橋を固めて降ろさせないためのな」

「それではヤツらも砦に攻め入れんだろう?」

「入らなくとも砦は攻略できる。ヤツらはこちらの食料が尽きるのを待てばいい。一年でも二年でも、気長にな」

「バカか? たしかに策としては面白い。が、それは外に兵力がない場合にのみ有効な手段だ。現に今、王都からの援軍が向かっている。彼らがゴブリンを駆逐すれば、それで終わりではないか!」

「ゴブリンの兵力を見誤っていないか?」

 肩から皮ベルトをクロスするように身につけ、マクレーはそれに短剣やナイフを差していく。

「なにぃ?」

「今回のゴブリン軍の数、いつもの半数ほどだ。サイクロプスがいるとはいえ、あまりに少ない。別働隊がいると考えるべきだ」

「だが、他に半数がいるとしても、平野での戦闘ならば王都近衛兵団が遅れを取ることは万に一つもない」

 オルニールは自信たっぷりに笑った。

「まともに戦えばな。が、ゴブリンどもも承知しているだろう。ならば、正面から戦うわけがない。いや、むしろ戦わずに逃げるだろう」

「なぜだ!」

「彼らに必要なのは時間だからだ。援軍が来るのがわかっていれば、戦って被害を出す必要はない。適当に逃げ回り、兵糧が尽きるまでかき回していればいい。体力も気力も尽きたころ、叩けばいいだけだ」

「ヤツらだって無限に逃げられるほどの食料は持ち合わせてはおらんだろう!」

「そのとおり。だからゴブリンどもは近隣の村を襲う。村人なら数で圧倒できるからな。サイセイ砦封鎖は近隣の村の襲撃を容易にするだろう」

「……つまりは、この封鎖は砦攻略の戦術であるだけではなく、ギザギ軍全体を疲弊させるための戦略的な行動でもあるというのか?」

 司令官の結論に、一兵士はうなずいた。

 「バ……っ」オルニールは一瞬、言葉に詰まった。

「バカバカしい! 相手はゴブリンだぞ? たかがゴブリンだ! そんな先を見通した策を練るわけがない!」

「相手はクラシアスだ」

「だからどうした!? ゴブリン王だかなんだかしらんが、所詮はゴブリンではないか! 現に今まで負け続けてきた王だぞ? 敗戦に次ぐ敗戦! 惨敗に次ぐ惨敗! 多少、頭がよかろうが、ゴブリンはゴブリンだ!」

「だが――」

「ええい、うるさい! おまえも所詮は異世界人、ただの労働者階級だ! 少し手柄を立てたぐらいで偉そうに意見するつもりか! おまえは黙って指示に従い、突撃しろと言われたら暴力を振るえばいいんだ! わかったか!」

「……」

 マクレーはオルニールを睨みつけた。

 上官である騎士長はその殺気に当てられ、たじろぐ。

「……い、いいか。いちおう、貴様の意見はロッタ―将軍に伝えておいてやる。だが、動くなよ? 門が破られるまで出番はないからな!」

 オルニールは逃げるようにマクレーの陣幕から出て行った。

「……やれやれ。まったく、上の連中はわかっちゃいない」

 マクレーはボヤいた。馬鹿な上官に当たったときや、状況が芳しくないときの彼のクセだった。

「本当に。このまま閉じ込められるのは困るのですがね」

「誰だ?」

 誰もいないはずの背後に、人の気配を突然、感じた。振り返るとタキシードを着た褐色肌の青年が立っていた。

「はじめまして、不退の戦士(コマンドー)殿。わたしはフリーマン。ご覧の通りの魔術師です」

「魔術師……?」

 マクレーはいぶかしんだ。青年の姿はどう見てもファンタジーで御馴染みの魔術師の格好ではない。

「あなたの想像する魔術師ではありません。あいさつ代わりにこれをどうぞ」

 彼は指を鳴らす。すると、その指に一輪の赤い花が現れた。

「手品師のほうか」

「ええ。マジシャンです」

 彼は一礼して花を差し出す。マクレーは面倒くさそうに拒否した。

「そのペテン師が何の用だ?」

「まずはわたしのことを少々。わたしも異世界人です。あいにくあなたのような戦闘力には恵まれず、仕方なしに手品をネタに旅芸人などをしています。この町へは路銀稼ぎに立ち寄ったのですが、これではとても商売が成り立ちません。そのうえこのままでは外へ出ることもかないそうにありません」

「そいつは気の毒にな。せいぜい脱出マジックでも成功させることだ」

 マクレーには暇人に付き合っている余裕はなかった。

「まぁ、そう邪険にせずに。わたしだって自分だけ助かればよいなどと考えていませんよ。腐っても勇者候補なのですから。関わった以上、最低限の仕事はしていきたいと思うわけですよ」

「がんばれよ」

「いやいや、ここは異世界人同士、協力しあうところでしょう?」

「戦えないヤツが何の役に立つというんだ?」

 マクレーはイラつきながら訊いた。フリーマンのような、どこまで本気なのか読めない人間は好きではない。

「サイクロプスを倒すくらいでしょうか」

「なに?」

「ゴブリンはたおせませんが、サイクロプスならどうにかできます。三日ほどかかりますがね」

「面白い冗談だ。とっとと消えろ」

 マクレーは鼻で笑う。自分の背丈の半分ほどの小鬼は無理でも、10倍以上の巨人は倒せるとペテン師は言う。まともに話をする気が完全に失せた。

「わたしは魔術師マジシャンですよ。大言壮語を吐いたら必ず実行し、成功させます。どうです? 一口乗ってみませんか?」

「……」

 フリーマンの余裕の笑みは不信感しか覚えない。

「実はわたし、裏家業もありまして、その道では呪術師ソーサラーと呼ばれています。呪術も得意なんですよ」

「ほう、呪いでサイクロプスを倒すというのか。だがヤツは魔術耐性も強いと聞くぞ。それに再生力も高く、多少の傷などすぐに塞がるという」

 マクレーは以前読んだ文献を思い出した。単眼の巨人(サイクロプス)は古代巨人族の末裔で、その体格に見合った体力と魔力は強大であり、戦闘力はドラゴンにも匹敵する。亜種はいくつか存在するが、共通するのは獰猛で肉食、そしてかつて人間たちに住処を追われたため人間を憎んでいる点である。今回、ゴブリンどもといるのも、人間への復讐心があればこそだろう。

「その無駄な生命力がかえって巨人を苦しめることでしょう。今回の戦い、あのサイクロプスがゴブリン軍の要です。ヤツが退けばゴブリンたちもおのずと逃げていきます。多くを相手にする必要はないのです」

 「だろうな」マクレーはフリーマンの意見を認めた。

「だが、それができるかどうかだ。仮におまえが本物の呪術師だとして、あの巨人に効果があるのか? さらにはどうやって術をかけるのだ?」

 マクレーの剣幕にフリーマンは肩をすくめた。

「やれやれ、天下のマクレー殿がなんと小さい。それでは先ほどの騎士長と同じですよ?」

「……!」

「わたしがあなたに望むのは、さきほどまで一人でもやろうとした策を実行していただくことだけです。あとは万事、わたしにお任せあれ。三日後にはサイクロプスはわたしにひれ伏し、命乞いをするでしょう。お約束しますよ、トリック・スターの名にかけて」

 フリーマンは自信に溢れた笑みを浮かべた。

 ランボ・マクレーは呆気にとられたのち、口をへの字から逆向きにした。

「……二つ名が多すぎだろ」

「ペテン師ですから」

 フリーマンが差し出す手を、マクレーは力いっぱい握り返した。


 北門で反乱あり。

 その報を南門側にいたロッター将軍が耳にしたのは、それから30分もしないうちだった。「北門の跳ね橋が降ろされただと?」

「はい、巻上器も破壊され、橋は上げられなくなりました」

 必要以上に伝令が頭を下げたのは、怒り狂う将軍の視界から隠れたい気持ちの表れだった。

「オルニールは何をしておる! マクレーもだ!」

「それが、その反乱の首謀者がマクレー殿です。彼と直属の第三歩兵隊が門を開き、北門を固めていたゴブリンたちに挑んでいったのです」

「なんだと!?」

 ロッターは耳を疑った。ランボ・マクレーは異世界人ながら尊敬に値する戦士だった。軍内部の批判を耳にしながらも、今回、貴重な一部隊を預けたのは彼を評価していたからだ。

「図に乗ったか……! 痴れ者がっ」

 ロッターは手にしていた扇をへし折り、床に叩きつけた。

「いかがいたします、閣下」

「……戦端が開かれたのなら仕方あるまい。こちらの兵の半数を北へ回せ。ゴブリンどもの侵入を許すな!」

 怒りに打ち震えながらも、彼はすばやく指示を出した。

 この北門の戦いを、意外と思ったのは人間だけではなかった。

「橋を降ろしたか。人間にも先が読める者がいるらしいな」

 ゴブリン王クラシアスは素直に感心した。これまでの経験から、人間たちはこちらが先に動けばあの強固な砦に立て篭もると推測していた。それが定石であったからだ。壁を攻略できず、万策が尽きて士気が落ちたころを見計らって討って出てくる。

 今回はその策を逆手にとって、砦から出さない作戦を練ったのだ。

「だが、これも想定内。開けてくれたのなら、招きに応じてやろうではないか」

 クラシアスは南門側・本陣に控えていた予備兵力をすべて送り出した。

「ゴゴンドゥヌス殿へ伝令。作戦は継続。北門への投擲を続行願う」

 今作戦の要、サイクロプスのゴゴンドゥヌスへの言伝をゴブリン・シャーマンの一人に命令した。巨人は今、南門から北門に向けて移動中である。

 クラシアスは砦を占拠できるとは考えていなかった。それでも作戦を完遂するためには攻める必要がある。また、兵隊の個々の心理を考えれば、攻めさせないわけにはいかない。

 作戦自体はおおよそランボ・マクレーの読みどおりであった。門を封鎖し、周辺地域襲撃の邪魔をされないように敵兵を砦に押し留める。外部より敵の援軍が来るであろうが、そんなものは無視すればよいのだ。敵兵からは逃げ、敵市民を襲い、田畑を燃やす。それを繰り返すだけで人間たちに大きな損害を与えることができる。その報はいずれ、かつて共闘したオークやオーガたちにも伝わり、人間への戦意を高めるであろう。

 そのために危険を冒してまで山脈奥地にいたサイクロプスのゴゴンドゥヌスに会い、同盟を結んだのである。

 一通りの命令伝達が済むと、クラシアスは推移を見守った。南門に動きはないが、彼が本陣を離れれば警戒が緩んだと思われかねない。跳ね橋が固着するまでは睨みを利かせておかねばならなかった。

 だが、彼には一息つく暇もなかった。

「ゴゴンドゥヌス殿が砦へ向かっただと?」

 クラシアスはそれも予測はしていた。人間に恨みを持つ彼が、作戦を無視して暴走しかねないと。ゆえに事前に話し合いを繰り返し、先を見据えた行動を約束させていた。だが、実際には理想どおりには進まないようだ。

「……仕方あるまい。ならば、せいぜい戦いを長引かせてもらうだけだ」

 クラシアスは作戦の失敗を悟った。いかに巨人といえど、人間の軍隊を全滅させる力はないと知っていたからだ。20年前、ゴゴンドゥヌスの両親も善戦はしたが最後には殺された。たった一人の狂戦士に無残に切り刻まれて。

「別働隊は確固、周辺地域の人間の村を襲え。敵兵の姿を確認したら即座に撤退せよ」

 クラシアスはそれ以上の指示を出さなかった。次に命令を下すのは、全軍撤退を伝達するときだけであった。


 ランボ・マクレーは跳ね橋の中心でコンバット・ナイフを振るっていた。それは彼が特注で作らせた逸品で、柄のドクロがトレードマークとなっている。

 彼の戦いは優雅からは程遠い。敵の隙を即座に見つけ、まずは軽くでもいいので傷を負わせる。そして怯んだ敵の喉元など急所を裂くのである。かなり大雑把な戦い方だが、彼は一人ではない。周囲には超長槍を備えた兵士が槍衾やりぶすまを形成し、マクレーが一度に複数と対さないように援護をしていた。

 さらには戦闘が始まってしまったため、壁上の別部隊も放置は出来ず、効果は薄いが射撃や投石を行って第三歩兵隊を助けていた。そもそもが広くはない跳ね橋上である。壁上の兵力が動ける分だけ、人間は数の有利にたっている。

 とはいえ、ゴブリンの北門兵力は3000に対し、人間側は1000。さらに物見の報告では南側から別の部隊も向かって来ているとの報もあった。このまま跳ね橋を越え、平原に出ては不利になるだろう。逆に跳ね橋で戦い続けるのもよい策ではない。何か大きな攻撃が加われば、逃げ場もなく壊滅しかねないからだ。

「今のところ、シャーマンの姿はないようだが……」

 マクレーはナイフを振るいながら戦力を探る。彼は腕に魔術耐性を上げる護符を巻きつけているが、気休め程度の効果しかない。ましてや一般兵にはそんな物すらないのだ。魔術というものは戦術どころか戦略さえ破壊する不確定要素だった。計り知れないのがマクレーは大嫌いだった。

「こうなれば一刻も早くサイクロプスを斃してもらいたいものだが」

 チラリと壁上を見る。そこにはまだ、フリーマンの姿があった。マクレーは彼との会話を思い出していた。

「――このさいはおまえを信じるしかない。だが、会ったばかりの人間を完全に信頼するほどお気楽でもない。だいたいにして、どうやって敵前突破してサイクロプスに近づくつもりだ? まさかここで呪うわけでもあるまい」

「当然の疑問ですね。本来なら手品の種は明かさないのですが、あなたには教えましょう。なに、単純な話です。魔法ですよ、魔法。といってもトリックではなく、正真正銘の魔法です。移動系の魔術をいくつか習得しておりまして、それを使うだけです」

「手品も技術ではなくインチキか」

 マクレーは呆れた。手品に種があるのは知っているが、本物の魔法を使うようでは腕前はたかが知れている。

「ショーのときは使いませんよ。そもそも、町中ではわたしたち異世界人はおいそれとは魔法を使えません。許可なく使えば即座に逮捕されます。お忘れですか?」

「そうだったか?」

 ステータス・サークルには持ち主がいつどこで魔術を使ったかが記録され、その場所が魔法禁止区域であれば即座に異世界人管理局に通報される。だが、そのステータス・サークル自体が、第二次召喚期の異世界人ランボ・マクレーにはない。それゆえに、そんな規則は覚えてもいない。

「サイクロプスに呪いをかけるには20メートル以内が望ましいですね。そこまでの移動は自力でどうにかします。ただ、ゴブリンたちが周囲にいると難しいですね。単独のところを狙いたいのですが」

「ゴブリンどもはこっちに引きつけよう。単純なヤツらだ、挑発すれば襲ってくるだろう」

「お任せします」

 フリーマンは一礼した。

 マクレーは約束を果たすべく、跳ね橋上で吼え、ゴブリンたちの意識を引いた。味方の戦闘士気も上昇し、戦場が過熱していく。

 フリーマンは月明かりに照らされた巨人の姿を遠くに見た。こちらに向かってくるように感じるが、巨人の射程距離にはまだ間があるのだろうか。それとも、遠近感がうまく働かず、近づいているような錯覚を起こしているだけなのだろうか。

「……違うな。確実にこっちへ向かってくる!」

 フリーマンもマクレーも、サイクロプスの目的は門の封鎖であろうと決め付けていた。攻撃をするつもりなら跳ね橋に樽など投げず、はじめから砦内に石でも丸太でも投げ入れるか、直接攻めてくるはずなのだ。

「跳ね橋を下ろしたことで作戦が変わったのか? いや……」

 そんな疑問を抱いたが、すぐに頭を切り替えた。時間の無駄である。現実問題として巨人は近づいて来ているのだ。

「サイクロプスが来るぞー!」

 物見が大声を張り上げた。戦場が一瞬、凍りついた。

 人間だけではなく、人語を解する指揮官級ゴブリンも状況を忘れて背後を振り返る。作戦と違うではないか、とゴブリン語が飛び交った。上の思惑など知らぬ雑兵ゴブリンは、最大最高の援軍に上気して踊りだしている。

 マクレーは舌打ちして「なんだってこううまくいかないんだ」とボヤいた。直属の兵も、壁上の他部隊も、気後れしているのがわかった。

「恐れるな! デカイ的がやってくるだけだ! 大型弩弓バリスタ用意!」

 マクレーが声を張り上げると兵士たちは我を取り戻し、武器を構え直した。

「そ、そうだ! 弓兵隊は迎撃態勢をとれ! 急げ、来るぞォ!」

 オルニール北門防衛司令官が追従して叫ぶ。マクレーごとき異世界人に職権を侵され、虚仮こけにされてはたまらない。

「狙えー! っ!」

 100を超える矢が巨人に降り注ぐ。しかしサイクロプスの強靭な肉体は、普通の矢が刺さったところで痛痒にも感じない。ならばと大型弩弓バリスタが金属の槍のような矢を撃ち出す。一本が外れ、もう一本が左腕に刺さった。

 「やったぞ!」と歓喜するオルニールらの前で、サイクロプスは無造作に引き抜き、投げ返してきた。バリスタの矢が壁に突き刺さった。

「バケモノが……。だが、怪我を負わせたぞ! 次を準備しろ!」

「騎士長、あれを! 傷が塞がっていきます!」

 部下の報告に、オルニールは目を丸くした。たしかに矢によって開けられた穴が、何事もなかったように消えていく。

「これが、サイクロプス……」

 騎士長の恐怖は、周囲にも伝染した。兵の間に動揺が走り、「構え!」とヒステリックに叫ぶ弓兵旗頭の号令もまともに届かない。あげくに命令を無視して無駄に乱射する弓兵もいるほどだった。

「……上は荒れているな。だがここは死守せねばならん」

 マクレーは調子づくゴブリン兵を一人斬り捨て、その背後から飛び掛ってくる一人に皮ベルトに仕込んでいたナイフを投げつける。一瞬の間ができたのでフリーマンの様子を窺った。さきほどまでいた場所に彼の姿はなかった。

「おい、あそこに誰かいるぞ?」

 壁上の兵士の一人が中空を指差した。それは人間のシルエットで、サイクロプスとほぼ同位置にいるように見えた。

 その宙に浮いている者こそ、フリーマンだった。

 彼は指を一つ鳴らす。すると、彼の頭上で花火が咲いた。爆音と、舞い落ちる光の花びらに、戦場の眼が一身に集まった。

 もっとも間近にいたのはサイクロプスのゴゴンドゥヌスだ。彼は知らぬ間に、人間に背後をとられていたことになる。

「ニン……ゲン……!」

 彼は歯を食いしばりながら人語でつぶやいた。反射的にフリーマンに掴みかかり、両手で捕らえた――はずだった。

 手の中にフリーマンはおらず、捕まえた感触もない。どこにいったのか巨大な眼で探るが、気がつくと地面近くには霧が発生しており、何も見えなくなっていた。

「わたしはフリーマン。呪詛じゅそを囁く者」

 サイクロプスの足元にタキシードの人間がいた。ゴゴンドゥヌスは右足で踏み潰すが、やはり感触はなかった。

「偉大なる巨人、サイクロプスよ。汝はすでに我が呪いをその身に受けている」

 今度はあろうことか巨人の左肩に腰掛け、耳に直接語りかけていた。

 ゴゴンドゥヌスは左手ではらうが、自分の耳を叩くだけである。

「今日より三日ののち、汝は激痛にのたうち、死すらも望むであろう」

 次は頭の上に立っていた。

 頭を振るって唸り声を発するが、人間は薄ら笑いを浮かべて消えた。

「もし助かりたくば降参の意を示し、今後いっさい人間に干渉しないと誓うことだ。だが、誓わねばその激痛は死ぬまで続くであろう」

「ドコダ! ニンゲン!」

 サイクロプスは怒りに我を忘れ、体内魔力を活性化して爆発させた。彼を中心に、半径30メートルの地面がめくりあがり、土砂を降らせた。

「暴れても無駄だ。汝は死ぬ。悶え苦しみ、死んでいくのだ」

 サイクロプスは咆哮を上げ、暴れ続けた。彼の耳元ではずっと声が聞こえ、フリーマンの姿があちこちに浮かんだ。

 影を追うように巨人は砦の北門を目指して走り出した。今、彼の視界にはフリーマンしかいない。腕を振るい、蹴り上げ、破壊の魔術をばら撒き、ゴゴンドゥヌスは怒りのままに行動した。

「なんだ、サイクロプスがゴブリンを攻撃しているぞ」

 砦では人間たちがざわついていた。何が起きたのかはわからないが、これは好機だった。

「なんでもいい、攻撃を再開せよ!」

 オルニール騎士長の命令に兵士たちは隊列を整えた。たしかに理由などどうでもよい。生き残る可能性が見えているのだ。それだけで充分であった。

「矢ァつがえー! っ!」

 旗頭の号令に、一斉に矢が放物線を描く。

 前方は槍衾、背後からはサイクロプス、頭上からは矢が襲う。ゴブリンたちは統制がとれなくなり、四方へ散って逃げ出しはじめた。

 サイクロプスは砦に背を向け、逃げ惑うゴブリンを追って森へと消えていった。

「勝った、のか……?」

 オルニールは呆然と静まり返った平原を見渡した。彼の周囲でも、転がり込んできた勝利に実感がわかない兵士たちが互いの顔を見合っている。

「ゴブリンは去った! サイクロプスも去った! 我々の勝利だ!」

 ランボ・マクレーが宣言した。

 一瞬遅れ、勝ちどきが上がった。

 その声は南門にまで届き、ロッター将軍は状況説明を求め、北門の防衛が成されたのを知った。

 戦況はゴブリン王クラシアスにももたらされ、彼は悔しがるでもなく陣をたたみ、撤退した。これにより、20年目のリベンジも大敗に終わった。

「だが、目的は達している」

 逃げ帰る軍をしんがりから眺めながら、クラシアスは薄く笑った。


 翌日、戦勝パーティーが開かれた。軍幹部や町の有力者が集う迎賓館に、ランボ・マクレーも招かれていた。その昼間に査問会で被告席に立たされていた彼だが、結果としてゴブリン軍を早期に追い払うことができたため不問とされたのである。その裏には、サイセイ砦町総監であるケイン侯爵の口ぞえがあったという噂も流れていたが、知己でもないマクレーの知ったところではない。

 パーティーでの彼は、居場所に困る庶民でしかなかった。ロッター将軍のスピーチが始まって早々、会場の外へと逃げ出す始末である。

 そこに本当の知己がいた。

「フリーマン?」

 柱の影に立つ青年にマクレーは呼びかけた。

「こんばんは、マクレー殿。パーティーは苦手と見えますね」

 「わずらわしいだけだ」マクレーは鼻を鳴らした。

「で、おまえはなぜここに?」

「知り合いがいまして、町を出るので最後にあいさつをと」

「そうか。その前に会えたのは幸運だ。話を聞かせてもらおうか」

「話、ですか?」

「とぼけるな。サイクロプスに何をした?」

「お話ししたとおり、呪いを少々かけました」

「ウソをつけ。そんなものオレたちには習得できん。管理局が許すはずがない。もしできるとしたら、野良召喚労働者フリーターか――」

官憲(イヌ)、ですか?」

「ああ」

 マクレーはうなずいた。野良召喚労働者フリーターとは、異世界人管理局の斡旋を受けずに、民間異世界人組合ギルドの仕事や、個人で依頼を探して稼ぐ者を言う。管理局の監視を逃れて、裏では違法な魔術に身を染める者も少なくない。

 一方の国に仕える者ならば、非合法な魔術でも必要悪として習得が許されているのかもしれない。

「わたしが違法な魔術を使ったと?」

「そうだ」

「残念ですが、わたしの魔法はすべて合法なものですよ。魔術師協会の免状もあります。そうですね、呪い本体はともかく、どうやって巨人を誘導したかくらいは教えて差し上げましょう」

「幻覚を見せたのだろう?」

「わかりますか?」

「ヤツが嫌う何かを見せたのはわかる。そうして混乱させ、同士討ちをさせた。だが、サイクロプスには魔術耐性がある」

「なるほど。だからわたしが信用ならないのですね」

 フリーマンは納得してうなずいた。

「そうだ。巨人の耐性を破るほどの強大な力を、一介の手品(ペテン)師が持てるわけがない」

「ですから、あれは合法なものなんですよ。いいですか?」

 フリーマンは説明した。まずは移動系の魔法で射程圏内まで近づく。そして【濃霧フォッグ】の魔法で怪しさを演出し、同時に身を隠す。さらに【幻影イリュージョン】を使って自分の姿を投影し、巨人の耳元に【囁き(ツィート)】でそれらしい言葉を並べる。

「ここでポイントとなるのが、【幻覚】ではなく【幻影】を見せることです。【幻覚】はあなたの言うとおり、相手の脳を支配する魔法です。ゆえに耐性があれば抵抗されて失敗もします。ですが【幻影】は映像をその場に存在させるのです。視覚を通して見るものですから、魔術耐性は意味がありません」

「……」

 マクレーの疑念は晴れなかった。それこそ言葉巧みにごまかそうとしているのではないかと猜疑を強める。

「ではなぜ、サイクロプスをクラシアスのところまで誘導しなかった? そうすればヤツを討ち取れたかもしれんだろう」

 「それはもう違法魔術とは関係ないですね」フリーマンは芝居がかった大げさなジェスチャーで首を振った。

「そこまでわたしの魔力が持たないからですよ。それに、クラシアスは魔法を使えます。わたしの術が破られでもしたら元も子もないではないですか」

「つじつまは合うがな……」

「……信じる気はないみたいですね。これでもだいぶサービスしたのですが。ならば、それでいいですよ。あなたがどう思おうと結果が変わるわけではありませんから。では、信用ならないペテン師は行きます。もう会うこともないでしょう」

 背を向けて手を振るフリーマンに、マクレーは不機嫌に「待て」をかけた。

「まだ結果は出ていないぞ。サイクロプスが本当に去ったのか、確認せねばなるまい」

「……そうですね」

 フリーマンは小さく笑い、二日後に北門で待つように告げて姿を消した。


 二日後の早朝、二頭の馬がサイセイ砦の北門を抜けた。ランボ・マクレーとフリーマンがそれぞれの手綱を握っている。二人は言葉もなく、平原を抜け、なぎ倒された木々の合間を進んでいった。

 ところどころにゴブリンの死体が転がっている。サイクロプスが跳ね飛ばしたのだろうか、どれも体がつぶれていた。

 どこまで行ったのか、それから数時間かけてもサイクロプスの姿は見えなかった。

「これ以上は危険だ」

 マクレーが注意を喚起した。人間が踏み入れる領域をすでに越えている。百戦錬磨の戦士といえど、無事でいられる保障はない。

「大丈夫ですよ。サイクロプスがいるのなら他の魔物はそうそう近づきません」

「……それも道理か」

 マクレーは止めていた馬の足をまた進めた。

 さらに半時ほど行くと視界が開けた。湖だ。

「この近くにゴブリンだかオークの集落があるはず。気をつけろよ」

「いえ、その前に目的のものを見つけました」

 フリーマンが指差す先に、緑灰色の巨人が横たわっていた。うつ伏せになって右手で地面を叩いている。

「苦しんでいるのか?」

「ええ。死よりも辛い激痛に、のた打ち回る力もないのです」

 フリーマンは呪文を唱えた。周囲に霧がたちこめ、彼と同じ姿をした幻影がサイクロプスの眼前に現れる。

「どうだ、苦しいか?」

 幻影は単眼の巨人に囁いた。もちろんこれは、【囁き】の魔術によるものである。

「オマエ、ハ……!」

 巨人は幻影を掴もうとして、激痛に体をよじった。

「苦しめ。そして死ね」

「ウガァァ!!」

 叫ぶが、それ以上は抗えない。

「この呪いはわたしにしか解呪できん。どうだ、話を聞くか?」

「オマエ、殺ス……! 引キ裂キ、潰し、喰ラウ!」

「ではそうするがよかろう。いつでも待っているぞ、さらばだ」

 幻影が消えていく。

 と、巨人は叫んだ。

「待テ! 話、聞ク……」

「そうか。では一度だけチャンスをやる。二度と人間に干渉するな。山奥で静かに暮らしていろ」

「ワカッタ……。山、帰ル……」

 単眼から涙が零れていた。

 「鬼の目にも涙か」離れたところで見ていたマクレーがつぶやく。事実を言っただけなのだが、となりにいる本物のフリーマンは軽く噴いた。

「では、目を閉じておとなしくしていろ」

 サイクロプスは素直に従った。フリーマンは幻影を解除し、自らが近づいて解呪を行う。

 作業はものの数秒で終わった。

「終わったぞ。しばらくは呪いの影響が残るが、いずれ消える。だが忘れるな。この呪いは、常に汝とともにあると思え」

 霧が晴れていく。

 サイクロプスは痛みを確認しながら周囲を窺った。まだ痛むのか、わき腹を押さえている。

 巨人は立ち上がり、山奥へと歩いていった。永久に約束が守られるとはフリーマンもマクレーも思わない。が、とりあえずの危機は去った。それで充分である。

「で、その手にある物が、呪いの正体か?」

 マクレーが呪術師に訊いた。彼の手には、小さな石がいくつも握られていた。

「呪印石。埋め込まれた者を呪う、錬金アイテムです。特注でして、一つあたり金貨20枚はします」

「ほう」

 マクレーがマジマジと覗き込んでくるのをペテン師はほくそ笑み、おもむろに湖にすべて投げ捨てた。

「おい、そんな危険な物を湖に捨てるのか!」

「アッハッハッハッハッ……!」

 フリーマンは大笑いした。

「何がおかしい!」

「だって、あなたが言ったんですよ? サイクロプスに魔法が通じるのかって。錬金アイテムだって魔法の産物です。効くかどうかはわからないじゃないですか」

「それじゃ今のは?」

「ただの石コロですよ」

 そう言ってフリーマンはまた笑った。

「石コロだと? ただの石が呪いを起こすというのか?」

「違いますよ。そもそも、呪いなんてないんです」

「だが、サイクロプスは本当に苦しんでいたぞ? まさか、思い込み(プラシーボ)効果とかいうヤツか?」

 「いいえ」フリーマンは楽しそうに首を振った。

「彼は病気だったんですよ。わたしが病気にしたんです」

「だからそれが呪いではないのか?」

「彼の病名は、尿路結石。そこから腎盂腎炎じんうじんえんを併発したんです」

「ニョウロケッセキ? ジンウ……?」

「つまり、尿道が詰まって尿が排泄できず、腎臓が炎症を起こしたんです。経験者しかあの痛みはわかりません」

 フリーマンは思い出して身震いした。神を信じない者でも神に祈り、懺悔したくなる痛みだった。自分はこの痛みを受けるほどの悪いことをしましたか、と叫びたくなるほどの。

「さっきの石を尿道に詰めたのか?」

「物の転移はマジシャンの基本ですから」

 指を鳴らし、「右のポケットを見てください」とマクレーに告げる。

 彼がポケットをまさぐると、一輪の花が現れた。

「……とんだペテン師だ」

「ありがとうございます。最高の褒め言葉です」

 フリーマンは満面の笑みを浮かべた。

「しかし、病気ならそれこそ魔法でも治せるだろう? それにヤツの再生力をもってすれば問題にもならんはず」

「魔法でも再生力でも原因が取り除かれなければ完治はしません。一時的に痛みが和らいでも、すぐにまた痛みが起きる。それこそ呪いではないかと疑うわけです」

「悪魔の所業だな」

「いえ、本物の悪魔なら、頭蓋骨の中に毒虫でも転移させますよ。その方が的も大きいし、確実に殺せます」

「な……!」

「どうです、嫌な死に方でしょう? だからやらないのです。ファンタジーだからこその裏技ですが、広めたくはないですよね?」

「……本当にな」

「まぁ、気付いてる人はけっこういるんですけどね。でも誰も口にしないし、実行もしない。この世界は、そういう現代日本人のモラル……いえ、ロマンでしょうか? そういうもので保たれているのです。あなただって銃を造ろうとはしませんでしたよね? アリアド様の選定も、おそらくそういう人が基本なのでしょうね。おそらく、ですが」

「オレはアリアドを知らんよ。おまえのような質の悪い者ばかりを呼ぶという噂しかな」

 マクレーは鼻を鳴らした。

「ともかく、ナイショでお願いしますよ」

 フリーマンは馬に飛び乗った。「帰りましょう」と促す彼に、不屈の戦士は「やれやれ」と頭を振って自分の馬に足をかけた。


 森の出口でフリーマンは別れを告げた。

「わたしはこのまま次の町へ行きます。なかなか刺激的な数日でしたよ。マクレー殿、お元気で」

「……ジョンだ」

「はい?」

「ジョンでいい。友人と認めた者にはそう呼んでもらっている」

「わかりました、ジョン。またどこかで」

 フリーマンは馬を走らせ、東へと消えていった。

 ジョン・ランボ・マクレーは彼を見送り、町へ戻った。今周期のゴブリン撃退は完了したが、次の魔物がそう遠くないうちに攻めてくるだろう。いつまで続くのか、いつまで続けるのかわからない戦いは、だが、彼は嫌いではなかった。元の世界では満たされなかった心の渇きを、この世界は潤してくれるのだから。

 襲撃を告げる鐘の音が鳴り響く。

「やれやれ、また厄介ごとか。たまにはのんびり過ごしたいものだ」

 マクレーはボヤいた。逸る気持ちを抑えながら。

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