7 召喚労働者・第二講習
第7話は世界設定的なお話です。
本編だけを追うのでしたら第8話に進んでも問題はありません。
眠くなりましたら飛ばしてください。
ギザギ十九紀14年7月9日、ショウたちが就労レベル2になった翌日、異世界人管理局・研修室では召喚労働者向けの第二講習が行われた。
受講者はショウ、マル、アキトシ、アカリ、リーバの5名。彼らがレベル2になったことで、現在この世界ではレベル1の初心者は一人もいなくなった。
講習を取り仕切る講師はパーザ・ルーチンである。今までは定年退職した職員が小銭稼ぎに受け持っていたが、あまりにもずさんなため苦情が相次ぎ、現役の職員が行うようになった。
「ボノンのジジィはお払い箱か。とーぜんだな」
マルが吐き捨てるように言った。ショウと同様、初講習で彼にあたり、適当に済まされたのだろう。
「では、第二講習をはじめます。まずはこの地図に注目してください」
パーザは指示棒を取り、壁にかかっているナンタン周辺地図を叩いた。なかなかに講師姿が似合う。日本で男子高校の教師をしていたら、さぞかし人気が出たであろう。
「この町は三重の防壁で守られています。これは、町の発展による領土拡大の結果でして、開拓当時は一番内側の壁しかありませんでした」
パーザは内壁に沿って棒を這わせた。
「知っているとは思いますが、この第一防壁の内側を『内区』と呼びます。通称を『山の手』といい、町の中枢機関が集中し、高級公務官や財を成した者が住むエリアとなっています。町長はギザギ国南方を治める領主・サウス公爵様の甥、ズュード子爵様です。特務でお会いする可能性もあります。お名前は覚えておいてください」
さらさら覚える気のないマルが一番熱心にうなずいていた。
「今度はその対極となる、『外区』と呼ばれるエリアについてです。こちらは近年になって町の一部と認められましたが、それまでは無許可の移民集団が今の第二防壁沿いに住み着いてできたスラムでした。外壁の第三防壁ができた今でも、彼らのほとんどは市民権を持ちません」
ショウは汚水処理場で出会った御者の若者を思い出した。『仕事があるだけマシ』と吐き捨てたのは、きっと彼が市民権を持っていなかったからなのだろう。
「彼らは市民権を得るために様々な行動をしています。デモならばかわいいもので、妬みから中区に無断で侵入し、暴力に訴える者もいます。あなたがたがレベル2になるまで中区のみの仕事をしていたのは安全のためでした。慣れない土地で争いに巻き込まれないように配慮していたのです」
「けど、この前――」
「なんでもありません!」
マルの不用意な発言を、ショウとアキトシが血相変えて押さえ込んだ。「特務規定違反で捕まりたいのか」とマルに耳打ちすると、彼はようやく失態に気付いた。
「なに、あんたら?」
アカリがいぶかしむ。
「いや、なんでもないって。講義の続きをお願いします!」
ショウが必死にごまかそうとする。
パーザはその努力に免じたのか、何事もなかったように地図に向き直った。
「このように、内区と外区はどちらも一般市民や召喚労働者の皆さんが気軽に入れる場所ではありません。もちろん、仕事であれば別ですが、その場合も管理局が発行する許可証が必要となります」
「質問があります」
ショウが手を上げた。
パーザが「どうぞ」と促すと、ショウは地図の上のほう――北側を指した。
「知り合いのワーカーが、北の畑で作業をしていました。畑は壁の外なので外区を通過しているはずですが、この場合も許可証が必要になるんですか?」
「はい。内区および外区へ入るにはそれぞれの通行許可証が必要となります。所持せずに進入した場合、逮捕されますので注意してください」
「許可証ってすぐにもらえるんですか?」
「発行には異世界人管理局の業務日二日ほどかかります。明日は日曜日なので三日後の火曜日になりますね」
「初めて聞いたんですけど、休みの日とかあるんですか?」
ショウは驚いた。
「そりゃ、あるに決まってるだろ」
マルが手を頭の後ろで組んだまま言った。講習にすでに飽きてきている。
「いや、こういう仕事って毎日あるものじゃないのかって話。日曜・祝祭日なんて関係なしじゃないのか?」
マルにむけた言葉であったが、拾ってくれたのはパーザだった。
「休日でも依頼が来ていればお仕事はあります。ですが管理局はお休みなので、報酬の支払いなどの手続きはできません。お仕事については休日の前日18時に告知しています」
「あ、なるほど」
ショウは納得した。
「それじゃさ、その許可証が発行されるまでは中区の仕事しかできないわけ?」
「はい」
アカリの質問にパーザは簡潔に答えた。質問者のアカリは「ふ~ん」とあっさりしている。
「許可証の話に戻ります。内・外区通行許可証ですが、初回は無料で発行いたしますが、紛失などで再度発行される場合は5銀貨の手数料と3銀貨の台紙料、合わせて8銀貨かかります」
「4000円かよ。ぼったくりだろ」
マルの文句はパーザにも聞こえていただろうが、彼女は無視して説明を続けた。
「なお、外区通行許可証があっても町の外へは出られません。仕事の場合のみ、特別に許可されます。もし作業終了時間が過ぎても野外にいた場合は逃亡罪で逮捕されます。必ず時間内に町内へ戻ってください」
「うへ~」と顔をしかめたのは、リーバ以外の全員だった。
「また、レベルが3になると通行証は不要となります。その理由につきましてはレベルが3になったときに受けられる第三講習でご説明いたします」
「3になると自由に町の外へも行けるからだろ? 知ってるー」
マルが知識をひけらかして笑った。
パーザがキッと睨み、マルは殺気を感じて首ごと視線を避けた。
「あの、許可証があれば、仕事ではなくても内区や外区へ行ってもいいんですか?」
ショウはマルのフォローに忙しい。
「はい。ただし歓迎はされませんよ。兵士から不審者として不当に扱われたり、外区では強盗にあうこともあります。個人的にはお勧めしません」
「そう言われると行きたくなるよなー」
「ボクは絶対に行かない」
マルに対し、アキトシは自分に誓うくらい拒否反応を示した。
「もっとも、外門へつながる通りはきちんと整備され、多くの兵士が配置されていますので、沿道は店も含めて安全ですよ。行商の馬車もよく行き交っていますし」
「そうよね。でないと、誰も外へ出られないわ」
アカリがウンウンとうなずいた。
「次に内区でのルールです」
彼女は用意してあった書類を五人に配った。細かなルールが箇条書きで20以上連ねてある。交通機関の利用方法や、馬車の扱い、魔術の使用禁止、巡回兵士との接触時注意など。とくに変わっているのが、貴族と街中で出会ったときの対処であろうか。
「相手の存在に気付いた時点で不動。腰を20度から30度の角度で曲げ、視線は地面に向けておく。相手が通過するまでその体勢を維持すること。仮に声を掛けられても、三度目まで返事をしてはならない。返事をするときも体勢は崩してはならない……? 天上人かよ」
マルが鼻で笑う。
「守らないと無礼討ちされても文句は言えないですよ。ここはあなたたちの世界ではないのです。ゆめゆめ忘れないように」
「へ~い」
マルは納得できないようだった。ショウは上下関係を体で学んできているので、そういうルールと言われれば頭の中はともかく形だけは繕う。アキトシは事なかれ主義なので素直に従うし、リーバは大人の対処をするだろう。アカリはマルと同じ感想のようだが、表情はともかく声にしては何もいわなかった。
「慣れない環境でしょうが、誰でもない、自分のために行動にはくれぐれもお気をつけください。……ここまでで何かご質問は?」
「ほい」マルが手を上げた。
「レベル2になると、給料は上がる?」
町のルールとは無関係な質問を投げかけられてパーザは呆れてしまったが、よくある質問なので機械的に答えた。
「管理局では作業に見合った報酬額を提示しています。レベルが上がることで、より難易度の高い仕事につけるようになり、そのぶん報酬はあがります」
ショウが小さく手を上げた。
「先に話になりますが、レベル3になると休憩所での宿泊は禁止されますよね? そうなったとき、どこか格安の宿とか紹介してもらえるんですか?」
カッセとリラが出て行ったとき、彼らが今後どこを拠点にするのか聞き忘れていた。もしかして寮でも用意されているのかと思ったのだ。
「そのような援助はありません。異世界人のあなたたちには、基本、正式な市民権は与えられませんが、扱いとしては同等となっております。また、金銭面でも平均的な市民よりも多くの稼ぎがあります。そのお金をうまく使ってください。つまり、甘えてないで自立しろということです」
「バッサリだな」
リーバが世の無情に憂いた。仲間の中では最年長なので、そのぶん身に詰まる話だった。
「仲間で家を借りる人もいるみたいだよ」
アキトシが聞きかじった話をした。そのほうが宿よりも格安ですむらしい。そのぶん、初期費用はかかるとも聞いている。
「それも手だよなぁ」
マルがため息をついた。メンバーを見渡し、さらに深く。
「なんか言いたそうね」
「別に~。おまえは関係ないし」
「くっ……」
「はい、ケンカ止め」ショウが仲裁する。
「ちなみに、レベル3に上がるまでにはどれくらいの作業回数が必要なんですか?」
「人によりけりとしかお答えできません。レベル3以上は、ただの労働者ではありません。本来の召喚目的である勇者候補生としてのスタート地点です。今のあなたたちはその土台造りをしている段階でしかないのです」
「それはまぁ、自覚してますけど……」
「参考までにお知らせいたしますと、レベル3への平均日数は24日。最短記録は二日です」
「そんなに極端なの!?」
ショウたちは素直に驚いた。
「第二講習までの五日を加えてもたった七日。一週間か……」
「いえ、召喚から数えての日数です」
「ええ!?」
「彼女が召喚されたときは研修期間というのがありませんでしたから、実力しだいですぐにレベルが上がりました。それを除いてもかなり特殊な例ですが。次点が召喚から七日ですから、もはや伝説級です」
「彼女ってことは、有名な放浪のバル?」
アカリの質問に、パーザは首を振った。
「死にました。レベル3になって意気揚々と魔物討伐依頼を受け、返り討ちであっさり。召喚三日目です。救援に向かい蘇生しようとしましたが、すでに魔物の胃袋で溶けきっており、さすがに間に合いませんでした」
「おいおい~!」
「このときの教訓を活かして今の制度ができたのです。あのときもっとじっくりと育成していたら、彼女はきっと勇者となっていたでしょう」
パーザは神に祈るしぐさをした。
「……なんか急にしんどくなってきたわ」
アカリがゲンナリして息を吐く。マルでさえ内心で同意している。
「レベル3になるというのは、そういうことです」
彼女はそう言って話をしめ、15分の休憩を告げて研修室を出て行った。
静まりかえる研修室。リアルな運命を聞かされ、気が滅入っていた。
「ボク、とんでもないとこに来ちゃったんだな……」
アキトシの顔は真っ青だった。
「そんなの覚悟してただろうがっ」
マルが必要以上に大きな声で噛み付いたのは、感情を整理しきれなかったからだ。
「……今さら帰りたいって、無理よね」
死の覚悟などつかない元・女子高生は、普通の感性で気持ちを零した。
「帰ってもどうしようもないしな」
そんな中で、リーバは自身を取り巻く環境を俯瞰し、結論を出していた。彼はアリアドに召喚されたときから、マルマの地で生きていくと決めていた。
「……たしかに、腹を括るしかない」
ショウは自分に言い聞かせた。
「それにいま考えても仕方ない。まだレベル2になったばかりだし、レベル3即戦場ってわけでもないだろ。生き残るための技術も習得できるし、仲間もいる。ぜんぶ一人で抱え込む必要はないはずだ。準備万端で冒険に出ればいいんだよ。むしろ冒険家ってのは生きて帰る算段をつけて出て行くもんだって誰かが言ってた。だからまずはしっかり土台造りをしよう」
野球だって反復練習してきた。結果は伴わなかったが、上達はした。何をするにもまずは練習からはじめて、技術と経験を積み重ねていく。そうして自信が培われるのである。
「そ、そうね。一人ってわけでも、競争でもないんだしね。ゆっくり自分を育てればいいんだわ」
アカリはホッと息をついた。
「ヤバイと思ったら逃げりゃいいんだよな。無理したっていいことねーし、死ぬよりマシだ」
マルもいつもの調子で話に乗った。
「ボクはそもそも危険には近寄らないよ」
「自分を過信するとロクな目に合わないからね」
アキトシとリーバは、たがいに納得していた。
騒がしくなる研修室の外で、パーザ・ルーチンはホッと胸を撫で下ろしていた。少々、脅かしが過ぎたかもしれないと反省していたのだ。未熟なヒヨッコに必要以上に厳しくなったのは、マルの緊張感のなさへの苛立ちもあったが、それ以上に彼らに自分たちの立場を教え、多くを学ぶ機会を与えたかったからだ。
パーザは安心して扉から背を離し、廊下を歩いていった。彼女には彼らだけではなく、もっと多くの召喚労働者の面倒が待っていた。たった15分でも依頼書を確認して、レベルに応じた仕事に分別する作業が数件分はできる。明日の日曜日を無事に過ごすための大切な業務であった。自分にとっても、自分以外の誰かにとっても。
きっちり15分後、パーザは研修室に戻った。受講者たちは急いで自分の席に戻り、講師の言葉を待った。
「ここからは野外業務についての注意事項をお話します。また周辺地図を見てください」
指示棒でナンタン周辺地図をいくつか指した。
「野外業務もさまざまですが、北から東側にかけての畑作業、南および西の森での狩猟・採取・伐採、川での生体・水質調査などがあります。この際に、作業中の安全確保のための護衛も依頼されますが、それらはレベル3以上の召喚労働者に任されます」
「戦闘訓練を受けてないしね」
「はい、そのとおりです。もし獣に襲われた場合は迷わず逃げてください。決して対抗しようなどと考えないこと。いいですね?」
「望むところだよ」
アキトシは全力で賛同した。
「ただ、あなたがた異世界の方には、何が危険なのかはわからないでしょう。これから、ナンタン周辺に生息する危険生物について説明いたします」
「ハンドブックにも魔物事典がついてたけど?」
アカリがカバンからハンドブックを出してめくった。
「そのたった数行の説明で問題ないと思われるのでしたら、講習を受けなくてもかまいませんよ」
パーザの眼は怖かった。
「……すいません」
アカリが縮こまるとパーザは講座を続けるため、持ってきた水晶球を教卓に置いた。
手を当てて何かつぶやくと、黒板に映像が現れた。蜂の群れが映っている。
「殺人蜂です。主に森に生息していますが、稀に草原や古い民家などでも巣が発見されます。尾に毒針を持ち、強靭なアゴで獲物を砕きます」
ショウが手を上げた。
「蜂は日本にもいますが、こちらの蜂も凶悪なのと比較的おとなしいのがいるんですか?」
「多種多様ですね。基本的に蜂というのは、巣に近づくものを襲う習性があります。特にこの蜂は攻撃的ですから、巣を見たらそっと離れるように。大きな音や動きに敏感ですから、行動は慎重に。けして慌てない。ある種の臭いが苦手なので、虫除けにかけておくのもよいでしょう。ただし、人も好まない臭いなのですが」
「巣ってわかりやすいんですか?」
「ええ。3メートルはありますから」
「3メートル!?」
「蜂の体長が300ミリメートルですから、巣もそれなりに大きくなります」
「300って、30センチ!? デカすぎだろ!」
「指されたら穴あくわ」
「別種で毒を飛ばしてくるのもいるので気をつけてくださいね。そちらは尾の部分が黄色ではなく、赤いのでわかりやすいと思います」
「どっちにも遭遇したくない……」
「では次です。こちらも森に生息する動物で、紅玉熊といいます。眼が赤く輝いて、ルビーのようなことから名付けられました。攻撃的で、稀に人も食べます」
「熊はまぁ、理解できるかな」
ショウはテレビで観た、熊が人を襲うニュースを思い出した。
「体長4メートル」
「デカッ! なんかみんなデカッ!」
「外は弱肉強食ですから、体の大きさで対抗するしかない種もいますよ」
パーザはさも当然のように言い、説明を続けた。
「紅玉熊は山奥の渓流でよく目撃されます。興奮させると執拗に追ってきて、死ぬまで攻撃をしてきます。反面、大きな音や、光を反射する物を避ける習性があります。余裕があれば鏡や高音を出す鈴などを持ち歩くといいですよ」
講師の教えを、マル以外の受講者はハンドブックのメモ・ページに鉛筆で書いていく。鉛筆は、かつてマルマ世界にやってきた異世界人の一人が大量生産に成功し、今では彼らの必須道具の一つとなっていた。
「次は木の上に住む毒蛇です。イエロー・ハンターと呼ばれています。体長は150ミリメートルながら、人間なら即死レベルの毒を持っています。厄介なのは攻撃態勢になると表皮からも毒を溢れさせることです。触れただけで焼けただれ、死に至ります」
水晶球が被害者の画像を映した。アカリとアキトシは顔を背け、残りも顔をしかめる。
「怒らせなければ敢えて人を襲うことはありませんが、ときおり木の上から落ちてきます。そのときは大きなリアクションは避け、冷静にその場を離れてください」
「突然、木の上から落ちてきたら驚くに決まってんじゃん」
「その結果がこうなります」
一度は消した被害者映像を再び投影。
「ぐっ……」マルは何もいえない。
「その他、野犬や大烏にも注意が必要です。空腹になると人間を襲うこともあります。特に大烏は空から急襲し、一撃で頭蓋骨を貫きます。鳴き声が二度連続で聞こえたら降下開始合図です。空耳だと思っても上を確認するようにしてください」
「――頭上注意、と……」
受講者のペンが止まったのを確認すると、パーザは水晶球を交換した。
「次は亜人種についてです」
「エルフとかドワーフ!?」
アカリが顔を輝かせて訊いた。こういうファンタジー要素を待っていた。
「今回は危険生物のお話ですので、人間の敵性種族ではない彼らの説明はありません。彼らについて詳しく知りたいのであれば、管理局三階の資料室に文献がありますのでご利用ください。日本語訳もついています」
「はーい……」
あからさまにガッカリしてアカリは返事をした。
エルフとドワーフは、ここナンタンの町にも数人いる。ショウも召喚初日に目にしていた。町にいる彼らは主にナンタンとの交友のために派遣されている、それぞれの種族の代表者だ。町には彼ら亜人種のための地域があり、中区8番街がそれである。通称『アリアン通り』と呼ばれる区画の名は、そのまま『亜人』を指している。
「ということは、まずはゴブリンですか?」
ショウがハンドブックの魔物事典を見ながら訊いた。人型魔物の先頭にその名がある。
「そうです。魔物による被害件数でもっとも多いのがゴブリンによるものです。窃盗・略奪・傷害・殺人と、大小さまざまな問題を起こしています」
「ねぇ、アレの被害はないの?」
アカリが興味深そうに訊く。
「アレとは?」
「エロ被害」
アカリはニンマリと笑った。パーザに対する意地悪のつもりだった。
「ああ」しかし彼女はまったく動じない。
「ほとんどありません。皆無といってよいでしょう」
「えー、ゴブリンって言ったらエロでしょぉ!?」
「その知識は間違いです。なぜか異世界人のみなさんはそういう認識を持っているようですが、ゴブリンにだって好みもあれば、選ぶ権利もありますから」
「ゴブリンから視たら人間は好みではないと?」
珍しくリーバが前のめりだった。
「そうです。サイズも違いますし。……ゴブリンについて多少はご存知のようですが、この際、徹底的に意識改革をしていただいたほうがいいですね」
パーザは水晶球にゴブリンの画像を表示させた。
「ゴブリンは身長が1メートルほどの亜人種です。種としてはドワーフに近く、進化の過程で分かれたものという説があります。ただこの説には意外な反論があり、ドワーフは毛深いのに、ゴブリンはほとんど毛がないのでおかしいという研究者もいます。ちなみに亜人種同士は性交が可能で、ハーフも生まれます。なのでハーフ・ゴブリンも存在します」
「マジか!」異世界人たちはツッコんだ。
「もっとも、亜人種は別種族との性交を好みませんので、よほどでなければ生まれてきません。……それなのに、なぜかハーフ・エルフだけが多いのが不思議でなりません」
「よしっ」異世界人たちは親指を立てた。
「ちなみに、ハーフは母体の種族の色が濃く出ます。例えばエルフの男性と人間の女性の場合、ほとんど人間と区別がつきません。寿命も人間とほぼ変わりません」
「ほー……」異世界人たちは感心した。
「話を戻します。ゴブリンは知能が低く不器用ですが、敏捷性は高く、足も速いです。夜行性で夜目が利き、音には敏感です。性格は短気で好戦的、臆病で利己的なため、危険が迫ると仲間すら見捨てて逃げていきます。30人ほどの群れで生活し、集落の長が絶対権力を持ちます。住処は洞窟や遺跡が多いのですが、草原や森に粗末な屋根だけの家を建てて暮らすこともあります。住処を離れて活動するのは男のみで、女は家を守ります」
「情報、多すぎ」
ショウは芯がなくなった鉛筆を急いでナイフで削った。そのナイフはガラクタ置き場で手に入れた、先輩の置き土産だ。シャープペンが懐かしい。
「ゴブリンには、強さに応じた役職があります。役職持ちは普通のゴブリンよりも体格や知能に優れており、古代語や人語を解する者すらいます。一般的に上位種と呼ばれていますが、あくまで特異個体であり、種として進化したものではありません」
パーザは黒板に書き出した。口頭だけでは伝え漏らす可能性を感じたからだ。
シャーマン……魔術が扱える。集落の長になる場合も多い。
ヘッド……集落の長。魔術は使えないが、体格がよく戦闘力が高い。
ロード……集落を複数束ねている。戦闘力に優れ、魔術も使える。知能も人間に近い。
ハイ・ロード……種族の王。
「ハイ・ロードは、現在、クラシアスという名のゴブリンにのみ与えられている役職です。20年前、彼は同胞を統率し、わたしたち人間の国に戦いを挑んできました。そのとき西の砦町サイセイが陥落寸前まで追い込まれましたが、どうにか挽回し、踏みとどまりました。以後は一年から二年に一度襲撃してきますが、どうにか撃退している状態です。ついこの前も侵攻がありましたが、無事にきり抜けたようです」
「ゴブリンて臆病で利己的なんじゃねーの? 戦争なんてできんのかよ」
「クラシアスがハイ・ロードと呼ばれる所以です。数千におよぶゴブリンをよくも統率できるものです」
「数千て……。ホントに王様じゃない」
「クラシアスの伝説は20年前から始まっていますが、ゴブリンの平均寿命は17年です。すでに老域に入っているにも関わらず、衰えを感じさせないのも不気味です」
「それこそ特異個体ってヤツじゃないんですか?」
「そうなのですが……」パーザは歯切れ悪くつぶやき、受講者の視線に気付いて顔を上げた。
「脱線しましたね。クラシアスではなく、ナンタン周辺のゴブリンの話に戻りましょう。生息地は南西部の森の、そう深くない場所です。もっとも、集落のひとつがそこにあるだけで、繁殖力を考えると奥地には他の集落があると推測されます。南西の森は比較的食物となる植物が多く、川もありますので、食料にはそれほど困ってはいないようです。ですが、時折、北の畑にゴブリンが現れ作物を荒らしています。残念ながら畑の広大さと夜間のためにどうしても不利となり、退治には至っていません」
「ただの畑泥棒ってことか?」
「つまんねー」とマルは耳をほじった。
「畑の被害はそれで済んでいますが、山で伐採作業や狩猟をしている方には怪我人も出ています。ゴブリンにしてみれば森は領土なのでしょう。護衛の召喚労働者が同行しても、遠くから矢を射ってすぐに逃げ出すので、こちらも退治は難しいようです」
「セコいヤツらだ」
マルはそう言うが、ショウやリーバは意外と賢いと感じた。安全圏から待ち伏せの一撃は、どんな勇者でも完璧に防げはしないだろう。そのような攻撃に対処する魔法でもあれば話は違うだろうが、そもそもあるのかもショウたちは知らない。
「この山林作業には、あなたたちレベル2のワーカーも参加可能です。このような話を聞かされて不安かも知れませんが、対策は常に講じていきますので、人手が足りないおりにはよろしくお願いします」
「オレは行ってもいいけどな。町ばっかで飽きた」
ショウは心情的にはマルに賛成だが、彼ほど楽観的にもなれない。
「もし、襲撃されたらどうすればいいですか?」
「近くに必ず護衛の方がいます。大声を上げて助けを呼んでください。周囲に仲間がいるときは密集して警戒をし、常に声を張り上げてください。威嚇になります。逆に、もっともやってはならないのがバラバラに逃げることです。単独とわかれば、ゴブリンは群れで襲ってきます」
「……けっこう度胸いりますね」
少年は唾を飲み込んだ。
「ゴブリンは人間に比べれば力も弱く、頭もよくはありません。単独なら、あなたたちでも棒を振り回せば斃せるかも知れません。ですが、彼らは常に群れで行動します。いかな勇者といえど、一人では多方向からの同時攻撃を防ぐのは難しいものです。ゴブリンはそうした集団の強さを知っています。ですからこちらも集団を心がければ、ゴブリンは警戒して逃げていくでしょう。まずは生き延びてください」
「わかりました」
集団を心がけ、まずは生き延びる。ショウはノートに書き込んだ。
「……けど、そこまで思考が働くゴブリンなら、話し合いで解決ってできないんですか? 領土の境界線を引くとか」
ショウが持っているゴブリンのイメージは、とにかくバカで攻撃的で、ザコ・モンスターの筆頭にいるような存在だった。こうして話を聞いてみると、モンスターではなく亜人種であるとの認識もできてくる。エルフやドワーフほどではないにしても、話し合いくらいはできるのではないだろうか。
パーザ・ルーチンは首を振った。
「20年前までは集落単位での不可侵条約が結ばれていました。現在、わたしたちが作業している森の部分も、そのとき人間側の領土として認められていました」
「それがなんで?」ショウは訊いたが、言っている途中で気付いた。
「ゴブリンの王が現れたから?」
アカリが代わりに答えた。
今度はパーザもうなずいた。
「そうです。彼らに絶対王が君臨したからです。それ以来、ゴブリンは人間を下に見るようになり、いかなる提案も無視するようになりました」
「そんじゃ、そいつを斃せばいいじゃん」
「バカねぇ」
アカリはとなりの黒髪少年に呆れた。
「ンだとぉ?」
「斃したらどうなるかわかんないの? 彼らの王よ? そんなことしたら、人間に対する復讐心がわくでしょうが」
「もしくは離脱し、好き勝手に暴れる者も出るだろうね。そうなっては収拾がつかなくなる」
アカリとリーバの発言をパーザは肯定した。
「解決策は未だ見つからず、争いは続いています。その影響がここまで及んでいるのです。西の砦に比べれば些細なのでしょうが」
「被害に大小があるかよ。被害者はその場で苦しんでるんだろうが」
「マルがまたまともなことを言った」
冷やかすショウに、マルは硬い表情のまま宣言した。
「チャカしてんじゃねーよ。いいか、オレたちはそういう被害者のためにここへ来たんだぜ。他の誰もできねーんならオレがやる。それが勇者ってモンだ」
「「お、おー……」」
おそらく初めて、全員がマルを本気で尊敬した。
「で、具体案はあるのか?」
「あるわけねーだろ。レベル2だぞ、レベル2! レベルが100になるころには何か浮かぶだろうから、それまでは地道にやるんだよ」
「……間違っちゃいないが、なぁ?」
ショウがアカリに振った。
「ま、こいつはそんなモンでしょ? 期待するだけ無駄」
「んだとぉ?」
「はい、そこまで。志は立派ですが、その調子ではとてもレベル100までは辿りつけませんよ」
「フンッ」
マルはふてくされて鼻を鳴らした。
「では、ゴブリンの話はこのへんにして、次へ進みます。こちらの映像を観てください」
パーザは新たな敵性亜人種の画像を指した。外見はゴブリンよりも人間に近いが、耳は尖っており、鼻が異様に大きく上向きについている。下の犬歯が長く、鋭い。
「オークです。身長は人間よりやや小さいくらいです。見ての通り体格がよく、敏捷性は高くありませんが、筋力は人間を上回ります。環境により体毛の色が異なり、森に住むオークは灰、洞窟オークは茶、海岸に住む海オークは青です」
「オークって豚鼻じゃねーの?」
マルがツッコむ。
「その認識も異世界人特有ですね。たしかに鼻が大きく、上向きなので見方によっては豚に似ているかもしれませんが、元は呪いを受けたエルフの末裔という説があります」
「へぇ~」
感心する受講者に構わず、パーザは淡々と解説を続けた。
「ナンタン周辺ですと、ゴブリンの集落のさらに山奥に住んでいるのがわかっています。好んで人間の町や村に近づいては来ませんが、友好とは間逆なので領地に入るものは容赦しません。生け捕りにするとか、対価を求めることもなく、まず殺します。もちろん、異世界人の多くが想像するような、いかがわしいこともありません」
パーザ・ルーチンがアカリを見た。視線が合い、アカリは「そんなこと言ってないでしょ!」と真っ赤になって反論するが、彼女はただ「近寄らないのが一番の防衛策です」とすまして言った。
「万が一、遭遇しちゃったら……?」
アキトシが震えながら質問した。
「さきほどもお話したように、素早くはないので全力で逃げましょう。領地から離れれば深追いはしてきません。ただ、臭いには敏感なので、こちらが気付くより早くオークが察知する可能性があります。その場合は不意打ちを喰らうかもしれませんね」
「しれませんて……」
「外の世界はそういうものです。人間の手が及ばないところのほうが、圧倒的に多いのです。気をつけるしかありません」
研修室が静まり返った。
「といっても、オークにも弱点はあります。その敏感な臭覚に反して、視力はとても弱いのです。ゴブリンのように夜目も利きません。ですから、強い臭いを振りまくことで逃走が有利になります。また、香辛料などは鼻の粘膜を痛めるので、一時的に行動不能状態にできます」
「わかりやすい弱点だな……」
ショウはメモを取った。
「オークと戦うには、戦士としてまずまずの技量がなければ太刀打ちできません。ゴブリンは集団が恐ろしいですが、オークは単独でも強敵です。たとえ単独でもむやみに戦おうとは思わないでください」
パーザの結びに、ショウたちはうなずいた。
「そういえば、オークも魔法を使うんですか?」
「ごく稀にいるそうですが、基本的には棍棒などの近接武器での戦いを好みます。知能はけして低くはありませんが、力こそすべてみたいな原始的思考が生きているようです。オークの軍勢には、弓兵や長槍兵すらいません」
「徹底しててそれはそれでカッコイイな」
マルは興奮していた。単純明快が彼のモットーでもある。
「では、次は亜人種ではありますが、分類上では巨人族に属する敵性種です。人喰い鬼と呼ばれるオーガです」
水晶球が赤い肌の巨人を映す。額の角が特徴的だった。ショウたちの想像していた三角錐の小さな突起ではなく、薄く幅広のヤギの物のような形をしていた。
「身長はA級。巨人族の中では最小ですが、凶暴さに関しては上位に入ります。主に――」
「ちょっと待って。身長のA級ってなんですか?」
ショウがパーザの解説を中断した。彼女は「ああ」と思い至り、補足をする。
「巨人はその大きさによって『等級』が定められています。A級は2.5メートル前後を差し、等級1階位あたり2.5メートルずつ増えていきます」
「B級なら5メートルってことですか?」
「はい。その中間を表すのに、『級』にプラスやマイナスをつけることもあります。A+なら3メートル、A++なら3.5メートルです。ちなみに、この等級での呼び方は、あなたがた異世界人の方が使い始めたらしいです。それぞれの等級に名前があるらしいのですが、わたしにはよくわかりません」
「なんだろう、すごくオタク臭い名称が頭をよぎる……。特にG級なんておよそ18メートルだから――」
ショウは言いかけて頭を振り、「先を続けてください」とお願いした。
パーザは珍しく「はぁ」とハテナ・マークを浮かべたが、気にせずテキストに戻った。
「えー、主に動物の肉を好み、空腹であれば人を襲って食べることもあります。住処は洞窟などの涼しく暗いところで、家族単位で暮らしています。単独ではオークやゴブリンの集落で用心棒をしていることもあるようです。知能はゴブリンより低いとされていますが、精霊系の魔術を扱うシャーマン種もいるそうです」
「デカくて強くて凶暴で魔法を使うって、かなりヤバイ相手じゃん」
「そうです。熟練の戦士ですら、真正面からは勝てない相手です。特に空腹時は手が付けられないそうですよ」
「空腹じゃないときは?」
「比較的おとなしいそうですが、あまり信憑性のあるデータとはいえませんね」
「でも、用心棒とかやるくらいだから、少しは自制がきくんじゃない?」
アカリが自分のひらめきに勝ち誇った顔をする。
「オーガにしたら、まわりにたくさん餌があるようなものなんじゃないかなぁ」
ショウが想像を口にすると、「う、ありえるかも……」とアカリの表情が苦々しくなった。
「そんな鬼畜で大喰らいのオーガに出会ったら、何も考えず逃げましょう。つかまったら死にます」
「対応策は……?」
「ありません。逃げましょう」
パーザの回答はシンプルだった。
「わかりました……」
ショウたちは深く心に刻んだ。
「では、次は――」
彼らが学ぶべき知識はまだまだ山積していた。昼食を挟んだ後も講習は続く。
夕方になってようやく解放されたとき、五人は同時に窓際に立ち、新鮮な空気をたっぷりと吸った。
就労レベル2を証明する青いステータス・サークルを見せあい、パラメータのわずかな上昇に盛り上がる。
「ところで、この町の偉いヤツって、名前なんていったっけ?」
「あー……。忘れた」
「だよな!?」
ショウとマルはたがいを見て、そして笑った。