54 伝説の終わり
ギザギ十九紀14年12月26日14時、第三次『緋翼』討伐作戦が開始された。
作戦は今まで以上にシンプルである。『緋翼』の近くにすら寄らず、一方的に攻撃をするだけだからだ。
ハルカが作った『時空間通信魔具』を40倍に拡大した魔具を作成し、その『門』能力を活かして核弾頭並みの威力を持つ高速の槍をぶつけるのである。大きさが大きさだけに大量の魔力が必要となるため、新型魔具を搭載した『異界神の槍』装置はバルサミコスが発見した遺跡に設置された。魔力補給路としてこれ以上の場所はなかった。
遺跡内部も改造し、吹き抜け工事で天井まで60メートルをぶち抜いた。さらには槍の射出場所から『門』の設置場所までは真空になるよう、精霊操作がされている。これにより空気抵抗や断熱圧縮からも解放され、槍の速度はさらに高速・安定化する。
弾体となる槍も、突貫で12本用意した。真空レールを作ったことで、耐熱用に使われていたオリハルコンが必要なくなったのが大量生産につながった。ここまで装置を完璧に作ってしまうと弾体は硬くて重ければ何でもよく、石ころですら弾になる。
より正確な射撃を考慮して、現地からの目視も行われている。およそ100キロほど離れた地点で、セリとエクレアが量産型小型J2Mを通して位置情報を送っていた。
装置側の大型J2Mの出口座標を固定、槍の発射と同時に『門』が開く。発射のもたつきを考慮しても2秒かからず『緋翼』に着弾する。『門』は槍が通過すると同時に自動で閉じるようになっているので、衝撃が遺跡にバックすることはない。
作戦は整然と行われた。
初弾が『緋翼』に命中した。斜め下方から心臓のあるであろうあたりを狙って穿つ。
『緋翼』は何が起きたのか理解する間もなく、胸の前半分が吹き飛んでいた。骨や肉はなく、赤い光の粒が拡散した。形状から『魔力粒子』とアリアドは即興で命名した。
『緋翼』はその魔力粒子の塊であり、超高密度での結合が超装甲を生み出していたようだ。
はがれた外装の中に直径30メートルほどの金色の球体が見えた。
「もしかして、あれが核!?」
エクレアが球体を映すようにJ2Mを突き出した。遺跡にいるカインたちにもそれが見えた。
「おそらくそうだろう。次弾、発射!」
カインの命令にロックは射出器のトリガーを引く。槍が床めがけて走る。
準備していた【速度倍加】魔術陣を通過し、槍は加速を重ねる。目で追うことも不可能になったときには『緋翼』に衝突していた。
狙いが逸れ、球体を掠める。だが威力が消えたわけではない。胴体が千切れ、巨竜は上半身と下半身に分断された。球体から離れた下半身が結合を維持できないのか、霧散していく。
「位置修正、照準J2M同調! 撃て!」
現地でエクレアが小型J2Mを操作する。その映し出す座標と発射側の魔具は同調しており、着弾点を明確にしていた。
「命中!」
三発目が核を直撃した。まるでガラス玉のように砕け、魔力を放出する。
「残った上半身もついでに消滅させるよ!」
「装填、撃て!」
エクレアの狙いに合わせ、最後の『異界神の槍』が発射された。
『緋翼』は断末魔の声さえ上げず、霧散していった。
「やっぱりあれ、生物じゃなかったんだ……」
バルサミコスが消えていく伝説の赤き竜を見つめて言った。
「そのようだな。肉どころか骨もなかった。ただ純粋な魔力の集合体だったか」
カインは大きく息を吐いた。
「終わったのか? こんなあっさり」
ロックは未だに信じられなかった。
「見事に消滅しましたよ。文字どおり、影も形もありません」
フリーマンがクラッカーを鳴らす。
アキラとツルギがハイタッチし、ノリアキも微笑を浮かべた。
「ショウに教えなきゃ!」
ハルカが自前のJ2Mと取り出したところで、レナが呼びかけた。
「まだ安心はできません。しばらく様子を見ましょう」
緑髪の少女は車椅子に座ったまま、エクレアが中継する映像を見つめていた。
「そうだな、まだ安心するには早いか。相手は神の使いだ。もう一幕くらいあってもおかしくはない」
カインも首肯し、腕組みをして同じ映像を眺めた。
「『緋翼』のまわりの翼竜もいなくなったねぇ」
「大半は衝撃に巻き込まれて死んだだろうな。運よく逃げたのもいただろうが」
バルサミコスにカインは眼すら向けなかった。
「あとで現地調査も必要だな。どれほど周囲にダメージを与えたか、今後のためにもまとめておくべきだろう」
「今後よりも今の惨状です。あれだけの衝撃が何度も襲ったのです。被害は皆無とは言えないでしょう」
ノリアキの提案に、レナはかぶりを振り胸を押さえた。
「一時間して動きがなければわたしも現地へ行く。ノリアキとレナも頼む。残りは待機だ」
カインが少女の肩を優しく叩いた。
全員のうなずきを答えとして受け、カインはまた、『緋翼』だった魔力粒子が風に流されていくのを見守った。
翌27日18時、総司令官アリアド・ネア・ドネは『緋翼』討伐完了を宣言した。ただしこれはサイセイ砦内のみであり、王都への報告は留めている。敵の強大さから鑑みて、安易に決めつけるわけにはいかなかったからだ。砦内では連日の疲労や精神的重圧に変調をきたす者も出ており、心だけでも休まるように配慮した結果である。
ハルカは与えられた仕事を片付け遺跡内の自室にこもり、日本にいる日比野小吉に連絡をとった。日本では28日の午前8時過ぎだ。もしかするとすでにアルバイトに出ているかも知れないが、一刻も早く報告がしたかった。
彼はまだ自宅におり、出かける準備をしてスマホをいじっていた。
『緋翼』討伐を聴き、小吉は少年らしいガッツポーズを見せた。「よくやった!」と用意しておいたチョコレートをハルカに差し入れた。
「ショウの案、ばっちりだったよ。安全に確実に『緋翼』を吹き飛ばした」
「そっか。役に立ててよかった。これでアリアドが召喚庁に復帰したら、オレも戻れるな」
「うん。まぁ、マルマも年末年始だから、早くても年明けかな」
「予定どおりだ。お年玉をもらって散財してからそっちに行くよ」
「うらやましい……」
ハルカは本気で悔しがる。お年玉なんて何年もらっていないだろう。
「お土産にオヤツをいっぱい買っていくからな」
小吉が笑うと、ハルカはさらに不機嫌になった。
「……食べ物を与えておけば喜ぶとか思ってるでしょ?」
「うん」
「わたしだって女の子だよ!?」
ハルカは反射的にツッコんでいた。
「わかってるけど?」と言いかけて、シーナやアカリを思い出した。彼女たちにもそれぞれアクセサリーなどをプレゼントして喜ばれていた。遥だけが例外ではないだろうと気付く。そして、「あ」と声が漏れた。
「そういや、オレの荷物ってどうなってる? アリアドの送還を受けたとき、こっちになかったんだけど」
「わたしに訊かれても。確認しておくね。……あ、でも、シーナたちの荷物は遺跡に残ってるよ。身につけてた服とかは知らないけど」
「ならオレのもミコさんが預かってくれてるかも。あったらちょっと頼まれてくれないか? こっちに送ってほしい物があるんだ」
「なに?」
「マルからもらった指輪。アイリに渡す機会はもうないだろうから」
「あー、わかった。ついでにシーナたちの指輪も探しておこうか? もしかしたらそっちで奇跡的に出会うかもよ」
「ないだろ」と小吉は応えたが、それをもっとも望んでいるのが彼だった。
「一応ってことで。ダメだったら持ち帰ってくればいいだけだし」
「そうだな」
「それじゃ、まだ後始末が残ってるからまたね。指輪は集まったら机の上にでも置いておくよ」
「よろしく。オレもそろそろ出ないとな」
「今日はゆっくりだね」
「10時からだから。ビジネスホテルに家電の搬入だってさ。チェックアウト後の作業だから遅いらしい」
「そうなんだ。がんばってね」
「おまえもお疲れ様。ゆっくり休めよ」
二人は手を振りあって別れた。
小吉が仕事を終え家に帰ると、机の上に5つの指輪があった。一つずつ札がついており、ショウ、アイリ、シーナ、アカリ、マルの名前が書いてあった。
そのあとすぐにアイリこと川見幸からの電話を受け、大晦日に同人誌即売会へ行く約束をする。
小吉は充実した眠りについた。
『緋翼』討伐の報を受け、サイセイ砦の異世界人管理局専属召喚労働者たちは歓声を上げ、喜び合った。一時の盛り上がりを見せた後は、戦勝パーティーの準備ではなく睡眠を選択した。『緋翼』の件を聴かされて以来、ゆっくりと寝られた者は一人としていなかった。気が抜けた彼らは部屋へ戻るとベッドに倒れ、一日が過ぎても起きてくる者はほとんどいなかった。
「大したものだな」
ランボ・マクレーは旧知のペテン師と再会し、彼らの偉業を褒めた。砦の巡回中に発見した怪しい男を捕らえてみれば、フリーマンであった。彼がここにいたのは、アリアドと遺跡にいる十天騎士を結ぶパイプ役としてである。マクレーは彼を見た瞬間、『緋翼』討伐の裏事情が読めた気がした。
「そうですね。わたしもこの結末は予想できませんでしたよ」
「今回はおまえのペテンではないのか?」
タキシードの男にマクレーは問うが、彼は大げさに肩をすくめた。
「今回はただの傍観者ですよ。仲間が集まればわたしなど道化にしかなりません」
「おまえはいつも道化じゃないか」
マクレーの冗談にフリーマンも笑う。
「……結局オレは『緋翼』というものを見る機会もなかったが、オレたちのような凡庸な兵隊に斃せた相手なのか?」
「無理でしょうね。何万の兵士が挑もうが戦いにすらなりません」
「それをこの手勢で斃した。どういうことだ?」
「禁じ手を使ったんですよ。技術的にはこの世界の法則を利用しましたが、理論は我々の世界の発想です」
「おまえはそれを嫌っていたのではないのか?」
「仕方がなかった、としか言いようがありません。ですが、この手はこれっきりです。もう二度と使いません。『緋翼』級の敵が現れないかぎりは、ですが」
「その覚悟が報われればいいがな」
マクレーはフリーマンの言葉を信じたいとは思うが、世がそれを許すかはわからない。一度手に入れた強大な力をみすみす放棄するなどありえるだろうか。フリーマンたちはともかく、それを知る第三者がいれば状況は変わっていくものである。
「ええ、まったく」
フリーマンは真顔でうなずいた。
マクレーは意外そうな顔をし、それと気付いたフリーマンはわざとらしい笑みを作った。
「では、種明かしもこれまでです。どうぞ内密に」
大仰に一礼するペテン師に、マクレーは鼻を鳴らして「とっとといけ」と手で払った。
二人がたがいに背中を向けたとき、鐘が鳴り響いた。緊急を伝えるものだった。
「何が起きた!?」
「わかりません。まずは情報収集です。ジョンは陣屋に戻り、兵士たちの準備を」
「ああ、そうしよう」
二人は今度こそ道を分かった。28日17時のことである。
フリーマンは【瞬間移動】でアリアドの前に現れた。彼女はシルクのパジャマ姿のまま、『遠見の鏡』を凝視していた。彼女もつい先ほどまで寝ており、その気配を感じて飛び起きたのである。そして窓の外にあった鐘を魔法で叩いて鳴らしたのだった。
「どうなさいました、我が女王」
「ふざけている場合じゃないわよ。砦のマルマ人兵士を外へ逃がして」
「どういうことですか?」
「決まってるじゃない、『緋翼』が来るの」
「……!」
「簡単に終わるとは思っていなかったけど、この勘は外れてほしかったわ」
アリアドは悔しそうに言葉を吐き出した。
『遠見の鏡』に、トゲト山脈上空を漂う赤い竜の姿があった。体はずいぶんと縮んでいるように見える。
「多少なりともダメージはあったってことね。体を修復するのにずいぶん魔力を使ったみたいよ。それでも500メートルはあるかしら」
「それならば『異界神の槍』で斃せるのではないですか?」
「そうしたいのだけど、見て」
アリアドは映像を拡大した。画質が悪いのか、輪郭がはっきりとしない。
そうではなかった。輪郭が存在しないのだ。飛来する『緋翼』は小さな粒の集合体で、今までのような一個体を形成していなかった。遠目に竜の形として見えているだけである。それがダメージによるものなのか、進化によるものかはアリアドにもわからない。
「砂粒に槍を刺しても意味はないわ。撒き散らかしておしまいよ」
「核はないのでしょうか?」
「今のところ発見できないわね。その核すらが砂粒以下の大きさであったら判別なんて不可能よ」
「ともかく遺跡にいる十天騎士を招集しましょう」
「もうやったわ。あなたは兵士たちを逃がしてちょうだい。こんな砦、1分ともたないわよ」
「セルベントはいかがします?」
「攻撃目標がマルマ人であれば問題ないわ。兵舎でおとなしくさせておきなさい」
フリーマンは了解し、再度【瞬間移動】を唱えた。
「あんな不死の存在、どうやって斃せって言うのよ……!」
アリアドはなんの策も思いつかない無能な自分を呪った。それでも彼女は最後まで立っていなければならない。彼女があきらめたとき、すべてが終わってしまうからである。
20分もせず、アリアドの執務室には十天騎士と雨宮親子、秘書官のミリム、セルベント代表のカッセがそろった。
「状況はいま説明したとおり。今回の『緋翼』には『槍』も使えないわ」
「かわりにヤツも絶対防壁を持ってはいないだろう。魔法で焼き尽くしてしまうのはどうだ?」
カインが案を出した。
「あの大きさを焼き尽くすほどの魔力を持っているの?」
「……」
アリアドも余裕がないので言葉に遠慮がない。
「『槍』が使えないと言うのは早計だ。たしかにあれ自体には爆発力はない。だが、衝突させればエネルギー同士の爆発は起きる」
ノリアキが自信をみなぎらせて発言した。
「具体的に」
「槍を遠方から『緋翼』に向け飛ばす。間髪入れずにもう一本、対極方向から飛ばす。時間を計算すれば二つの槍が衝突するタイミングがわかるので『緋翼』を中心に爆発が起こせる」
「少しでもタイミングがずれたら?」
「目標地点から外れる。だが、多少のズレなら破壊力の前には問題にならない」
「では、やってみてちょうだい」
アリアドは藁にもすがる気持ちで十天騎士を動かした。11人が部屋から一瞬で消えていく。
「ミリム、わたしはあなたたちの『物理』という学問を理解していないのだけど、実際、成功するものなの?」
「……正確なデータと関数電卓でもあればノリアキさんなら計算できると思います」
緑瞳の少女は言葉を選んで答えた。
「そんなのあるの?」
「電卓はJ2Mで日本のどこからかで手に入ります。でも、データとなると不確定要素がありますね」
「『緋翼』ね」
「はい。あれが同じ策でおとなしくやられてくれるでしょうか? 個体を持たずにいるのが気になります」
ミリムの考えにアリアドも全面的に賛同だった。
「こりゃ、いちおうあの子の意見も聴いておこうかしら」
「ショウさんですか?」
ミリムの顔が輝く。アリアドはさらに渋い顔をした。
「あの子は絶対、世界を救うような勇者にはならないと思ったんだけどなぁ……」
アリアドはブツブツ言いながら、コピー版時空間通信魔具を起動させる。魔女の言いように、ミリムとカッセはたがいを見て肩をすくめた。
「コラ―、起きろー!」
小吉は耳元で怒鳴られ、わけもわからず飛び起きた。枕元にJ2Mの黒い渦を発見し、不機嫌になる。
「ルカ、いきなり耳元で怒鳴るな!」
「残念、ハルカじゃないわ。わたしよ」
「アリアド……? なんのイヤガラセだ!」
手近に投げられる物があれば投げつけているところだった。日本は朝の6時。まだ寝ていられる時間だった。
「『緋翼』が生きていたの」
「……!」
「あなたならどうする?」
「槍をぶつける」
「それがダメなときは?」
「ダメ? どういう状況で? あれ以上の兵器はないだろ」
少しずつ頭が覚醒していく。アリアドが直々に小吉を呼び出すくらい切羽つまっている事実を噛みしめる。
「それは――」
アリアドが答えようとしたところ、西の山から爆発音と振動が伝わってきた。
「……どうやら失敗したようね」
『槍』どうしの衝突爆発ではなかった。『遠見の鏡』で確認したが『緋翼』には傷一つない。おそらくは槍の軌道を逸らし、片方を山に墜としたのだろう。この作戦は二度と使えまい。
「『緋翼』は学習している。それと同時に進化しているの。もう槍は使えない。防ぐ方法を学んでしまったから。さて、あなたならどうする?」
アリアドは薄く笑みを浮かべた。
小吉は眉根を寄せて魔女を睨んだ。
「……なんか最近わかってきた。おまえがそうやってポーズをとるときって、実は何も考えてないよな」
「えっ?」
アリアドはギクッとした。
「余裕ぶって見せてるだけで、本当は余裕なんかないんだ。だから人の答えを待ってる。それにヒントを得たり便乗したりして体裁を保とうとしてるんだ」
「そ、そそそそんなことないわよぅっ」
「思いっきり引きつってるじゃないかっ」
小吉のツッコミにアリアドは縮こまった。
「……だって、しょうがないじゃん。こんなの初めてなんだもん」
「子供かっ。だからみんなで考えるんだろ? まずは情報!」
「情報いわれてもねぇ、見たとおりよ。砂よりも小さな粒相手にどうやって戦えばいいわけ? しかも槍を墜としたように任意に固体化して動いたりできるみたいよ。魔法で消滅させるにしても、あの大きさと同等以上の魔力が必要になるわ」
「……」
そう言われると小吉も答えが出ない。
「あ!」
ミリムが声を上げた。全員が彼女の視線を追うと、窓の外に赤い霧が見えた。『緋翼』を構成する魔力粒子雲が肉眼でも見える距離に近づいていた。
「ミリム、兵士の避難状況を確認して! 雨宮様もここはいったん避難を。実体のない相手とは戦えませんから」
不本意だが、雨宮武志郎は息子ともどもアリアドの指示に従った。ミリムが状況確認に走りつつ、二人を退避させる。
「アリアド、一つだけ気になっているんだが」
カッセが近づいてくる『緋翼』を眺めながら訊いた。ここまで来ると恐怖は感じなかった。開き直って余裕すら生まれる。
「なに?」
「一旦はあいつを撃退したわけだろ? そして復活してこっちを目指してる。それも、槍の攻撃を排除して」
「だから!?」
アリアドはイラっとした。連想ゲームをしている場合ではない。
「『緋翼』の攻撃対象はマルマ人だと思うか?」
「……!」
「今まで無抵抗でやられ放題だったヤツが防御を覚えた。なぜだ? 敵の攻撃と認識したからじゃないのか? それに一度は『緋翼』を斃している。それはあいつにとってマルマ人よりもヤバイ存在じゃないのか?」
「つまりあいつは――」
「オレたち異世界人を排除目標にしている」
「「!!!」」
アリアドもショウも絶句した。その可能性は高い。いや、正解ではないだろうか。
「もしそうなら避難するのはあなたたちよ! カッセ、行きなさい! 全員を早く砦から逃がすの!」
「いや、もう間に合わないだろ。走っても追いつかれる。馬では全員を救えない」
「だからってこのままじゃ死にますよ!?」
小吉の訴えに、カッセは肩をすくめた。
「なら斃すしかないな。おまえの出番だ。銀特等勲章の実力、見せてくれよ」
「こんなときにふざけないでください!」
「ふざけちゃいないんだけどな。ルカやミリム同様、オレもおまえを買ってるんだぜ」
「そんなこと言われたって――そうだアリアド、強制送還だ! 早くここにいる異世界人を強制送還するんだ!」
「すぐには無理よ! 何人いると思ってるのよ!」
「怒る前にさっさとやれ! 時間が――!」
『緋翼』は目標を捉えたのか速度を上げて山脈を越え、すでに砦の目と鼻の先にいた。赤い竜の姿をしているが、やはり実体ではなく薄い雲のような魔力粒子の集まりであった。
兵舎で待機していた異世界人たちは間近で巨大な竜を見た。それは具現化した恐怖である。こんなものに立ち向かおうなど正気の沙汰ではない。勝てる見込みは初めからなかったのだ。
勇敢であったレックスやイソギンチャク、コーヘイやダイゴも背筋が凍った。剣も魔法も役には立たない。勇気や希望も無意味であった。『緋翼』の前には、異世界人など小さな害虫に過ぎなかった。
『緋翼』は口を開けた。
その瞬間、兵舎が大爆発を起こし、炎上した。中にいた異世界人たちは驚く暇もなく死んでいった。
しかし、それをやったのは『緋翼』ではない。
「ごめんなさい……。本当にごめんなさい……!」
アリアドは涙をこらえて謝罪した。
「アリアド、どういうつもりだ!」
訴えるカッセに、魔女は強制送還を発動する。かろうじて生き残った数名のセルベントたちにも同様に術をかけた。
「……『緋翼』に喰われたら魂まで死ぬわ。魔力に還元され吸収されるというのはそういうこと。本当に消滅してしまう。だから疑似体だけ滅ぼして魂は還すの。ただ死ぬだけなら元の世界へ帰れるから」
「そういうことかよ。日本に帰る早道は、死ぬことだったんだな」
カッセは納得して送還魔法を受け入れた。
小吉もようやくわかった。『死ぬとアリアドに会う』というのは、死を経由して送還されるということだったのだ。
本来であれば、送還の途中で選択があるのだが、今回は暇もなければ人数も多い。アリアドは申し訳ないと思いつつ、強制的にそれぞれの『はじまりの日』に送り返した。
「ショウ、あとは任せた。オレたちはここまでだ。だからおまえがやるんだ。頼むぞ」
「カッセさん……!」
光の柱に飲まれて消えていくカッセは、最後は笑っていた気がした。
「悲しんでる場合じゃないわよ? まだ十天騎士が残ってる。彼らの半数以上は強制送還装置を持たない。普通に消滅するわ。もうここにはあなたしかいない。さぁ、どうする?」
アリアドは涙を浮かべ、歯を食いしばって小吉に訴えた。
小吉は考える。実体のない相手を消滅させる方法を。それも、魔力の消費はなるべく抑えなければ斃し切れないのだ。
「……魔力の消費。なんだろ、消費、消費……」
小吉はハッとした。
「アリアド、『緋翼』って魔力の塊なんだよな?」
「ええ、そうよ。世界の意志を持った魔法生物よ」
「そして今は、ガスだか霧だか砂状になっている。でも、それでもあれは魔力なんだよな!?」
「ええ。だから斃せないのよ。人間の魔力程度では歯が立たない。魔力と魔力がぶつかれば、大きいほうが勝つのは条理よ」
「それだ!」
小吉は指を鳴らす。いい音は出なかった。
「敵が魔力の塊なら、魔力を全部使い切らせればいいっ」
「魔法でも連発させるの? それって攻撃されるってことじゃない」
「違う。世界にはただその場にいるだけで魔力が急激に失われる場所があるんだよ。そこに連れ込むんだ」
「そんな都合のいい場所があるわけないでしょ!?」
アリアドは小吉の言葉を疑った。マルマのどこを探しても、そんな場所があるわけがない。マルマ世界では魔力が基本だ。魔力がなければ生物は死に絶えるだけなのだ。
「それがアリアドの常識の限界なんだよ。その場所は、オレの世界だ!」
「異世界!?」
「そうだ。ルカは歩くのだってしんどそうだった。この世界に魔力がないからだ。『緋翼』が魔力の塊なら、それをすべてオレの世界が吸い取ってやる。この世界なら補給すべき魔力もない。疑似体じゃないから人間のように食べることで魔力を作ることもできない。『緋翼』はただいるだけで死んでしまうんだ!」
「お、おお……!」
アリアドは感動していた。まさかの大逆転の発想だった。小吉のようにどちらの世界も経験し、差を肌で感じた者にしか出せない策だった。
「それが本当なら勝ち目があるな」
十天騎士が帰還した。『異界神の槍』が無効化され、仕方なく彼らは体を張って戦っていた。だが、徒労に終わり、サイセイにいた異世界人まで消失してしまい、意気消沈して戻ったところだった。
ハルカが小吉の映った黒い渦に近づいた。
「さすがショウ。伊達に弱ったわたしを見てニタニタしてたわけじゃないね!」
「変態みたいに言うな!」
「ツッコミのキレは今はいいから、具体的にはどうするの? まさか【瞬間移動】で連れていくわけにもいかないよ」
バルサミコスが笑いをこらえながらうながした。
「ルカの時空間通信魔具、使えないかな。その渦の中を通せばこっちの世界だろ?」
「こんな小さいのじゃ埒があかないよ。琵琶湖の水を桶で汲みだすようなもの」
「なら、送還しちゃえ」
「「送還?」」
全員の眼が渦の向こうの小吉に集まった。
「アリアドの強制送還を『緋翼』にやるんだよ。そうすればこっちの世界だろ?」
「あれは疑似体が送還装置を持ってるからできるの。『緋翼』にそんなものがついてるわけないでしょ」
アリアドが鼻を鳴らす。そんなこともわからないのか、と言わんばかりである。
「そんなこともわかんないの? バカねー」
言ってしまうのがアリアドである。
「すっげぇムカつく……」
小吉は拳を震わせた。
「……いや、『槍』で使った大型J2Mが遺跡にある。あれなら多少はマシだろう」
カインの案に数人がうなずく。だが、それでも充分な大きさとは言えない。そもそも持ち運ぶのを想定した造りではない。
「そうだ、遺跡……」ハルカがつぶやく。
「この人数ならできるかも。みんな、ちょっと聴いて」
ハルカの呼びかけに注目が集まる。
「『召喚門』を開こう。あの遺跡の地下にあったあれで『緋翼』を囲むの。原理はJ2Mと同じ。というか、J2Mはあの遺跡のシステムを縮小改良したものなの。だからみんながいれば、もっと大きな物が作れる」
「具体的にはどうするというのだ?」
カインは首をかしげた。
「『緋翼』を六方向から囲むの。天面、床面、左右と正面。これを各一人が担当する。それぞれの壁は座標を指定するダイヤルになっていて、下が相対時間軸、左右と正面がXYZ座標、天面が時空軸なの。背面に『門』を開く制御術者がいるから、全部で六人ね」
「そのダイヤル役をわたしたちにやれというわけか」
「うん。これなら囲んだ中心物を『門』を通して送れる。大きさも制御術者しだいよ」
「理屈はわかるが、そんなうまくいくのか?」
「大丈夫。付き合いは短いけど、みんなの能力はちゃんと把握できてる。あとは全員の魔力を統一させるだけ。これがズレちゃうとうまくいかない」
「信頼してくれているのだな。なら、それに応えてみせよう。メンバーはおまえが選べ」
カインはハルカに微笑をむけた。
「ありがとうございます。では、カインさん、レナさん、ノリアキさん、ミコさん、フリーマンさん、よろしくお願いします。制御はわたしがやります」
「うむ」「はい」「わかった」「あいよっ」「光栄です」五人はそれぞれの言葉を、自信と笑みを混ぜてハルカに返した。
「残りの方は、術発動まで『緋翼』の対処をお願いします。桶にしかなりませんが、J2Mを使ってください。これでも『緋翼』をむこうの世界に追いやれます。もし物理的に大きな攻撃がきたら――言うまでもないですよね」
「おう」ロックがニヤリとし、「楽な仕事だな」アキラは余裕を浮かべ、「まっかせてー」エクレアはウィンクし、「承知」ツルギは小さくうなずき、「わかった」セリは腰の短剣を抜いた。
突然、攻撃目標を失い戸惑っていた『緋翼』は、小さな反応に気付いた。異世界人・11人の反応である。
「むこうもこっちを見つけたようです。では、ぶっつけ本番で行きます! ダイヤル役は仲間と等距離をとり、同調することだけを考えてください。あとはわたしがやります」
ハルカが飛び出すと、残り10人も続いた。
「……心配しないの?」
部屋に残されたのはアリアドと、魔具の渦の向こうにいる小吉だけであった。彼女の問いに少年はニヤリとした。
「ルカがやれるって言ったんだから大丈夫」
「根拠がないわね」
「あるよ。あいつが自分の意志でやりたいと望んで、みんなが協力してくれている。それだけであいつはやり遂げるよ。誰だって期待されたら応えたいって思うだろ? あいつはずっと、それを願って生きてきたんだ。誰かに望まれて、誰かを望んで、何かを目指して、何かを成し遂げたい。あいつはようやくスタートに立てたんだ。だから、こんなところで終わらない」
「それが根拠がないっていうのよ」アリアドはため息をつき、そして微笑した。
「楽しみだわ。この件が終わったら、きっと――」
「……なんだよ?」
「秘密。そういえば、アイリちゃんの3つの質問の最後、わかったかしら?」
「なんでこのタイミングで訊くんだよ?」
「こっちに戻るまでに見つけなさい。そうでないと、時間切れになるからね」
アリアドは口もとを押さえて笑った。
天空では、11人の騎士が戦っていた。それももう、長い時間ではないだろう。
「囲んだ! ハルカ、やれ!」
『緋翼』の心臓付近をカインたち六人が取り囲んだ。それぞれに意識し、仲間と同調を計る。
「『召喚門』オープン! 座標修正完了! いけ!」
ハルカの両手から魔術信号が走る。それは左右のダイヤルを担当するフリーマンとノリアキに流れ、彼らから上下のカインとバルサミコスを通過し、正面のレナに向かう。彼らの背後に魔術陣が浮かび、歯車が回る。ハルカの意志で座標軸が設定され、中心部にあった『緋翼』の心臓部が発生した光に飲まれていく。
『緋翼』は逃れようとするが、光は『緋翼』の魂を根こそぎ狩るように吸い込み続け、赤い魔力粒子雲はほとんどが消えた。
『緋翼』は知らない世界にいた。下には海があり、果てに大地がある。その地には石造りの巨大な塔がいくつも並び、今までとは違う人間の気配が蠢いている。排除対象としていた気配とも多少異なるが、本質は同じと感じる。排除せねばならない。『緋翼』は明確な意思を持って大地を目指す。だが、その動きは著しく重く、鈍い。
『緋翼』は空をいこうとするが速度がまるで出なかった。それどころかどんどんと力が抜けていく。自分を構成する魔力が剥がれ落ちていくような感覚だった。このままでは散り散りとなるだろう。そう理解したが何もできなかった。魔力の補給が必要だが、吸収すべき対象がなかった。大気の中にすらあるはずの魔力はなく、乾き濁った空気が漂うのみである。『緋翼』はやがて薄れ、霧散していった。この世界が何かを理解することもできず、どうして消えるのかも知らず、それは散っていった。
「『緋翼』消滅! 今度こそ勝ったよー!」
ハルカが両腕を天に伸ばした。こぶしを握り、力一杯に。
十天騎士が呼応し、歓喜の声をあげる。
アリアドは窓から乗り出し、『緋翼』の消えた空を仰いだ。
「ご苦労様。さすがね」
「でも、みんないなくなったんだよな」
J2M越しに小吉がボソッと言った。アリアドが振り返る。
「でも彼らがいたからこの結果までこれたの。感謝してるわ」
「そんなの、当人たちに言わなきゃ意味ないだろ」
「そうね……」
アリアドもそれ以上の言葉が出なかった。
「なぁ、みんなは戻ってこれるのか?」
「望めばね。でも、彼らはここでの生活を忘れている。いえ、もともとなかったことなの。だからもし、またわたしの呼びかけに応えてマルマに来たとしても――」
「それはここにいた人たちじゃない。同じ人間でも、違う人だ」
「そうよ。それが寂しいなら、あなたもいっそここでのことを忘れる? 過去には戻れないけど、それくらいならしてあげられるわよ?」
小吉は首を振った。
「オレまで忘れたら彼らのがんばりを誰が伝えるんだよ。それに、ルカとゲンシローはいる。二人だけになったけど、オレには大切な仲間だ。忘れたくないよ」
アリアドは少年に好感をもって微笑んだ。
「いつでも帰りたいときに呼びなさい。あなたのために『門』を開いてあげるわ。それくらいは英雄の特権でしょ」
「誰が英雄だよ。ベッドでスマホいじってゴロゴロしてる英雄なんてカッコ悪すぎてこっちからゴメンだ。英雄ってのは、ルカみたいのを言うんだよ」
小吉は笑い、手の中のスマートフォンを見た。とたん、顔色が変わる。
「あー、バイトいかなきゃ! ヤバイ、急がないと!」
小吉は渦から離れ、急いで着替えをはじめた。
「アリアド! おまえのせいで朝メシ抜きだぞ! 今度なんか奢れよな!」
小吉は上着とカバンを掴み、慌ただしく部屋から出ていった。
「はいはい。くれーぷでもはんばーがーでもお好きにどうぞ」
アリアドは肩をすくめて、天を舞い降りてくる11人の騎士を出迎えた。
ギザギ十九紀14年12月28日19時00分、マルマ世界から『緋翼』の脅威は消えた。




