4 新たな労働者
ショウは泥のように眠っていた。慣れない環境と仕事、眠りに適さない寝床と体勢、それらが彼の疲れを癒す作用を遅らせ、結果として長い睡眠によるしか復調の方法はなかった。
そんなわけで少年はまたも寝過ごした。起きるとまたも誰もいない状態だった。時刻は7時半を回っている。
「やばっ、仕事って朝6時から決めるって――!」
彼は言葉なかばにして固まった。
筋肉痛だった。
「マジか……。きのうの仕事でもうギブアップなのか……」
そうはいっても重く持ちづらい荷物を長距離運び、しゃがみっぱなしでの大量の桶洗いだ。普段使わない筋肉が悲鳴を上げるのも無理はない。まして彼は、野球をやめて以降は体育以外でまともな運動もしていなかった。
「おおお、勇者の道は厳しい……」
などと自分を鼓舞しながらエントランス・ホールへと歩む。今さらながらに柔軟などもしたが、効果はほとんどない。
「だからって休むわけにもいかないしなぁ……」
稼がなければ生きてはいけない。食いつぶすほどの貯金もないのだ。
エントランス・ホールは当然のように閑散としていた。休憩所にあれだけいた召喚労働者たちは、今日を生きるためにそれぞれの仕事に向かっているのだろう。
「でもやっぱりこれ、理想の異世界冒険者生活じゃないよな……。もっと、もっとこうさぁ……」
体の痛みとあいまって、物悲しくなってくる。
「いや、ダメだ。考えたら負けだっ。この一歩が偉大な歴史につながると思えば」
必死に負の感情を振り払う。なんであれくじけている場合ではない。
壁に手をついて歩みを進める。求人掲示板まであと少しだった。
「おはようございます」
ひょこっと横から現れたのは、受付嬢のツァーレ・モッラだった。
「あ、おはようございま……すっ」
挨拶で頭を下げようとして右肩に痛みが走った。
「見たところ、筋肉痛のようですが……」
心配げに覗き込んでくるツァーレに、ショウは「ぜんぜん、ぜんぜん大丈夫っ」と強がってみせてまた痛みに硬直した。
「大丈夫ではなさそうですね。診療室にご案内いたしましょうか?」
「診療室……?」
顔を引きつらせて尋ね返す。
「ご説明させていただきますね。診療室は、管理局登録者が作業中に怪我や病気をされたときにご利用できます。作業中の怪我などは労災扱いとなりますので、保険が適用され、格安で治療行為を受けられます」
「筋肉痛でも?」
「はい、大丈夫ですよ」
「それは助かる」
少年は笑おうとして、今度は背中の痛みに悶えた。
「では、ご案内いたしますね。肩をお貸ししましょうか?」
「いえ、いえいえいえ、大丈夫です! 何とか歩けますからっ」
ショウは顔を赤くして完全拒否する。そんなことをされては筋肉痛どころではなく歩けなくなる自信があった。緊張して、である。
「そうですか?」安心とは真逆の表情で、ツァーレは前を歩きはじめた。
「ちなみに、料金はどれくらいですか?」
受付嬢の束ねた金髪を見つめながら、ショウは訊いた。
質問を受け、彼女が頭だけ振り向きかけたので、彼は慌てて眼をそらせた。
「程度によりますが、その症状でしたら1銀貨はかからないですね」
「それで回復するなら安いなぁ」
「昨夜のうちに予防治療を受けておいででしたら、さらに半額で済んだと思いますよ」
ツァーレがクスッと笑った。
「……知らなきゃいけないこと、いっぱいあるな」
休憩所に続く廊下沿いに、その部屋はあった。部屋のプレートは日本語とカクカ大陸共通語で書かれていたが、少年は今までまったく気付かずに通過していた。
中は簡素なもので、木製ベッドが三つと数脚の椅子、包帯などが収められている棚が一つあるだけだった。医者らしき人もいない。
「そこに腰掛けてください」
ツァーレに促され、油の切れたロボットのようにベッドに座る。
「では、はじめますね」
「え? ツァーレさんがやるの?」
意外な展開に、ショウはきょとんとして訊いた。
「はい。受付もやっていますが、専門はこっちです。わたし、シャイネの神官なんです」
「シャイネ……光の神様だっけ」
昨夜、就寝前に読んでいたハンドブックの内容を思い出す。『宗教』の項目に、ギザギ国民は日曜日に各宗派の礼拝を行うと書いてあった。主流となる六神教の一派が『光の神』である。他の五派はファンタジー恒例ともいえる地・水・火・風・闇だ。
「はい。まだ見習いを終えたばかりで、奉仕活動の一端としてこちらでお手伝いをさせていただいています」
「へぇ」
宗教観の薄い日本の少年には、それ以上の感想が出てこなかった。
ツァーレがショウの背中に手を当てる。ドキッとする彼にかまわず、彼女は小さく祈りを唱えた。
「あ、痛みが消えた」
効果は抜群で、試しに腕を振ってみたがまったく問題なかった。
「体内の治癒力を一時的に活性化して傷などを癒しています。ですから、そのぶん体力が落ちますが、食事や睡眠で補えますので適度な休養をお願いしますね」
「ありがとうございますっ」
思いきり頭を下げたとき、少年の腹が鳴った。体力減少の顕著な例だった。
「元気になってなりよりです」
ツァーレが口元を隠して笑う。
少年は赤面し、「さて、仕事いかなきゃ」と取り繕った。
「それでしたら、先ほど人員にキャンセルが入った市場の品出し作業がありますが……」
「それでいいです。とりあえず何でもやってみないと」
「わかりました。手配しますね」
ツァーレは先にたって診療室を出た。ショウも荷物を担ぎなおし、後を追う。
受付で彼女から渡された作業依頼書には、8時30分から12時30分の作業時間と、市場の集合場所、作業人数、賃金が記載されていた。
「四人ですか?」
「はい。すでに三名は現地に向かっているはずです。常連の方が一人いますので、その方と合流してください。イソギンチャクさんです」
「ブフッ」
ショウは噴いた。
「それ、名前なんですか?」
「はい……。おかしいですか?」
ツァーレには異世界人の名前のセンスなどわかりはしない。登録されていればそう呼ぶだけである。
「あー、まぁ、一般的ではないですね。……わかりました。イソギンチャクさんと合流します」
口にして、噴出しそうになる。イソギンチャクに指示されて働く自分を想像してしまった。
「よろしくお願いします。市場はそう遠くありませんので、途中で朝食を摂ったほうがよいと思いますよ」
「ありがとうござますっ。では、行ってきます」
と、背を向けた少年に、彼女が待ったをかけた。
「あの、まだ治療費をいただいていません。70銅貨です」
「……すいません」
ショウは申し訳なさそうに清算水晶球に触れた。軽快な電子音が何となくイラっとする。
「それと、木箱などの荷物を扱うのでしたら、こちらの三点セットはいかがですか? 皮手袋、タオル、ハンドナイフが揃って初回購入特別価格1銀貨です」
「あー……」
少年の中でいろいろな葛藤が生まれる。これって友達が夏休みにやっていたという軽作業系人材派遣バイトで買わされた作業セットじゃないか? でも、手袋はあったほうがいいよなぁ、トゲ刺さると痛いし。タオルもいるよな。汗だけじゃなくて風呂でも使うし。ナイフはあるけど、リュックの中のはどう見ても冒険用だし、小さいのは必須かなぁ……
「……買います」
「ありがとうございます」
ツァーレは笑顔で応えた。
ショウは今時の漫画でもありえない、パンを咥えて「遅刻、遅刻~っ」と街中を走るシチュエーションを体験しながら市場へと急いだ。
全速力を出せたおかげで、どうにか間に合ったようだ。
集合場所に、三人のそれらしい人たちがいる。内一名は気合が入っており、頭に管理局オリジナル・タオルを巻いていた。おそらく彼が常連のイソギンチャクだろうと目星をつけた。
「あの、イソギンチャクさんですか?」
果たしてハチマキ男がイソギンチャクだった。ショウより1.4倍ほどガタイのいい青年だった。顔までゴツイのは、肉体変換時に本来の顔を望んだのか、それとも趣味なのか気になるところだった。
「おう、間に合ったか。よろしく……て、きのう休憩所に来た二日目だな。いや、三日目になるのか。慣れないだろうが、がんばってくれよ」
バンと両肩を叩かれる。見かけどおりの体育会系らしい。
それに「ウッス、よろしくお願いしますっ」と応えてしまうのが、元・体育会系のサガだろうか。
彼が歩き出したので、他の二人とともについて行く。
市場はすでに賑わっており、そこかしこに馬車や荷車があった。おおまかな区画整理はされているが、場所は早い者勝ちなので自由に店を広げている。この市場は個人販売が主であり、自作の農作物や衣服などの品を個人の裁量で売買していた。
「その個人てのもピンキリでな、これから行くカートマンさんの店はこの市場最大なんだ。一日、馬車20頭分の荷物が運ばれてきて、半日で裁ききる。オレたちの仕事は足りなくなった商品をすばやく補充すること。種類も多いから、気をつけるようにな」
イソギンチャクの説明で概要はわかったが、ピンとはこない。他の二人もこの作業ははじめてなのか、顔が曇っている。
「はじまればわかるさ」
この仕事に長く携わっているイソギンチャクは、口頭での説明は最小限にとどめていた。毎回違うメンバーがやってくるのだから、一から十まで言うのも面倒くさくなっている。それに生来、「やればわかる!」という思考の持ち主だった。
そして開店10分でショウは理解した。
開店前から眼を光らせて身構えていた客が、開店コールとともに商品に群がる。他店よりもよっぽど安いのか、品がいいのか、あっという間に木箱の一つが空になった。
「そこにあった商品と同じのをすぐに並べろ!」
数メートル離れていたイソギンチャクの声が飛んでくる。ショウは急いで裏手の木箱を持ち上げた。
「う、重っ! そうか、準備のときは二人で持ってたけど、今は一人なんだ」
見ると、イソギンチャク以外の二人も苦戦している。リーダーだけは慣れたもので、無くなりそう品を予測し、あらかじめそばに木箱を待機させていた。その交換も「お待ち!」と叫ぶと同時に終わっている。
ショウは彼に感化され、気合を入れて木箱を担いだ。
一時間もすると物欲に溢れた客は減りはじめ、二時間後には交代で休憩がとれるくらい落ち着き、三時間後には暇を持て余しだした。
「よし、品出しは終わりだ。空の木箱を積むぞ」
ショウたちは疲れた顔のまま、リーダーを追って裏手の馬車置き場へ向かった。
「馬車一台に木箱16だ。1番から5番馬車には黒ラインのを、6番から8番は赤、9から13が緑、14から20は白を積む。馬車にも同じ色のラインが引いてあるから、それに合わせればいい」
「わかりました」
見ると、馬車は各色二台ずつ、八列で並んでいた。
「各色、片方の馬車を先に埋める。次に隣の馬車に積んでいるうちに空の馬車と入れ替わるんだ。実際の積み上げは御者がやってくれるから、色を間違えず渡せばいい」
「なるほど」
召喚労働者の4名はもくもくと働く。空の木箱など、さきほどまでの具入りに比べれば楽勝だった。一部売れ残った商品もあるが、それも定刻には引き上げ、馬車に積まれた。
予定時間通りに作業が終了し、一同は解散となった。
「はじめてにしてはできたほうだな」
イソギンチャクがショウの背中を叩いた。
「あざっす。おつかれさまっした」
「その言い方は体育会系だな。何をやってた?」
「野球っす」
「そうか、おれはラグビーだ。大学でやってて、去年、膝をやっちまってリタイヤしたがな」
彼は豪快に笑った。悔しさを感じないのがショウにはかえって不思議だった。そもそもこんな異世界にいるのが信じられない人種である。ショウのようにゲームやライトノベルが好きという雰囲気はない。
イソギンチャクはその好奇な眼を見て、すぐに理解した。
「オレのようなヤツがここにいるのが不思議か?」
「え、あ、まぁ……」
「だろうな。オレだって異世界までは望んじゃいなかったんだがな」
彼は苦笑した。
「どういう意味です?」
「膝を壊してな、ヤケになって、荒れて、いろんな人に迷惑をかけた。で、最近になって後悔したのさ。自分はなんて小さい人間なんだろうってな。いっそ生まれ変わってやりなおしたいと思ったら、ここにいた」
「それで、居着いちゃったんですか?」
「ああ。居心地がよくてな。それに――」
イソギンチャクは左膝を見つめた。
「膝、治ったんですか」
「肉体変換のときにな。日本では手術をしても走れないと言われたよ」
「そうですか」
理由はさまざまなんだとショウは痛感した。
「おまえは三日目だろ? 帰るかどうかの決心はついたのか?」
「はい。ここに残ります」
「そうか、がんばれ」
「はい、ありがとうございます」
イソギンチャクは手を挙げて去っていった。
ショウはしばらくその背中を見送り、ハッと今後の予定が決まっていないのを思い出した。
まだ昼を過ぎたばかりである。今日の仕事を終えるには早過ぎた。
「早く次の仕事をもらいにいかないと――」
走りかけて、微妙な臭いに気付いた。明らかではない、かすかに臭い。それが自分から発しているのに気付き、顔をしかめた。
この世界に来て三日目である。それに汗をかくほどの仕事をしている。それは臭い立つというものだ。
「風呂とはいわないけど、水浴びくらいは必要だよな。となると洗濯と着替えもか。休憩所の外にみんな服を干してたけど、許可をとればいいのかな」
ぐるぐると考えはじめる。どのルートが正解なのか、答えを出すのにしばらく時間がかかった。
結論として、まずは管理局で今の報酬をもらい、次の仕事を斡旋を頼む。その作業の開始時間によっては、買い物と洗濯と水浴びを挟むか後回しにするか決める。
ショウは優先順位に従って管理局へと急いだ。途中で朝と同じパン屋で丸パンを二つ仕入れる。ちょっとリッチなベーコン・チップ入りだ。
「水筒もあったほうがいいな。水分をあまりとってない気がする。そのへんのはまずいだろうけど、管理局の水なら飲めるかな。生水って飲んだらいけないイメージなんだけど」
パンに口の中の水分を奪われながら、買い物リストに水筒を追加していく。
異世界人管理局の受付は窓口が三箇所あり、どれも空いていたが、ショウはまっすぐツァーレ・モッラの場所を選んだ。この世界に来てまだ50時間ほどではあるが、馴染みのある相手のほうが話しやすい。
「作業終了しました」
「お疲れ様です。依頼書の提出をお願いします」
少年はサイン付きの作業依頼書を渡し、報酬792銅貨を受け取った。
「午後って何かありますか?」
「申し訳ありません。現在、初心者可能の作業はありません」
「そうですか……」
ショウはあからさまに落胆した。だがそれも今朝の寝坊が原因である。早朝から仕事の確保さえできていれば問題なかったはずなのだ。
「いやいや、仕方ない仕方ない」少年は頭を振って後悔を断ち切り、思考を切り替えた。
「ところで、洗濯をしたいのですが、裏庭の物干しは勝手に使っていいんですか?」
「はい。場所が空いていればご自由にどうぞ」
「ありがとうございます。……それじゃ、午後は買い物でも行ってくるか」
ショウが一人で納得していると、ツァーレが「あの」と申し出た。
「着替えがご入用でしたら、肌着三点セットをこちらでも販売しております」
「え!?」
「サイズはS、M、L、LL、3Lから選べます。価格のほうがL以下が1銀貨、LL以上が1銀貨50となります」
ニコッと笑って紹介する。
「……なんだろう、この労働者を狙った小銭稼ぎ感は。しかもサイズがわかりやすいっ」
「どうなさいますか?」
「……Mサイズ、二つください」
ショウは身長170センチ弱の痩せ型で、服はMサイズでちょうどよかった。
「まいどありがとうございますっ」
電子音が軽快に響いた。報酬と合わせて残金は11銀貨と91銅貨。日本円で5955円だ。
「あとはどんなものが売ってますか? ここで揃うなら買ったほうが早いので」
「リストがございますので、お持ちください。実際に商品をお手にとって確認もできますので、お気軽にお申し付けください」
ショウは差し出されたA4サイズほどのブックレットを受け取った。
「これって外で買うよりお得なんですか?」
「そうですね、大量生産しておりますので相場よりは安いと思います。……品質はあまり期待できないかもしれませんが」
後半部分は小声で付け足す。
ショウは苦笑いし、「ありがとう」とブックレットを手にエントランス・ホール内のベンチに下がった。
「冒険に必要な道具は一通りあるんだな」
各商品は絵柄付きで紹介されていた。ロープ、カラビナ、ハーケンなどの登山道具、テント、リュック、毛布、飯盒などのキャンプ道具、傷薬、毒中和剤、熱さましなどの薬品、ランタン、松明、着火石などの照明器具、さきほどショウが買った肌着セットなど、いろいろと揃っている。その中で、彼が欲しているのは衣服と水筒で、それぞれにいくつか種類があった。
「服は外で見てきてからでもいいかな。水筒も値段だけ覚えておいて、安いほうを買うでいいだろ」
ショウはブックレットを閉じて、ツァーレに返した。
「またあとで見せてもらいますね」
「同じ物がそちらのコーナーにも置いてありますので、いつでもご覧ください」
と、作業依頼案内板と正反対の位置にある、小さなテーブルを手で示した。『異世界人管理局便り』という会報が置かれているエリアだ。その会報は誰も読まない公金無駄遣いの広報誌である。
ショウは丁寧に礼を述べ、買い物に出ようと出入口の扉を開けた。
同時に、二人が声を上げた。ショウと、外側にいて同じく扉を開けようとしていた少女だ。
出会い頭で驚き、二人同時に謝罪する。
「大丈夫? 扉にぶつからなかった?」
「は、はいっ。大丈夫、です……」
少女の声はだんだんと小さくなっていった。
召喚労働者なのだろうが、そのわりには軽装だった。いや、荷物は手に握られているハンドブックだけで、カバンも何もない。服装もショウと似たような簡素な物で、熟練のような物々しさも、こなれてきたシャレっ気もない。おそらくこの世界に来たばかりなのだろう。
「来たばっかり? なら、中の受付の人に話を聞くといいよ。まずはビデオを見せられると思うけど、その後の相談は受付にすると親切に教えてくれるから」
ショウは扉を大きく開け、彼女の道を作った。
少女は「ありがとうございます」と頭を下げ、受付のほうへと小走りに進んでいった。
「後輩……になるのかな。といっても、こっちのほうがまだまだ教わる側なんだけどな」
扉を閉め、ショウは市場へと出かけた。
今までも流し見はしていたが、じっくりと時間かけて品定めをしてみると、店舗にも個性があるのがわかった。衣服一つとっても、何ヶ月も売れ残ったような古着を売る店、新品だが奇抜なデザインの物を並べるところ、民族衣装のような品だけを扱っていたり、女性や職業限定の服だけというものある。ショウはいま着ている服を参考に、この国の標準的な物を探した。それと、仕事に向くような軽くて丈夫そうな服も。
いくつか目の露店で、古着のようだが安くてよさそうなシャツとズボンが眼についた。アイボリーというか薄汚れた白というか、とても味わい深い色の麻の上下である。少し迷っているとおまけで麻紐ベルトを付けてくれるというので、買おうとした。
「ちょっと待った。後輩なんだ、もう少しまけてやってよ」
背中越しの声はカッセだった。さらに後ろにリラもいる。早朝の畑仕事明けだった。
「なんだ、カッセの知り合いか。しょうがないな」
店の親父は清算水晶球を叩きなおし、ショウに突き出した。さきほどの三割も安くなっている。
「え、あ、ありがとうっ」
ショウは清算を済ませ、主人に頭を下げる。
「そのかわりまた来いよ」
商品を渡され少年はうなずき、カッセは「依頼があればな」と応えた。
店を離れながら、ショウがさっきの答えの意味を訊いた。
「そのまんま、依頼があったんだよ。倉庫整理の仕事。オレの初めての仕事でな、そのときに作業効率を上げる提案して、気にいられたのか何度か行った。それで服も安く買えるようになった」
「いいですね、それ」
「まぁ、オレたちの仕事は結局、誰もやりたがらない街中の面倒ごとが大半だからな。ちゃんとこなせば客も喜ぶし、つながりもできる」
「なるほど……」
ショウは素直に感心した。
「けどね、それをさっぴいても言い値のまま買うのはやめときな。異世界人だと足元見られるからね。値札がない物には注意が必要だよ」
リラは手にしていた袋から赤い果実を出してかじった。
「勉強になります」
「まじめだねぇ」
リラは喉の奥で笑った。
「他に何か買うのか?」
カッセに訊ねられ、ショウは彼に向き直った。
「水筒はあったほうがいいかと思って」
「そうだな、持っていたほうがいい。どこでも水が飲めるわけじゃないからな。管理局周辺の井戸は大丈夫だが、外区のはまず腹を壊す」
「そうなんですか」
『外区』という単語に一瞬疑問が浮かんだが、ショウはハンドブックに描かれていた町内地図を思い出した。町を取り囲む三重壁の一番外側の区画だ。
「外区から外に行くときは自前で持っていくか、買うしかない。だからオレたちも」
と、カッセは腰に縛り付けてある水筒を見せた。彼は二本、リラは一本下げていた。
「それって、管理局のですか?」
「ああ。市場で安いのを買ったんだが、品質が悪くてな。水漏れはするし、臭いしで、結局買いなおした」
「管理局のは安心なんですか?」
「ダメだったら文句を言えるだろ。市場だとその店が同じ場所にあるとは限らないし、レシートもないから返品てのもまず無理だ」
「あー……」
ショウは深く納得した。
「だから多少、値が張っても保証はあったほうがいい。結局、自分を護るのは自分しかいないからな」
「わかりました。水筒は管理局で買います」
「そうしとけ」カッセは先輩面でうなずいた。
「ところで、二人はこれからまた仕事ですか?」
「ああ。14時からな」
「やっぱり朝を逃すと仕事は取れないですよね」
「なんだ、食いっぱぐれか。オレたちは夜明け前に出たから起こさなかったんだが、悪かったな」
「いえ、それはこっちのせいなので」
ショウは焦って弁明した。責めるつもりはなかったのだ。
「仕事がほしいなら、受付で待ってるといいぞ。この時間でも急な依頼はあるし、前の仕事が押して次にいけないヤツのキャンセルもある」
「そういうのあるんですねっ。じゃ、戻って訊いてみます」
ショウは礼を言い、走っていった。
「意外と面倒見いいわね、あんた」
リラは手についた果汁を舐めながら、相棒の一面を皮肉った。
「いいだろ、別に。……今日か明日にもレベルが上がる。そしたら本業がはじまるんだ。新人にかまっている時間はなくなるからな」
表情を硬くするカッセにリラも真剣な顔になったが、それは一瞬だった。
「だね。いっそこのままでもよかったのにねぇ」
彼女は空を見上げた。この穏やかな空気は心地よく、ついいつまでも浸っていたくなる。けれど先に進まなければゴールにはたどり着けないのだ。それでも、覚悟はまだついてはいない。
「……とりあえず、メシにしようぜ。ちょっと贅沢にな」
「賛成」
二人は揃って歩きはじめた。
ショウは管理局に戻ってすぐ掲示板をチェックした。が、新人用の求人はなかった。
嘆息し、水筒を買おうと受付に行く。お馴染みのツァーレ・モッラは接客中だったので、となりの窓口に近づいた。
と、ショウが用件を伝える前に、ツァーレから声がかかった。
「ああ、ちょうどよかったです。ショウさん、これからお仕事できますか?」
願ってもない幸運だった。「いけますっ」と元気よくツァーレの窓口に寄ると、そこにいた少女が驚いて一歩避けた。
「あ、ごめん。――て、さっきの人?」
買い物に行くときに玄関でぶつかりそうになった女の子だった。さきほどは突然で気にかける間もなかったが、よく見るとかなり可愛い。背はショウの顎くらいで、ふわっとした薄ピンクのロング髪。細身の割りに胸もある。まるで漫画かアニメにでも出てきそうな美少女だった。
「……て、あれ? あれぇ?」
ショウはマジマジと彼女を視る。絵に描いたようなと表現したが、その髪、体形、雰囲気、どこかで本当に見た気がする。
「ショウさん、お話、いいでしょうか?」
女の子をガン見している少年に、ツァーレも苦笑せざるを得ない。少年もそれと気付き、「失礼しました!」と真っ赤になりながら直角で受付に体を向けた。
「お仕事というのは、こちらのアイリさんと倉庫作業をお願いしたいのです」
「倉庫……」
少年の脳裏に、カッセの話が浮かんだ。
「時間は15時から18時。作業人員2名。報酬は税抜き7銀貨。場所は中区オスティン通り78です。お受けになりますか?」
「はい、行きます。正直、助かりました」
いろいろと出費した後である。どんな内容でも受けるつもりだった。
ショウとアイリは作業依頼書を受け取った。
「ショウさん、アイリさんは初めてなのでよろしくお願いしますね」
「はい。よろしく」
少年が先輩らしく強気で挨拶すると、アイリは少し怯えながら「お願いします」と小さく頭を下げた。
「あ、そうそう、水筒を二つください」
「わかりました。大きさは大・中・小ありますが」
ショウは現物を見せてもらい、中を二つ買った。およそだが1リットル弱の容量だった。大は1.5リットルほどありそうで、とりまわしに困るだろうと避けた。
「それじゃ行こうか。と、そのまえに井戸に寄っていい?」
アイリに問うと、彼女はこくんとうなずいた。口数は少ないらしい。なんとなくだが怯えている感じがする。ハンドブックを持つ手も震えている。
「あ、さらにその前に、ちょっと来て」
ショウは自分が教わったことを次代に伝える役目を担ったように、彼女を休憩所脇の小部屋へと連れていった。例のガラクタ置き場である。
「ここにある物は一週間に二個まで持っていっていいんだって。借りるだけならいくつでも。オレもここでこのカバンをもらった。そのうち荷物が増えるから、カバンはあったほうがいいよ」
アイリは驚きながらも納得し、カバンを探した。最後にこの部屋を漁ったのがショウだったので、さまざまなカバンが隅にまとまって置いてある。彼女は一つひとつ手にとって、品定めをしていた。
彼女が選んだのは少々大きめの肩掛けカバンだった。その他は大きすぎたり、小さすぎたりで当面の荷物を入れるのには不適格だったようだ。
「もうひとつ、いいのかな……?」
彼女はショウのほうを見ようともせず、つぶやくように訊く。
「いんじゃない? 二個までオッケーだし」
彼の答えにうなずき、彼女は迷わずウエスト・ポーチをとった。腰につけ、具合を確かめる。
「その選択もありだよな。仕事中の小物を入れとくには便利そうだ」
賛同が得られ、彼女は嬉しそうに何度もうなずく。
「それじゃ、今度はこっちに付き合って」
先をたって歩くショウに、アイリは付いて行った。途中、休憩所と診療室を通り過ぎるときは利用説明もしていく。彼女はそのたびにうなずいていた。
裏手の井戸に着く。滑車と桶の井戸ではなく、ポンプ式だった。脇には石畳の洗い場があり、さらには物干しが並んでいた。
「オレもここは使ったことないんだけど、今日の作業が終わったら洗濯だな」
買ったばかりの水筒を開け、何度かゆすぐ。そして水を詰めて蓋をした。動物の皮や内臓で作った物ではなく、鉄製のためそれなりに重い。
水筒の一つは腰に縛り、一つはリュックに入れる。入れ替えで町内詳細地図を出した。
「場所を確認するからちょっと待ってね。アイリさんも余裕あれば地図はあったほうがいいよ。といっても今日が初めてだからお金ないよね。地図は受付で貸してくれるから、買うまでは借りてていいんじゃないかな。さて、オスティン通りはどこかな……」
地図を探しながら、先輩らしく忠告してみる。少年は気付きもしないが、彼女は熱心にうなずいていた。
「あった。4丁目だね。ここからだと歩いて30分かな。……鐘が聞こえて少し経つけど、まだゆっくりでも間に合うか」
町では二時間ごとに鐘が鳴る。正午と18時は6回、8時と16時は3回、他は1回だ。仕事も鐘に合わせているところが多く、16時には飲食関係以外の店はほとんどが閉まる。畑や山の仕事はさらに早く、正午もしくは14時を終了としていた。移動や魔物対策もあるが、元来、この町の人間は仕事に追われるような生活をしていないらしい。
ショウは荷物を背負い、東に進路をとった。アイリは黙って付いていく。
道すがら、ショウは彼女に知っているかぎりを話した。受けた仕事のことや、出会った人のこと、経験して驚いたことや、感心したこと、日常生活ではトイレの話や買い物の仕方など、途切れることがなかった。
彼女はただ黙って聞いている。それでも興味はあるらしく、うなずくときは眼が輝いていた。彼女とて異世界転移を願ったからここにいるのだ、無関心でいるはずがなかった。
話をしているせいか時間の進みは早く、気がつけば現場のそばまで着いていた。町の中心に立つ時計塔を見上げると、15時まではまだ10分ほどあった。
「ちょっと早いけど行ってみようか」
ショウの促しに、アイリはうなずいた。この移動の間で新密度がわずかには上がった気がする。相変わらずあまり口は開かないが、怯えた様子はなくなっていた。
三階建ての木造建築物だ。大扉が開いていたので、ショウは「すいません」と声をかけながら中へ進んだ。
入り口のそばに、皮鎧を着け、剣を帯びた男がいた。二人を眼にして警戒する。警備員のようだ。
「15時からの倉庫作業でうかがった者ですが、依頼者のケリーさんはいらっしゃいますか?」
作業依頼書を見せながらショウは訊ねた。
警備員は書類を確認し、二人を招きいれた。
「ケリーさんはまだ街商から戻ってないぜ。倉庫責任者のラムジーさんのところへ案内してやる」
家の一階と二階を吹き抜けに改装して倉庫としているらしい。ところどころ壁や柱を崩した箇所があった。その支柱のかわりではないだろうが、木箱が積まれ、一部は天井にかかっていた。木箱から溢れているのは布の束で、どうやら服のようだ。
倉庫の奥で待っていたのは、ショウと同じくらいの身長で、横が二倍はある中年女性だった。
「その子らが頼んだ召喚労働者かい?」
忙しく事務仕事をしながらラムジーが訊いた。警備員が肯定を返すと、彼女は警備に戻るよう命令して下がらせた。
「男の方はそこにいるガラといっしょに箱の移動、女の方は向こうで他の女たちと衣服をたたんで箱にしまっていく。わかったかい?」
一息つきながら、ラムジーは簡潔に指示した。聞き間違えようもないので、二人は「はい」と答えて持ち場に移った。女帝のようなラムジーの側にいるよりも、現場のほうが気楽そうだった。
そんな二人の心情が態度にも表れていたのか、察したラムジーは「やれやれ」と息を吐いて本来の仕事に戻った。
アイリは唯一の顔見知りのショウと離れて不安があったが、命令どおり女たちのいる場所へ行った。5メートル四方はある布のシートの上に、ばら撒かれた衣服が山となっている。脇にある大きな木箱が横倒しで空になっているので、その中身だろう。
四人の女たちが思いおもいの場所に座って、談笑しながら服をたたんで重ねている。内一人がアイリに気付き、声をかけた。
「ああ、来たね。そのへん座って、どんどんたたんでいって。物によってたたみ方があるから、まずは教えてあげるよ」
アイリはその女性のとなりに座り、手近な服を取った。女性物の襟付き長袖シャツだった。
「シャツもいろいろと種類はあるけど、基本的なたたみ方は同じだからね。汚れている物や、破れていたりボタンがなかったりする物は撥ねておく。わからないことがあれば遠慮しないで訊いとくれ。一度で全部覚えろなんて言わないからさ」
アイリは戸惑いながらうなずき、女性の手の動きを見逃さないように集中した。
「――と、こんなかんじでね。これを種類ごとに後ろの小さい木箱に詰めていく。とにかくたたんで、置ききれなくなったら箱にいれていくといいよ」
「……わかりました」
アイリは作業を開始した。
彼女と木箱の山を挟んだ反対側で、ショウはガラと呼ばれた褐色肌の青年と力仕事に励んでいた。大型木箱の大きさはおよそ2メートル四方で、中には古着が大量に詰まっている。ガラの説明によると、倉庫主ケリーは各所から古着を回収し、リサイクル販売をしているという。この大型木箱はその集荷物で、整理がついていないものだ。それを女性陣が着られる物かどうか仕分けし、商売に使える物をたたんでしまっていく作業をしている。
「オレたちは整理が追いつかずにたまった箱を、移動・保管する作業だ」
そういって、ガラはショウに鉄のバールと角材を渡した。
「木箱の下にバールの先を入れて、角材を当てて箱を持ち上げろ」
ガラが何を言っているのかまったくわからず、ショウは戸惑った。ガラは呆れたようにバールと角材を取り、実践してみせた。
「いいか、木箱の左右の中心くらいにバールを差す。穂先に角度がついているから、自然と斜めになるな?」
「はい」
「で、角材をバールの下に置く」
「ああ、テコの原理ですね」
「そうそう、そんな名前だ。それでバールの持ち手を下げると、木箱が浮くだろ? そうしたら、そこの鉄パイプを木箱の下に通すんだ」
「はい」ショウは指示どおり、長い鉄パイプをバールが作った隙間に置いた。
「これでバールを抜くと、鉄パイプの上に木箱がひっかかる。次に木箱の反対側にいって、こちら側に押してみろ」
「はい……」
こんな重いものを一人で押せというか。無茶な気がする。
が、少年が危惧するよりも楽に木箱が動いた。
「よし、ストップ。こっちに来てみろ」
ショウは早足で戻る。木箱の下にはさらに二本、計三本の鉄パイプが一定距離を置いて挟まっていた。
「ローラーになってるんだ」
「ああ。コロを使った運搬方法だ」
「コロ?」
「おまえたちワーカーがそう呼んでいたぞ。知らないヤツもいるんだな」
ガラはこれを以前来たワーカーから教えられたとき、目から鱗だった。おかげでかなり作業が楽になった。それまではロープをかけて引っ張るか、大人数で押していた。このやり方は造船所では当たり前に使われているのだが、同じ世界の住人とはいえ、港もない町で、知識もないガラたちには浸透していなかった。
今ではコロだけではなく、応用した専用器材を造り移動に役立てている。反対側の壁際で移動作業をしている二人組が使っているのがそれで、ショウは幅の広いはしごかと思ったのだが、実はローラー台だった。二つのローラー台を交互に並べて、器用に木箱整理をしている。
「こっちにはアレないんですか?」
「発注中だ」
ガラはそういって木箱を押した。
大型木箱の整理は順調に進み、一時間後にはあらかた片付いていた。ガラから小休止をもらい、腰の水筒で水分補給をした。買ってよかった、と心の底から思う。
「次は出荷準備ができた商品を荷台に積むぞ」
人使いが荒いのか、これが通常業務なのかはわからないが、ショウは息を整えて仕事に望んだ。
「あのお兄ちゃん、見かけによらずがんばるねぇ」
アイリの面倒をみていた女性が、彼女に話しかけた。それまでもいくつか話題を振っているのだが、真面目なのか無口なのか食いつきが悪く、会話が長く続かない。
「そうですか」
「あれ、カレシかい?」
「今日初めて会った人です」
「おや、そうかい。まぁ、あんたたちはそういう仕事らしいからねぇ。毎回違う人がくるし」
女性は納得するようにうなずいた。
「なんにせよ、文句も言わずにがんばるのは偉いもんだよ。ウチの子なんて、何か頼むと文句ばかりでさぁ」
「そうですか」
例えコミュニケーションが得意だったとしても、この場合はそれ以上の回答はないだろう。
「あんた、覚えも早いし、丁寧だし、またおいでよね」
「……考えておきます」
そう答えながらも、アイリはうつむいた。照れているのである。理由は、ショウが魚屋で褒められたのと同様だった。
作業終了間際になり、表門がにわかに賑わいだした。街商に出ていたケリーが戻ってきたようだ。外のほうで警備員の大きな出迎えの挨拶が聞こえてきた。何頭かの馬車も引き連れているのか、馬と人の声が複数していた。
「よし、今日はここまでだ。あがっていいぞ」
ガラがショウの背中を叩いた。彼も仕事終わりが嬉しいのか、今まで見せたことのない笑顔が浮かんでいた。
「お疲れ様でしたっ」
ショウはリュックを拾い、作業依頼書を出す。が、ガラはサインはラムジーからもらってくれと手を振った。
アイリも解放されたらしく、カバンを肩にかけながら少年のほうへと向かってくる。
「作業終了証明のサインをもらいにいくから、依頼書を出しておいて」
「うん」
彼女の返事が、うなずきか「はい」から、「うん」に変わった。この短時間での心境の変化の理由はわからないが、ショウは仲間意識が強くなったのが単純に嬉しかった。
二人がラムジーのデスクに行くと、彼女の前に中年の男性がいた。おそらく彼がケリーなのだとショウは思った。
そしてそれは正解だったのだが、それ以上に驚いた。
「あれ、昼間のおじさん……?」
「ん?」
振り返った男も、少年を見て少々驚いていた。
「なんだ、思ったより早く来たな。お疲れさん」
「昼も、今も、お世話になりました」
ショウが頭を下げる。この世界に来てから、こうして礼を述べたり挨拶することが増えていた。日本ではこんなにしょっちゅう頭を下げることはなかった。少なくとも、きちんと心を込めては、ない。
「なんだい、知り合いかい?」
ラムジーが二人を見比べながら訊いた。
「いや、昼は客だ。カッセの知り合いっつーから値引きしてやったんだよ」
「ああ、あの坊やの。最近来ないけど、元気にしてるのかい?」
「オレ……ボクもきのう出会ったばかりなんですけど、お世話になっています。今は畑仕事のほうでがんばっているみたいですよ」
「ちっ、恩知らずめ。今度は来いと言っといてくれ」
「わかりました、伝えます。……それと、すみません、これを」
ショウはアイリの依頼書ともどもラムジーに渡した。
彼女は「あいよ」と自前のペンでインクを走らせた。
「ん?」サインを終えた用紙を二人に返そうとした手が、不意にとまった。
「……あんたら、マルマに来たばっかりなのかい?」
依頼書には作業担当者の名前とレベルが記載されている。雇用主にも相手を知る権利があった。それによってできる仕事とできない仕事の振り分けにも使えるからだ。
「はい。ボクはおととい、彼女は今日です」
「それで古着かい。そうか、じゃ、サービスだ。好きな服、二、三着持っていきな」
「おいおいおいおい、かーちゃん、サービスよすぎだろ!?」
「夫婦だったんだ……」ショウは小声でツッコんだ。となりのアイリも言葉にはせず、うなずくことで驚きを共有していた。
「とーちゃん、安心しな。やるといっても、そっちにある商売には出せない山からだよ。補修がいるけど、そんなんでもよければね」
「なんでぇ……」
ケリーは安堵して息を吐いた。
それでもショウとアイリにとっては大サービスである。気が変わらないうちに素材の山に飛び込み、引っ掻き回した。
ボタンがないのは当たり前、袖がやぶれていたり、変色が激しかったり、大穴が空いていたりとまともな服はひとつとしてない。ショウは仕事着と割り切って、サイズが合う服の上下を一つずつ抜き出した。
アイリのほうは、一目で痛みが酷いとわかるワンピースを二着、選んでいた。
「おいおい、いくらなんでもそりゃ酷すぎないか?」
ケリーの見立てでも、それは端切れとして売るしかない物だった。
「大丈夫です。ありがとうございます」
彼女は深くお辞儀をした。
「まぁ、本人がいいというなら……」
ケリー夫妻は顔を見合わせた。
ショウとアイリはもう一度礼を言い、倉庫を出た。
帰り道、ショウも気になっても訊ねた。
「でもあの服、着るにはアレだよね」
彼としては一応、気を使っているつもりだった。
「縫製するから平気。生地はいい物だし」
「服を縫うってこと? できるの?」
「……コスプレ」
「え?」
「コスプレ、してたから……」
「なるほどぉ!」ショウは大納得した。
「それじゃ、まずは裁縫セットを買わなきゃな。たしか管理局でも生活用品で扱ってたはず。カタログを見てみるといいよ」
「……うん」
アイリは心なしか嬉しそうだった。初日の緊張もだいぶ和らいだのだろう。
「戻ったら洗濯して、水浴びして、いや、その前に夕飯か。アイリさんはどうする? オレ、まだ不慣れな上に未成年だから酒場とかいかないで、途中でパンでも買っていこうと思ってるんだけど」
「わたしも、未成年だから、お金をもらったら何か買いにいく、かな……」
「じゃ、途中で買っていこう。今回は奢るからさ」
「え? いえ、いい……」
彼女は思いきり拒絶した。必要以上に関わられるのは怖かった。
「でも、今から戻って店に行ってもたぶん閉まってるよ。この時間でも怪しいし。それに、オレも初日は先輩に奢ってもらったんだ。さっき話したろ、ブルーって人のこと。だから、今度はオレの番なんだよ」
ショウはニッと笑った。学生のときのやりとりがふと蘇る。こんな掛け合いをして、友人と下校したものだった。
「……それじゃ、あとで返すから」
「わかった。それでいいなら、それで。貸し借りなしだ」
しつこく押し付けあうと互いに気まずくなる。少年はそれを知っていたので、あっさりと妥協点で引いた。
「……うん」
アイリも納得したようだった。
二人は閉店ギリギリのパン屋に駆け込み、パンを買った。売れ残りだからとおまけまでもらい、必要以上の荷物になっていた。
管理局に戻り、まずは隅のベンチで空腹を満たすことにした。受付は作業が終わったお仲間が列を作っており、並ぶのもしんどかったからだ。
「飲み物、これしかないけど」
ショウはリュックから予備の水筒を出し、アイリに渡した。喉が渇いていたのか、彼女は素直に受け取った。
一つひとつ紙で包まれたパンを取り出し、順番に食べたい物を分け合った。食べている間は会話もなく、ホールの雑然とした雰囲気をただ眺めていた。
「まだ余ってるな。明日の朝飯にしようかな」
まだ二包みも残っている。一つは大きめの丸パンだ。包装は解かず、そのままリュックに入れる。
彼女のほうも倣うように三つのパンをカバンにしまった。
「水筒は貸しとくよ。二、三日働けば自分で買えるだろうから、買ったら返して。どうせここで会うしね」
「……うん」
戸惑いつつも、彼女は厚意を受けた。
「それじゃ、報酬をもらって洗濯するかな。今日はお疲れさん。またな」
「あっ」
立ち上がったショウに、アイリは声を上げた。
「ん? なに?」
「あの……ありが、とう……」
ポソッと一言だったが、ショウは嬉しくなった。
「こっちこそありがとな」
少年は受付の列に並びだした。
少女はそれを、しばらく見ていた。
報酬をもらい、裏庭で洗濯と水浴びをしてショウは休憩所へ向かった。着替えは昼間に買った服だ。
その入り口でアイリが佇んでいた。理由はわかる。中の惨状を見れば怖気づくという物だ。
「中に入らないと休めないよ」
「あ」彼女はショウを見て、安堵の表情を浮かべた。
「三日間優先ルールがあるから、休む場所は譲ってもらえるはずだよ。オレ、三日目だからいっしょに頼んでみるよ」
ショウが先陣を切って進み、彼女は三歩送れてついていく。
しかし、ショウが頼む必要もなく、入ってすぐの場所で声をかけられた。
「ショウ、こっちだ」
「あ、カッセさん」
「そっちは連れか? 何日目だ?」
「今日です。さっき、いっしょに仕事にいってました」
「そうか、じゃ、ここを使え」
カッセと相棒のリラが立ち上がって、二人に場所を譲った。
「え、なんで?」
優先ルールがある以上、ショウとアイリは席を空けてもらわなくても上がることができる。もしかすると、その分を手前にいる人間がどかなければならないのだろうか。だとしたら、昨夜は自分のために弾かれた人がいたことになる。申し訳ない気持ちになる。
「はじめからおまえのために取っておいたからだよ」
「はい?」
よけいにわからなかった。
「オレたちはもう、ここでは寝泊りできないんだ。さっき、報酬をもらったらレベルが上がっちまった」
「え?」
「レベル3。自立するときが来たってことさ。だから顔なじみにあいさつしとこうと思ってな、最後の一人がおまえだ」
カッセがショウの肩を叩いた。
出会って日も浅いのに、ショウはとても悲しかった。いい先輩に出会えたと思っていた。まだまだ教えてもらいたいこともあったのだ。
「辛気臭い顔しない。今生の別れってわけでもないだろ。ここで寝泊りできなくなっただけさ」
リラが笑ってショウの頭を撫でる。
「そ、そうですよね」
「そうそう。ま、しばらくは訓練所で合宿生活になるから会えなくなるけど」
「訓練所……。スキルを覚えるんですか?」
「当然、こっからが本番だ。とりあえずは適正を調べてもらってからだけどな」
「がんばってください」
「おまえもな」
「じゃあねぇ」
カッセとリラは笑みを残して去っていった。
ショウとアイリは二人が残してくれた場所に落ち着き、しばし無言でいた。
「あ、あの、お金……パン代……」
先に口を開いたのはアイリだった。
「え、ああ。……やっぱり、今日は奢っておく。さっきの二人ならそうしてくれたはずだから。いつか他の人にそのぶん親切にしてやってよ」
「……はい」
またしばらく、沈黙が続いた。
「あの、それじゃ、お礼に、服……」
「服?」
「さっきもらった服、破れてたから、お礼に、縫わせて……」
アイリは顔を上げずに、こもるような声で言った。
ショウはなんとか聞き取れたので、反問はしなかった。それでも少し考え、リュックを開けた。
「じゃ、頼むよ。オレじゃどうしようもなかったし、ありがたい」
「うんっ」
彼女は受け取り、力強くうなずいた。早速、さきほど買った裁縫セットを開け、針と糸を出す。器用にほつれているところから直していく。
「うまいもんだな。どんな衣装作ってたか、見てみたいもんだ」
「ダ、ダメ。とても、見せられないから……」
「見せないコスプレって面白いのか? よくわかんないけど」
「……」
アイリは答えなかった。
「そこ、大きな穴あいてんじゃん。さすがにそれは無理だろ」
「大丈夫。……二、三日預かっていい?」
「いいけど、無理にがんばらなくていいからな。どうせ仕事着にしちゃうし」
「うん」
アイリの手はとまらなかった。細かな作業が繰り返されていく。
それを見ていて、ショウはだんだん眠くなっていった。そのうち耐え切れず、横に転がり寝息を立てはじめた。
少女はチラリと彼を見て、また手を動かした。