32 それぞれに想いを
そのニュースは、各地にある異世界人管理所――管理局と呼ばれる施設はナンタンのみ――に素早く伝達された。ほとんどの管理所では、物珍しさはあるがすぐに消えていく類の話とされ、重要視されなかった。その話の主人公が異世界人であり、勇者でもなく、非凡な能力の持ち主でもないからだ。一召喚労働者に関する些細な報告に過ぎない。
しかし、このニュースに歓喜した者が少なからずいた。もしかすると、異世界人管理局はその少数に向けて各出張所に連絡をしたのかもしれない。だとすれば、連絡者のパーザ・ルーチンはごく少数の人から深い感謝を受けることだろう。
「おい、これ見ろ!」
異世界人管理局専属召喚労働者・第1小隊隊長カッセは、派遣先の村の異世界人管理所でそれを読んだ。掲示板に貼られていた、『異世界人管理局便り・号外』だった。暇を持て余し、新しいニュースがないか掲示板を眺めていたところ、それを目にして驚いた。
「あんだよ、大声だして」
マルがめんどくさそうにやってくる。
その後ろを、ルカが上の空で歩いている。ルカは小隊・副隊長を任せているが、まるでやる気がない。知り合ったときから無気力なほうではあったが、ショウの死亡事故をきっかけにそれが加速していた。今では与えられた仕事をこなすだけとなり、自発的に行動を起こすこともない。食欲も以前より落ちており、一食につきパンは6個、スープは3杯までしか食べなくなった。
そんな彼が、カッセに勧められた号外を見ただけで表情を変えた。生気がみなぎり、血液を沸騰させる。
「おい、ルカ!?」
ルカは後先も見ず、管理所につながれている馬に飛び乗り、南東へと走りはじめた。その方角には召喚労働者の町、ナンタンがある。
彼ほど極端ではないが、別の管理所でもハイタッチをして喜ぶ一団があった。セルベント第2小隊のコーヘイたちである。
「ウソじゃないよな、これ……」
コーヘイは未だ半信半疑だ。彼がこの件のリーダーだった。今でもときおり思い出し、後悔するときがある。
「そんなわけないじゃないですか! 発信者はパーザさんですよ!? 100%本当ですって」
レイジが隊長の背中を叩く。ご機嫌なので手加減が甘い。というかしていない。
「シーナもアカリちゃんも喜んでるだろうね」
サトは読んだ瞬間に涙を溢れさせ、そして笑顔になった。これほど嬉しいニュースは初めてである。
「ナンタンへ帰るか?」
クロビスが訊いた。
「申請はしてみるが、さすがに簡単には許可が下りないだろうな。それに、仕事も片付けなければ。許可が下りるまでに盗賊を捕まえるぞ」
「おっけー、手早くやりましょうっ」
隊長の命令に、レイジがノリ気で応えた。
また違う管理所内の宿泊施設でも――
庭で自分の身長ほどもある大剣を日課で振りまわしていたレックスは、号外を片手に走ってくるタカシとジューザを眼にとめた。
「なんだ、おまえたち、早いな」
レックスは大剣を地面に刺し、汗を拭った。
「とにかくこれをっ」
タカシがそれを隊長に渡す。
レックスはザッと見て、男泣きをした。
「……よかった。本当に、よかった……」
「まったくですよ。まだあいつには借りがたくさんあるんで、返すまではいてもらわないと」
タカシは興奮を隠せない。
「こんなことならセルベントになるんじゃなかったか?」
ジューザは肩をすくめる。この号外の主役が冒険者志望なのは知っている。セルベントでなければ、共にいけたかもしれないのだ。
「それは残念だが、彼にはすでに仲間がいる。きっと共に行くだろう」
レックスは汗を吸い取るようにタオルを顔にあて、涙を拭った。タカシたちは見ないフリをする。
「あんまり道連れが多くてもやりづらいよな」
「こっちはこっちで楽しむとしますか」
「楽しむ前に仕事だ。いや、その前にメシにしよう」
その提案に反対する者はいない。
10月23日、ショウが長いのか短いのかよくわからない睡眠から目覚めると、隣のベッドはすでに空だった。メモがあり、『仕事』と書いてある。アカリはいつもの日常に戻ったようだ。
ショウは窓を全開にし、西の窓から体を乗り出す。時計塔がギリギリ見える。5時半だった。
「よしっ」と気合を入れ、着替えて準備をする。彼も日常に溶け込むために、仕事へ行くつもりであった。
異世界人管理局の門を潜り、エントランス・ホールへ。見慣れた光景が待っていた。
まわりを見渡すが、ダイゴの姿はあってもシーナはいなかった。というより、知った顔がほとんどなく、人数もずいぶんと減っている。ショウは知らないが、管理局専属召喚労働者となった者の三割ほどが、町外の任地へ派遣されているためだ。残った者も定番の仕事についており、各作業のリーダー以外は集会への参加義務がなくなっていた。システムも、ショウが通っていたころより少しずつ変化している。
そのなかに一人、とても親しい人を見つけた。心の師匠である。
「ニンニンさん!」
呼びかけると彼は振り返り、「おおおおおっ」と紙相撲の力士のような動きでショウをハグした。
「いや、きのう聞いたときは驚いたよ。無事だったんだね。よかったよかった。キミのような人材が一人消えると社会の損失だからね。なかなかに苦労をしたようだが、これからもいっしょにがんばっていこう」
「はいっ」
「そこ、うるさいですよ」
朝一番でパーザ・ルーチンに怒られた。
「では、今日の作業です。レギュラーのお仕事ですが、伐採作業の護衛が1名不足しています。希望者はいますか? なお、警護作業は通例どおりセルベントのみの募集となります」
「え?」
ショウは立候補しようか考えたが、その前に戦力外を言い渡された。
「ニンニンさん、すみません。護衛て、セルベントでないとできなくなったんですか?」
その質問に、彼はめずらしく言いよどんだ。
「こう言ってはなんだけど、それもキミのことが発端でね、戦闘に関してはすべてセルベントが引き受けるようになったんだよ。やはり危険な仕事だからね。それに発足当時とは違い、新規のセルベント以外は訓練所も経験済みで、スキル持ちなんだ。人数もずいぶんと増えたしね」
「そうなんですか……」
こんなところでも、知らない日々を痛感させられた。
結局、ニンニンとは同舟できなかった。ショウがこの日に取れた仕事は、午前中は市場の品出し、午後からはケリーの倉庫作業だった。どちらも経験済みなので気負わずにこなせた。復帰一日目にしては上出来としておくべきだった。
倉庫作業の帰り道、ホリィのいる武具屋で預けていた剣をもらう。ついでに、お金に余裕ができたので鞘を注文した。
アカリの仕事終わりを待つ間、管理局の中庭で剣を振っていると、シーナたちのパーティーがやってきた。オックスという黒鎧の少年が肩にイノシシのような獣をぶら下げている。狩猟をしているのか害獣駆除なのか、ショウにはわからない。シーナはなんとなくだが、元気がないように見えた。勝手な思い込みを打ち消そうと頭を振り、鍛錬に戻った。
それと入れ替わるように、シーナがショウを見た。相手もなく、一人で剣を振っている。以前、彼の前に立っていたのは誰であろうか。自分とは思えなかった。
そのショウに誰かが話しかけた。シーナも知らない男だ。新しい仲間だろうか。それはそれで寂しいと感じた。そう感じたことが、彼女の胸をさらに締めつける。
「あのさ、悪いけど一人なら奥でやってもらっていいかな? ちょっと数人で手合わせしたくて」
「あ、うん」
ショウは奥の、照明さえ届かない薄闇のなかへ移動し、練習を再開した。
シーナには会話の内容はわからないが、察しはついた。悔しかった。なぜ彼があんな暗い場所に独りでいるのだろう。彼にはたくさんの仲間がいたはずだった。いつもいつも騒がしかった。なのに今は誰もいない。歯車が、また、軋む。
「シーナ、報酬はもらった。帰るぞ」
ダイゴに呼びかけられ、彼女はハッとして彼のほうへ向いた。
「どうした?」
「……別に、なんでもない」
微笑んで答えた。
ダイゴは彼女の見ていた方角に目を移し、「話をしてきたらどうだ?」と訊いた。その視線の先には、独りで剣を振る少年がいる。
シーナはまた陰のある笑みを浮かべ、言葉もなく首を振った。
オックスたちが呼びかけてくる。シーナは逃げるようにその場を離れた。
ダイゴはショウを一瞥してため息をこぼし、頭を切り替えて仲間を追った。
30分ほどのち、アカリが異世界人管理局へ顔を出した。ショウが庭の隅で鍛錬をしているのを発見し、夕食に誘う。
いつものコープマン食堂。メニューはもうソラで言える。アカリはほぼローテーションが決まっていて、今日は豆のスープとハムサンドだ。デザートにチーズケーキ。むしろメインがケーキではないだろうかと、ショウは思う。
ショウは朝の集会の話をした。戦闘に関わる作業はセルベントのみになっているのを、アカリは知っていただろうか。
「知ってるわよ? だから余計にパン屋をやめられないのよね」
「どういうこと?」
「セルベント以外が選べる定番が減ってるってことよ。そりゃ、セルベントになるような人がパン屋やるとは思わないけど、しわ寄せはくるじゃない? いったん定番を外れたら、すぐに他の人に埋まって戻るのは無理でしょうね」
「ああ、そうか。今さらスポットも面倒だしな」
「そもそもそれだから定番に入ったのよ」
アカリはハムサンドをかじった。相変わらず塩気が強い。
「野外作業、やりたいんだけどな」
「シーナのとこ?」
アカリがからかい半分で訊いてみる。が、ショウは真面目に返した。
「何やってるか知らないんだけど」
「今は害獣駆除らしいわよ。この季節は多いみたいね。イノシシみたいなヤツ、山で追っかけてるわ」
「ああ、あれがそうか」
オックスが担いでいた動物を思い出す。
「でも、あれだってセルベントが専門だけどね。メンバーの推薦があれば別らしいけど」
「ふーん。それじゃ、ないだろう。ていうか、むこうが顔合わせづらいだろ」
「あんたじゃなくて?」
もう一度チャレンジ。が、これも不発。
「呼ばれれば興味あるからやるよ。ギクシャクはするかもだけど」
「あんた、割りきり早いのね」
アカリは目を丸くした。意外や意外だった。
「落ち込んでても仕方ないだろ? シーナは自分で選んだんだ。これ以上、オレのことで振り回すわけにはいかないよ。だからきのうは言えなかったけど、新しい道でがんばって欲しい」
無理に笑ってみた。それができただけ、ショウは自分が少しは落ち着いたのだと思う。
「ふーん……」
アカリは感心するより、驚きのほうが大きかった。そうも簡単に頭の切り替えができてしまうものだろうか。
「それに、アカリがいてくれるから。一人じゃないから平気だよ」
ショウは爽やかに肉巻き青野菜を食べる。
「だからそういうこと真顔で言うなって……」
アカリは斜め下をむいて囁くように毒を吐いた。
ショウには聞こえておらず、仕事の話の続きに戻った。
「戦闘以外だと、また薬草採取かな。あれって今やってんの?」
「朝の集会に出たんじゃないの?」
反対にアカリが聞き返す。集会に参加していない彼女の知りえることではない。
「出たけど、定番で埋まってる作業にはまったく触れないから、今、どんな作業があるのかもわからない」
「そしたら受付で確認するしかないんじゃない?」
「そうだな、明日訊いてみよう」
「ショウ!」解決して食事に専念しようとしたとき、ショウは大声で名前を呼ばれた。
「本当に無事だったのか!」
「リーバさん!」
リーバがこの世界には似合わないスーツを着ている。彼のオリジナル・ブランドの一つでもある。
彼は立ち上がったショウを抱き締め、背中を叩く。ショウも返した。
「倉庫の作業伝票を見てたら名前があって、同名の別人かとケリーさんに訊いてみたら君だって言うじゃないか。もう驚いて直行したよ」
「ケリーさんの倉庫ですか? 今日、お世話になりました。て、伝票整理?」
「もう何でも屋だよ。いつの間にか経営にまで引っ張り出されて大変なんだ。そもそも、会社として不完全だからね。未だ気分しだいで仕事をする職人もいるし」
「なんかすっかり管理職ですね」
「本当だよ。デザインだけやっていたかったのに」
「でも、いきいきしてて悪くないですよ」
リーバはショウと共に笑った。
「それにしても、生きていてちょうどよかった」
「どーゆーちょうど良さよ?」
アカリがツッコむ。
「まぁまぁ。これで採寸できるからね。ついでだからこのまま計っちゃうか」
リーバはカバンからメジャーを出し、ショウの採寸をはじめた。
「約束の服、どうせなら着れるほうがいいだろ? 墓に飾るよりさ」
「もちろんです! ありがとうございます!」
そんな二人をアカリは微笑んで見守る。
「君がいなくなって、忙しさも重なって中断してたんだけど、なぜかきのう、ふとアカリが墓に持って行きたいと言ってたのを思い出したんだ。そしたらこれだろ? 何かの導きかな」
「かもしれないですね。やっぱりリーバさんも仲間なんですよ」
笑顔で語るショウに、リーバは照れた。そうだ、この少年は平気でこんなことを言うのだ。懐かしい気がした。
「オッケー。次はアカリの番」
「はいはい」
アカリは面倒くさそうに立ち上がった。ショウに「こっち見んなっ」と怒鳴りつけ、少年が慌ててテーブルだけを視界に置く。
触れると怒られそうなので、リーバは緩く採寸する。目算で修正をするつもりだ。
「それと、シーナの採寸もしたいんだけど今日はまだ仕事中かい?」
「……」
ショウとアカリは顔を見合わせた。リーバはショウの献杯以来、仕事に没頭して仲間と会っていなかった。仕事場もここから内区をはさんで反対側と、距離の暴力が情報も遮断していた。
「……なにかあったか」
リーバは年長だけあって、さすがに察した。
「ただの痴情のもつれよ」
「おまえなっ」
ショウが最速でツッコむ。
「ああ、ドンマイっ」
「励まさないでくださいよっ」
「冗談はさておき、どうしたものかな。もう必要ないのかな。それはそれで寂しいけどね」
リーバには判断ができない。さりげなくショウに聞いたつもりだった。
「シーナの採寸データなら管理局の人事部にあるはずよ。あの子もセルベントになったから」
ショウが答える前にアカリが言った。
「ああ、そうなのか。それじゃ制服を作ったときのデータが工場にあるはずだな。……さて、来てすぐで悪いけど、このあとまだ仕事が残ってるんだ。また今度、みんなで飲もう」
リーバは慌しく出て行った。
「飲もう?」
「あんたが死んだときにみんなで飲んだのよ。マルがお酒を注文しちゃってさ」
「へぇ。て、あいつ完璧未成年だろっ」
「本人しか証明できないからね。レベルいくつ以下は飲んじゃダメって規則もないし」
「そうだけど。ズルイな、みんなで楽しんで」
「あんたをコキおろして盛り上がったわよ?」
「おまえらサイアクだ」
アカリは笑い、店員を呼んだ。酒を二つ注文する。
「あんたの帰還祝い、やってなかったわね。二人だけど、いいわよね」
「うん、ありがとう」
ショウは喜んで申し出を受けた。
一日が終わる。
今夜もシーナはベッドの隅で漏れ出る月明かりを眺めていた。心がモヤモヤする。封印した過去が鍵を壊し、鎖を断ち切り、扉から飛び出そうとする。この感情は蘇らせてはならない。それは今の生活に、今の想いに、必要はない。むしろ破壊するだろう。裏切ってはならない。自分を救ってくれた人を、仲間を。そう、それでいい……
大きな手が彼女の肩に乗せられた。熱い、厚い手だ。この腕に守られてきた。
力が込められる。
シーナはビクッとして、硬直した。
そうか、心配をかけているのだ。シーナは手を通してそれを感じた。彼は、自分が離れていくのが怖いのかもしれない。失う悲しみは、よくわかる。
「したいなら、いいよ」
シーナは無自覚にそう言っていた。つなぎとめる手段がそれだけなら、それで安心できるなら、そうすればいい。そう思ったのは確かだが、その言葉はあまりにも冷淡で突き放していた。
彼女はすぐに後悔したが、フォローはできない。今さらごまかしもきかず、かといって呑み込めるものでもない。いっそ聴かなかったフリをして抱いてくれたほうがよかった。そのほうが罪の意識が消せるからだ。
男の手が引いていった。背を向ける音がする。
シーナは自分が最低だと思った。
10月24日。この日もショウは野外作業には参加できなかった。
「確定ではありませんが、月曜日に薬草採取作業のお一人が所用でお休みするかもという話が来ていますので、当日のスポット作業のご紹介でご確認ください。経験者ですので優先的に入れると思いますが、希望者多数のときはジャンケンとなります。不公平のないようにしないとなりませんので、ご理解ください」
ツァーレ・モッラは申し訳なさそうに答えた。当然の対応だと思うので、ショウはかえって恐縮してお礼を言った。
日中は町内の一般作業を二つこなした。防壁掃除とリアカーによる地域配達だ。どちらも初で、楽しかった。ニンニンではないが、町の仕事でも充実感は存在する。動いていること、働いていることは、気持ちがいい。これが毎日同じだとまさに『作業』となって嫌気がさすかもしれないが。ニンニンが定番ではなく、スポット作業だけを続ける理由がなんとなくわかる。
その後は昨夜同様、アカリを待つあいだ自己鍛錬に励む。
今日もシーナたちのパーティーは獣を担いで帰ってきた。
「シーナさん、今日は調子悪そうだったなぁ」
オックスが尊敬する女性を気にかけた。直接彼女にではなく、青ローブのパルテに話している。
「女にはそういう日もあるわよ」
「あるのか!?」
「ないけど」
「フザケンなよ!?」と掛け合い漫才につながっていた。
パルテは不満げな顔になって、「昔の男のことでも考えてたんじゃないの?」と聞こえよがしに言った。
シーナは反応し、「何の話?」と作り笑いを浮かべた。
「あら、聞こえちゃった? 別にあなたの話じゃないから。でも、今日はどうしたの? つまらないミスが目立ってたけど」
パルテはいっそ白々しくシーナに訊ねた。
「あー、ごめん。ちょっと寝不足で。あはは」
パルテが焦る。
「どどど、どーゆー意味の寝不足ぅ??」
「え? ふつーに寝不足。寝つかれなかっただけだよ?」
シーナはキョトンとした。
「そ、そぉ? ちゃんと寝たほうがいいわよ? もう夕方から朝までぐっすりと」
パルテは語りながら何度もうなずいた。
「なに動揺してんだ、こいつ」
オックスはパルテに呆れて、肩をすくめた。
ダイゴが報酬を受け取って戻ってきた。
「今日はここで解散だ。オレはちょっと二階で打ち合わせがある。みんなは帰ってくれ」
「うーっす」オックスはダイゴから報酬を受け取り、管理局を出た。セルベントの小隊は、小隊長が代表で報酬をもらい、それを裁量で分配してよい決まりとなっている。ダイゴは分け隔てなく人数で均等にしていた。パルテとヒデオも続き、最後にシーナがダイゴと手をつないだ。
「先に帰るか?」
「帰るよ? 待ってたほうがいい?」
「いや、遅くなるだろうから行ってくれ」
ダイゴが手を放すと、シーナは今日も隅にいるショウを一目見て帰っていった。
階段を上がったフリをしたダイゴは、メンバーがいなくなったのを確認して庭へ出た。
「ショウさん」
「ダイゴさん?」
ショウは剣をおろし、近づいてくる男を待った。ダイゴはショウよりも背が高く、厚みもあるが、レックスやイソギンチャクには及ばない。総じて巨漢と言うイメージではないが、武道をたしなんだ者の威圧感はたしかにあった。
「少し、お話よろしいでしょうか?」
「はい、どうかしましたか?」
「その前に、自分に敬語はよしていただけませんか? 自分、後輩なので……」
「いえ、もうあなたのほうが先輩ですよ。オレは長く眠っていたので、体感的には一月程度の新参者です。レベルももう及ばないでしょう。いくつになりました?」
「先日、7になりました」
「オレはその半分ですから」
ショウは照れて頭をかいた。
「レベルじゃありません。自分、ショウさんを尊敬しています。数々の武勇、うかがいました。先日のアカリさんとの手合わせも見事です。自分には、あのような戦い方はできません」
「誰になにを聞かされているのか……。おそらくシーナからでしょうけど、あいつ、誇張グセありますよ? つまんないことも面白おかしく言いますし」
「よくご存知ですね」
ダイゴは真面目に受け取った。
「あ、すみません。オレからこういう話をするべきじゃないですね。それで、話ってなんです?」
ダイゴは敬語の件はあきらめて、本題に入った。
「彼女を、引き取ってもらえませんか?」
「シーナのことですか?」
ショウは確認した。ダイゴからの話という時点で、シーナ絡みしかないのは察しがつく。が、「近づくな」はわかるが「引き取れ」とは意味がわからない。
ダイゴがうなずく。
ショウは考えるまでもなく「お断りします」と答えた。
「なぜです? シーナのことをもう仲間とも思っていないんですか?」
ダイゴは驚き、つい失礼な発言をしていた。気付き、口を塞ぐ。
「気にしないでいいですよ。そう訊きたくなるのもわかります。それで答えですが、オレはシーナを仲間だと思ってます。そんなすぐに忘れたり、無関心でいられませんよ。オレの中では、あの日からまだ数日なんですから」
「でしたら、なぜ?」
「それこそなぜです? ダイゴさんのほうがよっぽどシーナを想ってるでしょう? 付き合いだってオレの何倍にもなるじゃないですか」
ダイゴは言葉につまった。これを言うのは、男として屈辱にさえ思う。
「……彼女は、たぶんオレを必要としていません。むしろ枷となっています。ショウさんのお言葉どおり、ずっとシーナを観てきました。僭越ながら、愛しています。ですからわかります。彼女がどうしたいのかが。ならば自分は、彼女を解放すべきなんです。本来の彼女を、取り戻してほしいんです」
ダイゴは知っていた。シーナが自分を愛していないことを。ただ心を支えるための宿木でしかなかったことを。それでも彼はよかった。シーナの笑顔を見たときから、彼女を守りたいと思ったときから、彼はただ、支えになりたかっただけであった。それがいつの間にか彼女と肉体関係を結ぶまでになったが、彼女は一度たりとも『あのときの笑顔』を見せてはいない。……いや、一度だけあった。それは一昨日の、ショウとアカリの最後の手合わせの後だ。シーナを含めた三人が集まって話をしていたとき、彼女はたしかに陰りのない笑みを浮かべていた。それがすべての答えであろう。彼女は未だ、ただ一人を愛しているのだ。なればこそ、ダイゴは彼女を自由にすべきだと思った。
ショウはため息をつき、頭を振った。そんな話をされても、ショウは拒絶された側である。誰よりも身近でシーナを観てきたダイゴの言葉を否定するつもりはないが、だからといって簡単に受け入れられる話でもない。
「シーナがそれを望んでいるわけじゃないんですよね?」
「それは……。ですが、おそらくは……」
「『たぶん』とか『おそらく』で人の気持ちを決め付けないほうがいいですよ。言葉に出されてもそうです。本当のことかどうかは、結局、本人にしかわからないんですから」
その理論でいえば、ショウを拒絶したのも本心かどうかは不明となる。本心でなかったとすれば、恩のあるダイゴたちを裏切れなかったからだろうか。だとしても、再会して即、決別を口にできるものだろうか。できるのは、シーナがショウを必要としていないからではないか。だからこそあれが本心なのだとショウは思うしかないのだ。
「……!」
「あなたがシーナを大切に想うのはわかります。だから彼女の望むままにしてあげたい。それはすっごく綺麗な話です。でもそれであなたは本当に喜べますか? シーナにいて欲しくないんですか?」
「それは、もちろん……」
「なら、まずはたがいが喜べる道を探すべきです。一方的に話を進めるんじゃなくて、相手の話も聞いてあげてください。そのうえでシーナが戻りたい、ダイゴさんも納得するというならオレは歓迎します」
「仰る意味はわかります。ですが、その選択にショウさんの気持ちが入っていません。ショウさんは、シーナに戻って欲しくはないんですか?」
ショウはずっと考えていた。彼女がセルベントになったのを知ったときから。道が交わらない事実と、さらに先の未来。見据えるゴールの差。
「いっしょにいたいですよ。けど、無理なんです。最後は絶対に別れるから。なら、このままのほうがいいのかもしれないと、今は、そう思うようになってきました」
「なぜです? シーナを愛していないのですか?」
「それ以前なんですよ。彼女はセルベントで、オレとは進む道が違うんです。そしてゴールも違います。彼女はこの世界にいたいと思っているけど、オレの最終目標はアリアドに会って日本に帰ることなんです」
「……!」
「シーナも知ってますよ。だからオレがいなくなって、冒険にも興味をなくしてしまい、将来を考えてセルベントになったんでしょう。それに、今のシーナは懐かしさとか、あのときの無力さに苛まれてるだけですよ。原因が消えれば、きっとまた現実に戻ります」
「原因とは?」
「オレ」ショウは寂しそうに微笑んだ。
「実は、オレを助けてくれた人は『町に帰るな』て勧めてくれたんです。帰っても、過去の亡霊になるって。シーナにとっては正にそれでした。オレが帰って来なければ、彼女は過去をほじくり返されずにすんだんです」
「それはそうですが、多くの人は歓迎してくれたのではないですか?」
「してくれましたよ。涙が出るくらい嬉しかったです。だけど、一番会いたかった人を苦しめるなんて思わなかった。シーナには本当に申し訳ない。……だから、近いうちに町を出ます」
「え?」
「まだ準備が整ったとは言えませんが、今の話を聞いたら、いつまでもいられないとわかりました。だから町を出ます。そして、冒険者をはじめます」
図らずも、ショウはミコと同じ道を選択した。それ以外の解決策が思い浮かばなかった。彼女に会わせる顔がない。
「ちょっと、そんな話、聴いてないわよ!?」
アカリが大股で近づいてくる。
「いま決めたから」
「フザケンナっ。相棒に許可もとらずに何いってんの、あんた!」
「いや、それはこれからとろうかと……」
アカリに押され、もはやブリッジに近い体勢になっていた。
「アカリさん、これは――」
「ウルサイ! これはこっちの問題よ。黙ってなさいっ」
間に入ろうとしたダイゴをアカリは黙らす。といって、ダイゴは根が真面目なだけに、ショウが一方的に責められるのを放置もできない。
「違うんです。自分がシーナを引き取ってもらえないかと頼んだことが原因で――」
「は? シーナを?」
アカリは噴火を鎮め、しばし考える。そして「ああ」と手を打った。
「シーナが寂しそうにしてたから、ウチに戻りたいとか思ってるんだろうとダイゴが勝手に暴走してショウに話し、そしたらこのバカが自分が原因だから町を出れば解決だ、とか言ったわけね?」
「アカリすげー……」
百点満点だった。
「死ね」
「おいっ」
一度死に掛けた人間にそれはないだろうと思う。
「二人ともいっぺん死んでこい。死にかけじゃなくて死んでこい。そんなの外野がグジャグジャ考えるんじゃないわよ。シーナが決めればいいのよ。それで解決。以上。ショウ、帰るわよ。あんたには説教くれてやるっ」
ショウは襟首を掴まれ、引っ張られる。
呆気にとられるダイゴに、アカリがもう一つ付け足した。
「そもそもこいつ、シーナとはうまくいかないわよ? こいつ処女厨だから。しかも中学生以下限定」
「失礼なこと言うな!」
「ハッ」アカリはショウの反論を鼻で笑い、今度こそ連れて行った。
その行き先は、いつもの店である。
「まったく、ホント、バカなんだから」
アカリはずっと悪態をつきつつ定食を食べている。
「悪かったって。アカリはまだ、町にいたいよな?」
「まだ……?」アカリのコメカミがピクリと反応した。
「あんた、一人で行くとか言わないわよね?」
「あ、いや……」
「それもあたしは認めない。あんた一人で何ができんのよ? あたしにも勝てないくせに」
「それを言われるとなぁ……」
頭がどんどん下がっていく。
「シーナのこと、気にしてるわけ?」
アカリは顔すら向けずにフォークを動かし続けている。
「そりゃ」
「さっきも言ったけど、当人の問題よ。来たいなら来ればいい。残るなら残ればいい。他人の顔色を見て動かれても迷惑よ」
「アカリは厳しいな」
「あんたが甘いのよ。本気で欲しいなら無理やりにでもモノにして、オレについて来いくらい言えっての。セルベントだどうだとかは後で考えりゃいいのよっ」
「おまえはそうされたいのかよ?」
「まぁ、先々まで考えてくれるなら……て、あたしはいいのよっ。勝手を言ってるだけなんだから」
「勝手すぎだろ」
ショウは大きなため息をついた。
「で、本当に町を出るつもりでいる?」
「……きっかけにはなったな。準備がいるっていっても、それがいつになれば終わるかわからないだろ? なら、行き当たりばったりでも外へ出たほうがいいかなって。まずは安全なルートでいいから国を回ってみて、その移動中に少しずつ力をつけて、それから行きたいところへ行く。どうかな?」
「まぁ、それならいきなり危険には遭わないかもね。あんたのことだから、はじめから山奥へ入って、オークとかに遭遇して終わりになるかと思ってたわ」
「おまえはそんな計画に付き合うつもりだったのかよ」
「そうならないようにあたしが止めるって話。相棒としてね」
ショウは髪をかきあげてスープを飲むアカリに見とれた。
「……あのさ、オレ、シーナの気持ちがよくわかる」
「は?」
アカリはいきなりの言葉に、顔を上げた。
「アカリ好きだわー」
「ブフッ」
彼女は盛大に噴出し、スープが飛び散った。
ダイゴが戻ると、シーナは部屋で灯りもつけずに窓辺に座っていた。鎧も脱がず、剣も外さず、ぼうっとしている。このぶんでは、食事にも行っていないだろう。
「シーナ」
「あ、おかえり」
彼女はまた、作った微笑を浮かべる。自分の姿に気付き、慌てて立ち上がって鞘の留め金を外す。
ダイゴは頭を振った。
「さっき、ショウさんと話してきた」
「え?」
剣が鞘ごと床に落ち、大きな音を立てた。
「おまえを引き取ってもらおうと思ってな」
「なんで!? なんでそんな!」
シーナはダイゴに詰め寄った。
「まぁ、聴け。それはオレの間違いだとわかった。ショウさんに言われてな」
「……なんて言ったの?」
シーナはあからさまに不安げな顔になった。ダイゴの案が否定されたということは、自分はショウにとっていらない人間なのだと思われているからではないか。必要とされなくとも、せめていらない人間とは思われたくない。自分から距離をとっておきながら、身勝手な思考だった。だが、そう感じたのも事実だ。
「二人でよく話せと。そして互いが納得できる答えを出せと言われた。その結果、シーナが彼らのところへ戻るのがいいのであれば、受け入れるそうだ」
「そう……」
シーナは少しホッとした。だが、二人が納得する答えとはなんだろう。自分の気持ちもよくわからない。戻るのが正しいのか、ここに残るのが正しいのか。支えてくれた仲間を裏切っていくのか、仲間に尽くして生きていくのか。
今となっては、なぜ再会したときにショウを拒絶したのかもわからない。ただ、そうしなければならないと感じたのは確かだった。今ではこんなにも話がしたいと思っている。会いたいと思っている。
「そのすぐ後にアカリさんが来てな。そのショウさんの提案すら蹴散らしていったよ。前から思っていたが、本当にすごい人だな、あの人は」
「……うん、そうだよ。アカリ、すごいんだよ。わたしみたいにグジグジしないで、人にも頼らないで、一人でなんでも解決していくの。たった一人であんなに強くなれるんだよ? わたしから見たら勇者だよ」
シーナの目に涙が浮かんだ。
「わたし、はじめはアカリのことあんまり好きじゃなかった。威張ってて、人を馬鹿にするし、ワガママだし、協調性ないし、なんでショウといっしょにいるんだろうって思った。しかも勝手にわたしとショウのパーティーに入ろうとして、いっしょに冒険にいくとか言い出すの。わけわかんなかった。でも、付き合いはじめてわかった。アカリもこの世界では独りだから、やっぱ寂しくて仲間が欲しかったんだよ。それがわかってからは、カワイイなぁってからかいたくなって、やりすぎると怒るけど、ちゃんとわたしの話も聴いてくれるし、理解しようとしてくれるし、大好きになった」
シーナは鼻をかんで呼吸を楽にした。
「ショウがいなくなってからはさ、まるでお姉さんみたいに振舞うの。あーしろ、こーしろ、ぼーっとしてんなーって。だからいっしょにがんばって、いつかいっしょに冒険に出るって約束を果たそうとした。でも、現実が辛くて、夢だけじゃ生きてけないし、アカリも外に出たほうがいいよって言ったのにパン屋はやめないし、あの約束も本気なのかわかんなくなっちゃった。だからわたしはダイゴとパーティーを組んで、セルベントになるしかなかった。せめて今年いっぱいセルベントにならなかったら、ショウが戻らなくてもアカリと冒険に行けたのかもしれない。ショウとの手合わせを見てそう思った。裏切ったのはわたしなんだ。信じなかったのはわたしなんだって、突きつけられた。アカリはずっと本気だった。独りになっても本気を貫いた。ショウが帰ってきたのはね、アカリががんばったからなんだ。がんばってたアカリへの、最高のプレゼントだったんだよ。わたしじゃなくて、アカリのために、ショウは帰って来たんだよ……」
シーナは本格的に泣きはじめた。大声で泣き、ベッドに倒れこんだ。
「……はじめて聴かせてくれたな」
ダイゴはシーナの背中を撫でた。
「わたしはいちゃいけない。あの二人といる資格がない。ダイゴたちまで裏切れない。わたしはここにいる。邪魔にされても、ここにいる……」
ベッドに顔を押し付け、くぐもった声でシーナは言った。
「それがおまえの決めたことか?」
シーナは震えながら、うなずいた。
「アカリさんは言った。どうしたいかは自分で決めろって。おまえがそう決めたなら、それでいい。だがオレには、それが決めたこととは思えない。答えは急がない。もうすこし考えてみたらどうだ」
「……うん」
長い間があって、シーナはそれだけ言った。
「それと、ショウさんの最終目的は知ってたのか? アリアドに会って日本に帰るという話」
シーナは少し落ち着いたのか、ゆっくりと上体を起こした。鼻をすすりながら「うん」と答えた。
「それなのにショウさんと冒険へ出るつもりだったのか? 最後は別れるかもしれないんだぞ?」
「……最後なんて関係ないよ。冒険が目的なんだから。それがあのとき、一番楽しそうだと思った。わたしはこの世界でショウと出会って、この人だって直感したの。この人と行くのが一番いいんだって。最終目標なんて届くかどうかわからないじゃない。でも、ショウとの冒険は目の前にあった。なら、選択するまでもないよ」
シーナは涙を拭いながら、微笑を浮かべた。もう泣いてはいなかった。
彼女は意識してはいなかっただろうが、ダイゴには強く感じられた。シーナのショウへの想いが。そして自分の考えが当たっていたのを知り、胸が痛んだ。だが、彼はそれを見せない。それこそ知っていたからだ。だから耐えられる。
「セルベントに誘ったのが裏目に出たな。強くなるにはそれが早道だと思って誘ったのが、枷となってしまったな」
「ダイゴが責任を感じる必要はないよ。あのときのわたしには必要だった。だから今、こうしていられるんだから」
「だが、ショウさんも言っていた。シーナがセルベントである以上、いっしょには行けないと」
シーナは首を振った。
「セルベントになるって決めたとき、その道はもう捨てたの。ショウが生きてるなんて誰も思わなかったし、信じられなかった。アカリだってそれを知っててがんばってたわけじゃない。だから、選択は間違いじゃないよ」
しかし、表情は肯定を表すには寂しすぎた。だからダイゴは無意味な質問をしてしまった。
「……もし、セルベントがやめられるとしたら、どうする?」
「仮定の話ならやめて。わたしはもう、夢の中で生きたくない」
「そうか」ダイゴはうつむいた。と、まだ話していない内容を思い出した。彼には意味が不明だったが、シーナには伝わるのだろうか。
「そういえば、アカリさんが言ってたな。シーナがショウさんと行けないもう一つの理由を」
「もう一つ?」
「ショウさんはショジョチュー?だそうだ。どういう意味だったんだろうな」
「ブフッ」シーナは噴出した。そして脳内で反復するたび、笑い声は大きくなっていった。
「そりゃ、わたしじゃダメなわけだ」
シーナは笑い転げ、それを見てダイゴは、アカリなりの彼女を励ますジョークなのだろうと思った。ともかくも、シーナが声をあげて笑う姿が見られて彼は嬉しかった。
翌日、ダイゴは笑い話のつもりで仲間たちに「ショウさんはショジョチューだそうだ」と朝食中に言うと、ほぼ全員が持っていたスプーンを落とし、顔をしかめた。
「あいつ、サイテー」パルテはもはや憎しみさえ溢れさせている。
「誰に自慢してんだ、クズが」オックスからの評価は再び下落した。
「……」ヒデオは内心で『同志』とつぶやき、笑む。
「それ、もう言っちゃダメ」とシーナはダイゴに忠告した。
ダイゴは一人、首を傾げていた。
10月25日は日曜日である。今日はショウもアカリも休みなので、二人の朝はのんびりとしていた。
ぼーっと着替え、ぼーっと顔を洗い、ぼーっと歯を磨いて、またしばらくぼーっとする。
8時の鐘が鳴った。ショウとアカリにとっては、部屋にいるのがめずらしい時間だった。夏もとっくに終わっており、涼しくて過ごしやすい天気だ。ぼーっとしたくなるのも無理はない。
「なぁ、アカリ」
「ん~?」
「デートしよう」
「は?」まったりモードから一転、高速モードに切り替わった。
「なんだって?」
「デートしよう。暇だし」
「どんな誘いかたよ! 誘うなら気合をいれなさいよっ」
「アカリとだし、気合いるか?」
「そんな扱いするヤツと、なんでデートしなきゃいけないのよ?」
「暇だから」
「ぶん殴ってやろうかしら」
アカリの拳が震えている。
「いっしょに町を回りたいんだ。この町の冒険も満足にしてないだろ。だから、アカリと冒険がしたい」
アカリは一瞬で赤くなった。
「さ、最初っからそう言いなさいよっ。バカなんだから……」
「それじゃいこう。できれば、あの服を着て欲しいな」
「あの服? アイリの?」
「うん。オレも久々に着てみる」
「倉庫行かないと。むこうでそのまま着替えちゃう?」
「そうしよう」
ショウはうなずき、二人は外区の賃貸倉庫屋へ向かった。
途中でニンニンを見かけた。相変わらず大きな荷物を背負っている。声をかけたが、気付かずに行ってしまった。
「仕事かな」
「そうでしょ? 日曜ってイメージないし」
アカリはさりげなく失礼なことを言って肩をすくめた。
まず先にショウが倉庫に入った。アイリの作ったシャツに着替える。
二分もしないでショウは出て、アカリが入る。彼女も着替えは早かったが、一つだけ迷った。
「お待たせ」
アイリのワンピースは変わらずアカリに似合っていた。季節がら肌寒いのでストールを羽織っているのだが、これがさらに可愛らしさを引き立てている。ショウが「やっぱ、いいなぁ」と言ったのは、服だけだろうか、全体だろうか、アカリは少しだけ気になった。
「あ、つけたんだ?」
「まぁ、せっかくだし……」
アカリの髪に、黄色の樹脂でコーティングされた髪飾りがつけられていた。飾りだけではなく機能しており、両サイドの髪を後ろで押さえ、彼女の小さな耳を露出させている。パン屋の作業ではときどき付けていたのだが、ショウはまったく気付いていなかった。
「うん、カワイイ」
「……あんた、テキトー言ってるでしょ?」
素直に褒められるのに慣れていないので、つい反発したくなる。
ショウはあえて黙って笑顔を浮かべる。アカリは「もういいっ」と先に立って歩いた。
「あ、ちょっと待って」
倉庫を出ると、ショウが肩掛けカバンから紙束を出した。
「なにそれ、地図?」
「うん」ショウは現在地が描かれている紙を抜き出し、ペンで丸をして『賃貸倉庫屋』と書いた。
「マッピング?」
「そう。やっておきたかったんだ、これ。前は忙しいとか面倒とか理由をつけてやめちゃったけど、せめて行きつけくらいは残しておきたいんだ」
「ふーん。ま、ただ歩くよりはおもしろそうね」
「これは『インフィニ』派にはわからない楽しみだな。『ファイ・オニ』のように3D迷路のマッピングを自分でやる人間でないと」
「ストーリーを楽しむのに迷路なんていらないのよっ」
「ゲーム完全否定じゃないか。映画でも観てろ」
ショウがあえて挑発する。こうやって、二大派閥はケンカをするのだ。
そしてそのまま、ホウサクの店の前に来る。
「朝食はここ?」
「いや、そうだな、むこう行ってみようか」
ショウが斜向かいの店を指した。二人ともに行ったことがない。食器のシンボルがあるので、おそらく食堂であろう。
「大丈夫なの?」
「これも冒険。それにまだ通り沿いだし、そうそう危険はないだろ」
ショウはアカリを外で待たせて店に入った。数人の客と、中年女性の店員がいる。全員がマルマ人だとわかる。
「いらっしゃい……て、異世界人かい? ここはおまえたちのような上流のくるところじゃないよ」
「上流かなぁ?」
「あたしらよりはぜんぜんだね。お金が払えるんだろ?」
「え、それはもちろん」
「なら上流だよ。ここはツケで食うか、物を自分で持ってきて調理してやるかだ。まともな金なんて出てきやしない。それに、あんたらのなんだっけ? あの支払機もない。払いようがないだろ」
「あ、そうなんですね。すみません、知らなかったので。今度はちゃんと硬貨を持って出直してきます」
ショウは一礼して、出て行こうとした。
「待ちな。今日のところはツケでいいよ。次回、ちゃんと持ってきなよ」
「あ、ありがとうございますっ。アカリ、オッケーだって」
外で待っていたアカリに声をかける。「マジで?」と彼女は驚いた。
アカリを引っ張りいれると、客も店員も一斉に口笛を吹いた。
「見世物か、あたしは!」
恥ずかしさが極まって叫ぶと、また口笛が吹かれた。
「メニューはないから、適当に出すよ」
「お願いします」
入り口にもっとも近い場所に座らされた。店員なりの気遣いらしい。
出された料理はよくわからないツミレの入ったスープと、焦げた丸パンだった。
「安心おし、ちゃんと食えるもので作ってる。いちおう店だしね。店内だって、掃除してるだろ」
ショウたちの反応を見て、女性が鼻を鳴らした。たしかに、外見ほど中は汚れていない。ただ光量が足りない。あそこに窓の一つもあればいいのに。ニンニンさんなら作ってくれそうだな、とショウは勝手に間取りを想像した。
「いただきます」とショウが先にスープを食べる。味は薄めで、塩だけではない出汁の味がする。コンソメに近い。
「中区の店と違って、塩ばっかりじゃない。いろんな味がする」
「当たり前だろ。塩なんて高い物、大量に使えないよ。せいぜい干し肉やら干し魚を煮出してスープを作るしかないんだよ。まぁ、最後の方は薄すぎてお湯みたいなもんだけどさ」
女性は笑うが、それがいい料理につながっているのがわかっていないようだ。もしかすると、塩が高級なので、それ以外の調味料が軽く思われているのではないだろうか。
「異世界だとこれがおいしい料理ですよ。来てよかった。ありがとうございます」
礼を言われ、店員も、聞いていた客も戸惑っていた。
「パンはちょっとあれだけどね……」
アカリが遠慮なしに言う。パン屋の看板娘としては、一言があるようだ。
「生地をねったらしばらく放置して、それから整形、さらに放置。それで焼く。火は少し落としたほうがいいわね」
「あんた、パンを焼くのかい?」
「売るだけ。でも、毎日みてるわ」
「そうかい。今度試してみるよ」
女性は笑って厨房に戻っていった。
喜んで食べていると食事の時間はあっという間に過ぎる。
「ごちそうさま。いくらです? 今度お金持ってくるんで」
ショウが声をかけると店員の女性が出てきた。
「今日の分はいいよ。褒められちゃ、お金はとれないね」
「でもそれじゃ……」
「いいんだよ。またおいで。今度はたんまり持ってね。ふっかけてやるから」
女性は豪快に笑った。
二人は礼を言って店を出た。さっそく地図にマークをしていく。
「パルンツア食堂」
アカリが看板を見ながら言った。
「読めるの?」
「バカにしてんの!? 毎日勉強してるわっ」
「あ、そうだった」
ショウはカタカナと漢字で名前を書く。カッコして、東方語でも書いておく。読めない人は文字の形で判断できるだろう。
「読めない人?」
「うん。パーザさんに頼んで管理局に貼ってもらおうかなって。新しい人たちの案内板になるように。知らない人の発見になるように。そうやってみんなで埋めていったら、町も楽しくなるだろ?」
「青年団か!」
アカリのツッコミに、ショウは笑った。
「だったら、さらに注釈がいるでしょ?」
「なに?」
「現金のみ」
ショウは軽く噴出した。
中区へ戻り、北西に進路をとる。いきつけの武具店がそこにある。
「まだ鞘はできてないかな」
日曜でも鎚を打つ音が響いている。この武具店は管理局専属召喚労働者の装備をほぼ一手で請け負っているので、メンテナンスだけでも大忙しだった。
「いらっしゃー……来ないのは死んだときだけ? 毎度まいど、暇人ね」
「ヒドい言われようだ」ショウは苦笑いする。たしかにほぼ毎日のように通っている。
「鞘はさすがにまだですよね?」
「いや、届いたよ。忙しすぎてさすがに外注に頼んだよー。そしたらあっという間に作ってきた。金払いがよかったせいだね」
「ありがたいです」
ホリィから新しい鞘を受け取る。全面革張りだ。金属は口の部分だけのようだ。それでも硬化加工がされているので、叩くと硬い音がする。
今は剣がないので、カバンに刺した。
「ところでアカリちゃん、めかしこんでるじゃん。デート?」
「ち、ちが――!」
「はい。今日は休みなので、アカリとデートです」
「おうおう、若いねぇ」
ホリィがからかう。アカリは言い返したいが、ホリィ相手にはできない。
「デート中じゃ、他に買い物もないか」
「いえ、手斧ってあります?」
「手斧? あるよ」
ホリィが物置からいくつか持ってくる。
ショウは握ってみて、手になじむ物を選んだ。
「デート中に買うものでもないんじゃない?」
ホリィもさすがにあきれている。
「またあとで来るのも面倒なんで」
そういって、ショウは手斧を一本買っていった。
「何すんの、斧なんて?」
「昔読んだ冒険マニュアルに必須アイテムとして書かれてたから、いつか買おうと思ってたんだよ」
「どこの出版社よ?」
アカリは冗談で訊いたのだが、ショウは生真面目に答えた。
「ファンタジー系の本をたくさん出してるとこ。武器編・防具編・道具編とかいろいろあった」
「あーあー、あったねぇ、そういう本。妙に高いハードカバーで」
「そうそう」
ショウとホリィが盛り上がる。アカリはおもしろくなく、「用がすんだら出るわよ」と店を出てしまった。
「せっかちだな、あいつ」
そんな反応をする少年に、ホリィはほっこりした。
「待てよ。そんな急がなくてもいいだろ」
「別に急いでないわよ。ホリィさんだって暇じゃないんだから」
「そうだけどさ」
ショウは地図に武具店の場所を書いた。
その後は、目につく店を覗き、散策を楽しむ。
初めての場所でもっとも長くいたのが、教会である。通りがかりをツァーレ・モッラに捕まってしまい、なぜか日曜礼拝に参加させられた。よくわからない儀式だが、全体的に緩く、緊張はすぐに解けた。コーラスが始まると、あまりの心地よさに二人して寝てしまい、ツァーレに起こされたときには礼拝は終わっていた。
「お二人とも、おたがいに寄り添って気持ちよさそうに寝てましたよ」
ツァーレがそう言ったのは、眠ったことへの罰なのか、ただの事実報告なのか、微笑ましさに打たれたのか、判断に困るところであった。ただ、どれであっても二人が赤面して教会をあとにしたのはかわらない。
「内区、通ってみる?」
二人が今いるのは、町の北側・1番街である。管理局や宿のある6番街へ行くのなら、内区を突っ切ったほうが早い。
「外を回りましょ。この地図が初心者用なら、内区はとうぶん行けないでしょ」
「そうだな」ショウはうなずいて、アカリの手をとった。
驚いたのはアカリである。
「あ、あんた、なんで今日はこんなに積極的なのよっ」
「いや、デートだし。雰囲気いるかなって」
「いらんわっ」アカリは手を振り払った。
「……けど、あんたがつなぎたいなら付き合ってもいいけど」
「なんでそこでツンデレがはじまるんだよ」
「うっさいわねっ」
「ン」と改めて手が伸ばされ、ショウは掴んだ。
「これで管理局いったらどうなるだろうな」
「今日は日曜だから行ってもいいけど?」
「あっ」
からかおうとして、ショウは失敗した。アカリが意地悪く笑う。日曜の管理局は終日休業である。
第一防壁を右手に見ながら町を南下する。半周して6番街に着いたとき、それを目にしてショウは「あ」と漏らした。
「どうしたの?」
「忘れてた。もう一カ所、お礼を言いに行かなきゃいけないところがあったんだ」
ショウの視線の先に、内区へと入るための関所があった。兵士が数名、行き来する人たちをチェックしている。
「ああ、守備隊の人?」
「うん。オレの捜索のために寄付してくれたんだろ? ハリーはまぁ、置いといていいけど、兵士長さんとかにはお礼を言ったほうがいいよな」
「礼儀の上から言えばね。かなり高額だったらしいし」
「じゃ、ちょっと守備隊本部まで行ってくるよ。アカリは――」
「いっしょに行くわよ。仲間のお礼なんだから」
「ありがと」
ショウは嬉しくなって、つながれた手に少し力を込めた。
「いいってば、そういうの。ほら、行くわよっ」
アカリに手を引かれ、ショウは関所へ向かった。
関所にいた兵士にショウを知る者はなかったが、守備隊本部では名と用件を告げるとエレファン兵士長自らがトールとユーゴを連れて現れた。
ぎこちなく礼を述べるショウに、ユーゴが肩を叩いて緊張をほぐす。それで和やかに会話が進み、二人は気持ちよく本部を出た。
「英雄の帰還とか言われて、スゲェ恥ずかしかった……」
「それだけあんたを評価してたってことでしょ? 勲章まで出てるんだし、今だけいい気分でいればいいわ」
「持ち上げてるのか、叩き落しているのかわからないんだけど」
「それはこれからのあんた次第ね」
アカリはそういって笑った。
その後も日没まで町を歩き、マップを埋め、二人は帰路につく。なぜか最後はいつものコープマン食堂だった。
「ねぇ、デートの締めがここってどーなの?」
「習慣て怖いな」
「フツーに入ったあたしもあたしだけどね」
「軽く食べて、他の店にいってみる?」
「今日はいいわ。もうずいぶん歩いたし、お風呂いって休みたい」
「うん、じゃあ、そうしよう」
「これも冒険って言うのかしら?」
「どうだろう。発見はあったけど、すでに自分の町になっちゃったからな。初めて来たときのワクワクはなくなったな」
ショウは懐かしく思う。ワクワクしすぎて、日が暮れてからどうしたものか焦ったものだ。けれどその冒険がなければ、ブルーとは出会わなかっただろう。この新しい鞘に主人を与えることもできなかったはずだ。
アカリにも出会っただろうか。会ったかもしれないが、こうして向かい合って食事をするなんてありえただろうか。シーナにも、ルカにも、アイリにも、みんなにも。
「自分の町か。そうね、ここが故郷になったのね……」
そういって微笑むアカリが、ショウには大人びて見えた。
決めたとおりに風呂へ行き、宿へ帰る。着ていたアイリの服はいったん宿に置いておく。洗濯をしてからまた倉庫へ戻すつもりだった。
「今日はありがとう、付き合ってくれて」
「どうせ暇だったし」
照れたように応えるアカリにショウは笑い、窓を閉めて照明を消した。真の闇にはならない。窓の隙間から外の光が漏れてくる。
明日から、また新しい一週間がはじまる。
「ねぇ」
薄闇の中、アカリがショウの方を向いた。
「なに?」
ショウもアカリを見た。光が差し、彼女の柔らかな輪郭を浮かび上がらせた。
「しよっか」




