30 召喚のルーツ
激しい雷雨に見舞われ、彼女はため息をついた。長い金髪も風になぶられ、泥にまみれ、お気に入りの鎧もモールドが埋まってフラットになっている。目を開けているのもつらいので、開けるのはやめた。
「いやぁ、すごいなこれ。参ったね」
「これはキツイですな。いったん休みませんか?」
彼女に従う犬がしゃべった。奇妙なことに、その犬は後ろ足で立ち、赤い服を着、背中には細身の剣を背負っている。顔はシェパードに似ていた。ただの犬ではない。コボルドと呼ばれる獣人種だった。
コボルドは人間並みの知性を持ち、勇敢で忠実、さらには高潔な種である。人間とも理由がないかぎり敵対はしない。普段は二足歩行だが、四足歩行もできる。前足はどちらかといえば手に近く、人と同じように物を掴める。戦うときも後ろ足で立ち、剣や弓などの武器を用いる。相手によっては本物の犬のように牙を武器とすることもあるが、野蛮なのであまり使わない。
彼女たちはナンタン南西部の山奥にいた。この地方のこの季節限定の夕立に、彼女たちの求める場所のヒントがある。そう推測して山に入ったのである。
「嵐の中でしか特定できないと踏んだのになぁ。初日は様子見かな?」
「そのほうがよいかと。【簡易結界】を敷きますか?」
「任せるよ、ジョン」
「承知しました、ミコ様」
「うむっ」
ミコと呼ばれた若い女性が偉そうにうなずいた。
コボルドのジョンが【簡易結界】の魔法を唱える。彼を中心に、半径3メートルの半球ドームができあがった。
ミコは外套と鎧を外し、タオルで髪を拭く。そばでジョンが体を振るったため、水飛沫が彼女を襲った。ジョンにタオルを使うように文句を言い、また拭いだす。
「このあたりが『銀の道』で間違いないはず」
地図を広げて温かいお茶を飲む。
ギザギ国が存在しなかった大昔、大陸中央の住人は東の果てに『黄金郷』があると信じていた。大陸中央から極東へと向かうには、魔物の巣食う大山脈を越えなければならない。その大冒険の果てに宝があると思うのは、今も昔も変わらない浪漫であった。そして多くの犠牲の上に山脈を越えた結果、彼らが発見したのは金ではなく、銀の大鉱脈であった。それが現在、ミコたちがいるあたりである。当時の大陸中央では銀は希少であり、金とほぼ同じ価値を持っていた。噂を聞き、欲深き人々は山脈に道を通し、それを『銀の道』と名付けた。遠い昔の話である。
「その鉱山町は古代王国時代に造られたものでしたな」
「うん、かなり大きな町だったらしいよ。でもムカシンが崩壊するころには銀鉱脈も涸れ果て、人も離れていた。その後、何度か天変地異もあって『銀の道』はまた塞がれちゃった。町の一部は遺跡として今も残ってるけどね」
「それを彼らが利用したのですな」
「怪しい文献によればね。そんなのでも検証してみないと、もう辿りつけそうにないからねー」
ミコは大きく吐息し、地図を丸めた。
簡易結界の内部でおよそ1時間ほど耐えると、雲が晴れてきた。足元はぬかるみだが、のんびりしている暇はない。すぐに日が暮れてしまう。
「ずいぶん土砂が流れてるね。こりゃ、めぼしい発見も難しいかな」
ミコはぬかるみに足をとられるのを嫌い、ジョンを抱えて宙に浮いた。そのまま周囲の捜索をはじめる。崩れた崖の下からスタートし、満遍なく下流へと進む。魔力を検知しようとするが、反応はなかった。
「魔力により嵐が起きると仮定すれば、嵐が過ぎれば魔力も消える……。やっぱり嵐のときしか検知できないかぁ。う~む……」
そうしておよそ5キロほど下ったころ、ジョンの鼻がそれをとらえた。
「ミコ様、かすかに臭いがあります。動物の臭いです」
ジョンが首をもたげて臭いの先を睨む。
「動物? 銀狼かな?」
彼女の問いかけは予測ではなく願望だった。銀狼は遺跡に住み着くことが多いため、何かしらの発見の役に立つ。『遺跡の番人』と誤解を受けることもあるが、彼らにとっては単に過ごしやすい環境というだけである。
「そこまではわかりません。ですがもう一つ、人間の臭いが混ざっています」
「人がいる?」
ミコは腰の剣を抜いた。薄鋼の鎧と、同じ材質の細身の剣、それと円盾。どれも美しい模様が施されており、高価な特注品であるのをうかがわせる。
「この臭いはマルマ人のものではありません。擬似体の臭いです」
「擬似体? こんなところに?」
「まだ臭いは消えていません。辿れます」
「行ってみよう」
ミコは速度を上げて低空を飛んだ。
「あそこに足跡があります」
二人は着地し、それを調べた。
ジョンの10倍はある、犬系の大きな足跡だった。やはり銀狼だろうか。だとしても大き過ぎるが、形としてはそれがもっとも合う。さらにおかしいのは、その足跡はこの地点で終わっており、もと来た方向へと戻っていることだ。何か大きな物があったのか、泥が乱されている。
「ここで何かを見つけて拾っていったのでしょうか?」
「たぶんね。でも見て。足跡は獣のものしかない。人間の足跡がないの」
「ミコ様のように飛べるのでは?」
「うん、その可能性が一番高そう」
人の足跡がまるでない。例えば、獣の背に乗って移動したのであれば、この荒れようから見て降りて何かを探ったはず。その際も足跡を残さないというのはおかしい。飛べると考えるのが妥当であった。このとき、ミコもジョンも第三者の存在はまったく頭になかった。よほどでもなければ夏にこの周辺へ立ち入る者はいない。それが常識だった。
「魔術師となれば、手ごわいですよ?」
「なんのわたしも魔法使い。しかも剣も使える美少女よ。勝てる!」
「わかりました、行きましょう」
「わーん、ツッコんでよ~!」
「何度も申しますが、人間の冗談と言うものはわたしにはわかりかねます」
「ジョンは頭、固すぎーっ」
ミコは文句を言いつつ、またコボルドを抱えた。低空飛行で足跡を追う。
ギザギ十九紀14年8月1日16時の出来事である。
8月3日14時、少年は意識を取り戻した。薄暗い視界に何かが見える。だが、はっきりと像を結ばない。
「ミコ様、彼が目を覚ましました」
赤い服を着た誰かが覗き込んでいる。変な顔をしているようだが、靄がかかったように像が結ばなかった。しかも話している内容も、断片的にしか理解できない。カクカ東部共通語なのがかろうじてわかるだけだ。
「もうしばらく眠らせといて。あと数日は回復に専念させる」
声しか聞こえないが、若い女性らしい。こちらも東方語だ。意味はわからない。知らない単語が多すぎた。一部、『眠る』と『数日』だけはわかった。
「わかりました。【深眠】」
少年はまぶたの重さに耐えられず、また眠った。
少年が次に目を覚ましたとき、今度は視界もしっかりとしていた。が、体は動かない。首と目がかろうじて動くので、狭い範囲を見渡す。薄暗い石の天井と、壁が見える。脇から熱も感じるので、焚き火の光で照らされているのだろう。大きな部屋だった。左右の壁まで10メートルはある。天井までは5メートルくらいか。
なぜだろう、体がものすごく重く感じる。吐き気もする。
「……っ」
声を出そうとするが、出てこなかった。少年は恐怖に駆られた。暴れて叫ぼうとするが、それすらできない。
と、視界に犬が見えた。凛々しい顔をしている。こちらを覗き込み、何かを言っている。
……言っている?
少年はさらに混乱し、抵抗しようとする。だが、まるで動けない。
犬が引っ込むと、今度は女性が現れた。クセのある長い金髪の美しい人だった。指を一本立て、少年の口に当てた。
「しーっ」という声も聞こえた。
少年が落ち着くと、彼女は子供のような笑顔になった。どことなく、仲間の少女を思い出す。
「…… …… ……」
彼女が何かを言っているが、少年にはわからない。もう少し語学を学んでおけばよかったと思った。
彼女は通じたのか不審に思い、今度はこう言った。
「まだ大人しく寝ててね。治りきってないから」
と、日本語で。
少年は理解し、動く範囲でうなずいた。
「日本語は通じるみたいね。外見からして第三世代の召喚労働者っぽいのに、なんで東方語が通じないんだろ」
少年は目を見張る。言葉が通じないとはどういう意味だろうか。それに、彼女は何者だろうか。治りきっていないとは、どういうことだろうか。
「疑問はいろいろあると思うけど、もうしばらく我慢して。わたしにもわかんないこと多くてさ、キミが元気になったら話をしよう。それまでゆっくりしててよ。大丈夫、悪いようにはしないから。そうそう、わたしの名前はミコ。そっちのコボルドがジョンね。キミの名前は今度あらためて。じゃ、おやすみ」
彼女は一方的に伝え、あとをコボルドのジョンに任せた。
少年はコボルドを初めて見た。本当に犬のようだ。自分の隣に人間のように座り、何かを言っている。それでまた、少年は眠った。
長い夢を見ている。
異世界に来て、なぜか建設現場で働いたり、市場で品出しをしている。
少し暗めの少女と倉庫で働き、いっしょにパンを食べ、服を繕ってもらう。
うるさいチビがいて、臆病な少年がいて、怒りっぽい女の子がいて、服を作るのがうまい青年がいる。
のんきで大喰らいの少年と出会い、元気な少女と出会い、たくさんの先輩と出会う。
ゴブリンと戦い、訓練に励み、武器を調える。
山奥へ行き、嵐にあい、そして、雷に撃たれた。
かと思えば日本のどこかで、かつて暗かった少女と再会し、また日本を離れた。
長い夢である……
「ンなわけあるかぁ!」
女性のツッコミに、少年は飛び起きた。
「え? え?」
「え?じゃない。ながーい寝言で何を言ってるかと思えば、走馬灯か! 生きてるうちに見ておこうってか!」
「はぁ……」
起きたてに、そのテンションはついていけない。
「いえ、ミコ様が勝手に彼の記憶を覗いていたのですが」
「うん、そうだけどねっ」
自信満々に彼女は言った。
「言葉がわかる……」
少年はコボルドの言葉を普通に理解できた。
「なんだ、ちゃんを言葉が通じるじゃん。ビックリしたよ、日本語しか通じなくて」
「いえ、さっきまで本当にわからなかったんです。なんで急にわかるようになったんだろ」
「怪我のせいかな? キミ、いろいろと酷かったから」
「そうなんですか。ありがとうございます。よくわかりませんが、助けていただいたみたいで」
「んー、正確にはわたしたちじゃないんだよね。奥にいるから、あとで会いに行くといいよ」
「はい、そうします。自己紹介が遅れました、ショウといいます。ナンタンの召喚労働者です」
ショウは頭を下げた。と、自分の状態に気付き、毛布をかぶって体を丸めた。中は全裸だった。
「別にわたし、乙女っぽいけど乙女でもないから気にしないでいいよ。この10日ほど、じっくり見てるし、いじってたし」
「いじったんですか!」
「あ、いいツッコミ……。これだよ、ジョン。わたしが待ってるのはコレっ」
「いえ、まったくわかりません」
コボルドは肩をすくめて首を振った。
「て、10日ですか!?」
「うん。もっとも、わたしたちが発見してからの日数だけどね。ちなみに今日は、ギザギで言えば8月11日」
「たしかに10日経ってます。オレが雷に撃たれたのは1日の夕方ですから」
「じゃ、その日に発見できたわけだ。運がよかったね」
「はい、本当に」
助かったのは奇跡に近い幸運だったとショウも深く同意する。
「キミのカバンもあったから、着替えも含めて洗濯しといたよ。泥だらけで綺麗にはならなかったけど」
「ありがとうございます」
ミコがショウの着替えを投げた。すべて茶色くなっている。
「では、わたしは食事の準備をしましょう」
ジョンが二本足で立ち上がって火元へ向かった。ショウはそれをじっと見ている。
「コボルドは珍しい?」
「あ、はい。というか、初めて会いました」
「そっか。キミ、あんまり強そうでもないし、レベルいくつ?」
「4になったばかりです」
「ふーむ、それで夏のこの山に来たの? 無謀だねぇ」
そう言いつつ、ミコはあの獣だけの足跡の理由がわかった。まったく考えなかった遭難者が正解だったようだ。人の足跡がなかったのは、土砂に流されてきたからだ。初心者ゆえに危険度がわからなかったのだろう。答えがわかれば単純なものだ。敵性魔術師がいると用心してここへ潜入したのがバカみたいである。
「ですね。そう思います。完全に舐めてました。最近ちょっといいカンジだったので、いけるんじゃないかって」
「ダメだよー。油断大敵。慣れてきたときが一番危険なんだからね」
「はい。以前、同じことを言われました。わかった気でいただけでした。反省しています」
「いや、そんなにかしこまられてもね。わたしにはどうでもいいことだし」
「でも、こうして助けてくれたじゃないですか。だから、そういう人の言葉はちゃんと覚えておきたいです」
ミコは真っ赤になって鼻の頭をかいた。こういうタイプは今までにいなかった。彼女のまわりはマイペースか乱暴者ばかりで、例外は繊細な緑髪の少女と、人外のジョンだけであった。
「ま、まぁ、こっちもただで助けたわけじゃないしっ。たまたまってのもあるし……」
「なぜ動揺されているのですか、ミコ様」
「う、うっさいっ」
ミコはジョンに噛み付いた。
「たまたまというのは……?」
「ん? さっき言ったでしょ? 助けたのわたしたちじゃないって。ちょっと行っておいで。でも絶対驚かないように。噛みついたりしないから」
「はぁ……」
ショウは立ち上がってミコが指す奥の部屋へ向かった。薄暗いが、灯りが漏れている。
扉自体がないので、そっと中を覗いた。
「!」
そこには、銀の体毛を持つ狼が寝ていた。大きい。体長は5メートルを超えるかもしれない。
狼は鼻をヒクつかせ、目を開けた。まっすぐにショウを見る。
ショウは当然のようにビビる。驚くなというほうが無理である。
「大丈夫。そいつがキミを助けたんだよ。泥の中に埋まっていたキミを拾いあげ、ここまで連れて来たんだ」
ミコがジョンの料理を食べながら言った。
「わたしらも驚いたよ。そいつ、キミを守るように包んでいたんだ」
「言葉は通じるんですか?」
「いんや。でも、大人しいから大丈夫。どうも勘違いしてるっぽい」
「なにとです?」
「あとで話すよ。今は銀ちゃんにお礼を言いなよ。そいつも待ってるから」
「……はい」
ショウはゆっくりと銀狼に近づいた。怖くないといえば嘘だが、死を覚悟するような恐怖までは感じなかった。
首に手を伸ばす。銀狼のほうから押し付けていた。
「ありがとう、助かったよ」
声をかけると、理解したように喉を鳴らした。これでショウの怖れは消え去った。可愛いとすら思う。子供のころからペットを飼いたかったが、親の反対もあって経験がなかった。大きすぎるが、これだけ懐かれるとたまらない。
調子にのって抱きしめたり、腕を掴んで振ったりする。銀狼のほうも喜んでいるふうであった。
「連れ帰りたい……」
「いや、無理だから」
ミコがツッコんだ。
「ですよね。町に連れて行ったら、危険視されて殺されるかも」
「いやいや、エサ代だけでバカにならないし、散歩も大変だし、ウンコはもっと大変だよ」
「ですよね……」
ショウは納得した。
銀狼と離れ、ショウは食事をごちそうになった。10日ぶりのご飯である。携帯食の簡易料理でも美味しく感じた。
しばしの休憩のあと、ミコが本題に入った。
「さて、どこから訊きたい? キミの体のこと? それともここのこと? それともわたしたちのこと? どうせ全部訊きたいだろうから、順番は任せるよ。ゲームだったら選択肢がビロビロっと出てくるところだね」
ミコが冗談ぽく笑った。
「それじゃ、三番からお願いします」
「三番、わたしたちのことだね! よぉーし、解説しちゃうぞー!」
1オクターブ高い声でミコは言った。ショウとジョンは表情を硬直させて彼女を見る。
ミコは一度咳払いし、何事もなかったように話はじめた。
「名前はいいわね? ミコとジョン。職業はキミと同じ召喚労働者。ジョンはわたしの弟子で相棒で助手かな。そんなかんじ」
「レベルはいくつなんですか?」
「レベル? ずいぶん管理局に行ってないから上がってるかもしれないけど、今は20」
「20ですか。高いですね」
レベル27のブルーを身近で見ているので、ショウはあまり驚かなかった。
「まーね。キミもがんばりたまえ」
ミコは偉そうに高笑い。実際、大先輩なのでショウは「はい」と素直に応えた。
「ジョンさんとはどうして知り合ったんです?」
「別にフツー。コボルドの村に行ったら、ジョンがいっしょに行きたいと言うからいいよーって」
「軽っ!」
「いえ、実際はもっと複雑な事情の末でした」
「それはそうでしょうね」
ジョンのフォローにショウはうなずいた。
「それじゃ、ここへ来たのは仕事ですか? 何かの調査の」
ショウは改めて周囲を見渡した。映画やゲームに出てきそうな『遺跡』そのままである。石壁と、朽ちかけた家具や調度品、堆積した埃と蜘蛛の巣。
「いんや、趣味かな。遺跡巡り好きなんだよね」
「わかります! 考えるだけでワクワクしますよね!」
ショウはミコに飛び掛らんばかりに接近した。
意外な食いつきにミコは圧倒された。
「ま、まぁね……。キミも冒険、好きそうだね……」
「もちろんです! いつか絶対、冒険者になります!」
そんな熱い少年に、ミコは冷めた声を出す。
「召喚労働者はどこまでもいっても召喚労働者だよ?」
「はい、それもわかってます。でも、違うかもと教えてくれた友人がいて、同じ道をいく仲間がいます。だから、できなくはないと思ってます!」
「目がキラキラしてるんだけど……」ミコがジョンに助けを求める。
「若者はこのくらいでよいかと」ジョンは全肯定である。
「嬉しいな、こんなところで同じ気持ちの人に会えるなんて。しかも実践してる。放浪のバルって人も、こんなふうに旅してるのかな」
ミコは一転、驚いた――というより焦った顔になった。
「彼女を知ってるの?」
「名前だけですが。自由奔放に旅をしてる人だって聞きました」
ミコは「そう」と一息ついた。
「憧れてるんだ?」
「大先輩じゃないですか。いつか会ってみたいですね」
「そうかそうか。旅をしてれば、そんなときもあるかもよ」
「はいっ」
ショウは興奮気味に返事をした。
「あー、わかったから、あんまり興奮しないようにね。キミ、病み上がりだから」
「はい。……そういえば、オレ、10日も寝てたんですよね? そんなに酷かったんですか? いや、10日なら軽傷なのかな?」
治癒魔法のある世界ではその判断が難しい。もちろん、彼女たちのどちらかが使えるという前提の話になるが。
「体のことが知りたいんだね」ミコは新しいお茶を一口すすった。
「ぶっちゃけ、キミの体はボロボロだった」
「そうなんですか!?」
「うん。手足はかろうじてつながってたけど、骨は砕けまくり、肉はズタズタ、皮膚はほとんど残ってなかった。特にあごから首もとにかけてが酷くて、抉れてた」
ショウは想像して気持ち悪くなった。しかも、自分の体にその形跡がまるでないので、いっそう不思議だった。
「でも、もうピンピンしてますよ? お二人が魔法で治してくださったんですよね?」
「いや、わたしらは何もしなかった。しないほうがいいと判断したんだ。唯一したのは、眠らせること。そのほうが回復が早いと思ってね」
「……どういうことです?」
ショウはいぶかしむ。即死級のダメージが自然回復するわけがない。それに、彼は臨死体験をした。日本でアイリと出会ったのは夢ではないだろう。夢にしては、会話が整然としすぎている。
「まさに奇跡だね」
「それはそうでしょうけど……」
そんな都合のいい言葉では納得できない。
「いや、言葉遊びじゃないよ。本当に奇跡だったんだよ。いうなれば、三千分ノ一の奇跡ってやつだね」
「三千分ノ一の奇跡……」
「キミの持っていたカバンに、奇跡の種……いや、花があったんだ。それは『生命の花』と呼ばれる、奇跡を産み出す元だった。キミはそれを偶然か必然か、持っていたんだよ。その瓶が雷で割れたのか、土石で割れたのかは知らないけど、破片がカバンも貫いて、花ごとキミの背中に刺さっていたんだ」
「花? もしかして、あの白い花……?」
「そう。魔力溢れる土地にしか咲かない、奇跡の花。3000本のうち、一本しかない本物の奇跡。その花を渇望しても、一生、目にすることなく死ぬ者がほとんどなんだよ。摘み時、摘み方、保存方法、そのどれかを間違えてもアウト。効果を発揮しない」
「オレ、すごい適当に摘みましたよ? 普通の薬草を集めるように」
「でもそれが正解だったわけ。だからキミは死なずにすんだ。時間はかかったけどね。余計な魔法をかけて効果を消すのもマズイと思って放置したんだ。でも、全部は戻らなかったみたいだけど」
「え? 別に、変なところはありませんけど……」
「外側はね。……首もと、叩いてごらん」
「こうですか」と、ショウは叩いた。そして「あれ?」とこぼした。この動作はステータス・サークルを呼び出すはずだった。
「サークルが出てこないでしょ? キミの身元を調べようとしたんだけど、第三者がサークルを出せる裏コマンドでもダメだった。壊れたんだろうね。抉れたせいか、雷のせいかも。わかんないけど」
「壊れるものなんですか?」
ショウは焦り、咳き込むほど何度も叩く。が、まったくの無反応だった。
「実際に出てこないのだから、壊れたとしか言いようがないでしょ。それに一時的に言葉が通じなかったのも言語制御に影響が出ていたからだと思うよ」
「……!」
合点がいく。たしかに言葉がまったくわからなかった。勉強はしているので、それが東方語であるのは何となくわかったが、それだけであった。
「他にも影響が出ているかもしれないけど、見える異常はそんなところかな。……あ、あと、当然だけどお金もロストしてるだろうね」
「ンなぁ!」
今回一番のショックである。
「データだからねぇ。もしかしたら管理局にバックアップがあるかもしれないけど、そもそもサークルが治せるかどうかだから期待はしないほうがいいよ」
「マジかよぉ……」
いきなり所持金0からのリスタートである。もしかすると、レベルも無効になっているかもしれない。
「……いや、まだ開始一ヶ月だ。体に刻まれた経験は残ってるし、よし、取り戻せる!」
「いいねぇ、その前向きさ」
ミコが笑う。
「もういいです。またがんばりますから。……でも、そしたらあの臨死体験みたいのはなんだったんだろう」
「臨死体験?」
ショウは話して聞かせた。一時的に日本へ戻り、かつての仲間に出会ったことを。そして、彼女の勧めに従って帰ってきたことを。
ミコは「ふむ」と腕を組んだ。おもしろい事例である。だが、心当たりがないわけでもない。
「その答えは、この遺跡にあるかもね」
「ここですか?」
「キミの体はボロボロになり、ほぼ死んでいた。それを生命の花がつなぎとめていた。ここまでは予測だけど、ほぼ正解だろうね。そして、キミが強く望んだ場所へ魂だけを連れて行ったのは、ここが『召喚の間』だったからさ」
「召喚の間? アリアドが異世界人を召喚するのに使う部屋?」
「その元祖かな。召喚とは、言うなれば時間と空間を操り、術者の望んだ世界とこちらの世界をつなぎ合わせる技術なんだよ。アリア……ドが使う召喚術も、わたしたちの世界とマルマをつなげているわけだしね」
「はい、それはわかります」
「では、その召喚術はどうして産まれたのか? その発祥がここなんだとわたしは考えている」
ショウにはあまりピンと来ない。召喚術のルーツに興味がないのもある。
「召喚術についてのもっとも古い文献は、古代王国の魔術書なんだ。けれど、召喚労働者を誕生させたギザギの老魔術師ドネが用いた召喚術とは、また違う物だった。では彼は何を参考に召喚術を研究したのか?」
「この遺跡なんですか?」
「そう。ここは古代王国期の遺跡を利用して造られた場所で、元は邪神教団の隠れ家だったらしい」
「邪神って、この世界の神様って善悪ないんでしょ?」
たしかツァーレ・モッラがそんなことを言っていた。
「よく勉強してるね。そのとおり、邪神なんていないんだよ。創りあげるのはいつも人間なんだ。この世界もそれは変わらない。……ともかく、教団は邪神復活を目指すわけだ。もちろん本物である必要はない。それらしいイメージに沿ったものでよかった。その『条件に合うモノ』を探せる特殊な召喚術。それがドネ式へと続く召喚術のルーツなんだ」
「へー」
ショウの反応は薄い。聴く者が聴けば、卒倒しかねない推論である。
「うはー、なにその顔。まるで興味ないみたいな」
「いえ、なくもないですけど、召喚は今も行われているわけじゃないですか? これがすでに失われている技術なら大発見なのはわかりますけど……」
「あー、そっか。そういうふうに考えるわけか。まぁ、そうだよね。すでにある技術のルーツなんて、古臭いだけで意味はないかも」
「すみません、価値がわからなくて……」
「いやいや、そういう見方もおもしろいよ。じゃ、つまんなそうだから結論だけ言っちゃうね? この遺跡のどこかに、まだ活動している魔術装置がある。つまりは異世界へつながる門ね」
そこまで言われて、ショウは背筋に冷たいものを感じた。そして理解した。
「それじゃ、もしかしたらオレはその門を通って日本に戻った……?」
「正解」
ミコの笑顔で覆らないほどの衝撃が、少年を襲った。
「それがあれば、日本に帰れる……?」
「せーかぁいっ」
ミコは「ピンポンピンポン」まで言葉でつける。
「帰れる……。日本に……」
頭が揺れた。まさかの展開だった。アリアドに会うよりも簡単に、答えにたどり着いてしまった。
「あー、でもちょっと待ちねい。事はそんな簡単じゃないよ」
「……え?」
ショウは顔を上げた。
「問題点1。その門を実際に発見していない」
「あ、そっか」
「問題点2。その門が必ずしも日本とだけつながっているとは限らない。わたしが思うに、キミが魂だけ……と言ったほうがわかりやすいと思うからそう定義するけど、日本へ行ったのは、おそらく『奇跡』の一部。花が願いを叶えてくれただけ。でなければ、制御もなしに偶然、現代日本につながるなんてありえない。そして戻ってくることもね」
「あ、そうですね。確率でいったらありえないですよね」
ショウは冷静になった。
「問題点3。その装置を動かすエネルギーはどこにあるのか? 何かを行えば、代償となる何かを失う。この場合は単純に魔力ね。召喚術に使う魔力がどれほどかはわからないけど、【光】を灯す程度ではないのはたしか。しかも、今の召喚術を産み出したドネは、老齢だったとはいえ、術の行使によって衰弱して死んだわ。だとすれば、この無人の遺跡はどうやって魔力を貯めたのか? それもつきとめないとならない」
ミコは、その魔力供給に関してはある程度の目星をつけていた。それがこの夏の夕立とつながっているのは間違いなく、それがあったからこそ教団はこの遺跡を利用したのだろう。しかし、そこまで少年に話す必要はなかった。今はまだ、世間に知られてはならない。その意味では、はじめから内緒にしておけばよかったのだが、ミコは何しろノリで生きているところがある。つい口を滑らせてしまうのだ。
「他にも細かい問題点がボロボロあるんだけど、『奇跡』もなしに動かすことはできないんだよ。それは断言してあげる。今の遺跡は、ルーツを探る程度の資料にしかならない」
最後の言葉は、外部漏れを懸念しての今さらなフォローである。彼女自身は、この遺跡にすべてが集約しているのを疑ってはいない。
「そうですか……」
ショウは残念には思うが、いきなりゴールが現れられても困る心境ではあった。なにせ、冒険するためにこの世界へ戻ってきたら、そこがゴールでしたでは「クソゲーか!」とツッコミたくなる。
「キミの目標が日本に帰ることとかなら、これが動いたら『超クソゲー』だよねぇ」
ミコが笑う。同じことを考えていたショウも「ですよね!」と大笑いした。
そのやりとりから、ジョンはミコの思考を洞察している。彼女はショウに真実を話すつもりがないのだろう。巻き込まないためか、信用していないのか、おそらく両方の理由で。見るかぎり少年は善良なようだが、力の前に変節する人間はいくらでもいる。ただでさえ彼女には敵が多い。わざわざ増やす必要もないだろう。ならばいっそ殺してしまえばいいのだが、彼女はそれをよしとしない。特に、彼のような少年をミコは傷つけられない。なぜなら、『いいツッコミ』とやらをするからだ。「ツッコミのいい人間に悪いのはいないよ」と彼女は常に語っている。
「――と、まぁ、そんなカンジ。他に質問は?」
「えと、あの銀狼?ですか? あれがオレを助けた理由ってなんです?」
「仲間だと思ったんだよ」
「仲間?」
「そ。あの狼さんね、野生の銀狼じゃなくて、人為的に作られた遺跡の番人みたいなの。普通の銀狼って、さすがにあんなにデカくないし、この遺跡でそれらしい施設を……てのはどうでもいいや」
ミコは慌てて口を塞いだ。また調子に乗って話しすぎるところだった。また、『番人』とも言ったが、それも違う。発見した施設から考察するに、銀狼はここで行われていた別の研究の実験体だとミコは考えている。そのような不快な言葉を、狼に好意的な少年に告げるのをためらい、多少マシだと思える言葉を選んだのだ。
「んで、知ってのとおりかどうかわからないけど、第三世代の召喚労働者も、擬似体に宿ったいわば造られた存在。体の構成要素が似てるんだろうね。だから仲間と勘違いしたの。外見は問題じゃない。『匂い』が狼さんを引き寄せたのよ」
「そうなんですか……。だとしたら、一人で寂しいでしょうね。ずっと一人でこんなところにいるなんて」
「だからじゃない? 死にかけのキミをつれてきて、体で温めてたのは。潰されると困るから、こっちに寝かせたけどさ」
「そうですか」
ショウは隣の部屋からこちらを見ている銀狼に目を向けた。大きくて、強そうで、でも、寂しそうだった。
「ここにいる間はわたしたちが構ってあげるわよ。で、キミはどうする?」
「えーと?」
「しばらくここにいる? それとも町へ帰る?」
「あ、帰ります! もう10日も過ぎてるんじゃ、みんな心配どころか葬式を挙げてそうです」
ショウは冗談のつもりだったが、あながち笑えなかった。
「なら、そろそろ買出しも必要だから送ってあげるけどさ、約束してくれないかな?」
ミコは真剣に訴えかけた。
「ここのことはナイショにして。人に知られて研究の邪魔をされたくないし、銀狼もどうなるかわからない」
ミコの言い草を、ジョンはうまいと思った。研究の邪魔はともかく、あの狼を少年は無視できないだろう。情が移っているのは傍目にもわかる。あれに危害が及ぶようなマネは絶対にできないとミコも思っているのだ。彼女は自分を汚いと感じているかもしれないが、誰にとってもそれが正解であるのは明白だ。
「わかりました。ですが、お二人のことは話しても平気ですか? 自分一人で助かったでは誰も納得しないでしょうから」
「んー、まぁ、いいかな。でもジョンのことはコボルドだって言わないでね」
「はい、約束します」
「よしっ」
ミコは破願し、ショウの頭を撫でた。
「いや、子供じゃないんで……」
「あは。まぁまぁ。憂いヤツじゃ」
ミコはショウをハグした。
ショウは意外と大きな胸にドキドキした。そして、シーナよりもありそうだなと唐突に思い、彼女の顔が浮かぶと一刻も早く会いたくなった。
「ジョン、今、何時?」
ショウを解放して、ミコが訊ねた。
「朝の7時ですね。嵐の時間は避けられます」
ポケットから時計を出して報告した。
「面倒だから【瞬間移動】で行って来るわ。ついでに食料を買ってくる」
「わかりました。お気をつけて」
ジョンが一礼した。
「瞬間移動!? そんなのできるんですか!」
「まぁね。距離はあんま出ないから、ナンタンまでだと五回くらいかな」
「スゲー……」
「うっひひー」
満面の笑顔である。
「いったん外へ出て方向を見ないとね。準備して」
ショウは自分のリュックを取った。薬草の入っていたカバンは、割れたガラス瓶のせいでズタズタになっており、もはやゴミだった。剣も盾も失われている。
「これで文無しだったら今日からすぐに仕事しないとなぁ」
つい、ボヤいてしまう。
「あー、それはさすがにカワイソウだね。餞別にあげるよ」
ミコが指で何かを弾いてよこした。受け取ると、金貨だった。
「こんなのもらえませんよ! 助けてもらって、さらにお金なんて!」
「いーの。久々にいいツッコミももらえたし。それに、こういうのは回りものよ。次はキミが誰かを助けてあげるの。いい?」
「……!」その言葉は、かつてショウがアイリに言ったものである。誰かが誰かのために尽くす。そしてそれが回っていく。
「ありがとうございます」
「うん。さ、銀ちゃんにも挨拶して」
「はいっ」
ショウはうながされるまま、銀狼と長い抱擁を交わした。狼は別れを理解しているのか、名残おしそうに喉を鳴らした。
ショウとミコ、見送りのジョンが遺跡を出た。ともに10日ぶりの外界である。思いきり空気を吸い、まずジョンが気付いた。風が涼しい。
「ミコ様!」
「……うん」
ミコも気付き、周囲を観察する。眉間に皺が寄る。
「ショウ、捕まって」
「え? はい」
硬い声で指示を出すミコに、ショウは疑いもなく捕まった。ミコはジョンを抱える。
「ちょっと飛ぶよ。しっかり捕まって。【飛行】」
急に浮かび上がる彼女にショウはしがみつく。どうしたのか訊ねるが、ミコの顔は声と同様に硬質だった。
崖の上に着地する。雑草が生い茂る草原。森との境目に、人工の細長い物が刺さっていた。
近づくと、剣と盾が半分埋まる形でめり込んでいた。
「これ、オレの剣と盾だ……」
見間違えようがない。ブルーから譲り受けた鋼の剣である。錆が浮いていた。盾のほうは、木面が腐って崩れている。ほぼフレームしか残っていない。その前に花が添えてあった。もう枯れてしまっている。
「オレの墓か……? だよな、たぶん」
「キミの仲間が作ったんだろうね」
ミコの言葉に、ショウは急に実感が湧いてくる。一刻も早く帰りたくなった。
「すみません、大至急で帰れますか? なんかもう、いても立ってもいられなくて」
「ちょっと待ってね。キミには一つ、酷な話をしないといけないみたい」
「……なんです?」
「回りくどいのキライだから答えから言うよ。あれからおそらく、二ヶ月から三ヶ月が経ってる。ギザギは今、10月か11月のアタマね」
「……え?」
ショウは理解できなかった。あれから10日ではなかったか? 8月11日ではなかったか。
「その1。剣の錆ぐあい。その2。盾の板の腐食ぐあい。その3。この草原の草の高さ。夏が終わり、嵐がなくなったので新たな草が生えだした」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! なんでそんなことになるんです!?」
「ミコ様、おそらく……」
ジョンが控えめに進言する。
「うん、わたしもそう思う。あの遺跡は――」
「なんだって言うんです? なにが起きたんですか!」
「落ち着いて、ショウ」ミコはショウを抱きしめた。
「あの遺跡には召喚のルーツがあるって話したよね。召喚と言うのは、時間も空間も超越して行われるもの。しかもまだ活動していた。キミの臨死体験を聴いたときに気付くべきだった。わたしとしたことが、うかつにも対策もとらずに暴走中の魔術装置のそばにいたなんて……」
「どういう……?」
ミコはショウを解放した。
「魔術装置が外界との時間の流れを変えていたの。遺跡自体のバグか、人為的ミスか、事故かはわからないけどね。道理で百年以上も綺麗なままなわけよ。それに、銀狼が生きていたのも合点がいく。つまりあの中では、時間の流れが遅くなっていたのよ」
ミコはため息をついて頭をかきむしった。
「……遺跡にいたオレたちには10日でも、外ではもっと時間が過ぎていたってこと?」
「そういうこと」
「で、でも、ナンタンはまだあるんでしょ? みんなだっていますよね?」
「人のことまでは保障できないけど、町はよほどでもなければ大丈夫でしょ」
ミコが答えると、ショウは安心した。
「じゃ、大丈夫。帰ればみんながいる」
少年は自分の墓から剣と盾を抜き取った。補修をすればまだ使えるはずだ。鞘は残念だが、新規で作る必要があるだろう。
「それじゃ、送ってもらっていいですか?」
少年が明るく願う。が、ミコとジョンは顔を見合わせた。
「ショウ、わたしたちと来ない?」
「え?」
「キミはもう、死んだことにしたほうがいい。帰るべきじゃない」
「……なぜです?」
意味がわからなかった。
「町にはキミを待っている人がいるかもしれない。それならいいよ。帰ってあげるべきだし、キミもそれを望んでいる。でも、死んだと思い、決別した人もいるはず。二ヶ月とは、そういう時間なの。その人たちにとってキミは亡霊にしかならない。最初は喜ぶかもしれない。けど、新しい生活の中にキミの居場所はないんだよ。それをたがいに痛感するときがくる。それは不幸なんだ。だからわたしたちとおいで。キミの新しい家族となるから」
ミコが手を差し伸べる。それは、彼女だからできる決断だった。かつての自分が、ショウだった。彼をこのまま帰すわけにはいかない。
ショウは首を振った。小さく、そしてだんだんと大きく。
「……だ。イヤだっ。オレは帰るっ。みんなのところに帰るんだ!」
決意と言うよりも、駄々っ子のようにミコには見える。
「言ったでしょ? 時間というのは残酷なんだよ。キミはきっと不幸になる。まわりのみんなもね。新しい仲間、新しい家族、新しい仕事、彼らにはそういうものが積み重なっている。キミはそれを壊しに行くようなものなんだ。今はわからなくていい。わたしを信じてついてきて。悪いようには絶対にしないから」
「……なんで、そこまで言いきれるんだよ? そんなのわからないだろ?」
泣きそうになりながら、ショウは抵抗を続けた。
「わかるよ。わたしも以前、似たような境遇にあって三ヶ月ぶりに拠点へ帰った。そしたら仲間はすでにちりぢりになっていて、恋人は新しいカノジョを作っていた。はじめは歓迎してくれたよ。よかった、これからまたやり直そうって。でも、そんなに甘くなかった。恋人のカノジョには恨まれ、気持ちの冷めていたカレもまた、わたしの扱いに困って距離をとった。自分の気持ちにも整理が付かず、毎日が地獄だった。結局、わたしはぜんぶを捨てて放浪の旅に出るしかなかった。……人の心はそんなに強くない。好きな気持ちも時間が経てば薄れてしまう。今より過去を大切にする人なんていないんだよ」
ミコは自身の真実を語ることで、少年を救いたかった。
しかし、少年はそれを理解できるほど冷静でも、大人でもなかった。むしろ反発するのは当然であった。
「だとしても帰りたいんだ。帰って伝えたいことがある。やりたいことがある。でなければ、日本から戻ってくる意味なんてなかった!」
ショウはまっすぐに、涙目になりながらもまっすぐに伝えた。
ミコにはわかっていた。この結果も、そしてこの先の未来も。だが、覆せないのが人の意志なのだ。
「……最後にもう一度だけ訊くよ? 本当に、それでいいんだね?」
「はい」
「そか。しょーがない子だ」ミコはショウを抱きしめた。
「いつかまた、どこかで会ったとき、死んだ目をしてたら許さないからね」
「はい」
「立派な冒険者になりなよ。わたしみたいにね」
「はい」
ショウは少し笑い、ミコも微笑んだ。
「それじゃ、ジョン。ちょっと送ってくるよ」
「お気をつけて」
ジョンは一礼した。
「いろいろとありがとうございました。ご飯、おいしかったです」
「それはよかったです。またどこかでお会いしましょう」
ショウとジョンは握手をし、別れた。
ミコにつかまり、瞬間移動を繰り返すこと数回、ショウはナンタン外区内の陰に到着した。
「はえーっ。魔法すげーっ」
「あはは。時間があれば教えてあげてもよかったんだけどね」
「マジですか!? ……今からでも習おうかな」
「バーカ。帰るんでしょ、仲間のところに」
「はいっ」
「それじゃ、元気でね。約束は守ってね」
「はい。本当にありがとうございました」
ミコは笑って手を振り、瞬間移動で消えた。
「……あれ? 食料調達、いいのかな?」
ショウは疑問を口にし、一人で笑った。
ナンタンの10時の鐘が鳴る。
ギザギ十九紀14年10月22日10時00分、召喚労働者ショウはナンタンに帰還した。
ジョンの元に戻ったミコは、食料を忘れたことをなじられていた。
「まったく、何をしに行ったのですか、あなたは」
「ごめんってばー。すっかり忘れてたよ。あとでまた行くから」
「いえ、たまには猟をするのもよいでしょう。気晴らしになります」
ジョンはミコに気を使っていた。それを彼女もわかっている。
「だね。あーあ、フラれちゃったよ」
「そんなに彼が気になるのですか?」
「なるね。だって、もったいないじゃん」
「……もったいない?」
ジョンは聞き違えたのか思った。
「あのツッコミ力はもったいない!」
「そこですか!」
ジョンが思わずツッコむ。
「そう、それだよ、ジョン! やっとわかってきたね!」
ミコが大喜びでジョンを抱きしめ、首を撫でた。意識せず、ジョンが尻尾を振る。
気が付いて「放して下さい」と引っぺがす。
「……さて、少し真面目に話をしましょう。あの遺跡、かなり臭いますな」
「だね。プンプンだよ」
「では、まずは時流れをどうにかしないとなりませんな、バルサミコス様」
名を呼ばれ、ミコはジョンに冷たい目を向けた。
「その名前、呼ぶなって言ってるだろぉ」
「これは申し訳ありません。どこに敵がいるかわかりませんでしたね」
「いや、そーじゃなくてぇ、単にキライなの!」
「ご自分でつけたのではないのですか?」
「だからよけいなんだよね。過去の自分を殴ってやりたいよ。だいたい、語呂がカッコよすぎるんだよ、バルサミコスって」
「はい、大変、勇ましゅうお名前です」
「いや」ミコはさらにイヤな顔をする。
「バルサミコスってさぁ、バルサミコ+酢なんだよね。わたし、こっちに来てから仲間に指摘されて知ったよ。しかも後のカレシにだよ? 寝取られて別れた……」
ミコは地面に手を付いて嘆いた。
「は、はぁ……」
ジョンは何もいえない。
「しかもみんな、気を遣ってか『バル』って呼ぶんだよね。これがまた可愛くない……」
「だから『ミコ』様なんですね」
「うん……」
「見聞が深まりますなぁ……」
ジョンがしみじみと秋の空を見上げる。そこにミコが――
「そんな見聞いらないよ!」
と、いいツッコミを入れた。




