3 長い二日目
少年が目を覚ますと、陽はすでに高くなっていた。周囲のベッドはすでに空っぽで、彼は慌てて飛び起きる。チェック・アウトの時間があるものなのか知らないが、もし延滞料を請求されても彼には到底払えない。
それはどうやら杞憂だったようで、階段を駆け下りるとヒゲ面の主人から「おはようさん」と声をかけられた。
ショウが挨拶を返すと、昨夜食べたものと同じ硬いパンと一杯の水が差し出された。サービスだというので遠慮なくいただき、礼を言って酒場兼宿を出た。
街にはすでに人が溢れており、それぞれの場所へ向かって歩いている。
ショウはハンドブックを出し、町の簡易地図を眺めた。
「……え? 異世界人管理局って、きのう出てきたホールの隣の建物じゃんか」
あのときは舞い上がって地図も看板も見ずに街へ飛び出していた。道理でブルーが「寄り道するな」と言ったわけだ。本来なら直行コースなのだから。
「これなら直通にしといて欲しいよなぁ。……でもまぁ、ブルーさんに聞いたリメイク前のファイ・オニ1のように野外からスタートしないだけ親切か。初プレイで一歩目エンカウントでゲーム・オーバーだったって言うんだから」
そんなつぶやきを残しつつ、彼は異世界人管理局へ向かった。
管理局に近づくと、見るからに日本人の若者が目立つようになった。彼らはこれから仕事へと向かうのだろう。少年は彼らにこれからの自分を重ね、緊張から唾を飲み込んだ。
管理局の大きな扉を潜る。ホールとなっており、奥に受付カウンターがあった。人影はまばらだった。
列や整理券などはないようなので、空いている受付に近づいた。
「どのようなご用件でしょうか」
受付の若い女性がにこやかに応対する。作られた笑顔だとしても、ショウは少し安心した。
「きのう着いたばかりなんですけど……」
「きのうですか?」受付の女性は驚いた顔をした。
「無事に過ごせましたか? 何か、悪いことに巻き込まれたとかありませんでしたか?」
「いえ、いい先輩に出会えまして、どうにか無事に……」
なぜそれほど親身になっているのかショウにはわからない。
「そうですか、それはよかったです。では、二階の研修室へどうぞ。そちらで新人の方むけのご案内をします。係員が来るまでビデオを観てお待ちください」
彼女は安心した顔で説明を続けた。
「わかりました。ありがとうございます」
『ビデオ』という単語に首をかしげたが、ショウは軽くお辞儀をしてカウンター脇の階段を上がっていった。
二階の廊下に扉がいくつかあった。各扉の上には案内板がついており、一番手前の部屋が研修室であった。その他は会議室や局員休憩室など、異世界人管理局員用の部屋だった。
研修室に入ると、巨大な水晶球がまず眼に付いた。彼が部屋に入ると同時に作動し、映像を映し出す。脇の黒い玉からは音声が流れている。
『席にお着きください。一分後に召喚労働者・第一講習ビデオを開始します。ビデオを最初から再生するときは水晶球を二秒以内に二回、とめるときは三回触れてください』
他に人はおらず、ショウはビデオの真正面に腰掛けた。
『第一講習を開始します――』
水晶ビデオはこの世界でのルールを簡単に説明した。続いて、仕事の受諾と完了報告、報酬と税金、禁止事項と刑罰などが流れていく。
「なんだろう、この、ファストフード店か派遣バイトの紹介ビデオみたいなの……」
ビデオはたしかにわかりやすい。が、『ビデオ』という単語をファンタジー世界で聞くこと自体が違和感アリアリなのだ。『召喚労働者』という言葉然りだ。
「オレ、ここにバイトに来たのか……」
ショウは熱が冷めていくのを感じた。
ドアが開く音がした。いかにも定年を迎えた臨時職員のような男性が入室してきた。
「えー、ビデオは観たかね」
水晶球の映像を止めながら、彼はのんびりと言った。
ショウが「はい」と答えると、職員は油の切れた機械人形のようにぎこちなくうなずいた。
「では、これから最低五日間は研修期間となるから。滞在五日以上、かつ、就労レベルが2以上になれば第二講習が受けられるからね。それまでは初心者向け作業で経験を積むといいよ」
彼はショウの胸元に指先を走らせた。ステータス・サークルが勝手に出現し、サークルの背景色を白から緑に変えた。第一講習受講終了と、就労レベル1に認定された証である。
「質問いいですか?」
「……ん? なにかね」
老人の反応はいちいち鈍い。
「召喚されて72時間のうちなら元の世界に帰れるってのは本当ですか?」
「ん? んん? あ~、そうだねぇ。そういう話もあったねぇ」
「それじゃ本当?」
「その辺は入国管理課で聞いてもらえるかね」
「なら、別の質問です。自分がこっちの世界にいる間、元の世界ではどうなっていますか? 死んだことになっているんですか? それとも行方不明? 存在自体なかったことになっているとかでしょうか?」
都合よく、こちらの世界にいる間は元の世界では時間がとまっている可能性も考えたが、それはすでに否定されている。ブルーは最新ゲームのファイ・オニ7を知らなかった。彼にとっては、日本では確実に時間が流れている証拠だ。
「わかんないねぇ。それも管理課で聞いたほうがいいと思うよ」
「……わかりました」
ショウは彼に質問するのは無駄と決め付けた。
「では、他になければ解散で。お疲れ様」
職員はゆっくりと退出した。
その彼を追い越す勢いでショウは廊下へ出て、階段を駆け下りた。
「入国管理課ってどこです?」
一階の総合受付に迫る。さきほどと同じ女性がにこやかに「三階にございます」と答えた。
少年はまた走る。
野球から遠ざかり、すっかり体力が落ちていたショウは、多少息切れしながら入国管理課の扉を叩いた。
乱雑な書類束に囲まれたデスクがいくつも並んでいる。皆、忙しそうに書類に目を通し、時にはサインし、場合によっては『再提出』の赤印を押していた。
小さな受付ブースがあったので、ショウはそこにいた職員にさきほどと同じ質問をした。
今度の職員は若い男性で、ハキハキと答えた。
「ええ、72時間以内でしたら帰れます。クーリング・オフ期間ですね。それがないと民政大臣がうるさくて」
「ああ、そういう理由なんだ」
ショウはようやく回答が得られ、必要以上に感動した。
「で、こっちにいる間は、元の世界では……?」
「それにつきましてはお答えできません」
「秘密ってこと?」
「いえ、私どもも知らないのです。みなさん、同じ質問をなさるので異世界召喚庁長官にも問い合わせてはいるのですが、返事がありません。そのため、長官ですら知らないのではないかと噂されています」
「なんていい加減な……」
「まったくです。現場はこんなに大変なのに、質問一つまともに答えない。本当に、上の連中はいつも……と、すみません。取り乱しました。他に何か?」
「じゃあ、ついでに。ここで死んだらどうなるの?」
「それはもちろん、死にます。復活の儀式もありますけど、よほどのお金持ちではないとお支払いが難しいかと」
「ちょっ! 召喚されるとき、生き返らせるっていいましたよ、あのアリアドって人!」
「まぁ、そうでも言わないとなかなか、ねぇ……。よくある話ではないですか。ですが、そんな都合のいい話を信じるほうも無用心ではないですかね」
「……」
そうかもしれない、とショウは思いつつも釈然としなかった。
「では、元の世界へ帰りますか? 今だったら五体満足で戻れますよ」
「あ、いや……」ここで帰るほうが正解なのだろう。少なくとも自ら苦労を背負い込み、死地に赴くようなマネはしないで済むのだ。けれど――
「……ギリギリまで、考えてみます」
「そうですか。あなたの召喚日から算出しまして、49時間以内に決断してくださいね」
話は終ったと判断し、事務員は手元の書類に眼を戻した。
ショウは飛び込んできた勢いをすっかりなくし、一階へと戻った。ビデオで紹介されていた掲示板の前で足をとめ、初心者用のグリーン・ラベルが貼られた作業依頼書を眺めた。とりあえずでも残ると決めた以上、今日の食い扶持を稼ぐ必要がある。
「……公衆トイレの清掃作業? ペンキ塗り作業補助? 煙突掃除にパン製造……」
どう見てもやっぱりアルバイトだった。貼り出されているのは長期のものばかりで、初めてのショウには困惑が浮かぶ。かといって、単発もしくは短期で探すと、初心者向けではなく、高レベルの要人警護や荷馬車護衛、ゴブリンなどの魔物退治などになってしまう。
ショウがどうしたものか悩んでいると、背後から声をかけられた。
「初めての方でしたら、こちらはどうでしょう」
振り向くと、受付の女性が立っていた。一枚の書類を差し出している。
「これは?」
「たったいま来たばかりの依頼ですが、町内配達なので誰にでもできますよ。報酬は少ないですが、安全区域ですし、遠くもありませんから」
「じゃ、やってみます」
ショウは作業依頼書を受け取った。荷受の住所と配達先は親切に日本語のルビがついていたが、それがどこかはわからない。ハンドブックを開いてみるが、主要施設以外の場所は記されていなかった。とすると、個人宅だろうか。
「地図ってあります?」
「町内詳細地図でしたら2シグルです」
「シグル……銀貨か」
銀貨どころか銅貨一枚ありはしない。
「後払いでかまいませんよ。綺麗なままでしたら返品も可です」
彼女は素の笑顔で隠し持っていた地図を渡した。少年は完全に虚をつかれ、赤面した。
「あ、ありがとう……」
「では、がんばってくださいね。あ、時間指定なので、夕方までには完了してください。できないと判断されましたら、すぐに連絡を」
「は、はいっ」
ショウは慌てて異世界人管理局を出ようとする。それを受付職員が止める。
「待ってください。まだ作業契約書にサインしてませんよっ」
「あ」
ショウは振り返り、彼女が差し出した書類にサインした。
「はい、けっこうです。確認します。作業番号04510-1914-0704-067、集荷・配送業務。配送数1個口。作業完了期限、本日17時。報酬・税抜き6シグル。所得税・就労レベル1なので6アトル。以上です」
6シグル、3000円か。報酬としては高くはないが、安くもない気がする。結局は荷物しだいであろう。税金もレベル×1%なので30円で済むのはありがたい。
ふと、きのう出会ったブルーを思い出す。彼のレベルはたしか27だった。すると、税金で27%も持っていかれるのだろうか。そこまで取られると、さすがにアコギな気がする。それにビデオによれば、国民税と地方税なるものも月ごとに徴収されるらしい。これは月収に応じた金額とあった。国に対する貢献度で減税されるとも言っていたが、勇者候補として呼ばれてきたのにこの扱いはヒドイのではないだろうか。
ショウは激しく頭を振った。今はそこまで考える余裕はない。目の前の仕事を片付けるのが優先だ。
「では、いってきます」
「お気をつけて」
彼女は手を振って見送った。それでやる気があがるのだから、ショウは自分でも単純だと思う。
「というか、集荷地点くらい目星をつけてから出ろよ!」
と、自分の浅はかさにツッコミをいれる。路上で10数枚の紙束からなる地図を広げ、住所を調べる。
「あれ、わりと近所じゃん。お姉さん、わざわざ選んで仕事を回してくれたんだな」
彼女の親切と笑顔に心温まる。
ついでに配達先も確かめると、紙面にして丸一枚ぶん南東に行ったところだった。
「あれ、この地図って……」
改めて地図を見直し、切れ目を重ねるように並べてみる。すると、きれいに円を描いた。地図には街区番号が振られており、北を基準にすると12街区が真上に来て、その右下が1街区、次が2街区となり、一周すると11街区で終わっている。
「時計の針と同じだ。この区分けはわかりやすいな。管理局が6丁目12番地、きのう泊まった宿が7丁目、これから行くのが5丁目11番で、届け先も同じ5丁目か。街区によって通りの名前がついてるんだな」
そんなちょっとした発見が楽しい。ショウは知らないが、ナンタンでは町内区分は『丁目』ではなく『番街』と呼ばれる。管理局なら『6番街12』となる。
「でもこれ、町全部じゃないな。真ん中がすっぽりと抜けてる。……あ、中区地図って書いてある。この町ってたしか――」
ショウはハンドブックを出して、町内地図のページを見た。ナンタンの町は三重の壁で仕切られている。それぞれが内区、中区、外区である。ショウがいるのは中区で、彼が持っている地図はその部分しかなかった。
「他はまた別で買えってことかな。けっこうアコギだよなぁ。まぁ、とりあえずはいいけど」
ショウは必要部分の地図だけ抜き取り、ズボンのポケットに丸めてしまおうとした。が、束が厚すぎて丸まらない。仕方なく無理やり二つ折りにして、背中側の腰紐に差して集荷先へと向かった。
集荷先と配達先の距離は大したことはない。これは楽勝か、と集荷先にたどり着いたとき、仕事はやはり甘くないと痛感した。
お客は感じのいい老婦人だった。小さな一軒家に住み、花壇には世話の行き届いた花がたくさん咲いている。そんなささやかで和みのある家の住人にふさわしい人物だった。
「趣味で育てていてね、友人がどうしても譲って欲しいというので差し上げることにしたの。少し重いけれど、お願いしますね」
直径40センチ、高さ60センチはあろうかという陶器の鉢植えに、すくすくと伸びた植物が植えてあった。もちろん土もたっぷりだ。
「わ、わかりました……」
声が引きつっていた。
持ち上げてみる。上がらないことはなかったが、とても楽勝ではない。だが、ショウには仕事をキャンセルしようという考えはなかった。一度引き受けて断るのが男らしくないとか、格好悪いとか、そんな単純な発想もあったが、何よりも逃げるのがイヤだった。それでは今までと変わらない。大それた仕事ではないが、だからこそ余計にそう思った。
だが、気概に反して50メートルも進まず、ショウは一旦鉢植えを降ろした。
「ヤバイな、思った以上に体力が落ちてる……」
ふぅ、と一息つき、また抱え、歩き出す。今度は100メートルがんばってみた。
「リアカーがあればな。いや、台車でも、せめて背負子でもいい。抱えて運ぶのは間違いだろ」
そうはいってもないものはない。ショウは少しずつ、少しずつ抱えて歩いた。
ようやく半分といったところで、眼前には長い上り階段が待っていた。
「これ、もう、ワザとだろ!? お姉さんにハメられたんじゃないか?」
新人イビリかと疑いたくもなる。しかし嘆いても怒っても、仕事は終らない。
「クソ……!」
少年は一歩ずつ進んでいった。
普通に歩けば20分もかからない距離を、二時間弱かけてようやく辿りついた。
「お待たせしました……」
息も切れぎれで玄関に立っていた少年に、配達先の老人は驚いた。
「ここまで担いできたのかい? ご苦労だったねぇ。いや、異世界人だから魔法で運んで来ると思っていたが、そうでもないんだねぇ」
ショウは汗を流しながら、笑みを浮かべるしかなかった。魔法の世界でバカ正直に重量物を運ぶなんて、たしかにナンセンスだった。
一杯の水と受領サインをもらい、ショウは配達先から離れた。ともかくこれで2970円。地図の代金を払い、生活必需品を揃えたらいくらも残らないだろう。そんなマイナス要因を考えながら帰路についた。
異世界人管理局に戻ると、先ほどよりも多くの同業者がいた。仕事を終えた報告に訪れているようだ。今度は列ができていたので、最後列に並ぶ。
ほとんどの人がパートナーと、もしくはパーティーを組んでいるようだ。仲間内で盛り上がる者、他のパーティーと情報を交換する者、人数や職業構成はさまざまだが、とりあえず仕事が終わり安堵しているようだった。
そんな様子を眺めているうちにショウの順番が回ってきた。三つある窓口で、偶然ながら先のお姉さんが担当となった。
「無事、完了しましたか?」
受付の女性が微笑む。容姿が完璧にストライクだった。
「は、はい」
少年は照れくさくなって視線を逸らす。と、窓口の机に三角柱を寝かせたネーム・プレートがあり、『ツァーレ・モッラ』と書かれているのが目に付いた。彼女の名前なのだろう。
「では、作業依頼書を提出してください」
うながされ、ショウはポケットにしまっていた書類を渡した。
ツァーレが集荷サインと受領サインが書かれているかを調べる。
「はい、確認しました。右手をこちらの水晶球に置いて、そこの鏡を見てください」
彼女の指示どおり、受付台にあった水晶球に手を載せ、脇に据え付けられている小さな鏡を見た。ツァーレが手元のテン・キーを叩く。すると、鏡に594と数字が表示された。これがこの世界の清算機であるのは、昨夜、ブルーが酒場の支払いするときに見て知っていた。
「数字は読めますね? 税金を差し引いた報酬額に間違いはありませんか?」
「はい」
「では、お支払いします」
ツァーレがエンターキーを押す。すると電子音のような高い音がした。
「ステータス・サークルを出して確認をお願いします」
言われるまま、ショウは首元を叩き、サークルを呼び出す。所持金の欄に594が書き込まれていた。
「大丈夫です」
「お疲れ様でした」
丁寧に頭を下げる彼女につられ、「どうも」とショウも同じ動作をする。が、ハッとして背中にねじ込んでいた物を取り出した。
「これ、これの代金!」
「ああ、地図ですね。お買い上げでよろしいですか?」
「はい。汗かいちゃったから、返品てわけにいかないし」
そんな弁明を気にもかけず、ツァーレは「では、もう一度、こちらに手を載せてください」と促した。
清算水晶球に右手を載せる。彼女がテン・キーに200と入力すると、ピピッという音が聞こえた。同時に、彼の所持金が200減った。
「他に何かご用件はありますか?」
「えーと……」
ショウは考えてみる。聞きたいことは山ほどあるが、彼女の質問はあくまで仕事関係についてだろうと見当がつく。窓の外を見て少し考え、ショウは訊いた。
「この時間からでもできる短時間の仕事って何かありますか?」
まだ夕刻まで時間がある。一日の稼ぎが銅貨394、1970円では心許ない。食事や宿代も稼がなければならない。
「調べますね」
ツァーレは数枚の作業依頼書をめくった。この時間で、かつ初心者向きの作業など多くはない。検索もあっという間である。
「終業時間後の店内掃除作業が一件あります。17時から二時間作業です」
作業依頼書を提示されるが、ピンと来ない。それでも即答で「お願いします」と応じたのは、ツァーレの選択を信じているからである。自分で判断できないならば、熟練の意見に従うほうがよい。
「わかりました。では――」
少年は指示を受け、作業依頼書を手に受付から離れた。作業開始まではまだ二時間弱ある。その間に軽く何か食べておきたかった。それに買い物もある。すでに邪魔になりつつある町内マップを、いつまでも背中に差しておくわけにもいかない。
「最低限、カバンはいるな。いくらするんだろ」
日本での相場が浮かぶ。欲するような物を買うとしたら予算オーバーだろう。せめてこっちへ来る前に小遣いを換金できたら少しは楽になっただろうに。そんな不毛な考えが脳裏を横切るが、少年はすぐに頭を振って現実に戻った。
「キミ、カバンが欲しいの?」
ショウは不意の声に驚き、相手を見た。薄紫の短髪女性と、金髪オールバックの男がいた。どちらも見た目、二十歳前半である。一般人の服装で武器も携帯していないので、戦士などの戦闘職ではなさそうだった。
「初心者だろ? ステータスの色を見たよ。だったら利用できる物があるからついてきな」
「はぁ」
ショウはさっさと歩きはじめる二人の後を追った。
受付カウンターの脇を抜け、奥の廊下へと進む。
「第一講習で休憩所は聞いてるだろ? その先にあるんだ」
「いえ」
知らないので素直に答える。
「え? 係員が説明してくれただろ?」
「知りません。係の爺さん、ビデオを観たら終わりだって」
「ああ、ボノンの親父か。あいつ、よく手を抜くんだよなぁ。いいかげん、クビにしろよ」
「災難だね。それじゃ、あたしらに捕まってよかったね」
女性が手をヒラヒラさせた。
「そういや名のってないな。オレがカッセで、こっちがリラ。この世界に来て三週間てところだ。レベルもまだ2だ」
金髪男性が背中越しに紹介した。ショウも名を告げ、「二日目です。よろしくお願いします」と頭を下げた。
カッセは「これから大変だな」と応じ、前に見えてきた部屋を指差した。
「この奥の部屋が休憩所だ。就労レベル2以下の召喚労働者ならタダで寝泊りもできる。っても、布団も敷居もないから、雑魚寝だけどな」
広いスペースに出る。床から40センチ程度の高さに、15メートル四方の板の間が広がっていた。
「雑魚寝でも何でも屋根があれば」
「みんなそう思って集まるから、うるさいし狭いし臭いけどな」
「そうそう。金がないとお風呂にもいけないしね」
「風呂があるの?」
「民間の大浴場な。もっとも、風呂って言ってもサウナだけどな。入浴料は50銅貨。水浴びでいいなら、ここの裏の井戸でやれば金はかからないぜ」
「ああ、すごい助かる情報だ。ありがとうございます」
「いや、こういうのはお互い様だからな。オレたちだって来た当初は困惑したもんだ。それを先輩たちが教えてくれた。そのお返しだ」
笑みを浮かべながら話すカッセに、ショウは感動していた。基本、召喚労働者たちはいい人の集まりなのだろうと結論をだすほどに。
「で、キミに今、必要な情報はこっち」
リラがさらに奥を指差す。
小部屋だった。中には乱雑に物が置かれている。いや、投げ捨ててあるようにすら見える。物は多種多様にわたり、古着や使い込まれた武器や鎧、ロープなどの雑貨だ。変わったところでは釣竿や洗濯板などがある。
「ここにあるのは先輩たちが置いていった物さ。いらなくなったり、古くなったりしてね。でも完全なゴミってわけじゃない。ボロいけどまだ使える物が大半だよ」
「……これ、もらっていいの?」
「ああ。レベル2以下で、週に二点までという暗黙のルールはあるがな。数日ていど借りるだけならいくつでもかまわない」
「わかりました」
「そんじゃ、ゆっくり探してみるといいよ。掘り出し物があるかもだから」
リラが手を振って部屋を出て行った。そのあとをカッセも追う。
ショウは宝の山から離れ、二人の背中に大きな声で礼を言った。
二人はまた手を振って、自分たちの目的地へ向けて歩いていく。
ショウは宝探しを開始した。まずはカバンだ。漁ってみると、意外と簡単にカバンが見つかった。革の手提げや登山で使うような大きめのリュック、肩掛けカバンにウエスト・ポーチなど、とりあえずすべてを引っぱり出した。
すぐに大冒険に出るのなら登山リュック一択であったろう。しかし彼はまだビギナーで、町の外に出るのも危ぶまれるような存在である。大荷物を持って出かける可能性は低かった。必要になるころには自分で買えるくらいにはなっていると信じて今回は見送る。かといって手提げでは片手が塞がるし、ウエスト・ポーチでは容量がない。用途で消去していくと、自然、手ごろな大きさのリュックにいきついた。
「底がだいぶ薄くなってるけど、とりあえずだからいいな。住むところが決まるまで手荷物を全部いれて持ち歩く程度には使えるだろう」
ショウはさっそく、ポケットにねじ込まれている地図とハンドブック、作業依頼書をしまってリュックを担いだ。
「もう一点、甘えてもらっていこうかな。さて……」
あらためて部屋を眺める。旅に役立ちそうな道具が目立つが、ショウにはまだ早い。とすると、古着だろうか。板の間で寝るのなら外套くらいあってもいい。しかし今回は都合よく見つからなかった。少年が考えるようなことは誰もが思いつくもので、外套やコートなどのアウターは古着でも大人気商品である。
「それなら、これでいいか。何かの役には立つだろう」
少年は棚に置かれていた手垢まみれのナイフをとった。鞘を抜いてみると先端が少し欠けてはいるが、全体としてはまだ使えそうだった。鞘に比して刀身が短いのは、何度となく研がれ、大切にされてきたからだろう。
「どうしよう、ベルトに挟んでおいたほうがいいのかな」
ナイフといえど殺傷能力がある立派な武器である。街中で使うことはないだろうが、リュックの中ではもしものときに間に合わない。
しばし悩んだ末、ショウはリュックにしまった。使う機会はないと結論を出したからだ。あったとしてもうまく扱える自信もない。自分を怪我させる確率のほうが高い。
「ありがとうございました。感謝して使わせてもらいます」
誰もいない部屋に一礼し、少年は出て行った。
それから管理局付近を散策し、手ごろな串焼きを見つけて食べる。獣肉らしいが、塩の味が強過ぎて何の肉かはわからなかった。もっとも、良く知る豚や牛というわけではないのだろうが。
その後は現場に向かいつつ、今後の必需品に目星をつけながら歩いていく。
商店が立ち並ぶ一角に、そこはあった。
「魚屋か……」
ショウは魚屋という存在を珍しいとは思わなかった。現代日本での生活が長いためである。
ここ、ナンタンの町に港はない。海は東に遠く、川はあるが商売が成り立つほどの魚はいない。その知識を、少年はまだ持ち合わせてはいなかった。
この店が商売を成り立たせている理由はいくつかある。一つに、店の主人と各都市間を行商する大商人が義理の兄弟であったこと。最東の港湾都市トウタンでの瞬間冷凍魔術の進歩と普及。最後に競合店がなかったことだ。この店は、ナンタンで唯一、活魚を扱う店として有名であり、その鮮度と物珍しさは入荷するたびに売り切れるほどだった。
そんな有名店の割りに店舗がこじんまりとしているのは、輸送量には限界があるからだ。それに、薄利多売ではなく厚利少売で充分に儲かっていた。
店の表は五枚の板戸で閉ざされてはいるが、一枚分だけ開放されていた。ショウは声を大きく挨拶し、清掃作業に来たと告げた。
体格も威勢もいい中年親父が大またで近寄り、「待ってたぜ」と肩を叩く。それだけでダメージ大である。
「そこにある桶を全部、裏の水場で洗ってきてくれ。ブラシもそこに置いてある。洗ったやつは壁に釘が打ってあるから干しておくんだ」
店主が指差す先に、20ほどの手桶があった。活魚をいれていたのか生臭い。
「はいっ」と返事をして、桶を重ねて持ち出す作業からはじめる。
魚の入った桶など洗った経験がないので、ぬめりが取れるまで入念にこすり、水で流す。一つに三分ほどかかり、すべて終わる頃には腕も腰も悲鳴をあげていた。
「これ、野球の練習よりキッツイぞ」
ようやく終わって腰を伸ばす。疲労はあるが、達成感もあった。
軽く体をほぐして母屋に戻る。終了を報告すると、店主の顔は曇った。
「やけに早いな。手を抜いたんじゃないだろうな」
あからさまに疑いの目を向け、彼は裏手へ向かった。心配になってショウも付いていく。
桶を一つ一つ調べ、店主は唸る。顔がいかついので表情からはいいのか悪いのか判断がつかなかった。
最後の一つを指で撫でる。店主は「フン」と鼻を鳴らした。
「悪くない仕事だ。疑ってすまなかったな」
肩を叩かれる。痛いが、気分は悪くなかった。きちんと評価されるというのは嬉しいものだった。
「それじゃ次は床掃除をしてくれ。それで終わりだ」
「はい」
終わりが見え、ショウは張り切ってブラシで床をこすった。そのあいだ、店主は奥の板場で作業をしていた。
締めに水を派手に流し、汚れを一掃する。そこへちょうど店主が顔を出した。
「終わったか? サインするから伝票だせ」
ショウは片隅に掛けておいたリュックから作業依頼書を出し、店主に渡した。
「ショウっていうのか。今日はよくやったな。初めてにしちゃ上出来だ。次回があればまた来てくれ」
完了のサインをした依頼書を少年に返しながら、店主はいかつい笑みを浮かべた。
「はい」
少年としては嬉しい言葉である。見知らぬ土地の、見知らぬ人に頼りにされるのだから。
しかしながら、ここで「はい」と答えられても、実はお客はあまり期待をしていない。これまでの経験である。『前回と同じ人間を』と希望しても、派遣先も考慮はするだろうが結局は当人任せであるからだ。それに他に希望者がいれば任せてしまう。それが斡旋所の仕事だった。客の期待よりも、自分たちの仕事優先なのだ。そしてそうでなければ仕事が回らない。
「これを持ってけ」
店主が麻袋を押し付ける。
「干し魚だ。あぶっておいたからすぐに食える」
「ありがとうございます!」
ショウへ遠慮せず受け取った。
帰路の途中、少年はもらった魚をかじった。海の味だろうか。塩が絶妙にきいていて、魚の素材と合わさりいい風味をだしている。さらには骨までおいしくいただけるほどの柔らかさと弾力があり、二枚の魚は跡形もなく胃袋におさまった。
「今回は5シグルだから、税金引いて2475円の稼ぎか。晩飯代も浮いたし、明日一日がんばれば風呂と着替えくらいはなんとかなるかな」
今日一日は、終わってみれば悪くない結果のような気がした。一日程度では考えが甘いのだとはわかるが、いい日だったと思える。日本にいたときは褒められることがなかった。誰かに心からお礼を言うこともなかった。生きているのだと感じることもなかった。
「あと一日、がんばってみよう。それからどうするか決める」
ショウはこの世界に残るのがイヤではなかった。ただ、残ったことで日本では両親がどうなっているかが気になるのだ。いっそ、両親の記憶から消えていてくれればと願ってしまう。
「休憩所で情報を集めてみるかな」
答えを知っている人間がいる可能性もある。それこそ甘い願望だが、少年は子供としての責任は果たしたかった。
異世界人管理局の窓口は、一つを除いて閉ざされていた。利用者はおらず、ホールには談笑する数人がいるだけだった。
世話になったツァーレ・モッラは勤務終了なのかいない。清掃作業の終了報告はパーザ・ルーチンという別の受付職員が処理した。
「明日の仕事は、今もらえるんですか?」
報酬を受け取ったあと、ショウは訊いてみた。
「平日は当日の朝6時から集会を開き、募集をします。今日はどうぞごゆっくりお休みください」
彼女は事務的にそう言い、『離席中』の札と呼び鈴を出して奥の部屋に引っ込んだ。
ショウも休憩所へ向かう。慣れない作業に疲れているのが体の重さでわかる。とにかく手足を伸ばしてのんびりしたかった。
「そういや、ファンタジーなのになんで時計があるんだろ。しかも24時間法で」
そんなつまらない疑問が浮かんだ。『正確な時間』は異世界人が持ち込んだ文化である。しかし、この『一日24時間』というのは日本における24時間ではない。あくまでこの世界の一日を24で分割したものであった。だから同じ『一時間』であっても、正確にショウたちの世界の国際単位で用いられる60分ではなく、換算すると71分24秒だった。その分や秒も60分割で統一してしまっており、原子時計の秒とは異なる。
こうした時間の概念が広く伝わったのは、たまたまこちらに召喚された異世界の時計職人が、この世界の24時間時計を作ったからだ。それによって『時刻』がわかりやすく伝わり、今では大陸東部地方での統一時間となっている。ちなみに伝説の第一号時計はギザギ城の謁見の間に飾られ、今も正確な時を告げている。
余話として暦の話をすると、一年は360日、一月は30日、一週間は7日間で数えられている。一月一日は正月として新年を祝い、八月の半ばには先祖の魂を迎える降霊祭が、十月には収穫祭が行われている。
そんな世界観をハンドブックで復習する間もなく、ショウは奥の休憩所に着いた。
近づくほどに賑わいが大きくなっていたのだが、眼にして驚いた。すでに人で埋まり、足の踏み場もない。あぶれた人間は通路で座りこんでいた。猛者になると、例のガラクタ部屋で道具に寄りかかって寝ている。
「こんなにいたのか。甘く見てたなぁ」
呆然としていると、人波の中からこちらに手を振ってくる者がいた。カッセだった。となりにはリラがいる。
何か言っているが、遠いうえに雑音に消されてよく聞こえない。かろうじて聞こえたのが「二日目だ」という単語だった。
すると、人ごみが綺麗に分かれて、少年の前に一筋の道ができていった。
一番近くにいた青年が伝言ゲームの末に、最後の道を開いた。
「召喚三日間は優先だ。奥へ行け」
ショウは戸惑いつつも礼を述べ、靴を持って板間に上がった。
道に従って歩くたび、「ようこそ」「がんばれよ」などと声がかけられた。
カッセとリラのもとにたどり着き、狭いながらに腰を落ち着ける。丸まれば寝られる程度のスペースだが、ショウにとってはありがたい。
「よぉ、お疲れ」
笑顔で迎える金髪の男に、ショウは感謝を告げる。
「また、助けてもらってありがとうございます」
「気にすんな、これが伝統なんだよ」
「いいですね、こういうの。仲間意識が芽生えるというか」
「実際、こういう通過儀礼みたいのがないと、なかなか仲間が集まらないからな。なるべく顔見知りは作っておいたほうがいい」
「そうします」ショウはこの世界でやっていく上での心得として胸に刻んだ。
「ところで、ちょっと質問があるんですがいいですか?」
「なんだ?」
「ここにいる間、日本ではどうなってるかわかりますか?」
「……」
カッセとリラは顔を見合わせた。困った表情で、リラがカッセを肘で突いた。
「……わからない。オレたちだって気にならないわけじゃないんだ。何人にも何十人にも訊いた。レベル20越えの大先輩にもな。だが、答えを知ってる人はいなかった。だからもう考えるのをやめている。おそらく、みんなそうだ」
「やっぱりそうなんですか……」
「おまえはまだ帰れる。だからよけい迷っているんだろう。けど、これについては相談にはのれない。自分で決めるしかないんだ」
そうなのだろう。どちらを選ぶにしても、他人の答えに従うようではダメなのだ。それはきっと後悔につながる。
が、相方のリラは明言する。
「あたしは帰れるなら帰るね」
「そうなんですか?」
「ただし、今の記憶と経験を持っていけるなら、だけど。……今ならわかるんだよ。自分は結構できるんじゃないかって。あたし典型的なオタクでさ、しかも内向的だったんだ。一人でラノベ読んだり、アニメ観たり。だから異世界転生で一発逆転てのに憧れてさ、ホントに異世界にきちゃった。そしたらこれでしょ? もう毎日生きるためにがんばってるわけ。だったら日本でも同じことできたんじゃないかって思うのよ。できなかったんじゃない、やらなかったってわかったんだよ」
「なにおまえ、そんなこと考えてたのかよ」
カッセが意外そうに相棒を見た。
「アンタは考えたことないの?」
「ねーなー。オレは日本でも似たような生活してたし。あー、オレってどこ行ってもモブだなーとか思ってたくらいだ。けど、そろそろレベルも3になる。そうすりゃ違う町に行く許可が出る。そっからオレのニュー人生がはじまると信じてるぜ」
「そういわれると、それはそれで面白そうね」
リラが想像の翼を広げて同意した。
そんな二人の会話を聞きつつ、それぞれに思うところがあるのだとショウは知った。結局、ほしい答えは得られず、自分がどうしたいのかも判然としない。普段、活用しない頭でも少し考えてみれば帰るのが正解だとはわかる。元の自分がイヤだとしても、長く生きたしがらみが日本にはある。比べてマルマ世界には、過去を打ち消すほどの関係が何もない。構築された世界と、構築していく未来の二つがあって、今の正直な気持ちは刺激はなくとも安定した以前の生活がよかった気がしている。それは結局、自立していないと断じられるかもしれないが、高校生の子供に即時決断を迫るのは酷というものだ。
ならば先達はどうなのだろうか?
ここにいる人間の大半は人生においても、マルマ世界でも先を進んでいる。その人たちはなぜ、過去を断ち切ったのだろう。断ち切れたのだろう。
「二人は、三日のうちに帰ろうとは思わなかったんですか?」
ショウの質問に、リラとカッセはまた顔を見合わせ、さきほどと同じようにカッセが答えた。
「思わないでもなかった、てのが正直なところだな。けどさっき言ったとおり、オレは日本でも似たようなフリーターだったからな、どっちも変わらないなら新天地のが面白いだろ? 家族についてはまぁ、悩みもしたがいつまでもガキじゃいられないからな。決断は自分でしたよ」」
「あたしは半ニートで親に迷惑かけてたし、いないほうが喜んでるんじゃない? でも、帰りたいと思うこともあるし、実はあきらめてもいないんだよね」
「え?」
「帰る方法を知ってる人間が一人いるだろ?」
「アリアド……?」
「そう。こっちに呼ぶ力があるなら、戻す力もある。実際、この地に呼ばれたときにいっしょにきた一人は怖くなって日本に帰った。もちろん、本当に帰ったのかはわからないけどね。でも、能力は間違いなくあるはず。だからあたしは目標を立てたんだよ」
「目標?」
相棒のカッセが訊いた。彼も知らなかったようだ。
「王都へ行って、アリアドに会って、日本へ帰る。それがあたしのゴールだよ。それまではこの世界で生きていく。ちゃんと楽しみながらね」
リラの微笑に、ショウは心が晴れた。少年に足りなかったのは、覚悟と信念と、そして、目標だった。それに気付き、ショウは初めてこの世界にきた意義を感じた。
「それ、いいですね。賛同しますっ」
「おいおい、おまえは今すぐでも帰れるだろうが。悩むくらいならとっとと帰れよ」
カッセがあきれ顔を浮かべる。けれど少年はすっかり感化されたのか、激しく首を振った。
「オレ、このまま漫然と生きるのが怖かったんですよ。だからこの世界も怖かった。でも、目標を定めて生きていくなら、ここにいる意味もできるんですっ」
「まぁ、おまえの人生だから止めはしないが、アリアドに会えるかどうかはわかんねーぞ? それに会っても解決しないかもしれない」
「だからこそやる価値があるんです。そうでしょ?」
ショウに詰め寄られ、リラはたじろいだ。「そ、そうかもね」と引きつって答えたのは、少年の圧と純粋な瞳に押されたからだ。それに彼女はそこまで深く考えてはいなかった。アリアドに会えれば帰れると疑ってもいなかったのだ。会っても無駄かもなど、1ミリも思いつかなかった。
「よし、目標ができたぞ。で、アリアドのいる王都って、どこにあるんです?」
「ギザギ国の中心、このナンタンの町からずっと北だ。ただ、王都だけあって、オレたちのような余所者が入るには厳しい審査があるらしい」
「そっちから呼んでおいて?」
「召喚者のアリアドはともかく、周囲からすれば異世界人は相当に怪しいだろ。魔物と大してかわらない」
「そうかも……」
「さらにオレたち召喚労働者は身分制度から言えば一般市民より下らしい」
「ヒデェ」
「となれば、王都に入るには本物の英雄になるしかないんだよ。王様から会いたいと言わせるほどのな」
「道は険しいなぁ……」
そう答えつつ、ショウはワクワクしていた。大物なのか、子供なのか、判別に迷うところだが、カッセが見るかぎりは子供だからだと思う。
「そういや、有名どころも何人かいるけど、あの人たちは王やアリアドに会ったりはしてないのかねぇ」
リラが天井を見上げながら疑問を口にした。つられてショウも視線を上げたが、二階以上を支える頑強な梁と種類に統一感のない板の集まりしかなかった。
「有名どころ?」
「勇者候補じゃなくて、本当の勇者ってヤツな。オレも詳しくはないが、不退の戦士の二つ名を持つランボ・マクレーと、放浪の女魔剣士バルの名前はよく聞く」
「え、そういう人って本当にいるんですか!?」
「さすがに会ったことはないがな。オレも噂でしか知らん」
「マクレーは西の砦で遊撃隊長をやってるらしいよ。バルは対照的に、町から町を転々としてるって話。どっちもレベル50超えらしいけど、それでも王都には入れないのかねぇ」
そう口にしてみて、リラは自分の考えの甘さを感じた。一生かかってもアリアドと話す機会は得られない気がする。
「そこまでいっちゃうと、もう元の世界なんてどうでもよくなってそう。悟りも開いてるカンジ」
「ああ」リラはショウの単純な感想に納得した。たしかにこちらで最強となり英雄と讃えられていたら、今さら日本の生活に戻りたいとは思わないだろう。
「だとしたら、おまえもそうなるんじゃないか? こっちに慣れちまって、帰るのがイヤになってよ」
「それはなってみないとわかんないですよ。そのときには違う理由で帰りたくなってるかもしれないし」
「ま、そうだな。それに、そんな話は何年も先だ。オレは気の長い話より、明日の食いブチと健康のほうが気になる。てなわけで、もう寝る」
カッセは背負い袋を枕に、丸くなって横になった。
「もう?」
「あたしらは定番で早朝から昼まで畑仕事に入ってるからね。午後は単発で別の仕事に行くこともあるし、休むときもあるの。だから今日の午後はここにいたってわけ」
「あー」
と、ショウは二度うなずいた。
それを見届けると、リラも「悪いけどおやすみー」と倒れた。
少年は手持ち無沙汰になり、手近な人から情報を集めようと思った。が、周囲の半数がすでに眠りについており、起きている人間も気をつかってか談話の声も小さくひそやかになっていた。
仕方なく、ショウも体を縮めながら横になり、読みかけのハンドブックを開いた。
少年のレベルは未だ1。滞在日数二日目がようやく終わろうとしていた。