23 味方の中の敵
ギザギ十九紀14年7月28日7時。
異世界人管理局からゴブリン掃討作戦に参加する召喚労働者たちは、時間ギリギリに全体集合場所のナンタン外縁・西の監視塔前に到着した。理由は単純に、管理局集合の遅刻者が多かったからだ。
全体集合場所にはすでにナンタン守備隊の兵士や訓練所から直接やってきた召喚労働者が待っていた。
「遅い!」と大隊長ハリー・ガネシムが馬上で怒鳴る。駆け足の速度がさらに上がった。
グダグダ、クタクタになりながらも、急ぎ整列する。異世界人たちの装備はほぼ統一されているが、一部に個性的な者たちがいる。管理局専属召喚労働者ではない、一般の召喚労働者たちだ。他が兵士の色とセルベントの色で分けられているので、目立つことこの上ない。
大隊長にして、栄誉あるサウス公爵近衛騎士長の息子ハリー・ガネシムは、その中に仇敵を発見した。
「おい、そこの小僧、こっちにこい」
視線があきらかにぶつかっているが、ショウは動かなかった。ささやかな抵抗である。
「おまえだ、おまえ! さっさと出て来い!」
「自分ですか?」
「そうだ、おまえだよ! ここに来いと言ってるんだ!」
ショウは仕方なくハリーのそばへ寄った。
「あれ、ショウじゃねーか?」
訓練所組の列にいたマルが、隣のルカに話しかけた。
「そうだね。いつの間にかいい装備してるね」
「いや、それはいいだろっ。なんでアイツ、名指しで呼ばれてんだ?」
「あまりいい雰囲気じゃないね」
ルカは動向を見守った。
「久しぶりだな、小僧。これからよろしく頼むぜ。おまえはオレの小隊に入れてやる。ありがたく思えよ」
ショウは何も答えなかった。何を言っても反感を買うだけなのはわかっている。
ハリーは手にしていた馬の鞭を落とした。「拾え」と命令され、ショウは屈んだ。
そこへ、後頭部に衝撃が走った。
ハリーが馬上から鉄靴で踏みつけたのである。ショウは完全に油断していて、その場に倒れた。革の兜と鉢金のおかげで出血はなかったが、目の前が真っ暗になり、立てなかった。
異世界人・兵士を問わず、見ていた全員が驚いた。声をあげた者も少なからずいる。
「あいつ――!」マルが飛び出しかけたのを、ルカがとめた。
「なんでとめんだよ! おまえ、頭こねーのかよ!」
「……キてるに決まってるだろ。けど、今は見逃す。ここで暴れたら、ショウの立場がさらに悪くなるからね。だけど機会があればヤるよ。ボクの大切なものを傷つけたことを泣き叫びながら後悔させ、それからさらに刻んでやる……!」
「お、おう……」
普段のルカからは想像もできない過激な発言である。先日、戦闘訓練中にも過激な行動に出そうになったと聞いたが、マルは詳しく知らない。
「さてと、そんじゃ小隊編成を行う。小隊は、兵士1名に対し、おまえらが4。5小隊を1中隊とし、各方面からゴブリンを駆除しつつヤツらの巣を目指す」
ハリーは地面に這いつくばるショウを無視して話しはじめた。
「まず男女で分かれろ。オレの右手が男だ」
ハリーが右手を軽く上げる。異世界人たちはすぐに行動した。理由もなく――禍根はあるが――無抵抗の者を蹴りつけるような相手に逆らってもいいことはない。そもそも兵士と事を構えるつもりははじめからなかった。
一部を除いて。
「大丈夫?」
人の波が生まれると、シーナとアカリはすぐにショウのもとへ駆けつけた。同時にマルとルカも寄ってくる。
「……ああ、大丈夫」後頭部を押さえてショウは立ち上がった。
「ショウ!」
「マル、ルカも。元気だったか?」
「たりめーだろ。少なくとも今のおまえよりな」
マルが軽口で返す。ショウは懐かしく、嬉しくなった。
「ショウ――」
ルカも声かけようとして、「なにやってんだ、おまえら!」とハリーの邪魔が入る。
「さっさと移動しろ! 作戦はもう始まってんだぞっ」
ショウたちはハリーを睨みつけるが、そんな彼らの間に入る者がいる。
「ほら、並ぶぞ」
「女の子はこっち」
カッセとリラだった。カッセはショウの肩を軽く叩き、リラはウィンクして、それぞれの陣営にマルたちを連れて行った。
ショウの視界に、コーヘイやレックスなどの見知った顔が心配そうに自分を見ていくのが入った。
「カッセさん、リラさん、みんな……」
「おまえはそこで座ってろっ」
感慨に浸るショウの背中をハリーが蹴る。ショウは拳を握ったが、振り上げることはなかった。
「よし、分かれたな。女は50人くらいか? 残念だがちと多いな」
ハリーは馬を進めて女性陣を一通り眺めた。そして、「おまえ、前に出ろ」と鞭で指名する。ショウの知らないセルベントの女性だった。
「わたしですか?」
「そうだ。前に出ろ。それと、おまえ、おまえ……」
次々と指名していく。その中にシーナとアカリ、リラもいた。全部で19名。
「おまえたちはオレの中隊だ。第1から第5小隊の好きなところに入れ。あとで交換するかもしれないがな」
ハリーは笑った。彼の背後にいる第2・第3小隊の隊長も下卑た笑みを浮かべている。この3名だけが他の兵士と雰囲気が違う。他の小隊長たちは、たしかに兵士の風格があった。おそらく第1から第3小隊長は兵士ではなく、貴族なのだと皆、感じた。とすると、同じ第1中隊でも、第4・第5小隊長は貴族の護衛ではないだろうか。だとしたら相当の腕利きのはずだ。
「次、男のほうだ。第6から第10小隊は第2中隊として露払いを任せる。おまえらにはレベルってのがあるんだろ? その高い順に整列しろ。同レベルは背の順だ。前から20人が第2中隊だぞ」」
男たちはレベルを宣言して、入れ替えを繰り返しながら順番を決めていく。巨漢のレックスが先頭、コーヘイも前にいる。レベル3が団子状態で、背の高さで言えばイソギンチャクが一番高かった。ルカとマルは馬鹿らしいのか、順番を無視して列の最後尾に並んでいた。
「残りは第11から第50小隊だ。各小隊長が前にいる。適当に並べ」
各小隊長は、小隊旗を掲げていた。それぞれに番号が振ってある。異世界人たちは一様にバス旅行の集団を思い出した。6番や11番など、5の倍数プラス1の旗が一際大きいのは、中隊長を表すと説明がされた。
中隊の並びは、西の森の外縁沿いに北から南に一列となっている。もっとも北側に第5中隊、そのすぐ南に第4、第3と続き、第2と本営である第1が南北の中心にいる。その南側に第6が、以下、第10中隊まで125名が列を作る。
この編成で西の森へ入り、はじめは放射状に広がって進む。中間点を過ぎたあたりから最終目的地であるゴブリンの村へ向かって収束する計画だった。ゆえに南北両端に属する第5と第10中隊のメンバーがもっとも長く行軍する。逆にもっとも短いのが、直進する第2と第1である。
「よし、まとまったな。では、ゴブリン掃討作戦を開始する! 各中隊、進めー!」
中隊長を先頭に、小隊単位で森へと入っていく。実戦部隊は兵士50名と召喚労働者200名だが、その他に救護兵・補給隊・伝令兵などが、中隊ごとに数人ついている。
補給隊の規模がもっとも大きいのは、当然ながら第1中隊だ。馬3頭分の荷物が第4と第5小隊の間を歩いていた。
馬に乗って移動しているのも貴族の三人のみである。貴族であるのを特権と思っているのか兵士の規律など無視して小隊長自らが隊列を乱し、第1から第3小隊ははじめから混成していてまとまりがない。
「いや、よいものですな。女戦士に守られての行軍というのは」
ちょびヒゲの、コセル子爵家長男にして第3小隊・隊長のカオン・コセルが馬上から女性たちを見下ろし、ニヤけた。
「まったく。こんな楽な旅に同行しないなんて、他のヤツらはつくづく臆病者だ」
ライリ・アフ第2小隊・隊長が同僚の貴族をこき下ろす。彼は男爵家の息子で、この作戦を名を高めるための単なる箔付け旅行と思っている。
両人ともに貴族であるが、親の代からの成り上がりである。かつての名家が跡継ぎがないなどの理由で途絶えていたものを、両家とも金と根回しで買ったのだ。騎士階級とはいえ高名なガネシム家と比べれば、名などないに等しい。その意味でもこの作戦を成功させ、少しでも『成り上がり』を払拭したいと当主は考えていた。しかし、任された子息たちはその重みを感じてもいない。
「あの赤毛、いい尻をしてるなぁ」
10歩先を歩くアカリを嘗め回すように見つめ、ライリが笑う。
その声はアカリにも聞こえていたが、ガン無視した。反応すればおもしろがるだけだ。
「いつかあいつら刺そうね」
「あたしは目玉を射抜くわ」
シーナとアカリがたがいも見ずに会話する。
「それより、あっちのが心配ね」
アカリが前方のショウに注目する。彼はハリーから奴隷のような扱いを受けていた。わざわざ馬に括りつけてあった荷物を降ろし、ショウに担がせている。それだけではなく、馬用の鞭でときおり頭を叩いていた。兜がなければ腫れあがっていただろう。
「きのう、ショウがこうなるのを予測してたけど、わかっていてもムカつく」
シーナが加害者の男を睨みつける。当人はその殺意をこめた視線に気付いていない。
「でも、あんなのでも大将だからね。短気を起こして反発したら、無関係な人にもどんなとばっちりがいくかわからないのもたしかよ」
ショウはそれを理由に、できるだけ自制すると二人に話していた。
「だからって、我慢にも限度があるよ」
「わかってるわよ。たぶんあんたより、あたしのほうが先にキレる自信があるわ」
アカリは断言した。
二人の少し後ろに女性三名のグループがいる。彼女たちは無抵抗で頭をはたかれている少年の姿に、幻滅した表情を浮かべていた。セルベントの鎧をつけており、パーティーの目印なのか兜に赤い羽根を刺している。
「なにあれ? あれが噂に聞いた兵士にケンカを売ったってヤツでしょ?」
「そうだよ。牢屋に何日も入れられてたらしい」
「そんな度胸があるようには見えないんだけど」
「聞いた話とイメージ違うね。カッコワル」
「牢屋でいたぶられて、ビビっちゃったんじゃないの?」
「アッチのほうまでイジメられたとか?」
「イジメられた、じゃなくて、イジられたじゃない?」
「うはーっ」
彼女たちの話し声はアカリたちにも届いていた。声が大きいだけではなく、女性の高い音はよく通る。ショウにも聞こえているのではないかと、シーナはそちらのほうが気になった。しかし、少年は変わらず叩かれ、蹴られている。
「あの子たちも少しは考えて話せないものかなぁ」
「無理でしょ? 事情を知らない人から見たら、ただのイジメられっ子だわ。反発する気概もない、ただ薄ら笑いを浮かべてやり過ごすことしかできない可哀想な人」
「……っ」
シーナは言葉につまった。彼女がもっとも嫌いな『自分の姿』だった。
「でもね、あたしたちは知ってる。そしてあの子たちもいつかわかるわ。だから今は邪魔をしちゃいけない。かわりに、やるときは徹底的にやってやるっ」
その頼もしいアカリの発言に対し、横から口を出された。
「なにをやるのかしら?」
「!」
シーナとアカリは驚いて距離をとった。
二人の女性がいた。両者共にセルベントの装備を纏っている。一人は目の細い、全体的に緩い雰囲気で、もう一人は間逆ともいうべきか、切れ長の目で凛々しい感じだ。シーナは前者に見覚えがあった。
「えと、コロネさん、でしたっけ?」
シーナは相手を確認して緊張を解いた。
「はい、あのとき以来ですね」
コロネもシーナを覚えていた。管理局専属になるかどうかを迫られた会議室で、二人は出会っている。そこでシーナはルカとのケンカを仲裁された。
「シーナ、こちらは?」
と、アカリはもう一人に視線を移す。当然、シーナの知り合いなのだろうと思った。が、彼女も知らないので首を振った。
「初めまして、だろうね。あたしはリラ。あの子のちょっとした知り合いだよ」
と、リラはこの場のいる異世界人で唯一の男を指差した。
「ショウの?」
アカリは驚いて薄紫髪の女性を見た。
「そ。あの子がこの地に来てすぐのとき、あたしと相棒で何度か面倒を見てあげたの。すぐにあたしたちは訓練所に入ったから、それ以降は知らないんだけどね」
「そうなんだ。えと、あたしはアカリ、こっちがシーナ。今のあいつの相棒かな」
「ご丁寧にどうも。わたしはコロネ。リラさんのお友達です」
コロネが歩きながらお辞儀をする。アカリはリラに話しているのであって、彼女は眼中になかった。それをおそらくリラとシーナもわかっており、コロネの自己紹介はタイミングがズレていると感じた。『ああ、この子、天然だ』と三人は意識を共有する。
リラはアカリとの会話に戻った。
「ところで、彼の知り合いならもう一人いたでしょ? あの女の子はどこ? 別の中隊?」
「もう一人……?」
シーナはわからず、アカリを見る。赤毛の少女は思い当たるのか、表情を硬くした。
「……アイリのこと?」
「名前はわからないけど、ピンクの髪の子。最後にショウと会ったときにいっしょにいたんだけど。……もしかしてケンカ別れでもした?」
アカリの表情に、リラは深読みした。
「いえ、あの子は日本に帰ったわ」
「そうなの……。まぁ、それも選択よね」
リラはそう言って、言葉を締めた。
「それで、さっきの話なんだけど……」
コロネが空気を読まずに話題を戻す。
「さっきの?」
「ええ。彼の邪魔をしちゃいけないとか、徹底的にやるとか」
「……」
シーナとアカリはアイ・コンタクトをとるが、成立した気がしない。同時にため息を吐いた。
「えーと、あそこで殴られてるバカだけど……」
「あれが趣味なんですっ。だから邪魔しちゃいけないと」
「しかもドMで徹底的にやられないと気がすまない! と、そういう話」
「はい、嘘」二人の即興に、コロネは間髪いれずにツッコんだ。
「嘘はダメ。信頼関係を壊すわよ」
「そもそも今日初めて話す人と信頼関係なんてあるのかしら?」
今度はアカリがツッコむ。
「それはそれ。大丈夫、悪いようにはしないから」
「本当だよ。あれを見て平気でいられるほど、あたしらは無関心でいられないよ。ましてやショウは弟分だからね」
コロネとリラの顔に、悪意や興味本位は感じない。それは主観ではあるが、シーナもアカリも同じ気持ちになった。
「実はですね」シーナは話しはじめた。ハリー・ガネシムとの因縁や、現在の状況とショウの考えを。リラもコロネも、シーナの言葉が終わるまで黙って聴いていた。
「なるほどね。ずいぶんとまぁ、まどろっこしいことを」
「本当に。口で言ってもきかない阿呆は、力で教えてあげるべきですよ」
リラとコロネは怪しく笑った。本当に話してよかったのか、シーナたちは不安になる。
「でも、ショウがそう言うなら、少し様子をみるとするわ」
リラは嘆息し、コロネとともにアカリたちから離れた。
同じころ、ナンタン外区の一角で、二日酔いの男と白い魔法少女が話をしていた。
「山狩り……」
少女が男につぶやいた。
「あ? ああ、今日がそうだっけか? あいつら行ったのか?」
ブルーは椅子にもたれ、上を向いたまま目を閉じた。とりあえず寝たかった。
「行った」
「そうか、成功を祈る」
ブルーは酒のかわりに水のコップを空けた。
「行かない?」
「行かねーよ。兵士がついてんだろ? メンドクセー」
「行かない?」
「行かないっつーの。集団戦闘になったら自分の稼ぎがわからなくなるだろ。他人にスコアをやれるか」
「残念」
「つか、行きたいなら行けばいいだろ」
「一人は危険」
「そうだな。じゃ、あきらめろ」
「……」
ピィはテーブルに突っ伏した。
二時間後、もっとも先行する第2中隊・第6小隊と第7小隊は、前方の草むらに小さな揺らぎを発見した。
中隊長が停止を指示し、波が伝わるように次々と隊員たちはその場に屈んだ。しかし体の大きいレックスとイソギンチャクは草むらに隠れきれない。自分で気付いて木の陰に潜んだ。
「弓持ち、前へ」
中隊長の命令で、第6小隊のジューザと、第7小隊のサトとレイジが立った。
「射て」
三人の短弓から放たれた矢が木々を抜け、草むらに突き刺さる。小動物が跳ねて逃げていった。
「安全を確認。出発する」
中隊長は再び歩きはじめた。
第6小隊は、ほぼレックス・チームで固められていた。タカシとジューザも同じ隊におり、部外者は四人目のイソギンチャクだけだ。
第7小隊はコーヘイの知り合いだけで構成されている。サトとレイジ、訓練所にいたクロビスである。
第2中隊は最前線へと出るため、召喚労働者の中でもレベルの高い者で構成されている。が、中隊長は実際の編成をあるていど自由にさせていた。召喚労働者は素人だ。セルベントと呼ばれる実戦部隊と喧伝されても、発足から間もない新兵の集まりに過ぎない。それが兵隊として動くのを期待するのは無謀だった。ならば仲間同士のチームワークに頼らざるを得ない。そういった理由で、各小隊がやりやすいようにチーム分けするのを許していた。どうしても人数が余るか、足りないときはイソギンチャクのようなフリーと混ぜている。
第6小隊は、レックスとイソギンチャクという、250名の実戦部隊の中でも1、2を誇る巨漢を連れている。最前線を任されている中隊長としては、盾になる戦士がいるのは頼もしいかぎりだ。実戦でどれだけ役に立つかはわからないが、威圧感だけは強い。
それは当人たちも意識するところである。ほとんどの異世界人は、肉体変化のさいに巨漢を選択することがない。ゆえにレックスとイソギンチャクは、管理局で目が合うとなぜか嬉しく感じ、言葉は交わさずとも同志のように思っていた。それが今回、チームを組むこととなり、二人はすぐに交友を持つようになった。話題は戦士としての生き様にはじまり、経験豊富なレックスが後輩戦士に体を活かした戦い方を教えてたりしている。
彼らよりも南側に第7小隊がいる。第2中隊は、中隊長のいる第6小隊を中心に横一列で進んでいた。本営を守るため、敵の発見を第一にしているからだ。そうはいっても全員に長い緊張感を持続させるのは不可能であり、非効率的でもある。第2中隊長は索敵さえこなしていれば私語の禁止はしなかった。度が過ぎれば叱りもするが、兵隊ではない召喚労働者を縛りつけてもよい結果が生まれないのは経験で知っている。
レイジとクロビスの会話も、その緩めの規則に従って行われていた。
「訓練所で魔法を覚えたって?」
「ああ」
レイジの問いに、クロビスの返事は短い。
「羨ましい。オレも早く訓練所に入りたいよ」
「それより、ショウはどうしたんだ?」
「ああ、訓練所にいたから知らないか」
レイジはクロビスにあの大隊長とのイザコザを小声で話した。レイジ自身も聞いた話であるが、情報源が現場にいたタカシやジューザからなのだから、たしかである。
レックス班とコーヘイ班の交友はごく最近に結ばれた。レイジを含むコーヘイたちは、薬草採取作業の護衛が一時凍結されたとき、レックスらの畑作業の護衛に入ったことがある。ショウの投獄理由もそのおりに聞いていた。
「訓練所でも噂はあった。兵士にケンカを売って牢屋に入れられた者がいると。まさかそれがショウだったとは……」
「マルも訓練所にいたんだろ? 話は出なかったのか?」
「名前までは誰も知らなかったからな」
「そうか」
レイジもクロビスも、そこで会話が終わった。
同じころ、そのマルともう一人の友人ルカも、同じ第11小隊のメンバーからショウの話を聞いていた。そのメンバーはレイジほど詳しくは知らなかったが、二人はショウの性格と合わせて想像力で補い、おおよその経緯を掴んだ。
「まさかホントにあいつだったか。チクショぉ、この戦いであいつよりゴブリンを多く斃してやるぞっ」
「そっちかい? ボクはよけいショウが心配になってきたよ」
ルカはマルのやる気の方向が違うのに呆れた。
「あいつが上官のイビリくらいでヘコたれるわけねーだろ。むこうもまさか殺すまではやらねーだろうし、あのひねくれ女たちが黙ってるわけもねー」
「だろうけど、もどかしいな」
「いざとなればすぐにいけるだろ。そんときゃ止めやしねーよ」
マルはルカの背中を叩いた。ルカは大きく一呼吸し、それからまた歩き出した。
昼が近くなり、各中隊はそれぞれに休息をとる。第1と第2中隊以外はすでに距離が離れており、現場指揮権限は各中隊長に委譲されている。
ショウは一息を入れた。意味のない重量物を背負わされ、さすがに疲れている。
「誰が休んでいいと言った? おまえはそのままそこに立ってろっ」
ハリーは鞭でショウのヘルメットをペチペチと叩く。ショウは唇をかんで耐えた。
「フンッ」鼻を鳴らし、ハリーは専用の簡易天幕に入った。
その隙に座り込んでもよさそうなものだが、第4小隊のトールという兵士が周囲の警戒をしている。難癖をつけられるのも面白くないので、仕方なしにそのままの体勢で水筒の水を飲んだ。
「あんた、大丈夫なの?」
アカリとシーナが彼に近づいた。
「今のところはね。まだ耐えてやろうとは思う。それより、アカリのほうは大丈夫なのか?」
「あたし? なんで?」
「なんでって、おまえ、今日が初野外だろ?」
「そういえばそうね。朝から遅刻騒ぎや陰湿なイジメを見ててそんな感慨わかなかったわ」
「そりゃ残念だったな。オレなんて、初野外にはワクワクしたもんだ」
「ホントにね。マルといっしょに仕事を忘れて走り出そうとしてたもん」
シーナが当時を思い出して笑った。
「楽しい旅はまた今度に譲っておくわよ。今回はまず無事に帰るのが目的だからね」
「わかってる。二人とも、足は大丈夫か?」
「ええ。シーナの生活の知恵のおかげで、履き慣れないブーツに山道でも今のところは平気」
「ふふーん。伊達に長く山で採取作業してないでしょ?」
シーナは自慢げに胸を張る。これも昨夜のうちに準備をしておいたのだが、彼女たちは足の指一本ずつに薄い包帯を巻き、テーピングの代わりにしていた。さらにかかとを中心に足全体にも施し、靴下を履き、靴擦れを予防している。長期行軍に備えてである。
「アカリ、蒸れたように感じたら交換したほうがいいよ」
「そうね。いったん緩めてみるわ」
二人は座り込み、ブーツを脱いだ。ショウはジッと見ているわけにもいかず、森に視線を移す。
「そうだ、シーナ。その靴擦れ防止、他の人にも教えてあげたら? みんながみんな、対策してるとも思えないし、あとで痛くなったらかわいそうだ」
「……そうだね」
シーナはショウの親切心に感心するが、教える相手は彼をこき下ろしている。そんな人たちに言う必要があるのだろうかと、彼女は一瞬思った。が、彼女は反省し、自分の処置が終わったら伝えにいこうと考え直した。無視をすれば彼女を蔑んできたクラスメイトと同じになってしまうからだ。それに今は少しでも、みんなで生き残る努力をしなければならない。
もっとも、誰もがシーナのように考えるわけではない。彼女が中隊の皆に呼びかけても、一部の者は断るどころか反発さえした。
「なんでそんな面倒なことしなきゃいけないのよ?」
「ウザ……。なに、そうやっていい人ぶりたいわけ?」
「あんた、あの男の知り合いっぽいけど、よくあんなダサイのといるわね? まぁ、知識をひけらかして『わたしスゴイ』アピールするイタイ女にはお似合いかもね」
そういって赤羽兜の女の子たちは笑った。
シーナはまたトラウマのトリガーを引かれた。他人の善意を素直に受けられないだけではなく、悪意にさえ捉える人間は少なからず存在する。シーナはそのような人がもっとも苦手であり、恐怖さえ感じる。
「いくわよ」うずくまりかけたシーナの手を、アカリが引いた。
「あんたを必要としてる人がいるの。その知識はそういう人のために活かしなさい。それに、怖いなら怖いと言いなさいよ。いざってとき、あたしが頼りづらいじゃない」
「アカリ……」
前を歩くアカリの耳が赤くなっていた。彼女も恥ずかしいことをいってる自覚がある。
「アカリ、やっぱり好きだー」
「ちょ、何すんのよ、バカ!」
背中から抱きついてくるシーナを、アカリは振りほどこうとする。が、組み付いて離れない。
「あらあら、仲のよいことで」
コロネが微笑ましく二人を迎えた。
「ほら、シーナ、時間ないから早く教えなさいっ」
「はーい」
アカリから飛び降り、シーナは集まった10人ほどに登山へのレクチャーをする。皆、数時間の移動ですでに足に違和感を覚えており、治療と予防策を真剣に学んでいた。
「靴紐はしっかり結ぶ。これが一番単純でもっとも効果的です。出発前にもう一度確認をしてくださいね」
「ありがとう」と一同から礼を言われ、シーナは感動した。けれど一番嬉しかった言葉は、自分に向けられたものではなかった。
「あの彼、知り合いなんでしょ? よくわかんないけど、がんばれって言っといて」
「……うん、ありがとう!」
手を振って小隊に戻っていく彼女に、シーナも手を振った。
「よかったわね、少しは報われて」
「充分だよ。味方が一人でもいてくれたら、わたしは幸せだよ」
アカリに応えたシーナは、幸福な笑顔を浮かべていた。
簡易食での昼食を済ませ、第1中隊は再び移動を開始する。今日中にたどり着かねばならないポイントまではそう遠くはない。他の中隊に比べて移動距離が短いためだ。両端の部隊など、第1中隊の二倍ほど歩く。
他の部隊も日の高さを見ながら再進軍をする。その中でもっとも早く遭遇戦を体験したのは、ルカのいる第3中隊であった。
偵察として先行を任されたルカとマルが、昼寝中のゴブリンたちを発見した。数は見える範囲で五人。隙をつけるので二人でも斃せるとマルは主張したが、ルカは撤退した。
「見えるだけが敵じゃない。応援が来たらボクらは死ぬよ」
「ショウみたいなこと言うなよ」
マルは文句を言いつつも静かに立ち去った。
二人は中隊長へ報告する。中隊は極力音を立てずに進み、五小隊・25人でゴブリンを囲んだ。勝敗は呆気なくついた。弓持ちが一斉に仕掛け、軽傷だった二匹を小隊長たちが討ち取った。
このさい、ルカは弓矢でゴブリン一人の喉を射抜いて殺し、初撃破を挙げる。
「くっそー、いいなー。オレも魔法を使わせてくれたら……!」
マルは悔しがった。
「魔法はとっておきだよ。これからいくらでも稼げるさ」
「ぐぬぅ」
それでもマルは悔しがった。
「こんなところでのんきに昼寝とはな」
中隊長が他の小隊長たちと話し合っている。
「斥候だったのでしょうか。ゴブリンは夜行性ですから、昼間はキツかったようですね」
「装備の具合を見るとそう悪くはない。兵隊だろうな」
「他の隊にも報せておきますか?」
「いや、この規模なら想定内だ。野営前にまとめて報告すればいい」
中隊長は検分を終え、偵察役の二人を呼んだ。
「いい仕事だった。寝ているからと逸って攻撃をしなかったのもいい判断だ。また先行を頼んでいいか?」
「はいっ、もちろんです!」
マルは褒められて機嫌がよくなり、喜んで了解した。
「それと、ルカだったか? いい腕をしているな。今後も期待しているぞ」
「はい」
ルカはマルのように喜ばなかった。それは嬉しくないからであり、意識して振舞ったわけではない。銀髪の少年には、どうでもいい人間からの評価は必要ではなかった。
「なんだ、不満そうだな?」
中隊長はわずかに不機嫌な顔になった。
「仕事に不満はありません。ただ、ボクは兵士を尊敬していないので」
抑揚もなく滑らかに語る少年に、中隊長は目を丸くした。マルも驚きすぎて声が出ない。
「……理由は?」
中隊長はいろいろと言葉を探し、結局、そう訊いた。
隊長が烈火のごとく怒ると思っていたマルには、その言葉も予想外だった。
「ボクの友達が不当に扱われているからです。それを公認している人も同罪だと思っています」
「友達……? ああ、あの少年のことか」
中隊長は納得した。しばし考えに浸ったが、彼は直接的な回答は避けた。
「そうか、わかった。引き続き偵察を頼む」
「はい」
ルカはきびすを返して森の深部へ向かった。慌ててマルが追ってくる。
「おい、ルカ、わざわざ面倒を起こさなくてもいいだろうがよ」
「ちょっと反応を見たくなったんだ。あの中隊長は能力も求心力もある、いい兵士だと思う。そういう人が上官のやりようをどう考えてるか知りたくなってね」
「けどよ、やりすぎじゃねーか? 目をつけられたぞ、きっと」
「かまわないよ。敵になるなら排除するだけだし。……マル、巻き込まれたくなかったら、離れていたほうがいいよ」
「いや、おもしろそーだから近くで見てる。あくまで見てるだけな」
「キミも大概だな」
ルカは笑って小さな相棒の背中を叩いた。
その後も、各所で小規模な戦闘が起きた。第4、第7、第9中隊は10名程度の一団と、第2中隊は4名の偵察隊らしき部隊を発見した。いずれも数を恐れたゴブリンが逃走という形で決着がついている。討伐数は少なく、すべて合計しても三人に留まる。
「つまらん。すぐ逃げられやがって」
大隊長のハリー・ガネシムは鬱憤を晴らすようにショウを蹴った。ハリーが受けている報告は、直下にいる第2中隊の戦果だけである。その中隊は四人すべてのゴブリンを取り逃がしており、刺激に飢えている大隊長には我慢ならない。
「もっとガンガン戦って成果を上げてもらわねーとな。こっちはピクニックに来てるわけじゃねーんだぞ」
そういって、ショウにもう一撃。
「まったくですな。血と酒と女。これが楽しみで来たものを」
カオン・コセルが悪びれもせず酒瓶から一口を飲む。
「ペースをあげて村まで行ってもいいんじゃないか? 明日までなんて待ってられねーよ」
ライリ・アフが過激な提案をする。
「いや、夜は夜でお楽しみがあるだろうが。そして明日は派手に流血祭りだ」
ハリー・ガネシムは想像して興奮した。あまり早くメイン・イベントを観てしまっても、それはそれで面白みに欠ける。
「夜は夜の楽しみか……」
ライリもハリーの言わんとするところを了解し、発想を変えた。
周囲の異世界人たちは彼らの想像がすぐにわかった。露骨に嫌悪を浮かべる者もいれば、脅えて離れていく者もいる。
反対に、仲間同士で顔を見合わせて薄く笑う者たちもいた。
「あのぉ、大隊長様」
「ん?」
ハリーの足元に、セルベントの鎧を着た三名の女性が寄っていった。
「ごめんなさい、少し、足が痛むんです。休憩をとってはダメでしょうか……?」
ナチュラルな上目遣いで馬上のハリーを見つめる。
「足が痛ェだと? おまえら――」
「そうかそうか、足が痛むか。それは困ったなぁ」
ライリ・アフがニコやかにハリーを遮った。彼はすでに大量の酒をあおっており、ご機嫌状態であった。
「ハリ~、ご婦人は大切にしねーとな」
「ッたく、おまえはホントに女に甘ェーな」
ハリーは呆れた。ライリとは兵士見習いのころからの悪友である。よくも悪くも知り尽くした仲だ。
「かたいこと言うなって」
ライリは三人の中で金髪のセルベントを掴み上げ、馬に乗せた。
「ありがとうーございます、隊長様」
彼女は礼を言ってライリに抱きついた。
「いいなぁ、ニナ」と、長いプラチナ・ブロンドの女性が芝居がかった甘い声を出す。すると、今度はカオン・コセルが抱え上げた。
「お嬢さんはオレと行こうな」
「はいっ」
男受けするいい返事である。
「ハリー様ぁ」
残された黒髪の女性が、再びハリーを見上げる。
「仕方ねーなぁ。来いよ」
口ほどまんざらでもなく、ハリーは彼女を騎乗させた。
「さすが騎士様、お優しい。あたしはシーマと申します。よろしくお願いいたします」
「おう、よろしくしような」
ハリーはシーマのあごを指で撫でた。
「ゲ、わたしと似たような名前……」
「ロコツね」
シーナとアカリは苦虫を噛み潰したような顔でそれらを見ていた。
ハリーはシーマたちの荷物をショウに投げつけ、持たせる。できれば鎧もはがしたいのだろうが、そこまではできなかったようだ。
「……これは少々、計算が狂いそうですね」
さらに離れたところで、コロネがリラにつぶやいた。
「困ったな。ああもロコツなヤツがいるとは思わなかったよ」
「処世術としては立派なものなのですが」
「どうする?」
リラの問いに、コロネはジッと考え込んだ。
「……様子を見ましょう。彼女たちが進んであのような行動に出ているとなれば、放置しておくのも悪い手ではありません。無駄に争わずにすみます。ショウさんには申し訳ありませんが」
「けっこうズルイね、あんた」
リラが苦笑すると、コロネは「なにがです?」と本気でわからないといった顔をした。
「そういうところがだよ」
リラは今度は普通に笑った。コロネはやはり、首をかしげた。
しばらく進むと森の景色が変わった。これまでは馬でも通れるような、起伏が緩く、木々の隙間も充分にある明るい森であった。しかし、徐々に木々の密度が増し、勾配が上がってきている。植物も青々から少しくすんだ色が目立ち、苔の生えている一帯もあった。人間の領域からゴブリンの領域へと踏み入ったのだ。
「この先はかつてのゴブリン領になります。周囲警戒を怠らず、大きな音を立てないようにお気をつけを」
第4小隊・隊長トールが大隊長ハリー・ガネシムに具申した。
「こっからが本番か。なら、そろそろ野営地を探すか」
目指すゴブリンの村は、ここから数時間ほどである。夜に近づくのは危険なため、手前でキャンプを取る計画となっていた。さらには明け方に出発して、朝の早い段階で村へ着くように考えられている。夜行性のゴブリンに対して少しでも利を得るためだ。立案はもちろんハリー・ガネシムではない。兵士長エレファンをはじめとする守備隊幹部が作成したものだ。
「それがよいでしょう」
第4小隊長は応え、自分の小隊へと戻った。伝令兵を呼び、先行する第2中隊へ走らせる。
「兄貴、そろそろ野営か?」
第5小隊長ユーゴが第4小隊長トールに呼びかけた。二人は兄弟である。両者は兵士長に次ぐ剣技の持ち主で、その腕を買われて大隊長のお守りを任されていた。
「そうだ。夜通しの護衛になる」
「ゴブリンたちもこっちの動きにはもう気付いてるだろうしな。奇襲もありえるかな」
「それが一番怖い。なにせ、こっちは兵力を分散している。山狩りとはいえ、探索範囲が広すぎた。せめて野営時は密集しておくべきなのだが」
「そのへんは兵士長も甘かったというしかない。けど、ゴブリンがそこまで考えるかな」
弟のユーゴは多少、楽観視している。しょせんはゴブリンだろうと。
「ヤツらが大集団でいること自体がおかしいと思うべきだ。誰かが必ず統率しているはずだ」
「そもそも本当に大集団なんてあるのか? 憶測だけで、誰も見ていないんだぜ?」
「それもそうだが……」
「兄貴は心配しすぎだ。それに今さらどうにもできない。オレたちはオレたちのできる範囲でやるしかない」
気楽な弟に、兄はため息をついた。
「そのやることが、あのバカ貴族のお守りだからな。あの少年も気の毒に」
「異世界人、暴発してくれないかと密かに期待してるんだけどな」
「物騒なことをいうな。異世界人とはいえ、子供を斬りたくはない」
「それもそうだ」
ユーゴは兄の元から離れた。
第3中隊長や彼らのように、兵士の中にもまともな者がいる。というよりもハリーら貴族出身者を除けば、彼らも元は平民であり、心から町を守りたいと志願して兵士となった者たちである。さらには、兵士長エレファンの意思によらずにハリー・ガネシムが大隊長に任命されたときから、兵士長は信頼のおける者だけを選りすぐって掃討作戦に送り出したのだ。それを異世界人たちはもちろん、ハリーすらも知らない。
それから30分後、野営に向いた場所を発見した。
戦争をするための集団として、50人というのはけして多くはない。が、生活を共にするには、それなりに気苦労がたまる人数である。食事の準備、排泄場所、寝所の確保を50人分まかなうには、少し開けた程度の場所では到底おさまらない。ましてや鍛え上げた軍隊ではなく、一市民のような者が大多数を占めている。各自に不満があっても、それを円満に解決する人間もいないのだ。
結論からいえば、ハリー・ガネシムはこのような場合には有用な人材であった。暴君であればこそ、好みですべてを決してしまう。円満ではないが、命令されれば服従するだけで済むのだ。それも永久ではなく、明日までの我慢と思えばよい。それに、ショウ以外に悪意を向けられている者はいない。彼が一手に引き受けているとの見方もあるが、結果として助かっているのだから、彼の仲間であるシーナたち以外は気が楽だった。
「女は中心に集まれ。男は外周で円になってろ。警戒も同時にできるだろ」
ボス猿的な命令であった。しかし、理には適っている。群れの弱い者と王が中心となり、周囲を護衛に守らせる。
本来なら焚き火をしたいところだが、敵陣が近いため、火の使用は認められない。召喚労働者たちは昼に続いて夜も携帯食で済ますことになる。
一方、ハリーたちには補給隊が用意した食材で料理が出された。火は使えないが、高熱を発する魔法のプレートがあり、その盤上で調理される。
当然のように嗅覚が刺激され、ひもじい食事をしている召喚労働者たちの視線がハリーたちのほうへ向く。
「……なんだ、羨ましいのか?」
ハリーは他人を見下すいやらしい笑みを浮かべた。
「こっちに来れば直々に食わせてやるぜ」
ハリーが焼けた肉を女たちに振ってみせる。
「あーん、それはあたしにくださいよぉ」
シーマがハリーに抱きついてねだる。すでに鎧もブーツも脱ぎ、薄着一枚になっている。
ハリーは上機嫌になって女の口に肉を与えた。彼女は何度もよく噛み、「おいしい」と口のまわりを一舐めした。
周囲の異世界人たちはドン引きした。漫画やアニメならともかく、リアルでそれをやる者がよもやいるとは思わなかった。
「おら、他の女もこっちにこい。酒もあるぞ。せっかくの夜だ、楽しもうじゃねーか」
ライリが酒瓶を掲げて呼びかける。が、誰もが視線を避けていた。
「……ンだよ、オレの酒が飲めねーのかぁ? おう、そこのいいケツした赤毛ぇ。こっちにきて酌をしろよ」
時代劇にありがちな酔っ払い侍のような陳腐なセリフに、そこかしこで噴出す。
「なにがおかしい! 赤毛、来いってんだよォ!」
「イヤよ。おことわり」
アカリは毅然として睨んだ。
「ンだぁ……!」
昼からの酒量ですでに限界を越えており、ライリは足元をふらつかせながらアカリのもとまで歩いた。
アカリは少したじろいだが、逃げるつもりはなかった。
「いいから来いって――!」
ライリ・アフが腕を伸ばす。周囲はただ事態を見守る。その理由は人によりさまざまある。権力に脅える者、遠過ぎて何が起きているのかわからない者、助けに踏み切れなかった者、嘲る者、無関係でいたい者、兵士に睨まれて動けない者……
アカリは貴族の手を跳ね除けようとした。が、その前に男は腕を掴まれた。さまざまな理由を意に介しない、ただ一人の少年のものだった。
「イヤがってんだからやめろ」
ショウが睨みつけると、ライリは手を振りほどき、おぼつかない足取りで数歩下がった。
「なんだ、おまえ……? オレに逆らうのか? オレはアフ家の者だぞ? 男爵の息子だぞ!」
「でもあんたは男爵じゃないだろ?」
「あ、うん……」
ライリは酔っているので素直に認めた。
「飲みたいなら勝手に飲めばいいだろ。嫌がる人間を巻き込むな」
「なんだとォ? 貴族様に命令すんのかァ?」
「悪いことは悪い。道理じゃないか」
「あー、そうですねぇ……」
酔っ払いとはこんなものである。
まるでテレビ番組・警察24時の酔っ払いとそれをあしらう警察官の会話である。周囲は笑いを堪えていた。
そんな茶番も、彼が出しゃばるまでだった。
「ようやく手を出したか。待ちくたびれたぜ……」
ハリー・ガネシムが立ち上がった。
ショウは酔っ払い貴族を無視し、大隊長に相対した。
「上官に対する不敬。重罪だな」
「上官がクズだった場合は従う必要はない。そんなヤツはかえって害悪だ」
「小僧が……! おい、そいつを捕まえろ!」
そばに控える第4・第5小隊長が、顔を見合わせて仕方なく立ち上がった。
「大隊長ともあろう方が、小僧を恐れて一人では近寄れもしないのか」
ショウは言ってやった。彼はすでにハリー・ガネシムから目の敵にされている。少年も彼が大嫌いなので遠慮もない。ましてや相手は実力もない小物である。恐れる必要すら感じなかった。それでも今まで我慢したのは、自分の身にかかるだけであったからだ。アカリにまで被害が及ぶのなら、ショウはためらわない。
「な、にィ……!」
「そうだろ? 以前、無様に泥に顔をつっこんだ記憶が頭にこびりついて離れないんだ。だから怖くて部下を使わないと捕まえることもできない。この、臆病者の卑劣漢が!」
言い切ると、小さな拍手が起きた。ハリーの視線が走ると同時に治まる。
「今回は手加減しねーぞ、小僧」
ハリーが悪鬼の形相で剣を抜いた。
「アカリ、みんなも下がってて」
ショウも剣を抜き、盾を構えた。遅かれ早かれ再戦があると思っていたので、覚悟はついていた。
しかし、二人の距離は縮まらなかった。一歩を踏み出そうしたハリーの足元に、矢が刺さったのだ。
「なんだ!?」
驚くハリーの前に、小隊長のトールとユーゴ兄弟が立ち塞がり、盾となってかばう。
「そいつを殺すのはボクの役目だよ」
ハリーの正面、ショウの背後の上方からくぐもった声が届いた。
振り返ると、樹上に弓を持った男がいた。頭部をフードと布で隠している。声がおかしいのは、その布のせいだろう。しかし、いくら顔を隠してもわかる。ルカだった。
「……っ」
ショウは呼びかけた名前を飲み込んだ。なんであれ、彼の正体がばれるのはマズイ。すでに矢を射ってしまっている。どんな理由があろうと許されはしないだろう。
「何者だ! 暗殺者か!」
ユーゴ第5小隊長が問う。
「それはそいつ次第だよ」
「どういう意味だ?」
「ハリー・ガネシム」ルカはユーゴを無視して、ハリーに呼びかけた。
「おまえには想像力が足りないようだ」
「なに?」
「おまえは今、極めて危険な状態にいる。おまえの周囲に、味方が何人いるかわかるか?」
ハリーも、兵士も、異世界人も一様にざわついた。
「盾になるのはたった二人の兵士。あとは役立たずのお連れ貴族。対するは40名の武器を持った集団。どうやって勝とうか?」
その数は正確ではなく、第2中隊の兵士5名が計算されていない。しかし彼らは外縁で警備をしており、ルカの視点で考えれば壁にもならないのは確かだった。
「ましてやここにボクがいる。少しでもそこの兵士がどけば、おまえを確実に射抜いてみせるよ」
ルカは矢を引き絞った。
「こ、こいつらがオレの命を狙うってのか!? ありえねー。こいつらはオレの下僕だ。盾なんだよ! 逆らえるわけがねーんだ!」
ハリーが引きつった笑みを浮かべて叫んだ。
「なら、そこの兵士をどかしてみなよ。そしてボクが矢を射る。そうすればわかるよ。本当におまえを守る盾になってくれるかどうか」
ハリーの顔は青ざめ、引きつった。
「だ、だが、オレが殺されれば、こいつらも責任をおわされて死罪になる! そんな馬鹿な死に方、こいつらだって……!」
「そんなの、先に死ぬおまえが心配する必要はないだろ?」
ルカの声が低くなった。
「な……!」
「おまえの死の先に何があろうとおまえには関係がない。違うか?」
「ちょ、ちょっと待てっ。そんなのオレの親父が絶対に許さない。そうだ、異世界人全員、皆殺しにあうぞ! オレを少しでも傷つけたら、きっとそうなる!」
ハリーは混乱し、どうにかこの窮状から脱出すべく弁舌をふるう。
ルカは呆れ果て、弓の弦をゆるめた。
「おまえは幸せな頭をしているな。父君は、そんなにおまえを溺愛しているのか?」
「もちろんだ! 親父は最高の騎士だ! こんな暗殺まがいなやり方、絶対に認めない!」
まがいではなく暗殺なんだけどな、とはルカは言わなかった。
「……おまえがこの作戦の大隊長となった理由はわかっているな? おまえに手柄を立てさせるためだってことを」
「わかってる。オレが親父に頼んだんだからなっ。そして故郷に錦を飾る。ガネシム家三男として、騎士長の息子として凱旋するのさ!」
ハリーは胸を張った。その姿を想像しているのだろう。
「実はもっともいい方法がある。おまえの名誉にもなり、ガネシム家の誇りとなり、末代まで語られる英雄譚となる方法が」
「本当か!?」
ハリーは敵であるはずのルカに前のめりとなった。ユーゴとトールが押さえる。
「おまえがゴブリンとの死闘の果てに死ぬことさ」
「……!」
ルカの冷ややかな声に、一同は息を飲んだ。
「たとえおまえが活躍して凱旋しても、それはきっと一時のこと。生来の放蕩癖は抜けず、いずれはまた家名を汚すだろう。だからおまえはここで死ぬんだよ。ゴブリンと勇敢に戦い、兵士を鼓舞し、異世界人を指揮し、そして殺される。そうすれば家名は永遠に汚されず、おまえは名誉を得、民はおまえを讃えるだろう。……どうだい、素晴らしいシナリオだろ?」
「そんな……。そんな馬鹿な話が――!」
「当然、そこの二人の貴族様も、名誉を担う資格をお持ちだ。家族はおまえたちの死を望んでいるんだ」
ライリ・アフもカオン・コセルも酒が抜け、酸素さえ抜けたのか、呼吸が荒くなった。
「だからここで異世界人に殺されても、誰も罪には問われない。口裏を合わせればいいだけ。『彼らはゴブリンと立派に戦い死にました』と。死体を持ち帰る必要もないし、たとえ持って帰っても誰も検分なんかしない。むしろ家族はとめるだろうね。そして真実は闇の中さ」
ハリーたちは震え上がった。
「……でも、正義感のお強い兵士様たちはそれを許さないかな?」
ルカはユーゴとトールを見た。彼らは暗殺者を睨むが、行動ができない。動けば、すぐに矢が飛んでくるだろう。
「兵士たちも考えて欲しい。このさき、彼らが生きていることで起こる弊害を。もし彼らがあなたがたの上司となったらどうなるだろう? 平和な町になる? いや、腐敗の進む守備隊となるだろう。そのとき住人は? あなたの家族は? 無類の女好きの彼らは、部下であるあなたの恋人を、妻を、娘を欲望のために欲するかもしれない。いや、確実になる。なぜなら彼らはあなたたちも人とは思っていないのだから。便利な駒で、使い捨ての道具としてしか見ていない」
「……!」
たとえ想像でも考えたくはないものがある。兵士として完璧に近いトールですら、その想像を完全には否定できない。
「キミたちはただ見逃せばいい。自分と家族のために、正義を信じればいい。そいつらは今までにもそれだけの罰を受ける罪を犯しているんだ!」
ルカは断言する。実証もなく、だが、疑いもなく。
ハリー・ガネシムは周囲の視線に気付いた。自分が置かれている立場にも気付いた。後ろ盾はなく、部下もなく、自身を守る術もない。恐怖に憑りつかれ、すがりつく二人の役立たずを引き剥がし、逃げ出したかった。
「……もう一つ、方法があるだろ」
一人だけ、ハリーを見ていなかった人物がいる。樹上の友を見上げ、少年は訴えた。ショウが立ったのは、ハリーのためではない。友人を案じてのことだった。なぜ彼がこんな暴挙に出たのかわからない。ショウも知らないハリーとの因縁でもあったのだろうか。だとしても、このやり方は違うと思う。こんなことで、友の手を汚させるわけにはいかない。
「……どんな?」
ルカは友の目を見返した。相変わらず、濁りのない色をしている。
「この機会に真人間にしてやるんだよ。どんなバカだってわかっただろ? 自分がどれだけクズで、カスで、誰からも必要とされていないゴミのような人間かって」
「おいおい」シーナが足元でツッコむ。
「わかったなら、変えていける。ちょっとしたきっかけで変わることはできる。今日明日で変わるとは微塵も思わないけど、任務をまっとうすれば世間の観る目も変わる。そうしたら自分も変わるかもしれない。そんなチャンスが、一度くらいあってもいいだろ?」
語りながら、ショウはアイリを思い出していた。彼女は変わったのだろう。小さな冒険の果てに、何かを見出して。ならばハリーが変わらないなどと誰が言えるだろう。そして、自分も変わるためにここへ来たのだ。その可能性を否定したくはない。
「……甘い考えだね。こういうヤツは、一生変わらないよ」
ルカは冷めた声で応えた。そんな人間を知っているかのように。
「じゃあ、最後のチャンスだ。これでダメなら社会的に死んでもらおう」
「どうやって?」
「真偽関係なく悪逆非道の噂を流せばいいのさ。今までの彼ならどんな噂でも世間は信じる。それだけのことをしてきたってオレも思うから。そうすれば自動的に親父さんの耳に届き、以後は音信不通になるさ」
ルカは呆気にとられ、そして笑った。
「キミはボクより悪辣だね。……でも、今回はそれで手を打とう。それじゃ、自分のためにがんばるんだな、ハリー・ガネシム」
ルカは枝をわたり、森に消えた。
命拾いしたハリーは、集中する視線に気付いて天幕へと隠れた。二人の悪友もそれに続く。
それを見て異世界人たちの顔が輝き、沸騰寸前になったところを第4小隊長のトールが「騒ぐなよ。ゴブリンどもに気付かれる」と機先を制した。
彼らは小さくガッツポーズをとった。自分たちは今回の解決になんら寄与していなかったが、単純に気持ちがよかった。
ショウは物理的にも精神的にも肩の荷が下り、その場に座り込んで一息ついた。
「あ~、疲れた……」
「おつかれー。なんか、突然の乱入のおかげでうまくまとまったね」
シーナはその闖入者がルカだとは気付かなかった。
「まったくよ。あいつが来なかったらどうなってたか」
「おまえに言われたくない。そもそもおまえがきっかけだろうが」
ショウはアカリにやり返す。
「そ、そりゃ、そうだった気もするけど……」
「気のせいじゃない」
「わかったわよ。あたしが悪かったわよ」
アカリはあきらめて認めた。が――
「悪くないだろ」
「え?」
「おまえは悪くない」
ショウは生真面目に言った。
「そ、そうね。うん、たしかにあたしは悪くない。……ありがと」
アカリは顔を赤くして横を向いた。
「うん」と少年がうなずいたとき、外縁から彼を呼ぶ声が聞こえてきた。久しぶりに聞く声だった。
「カッセさん!?」
ショウは立ち上がり、第1小隊の女の子たちをかき分けて進んでいった。
「いやぁ、まいったね。あたしらの考えを越えていったよ」
リラはコロネに肩をすくめてみせた。
「数で勝る異世界人全員で脅迫するという策は同じですが、それを利用して希望につなぐとは思いもしませんでした」
コロネは可笑しそうに笑った。
「ホントだよ。あたしはあの襲撃者の援護をしたいくらいだった」
「気持ち悪いほどのいい子でしたね。いずれ、後悔しなければよいのですが」
「その言い方はないだろぉ」
リラは苦笑した。
「すみません。せっかくの出番をとられて少々悔しかったものですから」
「いや、これで済むかわからないよ。もしかしたらもう一幕くらいあるかも。……それはそれとして、あたしも久々に話してくるよ」
リラはコロネから離れ、カッセとショウのもとへと向かった。
「本当に、それは楽しみですね」
コロネは薄い目をさらに細くし、微笑んでいた。
ショウを見送ったシーナに、名前のよく似た少女が近づいた。
「……あいつのせいよ」
「ん?」
背後の声にシーナとアカリは振り返った。シーマたち赤羽兜組がいた。
「あいつのせいで、せっかくの後ろ盾がなくなったじゃない」
「後ろ盾って……。むこうはそんなつもりなかったと思うけど。あくまでこの作戦中の相手としか――」
「そんなのわかってるわよっ。でも、この作戦を生き残る方法でもっとも確実じゃない。戦うより、逃げるより、守ってもらうほうがいいに決まってるっ」
「そりゃ、そうかもだけど……」
弱者の策としては悪くはないのかもしれない。けれど、そのやり方をシーナは認めづらい。もっとも、他人の考えなど彼女たちには関係がないのだろうが。
「そんな愚痴を言いに来たわけ?」
アカリが冷たい目で訊いた。
「そうよ。どうしてくれんのよっ」
「と、言われてもねぇ……」
シーナがアカリに助けを求める。赤毛の少女はため息をついた。
「後ろ盾がないなら、自分が盾になりなさいよ。ついでに槍もあるじゃない」
「ふざけてんの!?」
「大真面目よ。盾が3枚で足りないなら、ここにはあと37枚の盾がある。武器がないなら、ここに37の武器がある。三人で戦うことないでしょ。こっちだって37より40のほうが助かるわけだし、考えてみるといいわ」
「な、なによ、その理論。バカじゃないの?」
「リーダーがあのバカだからね。仕方ないのよ」
アカリはチラリと少年を見た。なじみの友人に会えて、無邪気に笑っていた。
「くだらないっ。明日からは自分で歩かないとならないだろうし、ホント、サイアク!」
「あ、それなら足にテーピングして、靴紐をきちんと締めて――」
シーナがおせっかいを焼こうとしたが、シーマに遮られた。
「ウッサイっ。いま言われても覚えらんないわよっ。……朝になったら聞くから、ちゃんと教えなさいよね」
「……!」
シーナはまた怒鳴られてしょげたのち、顔を明るくした。
「うん、明日ね」
「フン、じゃあね」
シーマたちが去っていく。
「……ところでさ、アカリ」
「なによ?」
「ツンデレ多すぎじゃない?」
「そんなの知るかっ」
いいツッコミだった。
ルカは賑やかな空間から距離をとり、顔を隠していた布を取った。
「やれやれ、せっかく敵を排除してあげようと思ったのに」
その顔は残念がってはおらず、むしろ嬉しそうであった。
「やっぱりキミはいいな。なんだか気分が落ち着く……」
銀髪の少年は大樹に寄りかかり、夜空を見上げた。
「あー、こんなトコにいやがった!」
「あれ、マル。どうしたの?」
「どうしたじゃねー! 偵察サボって何してんだよっ。もう戻らねーと、捜索隊がだされっぞ」
「あはははっ、それは困るね。怒られる」
「笑ってねーで行くぞっ。ったく、世話の焼けるヤツ」
「悪いね、面倒かけて。じゃ、行こうか」
ルカは立ち上がり、マルとともに第3中隊のキャンプへと戻る。
マルにはその少年の顔が少し寂しそうに見えた。けれどそれは、月明かりの加減であろうと思った。ルカが寂しく感じる理由を、マルは知らないからだ。
ハリー・ガネシムの天幕に、第4小隊長トールが呼びかけた。各中隊から伝令者がやってきて、今日一日の記録を持参したと伝える。
「知るか、そんなのっ。おまえらで勝手にやればいいだろっ」
幕内から不機嫌で脅えた声が聞こえた。
トールとユーゴは顔を見合わせ、「失礼します」と中へ入った。ハリーをはじめとする貴族三人が、酒瓶を抱えて身を寄せ合っている。
「なんだ、誰が入っていいと言った! オレは大隊長だぞっ。命令もなく――」
「大隊長だからこそ、報告を聴く義務があります」
トールは視線定まらぬハリーの目を見て訴える。
「なに言ってやがる……。どうせおまえらもオレたちを追いやろうと考えてんだろ? だが、そうはいかねーぞ? 簡単にはやられねーからなっ」
酒瓶を持つ手を震わせながら、ハリーは虚勢を張った。
兵士兄弟はまた顔を見合わせる。ユーゴが肩をすくめた。
「そんなことしませんよ。するならとっくにやってます」
言葉に衣を着せても通じないと思い、ユーゴは直接的な言葉を使った。
トールが引き継いで言った。
「ですが、このまま酒に溺れて作戦を台無しにするというのなら、帰還後に訴えざるを得ないでしょう」
「な、なんだとぉ?」
「あの異世界人……いえ、少年が言っていたではありませんか。これはチャンスなんだと。立って指揮を執り、ゴブリンを討伐するのです。そうすれば誰もがあなたを賞賛するでしょう。しかしこのままでは、本当に終わりですよ」
「オレにそんな大役が務まると思ってんのか? おまえらだって本当は無理だって疑ってんだろぉ?」
ハリーの情けない声に兄弟はため息をついた。
「正直に申しまして、そのとおりです。異世界人たちだけでなく、兵士一同、あなたの指揮能力には期待しておりません」
「……!」
「が、そのために兵士長は我々をあなたの参謀につけたのです。あなたが必要としてくださるなら、わたしどもはいくらでも協力いたしましょう」
「本当か……?」
「剣にかけて」
兄弟は剣を抜き、敬礼した。
「おお……」ハリーは二人の兵士の姿に感動すらした。かつて子供のころに憧れた、父や騎士たちの勇ましくも凛々しい姿を思い出した。
「……わかった。やるぞ。やってやる!」
ハリー・ガネシムは酒瓶を投げ捨て、立ち上がった。
「第2中隊長も呼べ。会議を開く。他の兵士、ならびに第2中隊は交代で周辺警護。ここからはじめるぞ」
「ハッ」
トールとユーゴは、大隊長の命令を受けて陣幕を出た。
にわかに活気づいた本営の影響で、第2中隊に所属するカッセは巡回を命令された。二人一組なので、彼は中隊違いながらショウを指名し、少年は従った。
「悪いな、付き合わせて」
「いえ、ぜんぜんいいですよ。小隊に戻っても、まわりは女性ばっかりで落ち着かないです」
「贅沢なこと言ってんな」
カッセは笑った。照明石を灯し、森を照らし歩く。
「カッセさんが訓練所に入ってそろそろ三週間ですよね? まだかかるんですか?」
「戦士の基礎講習は終わってるんだけどな、セルベント特典で金が浮いた分、追加受講して技に磨きをかけていた。この作戦後は魔術師コースを受けるから、当分は出てこれないな」
「そうですか……」
「おまえは管理局専属にならなかったんだな」
「はい。今回みたいに強制されるのもイヤだったんで」
「でも結局ここにいるわけだ」
カッセがニヤリとする。ショウとしては苦笑するしかない。
「ところで、わざわざ巡回に付き合わせたのは理由がある。二人だけで話したいことがあったんだ」
「なんですか?」
カッセの顔が真剣みを帯び、ショウも自然と表情を硬くした。
「おまえの知り合いに、ルカっているか?」
「……はい」
ショウはドキリとした。さっきの暗殺者モドキの正体に気付いたのだろうか。
「そうか。それじゃ、あいつがよく話していたショウってのは、おまえでいいのか」
「話してた?」
「あいつとオレは訓練所のルームメイトなんだ。戦士コースでよく戦ったり、チームを組んだりしていた。あいつは武器戦闘に関しても、魔術に関しても、軒並み評価が高い。一種、天才だな」
「そうなんですか? すごいな、あいつ」
ショウが顔を輝かせた。友人として誇らしい。
「ああ、本当にな。後発のクセに、すぐにオレより強くなりやがった」
「ハハ……」
笑えないが、笑うしかない。
「それはまぁ、いいとして、あいつについて変なところはなかったか?」
「変なとこ? ……何を考えているかイマイチわからないところとか?」
「いや、突然、性格が変わるとか……」
「なんです、それ?」
ショウは怪訝そうにカッセを見た。
彼は知らないようだ。そうわかっても、訊いてしまった以上、話を濁すのも不可能だろう。カッセは自分の迂闊さにため息をつき、訓練所でのルカの暴走を教えた。
少年は本当に何も知らなかったようで、かなり動揺していた。
「まさか、あのルカですよ? 普段ボーっとしたカンジで、クラゲみたいにのらりくらりしてるヤツですよ?」
その表現はどうだろうと思いつつ、カッセは「事実だ」と告げた。
「なにかトラウマでもあるのかな……」
ショウがそう言ったのは、シーナの件があったからだ。彼女も普段は明るく、楽しいことが大好きな少女だが、他人の目を気にして脅えることがあった。それは心の奥に刻まれた傷のせいである。もしルカが本当に暴走するようなことがあるのなら、それは心の問題なのかもしれない。
「トラウマか……。そうかもしれないな」
カッセはうなずいた。
「ルカは大丈夫なんですか?」
「オレが知るかぎりではそのときだけだ。激しい敵意を向けられて過敏になったのかもな。普段があれだから、オレもちょっと心配しすぎたか」
「そうですか……」
カッセの思いつきのフォローではショウの心は安らがなかった。ルカとゆっくりと話す時間が欲しいと思う。
「あまり離れても危険だな。ここらへんで折り返そう」
「はい」
話題を打ち切るようにカッセは背を向けた。ショウとしてもこの話を続ける意味が見出せず、素直に従った。
彼らは仲間のことで頭がいっぱいで、本来の任務を忘れていた。彼らが敵を探るように、敵も彼らを探っている。それが戦場というものであった。




