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召喚労働者はじめました  作者: 広科雲
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2 召喚労働者の街

 ギザギ国最南端の町、ナンタン。人口およそ19,000人。主な産業は林業と農業である。小高い丘に半径3キロほどの円状で広がる敷地は、外区・中区・内区に分かれており、それぞれを高い石壁で仕切っている。これは魔物に対抗する砦としての役割もあったが、単純に人口の増加に合わせて建設していった結果である。畑が北と東側に広がっているのは魔物が西と南の森から来るためで、物見やぐらを建てて昼夜問わず監視の眼を光らせていた。

 それ以外は一見、特色のない町ではあるが、その実、大陸でも稀有な存在であった。それは人口の約4%が異世界人であることだ。ここはアリアドによって召喚された勇者候補がはじめに送られてくる、『始まりの街』だった。

 ショウが薄暗いホールの扉を押し開くと、まぶしい陽光が彼を包んだ。明るさに慣れ、視線を忙しく動かす。木造の町並みが広がっていた。日本にいたときは夜だったはずが、ここではまだ太陽が頂点あたりにいる。しかしそんな些末な点をショウは気にもしなかった。

 北に巨大な時計塔が見えた。正午を告げる鐘の音が響く。まるで自分を歓迎しているかのようだ、と少年は都合よく解釈したが、アリアドがこのタイミングで送り届けただけである。

 「おおー」というありきたりな感嘆の声をあげ、彼は町を歩きはじめた。ゲームでは馴染み深い光景がそのままに存在した。色とりどりの民族衣装に身を包んだ行商人や住人、果物や野菜を並べた荷馬車、軒先に吊るされた獣肉を販売する店、紋章つきの鋼鉄鎧を纏い巡回する兵士、人間に似ているがどこか違和感を覚える亜人種たち。すれ違うすべてに、ショウは心を奪われていた。

 物見遊山で歩き回り、気がつけば陽が傾いていた。

 歩けば体力が減る。すなわち腹も減る。

「そういえば金も食べ物もないんだった! どうすりゃいいんだ?」

 ショウは与えれた服のポケットをまさぐるが、硬貨一枚出てこなかった。かわりに、一冊のハンドブックを引き出した。

「これに必要な情報があるといってたけど……」

 ショウは街灯として置かれた外壁の松明たいまつの下で、本をめくった。

 本は全九章で構成されており、各タイトルは次のようなものだった。


 第一章 生活習慣

 第二章 言語

 第三章 通貨

 第五章 衣・食・住

 第六章 礼儀とマナー

 第七章 武装と魔術

 第八章 宗教と祭事

 第九章 ナンタン周辺魔物図鑑


 ショウは「第五章 衣・食・住」のページを開いた。

「ちゃんと日本語で書かれてるのが親切だな。えーと、『衣・食・住を得るにはお金が必要です。まずはお金を稼ぎましょう。お金が溜まれば全部そろいます』……て、アホかぁ!」

 少年はハンドブックを石畳に叩きつけた。

「その方法を書け! 泥棒でもしろってのか!」

 本に怒鳴り散らす少年に、周囲の目が笑っている。

「あらあら、また異世界からの勇者様らしいわよ」

「アリアド様も懲りないねぇ」

「ちょっと誰か教えてあげたら?」

「イヤよぉ、かまってたらキリないもの」

 通行人の誰もが異世界から来た少年に一瞥いちべつだけを残し、去っていく。ショウは彼らをこの世界の住人だと思った。彼らが自分を異質と感じるように、自分も彼らに異質を覚えるのである。

 周囲の反応に冷静さを取り戻し、ショウはハンドブックを拾った。

「他にも日本人がいるはずなんだよな。探してみるか」

 顔を上げ、通行人を改めて眺めてみる。雰囲気ではなく、意外とわかりやすい判別方法を彼はあっさりと発見した。

 服装が違うのだ。あからさまに、ショウが思い描く『冒険者』の姿だった。たとえば眼前を通り過ぎる男は、剣を帯び、統一性のない鎧を着け、大きなリュックを背負っている。一目で住人ではないとわかる格好だった。

「そりゃそうか、みんな勇者候補だもんな。兵士でもなく武装してるのなんか、そうそういないよな」

 当然ながらこのマルマ住人にも『冒険者』と呼ばれる者たちはいるだろう。が、この町に限れば、統一感のない武装をしている人間は高確率で異世界人と考えてもいいはずだ。異世界人にとって、まずはこの町がスタートなのだから。あとは『異質』を感じるかどうかである。

 ショウは直感に従って、通り過ぎる全身鉄装備の戦士に声をかけた。

「あのっ、すいません、オレ――」

 ガチガチに緊張しながら自己紹介しようとした少年を、フルフェイスの兜越しの声が遮った。

「新参か……。面倒だが声をかけられちゃな。しょうがねぇ、ついてこい」

「は、はいっ」

 ショウは驚きつつ、歩き出す戦士についていった。

「あの、オレ――」

 少年はまたも言葉を続けられなかった。

「自己紹介はいい。深く面倒をみるつもりはない。ただ、同郷のよしみで案内するだけだ。それに名前を覚える価値があるようにも見えねぇ」

 明らかに歴戦の戦士たる彼から見れば、ショウはただの少年だった。少なくとも、戦士の資質はまるでない。早晩、街外で死ぬか、違う道を歩むであろう。この出会いは縁ではない。戦士はそう判断していた。

 ショウは何も言えない。たしかに彼のような体格も風格も少年は持ち合わせていない。他人に認められるには実績が必要なのだ。少年は長くもない野球人生の中で、それを自覚している。

「……我が友に捧げる魂は、彼にふさわしく炎のように純粋でなければならない」

 つい、大好きだったゲーム『ファイア・オニキス(スリー)』のライバルのセリフが口をついた。ライバルが主人公を裏切った理由を語ったときの一幕である。

「!」

 戦士の足がとまった。

 ショウは下を向いていたため、彼の停止に気付かず背中のリュックに顔をぶつけた。

「なに、なんかあった――」

「おまえ、今の言葉どこで聞いた!?」

「どこって、ファイア・オニキ――」

「やはり3か! ここでそれを聞くとは! 3最高だよな!」

 戦士は兜を脱ぎ捨て、ショウに詰め寄った。青髪の青年が子供のような笑顔を浮かべている。

「ファイ・オニ、知ってるんですか?」

「あったりまえだろうが! あれを買うのに徹夜したんだぞ! ……あ、おまえ、外見からするとリメイクだろ、やったの。違う、オレはスーパー・ゲーコン版のオリジナルのことを言ってるんだからな!」

「は、はぁ」

 やたらテンションが高くなる熟練戦士に、ショウは呆然とするしかなかった。

「なぁ、おまえ、ファイ・オニはどれが最高だと思う?」

「え、えーと……。ストーリーでは3が。システム的には(シックス)が……」

「6? マジ、6出てんの!? (ファイブ)までしか知らねー!」

「いえ、このあいだ(セブン)出ましたけど……」

「おいおい、ウソだろ? オレがこっちにきてる間に7までェ? ぐわぁ、やりてぇぇぇ!」

 悶絶する戦士にショウは気付いた。彼はファイア・オニキス5発売から6発表までの間にこの世界に来たのだろう。そしてずっと生き続けてきた、本物の歴戦の勇士なのだ。

「おまえ、ちょっと付き合え。じっくり話を聞こうじゃないか。この出会いはもう運命だな」

 さっきまでと言ってることが違うと思いつつ、ショウは何も言わない。

 彼に連れられ、ショウは一軒の酒場へと入った。奥の小さなテーブルにつき注文を聞かれると、少年は戸惑った。

「ああ、こういうのは初めてか。外見どおり、未成年てわけか」

 ショウはうなずいた。戦士は笑いながら自分用の酒と、少年のための食事を頼んだ。飲み物は果汁入りのミルクだ。

「金、ないんですけど……」

「わかってる。来たばっかなんだろ、おごってやるよ。じゃあ、まずはさっき打ち切っちまった自己紹介からだ。ネームはブルー。髪の色、まんまだよ」

 髪の色は地毛である。肉体変換のときにそうイメージしたからだ。ショウは今更ながら髪色くらいは変えても良かったかなと思った。

「オレはショウです」

「オレが言うのもなんだが、ショウって名前、聞いただけでも5、6人はいたな」

「そんなに?」

「ああ。ステータス開いてみろよ」

 ブルーの指示に、ショウは首をかしげた。

「なんだ、開きかたも知らないのか? 今はハンドブックとかいうのをもらえるんだろ? ちゃんと読んだのか?」

 少年は首を振った。

「カーッ。これだから最近のお子様は。チュートリアルに頼り過ぎだっての。まず説明書を10回は熟読しろよ。……こうやんだよ」

 ブルーは胸当てを外し、首元を右掌で叩く。すると金色の光円が現れた。それはアリアドが『登録証』と呼んでいたものであった。

 よく見ると、その光には円心上に文字がいくつも書き込まれていた。

「これがステータス・サークルだ。出してみろ」

 ショウがおっかなびっくり首元を叩く。同じような円が出てきた。ブルーのものとは異なり、円は白い。アリアドといたときは名前以外は書き込まれていなかったが、今はたくさんの文字や数値が刻まれていた。

「ネームのところ『ショウ(18)』ってなってるだろ? 同じ名前のヤツがおまえの前に17人登録してんだよ」

「そんなにいるんだ。もう少し凝ればよかったかな」

「まぁ、名前だしな。自分で気に入っていればいいさ。『カレータイヤキ』とかいう名前のヤツがいたが、どこへ行っても笑われてたぜ。適当につけちまったんだろうな」

 「あー……」ショウも想像して苦笑が漏れた。

「ステータスを出したついでに少し説明してやろうか? ホントはファイ・オニ談義をしたかったが、仕方ねぇ」

「よろしくお願いします!」

 野球少年だったショウは、先輩からの指導に対しては礼儀正しく頭を下げる習慣があった。

「まずは基本パラメータだ。ゲームでなじみだから大体、意味はわかるよな?」

 と、ブルーはショウのステータスを指差した。たしかに見慣れた画面である。

 ショウはブルーと比較した。当然ながらすべてにおいて低い。基本的な能力値は、一流の者でもせいぜい70だという。80越えがあれば超人だそうだ。ショウは最も高い『体力』で24、もっとも低いのが『器用』の12だった。

「オレって初期パラメータが低いんですか?」

「低過ぎるってことはないが、高いわけでもない。初期パラメータってのは、肉体変換時のイメージで決まる。ヒョロヒョロの筋力バカなんぞいないんだよ。イメージでマッチョにしてれば初期でも筋力は高くなるし、細工師でも想像しておけば器用さが高い。おまえは普段の自分のままこっちに来たってかんじだな」

「……あたりです」

「落ち込むことじゃない。鍛えれば成長するのはこっちの世界でも同じだ。地道に自分を磨くんだな」

 「はい」ショウは自分を納得させるように応えた。

 合わせるように「お待ちどう」とウェイトレスがテーブルに注文品を並べる。ブルーの前には木製カップに入った深い紫色の酒を、ショウの前には見るからに硬そうな丸パンと野菜のスープ、それに朱の混じったミルク。

 店員は二人の胸から浮かび上がる魔法円サークルをチラリと見て下がっていった。あまりいい印象ではなかった。

「……なんです?」

「異世界人とわかったからだろう。この町は異世界人に開放的ではあるが、誰もが好意的というわけじゃない」

 そう言ってブルーはステータス・サークルを胸に押し戻して消した。ショウも慌ててならう。

 「まずは食え」とうながされ、ショウは「いただきます」と頭を下げてパンをとった。思ったとおりの硬さである。味は少し塩辛い。

 しばらく二人の間に会話はなく、胃袋を満たす作業が続いた。

 ショウの皿が底をさらすころ、少年はふと気になる点を思い出した。

「……そういえば、ステータスに運の項目がなかったですよね? ゲームなら定番なのに」

「運なんぞない。ダイスを振ってるわけじゃないんだ。幸運も不運も、突き詰めればそれまでの行動によってついてくるもんだ。もしくは、そいつの考え次第だな」

 「そうなんですか」ショウはよくわからないまま納得することにした。

「覚えておくのは、各パラメータは絶対的な数値ではないということだ。あくまで概算であって、その日の体調や気分でも差が生じる。仕事を請ける際の目安にもならない。数字は数字だ」

「仕事?」

「ゲームで言うところの『クエスト』ってやつだな。斡旋所に『召喚労働者サモン・ワーカー』向けの依頼がいろいろ来るんだ」

「サモン……なんです?」

「『召喚労働者サモン・ワーカー』。アリアドによってこの地に呼ばれた者に対する名称だ」

「冒険者とかじゃなくて?」

「違うな。少なくとも本当の冒険をしているヤツなんか数えるほどしかいない。魔物退治や郵便配達を冒険と言いはるなら、冒険者なんだろうがな」

 ブルーは皮肉たっぷりに笑い、鎮めるために酒を一気に呷った。

「なんかすごいカッコ悪い……」

「いいか、冒険てのはワクワクするんだよ、ドキドキするんだよ。けど実際にオレたちがやってるのは、普通の人間がやりたがらない雑用だ。こんなのは仕事だ。冒険じゃない」

「なら、冒険しましょうよ! せっかくの未知の世界じゃないですか! いろんなところへ行って、いろんな物を見て、感じましょうよ!」

 納得いかずショウが訴える。

 ブルーは苦笑した。かつての自分を見ているようであった。しかし、彼は現実を知りすぎた。

「残念だが、その体に刻まれた追跡装置ステータス・サークルが有るかぎり無理だな」

「どういうことです?」

「オレたちはあくまでも勇者候補なんだ。その能力があろうがなかろうがな。魔物を殲滅するための兵隊なんだよ」

「そんな……!」

「いや、言い方を変えよう。オレたちは傭兵だ。アリアドの募集にのってやってきた傭兵。そのほうがまだ自由意志が感じられる」

 ブルーは喉の奥でわらった。

「ステータス・サークルはな、オレたちを監視するためにあるんだ。どこにいてもすぐにバレるし、財産も管理されている。それに税金も課せられていて、払えないと強制労働だ。わかるか? ここにはおまえが望む自由も夢もないんだよ」

「……」

 ショウは絶句した。まさかそんな世界だとは思いもしなかった。

「……少し脅かし過ぎたな。完全に自由がないかといえば、そうでもない。オレたちは兵隊ではあるが、あくまで傭兵だ。気に入らないなら戦わなくてもいい」

「え?」

「おまえのようにさほど体格に恵まれないヤツ、戦いに向かない気質のヤツ、女、子供、老人だって条件さえ整えば召喚される。まぁ、そういうのはだいたい早々に帰還するがな。それでも現世に戻りたくなくて居座るヤツは大勢いる。そういうヤツらは普通の住人として暮らしているのさ。要は、税金を払い、問題を起こさなければいいだけだ」

「ゲームの『幻想世界生活』シリーズと同じカンジ?」

 『幻想世界生活』は剣と魔法のファンタジー世界で、畑を耕したり、魚を獲ったり、家具を作ったりして暮らすコンピュータ・ゲームだ。魔物との戦闘もできるが、無理に行う必要はないので、スローライフを楽しめるゲームとして人気がある。

「ああ、そうだな、それがわかりやすいか」

 ブルーはショウの例えに何度かうなずいた。

「……あれ、ちょっと待って。今、帰還するって言いました? できるんですか?」

「召喚から72時間以内ならな。異世界人管理局で申請すればできるらしい」

「らしい?」

「戻ったのを他人が確認できないだろ? もしかすると、秘密裡に処理されていたりな」

 ブルーがニヤリとする。

「まさか……」

「冗談だよ。真偽を知る術がないのも本当だがな。とりあえず三日暮らしてから考えることだ。こっちが辛かったり、日本でやり直す気力があるなら帰ればいい」

「……そうします」

 ショウは沈んだ顔で答えた。この世界でなら自分を変えられると想像していたのだが、モブはどこまでいってもモブなのかもしれない。

「そう落ち込むな。オンライン・ゲームで開始早々、ベテラン・プレイヤーに捕まってお仕着せされた初心者の顔になってるぞ。いきなり現実を教え過ぎたのは悪かったな。まずは楽しめ。オレなんてワクワクして暴走して、初日から兵士に捕まって牢屋で説教くらったぞ。それでも何とかなってるしな」

「なんとかなるのかな」

「このナンタンの町を含むサウス公爵領内はまだ緩いからな。他の地方、とりわけ西は厳しいぞ。むこうは魔軍との最前線だからな」

「戦争やってるんですか?」

「そりゃそうだろ。そのための勇者候補なんだから。といっても四六時中戦ってるわけじゃない。周期があって、今はゴブリン軍の季節だな」

「季節って……」

「生物には繁殖期がある。もっともゴブリンも人間も年中発情期みたいなもんだが、それでも最も盛り上がる時期ってのがあるんだよ。そうすると食料や繁殖場所を求めて人里を襲ったりするのさ」

「なるほど」

「そういったわけで、今はゴブリン退治の仕事が多い時期なんだ。もっとも、おまえの場合は希望してもそこまでやらせてもらえないだろうがな」

 ショウが「え?」という顔をするのを予測し、実際浮かべたのを確認するとブルーはほくそ笑んだ。

「召喚には手間・暇・金がかかる、らしい。使い捨てとはいえ、勇者候補に簡単死んでもらわれちゃ困るんだとよ。だから職業訓練所なんて場所もある」

「そこで戦闘訓練とか受けられる?」

「ああ。魔法も教えてもらえる。その他にも、サバイバル技術や動植物学、建築だって学べる。召喚労働者サモン・ワーカーから元を取るには遊ばせておけないからな。どれも短期合宿だから、宿泊所もあるし軽食も出る」

「なんか、けっこう至れり尽くせり?」

「タダとは言ってねぇ。格安ではあるが、講座代はきっちり請求される。前金で二割は払わなければならないから、その分は稼がないとな」

「いやそれ、本末転倒ってやつじゃ……。今、手持ちがないんですよ?」

「大丈夫だ。明日、朝イチで異世界人管理局へ行け。仕事の斡旋もやってるから受付にサークルを見せろ。初心者には配達や荷積みなんかの危険のないバイトを紹介してもらえる。特に配達はやって損はないぞ。この町の地理を覚えるのには最適だ」

「なるほど」

 ショウは深く納得した。

「初心者に説明するのはだいたいこんなところだな。あとはハンドブックを読め。他のヤツはそうやって初日を乗り切るんだからな」

「はい、ありがとうございましたっ」

 90度に届かんばかりに頭を下げる。

「よーし、それじゃファイ・オニの話を始めるぞ。ったく、本題までが長いっつーの」

 ブルーは追加の酒を注文し、長い夜に備えた。

 それから数時間、二人はファイア・オニキスについて語り明かした。オリジナル版(ワン)の頃からプレイしてるブルーと、最新ハードによるリメイク版からはじめたショウとでは一部内容が異なったが、共通する話題に大いに盛り上がった。

 話が一段落つくころには真夜中であった。

 ショウはわずかに寒気を感じた。ガラスも張っていない窓から入る外気のせいではなく、もよおしてきたのだ。

「すいません、ちょっとトイレ……」

 考えてみればここへ来て、まだ一度もトイレには行っていなかった。

「なら裏手にある共同トイレを使ったほうがいい」

「共同ですか?」

「店のより綺麗なんだよ。行けばわかる」

 「はぁ」と気抜けした返事をし、ショウは店を出た。

 酔っ払いで賑わう店から出て、壁沿いに裏手へと回る。石造りの簡素な建物があった。

「ちゃんと男女別れているんだ……」

 見慣れた男女を示す図柄を確認し、中へと入る。魔法なのか、一歩踏み入ると照明が点いた。明る過ぎず、暗過ぎない。

 内部もまた、見慣れた小便器と洋式便器が並んでいた。

 小便器で用を足す。ふと、眼前の透明な球体が気になった。そのそばにプレートがあり、日本語と見たことのない文字らしきものが書かれていた。

 『てをあててください』とあり、ショウは球体に触れた。すると、便器に水が流れた。

「すげぇ、まさかの水洗式!」

 そういえば出入口にも似たような装置があった。手も洗えるというのだろう。

「デッカイほうは?」

 俄然、興味がわき、洋式便器を覗く。脇に似たような透明球体が二つあった。

 「なんで二つ?」と、小さいほうの球体に触れると、便器から小さな噴水のように水が飛び出した。

「まさかのウォシュレット!」

 水は数秒で止まった。脇にB5サイズほどの紙束があるので、そのあと拭くのだろう。

 ショウはこの面白発見を伝えたくて店に駆け戻った。

「スッゴイですね、もっと原始的かと思ったのに、トイレが最新式ですよ!」

 紹介したブルーは当然知っている。少年の反応は彼の期待を裏切らなかった。

「ここに来たオレたちの先輩が町の不潔さに嘆いて造ったんだよ。昔はその辺で適当に用を足してたらしくて、どこ行っても臭かったんだと」

「へ~」

「あの水洗装置は触れた者の魔力マナを使って動かしている。だからMP(マナ・ポイント)が空っぽのときは作動しないから気をつけろ」

「はい」

「あと、紙も共有財産だからな。使ったときは1アトルでいいから寄付していけ」

「アトル?」

「銅貨のことだ。まずはハンドブックを読め」

 ブルーにあきれられ、ショウは通貨のページを開いた。銅貨アトル銀貨シグル金貨リスルが、ギザギ国で流通している硬貨である。まれに白金貨も使われるが、相場が安定しないのであまり信用がない。ちなみに日本円に換算して、銅貨は5円、銀貨が500円、金貨が5万円ほどの価値を持つ。実際の日本の相場ではありえない価値比率だが、産出量の問題なので追求するなとブルーは付け足した。

 「もっとも――」ブルーは再びステータス・サークルを呼び出した。その一部に『所持金』の欄があり、1から始まる七桁の数値が書かれていた。銅貨の枚数である。

「オレたちの所持金は、基本、データとなっている。税金をごまかされないようにな。仕事をこなしても現物ではなく、ここに書き込まれるんだ」

「どうやって使うんですか?」

「この地方のデカイ町なら、ほとんどの店舗で掌紋と魔力認証による決済ができる。他へ行くときはあらかじめ管理局で現金化してもらう。余所で現金が手に入った場合は、手近な管理所でデータ化する」

「それってごまかせるんじゃ……」

「金額が小さければ目溢めこぼしてもらえることもある。だが、金貨1枚以上となると、どこからともかく徴税官がやってくるんだ」

 「スゴイぞ、あいつら」ブルーは露骨にイヤな顔をした。経験があるのだ。

「……まぁ、面倒ではあるが、便利でもある。重い硬貨を持たなくて済むし、盗まれる心配もないからな」

「現代日本よりよっぽど近代的だ」

 ショウが深く感心する。

「さて、オレはそろそろ休むとするが……そうか、おまえ、宿もないのか」

「はい……」

「オレが連れまわしたんだし、仕方ないな。ここの二階に部屋をとってやるから、そこで寝ていけ。つっても、一番安い大部屋だけどな」

 ショウにとってはどんなボロ部屋であろうと、屋根がある場所ならそれ以上は望まなかった。何度も頭を下げる少年に、ブルーはもう少し奮発してやってもよかったかと思った。思っただけであるが。

「明日は寄り道しないで管理局へ行けよ」

「はい。あの、ブルーさんは行かないんですか?」

「オレはギルドに行く。おまえとは違うところだ。一人前になったらそこで会うこともあるだろうよ」

 ブルーは飲食代と宿泊費を清算し、酒場を出て行った。彼には自分のねぐらがあるのだ。

「ギルド? 冒険者ギルドってヤツかな? でも、冒険者って名称は使われてないんだから、違うんだろうなぁ」

 そんな疑問を口にしながら、二階の割り当てられた部屋に入る。照明はなく、月明かりが薄く照らす。狭い部屋には木製の二段ベッドが四組も並んでいた。それぞれに番号が振られており、ショウは上段にある五番のベッドに上って横になった。となりの男のいびきがうるさいが、文句をいう度胸はなかった。

 新天地に興奮しているのか、硬く温かみのないベッドのせいなのか、なかなか眠りにつけない。

 ふと、実家を思い出した。今頃、家ではどうなっているのだろう。書置きさえ残さずに消えてしまった息子に、両親は戸惑っているだろうか、怒っているだろうか、心配しているのだろうか……

 今すぐ帰れば夜遊びが過ぎた程度で済むのかもしれない。でも――

「オレはまだ、何もしていない……」

 それは少年の葛藤の言葉であった。

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