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召喚労働者はじめました  作者: 広科雲
18/59

18 アリアドとの邂逅

 暗く、陽光の差さない地下牢で、ショウは自分に何が起きたか思い出していた。

 きのう――時間の感覚がないのでおそらくだが――、明け方に畑の消火活動が終わった。原因はゴブリン・シャーマンによる魔術と聞いた。

 ショウとレックスがゴブリンと遭遇したちょうど同じころ、東門近くの第5エリアを管轄としていたグループが、別のゴブリン部隊の襲撃を受けて戦闘となった。班員4名ともに負傷の末、ゴブリンを撃退するも、うち一人は脇腹に裂傷を負い瀕死の重傷であった。しかし、消火活動に駆けつけた兵士の中に治癒魔法が使える救護兵がいたため、一命を取り留めた。結果としてゴブリンによる火災がなければ彼は助からなかったであろう。皮肉なのか幸運なのか、判断に迷うところである。

 ともかくも全員が無事に生還できた。

 消火が終わると、ショウはゴブリン戦でばら撒いた荷物を外套で包んで担ぎ、レックス班のタカシとジューザに現状を報告するために物見やぐらまで戻った。レックスは現場責任者として東側に留まっている。

「畑は少し焼けたけど、みんな無事ならいいよね」

 途中で合流したシーナが晴れやかにいった。青空が広がりはじめ、空気が少し暖かく感じる。

「ホントだよ。でもしばらく夜勤は勘弁だな」

「だねー」

 シーナもニコやかに同意した。

「にしても、またゴブリンたおしたんでしょ? 何匹目よ」

「えと、メイスで1匹、石の当たり所がよくて1匹。腕をふき飛ばしたのはいるけど、死んだのかわからないから斃したうちには入らないよな?」

 と、ゴブリンの左腕をそのまましまった袋を持ち上げる。その中には一人分の両親指を縛った物も入っている。

「立派なゴブリン・スレイヤーだね」

「怒りに任せたり、混乱状態での討伐は自慢にならないな。……報酬はもらうけどさ」

「あははは」

 シーナが笑う。ショウにとってはそれが一番の報酬な気がする。

 物見やぐらについたショウとホリィ班は顔を曇らせた。

「こいつはお宝だ。兵舎のヤツらに自慢してやるぜ」

「これでオレたち、こんな星空の酒盛りから解放されるな!」

 兵士二人が、ゴブリン討伐の印となる親指に紐をつけて振り回していた。それはタカシとジューザが討ち取ったゴブリンの物だった。

 それを二人は見ないようにしている。

 ショウは瞬間的にカッとなった。

「おい、おまえら!」

 踏み出す少年をホリィ班が羽交い絞めにした。暴れるが、多勢に無勢だった。

「やめな、兵士に関わっちゃダメ」

 耳打ちするホリィにショウは激しく反発する。押さえ付けがさらに強くなる。

「お、なんか言ったか?」

 兵士たちはすでにショウをロックオンしていた。聞こえないわけがないのだ。

「そこのガキだよ。こっちに来させろ。命令だ」

「いや、なんでもありませんよ。夜通し働いてテンション上がっちゃってんです。気にしないでください」

 ホリィが愛想笑いで取り繕う。

「ハ、そうかよ」

 兵士も機嫌がいいのか、子供一人に目くじらを立てるのはやめようと思った。

 が、その兵士は子供の下げる麻袋に目をとめた。血が滴っている。

「その袋はなんだ?」

「いえ、いやぁ」

 ホリィは頭をかいた。

「なんだと訊いている? 返事がないなら勝手にあらためるぞ」

 仕方なく、ホリィは「ごめんね」とショウの袋を取り上げ、兵士に渡した。

「おい、ハリー、これゴブリンの腕だぞ! 指もある!」

「ホントかよ、儲けたな!」

 兵士の歓喜を、召喚労働者サモン・ワーカーたちは何も言わずに見つめている。この雰囲気がシーナは怖い。これは、いじめられていたあのころを思い出す。

「やめて、やめてぇ……」

 シーナは膝から崩れるように座り込み、頭を抱えた。

「どうしたの、シーナ」

 ホリィが異変に気付き、彼女の肩をつかむ。それをシーナは払い、うずくまった。

 その様子に、ホリィ班の男二人の呪縛が緩んだ。

 ショウは振りほどき、兵士とシーナを隔てるように進み出た。

「それを返せ。それは戦ったオレたちの物だ。臆病者のクズが持っていいものじゃない」

 ごまかしようのない言葉と態度だった。ホリィはもうとめるのは不可能だと思った。だが一方で、無謀な勇敢さに感動もしている。

「オレたちがクズだとぉ……!」

 一人は顔面に怒りを讃えて吼えるだけであったが、ハリーは言葉よりも行動が速い。

 ショウの顔をめがけて拳が飛ぶ。

 少年は後ろに引いてよけた。兵士は自分の拳の勢いに負けて、回転しながら転んだ。

 その無様さに失笑が漏れる。

「おまえ、わかってんだろうな? 兵士に……いや、オレにケンカを売るってのがどういうことか」

 ハリーは立ち上がりながら剣を抜いた。

 さすがに冗談ではすまない。ホリィは「待って」を連呼し兵士をとめようとするが、彼は怒りに我を忘れており、回避が間に合わなければ危うく彼女が先に斬られるところであった。

「ダメだ、とめらんない。誰かレックスを呼んできて! いや、こっちのが速いか」

 ホリィは自分のカバンから信号弾を取り出し、呪文を唱えて発動させた。天に赤い光が伸びる。

「問題は間に合うかだけど、もうあたしにはどうしようもないよ」

 ホリィも、周囲も、見守るしかできなかった。

「おまえたちはクズだ。人を守るべき兵士が、やぐらに立て篭もって味方に罵声を浴びせて他人の獲物を掻っ攫(かっさら)う。そんなのが兵士だって言えるのか? 恥ずかしくないのか!?」

 ショウはいっそスッキリした。周囲の仲間もスッキリしていた。

「こ、こいつ!」

 兵士はもう、手加減する理由がなかった。彼、ハリーは代々サウス公爵家の近衛騎士長を勤めてきたガネシム家の三男に生まれ、不自由のない人生を歩んできた。いずれは騎士にもなろうという身分の者が、召喚労働者サモン・ワーカーなどと呼ばれる人外アリアン虚仮コケにされる言われはない。下等生物で、奴隷階級で、家畜以下の存在に、自分を否定する権利はないのだ。いや、そもそも口を利く資格すらありはしない!

 兵士の剣が唸る。

 ショウは盾で受けた。衝撃はゴブリン以上であったが、技術もなければ覚悟もない棒遊びだ。そんな攻撃を、ショウは怖いとは思わない。

 押してくるハリーにショウは盾をずらす。剣がすべり、ハリーはたたらを踏んだ。そこに足を引っ掛け、転倒させる。

「みんなにあやまれ。戦ってくれた人たちに感謝しろ。命を懸けた人たちに敬意を示せ」

 剣を杖に立ち上がろうとするハリーに、ショウはメイスで剣の腹を叩き、撥ね飛ばした。

 ハリーは支えを失い、また膝をついた。誇り高き剣は畑に刺さり、泥にまみれた。

「オレが、膝を……? こんな汚い地面に、膝を……」

 恥辱に震えるガネシム家三男に、少年はバカらしくなってきた。どうせこんな人間は反省もしなければ、かりそめの謝罪もしないのだろう。かまうだけ時間の無駄な気がした。

 シーナのそばにより、屈んで顔を寄せる。

「帰ろう、シーナ」

 脅えながら上げた彼女の眼に、笑顔が映った。シーナは抱きつき「うん」と応え、彼とともに立ち上がった。

 戦利品を回収して立ち去ろうとする一団に、前方から馬を飛ばしてやってくる騎馬隊が近づいた。

「これはどういう状況か? なぜ兵士が倒れている? 説明を求める!」

 先頭の偉丈夫が人を圧する声を上げた。

「ヤバ、兵士長のエレファンだ……」

 ホリィは困惑し、どのようにごまかそうか考えたが、何も浮かばなかった。

「エレファン兵士長、ライリ・アフであります。あそこのいる異世界人が、ハリー・ガネシムに暴行を働きました!」

 この場にいたもう一人の兵士が敬礼し、申告する。

「事実か?」

 ショウは兵士長の眼力にたじろぎ、「はい」と答えた。

「でもこれには理由があって――!」

「黙れ。……拘束し、牢に入れておけ」

 後ろの騎馬兵に命令を出し、エレファンは東に進路をとった。彼の本来の目的は畑の視察である。途中、通りかかっただけで、信号弾に誘われてきたわけではなかった。

 ショウは両手首に縛られ、騎馬兵が持つロープに引かれて町へと連行されていった。

「ショウ!」

 シーナが叫ぶが、ショウには応える暇さえなかった。

「これ、大丈夫ですよね?」

 シーナがホリィに訊ねる。だが、彼女にも答えられない。

「ともかく、管理局に戻って報告しよう。どうにかしてくれるかもしれない」

 それが気休めであるのはホリィにもわかっていた。今まで兵士がらみで問題があったとき、管理局が頼りになったためしがない。だから皆、兵士には関わりあわないように沈黙し、目を逸らせてきた。この地には、偏った『正義』しか存在しないからだ。


 報告を受けた異世界人管理局は、緊急会議を招集した。異世界人は知らぬところであろうが、今回の被害者は大物の子息である。騎士階級とはいえ、ギザギ国・名士禄に名を残す人物だ。さらにその上には、ギザギ国四大貴族にしてこの一帯を治めるサウス公爵がいた。異世界人管理局の職員など、簡単に吹き飛ぶのである。

「困ったことをしてくれたものだ。誰だ、兵士に盾突くような馬鹿な異世界人は?」

 カダス・クズダス総務部長は早朝から呼び出された上に、大問題を抱えて頭痛がした。

「ショウという、昨日レベル3になったばかりの者です。昨夜は壁外の夜間巡回業務に出ていました」

 パーザが報告した。

「なんでそんな素人が夜間業務に出ている! 管理が甘いのではないか!?」

 総務部長が広報課長に怒鳴った。仕事の分配は広報課の仕事である。

「僭越ながら、そのショウというものを夜間業務につけろとおっしゃったのは部長です……」

 課長は下を向いたまま汗を拭った。

 「わしがそんな命令を――!」と言いかけ、総務部長は口をつぐんだ。

「……いやまぁ、過ぎたことはいい。問題はこれをどう落とし込むかだ」

 総務部長は皆の視線から逃れるため、首を横に向けた。

 パーザはようやく昨日のカラクリを知り得た。おかしな話が多いと思ったが、元凶はここにいたのだ。余計な真似をしなければ、もしかすれば誰も傷つかなかったのかもしれない。……いや、ゴブリンの襲撃が防げたのは、彼の存在も皆無ではないだろう。報告によれば退治された六人のゴブリンのうち、二人はショウのカウントである。これはもう、幸運ですませられるものではない気がする。

「だいたい、こんなときに局長はどうした? 普段、役立たずのお飾りなのだからこんなときくらい働けっ。あいつが頭を下げにいけばいいのだっ」

 責任転嫁の余波が上司にも及ぶ。いないのをいいことに、総務部長は『あいつ』呼ばわりである。

「局長には連絡済みです。会議の結果が出たら報告するようにとのことです」

 パーザが感情を含まず答えた。

「なんだそれは? まったく、だからあいつのような異世界――!」

「まぁ、そう興奮せず、いつもどおり当事者を好きにしてもらえばよかろう」

 人事部長は激昂する総務部長をなだめるように静かな笑みを向けた。

「こちらが何を申し立てても面倒になるだけ。ならば謝罪し、放置するのが一番よい」

「そうはいうが、管理局こちらにも責任を問うかも知れんぞ」

「そのとき考えればよかろう。次善策など何も出やしないのだから」

 人事部長は一息ついた。茶菓子がないのが残念だった。

「……それもそうだ。広報課長、君の名前で兵士長に謝罪文を出しておいてくれたまえ。処置は随意にと、忘れぬようにな」

 広報課長は額の大きな汗を拭い、低頭するだけであった。

 パーザ・ルーチンも今回ばかりはことが大きすぎて解決策が見出せない。それが悔しかった。


 それから五日、ショウは一度だけ兵士長エレファンの尋問を受け、以後は地下牢に閉じ込められたままだった。

 エレファンは高圧的ではあったが、ショウの言い分はすべて聴いた。だが、感想も結論もなく、投獄は続いている。

 ときおり食事が運ばれてくるが、カビたパンやすえた臭いのするスープだった。何か入っているのではないかと、いっさい手はつけなかった。

 何もできず、寝るしかない少年に、ときおりあのハリーという兵士がやってきては水をぶちまけて起こしていく。石畳は冷たく、体が震えた。

「これも冒険て言うのかな……。有名な赤毛の剣士は、なぜか大国に追われてたっけ……。こんなとき、あのゲームなら仲間が壁を壊してやってくるんだけどなぁ」

 ゲームのキャラクターを思い出す。ずいぶんと懐かしく感じた。

「壁を壊すのは面白そうだけど、鍵があるのだからそのほうが早いわよね」

 ボーっとする意識に、一つの影が集約していく。鉄格子のむこうに誰かがいた。女性の声。シーナか、アカリか、アイリか……。それは事実の確認ではなく、彼の深い願望であった。みんなに会いたいという、ささやかで、強い気持ち。

「とりあえずそこから出て、お風呂でも入って。臭くて話もできないわ」

 開いた鉄格子から二人の兵士が入ってきてショウを抱えた。少年にはもう抵抗する体力はなく、引きずられるままに連行された。

 されるがままに従った結果、ショウは町の時計塔を目の前に、清潔なテラスで食事をしていた。体は綺麗に洗われ、用意されていた新しい服を着て、口いっぱいに食べ物を詰め込んでいる。なぜだか食べれば食べるほど体力・気力ともに満ちていく気がした。ショウは知らぬところだが、食事だけではなく、このエリア全体に魔術による癒しの効果がかけられていた。

 胃が落ち着くころを見計らったのか、扉から一人の女性が姿を現した。

「アリアド!?」

 ショウは驚き、立ち上がった。

「はい、アリアド・ネア・ドネです。ショウさんですね。わたしのドージンシを描いてくれると言っていた……」

「それ違う! それはオレといっしょに来た人! 肉体変換についていけず、帰っていった人!」

 ショウは即座にツッコむ。彼と同一視さえてはたまったものではない。

「ああ、そうだった。うん、覚えてますよ」

「ホントかよ……」

 ショウは脱力して椅子に滑り落ちる。そこで自分の体力がほぼ完全に戻っているのを自覚した。


 ちなみにその彼、尾田木望おだきのぞむは、欲望に関しては有言実行の人だった。宣言どおりに現在はアリアドとゴブリンを交えた同人誌を執筆中である。半年後、即売会で頒布されたその本は、一躍同人界に旋風を起こし、大作家の仲間入りすることとなる。さらにそのツテで商業誌デビュー、成人向漫画家として『アリアドさんは今日もがんばるっ』を連載。その後、青年誌に移行し、異界冒険物を執筆。それが空前のヒットを飛ばし、テレビアニメ化、アニメ映画化、実写映画化、ハリウッド映画化がされ、人生の大成功を収める。

 晩年、彼はこう語る。

「肉体が引きちぎられるほどの痛みを糧に、ボクは強くなった。異世界は夢であればよい。現実はこんなにも優しいのだから」

 意味不明である。


 アリアドはショウの正面に座り、自分でお茶を淹れた。絵になる姿だと少年は思った。

「でさー、ぶっちゃけキミ、何したわけ?」

「……は?」

 眼前の美人が、いきなり砕けた言葉を使い出した。

「ん? なに?」

「いや、そういう性格……?」

「性格? ああ、そうね。公私混同はしないタイプなの。できる人間でしょ、わたし?」

「自分で言うんだ……。というか、それ、公私混同とは違うんじゃ……」

「気にしないの。まぁ、キミのおかげでこうして羽を伸ばせて感謝してるわ。もうこのところぜっんぜん勇者候補が捕まらなくてさ、上も下もせっついてくるのよ。そんな簡単に見つかるなら、とっくに見つけてるって。なんでそれがわからないのかしらね。そう思うでしょ?」

 ショウは勢いに負けてうなずいた。

「でしょー? さすが当事者にはわかるわよね。自分が勇者どころか候補にもなれないって。そんなの何人集めたって仕方なくない?」

「さすがにそこまでディスられると悲しいものがあるんだけど」

「あ、ごめんね。普段こういう話できる人いなくて、悪いけど少し付き合ってよ」

「いやいや、そのまえに、あんたなんでここにいるの!?」

 ショウがツッコむ。ツッコむしかない。

「なんでって、なんだっけ? ああ、兵士に逆らってケンカしたバカがいるって聞いて見に来たの」

「え、そんな理由? あんた、けっこう偉い人じゃないの? 兵士との揉め事がそんなに珍しいわけ?」

「珍しくはないわね。でも、今回の相手がハリー・ガネシムだから、わたしの耳にも届いたのよ」

「あの兵士、有名なの?」

 ショウは不機嫌になった。

「良いほうじゃなくね。彼の父親が、このサウス領・領主の近衛騎士長なのよ。質実剛健、周囲からも、もちろん公爵からも信任が厚いわ。長男・次男もいい男で、どちらかが間違いなく次の騎士長になるだろうと噂されてる。でも、三男のハリーはねぇ……」

「クズだな」

「そうなの、クズでゲスなのよ。あろうことか、わたしに言い寄ってきたこともあってね、ま、見る眼はあるわね。でも、あれはダメでしょ?」

 ショウは力強く同意した。

「というわけで、あのクズにクズと正面きって言ったお馬鹿な人を見たくて来たの。父親が有名だと、なかなか言えないでしょ、フツー?」

「そんなの知らないから」

「だよね。さすが異世界人、怖いもの知らずよね。で、ことの顛末、はじめから聴かせてもらえる?」

 アリアドが新たなお茶を注ぐ。

 ショウはあの夜の出来事を話した。一部、ハリーのクズっぷりを誇張はしたが、都合よく改変はしなかった。する必要もない。

「なるほど、嘘はないようね」

「嘘?」

「ああ、これ、いちおう聴取だったから、嘘がないか調べていたの。しかしまぁ、兵士の風上にも置けないクズね。エレファンが参るのもわかるわ」

「エレファンて、兵士長?」

「そ。あれの直属の上司だからね。で、彼の上位にガネシム騎士長がいる。わかるでしょ、めんどくさい関係が」

「なんとなく……」

「エレファンはね、いい兵士よ。わたしも昔、遊んでもらったことがある。真面目すぎて損をするタイプね。もっと気を緩めてもいいのに、気苦労背負い過ぎ」

 アリアドは笑った。彼を馬鹿にするものではなく、それがいいところなのだとわかった顔で。

「だからオレ、放置されてたんですか?」

「ええ、おそらく。ハリーは厳罰を望んだんでしょうけど、エレファンはどちらが正しいかわかっていた。でも、父親の手前、何もせず釈放もできないから禁固刑にしてたのよ。ずいぶん緩いけどね。で、それとなくわたしが知るように仕向けた」

「なんで?」

「わたしこれでも召喚庁長官よ? 騎士長よりも断然偉いし、話もわかる。だからわたしが口ぞえすれば、あなたは即釈放ってわけ。かわりにわたしが疎まれるんだけどね。でもま、それも慣れてるし、別にいいかなって」

 冗談ぽく笑うアリアドに、ショウは言葉がすぐに出なかった。やっと出た言葉は、感謝と謝罪だった。

「……ありがとうございます。ご迷惑かけてしまってすみません」

 ショウは頭を下げた。

「いいってば。それにわたし、こうして自分が召喚した(呼んだ)相手と話す機会ってなかなかないのよね。だからちょっと嬉しかったりする。同じ人と会うのは、だいたいその人が死んだときか、元の世界へ帰るとき。……この間は、アイリという女の子と会ったわ」

「アイリ!?」

「知ってるわよね? あなたのお友達だった子。実はね、彼女からあなたの名前を聞いていたの。何人かいる『ショウ』の中から探すのは面倒だったけどね」

「なんで彼女が……?」

「彼女は帰る前に、わたしに3つの質問をしたわ。わたしは逆に訊いた。なぜそれが知りたいのか。元の世界に帰る彼女には、もう関係のない話だったのに。そうしたら彼女は、あなたの名前を出したの」

「なんで?」

 ショウは知らずうちに前のめりになっていた。それをアリアドは好ましく思う。アイリの本当の答えを見ている気がする。彼女はただ――

「それは言えない。で、わたしはその3つの問いに答えた。彼女は満足して帰って行ったわ」

「そっか……。よかった」

 ショウは重荷の一つがおりたような気がした。別れを言えなかったのがずっと心残りだった。手紙をもらって、一方通行の感謝だけを受けて、自分は何も返せなかった。たぶんその場にいても気の利いたことも言えなかっただろう。だとしても、目の前で見送るくらいはしたかった。

「彼女がなにを訊ねたか、気になる?」

「どうせ教えてくれないんだろ?」

「もちろん。……でも、あなた自身はどう? なにか訊きたいことがあったんじゃないの? 今なら一つ、なんでも答えてあげるわ」

 ショウは唾をのんだ。彼の目標はアリアドに会い、そして、日本に帰ることだった。それがこんなにも早く、絶好の機会に恵まれた。

 ショウは口を開きかけ、唇を噛んだ。条件を満たしていない。何かを成し遂げてから日本へ帰りたいのだ。ただ帰るだけでは何も変わらない。……いや、今の気持ちがあれば、きっと日本へ帰っても成長した自分としてやっていけるだろう。あのときとは違う自分がここにいると、そう信じることができる。

 しかし――

「肉体変換の本当の理由が知りたい」

 ショウはまったく違う質問をした。日本に帰れるかどうかは、その条件を満たしたときでいい。それ以上に気になることが今はある。

 アリアドはキョトンとした。予想と違う。アイリの話からすれば、彼が望む情報は日本への帰還方法だろうと思っていた。しかし訊かれた以上、答えねばならない。でも、抽象的でわからない。

「……本当のって? 異世界人をマルマに順応する体にするためと、言葉が通じないと不便だから。さらには異世界人の居場所などが管理できるように。あとは……、あなたたちの希望?」

「オレたちの希望?」

「そう。わたしがこの仕事を始めたころ、あなたの大先輩たちが言ったのよ。どうせならかっこよくなりたい、とか、かわいくなりたいって。だから手っ取り早い方法をとったの。もともと擬似体を使うつもりではいたから、ちょうどよかったわ」

「……マジすか?」

「マジマジ。嘘つかないって。今だってそうよ? 男だと容姿にこだわる人は8割くらいだけど、女性は10割整形よ? みんなすごい精神力って思うわ。たぶん、次に誕生する勇者は女性ね、ゼッタイ」

「女性全員か……」

「まぁ、程度の差はあるけどね。ちなみにアイリちゃんは――」

「わー、聞きたくねー!」

 ショウは耳を塞いだ。

「そう? かわいかったわよ、あの子。髪は黒だけど」

「言うなっての……」

 ショウは頭を振った。

「これで質問は終わりね?」

「いや、まだ答えてないだろ。なんでオレたち、子供が作れないんだ? その理由が、肉体変換じゃないのか?」

 「ああ、そのこと……」アリアドはめんどくさそうにため息をついた。

「まぁ、大筋あなたの想像どおりよ。管理の本当の意味がそこにある」

「オレたち異世界人が増えると困るわけだな。腐っても勇者候補だし。増えたら手に負えないとか」

「そうね、それもある。軍関係はそれを恐れているわね」

「それもってことは他にも?」

「生物学的に言って、あなたたちがイレギュラーだから。能力の有無ではなく、生態系の一部として、あなたたちは本来いてはいけないの。国産種の中に外来種が混ざるのを嫌がる人たちがいる、そういうこと。わたしはね、どっちでもいいのよ。ゴブリンを駆逐するのも、かわりに異世界人が増えるのも、立派に生態系を壊しているわけだから。でもそういう理屈が通らない人たちがいるのよ」

「だったらなんで召喚するわけ?」

「便利だからかしら? 周りに敵がいる。でも自分たちは傷つきたくない。でも敵はたおしたい。そんなとき、あなたはどうする?」

「……」

 ショウは答えたくなかった。

「もともと、異世界人を召喚したのは魔物に襲われた砦を守るためだった。それが想像以上に効果を発揮してしまい、そうなれば次を望みたくなる。その結果が今なんだけど、昔ほど質のいい人が捕まらない。だから量を増やす。でも増え過ぎても困る。特に勝手に繁殖されてはたまらない。そういうことね」

「あんたはそういう流れを変えようとは思わないのか?」

「わたしが? なぜ?」

「オレたちだって人間だ。奴隷としてここへ来たわけじゃない。ここで人間らしく暮らす権利はあると思わないのか?」

「さっきも言ったとおり、わたしはどちらでもいいんだけど、権利ってなに? あなたたちの権利を、なぜわたしが保障しなければならないの?」

「だって、あんたが呼んだんじゃないか! ここに来いって!」

 ショウは立ち上がって反論した。しかし、アリアドは動じもしない。

「呼びかけはしたわ。でも、来たがったのはあなたたちのほうよ?」

「……!」

「あなたたちが異世界に行きたいと望まなければわたしの声は届かなかった。それにわたしは選択肢を与えたわ。帰るチャンスも与えている。それでも残ったのは誰でもない、自分の選択ではないの?」

「選択ってのは、情報が揃ってから与えられるものだろ? 実質、帰れなくなってから実はこうでしたってのは詐欺じゃないか!」

「その情報はどこまで必要なの? 世界のすべて? わたしの下着の色? ちなみに今はピンクね。どこまでいっても、すべての情報なんて提示できるわけがない」

「それは屁理屈だ。自分の体のことくらい、説明するのが筋じゃないのか?」

「子供が作れないって? それを知ってどうするの? 自分本来の体を捨てた時点でどの口が言うの? そんなに自分の都合のいい世界がほしいの? 一から十まで揃った理想をわたしが用意して当然だと思っているの? だとしたら、あなたはハリーよりもよっぽど強欲な人間よ」

「……!」

「わたしは神様じゃない。あ、言っておくけど、あなたたちの世界の神様ね。こっちの神様はそんなに万能じゃないから」

 「それはおいといて」アリアドは両手で空気箱エア・ボックスを横にずらした。

「あなたたちが来たいと望んで、わたしが招き入れて、それだけの関係のはず。それでも互いの利益のために、わたしはできるだけの準備をしたわ。受け入れ先も、仕事も、足りないものを補う施設も。それで今度は何が足りないの? 最強の武器? 不老不死? 使い切れない財産? そんなのあるくらいなら異世界人に頼るわけがないでしょう? 自分たちがなぜここにいるか、もう一度考えてみなさい。少なくとも、あなたたちに不自由のない幸せな世界を提供するためじゃないわ」

「……」

 ショウは口をつぐんだ。アリアドの言い分はもっともだと思う。理屈としては正しい。需要と供給があるから成り立つ関係なのだ。でも、それでも納得しきれない。余裕でお茶を飲む、その姿に腹が立つ。もはやナンクセに近い。

「……たとえば、今、眼で物を見ている。あんたの場合、魔法とかもあるかもしれないけど、そういう前提で」

「はい?」

 アリアドが首をかしげた。

「その眼が突然えぐられたとしたら、えぐった相手を許せる?」

「100倍返しね」

「そういう、本来持っているものを取り上げられるっていうのは、悔しくならないか?」

「そりゃ、悔しいでしょうね。でも、何の代償もなく望むすべてが手に入ると思うのもどうなの? 珍魚姫だって足の代価に声を奪われたわ」

「人魚姫な!」

 ショウの頭にブロブフィッシュのお姫様が漂った。

「ああ、それ。……試みに問うのだけど、あなたはその事実を知って、今すぐにでも日本に帰りたくなった?」

 ショウは少し考え、首を振った。

「なら、あなたのその憤りはなぜなの? 別に気にしないなら、どうでもいいじゃない」

「将来的に子供を望む人がいるからだよ」

「あなたの恋人?」

「違う」

「それじゃ、他人ということよね? 怒りの理由がみえないわ」

「理由なんてどうでもいい。たしかにオレは欲張りなんだと思う。エゴなんだと思う。でも、何かを大切に感じて、心の底から望む人がいるなら、どうにかしてやりたいじゃないか」

 ショウは言葉がもどかしいと感じたことは今までなかった。考えたこともない。けれど今は、胸のモヤモヤを伝える言葉が欲しかった。

 アリアドは空になったカップを置いた。

「独りよがりでも、自己満足でも、余計なお世話でも、誰かのためと思うのは理由になるわ。善し悪しは別だけどね」

 アリアドは微笑んだ。

「でもね、誰かのためだけじゃダメ。自分の気持ちがこもらなければ、結局は誰かが不幸になる。無償の愛も優しさも、相手を見ていないのといっしょなのよ」

「なんか、それっぽいこと言ってる……」

 ショウの中のアリアドは、もはやふざけたお姉さんである。まったく尊敬する気にはなれない。

 「なによ、それっぽいって!」と、簡単にキレるのも尊敬に値しない理由だ。

「……ン、まぁ、いいわ。及第点としておきましょう」

「なんのだよ……」

「話し相手のかな。異世界人と話すのは、いい刺激になるわね。また相手してあげてもいいわ」

「お断りだ。オレ、あんたが嫌いだってわかった」

「えー!? どこに嫌われる要素があるのよ!」

「なんだろう、人を小バカにしてるカンジ? 常に上から目線で偉そうで、そのくせ子供っぽいし、他人を想いやる気持ちもない。あの兵士とお似合いなんじゃないか?」

「ちょ、ちょっと待って。わたしのメンタル・ポイントはもう0よ……」

 アリアドは、私人としてはけっこう打たれ弱い。仕事では何を言われても気にしないが、個を責められるとすぐに落ち込んでしまう。

「うん、そういうところも。真面目に話してるのに、ちゃちゃを入れたがる」

「ちょっと、ホントに。ホントに待って。反省するから」

 アリアドは心臓をおさえて息を整えた。

 そんな大魔導師を見て、ショウは小さく笑った。

「……なんて、ごめん。悔しくて言い返してみただけなんだ。あんたの考えも、理屈もよくわかったよ。たしかにオレは望みすぎたみたいだ。欲しいものは自分で手に入れろってことだね」

「そう、そうです! そういう心がけが大切なんですよ」

 謝罪され、アリアドは復活した。ショウは芸人を見ているようで面白かった。

「となれば、10万金貨(リスル)貯めるしかないか」

 他にない選択肢に、ショウはかえってやる気が湧いてきた。道が一本ならわかりやすくていい。

「10万リスル?」

「それだけあれば、子供も作れる体が手に入るんだろ?」

「なにそれ? どこのガセネタ?」

「えー!?」

 ショウは大声を上げて驚いた。

 途端、扉が乱暴に開き、兵士が数名飛び込んでくる。アリアドが「なんでもないから」と引き上げさせた。

「だって、管理局の課長さんがそう言ったよ? 王に認められるか、10万で買えるって!」

 「……管理局の考えそうなことね」アリアドは眉間に皺を寄せた。

「そうやってやる気を出させようとしているのね。陛下に認められるにも、お金を貯めるにも、どちらにしても職務に精励することになる。エサがあればがんばるだろうって」

「そんな……!」

「管理局がそこまで煽ってるとはね。でも、あの子は何も言ってなかったんだけど、知らないのかな……」

「なにをブツブツ言ってんだよ。それじゃ、絶対に子供って無理なのか?」

「現状ではね」

 アリアドはショウのほうも見ずに答えた。自分の考えを優先しているようだ。

「マジかよ。シーナになんて言えばいいんだ……」

 ショウは頭を抱えた。

「子供が欲しいっていう人? わざわざ言う必要ないでしょ? そのうち何かが変わるかもしれないし」

「変わるの?」

「あなたが――いえ、あなたたちが変えるのよ」

「だからそれは変えられるものなのかよ?」

「なに、結局わたしに頼るの? 何が問題なのか、まずはそれを見極めて、そして行動したらどうなの? アイリちゃんはそうやって自分の道を拓いたわよ」

「……!」

 ショウは言葉に詰まり、自分のふがいなさに腹立たしさを感じた。

「ともかく、今日は話せてよかったわ。いろいろと参考になった。立場上、あなただけを特別視はできないけれど、成長を楽しみにしているわ。そのとき、約束が果たせるかもしれない」

「約束って?」

 アリアドは答えず、ただ微笑んだ。

「では、さようなら」

 彼女は身を翻し、部屋を出て行った。


 その後、ショウは解放された。荷物一式も返却され、異世界人管理局で借りた防具を身につけた。鎚矛メイスと盾は連行される前に剥がされていたので持っていない。

 見たことのない景色なのは、ここが内区だからだ。おのぼりさんのようにキョロキョロと見回し、中区や外区とは違う街並みを楽しんだ。ときおり兵士がショウを睨んだが、接近はしてこなかった。どうやらすでに、この町の兵士の敵と認定されているようである。

 第一防壁の関所から出ると、そこにシーナがいた。

「ショぉぉぉ~!」

 感激して抱きついてくる。ショウは荷物を落として抱きとめた。

「心配かけて悪かったね」

「ホントだよ。釈放されるって連絡があって朝から待ってたんだから」

「連絡って、誰から?」

「パーザさんが教えてくれた。あー、でもよかったよー!」

 さらに強く抱きついてくるシーナの背中を、軽く叩いてやる。

「とりあえず管理局に戻ろう。まだあの日の報酬ももらってないしな」

「うんっ。今日はわたしがご馳走してあげるからね」

 シーナと並んで歩く。

「仕事はしてたの?」

「あんまりやる気はなかったんだけど、考え込んでいてもしょうがないってみんなに励まされてね。畑作業やってたよ。あの日、燃えちゃったから」

「ゴブリンはどうなった?」

「相変わらずちょこちょこと出てくるみたい。わたしは昼仕事だから遭遇してないけど、夜にはときどき」

「そうか……。薬草採取もまだ無理?」

「うん。根本的にどうにかしないとマズイみたいな話になってる。近く山狩りをやるとか」

「山狩りか。オレたちは参加しないだろうけど、みんな、怪我しないで欲しいな」

「だね。……ところでショウ、意外と元気だよね? 牢にいたんじゃないの?」

 シーナはショウの体をジロジロと見る。怪我の一つもない。

「いたよ。五日間くらい食べてなかったし、よく寝られなくて睡眠不足だった。で、今日になって牢から出されて、風呂と食事が提供された。それで体力が戻った。魔法かなんかかな」

「え、なにその鞭と飴」

「なんか、管理局の偉い人が口を利いてくれたらしい」

 ショウはアリアドのことは言わなかった。

「へー。たまにはやるじゃん。わたしたちが訴えたときは完全無視されたのに」

「そういうフリも必要だったんじゃないか? 示しがつかない、みたいな」

「なるほどねー。ツンデレだね」

 ショウは笑った。

「そういや、元祖ツンデレはどうしてる?」

「アカリのこと? 心配はしてたけど、仕事には行ってたよ。パン屋寄ってみる?」

「いや、それこそ仕事の邪魔だろ。倉庫の話は――て、オーナーがオレだから連れていってないか」

「あー、そうだよ! わたしもあれきり行ってない! お金払っておかなきゃ!」

「戻って早々、出費か……。ああ、そういえば今日からは宿も探さないと。シーナはどうしてるんだ?」

「アカリと二人部屋に住みはじめた。お金はかかるけど、やっぱり部屋があるのはいいね」

「そしたら倉庫いらなくないか?」

「そうも思ったけど、高くはないし、いざ借りようとしたときに空いてなかったら困るでしょ?」

「それもそうだな」

 ショウはうなずき、それから自分のねぐらをどうしたものか考える。しばらくは一人部屋で、そのうち同居人を見つけてなるべく安くするべきか。管理局で募集してみるか……

「なに言ってんの? ショウが戻ったなら四人部屋に移るよ。料金安いし。アカリともそういう話になってる」

「え? アカリ、承諾したのか?」

「もちろんカーテンで仕切るけどね。問題は四人目」

「決まってる?」

 その問いに、シーナは表情をけした。

「……アカリって、けっこう人見知りだよね……」

 「ハハ……」ショウは苦笑した。

「『ルカが戻ればあいつでもいいけど』てアカリは言ったけど、戻らないよね?」

 アカリはルカが管理局専属召喚労働者アリアン・セルベントになったのを知らないままだ。守秘義務で話すわけにもいかず、二人は何とも心苦しい。

「たぶん。戻ればいいなとは思うけど」

「わたしはいないほうがせーせーするけどねー」

 シーナは強がって見せる。彼女にとっても、ルカは大切なケンカ友達である。

「……なにしてんだろな、あいつら」

 ショウは寂しげにつぶやいた。

 宿のメンバーについては進展がないまま話題が変わり、二人は雑談を続けた。空白の五日間は、ショウにとっては苦痛であったが、シーナには別の経験があった。彼女が話す小さな冒険を聞いているうちに、異世界人管理局にたどり着いていた。その途中でゴブリンに破かれたリュックのかわりも手に入れて、荷物はそこに移されている。

 なんとなく緊張しながら扉を開けた。

 花吹雪が舞い、歓迎の声が響き渡る――なんてことはない。まだ11時前である。よっぽどの暇人か休みの人間しかいない。もしくは、いつもの窓口に座る女性たち。

「ああ、ショウさん、お帰りなさい」

 ツァーレ・モッラが光の神(シャイネ)の印を切る。

「元気そうでよかったです。大変でしたね」

 ベル・カーマンは、わざわざカウンター席から出向いて労った。

「今後はくれぐれも迂闊な行動は控えてくださいね」

 パーザ・ルーチンは一瞥いちべつしただけで、すぐに手元の書類に眼を戻した。

 三者三様のあいさつを受け、帰ってきたという気持ちが湧き上がる。

「あ、そうだ。装備を返さないと」

 目の前のベルに、ボロボロになった兜や鎧を見せる。

 ベル・カーマンは困った顔をした。

「かなり痛みましたね……。まずは修理が必要になりますね」

 多少ならともかく、ショウが身につけていた物は実戦を経ているので穴まで空いている。

「それはもう使い物にはなりません。廃棄しますが、必要なら持っていってもかまいませんよ」

 パーザが無関心そうにこちらを見ていた。

「……もらって、いいの?」

「廃棄物扱いですから、お好きにしてください」

「でも、直せばまだ……」

「すでに新しい物も入荷しています。そもそも傷だらけの鎧など危険です。誰が使うんですか」

 そう言われると反論も出ない。

「儲けたね! 感謝してもらっておきなよ」

「そうだな。パーザさん、ありがとう」

 シーナが笑い、ショウも笑った。

 お礼を言われたパーザは「使うのでしたら修理をしたほうがいいですよ」と、また書類に戻った。

「そうそう、ショウさんには先日の報酬がまだ未払いでしたね。用意してありますから」

 ベルがカウンターに戻って行く。

 「依頼書ださないと」ショウは手にしていた新しいリュックを開く。が、見つからない。

「あれ、畑に落としてきたのかな……。今さら見つからないよなぁ」

「大丈夫ですよ。ちゃんと報告は受けてますので、どうぞこちらへ」

 ショウは安堵して、ベルの示した報酬を確認した。7259銅貨アクルとなっている。

「……これ、間違えていませんか? いくらなんでも多すぎです」

「いえ、合ってますよ。まず、作業報酬が5600銅貨アクルでしたが、保護対象である畑の一部焼失により4割減額で、3360銅貨アクルとなります」

「そうですよね……」

 ショウは畑を守れなかった重みを感じた。

「これに3%の税金が課せられ、端数切捨の3259銅貨アクルとなります。ここにゴブリン討伐報酬が2匹分40銀貨シグル……4000銅貨アクルですね。こちらが加算されます。こちらは非課税ですから、合計でこの金額です」

「でも、たおした証明はできません。みんなられて……」

「証明はみんながしてくれたよっ。レックスさん、ホリィさん、タカシさん、ジューザさん。他にもいっぱい。みんなが証人だから」

「……」

 ショウは胸が熱くなった。感動で言葉が出ない。

「本来なら認めないところですが、暴動でも起こしそうな勢いでしたから特別です。これっきりですからね」

 パーザの注意にショウは機械的にうなずいていた。皆の善意だけで満足だった。

「まぁ、ちゃっかりタカシさんもジューザさんももらってたけどね」

 シーナは余談は、涙がこぼれるほど可笑しかった。


 シーナの昼食に付き合い、それからショウは今までずっと憧れていた店へと向かった。異世界人管理局のベル・カーマンに教えてもらった武具屋である。

 ファンタジー・ゲーム好きとしてはまず何よりも見学したい場所であったが、リアルではお金も用事もなく行くところではない。こういうところは頑固で厳つい中年男が出てくると相場が決まっている。冷やかしで入ろうものなら怒鳴られること間違いはない――と信じて、ショウは行かなかったのである。

 しかし今回は大義名分があった。

 中区7番街のど真ん中に、その店はあった。屋根には剣と盾のレリーフが存在感を誇示し、店の周りにも剣や鎧が立てかけてある。

 ショウとシーナは感動した。

「これだよね? RPG(ロープレ)といったらこれだよね!」

「おう、これだよっ。うわ、ワクワクする!」

 二人は逸る鼓動を抑えて扉を開けた。

「いらっしゃーい」

「……あれ?」

 所狭しと武具が置かれた店内の小さなカウンターには、若い女性がいた。しかも、知った顔である。

「ホリィさん?」

「あ、ショウ、釈放されたんだ? よかったぁ。ごめんね、役に立てなくて。あー、でもホント、よかった」

 ホリィはカウンターから出てショウを抱きしめ、背中をバンバンと叩いた。圧に潰されそうだった。主に胸の。

「なんでホリィさんがここに?」

 真っ赤になりながら押し戻し、ショウは訊いた。

「あたし、実は鍛冶師志望なんだよね。自分で剣とか作りたくてさ。訓練所で基本は学んだけど、やっぱり親方の下で修行するのが一番かなって。それにこないだのあれでつくづく思ったんだ。あたしは戦いには向かないってね」

「女だてらに鍛冶やりてーなんて、バカなヤツだろ?」

 店の奥から、今度こそ店の主人と思しき男が出てきた。ショウの想像どおりの外見である。

「自分で選んだ仕事ができるって、いいと思いますよ」

「でしょ? ショウはわかってるね。さすが兵士にケンカを売るだけあるよ」

「それ関係ないし」

 シーナが静かにツッコむ。

「そうか、この小僧が言ってたヤツか。なるほど、いい面構え……は、してねーなー」

 親方が大笑いした。いっしょになってホリィも笑っている。

「すでに師弟ってカンジがする……」

「ね?」

 ショウとシーナはたがいに納得した。

「で、今日はなに? あたしに会いに来てくれた?」

「いえ、いるのも知らなかったし。……これ」

 ショウは硬革鎧ハード・レザー革兜レザー・ヘルム、それに鉢金はちがねをカウンターに置いた。

「あのときの装備だね。修理したいの?」

「はい。廃棄にするからいらないと言われてもらったんですけど、装備はできるだけ万全にしたくて」

「いい心がけね」

 ホリィは力強くうなずいた。

「ちょうどいい、おまえ、これの修理やってみろ」

「いいんですか、親方?」

「板金や鍛冶はまだ任せられんが、これくらいならいいだろ。客がいいと言えばだがな」

 親方の言葉にホリィは眼を輝かせ、ショウを見た。

 ショウに断る理由はない。

「ありがとっ。明日までには――」

「バカヤロウ、他に仕事のないヤツが時間をかけるなっ。夕方までにやれ」

「はい、親方! ……というわけで、夕方に来てくれる?」

「わかりました。お願いします。ちなみに料金てどれくらい……?」

 ショウの声はだんだん小さくなる。相場がまったくわからない。

 ホリィは頭の中で材料費と工賃を計算し、「銀貨20枚ってところだね」と答え、親方にまたどやされた。

「おまえの技術で金をとろうなんて思うなっ。むしろ客に素材提供代と勉強代を払え。だが本当に払うと店がつぶれるから10枚もらっておけっ」

「……だそうで」

「ハハ……、わかりました」

 ショウとシーナは苦笑いした。

「それと、少し店内を見せてもらっていいですか? 武具屋はじめてなんで」

「もちろんいいよ。あたしは修理の準備するから、用があったら呼んで」

「はい」

 ホリィと親方は店の奥に消えた。しばらくすると金属を打つ音が聞こえてくる。親方の仕事だろう、一定間隔で、同じ高さ、同じ強さの音が響く。

「ホリィさん、日本刀が好きなんだって。あの夜に言ってた」

「ああ、それで鍛冶か。でも、憧れはあるよな」

「だよね」

 ショウとシーナは店内に溢れる武具を眺める。誰が持つのかわからない巨大な剣や、変わった形の鎧がある。その中でショウは、木箱に無造作に刺さっている鎚矛メイスを漁った。

「メイス、好きだね。買うの?」

「必要ならね。でも当分はいらないかな。ていうか、これ、いくらだ?」

 どの品にも値札がない。

「そこのメイスなら40銀貨シグルからだね。意外と高いでしょ?」

 ホリィが補修材料を手に戻ってきた。革片と金属粉、怪しそうな液体の入った瓶が作業台に置かれた。

「ぜんぶ一品物いっぴんものですよね? それなら高い物なんじゃないですか」

「それもあるけど、需要も少ないんだ。メイスは地味だしね。ここじゃ祭具として使うのが一般的かな」

「武器としても扱いやすいと思うんだけどなぁ」

「でも、戦士の9割は剣を欲しがるよ。見た目もいいしね」

 ホリィは作業台に硬革鎧を移す。全体を隅々まで観察し、修復箇所をメモして行く。

 本格的に作業に入る様子なので、ショウとシーナは店を出た。

「夕方までどうする?」

「ん~、寝たいな。ようやく緊張がほぐれて、いい感じでお腹もいっぱいだし、気持ちいい日差しもあるし、取り急ぎの用件は済んだし……」

 ショウはあくびをもらした。目もすでに閉じかけている。

「でもさすがに往来じゃダメだよ。管理局いこ。休憩所も今なら空いてるだろうし」

「ん……」

 シーナに手を引かれ、ショウは管理局に戻った。そのころにはほとんど意識はなく、彼は板間で倒れこむように眠った。


 同じ異世界人管理局の三階では、総務部・部長が安全保障課・課長から報告を受けていた。

「なに、アリアドがこの町に来ている?」

「いえ、もう王都へ戻ったようです」

「何をしにだ? まさか、この前のガネシム家の三男坊の件ではないだろうな?」

「どうもそれらしいです。あのとき捕まったショウという召喚労働者ワーカーを釈放し、二人で密談をしていたと聞いています」

「召喚庁長官が異世界人一人のためにここまで来て、しかも密談だと? 怪しいな……」

「そう思い、そのショウとやらを調べてみたのですが……」

「何か出たか?」

「いえ、それどころか、この世界に来てまだ三週間も経っていません」

 総務部長は「ふむ」と考え込んだ。

「何かあるならそのうち尻尾を出すだろう。いちおう監視をしておけ」

「わかりました」

 安全保障課長が退出すると、総務部長カダスは思案に沈んだ。ショウという者がアリアドの息がかかったスパイであるなら、逆用するなど使い道もある。違うとしても目をかけるほどの者だ。いずれ何か役立つだろう。ショウのファイルを、総務部長は鍵つきの引き出しに閉まった。


 ショウが目を覚ますと、なぜか見知った顔に囲まれていた。驚く少年に、皆、笑顔で話しかけ無事を喜んだ。そのあとはお決まりの質問攻めにあい、今度は仲間に軟禁される状態となった。その人の壁も時間とともに少しずつはがれていき、残ったのはシーナとアカリだけになった。

 休憩所に宿泊目的でやってくる者も増えはじめた。ショウとシーナはもう、そのシステムの加護は受けられない。ショウは二人をうながして休憩所を出た。その際、シーナが休憩所の入り口に置いておいた麻袋をショウに渡した。中身は修理に出した防具一式である。

「取りに行ってくれたんだ。ありがとう」

「よく寝てたからね。いいよ、それくらい」

 シーナがニッコリと笑った。

「お金、あとで払うから」

「あ、いいよいいよ。いつもご馳走になってるから、たまにはお返ししないと」

「……じゃ、ご飯はご馳走する」

「それじゃ永遠に繰り返しだよー」

 頭を振るシーナの後ろを、アカリは大人しくついてくる。

 ショウは少し歩くペースを落とした。

「アカリが静かだと怖いんだけど」

「なんでよ?」

「絶対、『バカじゃないの』とか言われると思ってたから」

 「ハァ~……」アカリがため息をついた。

「そりゃ思うでしょ? 言いたくもなるでしょ? なんでゴブリンをたおして牢屋に入ってんのよ? バカでしょ、あんた」

「ハハ……」

「笑いごとじゃないっ。無茶するなとは言ったけど、まさかの方向だわ。と、帰ってきたら言ってやろうと思ってたんだけど、あんなに囲まれてちゃ言えやしないし、タイミングも外されたら言う気もなくなるし、もうどうでもいいわよ」

 アカリはそっぽを向いた。

「うん、じゃ、ご飯行こう! お腹すいたよ」

 シーナは二人の間に割り込み、両者の腕をとる。そのままコープマン食堂へ直行だった。

「あれ、リーバさん」

「ん? やぁ」

 なぜかいつも彼の周りだけ席が空いていることが多い。三人は断りもなく座った。

「聞いたよ、牢屋だって? 無事に出られたようでよかったね。しかし、ずいぶんと無茶するね」

「ご心配かけてすみません」

 ショウは苦笑しかでない。

「心配していたのは主にそっちの二人だけどね。なんたって――」

「「わーっ!」」

 アカリとシーナが二人がかりでリーバの口を塞いだ。アカリが彼の耳元で何かつぶやくと、リーバは必死になって数度うなずいた。そして解放される。

「にしても、あんたにここで会うのも数日ぶりね。どこかいい店、見つけた?」

「縫製工場の近くに住むかもと話したろ? 先日からそこにいるんだ」

「そうなんですか」

「うん。食事はそこで出してもらえるから、この店にも来なくなったんだ。今日はちょっと管理局に用があってね。その帰りにたまにはいいかと思って寄ってみた」

「報酬の受け取りですか?」

「いや、もう日雇いの報酬という形ではもらわない。工場と正式契約して、むこうから直接、給料をもらうようになった」

「正社員てことですか?」

 驚く三人に、リーバは「そうだね」とうなずいた。「おめでとうございます」と言われ、彼は嬉しそうに「ありがとう」と応える。

「それじゃ管理局にその報告を?」

「今日は別件。実は、特別な仕事を任されていてね、そのデザイン案を見せに言ったんだ」

「デザイン案?」

異世界人管理局(アリアン・)専属召喚労働者(セルベント)の制服デザインを任されたんだ」

「セルベントの制服!?」

「うん。一般の召喚労働者ワーカーとの差別化や、宣伝を狙っているんだろうね。それに、当事者たちの意識改革かな。仲間意識を高めるとか」

「あー……」

 三人にもなんとなくわかった。

「仕事の昼休みにオリジナルのデザインなんかを描いていたら、それが上の目にとまって、そっちの部門に回されるようになったんだよ。その初仕事さ」

「リーバさん、嬉しそうですね」

「そりゃね。日本ではオレみたいな才能もなく、いろいろあって専門学校もまともに卒業できなかったデザイナーはどこも門前払いだったからさ。あきらめて自暴自棄になってマルマ(ここ)へ来たのに、まさかこんな形で叶うなんてね」

 リーバの声は弾んでいる。

「そのデザイン、見せなさいよ」

「悪い、スケッチブックは管理局に預けてきた。局員全員で評価をするそうだ。総務部長にはけっこう高評価だったよ」

 得意げにリーバは笑んだ。

「でもあたしたちが着ることはないのよねぇ」

「だね。残念だけど」

「暇があったら君たち専用の服をデザインしてあげるよ」

 リーバが冗談めかして言った。

 しかし、そんな冗談が通じる三人ではない。ものすごい勢いで食い付き、リーバは念書まで書かされる結果となった。

「それまでは、この鎧が制服かな」

 ショウは麻袋の硬革鎧ハード・レザーを出した。右肩の穴も、脇腹の傷も、まるで目立たない。

 リーバは興味深くショウの鎧を見ている。それに気付き、ショウは訊ねた。

「リーバさん、鎧もデザインしたいの?」

「いや、素材が気になってね。この世界の服に使える素材については、まだまだ知識不足だからさ」

 ショウが鎧を渡すと、彼はじっくりと眺める。

「意外と硬いね。……煮込んだだけじゃないな。コーティングをしている?」

「修理したホリィさんは何かの樹脂って言ってたよ」

「樹脂か……。詳しく知りたいな。これを修理した店の場所、教えてくれないか?」

 シーナはカバンから筆記具を出し、地図を描いて渡した。

「ありがとう。明日にでも行ってみるよ」

 リーバは満足し、三人に別れを告げて先に店を出た。

「すっかりデザイナーだな」

「志望どおりの人生なんだからいいじゃない」

 以前、リーバとともに縫製工場へ行ったアカリがうらやましそうにこぼした。あのときから彼は、この道へのレールに乗っていたのかも知れない。

「わたしたちはわたしたちだよ。で、このあと倉庫行く?」

「倉庫? ……ああ、登録しないといけないんだっけ? でも外区でしょ? 夜に行って大丈夫なの?」

 アカリが治安の心配をする。彼女は未だ、外区へは行ったことがない。

「倉庫があるのは関所を越えて壁沿いのすぐだから、危険はないと思うよ。すぐに表通りで兵士も歩いてるし」

「それじゃ行っておこうかしら。ついでに少し、荷物を預けていきたいし」

「そういや、アカリのカバン、ずいぶんパンパンだな」

 ショウが足元の二つのカバンを見た。一つは彼女が出会ったころからの物で、もう一つの白い肩掛けカバンはアイリが使っていた物だ。

「なんだかんだで物って増えていくのよね。あんただってその鎧、着て歩くわけ?」

「さすがにないな。置いてくるか」

「あ、荷物といえば、これ、ショウの?」

 シーナが自分のカバンからハンカチを出した。正確には、そのハンカチに包まれていた物を、だ。

「……あのとき、失くしたと思った」

 ショウはそれを取り上げた。金属製の髪留めだ。樹脂で鮮やかな黄色のコーティングがされている。

「それって……」

 いっしょに覗き込んでいたアカリは少し驚いた。見覚えがある。

「やっぱりショウのなんだ? あの場所で見つけたんだよ。ショウの破けたカバンから落ちたと思って拾っておいた」

「ありがとう」

 ショウは柱にかかるランタン照明にそれを照らす。樹脂に反射して光った。

「それってアレに似てるわね。インフィニのエルティナが、普段着で食事をとるシーンで出てくるやつ。髪をわずらわしげに左手でかきあげてると、クライヴがそっけなくそれと似たような髪留めを――」

 ウンチクを語るアカリに、ショウはそれを差し出した。

「……なによ?」

 アカリは髪留めとショウを見比べた。

「あげる」

「はぁ?」

 彼女は驚くというより、理解不能を示す表情になった。

「日曜日に市場で会ったとき、買い物の邪魔したろ? 悪いことしたと思って買ってみた。エルティナの普段着バージョンはイラストで見たことがあったから、それに似てるなって」

「……」

 アカリは無言でそれを見ている。

「ホントなら、見ていたネックレスのがいいんだろうけど、さすがにあのときは余裕がなくて買えなかった。安物だけど、あの服にはこっちがいいかと思うんだ」

「……」

 アカリはまだジッと見ている。

「受け取らないの?」

 はたからやり取りを見ていたシーナが、動きのないアカリに痺れを切らした。

「……受け取る理由がない」

 アカリは生真面目に答えた。いつもの図々しさはどこへいったのだろうと二人は思い、シーナにいたっては声に出していた。

「いつもの図々しさはどうしたの?」

「あたしのどこが図々しいのよ!」

 反射的に反論するアカリに、今度はシーナが真顔になった。

「……アカリ、自覚ないにも程があるよ?」

「ええっ!?」

「いい、アカリちゃん。男の子からプレゼントをもらえるなんて今のうちだけだよ? そのうち見向きもされなくなるかもだよ? たとえそれがショウからだとしても、一生懸命考えて、悩んで、神経をすり減らして選んでくれた物だよ? アカリに似合う、アカリ最高って想像しながら、日々の糧を捨ててまで買ったんだよ? そこらへんを考慮してあげてもいいんじゃないかな」

「いや、そこまで考えてないんだけど。ていうか、『たとえオレからだとして』ってなんだよ?」

 ショウのツッコミはスルー。

「わたしなら喜んで受け取るね」

「そこまで言っておいて受け取るのか!」

 シーナはまた、真顔になった。

「わたし、日本で男の子からプレゼントなんてもらったことないもん」

「そ、そうか……」

 ショウはそれ以上いえなかった。

「……わかったわよ。受け取るわよ」

 アカリはそっぽを向いて手を伸ばす。ショウはその手に髪留めを落とした。

「まぁ、いちおうお礼は言っとくわ。……ありがと」

 二人の姿にシーナはほっこりとした。

「せっかくだからつければいいのに。見たいなー。見たいなー」

「ゼッタイつけないっ」

 シーナの本音なのだが、アカリにはからかっているようにしか見えず、断固拒否の姿勢を示した。

 「えー?」と不服を訴えるシーナに、アカリは無視を決め込む。

「気が向いたらでいいよ。それこそコスプレ向きだし」

「そうね。気が向いたらつけないこともないわ」

 アカリの顔は少し赤らんでいた。

「それじゃ、倉庫へ行くか」

 ショウはカバンと防具の入った麻袋を担いだ。アカリが続き、シーナはまだ納得しきれない顔で立ち上がった。

 中区から外区へと入る。夜もだいぶ更けてはいたが、賃貸倉庫屋へは場所が近いことや兵士の姿もあることで、トラブルもなく辿りつけた。

 ショウは延長料金をまとめて二週間分支払い、アカリの追加登録をした。

 彼らが倉庫部屋のある二階へ上がると、こんな時間でも利用者はいるらしく、管理局で見かけた召喚労働者の姿があった。

 倉庫部屋を開け、ショウは鎧一式を、アカリは中身入りの肩掛けカバンを収めた。シーナは「今は余計なものはないから」と何も入れなかった。

「そうだ、倉庫代、払わないと」

 倉庫屋を出て中区へ戻ると、アカリがショウに手を伸ばした。その手を彼が握り、契約すれば個人間で所持金の受け渡しができる。が、ショウはつながなかった。

「相談なんだけど、使用期限が切れ掛かっていたら気付いた人がお金を払うってことにしないか? 実際、いきなり牢に入ったせいで払えなかったし、いつもオレが払えるとも限らないからさ。それで三週間ごとに割勘計算しよう。これなら割り切れる」

「そうね。入金できずに捨てられたらたまったものじゃないし」

「りょうかい」

 アカリもシーナも同意した。

「ホントは安定した家があればいいんだけどねー」

「家って言えば、四人部屋の話はどうなったの?」

 アカリの疑問に、ショウとシーナはハッとした。四人目の候補者を探していない。

 アカリは察したらしく、頭を振った。

「……どうするの、今日は?」

「オレは一人部屋を借りるよ。悪いけど、そっちはまた二人部屋を借りてくれ」

「ならあたし、別に管理局の休憩所でもいいんだけど。荷物も減らせたし、一日くらい問題ないわ。二人で一部屋借りたら?」

「二人って、ショウとわたし?」

「他に誰がいるのよ? せっかくだから二人でエロイことでもすればいいじゃない」

「ブフッ」

 ショウは噴出した。

「きったないわねー。別に噴くようなことでもないでしょ? ……どうせあたしたち、子供なんてできないんだから」

「なんでアカリがそれを?」

 ショウは驚いて訊きかえした。

「わたしが話した。別に禁止されてなかったし」

「あ、そういえば……」

 たしかに口止めはされていなかった。単に広報課長が伝え忘れていたのかもしれないが。

「だからまぁ、何かが減るわけでも、ましてや増えることもないし、おたがいが同意ならいいんじゃないの?」

「……うまいこと言ったつもりだろ?」

 「う、うっさいわねっ」どうやら図星だったらしく、アカリは赤面した。赤面する理由が違うのでは、とショウは内心でさらにツッコんでいた。

「で、どうするのよ? あたし明日もパン屋あるし、とっとと決めて欲しいところなんだけど」

「だからシーナと二人部屋借りてくれって。さすがに明日からすぐ仕事はキツイから、ゆっくり休みたいんだ」

「そ。それじゃ、いつもの宿いこうか。……この時間でも空いてるかな」

 アカリが先に立って歩き出す。

 あとを追うショウに、背後からシーナが迫る。

「このヘタレ~」

「おまえなっ」

「アハハ、冗談だって。……でも、信じてたよ!」

「何をだよ……」

 と、呆れるショウに笑顔を見せ、シーナはアカリのもとまで走った。

 二人が何か話しているが、ショウには聞こえなかった。そのうち二人は握手をする。続いて「チャリーン」という電子音がした。個人間取引が成立した音だ。それでショウは理解した。

「おまえら、賭けてやがったな!」

「へへー、おかげで銀貨3枚いただきました!」

「ヘタレなんだから。あんたそれでも男なの?」

 シーナが笑い、アカリが舌打ちする。

「女ってわけわかんねぇ……」

 アリアドもそうだが、その思考回路がまったく理解できない。

 いろいろなモヤモヤが募り、ショウはなかなか寝付けなかった。

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