17 闇夜の出来事
7月15日金曜日の午後3時、日中の仕事が佳境を迎えるころ、ショウたち32名の召喚労働者は戦いに備えはじめる。
異世界人管理局・二階にある第一会議室に、夜間巡回作業員と、会議を見守る広報課のパーザ・ルーチンが揃った。
「それでは、これから本日17時より開始の第三防壁外・巡回作業の全体ミーティングを行う。今回、全体の指揮を執るレックスだ。よろしく頼む」
まばらに「よろしくお願いします」の声が上がった。
レックスはこのメンバーの中では最高となるレベル6で、戦士クラスの免状を持っている。ゴブリンとの戦闘経験もあるが、討伐記録はない。しかしそれを抜きにしても警護や巡回任務の経験値は高く、周囲からの信頼も厚かった。彼を今回のリーダーに据えたのはパーザの判断である。
「まずは概要だ。時間は17時から翌朝7時まで。場所はナンタン外縁部の畑全域。作業内容は巡回警備。作業人員は32名」
一拍おき、彼は細かな説明を始めた。
「巡回は4名一組のグループで行う。各グループにはそれぞれのエリアを担当してもらい、グループ内で二人一組に分かれて巡回を行って欲しい。休憩の方法やタイミングなどはグループ内で決めてくれ。エリアについては後ほど説明する。もし異常を感知した場合、まずグループで集合し行動するように。明らかな異変があった場合、呼子笛で周辺のグループを即座に呼ぶこと」
レックスは笛を掲げて見せ、一度吹いた。かなりうるさい。最前列にいた人たちは耳を塞ぎ、迷惑そうな顔をした。
「今回は急な増員で人数が増えたが、警戒すべきエリアも拡大している。これについて、広報課のルーチンさんよりお話がある。どうぞ」
レックスにうながされ、パーザが皆の前に立った。
彼女はあらかじめ貼っておいたナンタン周辺地図に指示棒を当てた。
「知ってのとおりナンタン北門を出ると、北に向けて街道が延びています。畑はこの北に伸びる街道より東にありますが、これは町の西および南側は山林であり、ゴブリンなどの魔物がこちらから襲って来るためです」
畑の配置理由を初めて知ったショウは、感心して何度かうなずいた。
「今まではこの西側と南側に注意を払っていればよかったのですが、先のサイセイ砦防衛戦においてゴブリン軍は敗走し、ちりぢりとなりました。現在、町を騒がせているゴブリンはこの敗残兵だと思われます。南下をしているゴブリンたちは、最新の情報によるとここで目撃されています」
パーザはナンタンのほぼ北にある村を指した。
「ゴブリン退治の報奨金を目当てとしたギルドのハンターたちがこの村に待機していたところ、10人前後のゴブリンが現れました。うち3人は討ち取ったものの、残りは南東方面へと逃走しました。逃走経路を考えると、ナンタンの北東から襲って来る可能性もあるということです」
場がざわついた。
「これは目撃された情報です。目撃されなかっただけで、北の街道を横断したゴブリンはもっと多いかもしれません。ゆえに今回は増員をかけ、畑の全域をカバーすることとなったのです。わたしからは以上です」
パーザは報告を終えると、すぐにレックスに場を譲った。
「状況はわかってもらえたと思う。畑全域を守るため、今回は警戒範囲を見直し、新たなエリアを追加した。畑の北側より時計回りに8エリア、もっとも遠いところは東門より出たほうが近いだろう。では、グループわけをする。経験者と未経験者でまずは分かれてくれ」
レックスの指示に従い、ショウとシーナは窓側の未経験者組に属する。未経験者は8名、残りは程度の差はあれ経験者ゾーンに集まった。4名1グループなら8組作れ、各グループに1名ずつの未経験者が配属される。
「では経験者は3名一組を作ってくれ。仲間同士でもかまわない。手早く頼む」
レックスの言葉で、まずは普段から仲がいいメンバー同士が固まり、そこからはみ出したり、元からフリーだった者が合流して即席パーティを組む。
まとまったとみると、レックスが未経験者を眺めた。
「未経験の女性は一人か……。ホリィ、預かってくれるか?」
「はいよ」
腰まである長いポニーテールの女性が手を上げた。彼女のパーティは女性1、男性2で組まれていた。そこにシーナは配属される。
シーナはショウと組めないことに不満はあったが、指示には従った。実戦経験があるとはいえ、巡回業務は初めてであり、リーダーの指示に個人的感情で逆らうわけにもいかない。それくらいは彼女もわきまえている。
それでも残念であるのは隠せず、うなだれたままショウに手を振って分かれ、ホリィのもとへいく。
ホリィはレックスから手渡されたシーナの業務履歴などが書かれたシートを読み、声をかけた。
「シーナね。実戦経験があるのは心強いよ」
「討伐数はゼロですけどね」
「それでも充分だよ。ところで――」
ホリィはシーナに耳打ちした。
「あの男の子と知り合いなの?」
レックスの班に呼ばれたショウが、ちょうど返事をしたところだった。
「同じ薬草採取班で、いっしょにゴブリンと戦いました」
「ほうほう。あとでじっくり話をしようか。夜は長いしね」
ホリィはシーナの肩を抱いてニヤリとした。他人の恋バナは大好物である。
グループわけとエリア配置が済むと装備の点検がはじまった。野外かつ夜間である。十全の装備が必要だった。管理局から全員に支給されたのは、呼子笛と照明になる魔法の石、最近開発された棒状信号弾、ペースト状にされた薬剤に包帯である。それ以外の武具については裏庭に置かれている木箱に詰まっており、ミーティング後に貸し出される。
「外套や水筒、夜食は個人で用意するように。その他、必要と思う物は持っていったほうがいい。使わないですめばそれに越したことはない」
個々に必須と思える道具をメモする。パーザはそれを確認し、管理局に在庫があるものは貸し出した。
「では、武器がない者は裏庭に。準備が完了した者は一時解散。指定した外門に17時集合だ。北門の点呼はオレが、東門はムーカポゥに任せる。そろったグループは点呼係に報告し、移動と作業を開始すること。以上、解散!」
ぞろぞろと会議室を出て行く仲間たちを見送り、ショウとシーナは最後に出た。
裏庭では、武具の選定をしている者が数名いた。その全員が巡回作業未経験である。
「ショウは今日も鎚矛?」
「使いやすいからね。野戦と決まっているから槍もありかとは思ったけど、使いこなせないからな」
「じゃ、わたしもそうしよ。軽めのあるかな……」
武器を探しつつ、ショウは防具の木箱も覗いていた。気になる物は使うかどうかは別にして確保していく。
シーナが満足のいくメイスを見つけたときには、ショウの周りに多くの武具が転がっていた。彼は試しに金属の脛当てをズボンの上から固定していた。本来はブーツに括りつけて使う物だ。
「そんなのつけて重くないの?」
「思ったよりは軽いかな。薄手だから効果のほどは怪しいけど、足元注意とブルーさんに言われたし」
「あー」シーナも思い出した。
「でもわたしは動きが縛られたくないかなぁ」
「それは個人のやり方だから、なんとも」
ショウは両脛にガードをつけ、動いてみた。それほどきつくはない。
次に革の胸当てをつけてみる。煮込まれ、樹脂で固められた硬革鎧で、意外と強度がある。簡易的だが肩当てもついており、サイズも重量も悪くない。
そして兜の選別。頭は特に重要な箇所だ。できれば金属物がよいのだが、試しにかぶったフルフェイスは重すぎて合わない。視界も狭いので、素早い相手は見逃してしまいそうだった。鎖で編んだ兜や、革の物も試してみる。どれも一長一短で迷う。結局、視界と軽さ重視で革製の物を選んだが、それとは別に鉢金という金属の板がついた額当てを兜の下につけた。
最後に盾だ。はじめは小型の扱いやすい物を選んだが、思い直して中型の正方形の盾に換えた。シーナが理由を訊くと、「技術がないから大きいほうがいい」と答えた。
「完全に戦士装束だよね」
シーナが可笑しそうに言う。似合っていないのもあるが、大げさ過ぎるとも思う。
「シーナはメイスだけで行く気?」
「ダメかな?」
「せめて盾と鎧はあったほうが……」
「ん~、重そうだからなー。……でもショウが言うなら持っていくよ」
「うん、それがいい」
二人はまた木箱を物色し、シーナの装備を探した。軽さを重視したため、彼女の鎧は凝固処理をしていない革製で、盾ははじめにショウが選んだ小さめの物となった。
「これで準備は揃ったかな」
シーナが体を動かして具合を確かめる。この程度の装備では、それほど制限は感じない。
「あとは水を汲んで、夜食を買いに行こう」
「だね。ついでにアカリに報告していく? 倉庫借りたこと」
「あ、忘れてた」
二人は外套を纏い、リュックを背負う。水筒に水を満たし、腰に下げて管理局を出た。
「なんかこういう装備をつけると、強くなった気がするよねー」
「同感。ちょっとワクワクしてる」
二人は意味もなく外套を翻す。カッコイイ気がする。
「そういえば、ニンニンさんの格好は見た? あの人も独特だよね」
「見たみた。黒装束で背中に短刀、黒頭巾に黒マスクだった」
「あの人、実は忍者が好きなんじゃないかな」
「そんな気がする」
ニンニンの意外な一面を語りながら、ショウとシーナはアカリのいるパン屋へ入った。
「いらっしゃ――て、なに、その格好?」
アカリは二人を見て顔をしかめた。
「これから明日の朝まで野外巡回なんだ。その夜食を買いに来た」
「マジで? 大丈夫なの、あんたら? さすがに無理してない?」
「無理してるのはわかるんだけど、断り切れなくて。実はレベル3に上がった」
「え? え? ええー!?」
アカリが大声を上げた。店の奥にいた店主夫婦が驚いて飛び出してくる。他に客がいなかったのは幸いだった。
「どうしたの、大きな声をだして?」
おおらかそうな老婦人がアカリに問いただした。アカリはしきりにあやまり、場を治めた。
「あんまり驚かせないでね」と下がっていく婦人に、アカリは低頭したままだった。
「……あんたら、あたしをクビにさせたいの?」
「そんな気はないって。オレだっておまえと同じ反応をしたくらいだ」
「そうよね、いくらなんでも早過ぎよ。……でも、ゴブリン斃してるし、ありえなくはないわね」
「ホントは他にもいろいろ話したいんだけど、本題だけ言っとく。倉庫借りたから、明日にでも案内する。それだけ」
「あ、おっけー。いくらだった?」
「週に銀貨4枚。ただし二階」
「二階ィ~? めんどくさいわね」
「三階よりマシだ」
「わかった、いいわよ。それじゃ明日ね」
「うん。あとはこれを買って仕事に行く」
ショウとシーナがパンを載せたトレイを差し出す。
アカリの「まいどありー!」の声は、店の奥にも届いていた。
17時。北門でショウはレックス班と、シーナはホリィ班と合流した。他の班も集結しつつあり、夕刻にも関わらず門の前は賑やかだった。
さらに昼の巡回を請け負っていた班が外から帰ってきて、夜組と引継ぎがてら立ち話をしていく。
ショウはその中にコーヘイの姿を探したが見つからなかった。彼らの班は、早朝から昼にかけての畑作業組の警護である。時間的にはとっくに終わっている。
班のメンバーが揃ったところから外へと出て行った。レックス班はリーダーが指揮官なので、北門集合の全班確認が済んでからの出発となる。
ホリィ班の最後の一人が5分遅れで到着した。これでメンバーは揃った。
「出発!」
レックスの号令でレックス班とホリィ班が北門を出る。
レックス班の受け持ちは、北門を街道沿いに進んだ一角である。街道面と、畑の切れ目を東に曲がった角エリアで、今回もっとも危険度の高いエリアだった。レックスは総指揮官として責任重大な場所を受け持ったのだ。未経験者ながら実戦経験のあるショウを自分の班にいれたのは、そのような理由だ。
ホリィ班は、レックス班の東側のエリアだ。こちらは角ではないので北側からの襲撃に注意していればよい。
レックス班は畑・北側終着点の物見やぐらの真下で足を止め、東へと曲がって進むホリィ班を見送る。
シーナが手を振ると、ショウも軽く振り返した。
「やぐらにはもう、兵士は来てるか?」
レックスがやぐらを見上げてメンバーに確認した。彼の角度からではわからない。
ショウも高さ5メートルほど上にある、やぐらの物見台を凝視する。四隅にある太い柱を、ところどころの横木で支えているだけの簡素な物だった。真下は空洞で、はしごが上部の物見台に伸びている。何かが動く気配はない。
「いないようですね。ランタンが点いてません」
メンバーの一人、タカシが言った。
「あいも変わらずやる気なしか。ま、そのうち来るだろう」
「このやぐら、登っていいんですか?」
ショウが訊く。こんな便利なものを使わないのは惜しい。
「いや、これは兵士専用だ。畑の周囲にいくつかあるが、オレたちには使わせてくれん。毎晩、兵士が二人、監視名目でやって来るが、実際は酒を飲んで寝てるだけだ」
「いいんですか、そんなので」
「ヤツらにしたら夜の見張りなんて罰ゲームみたいなものだ。真面目にやるものじゃないらしい」
「酷いですね……」
「だからオレたちがやるんだ」レックスはショウの背中を叩いた。
「さて、この北面と西面がオレたちの監視するラインだ。まだ日があるから襲撃はないだろうが、警戒を怠らないように。二人一組で行動するぞ。オレとショウで北面を、タカシとジューザで西面を頼む。20時の鐘が鳴ったら一度ここに集合だ」
レックス班は二手に分かれた。
ショウはレックスについていった。しかしその視線は北の草原ではなく、南東に広がる畑であった。
「どうした? 監視する方向が違うぞ」
レックスに注意され、ショウは視界を100度回転させた。
「すいません。畑を見たの、初めてなんで……」
「そうか」
「広いですね。それに、いろいろな物を育てているんですね」
「町の食料源だからな。街道側は背の低い葉物や根物、町に近づくほど背の高い物が植えられている」
たしかにショウの足元にあるのは、キャベツのような野菜だった。
「これも襲撃対策だ。町から見て外のほうに背の高い物があると、外敵を発見しにくいだろ?」
「あ、そうですね」
「畑自体も、時計でいう12時から4時の間にしかない。南からの襲撃にも用心しているからだ」
「なるほど」
ショウは素直に感心した。
「それより、君にはすまないことをしたな」
「なにがです?」
「おそらく一番の危険エリアに連れてきてしまった。西からも北からも攻められるここが、一番ゴブリンとの遭遇確率が高いだろう。経歴書のゴブリン討伐経験アリを見て入れてしまったが、君にとっては迷惑だったろうな」
「いえ、危険はどこもいっしょですから。ゴブリンがそんな深く考えるとは思えませんし、そうだとしても他の未経験者が来るよりはよかったんじゃないですか」
「さすがに実戦を二度経験してると肝が据わってるな」
「そんなわけないじゃないですか! ムッチャ怖いですよ! 刺されたんですよ、オレ! 死ぬかと思いましたよ!」
「怖そうには見えないが……」
「敵が来る来ないで脅えても仕方ないですから。でも、来たら絶対ビビりますよ、オレ。だからむしろ、頼りになる先輩がいて心強いです。他の人より恵まれてるくらいです」
言ってみて、実感した。他の未経験者には、レックス以上の先輩はついていないのだ。特別扱いされているのは自分ではないかとも思う。
「……あれ、これでいいんですかね? もっと慣れていない人が先輩といたほうが安心できたんじゃないかな」
難しい顔でつぶやくショウに、レックスは笑った。
「それこそ買いかぶりだ。オレはただレベルを重ねただけの仮の指揮官だよ。戦闘になれば君の足を引っ張るかもしれん」
「それはないですよ。少なくとも訓練所には通ったんですよね? オレ、今日、3にあがったばかりだからまだ行ってないんです」
「そうか。今は訓練所通いが多いから、いつになるかわからないな」
「はい……。でも、通うお金もないので慌てはしないんですけどね」
ショウは照れて頭をかいた。
「お、噂をすればだな」
レックスは足を止め、北東の方角を見た。
「なにがです?」とショウもそちらに視線を移す。少し先に低い石壁で囲われた建物があった。敷地はずいぶんと広そうだ。
「あれが訓練所だ」
「あそこが……」
ショウは複雑な気分になった。今頃あそこにはマルやルカがいて、修行をしているのだろう。先輩のカッセやリラ、イソギンチャクもいるはずだ。会いたい人が多くいる場所だった。
そんなショウの感慨はレックスにはわからない。話題の一つとして振っただけなのだが、少年の表情は硬かった。
レックスは歩き出した。
「君は管理局専属にはならないのか? あれなら無償で訓練所にいけるだろ?」
「オレはなりません。専属っていうのがちょっとひっかかって」
先輩のあとを追いながらショウは答えた。
「そうだな、どうも縛られてる感じがしてオレも申し込みはしなかった。スキルは惜しいがな」
「ですよね? スキルは欲しいですよね!」
少年が元気になり、レックスは安心した。
「皆は魔法を欲しがるようだが、君もそうか?」
「無料なら一番高いものが得じゃないですか。レックスさんは違うんですか?」
「オレは戦士のスキルが欲しい。このデカイ体を活かした攻撃力重視のやつな」
「それもいいですね。ロマンを感じます!」
「ただな、戦士系のスキルはあくまで一つの『型』だから必中でも必殺でもない。魔法のように体内記録すれば失敗しない、というわけじゃないんだ」
「そうなんですか? ゲームみたいに出せば高威力とかじゃないんですね」
「ゲームじゃないからな」レックスは苦笑いした。
「修得後も反復練習が必要で、自分で必殺にまで昇華させるしかない。そこがまたロマンだが」
「世の中甘くないですね」
「まったくだ」
レックスは声にして笑った。
その後も二人は雑談をしながら指定エリアの北面を往復した。
20時になり、物見やぐらの下でタカシ・チームと合流する。やぐらにはランタンが灯っており、上から馬鹿笑いが聞こえてくる。やる気のない兵士たちが、早速、酔っ払っているのだろう。
「ここからは日が変わるまで交代制でいく。タカシたちはここで休憩だ。22時になったら交代だ」
二人はうなずき、装備を緩めてカバンを漁りはじめた。食事にするようだ。
「ショウくんは準備を。照明石をもう一つ追加して、背中側に回しておくんだ。こうすれば離れていても互いの位置がわかる」
「はい」と応え、ショウはカバンから光を放つ魔法石を出した。専用の呪文を唱え、点灯させる。紐がついているので、首からかけて背中に回す。胸から下がる一つと合わせて、周囲がかなり明るくなった。
「呼子笛の確認だ。すぐに使えるようになっているな?」
「はい、首から下げています」
「装備の確認。武器と盾は常に手に持っていること。兜や靴は緩んでないな?」
「はい」
ショウは右手に鎚矛、左手に方形の盾をつかんだ。メイスの柄尻には革紐が輪になって伸びており、抜け防止として手首を通せるようになっていた。
「では、行こうか」
レックス自身、腰からロングソードを抜き、中型の盾を握りなおす。体には鎖鎧の上に硬革鎧を被せている。兜は頭部を覆う金属製だ。顔面まではカバーしていない。
レックスは先ほどとは違うコースを選んだ。街道沿いを南下していく。
虫の鳴が聞こえる。それがどんな虫かはわからないが、緊張感の漂う行軍にささやかな安らぎを与える。
数百メートル進むとナンタン町の光が見えた。時計塔もうっすらと照らされており、時間が確認できた。まだ15分ほどしか過ぎていない。
「あ、レックスさん」
町のほうからやってきた二人組が、彼に声をかけた。北門から街道沿い1キロを巡回するグループのメンバーだった。
「異常はなさそうだな」
「はい、今のところ」
「それじゃ、気をつけてな。何かあればすぐ笛を吹くんだぞ」
「わかってます。それじゃ」
二人は反転し、町のほうへと歩いていった。
「オレたちも戻るぞ」
「はい」
ショウとレックスも回れ右をし、北に向かって進路をとった。
物見やぐらの下に来ると、タカシとジューザが柱に寄りかかって雑談をしていた。軽く挨拶をして、角を曲がって東へと進む。
今度はシーナに会えるだろうか、とショウは期待したが、折り返し地点には誰もおらず、遠くで点のような魔法の光が動いていた。
次にやぐらを通過したとき、タカシはカバンを枕に眠っていた。ジューザは一人、暇そうに星を見ていた。休憩中とはいえ、二人とも寝るわけにはいかない。
こうして2時間が過ぎ、巡回役をタカシとジューサに引き渡した。
ショウとレックスは食事をし、交代で仮眠をとる。が、ショウは興奮して寝付けず、横になっていただけだ。やぐらの上から聞こえる兵士たちのお気楽なイビキが、うらやましくも恨めしかった。
日付が変わる。
「この時間帯が一番危険だ。ここからしばらくは全員で警戒にあたる。疲れているだろうが、がんばってくれ」
メンバーはレックスに応え、改めて準備を整えて二手に分かれた。
レックスとショウが東方面に進む。
二往復目に東側エリアにいるホリィ班と遭遇したが、男二人組だった。ホリィとシーナはさらに東側を担当しているそうだ。
「カノジョになにか言付けておくかい?」と二人がニヤニヤする。シーナが彼らにショウのことを話したのだろう。ショウは気にしたふうもなく「無理しないようにと伝えてください」と頼んだ。想像を外したのか、男たちはつまらなそうに「わかった」と応えて去っていった。
「やれやれ、緊張感がないな」
レックスは頭を振った。
「すみません……」
「いや、あの二人だ。いつ襲われるかわからない状態で他人をからかうとはな」
「ずっと緊張しているのもキツイですけどね」
「そうかもしれんがな……」
レックスは普段よりも気負っていた。人員、エリア、危険度。それぞれがいつもよりも大幅に上がっている。さらには夜が深まるほど、敵の脅威が増していくのだ。それこそ緊張感と責任感で余裕がないのかもしれない。ショウはそのような立場にないから気楽ではあったが、レックスの重圧を感じられないわけではない。
「そういえばゴブリンて、夜目が利くんですよね?」
ショウは仕事に関連する話を振ってみた。
「ん? ああ。夜のあいつらは別の生物だ。というか、人間が劣るのだろうがな」
「こうやって明るくしていると的になるんじゃないですか?」
「一長一短だな。その可能性もあるが、人間からの警告とも思うだろう。それに灯りなしで巡回をしていても、ゴブリンにはバレるが人間は気付きもしない。攻撃されても反撃もままならん。難しいところだな」
「そうですね……。どのみちゴブリン有利が変わらないのなら、灯りがあったほうがマシですね」
「それに、ヤツラの体の色や小ささも夜では厄介だ。物陰に隠れやすく、しかも気付きにくい。平地でさえ伏せたゴブリンを発見するのは難しいぞ。光を当て、眼に反射でもしないと――」
レックスが胸に下がる照明石を掲げ、試しに北側の草原を照らしてみる。そこに8つの光が反射した。
「え?」
「ウゴッ?」
ショウとレックスの足元にいたそれが、驚いて首を縮み上がらせた。
二人は一瞬で血の気が引いた。呼吸がとまり、それを凝視し続ける。
それは相対したほうも同様である。絶好のカモを見つけ、草原を這い、あと一息で襲いかかれる距離に近づいていた。それが突然、こちらの居所を知っていたかのように照明を向けた。
「う、うあっ、ああああああっ!」
ショウが恐怖に駆られ、メイスを掬い上げるように振るった。狙われたゴブリンは、間一髪、後ろに跳ねて避けた。
「ゴブリン!」
レックスも剣を振るう。これも正面のゴブリンが避ける。
これが戦闘開始の合図となった。四人のゴブリンは、二手に分かれて人間を襲った。
ショウに向かった一人が体ごと剣を突き出した。奇襲は失敗したが、小さいほうの人間はまだ混乱しているのか、視線が定まっていなかった。好機だとゴブリンは思った。
ショウは焦りながらも、危機的状況だからこその集中力を発揮した。ブルーの言葉がコンマ数秒の間に10個ほど流れていく。
『相手の攻撃に耐えられれば反撃にも転じられる』
ショウは盾を前に突き出した。技術がなくとも敵の攻撃を防げると考えたからこその中型の盾である。彼の狙いは正しく報われた。
盾の一点に強い衝撃が加わる。ショウはビビった。が、歯を食いしばり、押し返した。盾への重みが消えた。
下の隙間に、ゴブリンの足が見えた。
「うわああっ!」
ショウは吼え、メイスを振るう。右下から左上に伸びるアッパー・スイング!
『足元からの攻撃には慣れていないヤツが多い。当たらなくても威嚇になれば上々だ』
幸運だったのか、ショウの気迫と攻め気が運を呼んだのか、ゴブリンの左腕が吹き飛んだ。
血しぶきをあげ、星空に小さな腕が舞う。
しかしショウは、自分の盾の陰に隠れていたもう一人のゴブリンには気付いていなかった。
無防備となった腹部にゴブリンの刃が迫る!
ショウは盾で防ぐのは不可能だとわかった。なぜわかったのかは説明がつかないが、とにかくこのままではダメだと体が反応した。ショウはメイスの重みに振り回されるように、体を半回転させた。
ゴブリンの短剣はショウのわき腹を掠め、背負いカバンに刺さり、彼の回転によって引き裂かれた。中身がぶち撒かれ、ゴブリンの視界を奪った。
ショウは刺されていたかもしれない恐怖に、また吼えた。
そしてブルーの言葉に従った。
『初心者はな、とにかくあがけ。とまったら死ぬと思え』
天高く伸びたメイスの運動エネルギーは0になっていた。その次はおのずとわかる。重さに乗って、下方へ落ちていくのだ。
ショウはゴブリンの頭めがけてメイスを振り下ろす。ねじれた体を戻すように、横軸の回転を加えて。
ゴブリンは視界の隅に迫り来る金属の塊を見た。避けようと動く。だが、それよりも速い死の流星が降ってくる。
ゴブリンは頭部への直撃は避けた。頭部ではなく、右鎖骨が砕かれ、首元まで深くめり込んだ。声も出せず、地面をのたうち、痙攣し、やがて動かなくなった。
ショウの目の前に、抵抗するゴブリンはいなくなっていた。左腕を失くしたゴブリンはすでに逃亡している。
荒い息をしながら、忙しく首を動かす。数メートル先で、レックスがゴブリン二人を相手にしていた。
どうすればいい? ショウは迷っていた。何ができるだろうと考えていた。考える前に動くべき場面で、彼は混乱していた。気がつけば自分を襲ってきたゴブリンがなぜか死んでいる。斃したという実感がない。ブルーの教えをこなしていただけだった。
「ショウ! 笛を吹け!」
レックスが盾で攻撃を受けながらショウに叫んだ。
「あ……」少年は笛を探した。ポケットをまさぐり、鎧を引っかく。
「笛を吹け!」
ショウはビクッとし、ようやく首から下がる呼子笛を握りつぶすようにつかんだ。大きく息を吸い、酸欠になるくらい強く吹いた。
甲高い音が闇夜に広がる。
「なに?」シーナが驚いて周囲を見た。
「襲撃?」ホリィは音の鳴る方角を探した。
「もしかしてレックスさんか?」タカシは物見やぐらの方角を確認した。
「ともかく行こう」ジューザは走り出す。
「音が遠い。ここは周囲警戒だ」レックス班から2エリア離れた班では、迂闊な行動は控えた。
それぞれがそれぞれの反応を示し、緊張感を最高値にまで高めた。
肺が空になり、ショウは補充するように大きく息を吸い込む。状況がわかった。
ショウは笛を吹きながら盾を前面に出し、レックスを囲む一人に向けて走った。
迫り来る甲高い音ともう一人の人間に、ゴブリンは驚いたようだ。慌てて飛びのき、距離を置いた。
「すみません、完全にパニクってました!」
「それでゴブリンを斃すのか。恐ろしいな」
レックスは最高の援軍到着に、笑みすら浮かんだ。
「師匠がよかったんですよ。そうでなきゃ前と同じになってました」
ショウの言葉は真実であった。ブルーの教えが蘇らなければ、遭遇した時点でゴブリンに呑まれ、絶望を味わっていたはずだ。
「まだどれだけのゴブリンがいるかわからん。襲ってこないのなら、タカシたちと合流するぞ。やぐらまで行けば兵士もいる」
「はいっ」
ショウも油断なく西へ向けて後ずさりをした。
ゴブリンは動かなかった。ある程度の距離ができると、草むらに消えていった。
「行ったか……。あきらめたのならいいんだがな」
「はい」と、ショウがうなずいたとき、笛の音が聞こえた。
「他でも襲撃!?」
「西のほう……タカシたちか?」
「ホントだ。むこうですね」
レックスに倣ってショウも耳を澄ます。たしかに西のほうから聴こえる。
「走るぞ」
「はいっ」
レックスを追ってショウも走る。装備の差か、すぐに追いついてしまう。
「おまえのほうが速い。先にいけ」
「でも、単独行動は――」
「この際はいい! 同じ方向へ進んでいるんだ、いずれ追いつく」
「やぐらには兵士もいるし、大丈夫ですよ」
「ヤツらがアテになるか! 以前もオレたちを見捨てたんだぞ! 信用できるものか!」
「見捨てたって……」
「話している時間はないっ。とにかく急いでくれ! 二人を頼む!」
「はい!」
ショウは決断した。決断した以上は全力だった。
あっという間に置いていかれ、レックスは苦笑した。
「やれやれ、装備を見直すべきか、体をもっと鍛えるか……。ともかく、頼むぞ」
レックスにとって、タカシとジューザは大切な仲間だった。
「見えた……!」
物見やぐらから溢れるランタンの灯り。そこに照らし出されているシルエットは、兵士のものだった。
「なんだ、やっぱり上から攻撃をしてくれているんじゃないか」
ショウは少しホッとした。ほぼ平面の戦闘において、上をとっているのは有利だ。しかもそこには日々鍛錬に励んでいる兵士がいる。きっとゴブリンなど弓で串刺しにしているだろう。
しかし、その希望は距離が縮まるほどに絶望へと近づく。
兵士たちはただ喚いていた。弓を取るでもなく、岩を落とすわけでもなく、剣を振るうわけでもなく、ただ脅え、下にいる者を罵倒していた。
「おいっ、早く斃せよ、ゴミクズども!」
「おまえらがオレたちの盾にならねーでどーすんだよ!」
その声がはっきりと聞き取れる。ショウは真っ青になりながら戦場へ近づいていった。
やぐらの下で、タカシとジューザが背中合わせで戦っていた。七人のゴブリン相手に、威嚇し、剣を振るい、盾で防いでいる。やぐらの真下の狭いスペースは攻撃に不向きだったが、それはゴブリンも同じだった。なまじ七人も集まって取り囲んでいるため、緻密な連携のない小鬼たちにはたがいが邪魔で仕方がない。
ショウはメイスを地面に立て、無言で手近の石を数個集めた。兵士への怒りと仲間のピンチに、口を開くと何を言うか自分でもわからなかった。だが、この怒りをぶつける相手がいた。それが幸いであったのか不幸であるのか、少年は考えなかった。
距離は15メートルほど。やぐらの柱が邪魔だが、問題ではなかった。
石を握り締め、かまえ、投げた。
ゴッ!
その音は、まるで手ごたえのようだった。ゴブリンの頭を砕いたのを、はっきりと伝えてくる。
突然倒れた仲間にゴブリンは首をかしげた。後頭部から溢れている血に、それが死んだのだと理解した。
騒ぎ立てる小鬼たち。ショウは「うるさい」と吐き捨て、次を投げた。頭ではなく、背中に命中した。
それによって、遠方から攻撃する卑怯者を発見する。
ゴブリンの指がこちらを差すと、ショウは笛を吹いた。近隣に響き渡る甲高い音に、ゴブリンたちは耳を塞ぐ。巻き添えを食い、タカシたちも耳を押さえていた。
その隙に次を投げる。ゴブリンの右目に当たり、眼球を潰した。
さすがに不利を悟ったのか、怒りに任せているのか、残った五人のゴブリンはショウ目掛けて飛び出した。
ショウはメイスをとり、盾をかまえ、接近するゴブリンに――
ピーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!
再び笛を吹いた。肺活量のすべてを込めたそれは、さっきよりも響いた。
ゴブリンたちは勢いがそがれ、また耳を塞いだ。
ショウはその隙に盾をかざして正面突破する。ゴブリンの一人が、ショウの質量に撥ね飛ばされた。
やぐらまでたどり着くと、ショウは振り返りゴブリンに正対した。
「大丈夫ですか?」
「ああ、助かった。……けど、耳がいてぇ」
タカシが耳をマッサージする。片手間に、右目を押さえてもんどりうつゴブリンの首に剣を突きたてた。
「すみません。ゴブリンは耳がいいらしいので、怯ませるにはいいかと思って」
「ああ、いい策だった。今度は耳栓をしてからやってくれ」
ジューザはそういってニヤリとした。
「レックスさんは?」
「もう来るはずです。オレのほうが速かったんで先に来ました」
「それじゃ、反撃タイムだな」
タカシとジューザもやぐらの真下から抜け出し、本来の構えを取った。
数の上では未だゴブリン有利である。しかし、苦手意識が芽生えたのか、ショウが再び笛を咥えて呼吸に合わせて軽く「ピッ、ピッ」と吹くと、露骨にイヤな表情を浮かべた。
試しに強く吹いてみる。ゴブリンたちはビクッとした。
ショウは少し楽しくなり、沈黙を守った後、笛を吹く。またもゴブリンは硬直した。
「ゴブリンも学習するんだな」
タカシが感心する。
「このまま行進でもさせてみるか」
ジューザも調子に乗って言う。
「にらめっこしてても仕方ないでしょう。攻めますか?」
笛を咥えながらモゴモゴ話すショウに、タカシが賛成した。
「かまわないが、もう笛はやめてくれ。こっちも驚く」
「わかりました。咥えるだけにします」
三人は戦う姿勢を示した。
「正面の一匹、確実に行くぞ」
ジューザの指示に、二人はうなずいた。さきほど撥ね飛ばしたゴブリンも戦線に復帰している。ショウの両サイドにいるタカシとジューザが二人を相手にする形となるが、彼らは気にしなかった。二人で小鬼七人相手にするよりは余裕というものだ。
盾をおしたて、ゴブリンに駆け寄る。
ゴブリンには盾が邪魔で攻撃目標が見えない。避けるしかない。
それは戦士には予測できる行動である。あとはその方向だが、外側か後ろの二択。それは足元を見ればわかる。
タカシの前の二人は、どちらも外へ向かった。それは彼から見て左なので、剣による攻撃ができない。一発目は不発に終わる。
ジューザの正面は、一人が後ろ、一人が横――彼から見て右――である。彼は一瞬で選択し、後ろに飛ぶゴブリンを追った。加速をかけ、着地するゴブリンを撥ね飛ばし、追い討ちで剣を突き刺した。戦士の基本技の一つ、『踏込突』である。実戦で使うのも初めてなら、訓練を含めてこれほど見事に決まったのもはじめてであった。成功は日々の鍛錬の賜物だ。ここで彼は感動に浸らず、相対さなかったゴブリンを一瞥する。睨まれたゴブリンが怯んだのを確認して、足元のゴブリンにとどめをさした。
ショウの前には一人。ショウが突進をかければ逃げ道は一つ、真後ろしか残っていない――はずだった。しかしゴブリンは予想外の行動に出る。その高い運動能力を発揮し、盾を飛び越えて頭上から襲ってきたのだ。
ショウはとっさにメイスで叩き落そうとするが、間に合いそうにはなかった。顔面に迫る刃を、どうにか避けようと首をねじる。
ギイイイイイイイッ……!
気持ちの悪い金属の擦れ合う音が流れたあと、刃はショウの右肩に刺さった。
ショウは反射的に叫んだ。
ゴブリンは笑い、ショウの二の腕を蹴って飛びのいた。
肩を刺された! この痛みは、痛みは――!
「……あれ? 痛くない」
ショウは刺されたはずの右肩を確認した。たしかに硬革鎧には穴が空いていた。だが、貫通はしていなかった。頭も刃がかすったはずなのに、やはり痒みすらない。こちらも革の兜と鉢金に一本の傷がついているだけで、皮膚には触れてもいなかった。さきの脇腹もそうだ。鎧を掠め、すべり、体が守られていた。
『守りはもっと重要だ。身を守る技術がないなら装備で補え』
ここでも教訓は生きていた。鉢金がなければ、鎧がなければ、ショウは二度死んでいたかもしれない。
ゴブリンも驚いている。確実にダメージを与えたはずの人間が、平然としているのだから。
未だ4対3であるが、ゴブリンたちの戦意はあからさまに落ちていた。
さらに状況不利を伝える雄たけびが聞こえてくる。
レックスが近づいていた。魔法の光を下から浴び、悪鬼の形相で迫ってくる大男を見て、今度こそあきらめがついたのか逃げていく。
草原に消えたゴブリンを追うほどショウたちは愚かではなかった。いや、そもそもに余裕がなかった。
「無事か!?」
レックスが息を切らせながら問う。
三人は顔を見合わせ、「はい」と笑った。
安堵しかけたレックスの背後で、高い音と赤い光が天に伸びていく。
ショウたちはひとときを味わう余裕もなく、それを見上げた。
「信号弾……!」
南東の方角だった。
「……ここからでは遠い。応援には――」
レックスが現状を鑑みて、どうにもできない歯がゆさに震えた。
「レックスさん、行ってください。こっちはもう大丈夫でしょう。第一エリアからの人影も見えます」
タカシが町の方向を指差す。ここより南エリアを守る班から2名が駆けつけてくる。
「……わかった。ショウくん、行けるか?」
「はいっ」
レックスとショウは東へ走った。
「ふぅ、やれやれ。やっと終わったか」
やぐらの上から兵士たちの馬鹿笑いが聞こえてきた。
「ったく、グズグズやってんじゃねーよ、クズどもがっ」
「しかもわざとらしく笛なんぞ鳴らしやがってよ。耳がいてぇや」
兵士たちの見下す声を、タカシとジューザは歯を食いしばって耐えた。
ショウたちが最初にゴブリンと遭遇した場所に二人の人影があった。ショウとレックスはゴブリンを疑ったが、服を着ているのがわかって安心して近づいた。
「シーナ?」
「あ、ショウ! 無事だったんだね!」
シーナが飛びついてくる。
「笛を聴いて駆けつけたら、ゴブリンの死体はあるし、荷物は散乱してるしで、どうしたかと思ったよ」
ホリィは安心して一息ついた。
「応援にきてくれたのか。すまんな。こっちは片付いた。信号弾は見たな?」
「うん。どうすべきか考えていたところ」
レックスの問いに、ホリィは真顔に戻った。
「あれはオレたちが行く。二人は班に合流して、周囲警戒を頼む」
「わかった。シーナ、行くよ」
シーナは名残惜しそうにショウから離れ、四人はまた東へと走った。
ホリィ班が四人とも合流すると、レックスとショウはさらに進む。次のエリアの班員とは、二人しか会えなかった。残り二人は信号弾のほうへ行ったと言う。
レックスが遅れはじめた。装備もそうだが、持久力はショウに劣る。しかたなく、またショウだけを先行させた。
そのショウにも疲れはある。息も上がりかけている。ペースは下がっており、現場についてからも考えると余力も欲しかった。それでもできるかぎり急いだ。
信号弾の理由が見えた。
「畑が、燃えてる……」
背の高いトウモロコシにそっくりの植物が燃えていた。火の勢いは速い。足元にゴブリンの死体が二つあった。
さらに進むと、近くの木に座る人影が三つ、目に入った。
「大丈夫ですか!」
ショウが声をかける。うち二人がショウを見るが、一人は木に寄りかかったまま荒い息を吐いていた。腹部に包帯が何重にも巻かれていたが、血に染まっている。
「あなた、治癒魔法は使える?」
切羽詰った表情で見守る一人が聞いてきた。ショウは首を振る。
「なら火を消して。延焼を防ぐために周囲の草を刈り取るの」
「でもオレ、斬る道具がない……」
ナイフはあるが、そんなものでは到底たりない。
「わたしの剣を持っていって。代わりにあなたのメイスを借りる」
「はいっ」
武器を交換し、ショウは火元へ急いだ。
それからのことは、ショウはよく覚えていない。一心不乱に草を刈り、延焼を食い止め、町からも応援がやってきて、明け方近くにようやく鎮火した。
そして、彼は牢の中にいた。