10 安定と経験
「あたし、定番作業につくわ」
月曜の朝一番、アカリが宣言した。
「あっそ」
マルはアクビまじりに手を振ってエントランス・ホールへと歩き出した。毎朝6時から始まる集会に参加するためだ。
「なによ、興味ないわけ?」
「そもそもおまえに興味がねぇ」
「くっ……」
アカリは言い返そうとしたが、彼女のほうもマルに話す義理がないのに気付いた。
「アキトシ、行こうぜー」
マルは相棒になりつつあるふくよかな少年に声をかけるが、彼のほうは動かなかった。
「ボクもレギュラー作業には興味あるんだ。毎回違うところに行くよりも、自分に合う仕事を探して続けるほうがいいかなって……」
「あー? そんな甘い考えでレベル100になれると思ってんのか?」
「ボクはそんなの望んでないよ。冒険とか戦いとかには向かないって」
必死に抵抗するアキトシをマルはじっと見つめ、「そっか。じゃあな」と休憩所を出て行った。
「……怒らせたかなぁ?」
アキトシはすがるような眼をショウに向けた。
「あいつだって人それぞれだってわかってる。気にしなくていい」
「同期で仲間だからって他人の将来まで決める権利はないからな。そういうオレも、ずっと縫製工場で働いているし」
ショウの後を継いでリーバが言った。彼はアイリやアカリとともに行った工場に今も通っている。腕がいいのか、翌日は先方からアイリと共に指名され――アイリは断ったが――、以降は本人の希望も合わせてレギュラー作業に決まった。手に職がある強みだった。
「アカリも戦闘職にはつかないで、町に定住するつもりなのか?」
「それはまだわかんないけど、毎朝の仕事争奪戦が疲れるってのが一番の理由よ。それに時間が不規則すぎる」
「わかる」
ショウは納得した。毎朝6時に起きて仕事をもらい、現場に向かって、初めての仕事をこなし、帰ってくる。そして明日はどんな仕事だろうかと考えるのだ。性格が生真面目なほど、余計な心配をしてストレスとなる。
「それだったら同じ仕事をしているほうが覚えがいもあるし、慣れてもくるでしょ? だからとりあえず、レベル3になるまでは安定をとろうとね」
「それもアリだよなぁ」
ショウも定番作業の利点に傾斜しかけてきた。
「ダメだよ、ショウはボクと冒険に出るんだから。町にこもるのは反対」
ルカがショウの襟首をひっぱった。
「決定かよっ」
「決定だよ。キミだってそうしたいんだろ? それとも本当にこの町で終わるつもりかい?」
そう言われると否定せざるを得ない。冒険ウンヌンは抜いても、ゴールは王都に住むアリアドの元であるのに変わりはない。その望みは町にいては叶わない。
「なら、二人はさっさと朝会に出なさいよ。定番作業を探すのはみんなが出払ってからだから、あたしはここにいるわ」
アカリが二人を追い払うしぐさをする。彼女はルカに興味を持っていたが、性格が決定的に合いそうになくて恋人候補からは除外した。なんというか、ホモくさいのだ。掴みどころがなく、ヘラヘラした感じがマイナスだった。彼女は頼りがいのある男が好みだった。ただし、強引なのはまた違う。
「ボクもレギュラーで何かないか探してみるから、あとでいくよ」
「オレもゆっくり組だ」
アキトシは申し訳なさそうな顔をした。リーバはすでに決まっているので慌てる必要がない。
ショウとルカは三人を残してエントランス・ホールに向かった。
「ボクも今日から仕事できるんだよね?」
ルカが楽しそうに訊いてくる。ショウは「そうだな」と答えてから、足が止まった。
「いや、ダメだよっ。そういえば、第一講習受けてないじゃん。まずは講習を受けてからになると思うよ」
「いいよ、そんなの。話はだいたい聞いてるし、どうにかなるって」
「いやいや、そういうルール無視がマズイんだって。とにかくまだ集会には時間があるから、受付に訊いてみよう」
「めんどくさいなぁ」
当人にやる気はなく、相方のほうが気が急いていた。
その回答は――
「講習前の作業は認められません」
パーザ・ルーチンは一刀両断だった。
「きのう窓口がやってないのが悪いと思うんだけど。お金もないし、とても困ったんだよ?」
ルカが詰め寄る。正論に押され、彼女は退いた。
「そ、それは召喚庁の不手際としてお詫び致しますが、決まりですので」
「なら責任くらいはとって欲しいなぁ」
薄く笑いながらさらに接近するルカ。
立場的に弱いパーザは珍しく困った顔をしていた。
それに満足したのか彼は詰め寄るのをやめた。
「……ま、しょうがないね。それじゃ講習っていうのやってくれる?」
「この時間はできません。先に作業の振り分けをしなければなりませんので、一時間後に二階の研修室に来てください」
ルカは息を吐き、あきらめたように「わかった」と窓口から離れた。周囲では、新人の銀髪少年に興味の眼と声が飛んでいた。そんな噂話を気にかけるルカではない。
「では、はじめます。おはようございます」
パーザ・ルーチンのよく通る声がエントランスに響いた。
40分ほどかけて分配は終了した。ショウの作業は8時から16時の家具搬入作業で、マルは四連続ジャンケン大会に負けたのが面白くないのか、ふてくされて休むことにした。
「一日くらい仕事しなくてもいんだよっ」
と、すべての分配が終わる前に休憩所に引っ込んでしまった。
「しょうがないな、あいつは」
「こうやって決まるんだね。なかなかサバイバルだ。それにしても、なんか人数が多くない? 休憩所にこんなにいた?」
様子を見ていたルカがショウに感想を述べた。
「外に宿をとっていたり、家を借りてる人もいるからな。仕事の分配のときだけここに集まるんだ」
「ああ、レベル3以上もいるんだっけ」
「うん」ショウはうなずいた。
「あ、オレ、早めに出るから。今日は2丁目が集合場所だから、時間読めないし」
「ああ、がんばって」
「朝飯はマルにでも集ってくれ。ヤケ食いでもしそうだから、おこぼれに預かれるかもよ」
「そうするよ」
手を振るルカにショウも振り返し、他の召喚労働者の波にさらわれるように出て行った。
「さてと」残されたルカは二階へと上がり、研修室の扉を開いた。誰もいない。大きな水晶球があるが、撫でても叩いても反応がなかった。
「おかしいな、ショウはこれでビデオを観るんだって言ってたけど……」
不思議に思っていると、扉を開けてパーザ・ルーチンが入ってきた。
「早いですね。では、まずはビデオを観てください」
と、水晶球に近づき、手を添えて呪文を唱えた。映像が流れはじめ、黒い小さな球体からは音声が発せられた。
ルカは席につき、熱心にうなずきながら鑑賞する。が、実のところほとんど聞き流していた。
その後、パーザから補足と注意事項を受け、第一講習は終わった。
「最後に講習終了の証明書を発行します」
ルカのステータス・サークルが浮かび上がる。背景色が白から緑に変わった。
「では、これで終了となりま――」
パーザの言葉は突然切れた。ルカが覗き込むと、彼女はステータスの一部を凝視していた。
「……なに?」
ルカもさすがに気にかかり、問いかける。彼女はハッとして、「なんでもありません」とすぐに取り繕った。
「えー、このあと、すぐにお仕事に就かれるのでしたら、受付までお越しください。ではお疲れ様でした」
一礼して、パーザは研修室を出て行った。その足で三階の入国管理課へと向かう。
「ルカという少年のファイル、届いていますか?」
「ええ、昨日の昼に届いたみたいですよ。珍しいですよね、休日の昼間に現れるなんて」
若い男性事務員がファイルを渡す。パーザはおしゃべりに付き合わず、ファイルを開いた。
「クロセン……!?」
「クロセンですか? それも珍しいですね……」
事務員も驚いてファイルを覗き込む。しかし、彼らが望む情報は読めなかった。黒い線で完全に塗りつぶされていたからだ。クロセンは秘匿事項のうちでもっとも機密度が高く、異世界人管理局の人間といえど知ることができない。知っているのは異世界召喚庁でもトップ、つまりは長官のアリアドだけである。
「でも、なんでこんな項目にクロセンが? そんなに珍しくもないのに……」
ステータス・サークル上では黒いラインはなく、当人にとって都合のいい情報が書かれている。が、管理局の人間にだけはその横にある注意喚起のマークが見えるようになっていた。それをいぶかしみ、こうしてファイルを調べたのだが、余計に怪しさが増した。
「あの子、いったいなんなの……?」
ショウは集合場所を下見して、近くの店で朝食をとった。いつもと違う店での食事は気分も変えさせる。程よい刺激が日々を楽しくしてくれるのだ。
時間が近づき、改めて現場で待機する。この仕事に就くメンバーは合計4名だったが、作業場所は二ヵ所あり、二人ずつに分かれての作業となっている。ショウはもう一人の姿を探した。同じ2レベルだが、当然ながら先輩である。管理局で挨拶をしたので顔は覚えている。
「来た」
ニンニンと名乗った先輩がやってくる。ショウよりも背が低く痩せて見えるが、腕などは意外と太く、体脂肪の少ない筋肉質の体だった。それとわかるようにわざと小さめの服を着て、体の線を誇示していた。
「お客さんはもう来てるかい?」
開口一番問われ、ショウは「まだです」と答えた。
「そうか、気が重いなぁ……」
ニンニンはため息を吐く。
「なんでです?」と後輩に訊ねられ、先輩は話しはじめた。
「この仕事、馬車での移動があるのは聞いてるよね? 数ヵ所の配達ってことで」
「はい」
「それで日本にいたときを思い出しちゃってね。そのときもこういう配達業務だったんだよ」
「はぁ……」
「どうしても欲しいゲームがあってさ、当時は高校生でこづかいが足りなくてね、日雇いのバイトに一日だけ行ったんだ」
「はい」ショウは律儀に相槌を打った。
「日本でのオレはもう、ぜんぜん筋肉がつかないガリガリ君でさ、その反動でこっちではマッシブにしたんだけど……ああ、それはいいか。で、そんなオレの初めての仕事がコピー機の搬入」
「コピー機ですか? コンビニとかにある?」
「あそこまでデカくはなかったけどね。もう少しスリムだけど、やっぱりスゴく重いやつ」
「なんでそんな仕事うけちゃったんですか?」
「たまたま事務所にいた経験者がさ、『あの仕事は楽勝だよ。タイヤついてるから転がすだけだし』と言ったから、信じちゃったんだよね」
「そうしたら?」
「もうわかるだろ? さんざんだったよ。三件回ったけど、ぜんぶ階段」
「階段!? コピー機を?」
「そうだよ。コピー機搬入だもの。しかも運転手と二人だよ? 正気かと思ったよ」
「どうやってですか? 二人で担ぐんですか?」
「そう。モッコという、厚手生地のデカイ風呂敷に紐がついたような物に載せてね。終わった後、肩にミミズ腫れができたよ」
「うわぁ……」
「見た瞬間にこんなの無理だって泣き言こぼしたらさ、運転手が言うんだ。『できないと思ったらできない。持てないと思うな』て。精神論かよ!」
ニンニンは心の叫びを放った。
「もう、そう言うしかないんでしょうね。むこうにしても、やらないわけにもいかないし」
「まぁ、そうなんだけどね。実際、仕事は完了したし」
「え、できたんですか?」
「それこそやらないわけにもいかないだろ? もうヤケクソでがんばったよ。階段なんて一段ずつ踏ん張って全力であげたさ!」
「がんばりましたね……」
「今でも忘れない。そのときの金で買ったゲームがクソゲーだったのも、さらに忘れられない思い出だよ」
「ご愁傷様です」
「まったくだ。なんでコピー機って分離できるのに、一体にまとめて運ぼうとするのかねぇ!」
天に向かって叫ぶ彼に、ショウはもう、苦笑いしかでなかった。
「で、今日もそんなふうになると思ってるわけですね?」
「いや、あれを思い出せば大概の仕事はできるって暗示をかけているんだ」
「ああ、なるほど。前向きでいいですね」
「前向きっていうのかな、これ……」
会話に落ちがついたとき、一台の馬車が二人の前に止まった。荷台には洋服タンスが2棹載っている。どちらも上段が両開き、下が二段の引き出しになっている。
ああ、これか。と二人は先の話を思い出して気分が沈んだ。
御者台にいた一人が降りてくる。
「君たちが召喚労働者かね? サウハウ家具・営業のレノだ。よろしく頼むよ」
ハキハキとしゃべる中年男性は、たしかに営業向きな雰囲気があった。
レノはさっそく目の前の家をノックする。少し待って家の人間が出てきた。若い女性だった。
彼は女性と二言三言話し、一人で家の中へ入っていった。設置場所の確認だった。
その間、ショウとニンニンは作業準備をしていた。
「にしてもデカイな。1800はありそうだ」
「1800?」
「高さだよ。1800ミリメートル。現場だと大体ミリメートルで換算するから。この世界だとメリラードだね」
「1ラードがおよそ1メートルでしたっけ? 呼び方を変えればいいだけって楽ですよね」
「ああ、いい具合に適当で助かる」
二人が笑っていると扉が開いた。どうやら置き場所が決まったらしい。
「ロナウド、馬車を固定してくれ。荷を降ろす」
レノは御者に命じた。召喚労働者の二人も荷台側に向かう。
車輪に輪止めをして、地面から荷台までの高さに合わせた木箱が荷台下の前後に置かれた。そのおかげで荷台は水平を保っている。馬も一時的に外された。
「ここに一本いれるぞ。一旦、道に降ろして、それから担いで運ぶんだ。場所は二階だ」
「え?」
ショウは耳を疑う。まさか本当に担いで階段上げになるとは思いもしなかった。
そんな少年に、先輩のニンニンは耳打ちした。
「この世界にエレベーターはない……こともないが、一般家庭にはない。だからさっきあらかじめ教訓を述べたろ? 『できないと思うな』てね」
「教訓だったんだ……」
今さらながらに身にしみる。
「ま、でも少しは楽しないとね。とりあえず、道に降ろすよ。荷台は狭いから乗るときは気をつけて」
「は、はいっ」
ニンニンは自分のカバンに巻きつけてあった毛布を引っ張り出した。休憩所で包まるための寝具だが、ここでは立派な養生材だ。それを荷台の後ろの地面に敷く。
「踏んでいいからね」と忠告して、タンスを固定していたロープを御者に頼んで1棹ぶんだけ解いてもらう。
「お客さん、タンスの下はゲタを履いてますか?」
「いや。だが荷台には養生板を敷いてあるから引きずってもかまわんよ」
「助かります」
ニンニンとレノの会話をハテナ・マークを浮かべてショウは聞いていた。
「ショウくんだっけ? 荷台に乗って後ろからタンスを押してくれるかい? なるべく下のほうね。上を押すと前に倒れるから」
「はいっ」
ショウは御者台から上がり、あまり足場の余裕がない荷台に乗った。
「とりあえず半分くらい外に出るまでね」
ショウはまた「はい」と返事をして、ニンニンの合図に従ってタンスを押した。思ったより重量は感じない。タンスと荷台の間に薄い白木板があり、その上をタンスが滑っていた。これが養生板なのだろう。
タンスが荷台をはみ出した。あと少し押せば倒れて落ちるであろう。それを防ぐためにニンニンが飛び出た下部を持ち上げて外から支えている。重くないのだろうかとショウは思ったが、彼の表情を見るとそうでもないようだ。もちろん彼の筋力があってこそなのかも知れないが。
「そのままギリギリまで押して。先が少しかかっている程度でかまわないから」
ショウは指示に従った。
「そしたら荷台を降りて、タンスの正面側に立って。少しタンスを横に向けて正面の下が荷台からはみ出すようにする。そうすれば、左手が下に入るよね?」
「あ、はい。わかります。そのあと側面に回って背面側の下に手を入れて持ち上げるんですね?」
「うん、説明する手間が省けた。でも一気に上げようとしないでね。まず、持てそうかどうか試すからね」
「はい」
ショウはタンスの正面と背面を押さえて、ニンニンとタイミングを合わせてずらす。側面に回り、左手を下に入れた。そして荷台とタンスの間から右腕を通し、手をかけた。
「ちょっと上げてみます」
「うん。無理はしなくていいからね。ダメだと思ったら荷台に降ろす」
ショウは「はい」と返事をして、力を込めた。気合を入れて上げてみると、支えられないほどではなかった。長時間は無理だろうが、一分程度なら耐えられそうだ。
「いけますっ」
「わかった。いったん荷台に置いて」
タンスを静かに降ろし、一息つく。
「それじゃ、本番。荷台から外して、下の毛布に降ろす。こっちの角を先に降ろすよ。そっち側は降ろさないでね。手を挟むから。ちょっと耐えてね。降ろしちゃえば支えるだけだから大丈夫だと思うけど」
「了解です」
ニンニンの言葉どおり、彼側の角を毛布に着地させてしまえば楽になった。
「このままこっちが支えるから手を放していいよ」
ショウが返事をして手を解放する。ニンニンが一人で傾いたタンスを支えている状態だ。そのあと、ニンニンがタンスを起こすのを助け、無事に荷台から地面へと置かれた。
「ほう、慣れたものだな」
レノが感心した。
「お客さん、すみません。先に場所を確認させてもらっていいですか?」
「あ、ああ。そうだな、下見にいくか」
ニンニンの提案をレノは受けた。
「あ、ちょっとお待ちを。ショウくん、引き出しを一つ抜いていっしょに来て」
そう告げ、自分も引き出しを抜いて担いだ。
「少しでも軽くしたほうが楽だろ?」
ショウにだけ聞こえるように言い、お客のあとをついて行く。
中に入って一番奥に階段があった。幅はそれほど広くはないが、二階までは折り返しがない。この国での標準的な建築様式だった。仕事で行った建築中の家と似てるな、とショウは思った。
ニンニンは階段の下と途中と上で、持っていたタンスの引き出しを少しずつ回していた。
「何をしてるんです?」
「幅を計ってるんだよ。どの向きで行くか、どこで一旦受けるか、考えてるんだ」
「なるほど……」
ショウは素直に感心した。
「本当はもう一枚毛布があると使いまわせるんだけどね」
「えと、膝掛けでよければありますけど……」
就寝時に腹が冷えないようにと買ったものだ。本当は毛布がよかったのだが、持ち歩くには不便なのでこちらにした。
「汚れるよ?」
「いいですよ、ニンニンさんのだけ汚すのも悪いじゃないですか。それに、そのほうが楽になるんですよね?」
ショウが笑みを浮かべると、ニンニンは軽く噴出した。
「いいね、それじゃ楽しようか」
「はい」
設置場所までの経路を確認し、本格的に運ぶ準備を整える。玄関の扉を開き、石を置いて固定。ショウの膝掛けを玄関を越えたあたりに敷く。
「膝掛けの上まで運ぶよ。まずそっちに倒すから、頭を受け取って。体勢が整ったら、オレが下から持つ。そしてそのまま玄関を通って、中でまた一旦立てる」
ショウは「はい」と返事をしながらイメージを固める。
「じゃ、行くよ。そっち倒す」
ショウは迫り来るタンスの頭を受け、さらに下がってくると手を持ち替えた。平手で側面・上側を支える形だ。
「いいかい? 下を持つよ」
「どうぞ」
ニンニンが軽く息を吐いて持ち上げる。
玄関の天井に気をつけながらそのまま運び、ショウの膝掛けに角を下ろし、再度立てる。
「膝掛けはやっぱり余裕がないな。外の毛布を持ってきてくれないかな?」
ショウは直ちに実行し、毛布をニンニンに渡した。
「少し傾けて」と言われ、従う。彼は浮いたスペースにショウの膝掛けが押し込み、さらに毛布を敷いた。
「今度は反対側を傾けて」
疑問も持たず傾ける。ショウの膝掛けがスルリと抜け、毛布が引っ張られる。膝掛けと毛布が交換された形となった。
「そしたら階段まで運ぶよ。タンスを後ろから押して。荷台のときと同じで、なるべく下のほうね。上を押すと倒れるから。オレは毛布を引く」
「了解です」
ショウは感心しきりである。板間の上を、毛布敷きのタンスが滑っていく。
「でもこれなら、オレの膝掛けでもよかったんじゃないですか?」
「大きいほうが運びやすいんだよ。厚みもあったほうがいい。それに、まだ新品だろ? 無理に汚すこともない」
「すんません」
気をつかってもらって申し訳なくなった。
「いいよ。それよりこっからちょっと面倒だ。まずは膝掛けを貸してくれないかな」
ダッシュで往復するショウから膝掛けを受け取り、階段の最上段から二段下に設置した。
「さて、このままじゃ狭くて傾けても下から持てないだろ? だから二段ほどまっすぐ上げて、それから傾ける。今度は下側を任せることになるけど、持てるかい?」
「大丈夫だと思います」
「無理そうなら言って。かわるから。それじゃ、まっすぐ一段あげるよ。せーの」
「はいっ」
ニンニンが上から引き上げる力が強いのか、あっさり一段上がった。続いて二段目もいけた。
「もしかしてこれ、このまままっすぐで二階までいけませんか?」
思いのほか楽だったのでショウは提案してみる。
ニンニンは「そうしたいんだけどね」と上を指差した。
「こいつ背が高いから、そこの天井にぶつかるんだよ。そこを越えればまっすぐいけるんだけど」
「あ、ホントだ。ちょうど引っかかるんですね。すみません、余計なこと言いました」
「いや、その楽しようって考えは大切だよ。そのほうが効率がいいからね」
ニンニンはショウの心意気に親指を立てた。少年は恥ずかしくなったが、気持ち的には和んでいた。
「それじゃ、ここからは少し傾けて持って上がるよ。階段に擦らないように、ゆっくり、慎重にいくから。膝掛けが見えたらまっすぐにしながら降ろす。このとき、あまり階段の奥に押しつけないように。置いたときに傾斜部分が擦るかも知れないから。なるべく手前側で」
「わかりました」
「せーの」で持ち上げ、二人は一歩ずつ階段を上った。10段ほどで、ショウの膝掛けが見えた。
慎重に置き、立てる。残り二段を垂直に上げ、二階に到着した。
「あとは毛布で引いて終了」
彼の言葉どおり、タンスの下に毛布を敷いて設置場所まで持っていく。そして降ろして引き出しを差せば完了となった。
所要時間、25分である。
「うん、いい仕事だ。次の場所も頼むよ」
営業のレノはご機嫌で御者台に乗った。ショウとニンニンは荷台である。
「あの毛布で引くっていうの、考えましたね。すごい楽です」
「あー、あれねぇ……」
ニンニンのテンションは低かった。
「なんです?」
「オレ、高校生のころ、どうしても欲しいDVDがあってさ」
「またですか!?」
「ああ、またなんだ。こづかいがなくて困り果て――」
「また派遣の仕事に手を染めたんですね?」
「ああ。そのとき言い渡された仕事が家電の配送助手だったんだ」
「なんかオチが見える……」
「経験者の人がさ、あの仕事は大半が車にいるだけだからラクショーだって言うから受けたんだよ。そしたら、洗濯機を階段上げで……」
「階段ですか!」
「しかもドラム式だよ? 運転手はテレビ台を組み立てなきゃならないからって、一人で四階まで持ってきてくれって……バカだろ!」
つい感情が溢れて、ニンニンは叫んでいた。
「うおっ! なんだね?」
驚いたのは御者とレノである。馬を引き、急停車がかかる。馬もいななくくらいビックリしたようだ。
「あ、すみません。ちょっとバカ話をしていました。お騒がせしました」
「……あまり、脅かさないでくれよ?」
レノは怪訝な顔を崩さないまま、御者に進むよう指示した。
「……で、どうしたんですか?」
ショウは声をひそめて訊いた。
「やったよ。一段一段、魂込めて持ち上げたよ。あれを経験すれば、大体の仕事は出来ると思うね」
何気にこの人、すごいではないかとショウは思った。
「それで、毛布テクの話は……?」
「ああ。洗濯機を部屋にいれるとき、毛布を敷いて引っ張ったんだ。それだけ」
「あっさりですね」
「でもまぁ、こんなところで役に立ってるんだから、皮肉なものだね」
ニンニンはそう結んで、乾いた笑みを浮かべた。
おしゃべりをしている間に二件目に到着した。今回も二階への搬入だったが、階段は広く、天井も高かったので一件目よりも簡単に終わった。一度経験したことで、ショウが慣れたのもあるだろう。
まだ10時の鐘も鳴らないが、馬車の荷台には荷物がない。もしかしてこれで終わりか――と期待したが、そんなに甘くはなかった。
「それじゃ乗って。工場に次のを取りに行くから」
「はーい……」
二人はテンション低く、荷台に乗り込んだ。
「今日は何件行くんですか?」
ニンニンがレノに訊ねた。このペースでいくと、一日で10本はやりそうな勢いだ。さすがにそれはしんどく、覚悟を決めておきたかった。
「あと二件1本ずつだ。ただ、次が13時指定だから時間が空く。工場で積み込みを手伝ったら休憩に行っていいよ。で、そのまま現地で待っててくれ。住所はあとで渡す」
「はい、了解しました」
残り2棹と聞き、二人は小さく喜んだ。それくらいなら楽なものだった。
工場は中区オークレイ通り――1番街――にあった。かなり大きな家具工場で、職人が200人以上いるとレノから教わった。ナンタンの家具職人組合の本部でもあるという。また、職人の中には召喚労働者も数人おり、彼らは英雄や冒険よりも職と安定を選んでいた。
馬車が大きな倉庫へ入る。一部が作業場になっているようで、木材と塗料のにおいが立ち込め、鋸やハンマーの音が響き渡っている。
「それを積むぞ。手伝ってくれ」
出入口のそばにある2棹をレノが指差した。先ほど搬入した物とまったく同じ物だった。
「工場制手工業万歳だね。大量生産だから、いちいち物によって搬入方法を考えなくて済むよ」
「なるほど」
ショウはそういうものかと納得し、御者を手伝ってタンスを積んだ。
「あ、お客さん、すみません。そこの毛布も借りて行っていいですか?」
ニンニンは片隅に固まっている養生道具を指した。
「ああ。好きに使ってくれ。やりやすいようにやってくれていいから」
レノは気前よく答えた。任せられるなら任せてしまったほうが彼としても楽だし安心だった。
「ありがとうございますっ」
ニンニンは大仰に頭を下げ、ショウも慌てて倣った。
御者が家具を角アテ越しにロープで固定し、隙間に養生材を詰めて出荷準備は完了した。
レノから次の現場住所を書いたメモを渡され、二人は長めの昼休憩に入った。
工場を出る途中、ショウは物珍しいのであちこち見渡していた。すると、見知った横顔が視界に入った。気になり、目についた方向へと歩いていく。
「どうした、ショウくん?」
「いえ、あそこにいるのが……やっぱり!」
ショウは走り出し、工場練の一つに近づいた。
「マル、ルカ!」
「お?」と驚いたのは二人も同じだった。二人は休んでいた木陰から出てきた。
「なにしてんだ、おまえ?」
マルが訊いてくる。
「そっちこそなんでここに? 仕事?」
「見りゃわかんだろ? ここで家具造りの補助作業だよ」
「今は休憩中」
ルカが補足した。
「そうなのか……て、マルは休むんじゃなかったのか?」
「そのつもりだったんだけどな」マルは思い出したのか、また膨れっ面になった。
「ベルねーちゃんがミスって、作業依頼書を一枚忘れてたって頼みに来たんだよ。余ってたのはオレとこいつだけだったからな」
「まぁ、ボクとしては仕事にありつけて助かったけどね。さすがにずっと奢ってもらうのは気が引ける」
「オレだっていいかげん金がキツイから助かる」
ショウは笑った。
「で、おまえは?」
「オレはその作った家具の搬入。午後の分を積みに来たんだ、ニンニンさんと」
少し距離をとっているニンニンのほうへ向き、二人に紹介した。
「うお、チビ・マッチョ」
マルが彼を評する。ショウは聞こえてなければいいがと祈りつつ、マルの前に立ちふさがった。
「おまえ、口が悪過ぎるぞ。……それじゃ、待たせると悪いからもう行く。がんばれよ」
「いいなー、搬入のが楽そーだなー」
「またね、ショウ」
挨拶を交わしてショウは二人から離れた。
「お仲間かい? 一人は今朝、ルーチン女史と話してなかったかな」
ニンニンが戻ってきたショウに話しかけた。
「はい。きのう来たばかりの新人です」
「そうか。これからが大変だね」
「人のことは言えないですけどね」
「もっともだね」
二人はそんな会話をしながら、工場をあとにした。昼食は共にしたが、作業再開までの時間には余裕があり、店を出たところで別れた。
ショウは午後1時少し前に現場に到着した。
ニンニンが時間きっかりに現れる。背中のリュックがさっきよりも膨らんで見えた。
「なんか荷物が増えてません?」
「ああ」と背中のリュックを降ろす。ニンニンは中から三冊の本を出した。この世界の文字のため、ショウにはわからない。
「最近、文字の勉強をはじめてね。何でもいいから本が欲しかったんだ。誰かの伝記と娯楽本らしいというのはわかったんだけど、あとはゆっくり読むよ」
「すごいですね」
ショウは感嘆する。彼は言葉が通じるだけで満足しており、読み書きは考えていなかった。だがたしかに、いずれ冒険に出るのなら現地語読解は必須だった。
「読み書きについては土日を除く毎日、管理局で教えてくれるよ。昼の部と夜の部があって、各一時間の予約制。当日予約もできるから、興味があるなら受付で聞いてみるといいよ」
「そうします」と応えてから、ふと気になったので訊いてみた。
「他の人も、けっこう字は読めるんですか?」
「いや、そうでもないね。みんなその日暮らしで忙しいのか、あまり興味がないみたいだ。夜の部でも自分一人しかいないときがあるしね」
「そうなんですか……。ちなみに料金は?」
「教本が銀貨2枚。指導料が1回銀貨1枚」
「日本の塾に比べれば安いんだろうけど、回数こなすとなるといい金額になりますね」
「うん。だからオレは基礎だけ数回習って、あとは独学でやってる。どうしてもわからないところだけ、講師のカーマン女史に質問している」
「独学ですか……」
ショウはそこまで出来る自信がなかった。
「そうでもないよ。基本的に日本語と同じで一音一文字だし、文型も最後が述語だから、とっつきはいいと思う」
「よくわからないけど、そうなんですね。余裕があれば覚えようかな……」
考え込むショウに間髪いれず「それはよくないな」とニンニンはダメ出しした。
「なんでです?」
「余裕なんてないからだよ。日々忙しいと先延ばしにしてしまうけど、それじゃいつまで経っても変わらない。だから本気で学びたいなら、今日、帰ってからでもはじめるべきだよ」
「お、おおお……っ」
単純なショウは猛烈に感動していた。
「ちょっと説教臭くなってすまないけど、オレがこんなことを言うのはね、経験なんだ。高校のときに、どうしても欲しい古書があって――」
ニンニンの言葉を、馬のいななきが遮った。
「……残念、時間だ。さ、仕事をしよう」
彼は頭を切り替え、皮手袋を着けながら荷台へと近づいていった。
「いや、話をそこでやめないでくださいよ! 気になるじゃないですか!」
「はは。いずれ語る日も来よう。でも今はこっちが最優先だよ」
「うああ、気になるぅ~」
モヤモヤとしたまま、ショウは仕事をこなした。が、意外と手間取り、四件目に向かうときにはこの話をすっかり忘れていた。
四件目が終わったのは15時少し前だった。順調に済んだといってよいだろう。営業のレノも満足して作業終了のサインを書こうとしていた。
が、そこで彼の通信水晶球が鳴った。いわゆる携帯電話である。
相手とやりとりし、レノは顔を曇らせた。
「……すまないが、ちょっと付き合ってくれるかい? うちの後輩がミスをしたらしく、尻拭いをしなければならなくなった。もしかしたら君たちの手を借りるかもしれない」
「はぁ……」
二人からは乗り気にならない返事が漏れた。
再び馬車に乗せられ、11番街に向かう。20分ほど揺られた先に、同じ組合の馬車が止まっていた。荷物の家具はすでに道に降ろされているが、待っていた人間は途方にくれるばかりで作業はしていなかった。
「さっきより大きいな。幅も奥行きも一割増しってところかな」
ニンニンが一目見てつぶやいた。
「あ、ニンニンさん。ちわっス」
家具の側で座り込んでいた二人の少年が、彼を発見して挨拶をした。朝の依頼をもらったとき、二人ずつで別れたもう1チームのほうだった。
「お疲れ様。何があったんだい?」
ニンニンが訊ねると、二人の召喚労働者は大きなため息をついた。
「営業さんのミスで、間口を確認しないで発注したらしいんスよ。で、入らなくてお客にサイズの小さいのに変更を頼んだんスけど、怒っちゃいましてね。なんていい加減なんだ、フザケンナ、て。もう怒りに怒りを重ねたもんスから、どんな条件出しても聞いてもらえないんス」
「これを入れるしかないわけか」
「そうっス」
二人はまたため息をついた。
「間口は計ったのかい?」
「まぁ、おおよそスけどね」
「ふむ」ニンニンはリュックから鉛筆を出して、家具を固定していたロープを拾った。端から一握りのあたりに鉛筆で印をつける。それからショウに声をかけた。
少年が近づくと、ニンニンからロープの印をつけた側の端を渡された。
「この印を家具の角に合わせてくれるかい? 寸法をとるから」
そう言って、家具の幅と奥行き、高さと斜の長さ分、ロープにマークした。
「なんで斜めも計ったんですか?」
「傾けたときの最大高さだよ」
「なるほどぉ」
何度目かの感心。
ニンニンは「ついてきて」とロープを束ねながら、お客と話しているレノのもとへ行った。
「お話し中、たいへん申し訳ありません。もう一度間口寸法の確認をさせていただいてよろしいでしょうか?」
「あ? 入れられるなら早くやってくれ! こっちも暇じゃないんだよ!」
「申し訳ありません。では、確認させていただきます」
憤るお客に何度も頭を下げ、ニンニンとショウは家に入って行った。
「設置場所はわかるんですか?」
「引き出しがなかったろ? あれだけなら持っていけるからね、設置場所にあるはずだよ」
「ああ」
ショウも引き出しがないのは気付いたが、どこにあるかまでは考えなかった。
入口、通り過ぎる部屋、階段、廊下、階段、廊下、部屋。設置場所は三階の通りに面した窓側の部屋だった。曲がり角のたびにロープを伸ばして寸法を測った結果――
「うん、ダメだね。三階への階段の柱がなければいけるんだけど」
「それ以前に、玄関の幅がすでにアウトっぽいですけど。二階までの階段も、無理じゃないですか?」」
「玄関は扉を外せばギリギリいけるよ。二階までの階段は、通路側に柱がないから四人で持ち上げて、斜めに挿して起こしていけばいけるはず」
「なんだろう、立体パズルみたいに回すのかな」
ショウには想像がつかなかった。
「柱を切ってもいいか訊いてみようかな」
「お客さん、さらにキレると思いますよ」
「だよねぇ……」
ニンニンは設置部屋から路上の家具を眺める。あと100ミリ細ければなぁと不毛な考えが浮かんだ。
「今回は断るしかなさそうですね」
ショウとしても残念だった。これまで好調だっただけに、最後でつまづくのは気分がよくない。
ニンニンは唸りながらロープを伸ばしてアチコチ調べる。その眼が天井を向くと、しばし動きがとまった。
「いちおう見てみるかな」
部屋の片隅にあった金属の長い棒をとる。先端がフック状になっていた。
それを天井の取っ手らしき物に引っ掛け、引く。すると階段が出てきた。
「隠し扉!?」
「ただの天裏。だいたいは物置になってる」
冷静に答え、ニンニンは階段を上がった。天井裏は予想通り物置になっており、しばらく誰も立ち入らなかったのか、埃が積もっていた。
奥へ進んでいく。そこには小さな窓があった。
鍵を解除し、窓を開けて覗き込む。
「お客さーん!」
ニンニンは天井裏から叫んだ。驚いて周囲の人間すべてが彼に注目した。
「窓から部屋に入れるんで、窓をいったん外しますよー!」
「なんだってー!」
客が慌てて家に入り、階段を駆け上がる。レノたちも血相を変えてついていく。
「どういうことだ!」
客は顔を真っ赤にして詰め寄った。
ニンニンはゆっくりと現状を話し、搬入手段を丁寧に説明した。まわりで聞いているショウたちも困惑から逃れられない。
「……本当に大丈夫なんだろうな」
「壁はフラットですし、きちんと養生はします。任せてください」
「そこまで言うなら……」
不安が怒りを淘汰したのか、客の勢いはしぼんでいた。
「では準備します」とニンニンはショウたちに自分のリュックと、残りのロープと毛布、角アテを持ってくるように頼んだ。彼はそれらが届くまでに窓の構造を調べる。両開きの窓で、幅はそれほどでもないが、高さはある。蝶番は一体式ではなく、差込ピンで壁側金具と窓側金具をとめている。
リュックが届くと中から工具セットを出す。そこから先端が尖った錐と小型ハンマーをとり、窓の蝶番のピンを一本、下から叩いて抜いた。
「二人で窓を持ってて。あと二つのピンを抜くからまっすぐにね」
近くにいたショウともう一人で窓を持つ。下側のピンが抜かれると、少し不安定になった。さらに最後の真ん中が抜かれると、窓の重みが二人の腕にのしかかる。
「もう取れるから、いったん廊下にでも出しておいて。次、左側の窓を外すよ」
同様の作業が繰り返され、両窓が外された。縁に毛布を敷いておく。
「それじゃ次はロープと角アテを持ってきて」
ニンニンは天裏につながる階段を上がっていった。三人の召喚労働者がついていく。
天窓の縁に角アテを置き、ロープを一本垂らす。
「三階じゃなくてここから引き上げるんですか?」
「そう。ケツから入れたいから高く上げないとね。アタマからじゃ危ないから」
現場での木材搬入のときも、搬入フロアより高い位置に滑車があったのをショウは思い出した。
「……どこでこんなやり方を覚えたんですか?」
「あー、昔、嫌な思い出があってね……」
「え、まだあるんですか!?」
「高校生のころ、どうしてもイベントに行くお金が欲しくてね、一日だけの派遣バイトをしたんだ」
「もうすでに一日じゃないんですが……」
ニンニンは聞いていないのか、聞き流しているのか、先を続けた。
「引越しの仕事でね、オレはさすがに行くのが嫌だったんだ。でも経験者が言うんだよ。『あれはエレベーターがあれば余裕。台車を転がすだけだから』と。オレはそれを信じてねぇ……」
「ハマったんですね」
「もちろん階段だったよ。五階建ての五階。今じゃ信じられない公団だった……。なんで行く先々階段なんだよ!」
「もう運命としか」
「うん、オレも思った。で、どうやって入れたかもわからない冷蔵庫が……」
「おーい、なにしてんだー?」
階下からレノの声が届いた。ロープが垂れ下がったきり、動きがないのをいぶかしんだようだ。
「話は終わり。……ロープが少し足りないね。三本つなげるとしよう」
ニンニンは手際よくロープを延長し、両端を垂らした。U字型になった真ん中を、この現場にいた二人に任せた。
「このまま待機で。オレとショウくんは下の準備をしてくる」
ショウを伴い、ニンニンは路上の家具の元に戻った。本体を毛布で包み、別のロープで正面から見て『井』の字型に縛り上げる。二人で窓の直下まで滑らせ、天窓から垂れている二本のロープを均等の距離を取って結んだ。介錯ロープがないので、ベルトで代用する。
「すみませんが、今回はいっしょに手伝っていただけますか?」
「ああ、もちろんだ」
レノはニンニンの願いを聞き届けた。ミスをした後輩営業も強制参加させる。
「レノさんはここから様子を見ていてください。下に人が通るときは注意を促してもらえると助かります。もうひとかたは、本当に申し訳ありませんが、天井でロープを引くのを手伝ってください」
「は?」と露骨に嫌そうな顔をする若い営業に、先輩が「ほら行け」と押し出した。しぶしぶ階段を上がっていく。
「ショウくんもはじめは綱引きを頼むね。オレは三階で引き入れるから、声をかけたら手伝いに来て」
「わかりました」
ショウも階段を駆け上がる。
四人が天井裏に揃い、それぞれ等間隔でロープを握った。あらかじめ一回の引き上げ量を取り決めておく。
「現場でもやりましたけど、息を合わせるの大変ですよね」
「オレは経験ないんだよなぁ」
一人が言うと、「わたしにだってありませんよっ」と営業の若者が愚痴った。
「がんばりましょう」
ショウとしてはそれ以上言いようもなかった。
「よーし、まずはロープのたるみをとるよー! 少しずつ引いてー」
ニンニンの声が聞こえた。四人はうなずき、負荷がかかるまで引いた。長さのバランスが違ったのか、右のほうが早く重くなった。
「右、そのまま! 左だけちょっと引いてー!」
一巻き引くと、手ごたえが現れた。
「よーし、今度は本当に上げていくよー! 両方とも、ゆっくりー。せーの!」
ズッシリとした重みがかかった。今までの家具と違い大きさに加え厚みもあり、塗装も何重にも施されているので、そのぶん重量がある。
だからといって嘆いても仕事は終わらない。できないと思ったらできない。ショウは教訓を活かし、三人と協力してロープを引いた。
家具の底部が三階にいるニンニンの目線と並んだ。天井裏の窓のすぐ下に、家具の頭が見えている。
「よし、そのまま固定で! ショウくん、三階に来て」
呼び出しを受け、三人に「もう少しだけ踏ん張っててください」と声をかけて下りていった。
ニンニンは介錯ロープを持って待機していた。
「前面を上にして引き入れたいから180度回転させるよ。回転させ終わるまで絶対に手は出さないでね。手が挟まれるかもしれないから」
「はいっ」
ショウが配置につくと、ニンニンは介錯ロープを引きながら、「ロープを少しだけ緩めてー」と上に呼びかけた。
「よし、いい感じだ」
フラフラする家具の底部を持って180度回転させ、斜めに引き入れる。背面下部が窓枠の毛布にかかった。ロープが捻じれているが、窓枠に引っかかっているため回転することはない。
「ショウくん、ゆっくり引いて。ロープ、もう少し緩めー!」
毛布をすべり、すんなりと家具が入ってくる。上半分が窓の外に残っているが、ここまで入ればもう落下の心配はない。
「はい、ゆっくり引くよ。ロープも少し送って」
家具の八割が中に収まった。窓枠に頭がもたれかかる形だ。
「上に営業さんだけ残して降りてきて。ロープは放さないでくださいね」
三階に召喚労働者四名が集まった。前面を上に向けたまま部屋内に入れ、いったん寝かす。ロープは解いて、上の階で回収してもらった。それから家具を設置場所に立て、引き出しを収めて終了だ。
「いやぁ、本当に助かったよ。君、うちの搬送部に来ないかね」
レノはご機嫌でニンニンの肩を叩いた。彼は笑顔を浮かべながらも、やんわりと拒絶した。
レノは本気で残念そうに「そうか」と深く息を吐き、四人にサインをした。
「ああ、君たち二人には残業つけておいたから。ご苦労さん」
ショウが作業依頼書を確認すると、たしかに終了時間が規定時間+60分されていた。現実の時間では、まだ規定時間の16時ギリギリである。
ニンニンは大きな声で礼を言い、ショウも慌てて頭を下げる。
馬車が去ると家具搬入作業チームは解散した。若い営業のチームだった二人は元から仲がいいのか、「お疲れっス」と言い残して談笑しながらさっさと行ってしまった。
「あの、これって記入時間までどっかで時間つぶしたほうがいいですか?」
「ん? ああ、残業代ね。大丈夫だよ、こういうのけっこうあるから。残業ありましたって報告すれば、上乗せしてもらえる」
「そうなんですか」
その規定がわかっていないショウは、そういうものと飲み込んだ。
「ちなみに残業代は『基本報酬÷規定拘束時間×残業時間』。今回は基本報酬が銀貨16枚、拘束時間8時間だから、一時間あたり銀貨2枚。合計で銀貨18枚で、そこから税金」
「えーと、9000円の2%だから180円で、手取り8820円ですね」
「そうなるね」
「ニンニンさんのおかげで、必要以上に稼げてしまった……」
「いやいや、君は充分がんばったよ。とてもやりやすかった。ありがとう」
「いえ、こちらこそありがとうございました。お疲れ様です」
「うん、お疲れ。……オレはちょっとまた買い物して帰るんで、ここで。管理局までの道、わかるかい?」
「とりあえず時計塔を目指して、壁にぶつかったら沿って歩けば南側に出ますよね」
「ああ、そうだね。それじゃ、気をつけて」
ショウは離れていくニンニンにお辞儀をして、時計塔を目指した。
一日はまだ終わらない。