XCIII.二兎追うものは二兎得られるか?
〜七月二十九日〜
あれから二日。
二日前と同じ面々は、二日前のあの部屋に二日前と同じ様に画面越しにメーヴェの女王と相対していた。
ただ少し違うところがあるとすれば…その身に纏う覚悟の雰囲気。そしてニコライが今回はコソコソ隠れずにいる事である。
ここに並び立つ三ヵ国の代表は皆それぞれが独自に答えを決め、この場に臨んでいる。
今日この場で全て決まってしまう、と皆理解していた。
我々のその表情をじっくり舐め回す様に見て、エリザベス女王はフフンと満足げに口元に笑みを浮かべた。
「こちらの都合で今日まで延びてしまって悪いな。私の部屋が燃えてしまって少しバタバタしたのだ」
「いえ、不慮の事故なら致し方ありません。どうせこちらとしても陛下のお誘いに関して臣下と話し合う時間が欲しかったので丁度良かったくらいです」
ヴィクトリア女王はニッコリと笑顔でそう応える。
しかし目は笑っていない。
誰もが気付く、作り笑いだった。
「それは良かった。なら、この二日でじっくり話し合えただろうし、早速だが回答をお聞かせ願おうか。こうしている間にもツァーレは海上封鎖状態だ…出来る事ならなるべく急ぎたいのがこちらの本音なのだ」
「勿論です、陛下。フォーアツァイトとプラトークの方々もそれで宜しいので?」
一応、気を遣っての確認らしい。
「はい。フォーアツァイトとしては既に決まっております」
フランツも今日はしっかりと責任者の顔つきになっていた。
彼は胸ポケットに入れた小さなメモの紙切れを気にしてしまわないように、と必死に前を見つめている。
「我々も既に準備は出来ております、陛下」
プラトークを代表して、私はそう返した。
「フフフ…今日はニコライもいるじゃないか。いや、未来の皇帝陛下…とでも言うべきかな?」
「ええ、前回はご挨拶出来ず申し訳ありません。良ければこの後ゆっくりお話ししたいところですね」
「そうだな、ゆっくりとな。──本当に良いのか?」
彼女は私がこの様な発言をした事に少し驚いたらしい。
ピクリと少し片眉を上げた。
「勿論ですとも。ヴィクトリア陛下、構いませんか?」
「そういう事なら構いませんよ」
ヴィクトリア女王の許可もこうして無事得た。
「それは良かった。では、そろそろ本題に入りませんか?」
「そうだな。で、一番手は誰だ?」
皆きょろきょろと同じ様に周囲を見渡す。
そう言えば、順番までは決めていなかった。
「ではホストとして、我が国から討伐大同盟への参加の是非についてお答え申し上げたいと思います」
ヴィクトリア女王は意を決した様に一歩前に出ると、心なしか胸を張る。
エリザベス女王に立ち向かう健気な少女の図…
「──先日陛下からご提示頂いた利益の他、事が済んだ後に我が国の海軍再建にメーヴェにも出来る限り協力して頂く事…それが参加の条件です」
「“出来る限り”ねえ…そうきたか…」
女王は酸っぱいものでも食べた様な顔をする。
“出来る限り”ではどの様にでも解釈出来てしまう。
それが気掛かりで頷く訳にもいかぬのだろう。
「失礼、もっと具体的に言いますと…我が国の海軍が以前まで揃えていたのと同数の船を用意し終わるまで技術的援助と必要な鉄と希少金属のほぼ原価での買い取りです」
要は、この期にメーヴェの最新の技術を盗んでおニューの艦隊を作りたいという事だ。
“技術的援助”に関してはもう既にある程度メーヴェがヴァルトにしてきた事だし、“鉄と希少金属の原価での買い取り”というのは、本来儲けられたはずの利益はフッ飛ぶが少なくとも赤字にはならない。
どちらも実際には大きな要求だが、額面上は大した事ない様に見えるようになっていて、メーヴェ側が受け入れやすいようによく考えられている。
成る程、上手いものだ…
「その内容ならウチの頑固宰相も首を縦に振るだろうさ…良いだろう、まだ決定ではないがほぼほぼその条件で良い。契約成立だな。勿論残存艦は全て提供してくれるのだろう?」
「はい。友好国たるメーヴェのためなら、我々も全力でいきますとも」
などと白々しい事を彼女は言う。
メーヴェとヴァルトの契約内容はヴァルト海軍が元の規模に戻るまでのものである。
それまでの間、ヴァルトは最新鋭の軍艦をほぼタダ同然で建造出来る。
つまり、軍艦が沈めば沈む程おトクなのである。
だからヴァルトが軍艦を全て貸してくれるとしてもメーヴェとしては有り難迷惑の極みであろう。
「では商船も勿論貸してくれるよな?」
「何の事でしょう」
「惚けるな。私はかなり譲歩してやったぞ…それぐらい良いだろう?」
ムムッと女王が不機嫌な顔になると、もう一人の女王の顔色がそれに応じて悪くなる。
「…分かりました、民間にも協力を要請しておきます。少なくとも文句を言われない程度には揃えておきましょう…」
「そうしてくれ」
ニンマリと笑みを浮かべて、女王はそう言うと、今度は隣のフランツに目を向ける。
「じゃあ次は貴殿からお聞かせ願おうか。フォーアツァイトはどうなのだ?」
フランツはふぅっと小さく息を吐くと、短く述べた。
「参加させて頂きます。我々から追加の要求はありません」
「──ほう…」
女王は嘆息して、身を乗り出す。
「どうした?私の記憶が正しければ…フォーアツァイトはこの様な慎ましい連中ではなかったはずなのだが…おかしいな。それとも君が例外なのか?」
「本国からも既に許しを得ています。これは我が国の総意です」
「ふむ…」
うま過ぎる話に納得がいかない様で、彼女は暫く悩む様子だった。
…が、直ぐに笑顔になる。
「良いだろう、それで。じゃあ後はどれくらい貸してくれるか、だが…」
「残存艦の半分程になるでしょう。ただし小型艦だけです。先の戦闘で我々は主力艦を失い過ぎました。これ以上失う訳にはいかないのです」
「そうか、ではその様に」
実は、フォーアツァイトが何も要求しなかったのは我々との事前の協議の結果だった。
エリザベス女王に対するフォーアツァイトの要求は全て私の口から申し出る事になっているのだ。
何故なら、彼等の最も欲しいメーヴェからの報酬とはメーヴェが仲間に入る事に他ならないから。
この点では我々と同じであると言える。
そうして次は我々の番だ。
正確には私の番だろうが。
「次は我が国から。結論から先に申し上げましょう、我々は討伐大同盟に是非とも参加させて頂きたく存じます。更に、我々からメーヴェへの要求は何もありません」
「プラトークまでもか…何だどうした?新興宗教でも流行っているのか?“今までの強欲を悔い改める教”とか?」
先程のフォーアツァイトで少し慣れてしまったのか、然程驚いた様子は見せない。
しかし見えないだけで心中では随分と混乱している事であろう。
この女王は決して馬鹿ではないのだが、少し考えが極端だったり足りなかったりする。
基本的にこうと決めたら突っ走るタイプだ。
猪突猛進と言うか、婆突猛進と言うか…
故に思い切りだけは良いのが彼女の特徴なのだが、そんな彼女でさえ先程からのフォーアツァイトとプラトークの態度に何やら煮え切らない顔だ。
当然ながら、違和感を感じているのだろう。
そこに私がこう言ってやれば完璧だ。
「プラトークからメーヴェへの要望はありませんが…そうだ、思い出した。個人的に陛下にお頼み申し上げたい事があったのでした。ほら、丁度私とルイーゼ皇女が婚約したばかりでしょう?その件に関する事なのですが…まあプライベートな事なので後で二人だけの時にでも」
フォーアツァイトとプラトークが揃って同じ様に追加の要求をせず、更にその後に私がルイーゼとの婚約を強調する…
そして“個人的なお願い”があると言う…
ここまでされれば誰だって気付く。
フォーアツァイトとプラトークが裏で一緒になって何かを企んでいる事は。
エリザベス女王は勿論ながら、ヴィクトリア女王も気付いてしまったらしく、少し表情を強張らせてこちらを見つめてくる。
本来ならこの様にヴァルトに少しでも疑われる行為は慎まねばならないのだが…これも敢えてやっている事だ。
利益も無しにこの様な危険な真似が出来るはずもなし。
敢えてヴィクトリア女王にも勘付かれるようにしたのには勿論理由があって、「ヴァルトには内緒でメーヴェにも仲間になってもらいたいんだけど」…などとフォーアツァイトにも相談してみれば、「ヴァルトにもバラしちゃえ☆」…とフォーアツァイトからお茶目なお返事がきたからだった。
実はフォーアツァイトがこの様な事を言ってきたのは、ヴァルトが自動的に簡単にオチてくれるちょろイン的ポジションだからである。
ヴァルト王国という国は国土の大半を森林に覆われた国であり、国土はそこそこの広さがあるが大半が人の住むに適さぬ森林地帯である。
密林とまではいかぬものの、人の進出を古来から阻んできた。
それを受けてヴァルト王国の主要都市は沿岸部に集中し、人口の大半もそこに集う。
自国の産業は然程発展しておらず、商業で国を維持している。
…何処かで聞いた様な状況である。
寒冷な気候が祟って人口が沿岸部に集中し、貿易でその日の糧を何とか得ている何処ぞの帝国と似ているなぁ、と思わぬでもない。
まあ…ヴァルトの方がよっぽど発展しているが…
隣国にして最大の敵国たるフォーアツァイトとの間には大森林地帯があり、自然の要塞を利用すれば何とか追い払う事は可能。
少なくとも今まではそれで乗り切ってきた。
そんなヴァルトにとって、実は本当に敵に回してはいけない国とはメーヴェであった。
理由はプラトークと同じ。メーヴェと敵対すれば沿岸部の主要都市が全て壊滅するからである。
それでヴァルトはエリザベス女王とヴィクトリア女王の関係から見て取れる様に、古くからメーヴェとの親和政策を採っている。
メーヴェにぺこぺこと頭を下げ、メーヴェの力を借りて海軍を増強し…と泣ける様な苦労を重ねてきたのだ。
しかしそこには少し問題がある。
それは、ヴァルトとメーヴェの関係が本質的には“敵の敵は味方”といった関係であるという事。
この二国はどちらも本当はツァーレでの貿易を独占したいと思っているし、メーヴェにとってはやろうと思えば可能な話である。
両国はフォーアツァイトの敵という立場で繋がっているだけであって、フォーアツァイトがいなければいがみ合っていても不思議でない。
フォーアツァイトという共通の敵を前に、仲の良いフリをしてきたのが実際のところであった。
それでもそんな関係が今まできちんと続いてきたのには理由があって、一つにはフォーアツァイトが常に他国と仲が悪かった事、二つ目に偽の関係でも数世代もの長きに及び続けていればそれらしいものになってくるという事であった。
しかし今、その関係が崩れようとしている。
ヴァルトと同様、メーヴェと“友好的”な関係を築いているプラトークという国が宿敵フォーアツァイトと手を結んだ(可能性がある)。
そしてプラトークはフォーアツァイトとメーヴェをくっ付けようと企んでいる(疑いがある)。
もしそれが事実ならヴァルトにとっては国の将来に関わる一大事。
看過ごす訳にはいかないはずだ。
──もっと正確には…メーヴェがこちら側に付いたら、ヴァルトもこちらに協力せざるを得なくなる。
その事を知っているからこそフォーアツァイトはヴァルトの女王たるヴィクトリア女王もこちら側に引き込もうとしているのだ。
メーヴェだけでなく、メーヴェとヴァルトの二国を仲間に入れようというのである。
「その個人的なお願いというのはですね、別に大した事ではありません。私とルイーゼの新婚旅行の際にお船でも女王に貸してもらおうと、ただそれだけの事です」
「ほう、何処に行くのだ?」
「いえ、少し…連邦にでも観光に行こうかと」
ここまで言って、ヴィクトリア女王は驚愕の目でこちらを穴の開く程ジッと見つめてくる。
エリザベス女王も察した様だ。
「それは…お船はお船でも上に物騒な大砲をいくつも載っけたお船では?フォーアツァイトも協力して、さぞ豪華な新婚旅行になるのだろうな。羨ましい事に、な」
「かもしれませんね。でも、ここで陛下に協力してもらう約束を取り付けないと…新婚旅行どころではなくなるかもしれません」
「だろうな。お家ででっかいキャンプファイヤーでもして旅行気分を味わう事になるやもな」
「…という訳でして、我々は何としてでも陛下に協力してもらわねばなりません。話し合いましょう」
微笑む自分の顔は、周りから見ればさぞや邪悪に感じられただろう。