XCI.キーパーソン。
「助かった…本当に助かった…あとごめんなさい許して下さいお願いしますエトセトラエトセトラ」
結局、件の火事のせいでその後も何やらかんやらで有耶無耶になり…現在午後十時。
こうして私はルイーゼにベッドの上で土下座をしている訳である。
流石に立場上本格的な土下座は不味いのでベッドの上でのソフト土下座。
その前に置いてある椅子に腰掛けているのはお冠な様子の我が愛しの婚約者(本命)である。
そして私の隣でベッドの縁に腰掛けてニコニコしているのが我が妹。
いや、非公式ながら婚約者(仮)とでも呼ぶべきなのかもしれない。
婚約者(笑)は後ろから私のプリティーなお尻を笑いながら指差しているし、ソフィア医師は何とも言えぬ微妙な表情──正確に言えば、困惑の混じった苦笑い──で立っているし、エレーナ副メイド長及びアリサのメイド二人は部屋の端っこでジッと静観している。
要は、いつものメンバー勢揃いである。
本当はヴァルト側が一人一部屋きちんと用意してくれていたのに、ナーシャが突撃してきたのを契機にソフィア医師、ルイーゼ、ナディア、アリサ…と芋づる式にこのレディー達は自室を放棄してこちらに侵入してきたのだ。
ゲルマン人のドナウ川越えの方がまだお行儀良く見えるくらいにズカズカと。
ルイーゼと正式に婚約し、これでやっと堂々とイチャイチャ出来る!…という事で本当はルイーゼに今日の事を謝ってその後あわよくばムフフ…という計画を立てていたのだが、やはりそう簡単にはいかんらしい。
当初の予定から大きく外れたが、取り敢えず謝るだけ謝っている。
「いえいえ、気にしないで下さい。ちょっと面倒事を押し付けられたくらいで怒ったりしませんよ〜エリザベス女王と沢山お話出来て大変有意義でした。ええ、それはそれは有意義な時間を過ごせましたとも」
…と、ルイーゼは満面の笑みを浮かべて応える。
これは…凄く怒っているな…
とんでもなく怒っているな…
ウルトラ超々怒っているな…
彼女の言葉を意訳するならば「よくも押し付けてくれおったなぁ…ワレェ、覚悟出来とんか?えっ?兄ちゃんチンタマ付いとんのか、え?どうなんや?おかげさまでこっちは大変な目ェ遭ったやろが!どないしてこの借りィ返してくれるっちゅうんやゴラァ!」…といった感じである。
ルイーゼは正真正銘のお嬢様兼お姫様であるからその様な汚い言葉は使わないし、露骨に怒りを見せる様な事もしないが、この笑顔の裏に怒りの炎をメラメラと燃やしている事は疑い様が無い。
しかしこの怒りも当然と言えば当然。
ある日いきなり会社の同僚に面倒な仕事──取引先の接待とか──を押し付けられれば誰だって怒りを覚える。
その仕事が超絶厄介であったなら尚更だ。
あの後何やかんやあった訳だが、その“何やかんや”がまた面倒臭いものだったり…
「いや、ホンットウにすまなかった…!この通り!」
土下座大盤振る舞い。
次期皇帝の威厳や面子は何処へやら…
「本当に反省してます?いえ、何も私は仕事を押し付けられた事だけを怒っている訳ではないんですよ?国の大事をそうやって平気で赤の他人に丸投げ出来るその図太い神経をですね、これからのプラトークの事を慮るからこそ注意しているんです。他にやり様があったはずでしょう?まだ皇太子なのにこの様子じゃ先が思いやられますよ…代わりにどうすれば良いか解ります?」
「えー…自分の仕事は自分でやる…?」
「違います…私が言っているのはそういう事ではなく…はあ…別に“他人に任せるな”と言っているのではなく“任せるならば人選は適切に”、と言っているんです。勿論自分でやるに越した事はありませんが、他人に任せた方が良い場合もあるでしょう。そういう場合、よく考えて任せる人間を選んで下さい。手近な所にいる私とかではなく、その道に卓越した人材に!一国の頂点に立つからにはそれぐらいちゃんとして下さい」
この尤もな説教…まるでオカンである…
「いやでもしかし…ルイーゼに任せたのは間違いではなかっただろう?君は非常に優秀だ。今回もきちんと任せた事を務め上げてくれたではないか」
少なくとも、私が自分でやるよりは立派なものだった。
そういう意味では正解だった。
「それは、結果的にでしょう?もし私がとんでもない悪女で、プラトークに不利益を生じさせたらどうします?まだ私はニコライさんと婚約しただけであって、具体的にプラトークと何か関わりがある訳ではないのですよ?ぶっちゃけて言えば他国の人間です。赤の他人ですよ?そんな人間に任せる事自体がダメなんです!私だったから良かったものの、そうでなかったら大変な事になっていたかもしれませんよ?」
「反省してます…」
「いえ、してませんね!絶対してません。ちゃんと理解出来るまでいくらでも説教してやりましょうとも!」
ひええ…
こうして、この後も数十分にも及ぶ長い長いお説教が続き…
…
短針が十一を示す頃には、私は大人しく妹とナディアの玩具になっていた。
どんなにつつかれようがくっ付かれようが文句も言わず。
家族サービス(?)というヤツだ。
「…で、結局どうするのですか?参加するのですか?」
ナーシャの質問である。
「何が?」
「“何が”って…メーヴェの件ですよ」
「ああ、あれか…まあ、本当に勝てて、尚且つ高度な軍事技術まで手に入るならば悪い話ではないな。こちらの参加によってどれくらいの被害が想定されるのか…それにもよるので何とも言えないが…」
普通、軍事行動というものには事前の作戦立案や諸々の準備が必要である。
これこれこれだけの武器弾薬が必要で、これくらいの人員を動員する必要があって、そのうち何パーセントから何パーセントまでの損耗が予想されて…といった具合だ。
実は、軍事行動を起こす前にある程度の事は予想がついているものなのである。
しかし今回の件ではそれが無い。
全くもって全てが未知である。
被害がゼロか百か、では困る。それが分からないのでは全滅を前提とするしかないのである。
「作戦従事艦全てが沈むと仮定して算盤を弾いた方が良いな…小型艦だけに限定するか?」
「小型艦だけしか提供しない、というのは如何なものでしょう…参加するなら、せめてここにいる分だけでも動かさないと後で面倒ですよ」
「そうか…南部艦隊の大半を参加させる事になりそうか…」
ここにいるのは南部艦隊全四個艦隊のうちの三個増強艦隊、五十隻である。
南部艦隊全六十四隻のうちの選りすぐりの五十隻とくれば、これはもう殆どプラトークの海上戦力のほぼ半分と言っても良い。
勿論、この「南部艦隊全六十四隻」というのは形式上の話であって、実際にはもう少し多いのだが、それも誤差の範疇である。
貧相な我がプラトークの海軍でも半分も掻き集めれば──小型艦も含めれば、だが──五十隻ぐらいにはなる。
たかが五十隻、されど五十隻である。
プラトークにとってもメーヴェにとっても価値ある五十隻だ。
連邦侵攻に於ける海軍の位置付けは精々助攻が良いところであり、然程惜しくもない戦力ではある。
しかし…
うーむ…
あの後、有益な技術が手に入りそうにない時は代わりに金銭をメーヴェから頂戴する、という約束を取りつける事が出来たので少なくとも赤字にはならないのだが…
「問題は、あの光学兵器や飛行能力を実現出来る技術が手に入ったとしてもそれが数年後の話になる、という事だな…とてもではないが連邦侵攻には間に合わない」
「やはり現状ではメーヴェは敵側に回る可能性が高いかと思われます。良くて中立でしょう。それを考慮すれば、ここで勝手に戦って、勝手に全滅してくれた方が我々にとっても都合が良い。放置しておくのも手ではあります」
メーヴェは連邦と同盟を結んでいる。
連邦と敵対すれば、自動的にメーヴェも敵になってしまう。
その際、メーヴェの海軍が脅威になる事は確実。
…ならば、ここで勝手に自滅してもらえた方が都合が良いから放って置け、というのがナーシャの主張である。
「しかし、もし本当に例の敵から有用な情報が得られる場合…この機を逃す訳にもいかぬ。未来の帝国の繁栄には必須だ」
ここが難しいところだ。
余りにも餌が魅力的過ぎて、無視しようにも無視出来ないのだ。
本当ならばプイッとそっぽ向けば良いものを…
「私に少し考えがあるのですが…」
“少し”どころではないだろう。
そうおずおずと申し出るルイーゼの瞳には決意の色が混じっていた。
「何だ?」
「──金銭的な報酬の代わりに、メーヴェと同盟を結ぶのは如何でしょう?」
「メーヴェと…同盟…?」
「ええ。勿論フォーアツァイトとの場合と同様に世間には公表しない秘密同盟ですが。もし相手が乗ってきたら、我々は強力な海上戦力を味方に出来ます。一考の価値はあるかと。一方で、メーヴェに計画を暴露されて全てが水の泡…という可能性もありますが。秘密を共有する者は少なければ少ない程良い、というのは常に真理ですから」
「メーヴェの海軍は敵に回れば脅威である一方、確かに味方になればこれ以上無い程に頼もしいな…だが、どうだろうか?メーヴェがこちら側に味方する確証が無い。もし連邦侵攻計画案をメーヴェに暴露されたら我々はそこでチェックメイトだ。リスクを考えると──」
「──それは勿論理解した上でこう申し上げているのです。もしもメーヴェを敵に回せば、例え連邦に勝利したとしてもプラトークの主要都市は全て壊滅します。それでは代償が大き過ぎるとは思いませんか?…計画の確実な実行のためにはここでリスクを冒すのは避けるべきなのでしょう、しかしそれで軍事的に勝利出来たとして、プラトークは何を得るのですか?」
「焼け野原と化した沿岸部と、連邦の北半分だ…」
「利益としてそれは見合うのですか?恐らくそうではないでしょう?もしも私がただのフォーアツァイト人だったなら確実な計画の実行を優先し、この様な事は申さなかったでしょう。しかし今では私はそうではない…今や、あなたと共にプラトークの未来を憂うべき存在です。だからこそ──プラトークを慮るからこその提案です。どうかお考え下さい」
元々、この戦争は連邦の豊かな土地を得るため、更なるプラトークの発展のための戦争である。
その大前提からすれば、確かに彼女の言う通り。
大正論である事は間違いない。
「君の言う事は正しい。私もメーヴェと組めるのならそうしたいさ。だが、メーヴェにとって連邦を裏切ってこちら側に付く事に何の利点があるのだ?連邦を裏切るに足る明確な理由が無ければ…」
今回の件に協力するだけではその理由として弱過ぎる。
それだけでは…
「それについてですが、私に考えがあります。最も手っ取り早く、最も情報漏洩のリスクが低い方法に一つ思い当たるものが」
「それは…何だ?」
「女王です。女王がメーヴェをこちらに引き入れる最大の鍵になります」