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LXXXI.Mr.Smith means business!

※注釈

・貿易差額主義

超簡単に言えば、出来る限り輸出を増やして輸入を減らし、貿易黒字を目指そう!というもの。

アダム=スミスに批判されたって事は正しいって事だね!

昔のイギリスでは流行ったけど、メーヴェでは流行らなかったらしい。

詳しくは高校世界史の教科書を参照のこと。

…何?高校世界史の教科書が無い?!

それはね、君が坊や(あるいはおっさん)(あるいは日本史選択者)だからさ…


・重商主義

貿易差額主義の過激バージョン。

「メーヴェでもう一度艦長に…とはどういう事でしょうか?」


 オガナは表情を変えないように努めながら、出来るだけ落ち着いた風に聞こえる様に尋ねた。


「そのままの意味ですよ、オガナさん。今日あなたにここにお越し願ったのはメーヴェの王立海軍で艦長職…否、艦隊指揮官をしないかとオファーをさせて頂くためです」


「おやおや?おかしいな。失礼ながら…確かスミスさんは一介のセールスマンに過ぎなかったはずですが?私の記憶違いでしょうか?何故あなたがその様な事を?それとも本当はメーヴェ王立海軍の関係者か何かなのですか?」


「それに関しては私からは何とも言えませんね…明言は避けさせて頂きましょう」


 つまり、これはメーヴェ政府からの公式なオファーではない、と。

 公式なものならば隠す必要性は無いのだから。


 非公式のオファー…それも軍艦の艦長?

 そして終いには艦隊指揮官などと言い出す始末。


 きな臭い…


 これだけのオファーをされても何も感じずに喜ぶ輩がいたとすれば、そいつはとんでもない鈍感ニブチン野郎である。

 冷静に考えてみれば誰にだってこのオファーの怪しさが分かる。


 取り敢えず、このオファーが詐欺の類ではなく本当にメーヴェの誰かしらお偉いさんからの非公式ルートを通じたお誘いである、と仮定した上でこのオファーについて考えてみよう。

 このオファーにはいくつか問題がある。


 まず第一に、現在のオガナの評判の悪さ。

 事実は兎も角、世間一般での彼に対する評価は()()()()()()()()()()()()であり、メーヴェに伝わった情報もこれと同じものであるはず。

 ならば彼等がオガナを評価などするはずがない。

 この様なオファーをしようと思えるはずがないのである。


 二つ目に、彼が元ヴァルト王国海軍所属であったという事。

 彼は元々ヴァルト王国海軍の軍人であり、戦術次元での多くの画期的な発案をした人間である。

 つまり、現在のヴァルト王国海軍は少なからずオガナ色に染まってしまっている。

 王国海軍はツァーレ海の件では止むなく彼を切り捨てはしたが、一生生きていくに困らぬだけの金銭をその際にこっそり渡してきたし、完全には縁が切れてしまわないように連絡手段やその他諸々の処置を施してきている。

 彼には少なくともそれぐらいの価値は未だにあるのだ。

 その様な人間が他国に流れればヴァルト王国海軍の機密が漏れる可能性が高いし、ただでさえ強いメーヴェを更に過剰に強化してしまう。(実際に彼等はそれを望んでいるのかもしれないが)


 これは一見メーヴェにとって有益な事である様にも思えるかもしれない。

 事実、短期的に見れば彼を取り込む事はメーヴェの軍事面での増強に繋がるし、良案だと言えるだろう。

 しかしそれは近視眼的なものに過ぎない。

 長期的に見ればそれは利益どころか不利益だらけである。


 彼を誘致する事はそのまま“ヴァルト王国海軍の大半の機密を得る”という事に等しいから、当然ながらヴァルト王国側からの反感買う。

 更に彼は国民からも嫌われ者だから、その彼に味方するとなれば最悪メーヴェまでその国民感情──大抵の場合に於いて大衆というのは非合理的なものであり、羊の群れにも似たものである──の矛先を向けられかねない。

 要は、ヴァルト王国を敵に回してしまうのだ。


 直ちに戦争に発展する様な事もないし、「遺憾の意」とか言われて終いである。

 きっと時が過ぎれば皆忘れる様な事だ。

 しかしそれがかなり問題なのだ。


 もしこれが好かれようが嫌われようがどうでも良い様な国ならば何も問題無かっただろう。

 嫌われちゃった、で済む。

 しかしヴァルト王国という国はメーヴェにとってどうでも良い国などではなく、それどころか無くてはならない存在なのである。


 メーヴェは様々な国々と交易を行っているが、その殆どは利益を得るためのものではなく純粋に食料輸入のためのものだ。

 貿易差額主義者や重商主義者が見れば喚き始めそうなくらい、何から何まで輸入に頼っている。

 昔はちゃんと自給自足出来ていたが、次第にプラトークなどの他国から輸入した方が安く済むようになっていき、農民は都市で労働者として働かせれば何とか食わせていける、という事で今では食料自給率はとんでもなく低い。

 メーヴェの第一次産業は壊滅状態なのだ。


 そしてその輸入状況はと言うと、例えばメーヴェ〜プラトーク間ならば小麦。

 メーヴェ国内の小麦需要の約九割をプラトークからの輸入に頼っている。


 メーヴェ〜連邦間ならば肉類である。

 肉類に関してはほぼ百パーセント。


 そんなメーヴェにとって、純粋に利益を得るための貿易とは何処とのものかというと、植民地との貿易、そしてそれと並んでヴァルト王国との貿易なのである。


 メーヴェの貿易品目の大半は豊富な植民地からせしめた嗜好品の類──煙草、珈琲豆、紅茶等々──である。

 しかしいつも食料を輸入している貿易相手国のプラトークや連邦はそれを殆ど買ってくれない。

 プラトークはそもそもその様な嗜好品を大量に仕入れる程の需要が国内に無い(要は民が貧しい)し、連邦は自前の植民地からそれらを調達してくるのでわざわざメーヴェから買ってはくれない。

 そのほかの国々も大体似た様なものである。


 では、何処ならばそれを買ってくれるのだろうか?

 豊かだが、植民地は持たぬ国…


 そうしてメーヴェのお眼鏡に適ったのがヴァルト王国だった。

 ヴァルト王国は(東部は兎も角として)西部の沿岸一帯は非常に豊かだし、それでいて国内にフロンティア(大森林)を擁しているものだからそっちで手一杯で植民地を持っていない。

 更に地理的にも目と鼻の先で近いし、ヴァルト王国の主要都市はどれも西部沿岸一帯に広がっているので輸送面でも問題無い。

 まさに理想のお客様なのである。


 結果的に、メーヴェは貿易による収益の半分近くをヴァルト王国に依存していた。

 勿論植民地からの利益も多少はあるが、それでもやはりヴァルト王国の存在は大きい。


 そのお得意様を怒らせる…これが如何にメーヴェにとって不利益となるかお分かり頂けただろうか?

 この不利益と比べれば、オガナをメーヴェ王立海軍に入れる事による利益など微々たるものだ。

 正直、割に合わない。


 三つ目に、軍という組織の性質。

 軍という組織は究極の年功序列型組織である。

 よく日本企業を年功序列型などと言ったものだが、あれは別に特別なものでも何でもなく、軍組織のシステムをそのまま企業にも適用しているだけに過ぎない。

 現代の外資系企業ならば優秀と認められたならば数年で上へ上へと昇進していく事が出来るが、軍ではそうはいかない。


 どんなに優秀な若者でも、先ずは尉官からのスタート。

 そこから先の道はまた険しい。

 ちょっとやそっと優秀なぐらいでは昇進出来ない。


 所謂“二階級特進”が二階級で済むのは、それだけ昇進する事が難しいからである。

 年功序列型の企業を想像して欲しいが、上にはおっさん共が踏ん反り返っているから若者のためのポストなど余ってはいない。

 死人ならばいくらでもポストを用意してやれる、それ故の二階級特進だ。


 しかしこれは仕方のない事だ。

 元々軍隊というのは戦うために存在する組織。

 ある程度戦闘によって人材が消耗され、一兵卒から高級士官に到るまで皆失われる事を前提として存在するのだから。

 重要な人材だろうが失われ、常に新しい人間が入ってくる…そういう環境を想定して生み出された暴力機関、それこそが軍隊である。

 故に平時に於いて人材の循環が滞ってしまうのは仕方がないのだ。


 この状況を打破しようと思うならばそれこそ戦争でもするしかない。

 そうすれば今までの糞詰まりが馬鹿らしく思えてくる程に簡単に昇進出来よう。

 上官が死ねば勝手にその下の階級の人間が繰り上がるし、恐ろしい勢いで大量の人間が脱落し、大量の人間が入ってくるだろう。

 戦争こそが軍隊にとっては血液の循環を促す心臓である。


 実際、ヴァルト王国海軍では先の作戦によって大量にお偉いさんが戦死したおかげで上層部が刷新され、若々しさに満ち溢れた組織に生まれ変わったらしい。

 老害を駆逐するものは死の洗礼の他に無い、という事だ。


 ちなみに、オガナはヴァルト王国海軍で異例の若さで昇進を続け艦隊の指揮を任されるまでの地位に就いていたが、それは特殊な例であって、それを当たり前だと思ってはいけない。

 それ程までに彼が優秀であり、誰もが認めていたという事と、ヴァルト王国海軍の気質の面が大きい。

 軍としては比較的ゆる〜いヴァルト王国海軍ならではの事である。


 そうした事を踏まえて、本件について考えてみる。

 メーヴェ王立海軍の連中からすれば、オガナは“元他国の軍人で厄介な貧乏神、そのクセ一足跳びで艦隊司令官の地位に就いた碌でもない輩”である。

 少なくとも、海軍関係者ならばこの様な事は絶対に認めない。

 確かにツァーレ海に出没した謎の敵は脅威だが、だからと言ってプライド高い彼等がこの様な事を許すとは思えないのだ。


 挙げようと思えば他にもいくらでもあるが、長くなるのでこれくらいにしておこう。


 以上の理由から、オガナは警戒して止まないのである。


 しかし一方で、オガナはこの様なオファーをしてきても不思議でない人物に一人だけ心当たりがあった。

 二つ目の理由から、メーヴェの政府からのオファーとは考えにくい。

 三つ目の理由から、軍からのオファーとは考えにくい。


 では、誰か。

 政府の人間でも軍の人間でもなく、それでいて彼を重要なポストに無理矢理据え付けられる様な人間とは。

 それだけの権力を握っておきながら、ド近眼で目の前の事しか考えられない様な阿呆は。


「そちらも苦労している、という事ですか…女王陛下の我儘にも困ったものですな」


 スミスが一瞬身じろぎする。

 ほんの一瞬の出来事だったが、確かに。


 図星か…とオガナは確信する。


 メーヴェの政治形態は立憲王政であり、現在は女王──その美貌から…と言うよりは、ヤケに政治に介入してくる事で有名である──を戴く。

 憲法の上では女王には政治的実権は殆ど無いはずなのだが、今の女王は困った事に政治家ごっこがお好きらしい。

 オガナへのオファーもその一環であろう。


 そういう事ならばこの不可解な事も全て合点が行く。

 馬鹿げた勧誘だと思ったら、本当に馬鹿からの勧誘だった、という訳である。


「具体的に誰とは私の方からは申せませんが、()()()()()がオガナさんを求めておいでです。我々と共に海の秩序を再び取り戻そうではありませんか。如何でしょう?」


「スミスさん、少し個人的にあなたに質問したい事があるのですが宜しいですか?」


「ええ、構いませんとも」


「あなた個人としてはどう思っておいでですか?このオファーであなたの祖国に不利益が生じる可能性もあるのですよ?」


 彼は一瞬だけ考え、言葉を紡ぐ。


「私はそれでもあなたを祖国にお連れすべきだと考えております。将来的な懸念はありますが、そうも言ってられない状況なのです。ツァーレ海にヤツが居座っているせいで輸送船は足止めを食らい、既に少なくない損害を生んでいます。このまま放置しておけば当然ながら被害は拡大します。ならばあなたを招く事だって間違っていないのではないでしょうか。私はそう思っています」


「そういう事ならば…その話、良いでしょう。メーヴェだろうが何処だろうが行ってやりましょう」

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