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LXXX.ウィード紡績社の営業課は黒い噂が絶えない。

「さあ、元艦長。着きましたよ、ここが目的地です」


 ローザに連れられて歩く事十数分。

 我々はとあるホテルに辿り着く。


「やっとか…ニートには少しばかりキツいな、この距離は。で、目的地ってのはこのホテルか?」


「ええ、このホテルです」


 城の様な独特な外観。

 入り口の横に貼られた「会員登録キャンペーン実施中!会員登録するだけで今なら何と、二時間分無料!!」という黒とピンクと赤のケバケバしいポスター。

 ピンク色の大きな字で「ホテル トップオブザワールド」とかデデデンと書かれた看板。

 料金表には二時間単位での料金が大きく書かれており、まるで宿泊しない事が前提であるかの様な…

 そしてドリンクバー…?そうかそうか…


「モテる男は困るなぁ、全く…ローザ、勘弁してくれよ…ゴリラで我慢しておけって。こういうラブリーないやらしいホテルには私ではなく他のオスと行ってくれ」


「そういう事は鏡で自分の顔を見てから言って頂けますかね?ほら、行きますよ」


 彼女は彼の手をぐいぐいと引っ張って中へと入って行く。


「ああっ、入ってしまった…!よりにもよってローザと!私の童貞はここで儚くも散らされてしまうのか…」


「安心して下さい、恐らく元艦長のイチモツは今日も明日も明後日も未使用品のままでしょうよ」


 彼女が受付に座る老婆の方へとつかつかと歩み寄ると、気安く話し掛けてくる。


「へい、そこのラブラブカップルさん!ようこそ性なる男女の楽園へ!どの部屋にする?今なら六番の“じゃぶじゃぶ♡ジャグジールーム”がおススメですぞ?」


「いえ、十四番で」


 ローザはさらりと慣れた様子でそう答える。


「十四かい…?ふむ…“ヒ・ミ・ツの地下室”はもうお客さんが入っているねぇ。他のにしてくれんかね?」


「そんな事よりもお腹が空いた。スパゲッティが食べたいわ」


 …などと彼女は突然述べる。


「何を突拍子も無い事を──」


 オガナがすかさずツッコミを入れるが、それは老婆によって遮られる。


「へいよ、十四番の鍵だよ」


「え?!」


 老婆がぽいっと鍵を投げ、ローザがそれを片手でキャッチする。

 チャリンと小気味良い音がする。


「じゃ、行きますよ」


「お、おい!何故十四番の鍵をもらえたんだ?もう先客がいるんだろう?」


「その()()こそがこれから会う人物です。ホテル トップオブザワールドの十四番の部屋を選び、“スパゲッティが食べたい”と言うように事前にあちらから通達がありまして」


 合言葉、か…


 予想外に慎重な元部下の様子に、オガナは警戒感を滲ませる。


「安心して下さい。念のためです、念のため。犯罪に巻き込まれる訳でもなければ、これから何かが起こる訳でもありません。ただ、あちらから秋波を送られるだけですよ」


「どうだかなぁ…秋波に釣られてひょいひょいと付いて行き、美人局にでも引っ掛かる羽目にならなければ良いが…まあ、今は君を信じるしかないな」


 彼はもう観念して、絨毯でふかふかの階段を上っていく。

 階段の踊り場の空気は少し埃っぽかった。


「で、十四番の部屋は何階だ?」


「えーと、2Fですね」


 この2F(セカンドフロア)というのは、二階ではなく三階を指す。

 セカンドならば二階ではないのか、と思ってしまうが、この国では一階を0、二階を1として数えるのだ。

 要は、一階をグラウンドフロアと呼ぶ英国と同じである。


「一番が2Fで、二番が0F、三番が1F、十四番は2F…部屋の順番がバラバラだなぁ、ややこしい…そう言えば、十四番は“ヒ・ミ・ツの地下室”とかいう名前だったよな?全然地下でも何でもないじゃないか」


「まあ、色々事情があるんだと思いますよ」


「地下を名乗るからには、せめて0Fにでもすりゃあ良いのに…敢えて2Fなんだもんなぁ…」


「ちょっとしたギャグのつもりなのかもしれませんよ」


「笑えないな」


 そんな事を話しているうちに、二人は目的の部屋の前に辿り着く。


「失礼します、開けますよー…?」


 コンコンコン、と三回ノックをした後、彼女は鍵をガチャガチャと鍵穴に突っ込む。

 カチンッと聴き慣れた音がして、彼女はゆっくりとドアを開く。

 ぎいぃ…と不気味な悲鳴の様な音をBGMに、真っ暗な闇がその先には待ち構えていた。


「──誰かな?」


 奥から声が飛んでくる。

 低い、男の声だ。


 暗くて見えないが、声から、年齢は中高年くらいだと思われた。


「ローザ・アイスラーです。お約束の通り、例の御仁を連れてきました」


「君が本物のローザ・アイスラーだと証明するものは?」


「ありません。しかし、強いて言うなら()()()()()()()()()()()であるという事でしょうか」


 彼女がそう言うや否や、バサリと布のはためく音がして、急に明るくなる。

 カーテンか何かを開けたらしい。


 窓があるなんて…地下室でも何でもなければ、そもそも地下室チックな雰囲気を出そうという努力すらも感じられない。


 暗かった部屋の中に日光が射し込み、部屋の様子が見える様になる。

 この部屋のど真ん中には大きなベッドが置かれており、周囲には鉄格子(多分、飾りだろう)とか拷問器具的何か(多分、飾りだろう)が置かれている。


 そして最奥には一人の初老の男性がぴっちりとしたスーツ姿で立っていた。

 立派なヒゲに、銀縁のモノクル。

 こんな場所には似合わぬジェントルマンである。


 紳士か…

 はたまた変態紳士か…


「疑ってすみませんね、アイスラー女史。ようこそお出で下さいました。そしてそちらは巷で有名な元艦長さん──オガナさん──でしたかな、わざわざご足労おかけして申し訳ないありませんでした。どうぞ、立って話すのも何ですから、お掛け下さい」


 彼の指差す先には、椅子──不可解な形をしているが、何らかのプレイに使うものなのであろう──が三脚と小さな丸テーブル。


 ここは丁寧に振る舞うべきであろうと判断したオガナは、では失礼します、とお辞儀して下座(にあたる椅子)に腰掛ける。

 その横にはローザが座り、最後には男性が向かいに座った。


「申し遅れましたが、自己紹介をさせて頂きます。私、メーヴェの“ウィード紡績社”のスミスと申します」


 彼は胸ポケットから革製の小さな入れ物を取り出し、名刺を差し出してくる。


 名刺に名刺入れ…まるで東洋の島国だ。

 オガナは自分が名刺を持っていない事が悔やまれた。


 名刺には、“ウィリアム・スミス”と手書きで書いてある。

 技術的問題なのか、あるいは彼個人や社会の慣習なのか、印刷したものではなく手作りらしい。

 この世界の技術レベル的には恐らく後者だろう。


「これはどうもご丁寧に。ご存知の通り、私はオガナといいます。異国の出身である私が、こちらの国で過ごすために用意した仮名に過ぎませんが。私の真名はこの国の方には発音が難しいらしくて」


「いえいえ、結構ですよ。本来名前というのは人間を識別するために存在するものですから、その役割を果たすならば何でも」


 そして彼は付け加える。

 …実のところ、私も偽名ですので。…と。


「はは、止むに止まれぬ事情があるのでしょう。問題無いですとも」


 オガナは眉をひそめそうになるのを必死に堪え、何でも無い様に笑顔を浮かべる。


「それは良かった。ところで、オガナさんはアイスラー女史から何か聞いておられますかな?ここで話す内容について、です」


「詳しくは聞いておりません。事情もほぼ説明されずにそこのじゃじゃ馬に引っ張ってこられたのでね、そこなる女が何故私をここに連れてきたのだかさっぱりです。スミスさんは紡績社に勤めていらっしゃる様だから──ビジネス関連ですかな?」


 彼は敢えてその様な惚けた事を言ってみる。

 ここに連れてこられる前のローザの言葉や、スミスの名乗った“メーヴェのヴィード紡績社の社員”という肩書きから彼はある程度察していたが、相手の出方を窺うべきだと判断したのだ。


 ヴィード紡績社というのは、メーヴェの国営企業である。

 その名の通り、綿の糸やら布やらを扱う会社であり、メーヴェ国内だけでなく他国でも手広く商売をする大企業だ。


 この会社自体は問題無い。

 植民地や後進国相手に阿漕(あこぎ)な商売をしている他には何ら問題無いクリーンな企業である。

 国営だという事もあって融通も利かんし、社員は(比較的)怠惰だが、それも大きな組織にはありがちな事とも言えなくはないし、まあ普通の企業だ。


 しかし問題は、この会社自体ではなくそれを管理する国の側にある。

 困った事に、メーヴェの政府はこの会社の営業課に矢鱈と新入社員を入れたがる悪い癖があるのだ。

「やあ諸君、しっかり働いているかね?実は、君達のとこの営業課に二、三人ばかり新たに入れたい人材がいるのだけど、構わないかい?なあに、心配無いさ。はっはっは、もう慣れたもんだろう?いつもの事じゃないか、大丈夫さ。…ん、そうか、君はまだここに入ったばかりの新入りか。ならば事情を知らなくても仕方ないね。彼等はここの課に所属する事になるけど、実際にここで働く訳ではないんだよ。要は幽霊社員ってヤツさ。ほら、名簿を見てごらん。君の課にはもうそんな輩が何十人もいるだろう?ほら、()()()()()なんだ、分かったかね?…あーっと、そうそう、忘れるところだった…その名簿の十二番と四十二番は消しておいてくれ。不幸な事故で亡くなってしまってね…大変嘆かわしい限りだよ…」

 …と、まあこんな感じだろう。


 一部界隈ではこれは有名な話で、要は“メーヴェの国営企業の営業マン”という肩書きだけで警戒するに足るという事だ。

 スミスと名乗ったこの男性も、メーヴェのスパイだか工作員だか諜報員だか…はたまた本物のセールスマンか…


 そして、恐らくスミス氏もそういう風に思われている事は十分理解している。

 彼がわざわざウィード紡績社の社員であると名乗ったのもオガナには、彼が遠回しに自己紹介をしたかの様に感じられた。


「ビジネス…まあビジネスと言えばビジネスですね。…ところで、本当に何も聞いておりませんか?もう少し重要な事を彼女から聞いているはずなのですが。ねえ、アイスラー女史?」


「私は言いましたよ」


 惚けても無駄だ、と言いたいのだろう。


「おっと、すっかり忘れておりましたよ…!今思い出しました、言われてみれば確かに何やら訳の分からぬ事を言っていた気がしますね。失礼、ゴリラ語のリスニングはどうも苦手でね。すまんがローザ、もう一度言ってくれないかね?ゴリラ語でもゆっくり話してくれるなら少しは理解出来るから」


「ええ、勿論ですともっ!!とっておきのゴリラ語を聞かせてやりましょう!!」


 最初のエクスクラメーションマークの辺りで、ローザはオガナの足を思いっきり踏んだ。

 踏む、というよりも叩き付ける、と表現した方が正しいかもしれないが。


「ぐっ…ローザ、ちょっと重いなぁ…また太ったのかね?」


 負けじとオガナがそんな軽口を叩いたため、被害は更に拡大する事となった。


「元艦長殿はどうやらゴリラ語のリスニングが苦手な様ですので、聴きやすいように大きな声でゆっくり話して差し上げましょう」


 彼女はそう言うと、オガナの耳元に口を近付け──叫ぶ。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()…と、申し上げたのですが、聴こえました?」


「ああ、うん…そうだったな。よし、分かったからもう良いぞ。これでスミス氏と実のある話が出来るなぁ。優秀な人間が元部下にいて本当に良かった、私は三国一の幸せ者だなぁ〜」


「それは良かった。では、その件についてお話ししましょうか、オガナさん?」


 スミスが微笑んだ。

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