LXXI.今だけは君に愛を誓おう、例え明日には他の誰かに愛を囁くのだとしても。
〜午後十時頃〜
「はあ…」
つい漏れ出てしまう溜め息。
勝利という結果とは裏腹に、現状は最悪に近い。
少なくとも私の名誉が損なわれる事は最小限に押し留めたものの、代わりに失ったものが余りにも多過ぎた。
勿論、結婚式は中止。
そもそも結婚式の直前に決闘を執り行うのは、エーバーハルトが手加減するか、私が手も足も出ずに負けて、血が流れない前提でのものだったのだから。
敢えて手術後ではなく今ソフィア医師から詳しい説明を聞くのも、嫌な事を後回しにした結果に過ぎない。
「ソフィア先生も疲れているだろうから」とか「みんなが集まっている時にした方が良いだろうから」などと耳触りの良い言葉で言い繕ったが、要は逃げているだけだ。
我がハーレムベッドルーム──今は妹がいないので純粋にハーレムを満喫出来る。状況が状況であるため、はしゃぐ気分にはならぬが──には今、険しい表情の私と、険しい表情のソフィア医師、険しい表情のルイーゼ、険しい表情の(フリをした)アリサ、珍しく不安そうな表情のエレーナ、眠そうな表情のナディアの六人がベッドの上に円を作る様にして座っていた。
無論ナディアは私の膝の上だし、正面にはソフィア医師だ。
「あー、取り敢えず手術は成功したらしい。流石はソフィア先生、よくやってくれた」
彼女はぺこりと頭を下げる。
しかし表情は依然険しいままだ。
「しかし、何やら色々と問題が生じたらしいな?説明してくれるかな?あ、君の手腕に疑義を申し立てるつもりはさらさら無いから、遠慮無く全て教えてくれ給え」
…とか言いつつ、少しは遠慮して欲しいなぁ、とも思う。
「下手をすれば国の未来に関わる様な重要な案件ですので、本来ならば私と陛下だけで話すべき事なのですが…あの、皆さんにもお聞かせして宜しいのですか?」
え…?
そうなの…?
「その、国の未来に関わる…というのは外交面とかの話か?」
「場合によっては外交にも、ですね」
ワオ、これはかなりシリアスっぽいな…
しかしなあ…
「なら、私は一旦退室した方が良いですか?一応フォーアツァイトの人間ですし」
気を遣ってルイーゼがそう申し出る。
「いや、構わん。ルイーゼの事は信用しているし、他の面々に関しても同様だ。ここで話してくれ」
一応ルイーゼは二番目の妻(ナーシャを勘定に入れなければ実質的な一番目の妻)になる予定だから、最早片足プラトークに突っ込んでいると言っても間違いではない。
彼女を信用せずして誰を信用すると言うのか。
それに、こうやって信用してるよアピールをして好感度を上げておくのも良いだろう。
…まあ、アリサとナディアに関して言えば、信用出来るかどうか少し怪しいが…
うっかり口を滑らせそうで怖い。
「では、その様に。難しい単語をだらだら並べてもなんですし、出来るだけ簡潔に説明させて頂きます。先ず、手術前の殿下の状態に関してですが…短剣が下腹部に斜め上からグッサリと刺さっておりました」
「お、おお…痛そうだな…」
「ええ、勿論痛かったでしょうね。内部でかなり出血している事を示す諸症状が見て取れたので、内部で臓器が傷付いているとの想定で手術を行いました」
「まあ、そこまでは普通だな。大腸だか小腸だかに刺さっていたのだろう?」
東洋の野蛮な島国ではハラキリという文化があるが、腹を搔っ捌くと小腸がぼろりと漏れ出てくるらしい。
下腹部というのは、基本的には腸が大部分を占めている。
「私も同じ事を考えました。陛下の仰った様に、腸かと。…いえ、無論の事腸にも及んでいたのですが、メインではありません」
「違う?」
違う…?
そうなると──
「“斜め上から”刺さっておりました。もっと下でした…つまり…」
「え…っと…腎臓とか…?」
「…卵巣と子宮です。卵巣は子宮の左右に一対ありまして、そのうちの片方が一つ。子宮の方は…」
ソフィア医師の表情が太平洋の嵐の前の曇天の如く盛大に曇る。
周りの皆もいつもの騒がしさは何処へやら、非常に静かに聞き入っている。
「その、卵巣は…取り除いたのか…?」
「止むを得ず…」
「でも、二つあるのだろう?腎臓を片方売っても死なぬ様に、それだって片方が無くたって然程問題無いよな?!」
「仰る通りです…」
ああ、分かっているとも…
今大事なのはそんな事ではない、と。
小指程度の小さな卵巣なぞではなく、もっと重要な──
「…子宮の方は──」
「──待て。除去はしてないだろうな…?」
「それに関してはご安心を。取り除いてはおりません」
ホッ…
「ただ、はっきり申し上げましょう…あれでは妊娠には耐えられません」
「それはどういう──」
「死にます。妊娠すれば死にます。膨張に耐え切れずに出血し、確実に命を失います」
…
彼女は淡々と述べる。
「つまり、殿下は…子を産み、育てる事は一生叶いません。世間一般で言われる女の幸せは…」
「…」
何も言えなかった。
「しかし殿下の事ですから、言って聞かせてそれで済むとも思えません。そこで手術の際に私の独断で、卵管を縛っておきました。まあ、広義での去勢は流石にやり過ぎかと思ったので…卵巣除去は避けておきました。勿論、これだけでも十分不妊となりますが。これで、殿下が命を落とす最悪のパターンは避けられるかと」
「辛い決断をさせてしまったな…」
「…いえ、お気になさらずに」
ソフィア医師は明らかに強がりだと分かる笑みを浮かべた。
「で、問題はこれからどうするかです。子を産めないとなれば…嫁の貰い手も無いですし…」
チラリ、と皆の目が私に向かう。
「ああ…私が嫁に貰う他無いだろうな、元々そうするつもりだった訳だが。贖罪の意味も込めて、彼女のための盛大な結婚式を挙げてやらねば…それに、ナーシャには少し悪いが…結果的には近親交配の心配も無くなったし、これで心置き無く結婚出来る…皮肉だがな…」
「ええ、そうして下さい。もうこうなっては我々としても異存ありません…」
「当初の予定は破綻してしまったけど、代わりにプラトークで式を挙げれば良いわ。その後私と結婚すれば子供に関しても問題無い訳だからね」
「そうだな…ルイーゼ、頼むぞ…」
ナーシャとの結婚関連の面倒事はこの件によって怖いぐらいに消え去ってしまった。
妹が子を産めぬ身体になってしまったと言うのに、それが自分にとっては都合の良い事であるというのは…本当に、本当に、皮肉だ。
「あと、殿下が子供を産めなくなった事はくれぐれも内密に。本人の尊厳に関わる事でもあるし、プラトークの未来に関わる事でもあるので。…殿下本人への対応に関しては様子を見て決めていきましょう。きっと精神的に相当なダメージでしょうし、メンタル面でのサポートも欠かせませんね。取り敢えずは殿下が安定し次第プラトークに戻るべきかと思います。やはり我が家というのは何処よりも落ち着くものですから…」
「そうだな、元よりこの結婚式が済んだら帰国する予定だったのだ。ナーシャもああなってしまったし、一刻も早く戻るべきだな。身体の方は…?」
「数日の安静が必要でしょう。本来ならば数週間と言いたいところですが…まあ、帰りも列車と船ですから…ある程度回復すれば出立可能かと。きっと祖国に着く頃には快復しておりましょう」
「そうか、分かった。そうしよう…」
私も無理矢理笑顔を作って、顔に貼り付けてみる。
嗚呼…辛いな…
こっちの方が余計に辛い。
「すまん、ちょっと寝る前にナーシャの様子を見て来る…」
私は立ち上がった。
何故か、妹の元へ行かねばならない様な…そんな気がしたのだ。
「え、今からですか…?」
「ほんの少し見るだけだ、邪魔にならぬ様にな」
「ニコライさん、私も行きます。余計かもしれませんが、私も連れてって下さい」
ルイーゼはそう言って、半ば強制的に付いて来る。
✳︎
病室代わりに使われている、宮殿の一部屋。
そこで私とルイーゼはナーシャの枕元で椅子に座っていた。
ナーシャは一見何一つ変わらぬ様子で、すやすやと気持ち良さそうに眠っている。
可愛らしい、天使の様な寝顔。
あの日から変わらぬ我が妹だ。
「ナーシャちゃんには悪い事をしました…出来る事なら、あの時の自分を叱ってやりたい…」
ルイーゼは噛み締める様にそう呟いた。
「別に君は何もしてないじゃないか、君のせいなどではない」
そう、結局は私のせいだ。
全て、私のせいなのだ。
こうなった全ての要因を考えれば、全て私に行き着く。
しかし、彼女は私の慰めの言葉で余計に眉をひそめる。
「そうです、何もしなかった…私は何もしなかった…見ているだけだった、あの時も…あの時も!ナーシャちゃんが戦っている時も!エーバーハルトに刺された時も…!」
「だが、仕方ないじゃないか。あんな無茶が出来るのはナーシャぐらいだ、君を責めるのはお門違いというものだ」
「いいえ!相手はエーバーハルトでした、私ならばアイツも手出し出来なかったはず…なのに、私は一歩を踏み出せなかった…勇気が…無かった…」
「お、おい…」
彼女はグッと拳を握り締める。
「私が出ていれば全て解決だったんです、誰も傷つかなかった。誰も辛い思いをしなかった。今頃、ナーシャちゃんはいつもみたいにニヤニヤ笑ってニコライさんに抱きついてるはずだったんです。ソフィアちゃんがあんな悲しい顔をする事もなかった…!全部、私の保身のせいなんです。全部!」
「それぐらいにしておけ…自分を責めるのも良いが、君が今やってるのは馬鹿げた後悔に過ぎん。何も生み出さない、馬鹿げた…本当に馬鹿げたものだ。それにさっきも言ったが、君のせいじゃない。そりゃ少しは責任はあるのかもしれないが、それを全部一人で背負い込もうとするな。君がそれ程の重荷を背負わねばならないなら、私はどれだけのものを背負っていかねばならぬのだ?」
「で、でも──」
私は無意識に抱き締めていた。
ルイーゼを。
「…君は強い女性だ。何でも一人でしようとするし、実際に出来てしまう。自分一人で罪の意識を抱え込み、それをしっかり続けてしまう…普通の人間なら出来ない様な、途中で諦めてしまう様な辛い事も、出来てしまう…でも、それでは駄目だ。それでは君はずっと辛いままだ。…ずっと罪悪感に苛まれ続けるつもりか?そんな事、誰が得するのだ?ナーシャはそんな事を望んではいないだろうし、私も望んではいない。止めよう、もうそんな事は止めよう…」
ルイーゼも私の首に手を回す。
その瞳は涙に濡れていた。
「許してくれるでしょうか…」
「ナーシャが怒っているはずがないだろう?どうせ、怒りの矛先はエーバーハルト一直線だ。元気になれば“あのマゾ豚、殺すっ!!”とか言ってヤツをボコボコにしてハッピーエンドだ。な、言われてみればそんな気がしてこないか?」
「不思議ですね、本当にそんな気がしてくるのだから、本当に…」
彼女は楽しそうに笑った。
転んで泣いてしまった小さな女の子が、母親にあやされて泣き止む時の様な笑顔で。
「結婚すれば、恐らくこれからずっと…死ぬまで一緒だろう?」
「当たり前でしょう?他の女に入り浸って私に愛想尽かされない限りは、ですけど」
おう、それは怖いな…
「ならば、今言った事は覚えていてくれ。嬉しい事も、悲しい事も、辛い事も…一人で背負わないで、全部私にも話してくれないか。悲しい事は二人で乗り越えよう。嬉しい事は二人で分かち合おう。…私はそうしたい。序列ではナーシャが先になってしまうが、私にとっては君が実質的な一番だ」
「ふふ、歯の浮く様なセリフですね。やはりニコライさんはロマンチストです。…でも、どうせ同じ様な事を他の人にも言うのでしょう?ナーシャちゃんや、ソフィアちゃんとかにも。まあ良いんですけどね、皇帝ですもの…妃が何人もいるのは当然ですし。それは覚悟の上ですからね」
「そうだな、君の他にも愛の言葉を囁く相手はいるな…とんだ浮気男で申し訳ない。この際だから白状してしまうが、ソフィア先生の事なんて、身分関係の問題が無ければ今直ぐにでも自分のものにしていただろう。本当にロクでもないな…」
実際、帝都に訪れてルイーゼに会うまではソフィア医師の事ばかり考えていた。
今はルイーゼで頭がいっぱいだが、余裕が出てきたらまたソフィア医師の事ばかり考えるようになるのかもしれない。
「──でも、これからの事は分からないが、今は…少なくとも今は君が好きだ。同じ墓に入りたいとも思う。一生添い遂げたい。…ちょっと重いか?」
「はあ…ズルイですね、そんな事言われたら許さない訳にはいかないじゃないですか。ホント、誰でしょうね、浮気を男の甲斐性だなんて言い出したのは…」
彼女は私をじっと見つめると、くくく、と笑う。
「何が可笑しい?」
「いえ、別に。そうだ、なら私からも結婚前にお願いがあります。浮気を許してあげるのだから、良妻にはきちんと対価を払わないとね?うーん…そうだなぁ…」
「無理に今考えなくても良いのでは?」
「いいえ、今でないと!そうですね…では、私とのお約束その一!私を愛してくれる事!」
「お、おう…」
私の返事が気に入らなかった様で、彼女はもう一度言う。
「私を愛してくれる事!!」
「りょ、了解です!」
彼女は満足気に頷く。
「その二!一人で背負わない事!…ニコライさんも一人で背負おうとしてませんか?他人に言う前に、自分でも実践して下さい」
「ああ、分かった」
「その三!他の女の子もちゃんと愛してあげる事!」
…ん?
「え、それはどういう…」
「そのままの意味です。ちゃんとみんなを愛してあげて下さい。でないと可哀想でしょう?」
「理屈は分かったが…私がハーレムを作る前提というのはどうなのだ…?もしかしたらナーシャとルイーゼの二人しか娶らないかもしれないではないか。実際、私の父も二人だけだ」
「いいえ、それはあり得ません。絶対にハーレムルートまっしぐらですね」
「何故そう言える?」
「女の勘です。ニコライさんって、スケベだし」
何じゃそりゃ…
「分かったよ。分け隔て無く愛そう」
「約束ですからね」
「ああ、約束だ」
彼女は半笑いになると、そのままドレスを脱ぎ捨てる。
「おい待て…まさかここで…?」
「それが何か?」
いや、ちょっと…流石に妹の寝ている横でってのは如何なものかと。
「妹の寝ている隣で…ふふふ…何だかそそるシチュエーションでしょう?」
なんてヤツだ…
さっきまで良い事言ってたのになぁ…
しかし、一方で私の息子は元気だ。
「落ち込んでいるから励ましたのに…励まし過ぎたか?」
「そうかもしれませんね。恩を仇で返してしまい、どうもすいませんね」
ははは…流石だな。
でも、こんな彼女だからこそ…
「手早く済ませよう。みんなが心配する」
「手早くって…雑なのは嫌ですよ?まあ、ちょっとだけにしておきましょうね…本番はお預けです…」
──彼女の全てが、輝いて見えた。
イイオハナシダナー。
ところで、結婚するする詐欺してごめんなさいね。
初期の計画では、五十話ぐらいでニコライさんには結婚して頂く予定だったのですが…未だに未婚(尚且つ童貞)ですもんね〜…
結局挿れて(は)いないので、未だ童貞なんですよね、ニコライさん…
舌技の方は随分上達しておりますが。
フォーアツァイト編が終わったら、今度こそニコライさんを既婚者にするぞ!
う、嘘じゃないよっ…少なくとも今のところその予定だよっ…!
そして結婚後は初夜とか初夜とかむふふなシーンを書くのだっ!!(ばーん!)
という事で、(数十話後に)ニコライさんを結婚させてあげようと思うので、お楽しみに(?)
しかし数十話後か…一体何ヶ月後になるのやら(笑)