VII.暴発は、いつ何時起こるか分からない。
※注釈
・女の子の匂い
科学的に存在が証明されている謎の匂い。
桃などと同じ成分で構成されてるんだとか。
・コルセット
下着の一種。
これを着けると、お腹がキューっとなります。
でも、あんまり下着って感じの見た目ではない。
よって、下着ではない!
「陛下、こちらが本日最後となりますが、南部国境線付近の再調査に関する報告書です」
私は差し出されるそれを無言で受け取ると、書類に目を通す。
「国境だというのに、これだけしか兵力を置いてないのか…少なくとも二個師団は配備しているものだと思っていたぞ…」
その書類に記されていたのは、お粗末な帝国の防衛の実情だった。
広い広い南部国境。
プラトークの玄関とも言えるそれを守るのが、こんな少数だとは…
「如何なさいますか?」
「連邦には悟られぬよう秘密裏に兵の配備数を増やせ。方法、規模に関しては軍に一任する」
「承知しました」
彼は一礼すると、命令を伝えるべく足早に去って行く。
これにて本日の業務終了。
窓ガラス越しに見える空は夕陽で真っ赤に焼けている。
血の赤とは違う、綺麗な色だ。
忙しい時だと日が沈む前に帰る事など到底不可能なので、今日はまだ早く終わった方だ。
この後例の件についてソフィア医師と話し合わなければならないし丁度良い。
大きな伸びを一つして、私はぺちょんと机の上にうつ伏せになる。
今私が使っているこの無駄に巨大な机が、優に百個単位で入るであろう広い執務室では、未だに数十人の役人達がせっせと働いている。
顔を上げ、部屋の隅の椅子に座っていたソフィア医師に目配せすると、彼女はトテトテと小走りでこちらにやって来る。
「今日はもう終わりだ。例の件だが、ここは人目もあるからどこか別の場所に移ってからで良いか?」
「無論、構いませんよ」
私は彼女を連れ、どこか人目に付かない所へ移動する事とする。
忙しそうな役人達に、お疲れ、と一声掛け、部屋を後にする。
しかし、宮殿内で人目に付かぬ所か…そんな場所が存在するのだろうか?
基本的には何処に行っても基本的には誰か人がいるからな…
「ソフィア先生、すまんがどこか相談に適した場所を知らんか?」
「一箇所だけ…心当たりがあります。ご案内致します」
彼女に連れられ向かう先は、宮殿の端に位置する彼女の私室だ。
宮殿内で住み込みで働く者達のために、狭いものだが各々に部屋が充てがわれている。
下っ端の使用人などだと三人に一部屋、といった具合に数人で部屋を共有するのだが、侍医である彼女はちゃんと一人部屋が与えられているのだ。
確かに彼女の部屋であれば、他の誰かに話を聴かれる心配もせずに済む。
「すいません、陛下には似つかわしくない部屋ですが…」
「構わん。逆に私は妹とのゴタゴタにあなたを巻き込んでしまった側だ。それなのにこうも協力してもらって、礼を言いたいぐらいだ」
「いえ、お礼などと滅相もありません!陛下のお役に立てているのでしたら、私としても至上の喜びにございます」
彼女は必死に首を振り、謙遜すると、歩きながら器用にぺこぺことお辞儀をする。
彼女は妹よりも少し歳上程度の年齢で、確か十八ぐらいだったと思うのだが、私と比べれば随分と若い。
普段しっかりしているせいか、私は殆ど彼女の年齢を気にした事がなかったのだが、こうして改めて見ると妹と同様に幼さを所々に感じられる。
しかし妹と違う点も多い。
妹より胸も大きいし、可愛らしい見た目の我が妹とは反対にソフィア医師はスタイルも良く、可愛いというよりは綺麗という表現が相応しい。
要するに、妹とはまた違ったタイプの美少女だ。
妹が私と彼女の間に何かあるのではないかと勘違いしてしまったのも、まあ納得出来る。
実際、ここ数日行動を共にして彼女にドキッとしてしまう事が無かったと言えば嘘になる。
道行くおっさん共もよく彼女にいやらしい視線を向けているし、他の異性からも人気なのだろう。
無論私は彼女に手を出すつもりはないが、正直言って気になると言えば気になる。
どうせ好かれるなら、妹ではなくこういう女性に好かれたいものなのだが。
彼女の後ろ姿をぼーっと見つめながらそんな事を取り留めもなく考えていると、彼女がある扉の前でピタリと立ち止まる。
どうやらそこが彼女の部屋らしい。
がちゃがちゃと彼女が鍵を回すと、かちゃんっと心地好い音が鳴り、ドアノブを回してゆっくり扉を開く。
彼女は少しだけドアを開けて隙間から中を覗くと、急いでばたんっともう一度閉める。
「どうかしたのか?」
「いえ、その…散らかっているので、出来れば少し待って頂きたいのですが…」
彼女が思っていた以上に部屋は散らかっていたらしい。
彼女とて女性なのだから、見られたくないものも幾らかあるだろうし。
私とて、他人のプライバシーぐらいは考慮している。
「分かった。それ程急がずとも良いから、済んだら教えてくれ給え」
「申し訳ありません、直ぐに終わらせますので!」
彼女は何度もぺこぺこと申し訳なさそうに頭を下げ、いそいそと部屋の中に滑り込む。
私は壁にもたれ掛かって天井でも見つめておく事とする。
ドアの向こうからドタバタと物音が聴こえる気がするが、これはきっと幻聴だろう。うん、そうに違いない。
数分後、息も絶え絶えの彼女が、どうぞお入り下さい、と言いながら扉を開ける頃には私は天井を眺めるのを止め、自分の上着のボタンを留めたり外したりを繰り返していた。
勿論暇潰しなのだが、ちょっと夢中になってしまった。
「お待たせして申し訳ありません」
「いや、問題無い」
住み込みの使用人の部屋には今までに一度も入った事がなかったが、予想以上に中は狭かった。
部屋の半分ぐらいをベッドが占めていて、他は本棚だとかで埋まっている。
椅子や机すら無いが、彼女はどうやって書き物をするのだろう?
急いで片付けたと思しきものが戸棚に詰め込まれてはみ出ているのが、何だか微笑ましい。
しっかりしていても、こういうところがあるのだなぁ、と。
完璧そうに見える人の意外な弱みというものを知ってしまうと案外親しみが湧いてくるものなのだ。
「あの、椅子とかは無いのでもし宜しければベッドにでも座って下さい」
「では、そうさせてもらおう」
ベッドに腰を下ろすと、予想外に柔らかかった。
もふんっとベッドが揺れて、それと同時に良い匂いが…!
これが所謂女の子の匂いという代物だろう。
余りくんくんと嗅ぎ過ぎるのは宜しくないが、出来る事ならずっと嗅いでいたい気もする。
私がベッドの上に座ると、彼女はそのまま床に座り込もうとする。
「ちょっと待ち給え!」
「な、何でしょう?」
彼女はその動作の途中で動きを止め、不思議そうにこちらを見る。
「先生は、もしかして床に座るつもりか?」
「はい。そうですが…何か不都合でもございましたか?」
当たり前、とでも言わんばかりの口調。
確かに、普通の君主ならばこれも当たり前の態度なのだろう。
しかし、私は次期皇帝である前に一介の紳士。
レディーを目の前で床に座らせるなど私からすれば言語道断だ。
そして一応念のために述べておくと、ここはプラトーク帝国。
つまり、東洋のどこかの島国とは違い、屋内でも靴を履いたままという文化だ。
それなのに室内で女性を床に座らせるなど如何に非道な行いか理解頂けるだろう。
「女性を床に座らせるなど出来るものか。そんな事をせずとも良い」
私が彼女の手を取り、横に座らせると、彼女は明らかに混乱し始めた。
「陛下!へ、陛下の横に私の様な卑しい身分の者が座るなど、許される事ではありません!」
「公の場ではな。しかし今は我々二人だけではないか。誰も見咎める者もいないのだから問題あるまい」
「それならば私はそこに立っております!この様な不敬、咎める者がいなくとも避けるべきです!」
そう言って立ち上がろうとする彼女だったが、私がえい、と少しばかり力を込めて引っ張ると、ころりんと盛大に後ろにひっくり返り、元の位置へと戻って来る。
少々手荒な手段ではあるが、これも紳士としての務めを果たす、という崇高な目的のため。
もし仮に、あくまで仮にだが、ひっくり返ったせいで長いスカートの中が見えてしまったとしても、それは偉大な使命のための小さな犠牲に過ぎないのだ。
ちなみに、もし仮にだが何らかの事故のせいでスカートの中が見えてしまったとしても、某国民的人気漫画及びアニメの様に「の◯太さんのエッチ!」みたいな事にはならない。
何故なら、見えたとしてもそれはパンティーではなくコルセットだからだ!
この頃のドレスを着ている様な女性は(例えソフィア医師の様に上に白衣を着ていたとしても)コルセットを着用している。
よって、もし仮に、もし仮にだが見てしまった…いや、見えてしまった場合でも特に問題はないのだ!
ん?コルセットも下着の一種?
ははは、そんな訳なかろう!ノーカンだ、ノーカン!
もしや、君は女子のテニスウェアを見て、スカート短い!パンツ見えてる!とか思ってる系のメンズかな?
残念ながらあれはパンツではないぞ?
まあ、それと似た様なものだと思ってくれれば構わない。
故に私は無罪!
無罪故に私の行為は紳士的であった!
この命題は真なのだ。QED!
勿論、ソフィア医師だってそう思っているはず!
そうですよね!ソフィア医…師…?
あれ…?
もしかして、赤面して俯いてらっしゃる?
え?私がパンティー…じゃなくてコルセットを見ちゃった…いや、見えちゃったから?
コルセットとパンツは別物なんですよ?
それに決してやましい理由でひっくり返らせたのではなく、あくまで紳士的に行動した結果そうなっただけでして。ええ。
…どうしよう…一応謝っといた方が良い?
「あ〜…あのぉ、ソフィア先生?先生はコルセットとパンティーは別物という絶対的事実をご存…」
「陛下…」
「あ、ハイ!はい、何でしょう?どうされましたかっ?」
怒ってる?ただ単に照れてるだけ?どっちなんだ?
「あの…初めてなので、優しくして下さい…」
はい?
彼女はちらりと腕の隙間から上目遣いかつ涙目で私を見上げる。
「な、何が初めてなのだ?」
「まさか、私の初めてを陛下に捧げる事になるなんて…しかし陛下ならばこれも本望。どうか可愛がって下さいまし」
初めてを捧げる?
可愛がる?
あれれ?もしかして?
もしかして、もしかすると…ソフィア医師は只今絶賛、重大な勘違いをしているのでは?
「あの、ソフィア先生?私があなたを襲った、とか思っておられる?」
「大変光栄です…実は私、いけない事だとは思いつつも以前から陛下の事を好いておりました。まだ契りを結んだ訳ではありませんが、陛下がその気なのであれば仕方ありません。どうぞ抱いて下さい」
彼女は目をきゅっと瞑ると、ベッドに仰向けに寝転ぶ。
え?据え膳食わぬは男の恥とか言うが、これが所謂据え膳ってヤツだよな?
てか、さらりと“以前から好いていた”とか凄い事言ってらっしゃるんですが?
「先生…勘違いしておられる様だが、私はあなたを襲ってなどいないぞ?」
据え膳を前にしたとしても、仮にも私は次期皇帝。
そうホイホイと方々に手を出す訳にはいかないのだ。
故に、泣く泣くこの様な発言をするのだった。
「勘…違い…?」
呆気に取られた様子で彼女は尋ね返す。
「うむ、勘違いだ。あれは襲ったとかではなく…不幸な事故だ」
確かに、見方によっては狭い部屋に二人っきりで私が彼女をベッドの上に押し倒した…といった、悪意ある解釈も可能ではあるが、事実は全く違うのだ。
私はただレディーを隣に座らせようとしただけなのだ、あくまで紳士的に。
私の言葉を聞いて、彼女は余計に赤くなってベッドの端にうずくまる。
「あの…もしかして私、変な事を言ってしまいませんでしたか…?」
「変な事?例えば?」
「その、以前から…」
「以前から好いていた、とか?」
きゃーっと彼女は悲鳴を上げると、足をバタバタと忙しなく振り、顔を手で隠しながらごろごろとベッドの上を転げ回る。
「陛下!その事は忘れて下さい!あの時の私は間違っておりました!」
「あの時って…つい数十秒前なのだが…?」
「それでも過去は過去なのです!その様な無礼な事を言っただなんて、忘れて下さいませ!」
いや、別に無礼だとは思わんのだがな。
逆にちょっと嬉しかったし。
「ソフィア先生、別に無礼ではないぞ。私はあの様に誰かに好意を寄せられたのも初めて(ただし妹を除く)だし、あの様に誰かに抱いてくれと言われたのも初めて(ただし妹を除く)だった。少し嬉しかったぐらいだ。決して無礼などではない」
「陛下…!何とお優しい…!惚れ直しました!私、一生陛下に付いて行きます!」
「そ…そうか…?うん、まあ、好きにすれば良いと思うが…」
これにて、一件落着?
あれ?そういえば妹の嫉妬について話し合うんじゃなかったっけ?