LXI.上司が無能だと部下が一番迷惑を被るんですよ、ニコライさん。
※注釈
・建前と本音
スウェーデン…とか言ってみる。
一方のエーバーハルトは、ニコライがナーシャから剣を受け取る傍らで、ルイーゼから剣を受け取っていた。
彼の愛用する、細身のスラッとしたレイピア、そして一般的なものよりも少し長めで受け流すために反りが大きい、彼専用のパリーイングダガーの二本である。
そのどちらも最低限の装飾は施されているものの、ニコライのサーベルに比べればかなり地味であった。
これを貴族らしくないととるか、実用的であるととるかは各人の主義思想にもよるのだろうが、少なくともそれがエーバーハルトという男の性格の一片を如実に示している事は間違いない。
ルイーゼは無言のままその二本をずいっと押し付ける様にしてエーバーハルトに差し出した。
無論、彼女が彼を嫌っているが故のこの態度でもあるが、それだけという訳でもない。
このレイピアとダガーにはナーシャによってエーバーハルトに不利な様に細工がされており、それを少し後ろ暗く思うルイーゼはさっさとそれを手放してしまいたいという想いでその様な態度になってしまったのである。
しかし、そのまま何も言わずツンツンするのもエーバーハルトが可哀想である。
そう思った彼女は、ナーシャがニコライと何か会話しているのを横目に見て、ほんの少しだけ彼にサービスしてあげようと決意する。
憎ったらしいマゾ野郎ではあるが、それを除けばまあ育ちの良いイケメンである。
もしかするとこの男が将来の夫になる可能性とて無きにしも非ず。
ほんの少し哀れんでやっても罰は当たるまい。
…そう考え、彼女はそのままの無表情でエーバーハルトに話し掛ける。
「どう?勝てそうかしら?」
話し掛けてもらえるとは思っていなかったのか、エーバーハルトは嬉々として応える。
「フッ…勿論だとも。聞くところによれば、あの皇太子…然程腕が立つ訳でもないのだろう?正直、負ける気がしないね」
かなり自信ありげな様子である。
いや、それも当然だ…実際にエーバーハルトとニコライの間には容易には覆す事叶わぬ大きな大きな実力の差があるのだから。
これは当然の強者の余裕なのである。
「そう…勝てると良いわね。あなたが思っている程簡単ではないでしょうけど」
半ば皮肉交じりに彼女がそう言うと、エーバーハルトは待ってましたとばかりにルイーゼの両手をぎゅっと握る。
ビクッとルイーゼが、不審者に夜道でいきなり話し掛けられた時の女性の反応の典型例の様なものを見せ、それに少し遅れて、がちゃんっと小さな金属音がする。
レイピアは小脇に抱えて落下を防いだものの、ダガーはそのまま舞台の大理石の床に落っことしてしまったのだ。
ルイーゼはその手を振り払おうかと思うものの、エーバーハルトの表情は真剣そのもの。
どうせ離してはくれないだろうな、と諦めて大人しく彼が何をするのかされるがままに見ていようと決めた。
「何…?」
彼女の現在の心境を今風に言うならば、「キモっ…」である。
父親の風呂上がりの裸を見た際のJKの如く、ゴミでも見る様な目を彼に向ける。
…しかし、エーバーハルトは真剣である。
「我が愛しのルイーゼよ…君は私の全てだ」
いきなり何を言い出すのだろうか。
ルイーゼの戸惑いは一層強まるが、彼はそのまま続ける。
「私の荒みきった、冬場の乾燥肌の様な心に君は保湿ケアをしてくれた…そう、化粧水とクリームの様にっ!」
素晴らしい比喩のセンスだなぁ…と耳をそばだてていた皆が心中で苦笑いした。
ルイーゼに限って言えば、呆れの域に入っていた。
「しかし今、君は他国の皇太子という強権的存在によって奪われんとしている!あの男は愛し合う我々二人の間に割り込み、君を遠い何処か…いや、極寒の北国に連れ去ろうとしているのだ!!あの男には血も涙も無いのかっ!?将来を誓い合った二人を、自らの性欲、或いは所有欲、独占欲のために引き離すなどと!欲まみれの肥え太った豚だ!」
他国の皇太子に対してそれはないだろう…とそれを聞いてニコライが落ち込んだのは言うまでもない。
ちなみにこの段階でのルイーゼの感想は、うるさいなぁ…、である。
「あの男にはもう既に婚約者がいるそうではないか!それも、幼い少女であると聞いたぞ?!幼気な少女に手を出して平然としている様なロリコンだぞ、ヤツはっ!」
グサッ…ニコライの精神が抉られる。
「それに何だ、あれは!さっきから妹とイチャイチャしおって!妹に手を出すシスコンだという噂もやはり本当だったか!女だったら何でも良いのか!」
彼の指差す先には花嫁姿のナーシャが。
グジュリ…またもやニコライのSAN値が…
もうやめて!ニコライのライフはゼロよっ!!
ニコライが心中では血反吐を吐き、よろよろとその場に倒れ臥す中、ルイーゼもこれには反論出来ずに苦笑いする他なかった。
こうやって聞く分には、確かにその通りなのだから。
「いや、でもほら…」
ルイーゼが取り敢えずニコライのフォローをしておこうと何か言いかけるが、エーバーハルトによってそれは妨げられる。
「兎も角っ…!私は必ずや勝ってみせる!だから見ていて欲しい!そして勝利の暁には…」
必死過ぎて少し哀れみすら湧いてきたルイーゼであったが、流石に鬱陶しさが限界近い。
「あーっと…分かったからそろそろ離してくれる?」
「いや、しかし…」
「はいはい、分かったから」
押し戻す様にして彼女はエーバーハルトの手を振りほどき、ナーシャに目配せして舞台の端へと退がる。
「流石はルイーゼ…我が女王様!くぅぅぅ…絶妙な放置プレイ…!」
つれない態度をとられて少し嬉しそうにするエーバーハルトを見て、ニコライはこの変態と闘わねばならない事を悲しく思うのであった。
✳︎
そして一方の客席。
こちらではプラトーク帝国の対フォーアツァイト帝国外交の要であるコンスタンチン・フリストフォーヴィチ・ベンクェンドルフ伯爵を筆頭にプラトーク組が勢揃いである。
仮にも自国の皇太子(実質的な皇帝)であるニコライが命懸けの決闘をするというのだから、彼等としても他人事ではない。
一国の最高権力者であるニコライがその様な危険な決闘をする事に、伯爵は反対であった。
次代の帝国を統べる者の身に何かあったらどうするのか、と。
表面上は安定しているが、先代の死去より未だ数ヶ月。
プラトークは完全に安定しているとは言い難いのである。
そんな中、仮にニコライが命を落とす様な事にでもなれば最悪の場合プラトークは内戦状態になりかねない。
反乱分子は既に叩かれたものの、大きな戦争を前に挙国一致で団結しているからこその現在の安定。
戦争という目前の課題が無くなれば再びプラトーク内での派閥争い等が勃発するのは目に見えている。
「陛下…どうか無事に終わってくれれば良いのだが…」
伯爵のそんな不安混じりの呟きに、部下の一人が応える。
「しかし、あのエーバーハルトとかいう青年も立派な大貴族。流石に他国の皇太子に危害を加えればどうなるかぐらい理解しているでしょう」
建前としては、エーバーハルトとニコライは公正に同じ立場で闘うという事になっている。
一対一の決闘の場に於いては身分など関係無い、と。
しかしそれは所詮建前に過ぎない。
大人になれば誰でも分かる事だが、世の中には本音と建前というものの二者が存在する。
何事に於いても建前というものが綺麗事を吐き出して表面を取り繕い、その裏では汚い本音がこそこそと隠れているのだ。
質が悪い事に、大人になっても建前と本音の区別がつかない残念な人達(意外にもかなり多い)もいる事にはいるが…少なくともここにいる外交官の面々に限ってはその様な事はない。
外交官という職業は、まさにその建前と本音を駆使して静かでありながら激しい舌戦を繰り広げるためにあるのだから。
故に、彼等は職業柄どうしても“流石に外交問題に発展する様な事はしてこないだろう”と高を括ってしまっていたのだ。
今回の場合では、本音としては誰もがプラトークの皇太子の無事を願っているのだから。
しかしそれが愚かな考えである事を伯爵は理解していた。
世の中には、自分達が想像する以上に狂人、救い様の無い馬鹿、阿呆、イかれた輩etc.がいる事を彼は知っていたのである。
彼は自分の領内で起こる幾多の問題を処理した経験から、ある答えに辿り着いていた。
…人間の中には稀にとんでもない狂った連中が紛れ込んでいるのだ、と。
普段は周りと見分けがつかない人畜無害な一般人。
いや、それどころか彼等は模範的であったりする。
しかし彼等はやはり何かが違うのだ。
普通の人間には出来ない選択を平然とやってのける。
通常想定される行動と全く異なる事を選択するのである。
そして想定外の問題というものは得てしてその様な人物によって引き起こされる事が多い。
それを天才と呼ぶか、狂人と呼ぶかは人次第であろう。
どちらも一般的な人々とは根本的に異なっているという点では同じであるが。
アインシュタインの脳も常人とは違っていたというから、恐らく両者を分け隔てるのはその“違い”が良い方と悪い方のどちらに振れるかの差でしかないのだろう。
しかし、何れであろうともその様な人間が存在する以上、エーバーハルトがそれに当てはまらないと誰が言い切れようか。
エーバーハルトがそれを平気で行える狂人ではない、と。
その様な懸念から、伯爵は恐れていた。
自らの仕える国の若き主の身を憂いていた。
そしてこの彼の懸念がぴったりと当たっていた事を皆が知るのはこの数分後の事であった。
伯爵率いる外交官達の後ろには、ソフィア・アレクスナラヴナ後宮専属医師、ニコライの婚約者であるナディアことネイディーン、エレーナ副メイド長、その隣には新人メイドのアリサ、その他数人が座っていた。
ナディアは例外として、その他は本来なら従者に過ぎない彼女達であるが、フォーアツァイト側が色々と気を遣ってくれた結果、こうして観戦する事が叶った。
この“気を遣って”というものが何に気を遣ったかというと、正確に言えば「ニコライの愛人或いはお手付きとなっているかもしれない女性達」に対する気遣いなのだが…知らぬが仏である。
彼女達は概して普段通りの様子であったが、一人だけは違った。
…ソフィアである。
彼女は平素とは全く異なる険しい表情をしていた。
さながら般若である。
ニコライの身を案じての不安と、この決闘が他の女性のためのものであるという事に対するモヤモヤした感情、遂にニコライが結婚してしまうという焦燥感、そしてちょっとした悲しみ。
そうしたごった混ぜの感情が彼女のこの表情を生んでいた。
これを見た誰もが怒っていると勘違いしただろうが、別に然程怒ってなどいなかったのである。
そしてもう一人。
心の底から怒り、憤怒の炎で隣に座るアリサを焦がそうとしていたのがエレーナ副メイド長である。
今までナーシャとニコライを引き離すべく腐心してきたというのに、ある日突然「あ、私兄上と結婚するから」などとナーシャ本人から言われてはどうしようもない。
遣る瀬無さの余り、世の中の全てを憎む勢いであった。
そして怒りが一定以上に達した事によって、彼女の表情は不気味な笑顔と化していた。
そして呪いの様な呪詛をぶつぶつと呟くのだ。
「負けろ…負けろぉ…」
この“負けろ”とは勿論ニコライに対するものである。
どうかニコライが負けてエーバーハルトとルイーゼの結婚式となりますように…といった風なお祈りの様だ。
そんな彼女達を観察して心中で冷や汗をかいていたのが…ニコライである。
遠目に彼女達を探してみれば「ソフィア医師は怒っているし、ナディアはいつも通り、副メイド長は不気味な笑顔、アリサは副メイド長にビビってる」という光景。
冷や汗ダラダラも致し方ない光景だ。
「副メイド長には取り敢えず土下座でも何でもして許しを乞うべきだな…」
一国の最高権力者らしからない台詞を呟く。
ストレスで禿げそう…そんな事を思いつつ彼はサーベルをゆっくりと鞘から抜いた。
…
「では…始めっ」
ヴィルヘルムの一声を以って、遂に決闘開始である。
決闘がどうのこうの…とかいう話になったのは読み返してみれば三十七話(第二章の最終話)の時点ですね。
そして遂に…次回、六十話にて決闘開始です!
いやぁ、長かった…三十七話の投稿日はリアルでの五月三十一日ですから、これだけで約五カ月近く経っている計算となる訳です。
どんだけ引っ張るんだと自分に呆れますね(笑)
あれも書こう、これも書こう、と無闇矢鱈と風呂敷を広げ過ぎたが故の因果応報ってやつですな。
いつまでも話が進まないこんな駄目駄目小説を読んで下さっている方々には頭が上がりませぬ。
御御足ペロペロペロポネソスせn………いや、何でもないです…
さあ、果たして筆者は七十話に達する前に決闘を終わらせて第四章に至る事が出来るのか…?!
あたたか〜い目orせせら嗤いながら見守って頂ければ嬉しゅうございます。