XLI.このお漏らしメイドの主人は…なんとまあ私である。
※注釈
・御幸
みゆき、と読みます。
皇族のお出掛けの事。
プラトークの皇女にだって、使って良い言葉のはずです。
あれ…?行啓の方が良いのかな…?
分かりませぬ…
・玉の輿
乗れるなら、是非とも乗りたいお輿です。
しかし、実際には玉の輿成功後の女性の満足度は凄く低いそうで…
やっぱり、好きな相手と結婚するのが一番だと思いますよ、筆者は。
いえ…偉そうな事言ってすいません。
「ごめんなざぃ〜」
「泣くなと言っているだろうが、泣くなってば!」
「じゅいましぇん…」
私の上で、ぴーぴー泣いているのは、新人メイドのアリサである。
こう見えてプラトークの正式なメイドだというのだから驚きだ。
精神年齢は道端でペロペロキャンディーでも舐めているちびっ子と大差無いのではないか、と思える程だ。
よくもまあ厳しい審査を潜り抜けて来られたものである。
ツンドラ状態の副メイド長と足して2で割れば、丁度良い塩梅になりそうな程の腑抜け。
軍隊並みに厳しいと言っても良い、我が国のメイドとしてやっていけるのか?
それとも、私が知らんだけで、皆最初はこの様なものなのか?
うむ…分からん…
妹による恐怖のあまり、私の上で盛大にお漏らしし、今はそれを悔やんでか恥ずかしがってか知らんが、ずっとこの調子で泣いている。
正直、鬱陶しい事この上ない。
彼女が泣いている間に、完全に中まで染み込んでしまったし。
胸の辺りにべとべと、と…
まあ、女の子のだから、まだギリギリ許せるが。
勿論、私はそういう趣味ではないがな。
「じゃあもう泣くのは止めろ。私は気にしていないと言っているだろう?」
「違うんです…漏らしちゃったから泣いてるんじゃないんですぅ…ぐすっ」
「じゃあ何だ?」
「殿下が怖かったので…」
そっち!?
まさかの、そっちか!
皇太子、つまり彼女の実質的な雇い主である私の上でお漏らしし、泣いているのかと思えば、まさかのナーシャ。
確かに、散々に脅されてはいたが、彼女が部屋を出て行ってもう体感では二十分程経つのである。
まだそれで泣くか?
随分と面倒臭いお嬢さんだ。
「別に、陛下の上でお漏らししてしまった事は…全く気にしてません…」
いや、確かに気にするな、とは言ったが、それでも少しは気にして欲しいのだが。
まあしかし、彼女が私の上で仕出かしてしまった事も、元はと言えば、ナーシャの責任。
ならば、仕方ないとも言えなくもない。
わざとでないなら仕方が無いのだ。
逆に、他人の上でわざと漏らす奴など、いるかどうか疑わしいが。
「妹がすまんな。どうも、君に色々と迷惑をかけている様で、申し訳ない」
何故妹がここにいるのか、とかそういう事はもう、この際どうでも良いのである。
どうせ、寂しくて追っ掛けて来た、とかそういう理由に違いないのだから。
多分、或いは確実に、そうだろう、と確信出来る。
しかし、どうも訳が分からんのが、目の前のこのアリサという新人メイドの存在だ。
仮にも皇女の御幸である。
行き先を隠すべく、少人数でここまで来る必要があるのに、何故そのお供にこの様な頼りないひよっ子を連れて来たのだろうか?
理解に苦しむ。
少なくとも、普通の状態でその様な事は有り得ない。
ナーシャはこっそりここまで来たのか?
それが故にお供も新人を選ばざるを得なかったのだろうか?
いや、しかし…それが可能だとも思えない。
プラトークからフォーアツァイトまでは随分と距離があり、それまでに多くの移動手段を使用し、多くの人間の手を借りる必要がある。
こっそり来られる様なものではないのだ。
ならば、考え得るのは“この少女が普通のメイドではない”という事である。
何らかの形で、ナーシャの企みに加わっている、いや、正確には…巻き込まれている、という可能性が高い。
アリサは、こう見えて実は、かなりの重要人物なのではなかろうか。
本人も知らぬうちに、多くの情報を得ているのではないか?
であるならば、私のすべき事は一つ。
彼女から情報を得る、ただそれだけである。
彼女の素性、彼女がここに来るまでの経緯、ナーシャとの関係、全てだ。
その中に、有用な情報が散らばっているかもしれないのだから。
そしてそのためにも、泣き止んでもらわねば…
「頼むから泣き止んでくれ。レディーの涙は大事な時のために取っておくものだと知らんのか?」
秘密兵器をこの様に普段から使われては、秘密でも何でもなくなってしまう。
女性の涙。
これは対男性戦に非常に有効な決戦兵器だが、それはたまに使うからこその威力。
毎日使われても面倒なだけである。
「ぐすっ…知りませんでした…大事な時っていつですか?」
知るか。
…とは言えないので、優しく返答してあげよう。
「君がここぞと思った時だろうよ。主に、男を落としたい時とか」
「じゃあ、今もここぞと思う時なのですが…」
「何故だ?」
「陛下を落とせば玉の輿じゃないですか。今以上にチャンスなんて無いですよぉ…」
随分と正直な。
まあ、そうだね、とは思うが。
宮殿のメイドという職業が人気なのは給料が高い、というのもあるが、それだけではあの壮絶な人気っぷりが説明出来ない。
では、何故か?
簡単な話、私狙いである。
私の目に留まれば玉の輿、イエーイ!という事なのだろう。
私の父は歴代皇帝でも珍しく、それ程女に興味が無かった。
それ故にそういった玉の輿は先代では起こらなかったが、それまではそれなりの頻度で起こり得る事だったのだ。
身の回りの世話をしてくれる従順で美しいメイド。
まあ、気になってしまうのも致し方ないのだろう。
ちなみに、父の死後、トップがおっさんから二十代の若者(つまり私)にすげ替わった事で、急激にメイドの人気は高まっているらしい。
嬉しいのやら悲しいのやら、複雑な気分である。
故に、彼女が私で玉の輿を狙っていたとしても、仕方がない。
それどころか、それを私に直接言うだけまだ好感が持てるぐらいだ。
ちなみに、エレーナ副メイド長はそういう事に興味が無いのか何なのかは知らんが、私に媚びを売ろうとしないどころかその真逆をやってみせる、という大変偉大な人物だ。
仕事に私欲を混ぜないところは大変感服する限りだが、ほんの少しぐらい私に媚びを売ってくれたって構わないのではないか、と思うばかりである。
まあ、厄介事を片付けてくれたり、いざという時頼りになったり、と十分に評価出来る人物だが、彼女は少々、もしくはかなり愛想が悪い。
そこさえどうにかすれば、満点を与えても良いくらいなのだが…
言わば、副メイド長は可愛げが無いのである。
みんな違ってみんな良い、されど違い過ぎるのもまた厄介なのだ。
まあ良いさ、副メイド長は兎も角、今は目の前のアリサだ。
「それなら、残念ながら私には効果が無いから止めておけ。涙の無駄遣いだな。ほら、涙を拭いて」
「はい…」
「私の胸ポケットにハンカチが入っている。良ければそれを使い給え」
「すいません」
彼女はごそごそと私の胸ポケットをいじり始める。
幸いながら、ハンカチを入れていたのは右ポケット。
それに対して、アリサが漏らして濡れてしまったのは胸の左側。
不幸中の幸い、というやつである。
それなのに、彼女はあろう事か左ポケットを最初に見る。
「違う違う、反対側だ」
「あ、こっちですか」
それぐらい最初っから理解して頂きたいものだ。
まあ、本来ならば私が出してやりたいのだが、縛られているのだから仕方ない。
彼女はチーンと思いっきり鼻をかんで、満足気に頷く。
そして、ありがとうございました、とそれを返してくる。
鼻をかんだハンカチを返されても、非常に困るのだが…
「もう良い…それは君にあげるから。返さなくとも良い」
「いえいえ、そんな!申し訳ないです!」
とか言って、彼女は頑として言う事を聞かない。
返さなくて良い、と言っているのに…
「いらんと言っているだろうが」
「いえ、受け取れません!」
私も受け取れん。
「プレゼントだ、プレゼント。素直にそう思って受け取っておけ」
「プレゼントですか?」
「そうだ。妹が迷惑をかけている様だしな、それぐらいあげてもばちは当たらんだろうよ。良かったな、使用人にプレゼントを贈ったのは、これが初めてだ」
と、でも言って丸め込んでおく。
「じゃ、じゃあ!もしかして、陛下からプレゼントを貰ったのは、私が記念すべき一号にして、唯一無二ですか!?」
「そうだな」
彼女はにこにことしながら嬉しそうに跳ねる。
まあ、安いものだ。
これくらいでこの少女のご機嫌がとれるのなら。
「ところで、聞きたい事があるのだが」
「はいっ!何なりと!」
さっきまで泣いていたのが嘘の様に、元気を取り戻し、彼女はびしっと私に応える。
単純な人間というのは、やはり扱いが楽で良いな。
「妹がここに来た理由と手段は?」
「それは、勿論陛下を追い掛けるべく、です。殿下は陛下の出立後、手が付けられない程に荒れまして…最終手段として、伯爵夫人が、殿下がフォーアツァイトに行く事をお許しになったのです。ここまでの移動手段は陛下と同じものだと伺っております」
「やはりそうなったのか…私の不在中、妹が多少なりとも暴れる様な事態は想定済みだったが…まさか姉上を以ってしても放り投げるレベルとはなあ。もしものために、姉上を呼んでおいて正解だったな」
妹暴走時に備え、姉を呼び出していたのが功を奏した。
放って置くと、国が滅ぶレベルだからな、ナーシャは。
「本当に凄かったんですよ…先輩方でもお手上げ状態で…」
「それは、余程だな」
「はい。余程だったんです」
帰ったらまた使用人達には休暇を与えるなり何なりしてやる必要があるやもしれんな…
「では、君は何故ここにいるのかな?いや…その前に君について聞きたい」
「わ、私についてですか?」
「そうだ、君についてだ」
「例えば、どの様な事について?」
「全てだ。思い付く限り言ってみ給え。君について知りたいのだ」
「そこまで言うなら…仕方ないですねぇ」
もじもじ、と彼女は何故だか既視感がある態度をとる。
「背は低いですが、胸には自信がありまして、バストは…」
バスト…?
もしや、彼女は何か重大な勘違いをしているのでは?
「おい、待て。それは言わずとも良い」
「ふぇっ?」
「全てとは言ったが、その様なセクハラじみた事までは必要無いぞ」
多分、彼女の中では先程の私の言葉が、「君の事が気になって仕方ないんだ!君の事がもっと知りたいよ!」といった風に変換されてしまったのだろう。
ええい、アーデルベルトと同類の臭いがするぞ!
「質問が悪かったな…君の出身は?」
「名乗るほども無い、田舎の商家の長女です!」
「メイドに志願したのは何故だ?」
「長女として家族を養うため、そして乞い願わくば玉の輿を実現するためです!」
うん、正直で大変結構。
絶対にその様なものは実現しないがな。
「では、君とナーシャの関係は?」
「脅し、脅され、みたいな?大体そんな感じです」
「何故よりにもよって、君が選ばれたのだ?」
「新人だし、脅しに屈しやすい、と思われたのかもしれません。実際に、屈しましたし」
そうだな、がっつり屈しているな。
「あ、後、殿下は新人の方が一から教育出来る、とか仰ってました」
ほう、これは重要な情報だ。
つまり、アリサはナーシャの新しい手駒候補なのだ。
一から教育し、自分の忠実な配下にするつもりらしい。
副メイド長はまだナーシャの命令に従いつつも、分別を弁えている。
だが、もしもアリサの様な何も知らない人間がその様なものを備える前にナーシャの手下となってしまったら…
ナーシャの無茶を忠実に実行する、恐ろしい悪の手先となり得る。
ここであらかじめこの事を知れたのは幸運だった。
今ならまだ間に合う。
今なら彼女をこっち側に引き込む事が出来るし、ナーシャから奪う事も出来る。
そこまでは無理でも、ある程度彼女のナーシャによる洗脳を妨げられよう。
白が黒に染まる前に、私が先に染めてしまおう。
都合良く、彼女はナーシャに不満があり、私には多少の好意を寄せている。
正解には、玉の輿願望を。
「君の雇い主は誰か知っているか?」
「国です」
「つまり、誰だ?」
「陛下です」
「そう分かっているならば問題無いな。君の主人として命令だ」
「何でしょう?」
「私の専属メイドになれ」
私の現在の専属の侍女達は既にナーシャの影響下にある。
ならば、妹と同じ手段を使って自分の味方を生み出すのも悪くはないのではなかろうか。
ナーシャではなく、私がアリサを一から教育するのだ、忠実な味方として。
さて、この方針が果たして吉と出るか、凶と出るか。