XXXIV.ヤンデレ妹から兄を奪ったら当然の帰結として禁断症状が!
※注釈
・メジアン
中央値の事。
データを順に並べた時、真ん中になるもの。
ちなみに筆者は、テレビや新聞、ネットなどで統計やアンケートの結果を見ると、大抵の場合は平均値しか教えてくれないので、そこに怒りを感じてしまいます。
「平均なんてどうでも良い、中央値を見せろ!」と。
だって、平均なんてちっともアテにならないんですもん。
もういっその事、データをまるまる見せて頂きたいぐらいです。
・網
たかが網、されど網。
網と聴いても、武器にできそうなイメージは無いと思いますが、実際には十分脅威となり得ます。
相手を絡めとって動けなくする、という単純なものですが、それが強かった。
ローマの剣闘士が使う武器の中では最も強かったとか。
遠隔攻撃が封じられた状況下では無類の強さを誇ったのです。
特に、肩に盾を据え付けたりしていると、直ぐに引っ掛かってしまうそうです。
…ザクIIとかもアウトですね。
まさに、柔は剛を制す、です!
我々メイド達に背を向ける形でリーダーと話していた伯爵夫人は、くるりと優雅に踵で回り、こちらに向き直る。
「さあ、準備は良い様だから早速作戦を説明するわよ」
その声に合わせて、そこに居並ぶ全員の表情が真剣なものに変わる。
メジアンは二十三歳だという宮殿のメイド達。
(一部例外としておばちゃんズがいらっしゃるので敢えて平均ではなくメジアン)
厳しい採用試験の審査項目のうちの一つが容姿だという事もあり、皆それぞれ美少女、或いは美女と呼ぶに相応しい。
更に、日々の生活は規則正しく、仕事として適度な運動を毎日続け、食事もカロリーや栄養バランスを考慮されたものを摂っている。
故に、スタイルも自然に綺麗に保たれているのだ。
そんな(私も含まれた)彼女達だが、それは他国に於いても宮殿住み込みのメイドならば同じ。
プラトーク帝国のメイドが他国とは少し違うのは…
その戦闘力だ。
仮想敵として衛兵を想定し、戦闘能力を高めるべく日々特訓する彼女達は、最早ただのメイドと呼ぶには強過ぎた。
掃除機を槍代わりに振り回し、個々の力もさる事ながら、連携面でも非常に優れているが故に、第二の衛兵と言うに相応しいものと化していた。
プラトークのメイドとはすなわち、宮殿の使用人であり、守護者なのだった。
故に、ここにいるAグループの面々も、“麗しのメイド”というよりかは、“歴戦の女戦士”と表現した方が適切なのではないかと思われる程に凛々しい。
可愛く言えば、“戦うメイドさん”。
そしてその中に混ざる新入りの私は、未だに“麗しのメイド”から脱却出来ずにいた。
私に戦士としての職務は果たせるのだろうか?
しかし、そんな私の不安を他所に、刻一刻とその時は迫るのだった。
「先ず、諸君の今回の目標は、私をナーシャの元まで送り届ける事、ただそれだけだと言っておくわ。具体的に言えば、私が妹に近寄れるように彼女を無力化する事、ね」
ナーシャ…?
それは、アナスタシア殿下の事では…?
何故殿下の名が今ここで出て来る?
もしや、ターゲットとは殿下なのか…?
…いや、まさかそんなはずはあるまい。
もしそうだとしても、何故殿下をこうも懼れる必要がある?
きっとアナスタシア殿下は何者かに人質か何かにされているのでは?
そして犯人は殿下を人質に、ルーム2Dに立て籠もっているんだ。
うん、きっとそうだ。
「ルーム2Dの出入り口は二つあるわ。そこで、二手に別れて侵入する事になる。一班と二班をアルファチーム、三から五班をベータチームと呼称し、その二つの集団がそれぞれの出入り口から中に入る。良いわね?」
それに寸分の狂い無くぴったりと合わさって、はいっ、と返事が返ってくる。
「現在、斥候の情報によれば、ターゲットは睡眠中。やるなら今しかないわ。起こさないように侵入し、全員の入室後、一斉に確保よ。簡単でしょ?」
「もし仮に、殿下が目を覚ましてしまわれた場合は?」
「それは…絶望的な状況だけど、それでも作戦を続行する以外に方法は無いでしょうね。もし仮にターゲットが目を覚ました場合は、既に入室済みの者から作戦開始よ。何か質問は?」
無い。
質問など無い。
この様なシンプルな作戦に疑問など沸きはしない。
他に良い案がある訳でも無し。
もし仮に尋ねる事があるとすれば、殿下についてだが…
今尋ねるべき事ではない。
「無いなら良し。では、五分後に作戦を開始する。各自、心の準備を。別れの前の楽しいお喋りなら今のうちよ?」
五分の猶予。
今こそ疑問を晴らす時だ。
「班長!」
「ん?何だ?」
「ターゲットに関してですが、アナスタシア殿下…とはどういう事でしょうか?」
「そのままの意味だが?」
「アナスタシア殿下は…人質か何かでは?」
「違う。アナスタシア殿下こそが我々のターゲットだ」
殿下こそがターゲット?
やはり聞き間違えでも何でもなく、Aグループですらこれ程までに警戒する対象は、アナスタシア殿下…?
「何故これ程までに警戒してらっしゃるのですか?」
私の知る殿下は、美しく、可憐な少女。
そして少し兄と仲が良過ぎるという事だけだ。
少なくとも、これ程までに彼女を警戒するに値する情報は少しも知らない。
「そうか…新入りのお前は知るはずもないか…」
「何をです?」
「殿下を甘く見てはならないぞ。殿下に敵うのは我々の中では副長のみ…いや、彼女でさえも、今の殿下に対抗出来るかどうか怪しいくらいだ」
どういう事だ…?
副メイド長と言えば、メイド界最強と名高い人物。
その人物すらをも上回る程とは…
「だから殿下の事は、悪く言うのは躊躇われるが…猛獣か何かだと思え」
どうやら、我々は皇女ではなく猛獣と相対するらしい。
✳︎
ほぼ正方形の、ルーム2Dの東西二ヶ所に扉はあった。
東からはアルファチーム、西からは私達ベータチームが侵入を試みる。
ベータチームは五、四、三班の順に入室し、先に入室した者が手前、後の者が奥側になるようにする。
つまり、我々五班は入室時点では先頭だが、アナスタシア皇女に攻撃を仕掛ける際には最後尾なのだ。
この様に順番を一々変更するのには意味がある。
入室時、もし仮にターゲットが目覚めてしまった場合などには、先に入室した我々五班が後続のために盾となり、無事に全班の入室が成功した際には後ろに下がっておく、という事だ。
要は、私の様なひよっ子が過半数を占める我々五班は、本当に肉壁でしかないのだ。
殿下が目覚めた場合には、後続の盾となる事だけを考えろ、とのお達しだ。
まあ、一番可哀想なのは私ではなく五班の生き残りの四人だが。
私が肉壁要員ならば、同じくこの四人の先輩方も肉壁なのだから。
彼女達は完全に巻き添えを喰った形だ。
突入開始時刻は0640、つまり午前六時四十分。
丁度十秒後だ。
先頭の班長が指でカウントダウンを開始する。
10…9…8…7…
班長の指は少し小刻みに震えていた。
これが武者震いというものか。
…6…5…4…3…息を呑む…2…1…
…突入!
突入とは言っても、荒々しくドアを蹴破ったりだとか派手なものではない。
それどころか、音を立てないように、ゆっくり慎重に扉を開く。
音も無く静寂と共に作戦は始まったのだった。
ルーム2Dの内部はふかふかの絨毯が敷き詰められており、音を立てずに忍び寄るにはもってこいだ。
元々ここは客間らしく、調度品の類いも高級感が感じられる。
しかし、何故殿下はこんな所で寝ているのだろうか?
皇女ならば後宮に自分の部屋が与えられているはずなのだが…
そもそも、客間でどうやって眠るのだろう?
ベッドは無いし、ソファ…?
私のそんな疑問は、直ぐに解決した。
入室直後に、部屋の奥、どちらの出入り口からも最も離れた場所に彼女が眠っているのを発見したからだ。
ソファでも何でもなく、床、正しくは絨毯の上に寝そべって。
彼女までにはそれなりの距離があった。
ルーム2Dは宮殿の中では比較的大きい。
彼女が出入り口から離れた位置にいる以上、そうなるのは仕方の無い事だが。
彼女は今のところ、起きる気配無し。
すやすやと気持ち良さそうに寝息をたて、時折ごろりんと転がるだけだ。
寝相が悪いのだろうか。
しかし“寝相が悪い”などという些細な事だけでも、我々からはすれば勘弁して頂きたいものだ。
何故なら、彼女が少しでも動く度に皆の心臓が早鐘を撞く羽目になるからだ。
何も知らずに見れば、可愛らしい少女の仕草の一つでしかないのだが、メイド達からすれば同点ツーアウト満塁時の打者の如き緊張が一気に降り掛かってくるので非常に迷惑だ。
この寝相の悪さ…もしかしたらソファの上で寝ていたのに落ちて、あそこまで転がって行ったのでは?
ま、まさかね…
ソファから彼女の現在位置まで最低でも十メートル。
寝ている間に十メートルも転がるなんて、いくら何でも…
しかし、基本的に彼女の様に皇帝一族は普段から不必要に巨大なベッドで寝ているので、そのせいでベッドの上でアクロバティックな寝相を披露する癖が…な訳ないか…
何れにせよ、彼女はふかふか絨毯に埋もれて寝ている。
眠れる姫を襲うなら今がチャンスだ。
私は当初の予定通りに、部屋の手前の方で足を止め、後続を待つ。
振り向くと、そろりそろりと後ろからメイド達がやって来る。
偉大なる絨毯様のおかげで、抜き足差し足忍び足…などと足下に気を遣わなくとも問題無いのだが、一応念のために皆ゆっくりと歩いて進んでいるのだ。
連なる面々はどれも険しい表情で、美人台無しだ。
麗しのメイド達は、もう既に戦闘モードに突入済みのご様子。
ちらりと見れば、我々ベータチームだけでなくアルファチームも順調に入室敢行中だ。
無事に何事も無く全員の入室が完了すると、最後にリーダーと伯爵夫人が入って来る。
二人は私の傍の出入り口付近でぴたりと足を止める。
彼女達は最後尾から様子を見守る手筈だ。
私同様待機するメイド達は皆彼女の方をじっと見つめている。
さあ、何時でも命令せよ、と。
皆の期待に応え、彼女は天を貫くかの如く、鋭く右手を挙げる。
そして彼女は一人一人の顔を見て、満足気に頷くと、ふぅっと息を吸う。
皆の視線がその指先へと走る。
今か今かと焦る皆の気持ちを受け、刹那、ひゅっと心地好い風を斬る音を立て、右手は振り下ろされる。
前進の合図だ。
直ぐ様アナスタシア皇女の方に向き直ったメイド軍団は接近を開始する。
先程までと変わらぬ速度で前進し、ターゲットに接近。
右手には主兵装のサイクロン、左手には今作戦のために用意した網を持つ。
この網で殿下を絡めとり、動きを封じてしまおうという事だ。
殿下を傷付けずに無力化するにはこれ以外に方法が無かったのだ。
この網は少し特殊で、殿下がもし仮に刃物を持っていた場合に備え、網の表面を細い針金が螺旋状に覆っている。
おかげさまで網の信頼性は増したが、少しだけ重くなってしまった。
網は小さな袋の中に入っており、その袋を投げると自動的に中から網が飛び出す仕組みになっている。
確実性を重視し、殿下に約五メートルの位置まで近付き、そこから一斉に網を投げる。
もし接近前に殿下が目を覚ましてしまった場合は、前列の数人が遠距離からでも網を投げ、後ろの人間がその隙に走って近付き、近距離から確実に仕留めるという想定。
例え半分の人間が殿下の餌食になるとしても、彼女の動きを封じ、オリガ様が殿下へと近付ければそれで良し。
まあ、殿下が目覚めなければそれに越した事は無いのだが。
現在、先頭は殿下まで20メートル程。
少しずつ、少しずつ、息を殺して進んでいく。
19…18…17メートル…
アルファチームも同様で、両方から挟み込む様に…
…刹那、ぼんっという音と共に、先頭の数人が突然、吹っ飛んだ。
まるでボールの如く撥ねて、天井にぐしゃりとぶつかる。
そして、まるでぺったんこになった蚊の様にぺしゃんと地面に落ちて来る。
何が起きたのか…
誰もが分からず戸惑う。
吹き飛ばされた数人は呻きを上げ、絨毯の上でうずくまっている。
そしてその脇にはクッションが…
…クッション?
何故その様なものが?
「全員突撃っ!!」
私の思考を断ち切るかの様にそう誰かが叫ぶ。
大声を出しては殿下が起きてしま…う…?
もう起きている…?
彼女は…いつの間にやら起きていた。
そしてその表情はこの上ない程の笑み。
少女の笑顔、ただそれだけのものなのに、何故これ程までに不気味なのか。
皆があらかじめ決められた通りに彼女に向かって駆け出す。
しかし、彼女は笑顔を崩さない。
そして、こう尋ねるのだった。
「兄上は何処にいらっしゃるの?」
しかし、誰も答えない。
もう一度彼女は問う。
「兄上は?何処?」
やはり返答無し。
全員が口を閉ざしたまま。
何も言わずにただ走る。
彼女の笑顔が消えた。
不味い、自分の中の何かが警告する。
そしてその虫の予感は的中する。
「伏せろ!」
彼女は流れる様な動作でテーブルの上の大量のティーカップを一気に掴むと、投げる。
野球の様な投げ方ではなく、まるでばら撒くかの様に。
そして気が付いたらこつん、という軽い音の後、ばたばたとメイド達が倒れていく。
ティーカップでメイド達を倒す、だと?
ここに揃うは精鋭のAグループ。
ティーカップが多少ぶつかったぐらいで倒れる程ヤワなはずがない。
しかしながら、事実としては彼女達は次々と倒れていく。
立っていられる人数は一気に半分くらいにまで減っていた。
そしてこの間、約五秒。
五秒で半分が無力化。
要因としては、想定していなかった殿下の遠距離攻撃によって、早期に前列が倒され、網を投げて時間を稼ぐ、という計画が根本的に破綻したからだ。
この作戦、大丈夫なのか…?