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XXIX.落ち込んでる時は、優しくお姉さんに声を掛けられたい。

※注釈

・フライドバター

マジで存在する驚異の食べ物。

人類の行き着く先。

気になるあなたはググりましょう。

多分、英語で検索すればヒットするはず。

健康の観点から、あまりオススメは出来ませんが、一度は食べてみたい気もする。

「何故、こんな所で黄昏(たそがれ)ておられるのですか?」


「何故でしょうね。主に、帰りたくても帰れないからではないでしょうか」


「何故帰りたくても帰れないのですか?」


「帰ったら説教が待っているからです」


「あら…ならばあなたは幸せ者ですね」


「私が、ですか…?」


「だって、理由はどうあれ、待ってくれる人がいらっしゃるのでしょう?」


 無意識に視線を、空のぼんやりとした月から、彼女の方へと向ける。


 バルコニーには明かり一つ無い。

 光源は頼りない月と、階下から漏れてくる灯火の光だけだ。


 彼女は、そんな暗闇の中から、すっと音も無く幽霊の様に現れた。


「お久し振りですね、ヴィートゲンシュテインさん」


 彼女は微笑を(たた)えながら私の横に来る。

 お隣、宜しいですか?と確認をとった後、私と同じ様に手摺りに肘をつく。


「お久し振り、という程でもないですが。またお会い出来て光栄です、ルイーゼさん」


「私の名前、覚えていて下さったのですね」


「勿論です。それに、あなたもでしょう?」


 それもそうですね、と彼女は笑う。


「ところで、何故ここへ…?宮殿の中でもここは特に寂れているからこそ、こうやってここにいたのに」


「同じ理由です。誰も来ないから、私もここによく来るんです」


「それ程頻繁に宮殿にはいらっしゃるのですか?」


「それは、秘密です」


 いたずらっぽく口元に指を当てて、彼女はウインクしてみせる。


 この前パーティーで会った時とは少し印象が違う。

 以前は親しみやすい印象だったのだが、今は何だかミステリアスな雰囲気が漂っている。


 この場所柄がそうさせているのか、或いは…


「あ、そうだ!」


 彼女はぽんっと手を叩くと、先程までの哀愁漂う様子は何処へやら、にこにこと何処からか小さな紙袋を取り出す。


「すっかり忘れていました。偶然、ここで食べようと思って持って来ていたんでした」


「それは?」


「ほら、あそこ!今は暗くて見えませんが、あそこら辺に広場があって、そこにいつも屋台がたっているんです。そこで今日、買って来たんです。一緒にいただきましょう」


 紙袋の中には、暗くてよく分からないが、何か食べ物が入っている様だ。

 彼女が紙袋を開けると、ほのかに甘い香りが漂う。


「良い匂いですね…シナモン…かな?」


「正確です。シナモンを使っているものもありますよ」


 彼女はごそごそと中から丸いものを二つ取り出し、片方を私に手渡す。


 パンに似ているが…

 しかし、真ん中にぽっかりと穴が開いている。

 車輪を模しているのか…?


「これは…見た事のないものですね。小麦を使っているのは確かでしょうが、パンでもなさそうですし…」


「やはりプラトークには無いのですね。プラトークの人達は人生の半分くらいを損していますね」


「またまた、大袈裟ですね」


「いえ、本当ですとも。今は冷めてしまっているけど、出来立てはほっぺが落っこちるくらい美味しいんですよ」


 彼女は両手を大きく広げ、必死にそれを伝えようとする。


「ははは、それならば食べてみるとしましょう。出来立てがそれ程美味ならば、冷めていてもほっぺが飛び跳ねるくらいには美味しいのでしょうから」


「いやあ…やっぱりそれは大袈裟かなぁ…でも、美味しいのは確かです」


 彼女がごくりと唾を呑み込み、辛抱出来なくなったのか、ぱくっとかじりつく。


「う〜ん、美味しい!」


 私もそれに倣って一口。


 彼女の言う事もあながち嘘でもないな。

 予想外にさくりとした食感。

 そして中はもちもち。

 刹那に口の中で広がる優しい甘み。


 …美味だ。


「本当だ。美味しいですね。何故プラトークにはこういったものが無いのでしょうね…」


「ふっふっふ!羨ましいでしょう?」


「羨ましい…この前のパーティーでも、プラトークでは食べた事がない不可思議な料理が沢山あって、少しだけレシピをシェフに教えて頂いたのです。プラトークが遅れているのか…フォーアツァイトが優れているのか…何れにせよ、食の面では我々はあなた方に完敗ですよ」


「そう言ってもらえると嬉しいですね。これはドーナツっていうお菓子なんです」


「偉大な発明ですな」


「残念ながら、フォーアツァイトのお菓子ではありませんよ。元々は他国発祥のものです。世界中に知れ渡った有名なお菓子なのですが…そうですか…プラトークには無いのですね…」


「我が帝国は少し世間から切り離されている感がありますからね。そこはこれから努力するしかありません。こんな美味しいものが食べられるようになるならば、頑張る甲斐もありますしね」


「頑張るのはあなたではなく外交官の皆さんですけどね」


 意地悪っぽく彼女はそう言う。


 私もわざとらしく悲しげに返答し、それに応えてみせる。


「軍の総司令官にも出来る事があるかもしれないじゃないですか」


「例えば?」


「そうですね…例えば、ドーナツの作り方をここでルイーゼさんに教わる、とか?」


「残念でした!私は作り方なんて知りません!」


 彼女は楽しそうにそう言って、また袋の中からドーナツを二個取り出す。


 もう既に二人共ドーナツを食べ切ってしまっていたのだ。

 勿論、片方は私の分だ。


「それは残念です…それならば、その屋台とやらに直接出向いて聞き出すしかないですね」


「それが良いと思いますよ。あ、私が知る限りでは、小麦粉ベースの生地を揚げて作るそうです」


「揚げ物か…ならばこの美味さにも納得です」


「どうしてですか?」


「揚げれば何でも美味しくなるんですよ」


「そんな事ないですよ」


「いいえ、実際にそうなんです」


「なら、取り敢えず片っ端から揚げてみるのも良いかもしれませんね。新しい料理が見つかるかも」


「なら、私もレタスかキャベツでも揚げてみようかなぁ」


「それは流石に…」


 お互いに顔を見合わせて笑う。


「では、何だったら上手くいきそうですか?」


「そうですね…バターとか!名付けて、“フライドバター”!」


「ええ…それは何と言うか、身体に悪そうですね…」


「何故です?」


「バターも油だし、衣も油ですから。美味しいとか不味いとか以前に、太りますよ」


「わあ…それは危険ですね。絶対にそんなものは発明しない方が良さそうです」


「ですね」


 ぱくんとドーナツをかじる。


 やはり美味い。

 これはもうレシピを聞きに行くべきだな。

 出来立てとやらも食べてみたいし。


「ところで…」


「はい」


「何故帰ったら説教が待っているんですか?」


「やはり気になりますか?」


「ええ」


 まあ、当たり前か。

 しかし、うち明けるにしても、どう言えば良いのだろうか。


 婚活が婚約者にバレて、更に専属医がお怒り?

 そんな事、普通の人間には無いだろうしな…


 でも、ここで話してしまって楽になりたい気もする。


「別に、話したくなければ無理にとは言いませんが」


 私が黙っていたせいで、彼女はフォローを入れる。


「いえ、大丈夫です。少しややこしい話になるので、どう話せば良いか、悩んでいただけですよ」


「本当に?無理せずとも良いんですよ?」


 彼女は(いたわ)る様に私を覗き込む。


「本当ですってば」


「なら、聞かせて下さい」


 私はこくんと頷き、語り始める。


「その…知り合いの女の子がいまして…」


「ええ」


「彼女は私の事を慕ってくれている様なんです」


「まあ、良いじゃないですか」


「それが…彼女は少しやり過ぎてしまう嫌いがありまして。本気で私と結婚するつもりみたいなのです」


「あらら…小さい女の子なんですか?」


「そうです。まだ(とお)にも満たない歳で」


「それぐらいの歳の女の子って、憧れに近いものを男の人に持ってしまう事がありますからね…」


 遠い何かを見る様な目。

 彼女は何かを思い出しているのだろうか。


「ルイーゼさんもその様な経験が?」


「ええ、お恥ずかしながら。身近な大人の男性に、それに似た感情を抱いた事がありました」


 彼女にもそんな時期があったのか…


 今では想像出来ないが、彼女にも幼い頃はあったのだ。

 当たり前なのかもしれないが、普段は誰もが忘れてしまっている事。

 そういった忘却の末に、今の自分がいるのだ。


「その…結局どうなりましたか?」


「そうですね…確か、こっぴどくフラれました。当時の彼も、今のヴィートゲンシュテインさんの様に、困り果てていたのかもしれませんね」


 そう言うと、彼女は最後の一口をぽいっと放り込む。


 昔話というものは、哀しい様な、温かい様な、不思議な余韻を残していくものだ。

 彼女もそうだった様で、笑っている様な、泣いている様な、何とも言えぬ表情になる。


 その男の人の気持ち、何だか少しだけ分かる気がする。


「あの、もしかして、説教するために待っている人っていうのは、その女の子の事ですか…?」


「ええ…まあ…」


「遥かに歳下の女の子が?」


「そうですね」


「そんな、何があったんですか?」


 彼女は少し前のめりになって、私に迫ってくる。


 白状するか…


「その子に婚活していた事がバレてしまいまして…」


「それで叱られるから、こうして逃げているんですか?」


「はい」


 彼女はくくくく…っと暫く笑いを堪えていたが、遂に耐え切れなくなったのか、ははははは、と大きな声で笑う。


「いやっ…すいません…馬鹿にしているんじゃないですよ…?」


 笑い過ぎて苦しそうにしながら、彼女はそう弁明する。


「もっと真面目な話かと思っていたのに、予想以上にその…」


 しょうもない話でしたね、すいませんね。


「いえ、自分でも分かっていますから。如何に馬鹿げた事か」


「素直に謝ってみてはどうですか?」


「いえ、謝る筋合いはありませんし…」


「まあ、それもそうですねぇ」


 彼女はうーんと唸りつつ、頭を抱える。


「良い解決策は無いものでしょうか…」


「…思い浮かばないですね」


「その女の子に諦めてもらうしかないんですが、それも無理そうですか?」


「不可能ですね」


 ナディアが素直に諦める未来など、想像もつかない。


「ところで、ヴィートゲンシュテインさんって、独身だったんですね」


「え…?まあ」


「てっきり、もう既に結婚か婚約でもしているものかと」


 婚約は…一応しているが…

 ナディアはノーカンだろう。


「それが、していないんですよね」


「興味が無い訳ではないんでしょう?」


「そうなんですが、中々良い相手が見つからなくて…」


「そういうものなんですね。私は親が決めた相手と──いや、こういう事を言うのは()しておきましょう」


 彼女は途中でぶるぶると首を振り、中断する。


「ご主人に不満が?」


「いえ…そういう訳では──いや、そうです…」


 やはり結婚相手ぐらいは自分で決めたかっただろうに。


 あのパーティーの出席者はどいつもこいつも中年以上のおっさんだった。

 そしてそのお若いご夫人達。

 彼女も歳上の権力者と望まぬ政略結婚を強いられたのかもしれない。


「すいません、この話は本当に…」


「そうですね、止めておきましょう」


 そう思うと、彼女の先程からの明るさの裏に隠れた何かの正体も分かる気がする。

 わざわざこんな誰もいない所にいつも来ている理由も。


「そうだ…良い案を思い付きましたよ」


「解決策ですか?」


「ええ」


「どうするのですか?」


「諦めさせるのも不可能で、謝るのも嫌なんでしょう?」


「そうですね」


「なら、上手くはぐらかしてしまえば良いんですよ」


 はぐらかす、か。

 それが出来たら苦労しないのだが。


「そんな事、出来ますかね?」


「勿論!その女の子の虚を突けば良いのです。その子が今まで怒ってた事なんて忘れるぐらいのインパクトを!」


 彼女はぐしっと右腕で力こぶをつくる。


「どうやってですか?私にはその方法が思い付きませんよ」


「私が協力すれば簡単です。まあ、見ていて下さいな」


 彼女は、さあ行きましょうと私を促す。


「え…?協力…!?何をなさるおつもりですか?」


「私がその子の前でそれらしい行動をとって、気を惹きます」


「それ、逆効果なのでは…?」


「大丈夫!小さい女の子なんて、ライバルの出現に慌てふためいて何もかも忘れてしまいますよ」


 本当かな…?

 それに、待てよ…

 よく考えたら、ナディアと彼女を会わせるのは不味い。


 多分彼女はナディアをパーティーで少しにしろ、直接見ているはずだ。

 ナディアと会わせようものなら、確実に私が皇太子だと発覚する。

 折角これ程仲良くなれたのに、そうなったら全てがおじゃんになりかねん。


 彼女の申し出を断るか…

 それともいっその事、私の正体を明かすか…


 しかし、断るにしても、このタイミングでだと不自然過ぎるし…


 嗚呼、厄介な事になったなぁ。


「どうしたんですか?躊躇ってないで、行きましょうよ」


「それが…」


 いや、駄目だ。

 明かすにしてもそれは今ではない。

 やはり、自然に気付かれるのに任せた方が良いか…


「何でもありません…では、行きましょう」


「ええ、行きましょう」


「ただ、何があっても驚かないで下さいね」


「意味深な発言ですね」


「何れ分かりますよ。この発言の意味が」


 私は彼女に促されるがまま、暗い廊下を歩くのだった。

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