XXVII.人妻とは仲良くしよう。
以前、姉の歓迎のために夜会を開いた事があったが、今度は私が招かれる番だ。
食堂は隅々まで飾り立てられ、料理も並んでいる。
プラトークと多少違う所があるとすれば、その料理の種類だ。
祖国では見かけないものが幾つもある。
「へーか、おいしいね」
もぐもぐと口いっぱいに頬張りながらナディアは初めての味を楽しんでいる。
「そうだな。後でレシピを教えてもらっても良いかもしれんな」
私は現在、ナディア、ソフィア医師、おまけにエレーナ副メイド長を連れて食堂にいる。
パーティーとは言っても、私がここにいる事は極秘なので小さなものだが、あちらとしてもこれが精一杯のもてなしなのだろう。
有り難くもてなされる事とする。
一応、パーティーという名目なだけあって一部の人間に限り招待しているそうで、我々の他にも何人かいる。
基本的には大臣や高級官僚の様だが、ちらほらとそうでないと思われる人達も。
きっと家族を連れて来たのだろうが。
ナディアとソフィア医師は重たいドレスを持って来る余裕が無かったので、ここで借りたものを着ている。
ナディアはびっくりするぐらい大きなリボンで髪を後ろに括り、こちらの流行りのドレスとやら。
やけにモコモコとしたドレスだが、これが流行りなのか?
残念ながらプラトークでは流行りそうにない。
まあ、ナディアは何を着ようとも可愛いので問題無いが。
ソフィア医師もここで借りたものだが、ナディアとは打って変わってすらっとした、身体のラインを強調するデザイン。
背中は開いているし胸もくびれも強調されまくり。
スタイルが良くないと着れないな。
そんなドレスを着こなす彼女は恐ろしい事この上ない。
このドレスを一言で言い表わせば、エロい、ただそれだけだ。
このドレスを選んだ人には感謝の言葉を贈りたい。
目の保養になる、とはまさにこの事。
普段はドレスの上から白衣を羽織る、という謎の格好の彼女であるが故にいっそうそれが際立つ。
更にそこに恥じらい要素が加わるのだから…
そんなにまじまじと見ないで下さい、と恥じらう姿を見た瞬間、私の鋼の理性が融解しかけた。
ほら、周りの紳士諸君もついつい彼女に目がいってるし。
妻子持ちのおっさんをたぶらかし、家庭崩壊を招く恐怖!
確かに彼女が私の愛人だとか勘違いされるのも納得がいく。
だって、普通の男ならば放って置かないもの。
実際、皇帝のヴィルヘルムも彼女を見て何とも言えない表情になっている。
「こちらが、婚約者殿か…」
「ええ、そうですよ」
ナディアについて話しているはずなのに彼の視線は完全にソフィア医師の方にいっている。
「で、そちらはどなたかな?もしや、ニコライ殿の愛人の…もしくは妹さんかな?」
彼はナーシャを見た事がないので、ナーシャの可能性も考慮した様だ。
「いえ、どちらでもありません。ただの専属医ですよ」
「専属医…?つまり、噂の愛人殿か」
「まあ、彼女が愛人と噂されている本人なのは確かですが」
「君も隅に置けないな。こんなに可愛らしい婚約者と、美しい愛人といつも過ごしているとは羨ましい限りだ」
ええ、普段はこれプラス妹で過ごしてますとも。
しかし、そんなものはどうでも良いから私は結婚したい。
一に結婚、二に結婚。三、四がとんで五に結婚!
プラトーク皇帝は制度的に結婚しているのが半ば前提となっているし、さっさと結婚しなければ皇帝にもなれん。
それは建前として、周囲はもうとっくに結婚している年齢なのに私だけ結婚してないとか耐えられんのだ。
同年代の貴族達が次々と結婚していき、もう既に育児段階にまで突入しているのに私は独身。
行き遅れる前に…いや、貰い遅れる前に何とかせねば…
アーデルベルト君に頼るしかない。
故に、もうソフィア医師の美貌とかどうでも良いのだ。
愛人などいらんのだよ、そんなものより嫁が欲しい!
故に、私はヴィルヘルムに語気を強めてこう言うのだ。
「全く羨ましくなどありませんっ!!」
✳︎
数人のフォーアツァイトの人間と挨拶して、その後一休み。
大人気のナディアとソフィア医師を囮にして、人混みから逃げて来たのだ。
フォーアツァイトの人々は“皇太子のロリ婚約者”と“皇太子の綺麗な愛人”には興味津々だが、肝心の私自身にはあまり興味が無いらしく、彼女達とセットで、“ロリコン皇太子”と見られるだけだった。
それ故、するりと簡単に逃れられた。
ただの食堂でも十分広いので、距離をとれば問題無いだろう。
扉にもたれてぼーっとしていると、途中から女性が部屋に入って来る。
彼女と目が合う。
軽く会釈すると、彼女は丁寧に頭を下げてくる。
綺麗な女性だった。
全体的に、何だかソフィア医師に似ている気がする。
髪型もそうだが、彼女からは共通の雰囲気が感じられるのだ。
何だか側にいると安心する様な…
年齢は私と同じかそれより少し下ぐらいだろう。
ソフィア医師よりも歳上な分、全てを包み込む母性の様なものが感じられる。
ああ、ソフィア医師も成長すればこんな風になるのだろうなぁ、と思わずにはいられない。
それくらい、彼女はソフィア医師に似ていた。
だが、彼女はきっと既婚者だろう。
このパーティーに来ているおっさん達の誰かの妻だと思われる。
何故なら、このパーティーに来ているのは、高級官僚とその妻までらしいからだ。
このパーティーの詳細は秘匿されなければならない。
故に、彼等も妻の同伴は認められてはいるものの、子供を連れて来るのは許されていないのだ。
つまり、目の前の彼女もそうに違いない。
流石に私とて人妻に手を出す趣味は無いので、彼女の事は諦めた方が良いだろう。
もし既婚者でなければ彼女にアタックしても良かったのだが。
「あの、お尋ねしたいのですが、あそこの人混みは何なのでしょう?」
彼女が指差す先には、例の群衆。
ナディアとソフィア医師を中心とした、半径数メートルの円だ。
「あれは、プラトークの皇太子の婚約者ですね。物珍しいのか、皆さんで取り囲んでますね」
私は敢えて他人事の様に話す。
ここで彼女に私が皇太子だと気付かれては面倒なので。
「失礼ですが、あなたもプラトークのお方ですか?見かけないお顔ですので」
どうやら、プラトークの人間である事は既に気付かれているらしい。
きっと、外交官か何かだと思っているのだろう。
ここは彼女に勘違いしたままでいてもらおう。
「はい、私もプラトークから。フォーアツァイトは初めてですが、素敵な国ですね」
「そうですか?私は帝都から外に出た事が無いので、よくは分かりませんが…」
「帝都から…出た事が無いのですか?」
「ええ」
意外だな。
彼女はもしかしたらかなりの高貴な女性なのかもしれん。
まあ、高級官僚の妻なのだし、当然なのかもな。
あのおっさん達のうちの誰がこの女性の夫なのかは分からんが、こんな人と結婚するなんて羨ましい事この上無い。
「ところで、あなたのお名前を伺っても?」
「あ、これは失礼しました。名乗る程の者でもないのですが…私の事はルイーゼとでもお呼び下さい」
「私は、えーっと…ピョートル・フロスティアーラヴィチ・ヴィートゲンシュテインです」
兎も角、ここはヴィートゲンシュテインの名を借りる事とする。
彼の名は殆ど知れてないので、丁度良いだろう。
「外交官の方ですか?」
「いいえ、プラトーク帝国軍の総司令官です…一応」
「まあ、凄い!」
本来、軍の最高責任者なんて役職は、彼女の反応を見れば分かる様に、凄い地位なのだ。
ただし、それはプラトーク以外での話。
そんなに驚かれると、文化の違いというものをひしひしと感じてしまう。
「宜しければ、プラトークについて色々とお話をお聞かせ願えませんか?世間知らずなものでして…」
「ええ、構いませんよ。丁度暇を持て余していたところです」
ルイーゼは嬉しそうに礼を言う。
勿論礼には及ばないのだが。
何故なら、彼女と仲良くするのは打算に裏打ちされた行為でしかないからだ。
彼女自身は既婚者でも、彼女の知り合いに未婚のレディーがいるはずだ。
私の真の狙いは彼女達。
アーデルベルト君を信じていない訳ではないが、念には念を。
つまり、彼女に親切にするのは婚活の一環でしかない。
多少は、美人には優しくしてしまうという男の性質によるものが無い訳でもないが。
私は手近なテーブルからワイングラスを二つ取って来て、それを彼女にも手渡す。
濃い紫色の液体が注がれている。
「ああ、どうも有り難うございます」
彼女はそう言うと、ワインの香りを嗅ぐ。
「プラトークの皇太子殿下を歓迎するパーティーなだけはあって、上質なワインを置いてありますね」
「匂いだけで違いがお分かりになるのですか?」
「まあ、ある程度は」
話には聴いていたが、本当にこういう人っているんだな、と驚いた。
少なくとも私には無理だ。
「羨ましいなあ。私にもそういう特技の一つでもあれば良かったのですが」
「何を仰るのですか、ヴィートゲンシュテインさんは軍の最高責任者なのでしょう?その方がよっぽど羨ましいと思いますよ」
「そうですか?」
「そうですとも!」
彼女がワインに口を付けたので、私も飲んでみる。
確かに美味だ。
口の中で広がる濃厚な香り。
この風味を例えるならばそう、国境の長いトンネルを抜けるとそこはぶどう園だった、といった感じ。
彼女の言う通り、上質なものを開けてくれたらしい。
「ところで、何をお話しすれば良いでしょうか?」
「そうですね…では、プラトークの宮殿での生活、とかから」
✳︎
「へーか、なんでさっきからずっとニヤついてるの?」
「ニヤついてなどいないぞ」
「陛下、失礼ながらナディアの言う通り、にやけてらっしゃいます」
「そうか?」
自分の顔の事なんて、よく分からん。
パーティーも先程お開きとなり、後は寝るだけ。
我々は現在、部屋でダラダラと時間を過ごしている最中だ。
パーティーが終わって直ぐに、この部屋に戻って来た際には、ナディアとソフィア医師はかなり疲れたのか、部屋に入るなり、その場に座り込んでしまった。
ドレスを脱ぐ気力も残っていなかった様で、ナディアは、「へーかがぬがせてくれなきゃいやだ」と駄々をこね、ソフィア医師は「陛下、わがままをお許し下さい。しかし、私は陛下に(以下略)」と、長々と言い訳がましく私に脱がせろと要求してきた。
回りくどい言い方だったが、彼女の言いたい事はただ一つ、脱がせろ、という事だけだった。
フォーアツァイトの侍女達も、私に助けを乞う様な目で見てくるし、こうなったら言う事を聞くしかないではないか。
という事で(一応私は次期皇帝なのだが)このわがままなレディー達のドレスを脱がせる羽目に。
着せる時よりも脱がせる方が楽なのが唯一の救いだが…
本来ならワクワクするはずの、“女性の服を脱がす”という行為が何故こうも哀しいのだろう…と思いながらも黙々と脱がせた。
パーティー会場ではあれ程エロかったソフィア医師のドレス姿が全く違ったものに見えてしまうのも何故だろうか?
やっぱり雰囲気は大事なのだな、と思った。
案の定と言うべきか、寝間着に着替えるとゴロゴロタイム。
毎度の事ながら、我々は寝る前の時間をだらだらと過ごす事が多いのだ。
それで椅子に座ってぼーっと天井を眺めて考え事をしていたのだが、知らず知らずのうちに、にやけていたのか…
多分、ルイーゼについて考えていたのが不味かったのだろうな。
彼女とお喋りして過ごすのは非常に楽しかった。
美人だし、教養もあるし、上品だし、同年代だし、私のタイプだし…
彼女が人妻であるという厳しい現実に目をつむれば、キャッキャウフフの楽しい時間だった。
「陛下、もしや浮気ですか?何か良い事でもあったのですか!?それを思い出してあんな表情を…!?」
「無い無い。おっさんと人妻しかいなかっただろう?」
「まあ、それもそうですね…」
ソフィア医師も引き下がってくれたのでひと安心だ。
「さて、いつまでもだらだらしてないで、そろそろ寝よう」
「はーい!」
「嗚呼…遂にこの日が…!陛下の右隣は私ですからね!!」
いつもはナーシャによって端に追いやられているので、今日はソフィア医師が興奮気味だ。
列車での件以来、彼女は私にラブラブオーラ(仮称)を振り撒いてくる。
ちょっと面倒なので止めて頂きたいのだが、言っても無駄だろうなぁ…
私がベッドに転がると、左にナディアが。
右には意気揚々とソフィア医師が…
…来るはずだったのだが、そうは問屋が卸さない。
「陛下!今日は一緒に眠れますね!!」
嬉しそうに彼女はベッドに飛び込んで来るが、ぐへっと彼女の呻き声がして、私がどうしたのかと振り向けば…
私の隣にダイブして来たはずのソフィア医師の代わりに、そこにはエレーナ副メイド長が…!
何処から現れたのやら…
いつの間にそこにいたのか物凄く気になるな。
「殿下がいらっしゃらないからと言って、イチャイチャ出来る訳ではありませんよ?」
うん、知ってた。
勿論、副メイド長とイチャイチャ出来ない事も。
「もしかして…そこで寝るのか…?」
「ええ」
「私の隣だぞ…?」
「それが何か?」
いえ、何でもないです…
こうして、私は全く嬉しくない事に、ナディアと副メイド長に挟まれて寝る事に。
右からの威圧感が凄まじくてロクに眠れたものではないが。
そしてソフィア医師はいつも通りに端に追いやられましたとさ。
こうしてフォーアツァイト一日目は過ぎたのだった。