XXVI.A NEW HOPE
※注釈
・ヴィルヘルム
この作品に於けるヴィルヘルムのモデルは、ヴィルヘルムはヴィルヘルムでも、2世の方。
分からない方のために簡潔に言い表せば、「ドイツ第二帝国の最後の皇帝」です。
そうです、ラストエンペラーです。
無能ではなかったけど、やんちゃし過ぎちゃった人ですね。
ビスマルクが築き上げてきたものをぶち壊し、殖民地獲得に奔走しました。
国益のため、という点では頑張ったのですが、そのせいで他国との対立を強めてしまったのがこの人の最大のミスです。
特に、対ロ◯ア帝国の外交は致命的なまでの失敗だと言えます。
ビスマルクの再保障条約によって当時の独露は繋がっていましたが、彼がロ◯アを軽視した事でそれも無くなってしまいます。
これによって、後にロ◯アとフランスを接近させてしまう事となり、大戦時には挟み撃ちされてしまう訳です。
フランスパン野郎に寝取られてしまった訳ですね。
そもそも、ロ◯アを味方に引き込んでいればシュリーヘンプランなど必要無かったのですから、これは本当に失策だと言えます。
当時のロ◯アは後の◯連と比べれば弱かったのでまだ救い様がありましたが、二正面作戦を強いられたツケは非常に大きかったのです。
外交の大切さが身に染みますね…
ちなみに少し興味深いのは、森鴎外の「舞姫」には、彼の父、ヴィルヘルム1世について記述があり、そこでは“ヴィルヘルム”を漢字で“維廉”と当て字してあり、振ってあるフリガナは“ヰルヘルム”です。
「おいおい、直後の“ビスマルク”はカタカナなのに、ヴィルヘルムは漢字なのかい?」とツッコミを入れたくもなりますが、きっと鴎外には鴎外なりに何か考えがあったのでしょう。
私には分かりませんけど。
「舞姫」は丁度第1次世界大戦の二十年前くらいに発表された作品でしたし、当時はヴィルヘルム1世が即位して間もない時期でした。
当時の鴎外はドイツ帝国の滅びの未来を知る由もなかった訳です。
そう考えると、何だか興奮してきませんか?!
私が過去に行けたなら鴎外に「先生、実は二十年後にドイツ帝国って滅ぶんっスよ!」と耳元で囁いてやりたいですねぇ…
・ビスマーク
微妙に名前は違っているが、誰がどう見てもあの人。
現実世界の彼とは別人ですが、ほぼ同じ様な事をしています。
現実に於けるビスマルクと言えば、ヴィルヘルム1世曰く、「ビスマルクのお陰で俺は皇帝になれた!」と言う程に偉大な人ですが、結構可哀想な人でもあります。
ヴィルヘルム2世はビスマルクを嫌がって“あっち行け”したので。
既に書きましたが、本作に於けるヴィルヘルムとは、この2世の方ですね。
晩年の彼は、悲惨の一言で言い表わせる程。
見方によっては幸せな最期だったとも言えなくはないですが。
鉄血政策、ビスマルク外交等、華々しい彼の偉業ばかり注目されますが…儚くも消えていった人物の一人でもあります。
彼がいれば、世界大戦は防げたのか?
もしくは少なくともドイツ帝国は存続していたのでは?と思わされます。
・あと十年は戦える
盛大なフラグ。
こういう事を言ってると、二ヶ月後に負けちゃったりする。
「よく来たな、ニコライ殿。フォーアツァイト皇帝として君を歓迎するよ」
「有り難うございます、陛下」
私は深くお辞儀をする。
何故私がこうも礼儀正しく振る舞っているのか?
答えは簡単だ。
彼が皇帝であるのに対して、私はただの皇太子。
更にここはフォーアツァイトだ。
故に私は現在、彼よりも格下なのだ。
「これからもしかしたら長い付き合いになるかもしれん。私の事は、名前で呼んでくれて構わんぞ。君も、もう既にプラトークでは陛下と呼ばれる立場なのだろう?交渉は、対等な立場で行われなくてはな」
「では、お言葉に甘えて。ヴィルヘルム殿、宜しくお願いします」
「ああ、こちらこそ」
彼と握手する。
ぐっと握る彼のその握力は、半端なものではない。
流石はホーエンツォリルン家、皇帝までもが一介の軍人の如く鍛えているのか。
悪く言えば、脳筋である彼等らしい。
時代遅れでさえなければ…
彼等は直ぐにでも天下を取れるだろう。
プラトークとフォーアツァイトの間には古くから連邦、もしくはその基盤となった国が存在していた。
つまり、我々は互いに国境を接した事が無い。
故に、両帝国間で戦争が起こった事は今までに無かった。
勿論、他国への戦争支援による、間接的な争いはあったものの、逆に言えばその程度。
両者の仲は、可もなく不可もなく、といったところ。
プラトークも、フォーアツァイトも、互いの真の力量を知らないのだ。
それ故、我々の交渉は先ずは互いをよく知る事から始まる。
「では、プラトークの現状を教えてはくれないか?フォーアツァイト同様に時代遅れだと聴いたが?」
「それは事実ですね。現状、そちらと変わらないぐらいのレベルです。ただ、もう既に軍の強化の手は既に打ってあります。今こうしている間にも、祖国では工場をフル稼働で武器弾薬、装甲車両や航空機を製造中です」
「技術的にはどの程度のものなのだ?」
「連邦よりも多少劣る程度かと。その分は練度と物量、奇襲効果で補うので問題ありません」
「ほお、それは実際にそれを見てみたいものだな」
「宜しければ、実際にプラトークにお越し下さい。歓迎しますよ」
ヴィルヘルムは、それを聴いてヒゲを撫でる。
彼は本当にプラトークに来るつもりかもしれない。
「だが、残念ながらそうはいかんのだよ。政治は全て私が一手に握っているものでな」
「誰か他の方は?」
「ああ、以前は丁度良い老人がいたのだがな、辞めさせた」
「お父上の御代の…宰相ですか?プラトークでも十分有名ですよ」
フォーアツァイトには、ヴィルヘルムの父の治世に宰相がいた。
彼の名はビスマーク。
又の名を、鉄血宰相とも言う。
フォーアツァイトが未だに影響力を保っているのは彼のお陰だと言っても良い。
彼は軍事面での帝国の強化を図った。
現在のフォーアツァイト帝国軍が時代遅れでも少しずつ近代化していっているのは全て彼のお陰。
再びフォーアツァイトが強大化していっているのも彼のお陰。
そして軍事以外にも、彼は優秀だった。
内政は勿論の事、外交手腕も巧みだった。
しかし、先の皇帝の死後、その後を継いだヴィルヘルムと対立し、辞任に追い込まれる。
皮肉な事に、彼が遺した多くのシステムは未だに機能し続けているが。
最近のフォーアツァイト帝国周辺の情勢がピリピリしているのも、彼の遺したシステムによるものだ。
それは、半永久的に動く歯車の様なもの。
何もせずとも、ちょっと予算を回してやるだけで大きなリターンが返って来る。
ヴィルヘルムは気付いていないが、彼の政治が安定しているのは全てビスマークのお陰だった。
「まあ、別に良いか。いざとなれば息子を行かせれば良いのだからな。実は、我々の方でもそれに似た事はしているのだ。ただ、軍の規模が桁違いに大きいから、全てを変えるにはいくら予算があっても足りん。君達程急いでいないから少しずつだが、我々も軍の変革の最中だ」
「しかし…先程もあちらで翼騎兵を見かけたばかりですよ…」
「確かにな。実際には、未だに中世地味ているのが実情だ。しかし、その一方で着実に軍は新しくなりつつあるのだよ」
彼の自信ありげな態度。
それ程のものが…?
「あの老いぼれが遺していったものの中で、最も優れた代物…そちらに流す予算が多過ぎて、ほかに回す金が足りんのだ」
「それは…一体…?」
「勿論秘密だがな」
やっぱりそうか…
まあ、手の内を明かす義理も無いか。
「では、フォーアツァイトの力量は信じて宜しいのですね?」
「当然だ。そもそも、秘密兵器無しでも我々は十分な戦力を有しているからな」
「では、連邦の気を惹くぐらいなら容易いと?」
「容易いが…だからと言って、やりたい訳ではないな。自ら望んで囮になろうなどと、誰が思うものか」
そう…私がフォーアツァイトに提案しようとしているのは、簡単に言えば囮役だ。
相手側からすれば、決して気分の良いものではない。
「それは承知の上です。ですが、例え囮だろうが何だろうが、結果的にフォーアツァイトの利益となるのは確実です。ここで連邦を叩ければ、必然的に同盟三国も半無力化出来ます。そうなれば、同盟三国とその背後にいる共和国がフォーアツァイトの軍門に下るのも時間の問題でしょう」
「連邦だけでなく、その後の展開も考慮すれば…確かに計り知れない利益を得られるだろうな」
「そうです。ですから、我々の提案に賛同して頂きたい。フォーアツァイトにとっては、連邦南部だけでなく、連邦と連携していた他の国々も手に入れるチャンスですから」
「では、聞きたいのだが…」
「何でしょう?」
彼は射竦める様な鋭い目で私を見る。
「プラトークの真意は何だ?」
「はい…?」
「君達は連邦北部を手に入れる。そして私達は連邦南部と同盟三国、共和国を。どう考えてもアンフェアだ。君達が連邦北部だけで満足出来るとは思えない。君達の真意は何だ?」
核心を突く質問。
だが、それに対する回答は、ヴィルヘルムに納得してもらえるものだろうか?
いや、俄かには信じ難い答えだろう。
それでも、それが事実なのだが。
「真意など、ありません。当然ながら、我々の目的は戦争自体ではありません。目的はただ一つ、連邦北部を占領し、民を養う。それだけです。我々はフォーアツァイトの様に領土を拡張する事を望んではいますが、本来の目的は民を救う事。それは連邦北部さえあれば十分達成可能なのです。ですから、アンフェアであろうとも我々はその条件を呑みますよ」
戦争自体が目的になるのは、末期でもない限り有り得ない。
目的と手段の混同は滅びを招くのみだ。
ジ◯ンはあと十年は戦える、とかその典型例。
そんな状況ではない以上、民のために戦う、ただそれだけだ。
「随分と無欲だな」
「ええ、その代わり、フォーアツァイトには連邦南部、同盟三国と共和国だけで満足して頂きたい。これ以上北は我々に譲って頂きたいのですよ。あなた方は南を支配し、我々は北を支配する…そういう役割分担に理解を示して頂きたいのです」
「そういう事か…我々を満足させ、安全保障も済ませようって腹か」
「そういう事です。さすれば、プラトークには平和と富が舞い込んで来るので。それに、ヴィルヘルム殿とて、北の寂れた土地などいらないでしょう?」
南の国々を侵略し、フォーアツァイトが南へ南へと広がってくれるのならば、我々には関係の無い話だ。
我々はあくまで北の人間。
別にそれ以上でもそれ以下でもなく、南に移住する事を望んでなどもいない。
それ以上領土を獲得する必要性がプラトークには無いのだ。
故に、この様などう考えてもフォーアツァイトに有利な密約を推し進められる。
フォーアツァイトがプラトークと敵対しない限り、プラトークは連邦北部さえ手に入ればそれで良いのだ。
フォーアツァイトがどんなに大きくなろうと知ったこっちゃない。
まあ、フォーアツァイトの周囲の国々からすれば堪ったものではないだろうが。
「では、戦争後も同盟状態を維持し、それぞれが北と南で満足する、と?」
「そういう事です。簡単でしょう?」
協力して連邦を挟み撃ち。
その後はプラトークは平和に。
フォーアツァイトは侵略に明け暮れる、と。
何と素晴らしい案だろうか。
これさえ成功すれば、財源は潤い、安全保障も完了。
私の治世は安泰だ。
「もし本当に君達が連邦の首を狩ってくれるのならば…断る訳にはいかないな…あまりにも話がうますぎる気がしないでもないが」
「あなたが余程の愚か者でなければ、話に乗ってくれると信じていますよ」
「だが、それが上手くいくかは、連邦の首をを狩れるかどうかに懸かっているのだろう?『Unternehmen Strum und Drang mit Blitzkrieg』とやらは本当に大丈夫なのだろうな?」
「絶対とは言い切れません。しかし、少なくともベストは尽くします」
「ならば、その作戦が上手くいくかどうか、私が見定めてやろう。密約を結ぶかどうかはそれ次第だ」
「それでは…」
「いや、待ち給え。そう急ぐ事もあるまい。それは明日にしよう」
彼はそう告げると、不敵な笑みを浮かべる。
「そう言えば、まだニコライ殿の婚約者に会っていなかったな。是非ともこの目で見てみたいものだな。では、夕食時に又会おう」
彼はそれだけ言うと、ひらりとマントをなびかせて、部屋から去る。
ナディアか…
夕食前に、一度様子を見に行くか。
✳︎
どうやら、私は心配し過ぎだったらしい。
ナディアのいる部屋へ入ると、先ず視界に入って来たのはお喋りする彼女の姿。
満更でもない表情でお茶を啜っていた。
「あ、皇太子殿。案外早く済みましたね」
私に気付いたアーデルベルトは直ぐに声を掛けてくる。
「ああ。まだ完全に片付いてはないが、残りは明日にする事となった。そちらの方も仲良くやっていた様で安心したぞ」
「へーかっ!」
ナディアはぴょんっと跳ねる様に立ち上がると、私に飛び掛かって来る。
ナーシャにも引けを取らないこの跳躍力。
きっとこの娘も大物に育つに違いないな。
出来ればそうはなって欲しくないが。
「ナディア、人前で私に抱きつくのは止めような」
「なんで?」
だって、主に私がロリコンだと思われるから。
止めて下さいお願いします。
「ははは、皇太子殿とナディアは仲睦まじいのですね」
「いや、そういうのじゃないぞ?我々は婚約者同士と言うよりは、殆ど親子みたいなものだ」
「ちがうもん。こんやくかんけーだもん」
「皇太子殿は照れ屋さんなのですね。何処からどう見てもラブラブですよ」
いや、違うから!
それに、何処からどう見てもラブラブ…?
嘘だろ?
「まあ良いや…ナディア、もう直ぐ晩餐だから着替えておいで。部屋の外で副メイド長が待機しているから」
「へーかにきがえさせてもらいたい」
「断固拒否する」
彼女はちえっと可愛らしく舌打ちすると、こわいメイドさーん、と副メイド長を呼びながら走って行く。
さり気なく舌打ちされてしまったが、舌打ちだろうが何だろうが、彼女にされれば許せてしまう。
可愛いは正義なのだ。
「親子の様に仲の良いカップルですね」
「ああ、“親子の様に仲の良い、まるで親子の様な関係”だな」
「つまりラブラブなのでは?」
「それは違う」
彼は不思議そうに小首を傾げる。
「何故そうも頑なに否定されるのですか?婚約者なのでしょう?」
「確かにそうだが、誤解なのだ」
「誤解…ですか…?」
「私は婚約はしてはいるが、ナディアと結婚する気は全く無い」
彼はまだ事情が上手く呑み込めていないのか、ぽかーんとしている。
「婚約者ではあっても、皇太子殿はナディアと結婚するおつもりは無い、と?」
「そうだ」
「では、何故婚約されているのです?」
うーん…何と説明すれば良いのやら…
一言で言えば、私がナディアに脅されているせいなのだが…
日頃から女性(特に我が妹)に脅される事が多い私だが、アーデルベルト君は当然ながらそんな世紀末な状態を経験した事はないだろう。
ナディアに脅されて…、などと説明しても、女児に脅される情け無い男、という不名誉な烙印を押されて終わりだろう。
何かまともな理由を思い付かなくては。
まともな理由…
…
うん、思い浮かばんな!
取り敢えず今は適当にはぐらかしておこう。
「それは…秘密だ。ご想像にお任せしよう」
「では、彼女は婚約を望んでいるのですか?」
望んでいる、間違い無く。
「そうだな。ナディアは完全に私と結婚するつもりだな」
「では、皇太子殿は彼女と婚約してはいますが、本当に結婚するつもりは一切無く、その気でいるのは彼女だけ…という事ですね?」
それで正解…間違ってはいないのだが…
改めて聴くと何だか私が悪いかの様に聴こえる…
だからと言って、事実を伝える訳にもいかんし、ここはそれで良しとするか。
「まあ、そんな感じだ」
「では、皇太子殿は誰と結婚なさるつもりなのですか?まさか、あの愛人の方ですか?」
え…?
まさか、“ソフィア医師が愛人”とかいう根も葉もない噂までフォーアツァイトに知れてしまっているのか?
「違う違う!そうでもない。現在絶賛嫁探し中だ。結婚相手募集中なのだよ」
「まだ相応しい女性がいらっしゃらないのですか?」
「ああ。残念ながら、諸事情で私はプラトークの女性とは結婚出来そうになくてな。中々嫁候補が見つからずに困っているのだ」
私が溜め息混じりに心の中でナーシャに悪態を吐いていると、アーデルベルトが、まさに渡りに船とでも言うべき提案をしてくる。
「では、フォーアツァイトの女性と結婚なされば宜しいのでは?」
その発想は…無かった…
そうか、そうだな…!
流石に国外にまで我が妹の脅しは届いてはいない。
つまり、ここでならまともな年齢の女性を探せる…!
「可能なのか…?」
「勿論です。皇太子殿ならば引く手数多でしょう」
「で、では!私に何人か紹介してはくれんか!?」
無意識に彼の手をがしっと掴むと、彼は驚いた様な少し引いた様な表情でこくこくと頷く。
「わ、分かりました。思い当たる方が何人かいらっしゃいますので、紹介します」
「アーデルベルト君、頼むぞ!私が結婚出来るかどうかは君に懸かっているのだ!!」
今ならナーシャの邪魔も入らんし、これは結婚確実では…?