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XXII.婚約者の少女は我が家への電撃訪問の夢を見るか?

 入浴も済み、ぽかぽかに温まって機嫌が良いらしく、ナディアは先程からずっと寝室をぐるぐると走り回っては時々ベッドにダイブしてごろごろと転がる。

 そして又もや走り回る、というエンドレス。


 ナーシャとソフィア医師はやっとエレーナ副メイド長から解放され、ベッドの上にぐでーんと寝そべっている。


「おふろおおきかった〜!」


「あら、あれでもまだ小さい方なのよ」


「そうですね。もっと大きなお風呂もいっぱいありますよ」

 

 完全に意気投合したらしく、女性陣──特にナーシャとナディアの二人──は本当に姉妹みたいだ。

 ナディアも楽しそうにしているし、ナーシャも何でもないフリをしているだけで、本当は嬉しくて堪らないのだろう。

 ソフィア医師もお姉さん的ポジションとして上手く混ざっているし、今のところ何ら問題は無い。


 だが彼女達のこの楽しいひと時も、もう直ぐ終わってしまうのかもしれない。

 何故なら、これからナディアに事実を伝えねばならないのだから。


「さあ、そろそろ寝よう。ナディアはいつもこれくらいの時間に寝ているのだろう?」


「へーか、これから“よるのいとなみ”のじかんなのですか?おねーちゃんがおてほんをみせてくれるって」


 夜の営み…?

 ちらりと横目でナーシャを見る。


 笑ってやがる…


「ナーシャ…もう一度言うぞ?教育に悪い発言は控えようね?」


「はい兄上!」


 返事だけは立派だな。


「へーか、よるのいとなみってなんですか?」


「そうだな…えっと…ソフィア先生?」


 答え方に困ったので、ソフィア医師に丸投げ。


「簡潔に言いますと、夜間に行われる人間の別個体間の生殖行為の事ですね。ただし生殖目的とは限らず、愛の確認だとか単純に快楽を求めてだとか、様々な理由で行われます」


 ナイスワーク!ソフィア医師!

 難しい言葉で煙に巻いたぞ!


「つまりどういうこと?わかんない…」


「ズバリ、男女で眠る事です!」


「じゃあ、ナディアとへーかがいっしょにねることも?」


「そういう事!」


 まあ、そういう事にしておこう。


 いつも通りにソフィア医師はベッドの端からこちらを物欲しげに見つめ、その視線を背に、私も布団を被る。


「陛下…いつになったら私は陛下のお隣で眠れるのでしょう…?」


「永遠に無理」


 ナーシャの心無い一言に、彼女は心が折れる。


 対して新参者のナディアは幼い年齢をフル活用して、私と妹の間というベストポジションに滑り込む。

 右は私、左はナーシャに挟まれ、にこにこと無邪気に笑っている。


「ナディア、兄上の隣は私の定位置なのだけど?」


「でも、ナディアもまんなかがいいの」


「まあ、今日ぐらい良いではないか。譲ってやれ」


 ナーシャも何だかナディアには全体的に甘く、すんなりと諦める。


「こうしていると兄上と私の子供みたいに見えませんか?」


「ナディアが?」


「ええ」


 確かに、この構図だとそう見えなくもない…ナーシャが流石に若過ぎるが…

 私はぎりぎりナディアの父親でもおかしくないぐらいの年齢なのだから。

 そんな未来が来ない事を願うばかりだ。


「たしかにおとーさまとおかーさまみたいですね!」


「そうかもな」


「なあ、ナディア…」


「なんですか?」


「大事な話があるんだ。聞いてくれるか?」


「だいじな、はなし…?」


「ああ。まず最初に、私は君に謝らねばならない事がある」


 ナディアはくるんとこちらの方を向くと、私をじっと見つめる。


 その小さな瞳には、何かを予見するかの様に不安が少し垣間見える。


「今まで私は君を騙していた…私は君と結婚するつもりはない…」


「でも、こんやくって、いつかけっこんするってやくそくなんですよね?」


「確かに。でも、私はその約束を守るつもりがなかった。それなのに君と婚約した。許して欲しい」


 じっと彼女を見据える。

 彼女はいまいちよく分かっていない様で、不思議そうな表情をしている。


「どうして…?どうしてナディアとこんやくしたのですか?へーかはナディアとけっこんしたくないのに?」


「本当は私も結婚するつもりだった。君を見るまではな。…だが、君は幼過ぎたんだ」


「兄上が婚約なされたのは、ナディアとの婚約を道具として利用するためだったの。まだ幼いあなたとの婚約ならば直ぐに破棄出来るとの考えだったのでしょうね」


 ええ…その通りですとも。

 私はか弱い少女を騙して弄ぶクズです…


「さいしょから…さいしょからけっこんしないつもりでこんやくしたのですね…?」


「ああ、本当にすまなかった。それ相応の罰は覚悟しているし、補償もする。どうか許してくれ…」


「へーかのこと、かっこいいっていったのもほんとうだったのに…!ほんとうにけっこんするつもりだったのに…へーかとけっこんできるとおもって、うれしかったのに…!」


 最後に小さくへーかのうそつき、と彼女が呟くと、ぽろぽろと小さな瞳から涙が零れ落ちていく。

 健気に涙をぐしぐしと拭おうとするが、次々と溢れてくる。


 それに対して掛ける言葉の一つも見つからない。

 私にはただ…すまない、と呪文の様に繰り返す事しか出来なかった。



 ✳︎



 〜父殺害後十九日目〜


 あれから五日が経った。

 あの後、彼女とは一度も言葉を交わさなかった。


 彼女は無表情で儀礼的なお辞儀を一つし、去っていった。


 結局、婚約に関しては未だに形の上では成立したままだが、殆ど存在しないに等しい。

 いずれ破棄される事は必至なのだから。


 …これで良かったのだ。

 彼女に嫌われるだけで済んだのだから。

 七歳女児に好かれようが嫌われようが関係無い。


 どちらにせよ私の婚活には何の影響も無いし、実際に私はクズだったのだ。

 クズがクズだと評価される事には、何ら問題無いはずだ。

 事実無根の悪評には抵抗を辞さないが、これは正当な評価なのだ。


 それに、私が好かれたいのは七歳女児ではなく大人の女性。

 七歳児にいくら嫌われようとも、全く痛くも痒くもない。


 ただ、一人の少女の期待を裏切った…それだけの事なのだ。


 …ハハハ、この阿呆め!

 無垢なロリっ子を騙してやったぞ!フハハハハハハハ!


 …


 クソッ…


 …嘘だ。心の中で自分を納得させようとしても、じんじんと後から後から後悔や悲しみが追い掛けて来る。

 その程度の事に胸を痛めるなど、何とも馬鹿らしい。

 しかし、それでもそれを考えずにいられない。


 あの少女の笑顔、あの少女の涙。

 フラッシュバックの様に私に襲い掛かる数々の記憶。


 彼女と共にいたのはほんの数時間の間だけだった。

 今までの長い人生の中の、一瞬でしかない。

 流れ去る時間の中では、春の夜の夢の如く、僅かな瞬間でしかなかったのだ。


 忘れよう…

 もうナディアの事は忘れてしまおう…

 これ以上何を考えたって辛くなるだけだ。


 何だか自分が空っぽの人間の様に思えるのだって、別にこの件とは関係無い。

 心の中の何かが無理矢理削り取られた様な気がするのだって気のせいだろう。

 何故私が、数時間一緒にいただけのガキのせいで傷心する必要性がある?


 いや、無い。

 ナディアなどという少女は、ただの…


「へーか…」


 ナディアに呼ばれた…そんな気がしてはっと振り向く。


 誰もいない…

 そもそも、彼女はとっくの昔に家に帰ったのだ。ここにいるはずがない。


 嗚呼…遂に彼女の幻聴まで現れたか…

 何が私にそうさせるのだ?

 それ程までに彼女は私にとって重要な存在だったのか…?


 そんなはずはない。

 どうなろうが知ったこっちゃない、ただの他所の子供だ。


 ただほんの少し私と接点ができて、私に純粋な好意を向けてくれていただけの…


 ただの…


「へーか」


 再び声がする。


 何処だ!?

 もしや、本当に彼女はここにいるのか?

 幻聴などではなく彼女本人が…!


 慌てて部屋を見渡すも、誰もいない。

 ここに隠れられる様な場所も無いし…

 やはりこれは幻聴なのか?


 …


 いや、待てよ…

 外か…?


「ナディア…?」


 冷や汗の滲む手でドアノブをそっと握る。

 いつもの様に音も無く滑らかにドアは開き、そこに立っていたのは…


「──ナディア…!」


「へーか…」


 困った様な、悲しんでいる様な、何とも言えぬ表情で彼女はそこにぽつんと一人立っていた。


 数日前には綺麗に整えられていた髪も、今は少し萎びている。

 まるで道端の捨て犬の様な哀れな声で彼女は、


「おどろかれたでしょう?すいません…ひとりでここまできたのです…」


 と力無く謝罪する。


「いや、構わないが…取り敢えず中に入らないか?」


「ええ、そうします」


 彼女は外套を羽織ったままだった。

 それを脱ぐと、彼女はそれを近くのポールハンガーに引っ掛ける。


「どうしたのだ?侍女の案内も無しにこの部屋まで?」


「あんないはことわったので…」


 私がソファーに腰掛け、促すと、彼女も向かいのソファーに腰を下ろす。


 もしや、婚約破棄を申し出に来たのだろうか?

 緊張を隠せない私と違い、彼女はやけに落ち着いている。


「へーかは…ナディアのことを、こんやくしゃとして、どうおもってらっしゃいますか?」


 いきなりそんな事を尋ねてくる。


「どう、とは…?」


「しょうじきにおもうところをいってくださればいいのです」


 本当にこの娘は七歳なのか…?

 そう疑問に思う程に強い眼差し。

 彼女が見ているのは私か、それとも他の何か…か?


「君は、そんな事を尋ねるために来たのか…?」


「こたえてください」


 彼女はキッとこちらを睨む。


 この質問には何らかの意図があるらしい。

 ならば正直に答えてやるのが礼儀だろう。


「分かったよ…君は可愛いし、きっと将来は綺麗な女性になるだろう。君を可愛いと思ったのは本当だ。でも、それは異性に対するものではなくて…何と言うか…」


「こどもにたいするもののような…?」


「そうだ…君は少し若過ぎて、私は少し歳をとり過ぎていた、ただそれだけなのだ。君に魅力が足りない訳ではなく、ほんの少しだけ我々の間には壁があっただけなのだ」


 そう。私は彼女と結婚するには生まれるのが早過ぎて彼女は私と結婚するには生まれるのが遅過ぎた。ただそれだけの事。


「やはり、へーかはナディアのことをこどもあつかいするのですね…おねーちゃんのことはいしきしてたのに」


 私がナーシャを意識していた…?


「ナディアだって、すぐにおねーちゃんぐらいおおきくなるのに…」


 確かに子供の成長はあっという間だが…

 それはどちらかと言うと物理的な意味ではなく、精神的なものでして…


「それは分かっている。だが、やはり君はまだ子供なのだ」


「じゃあ、こどもじゃないってしょうめいします!」


「え?」


 ぴょんっと立ち上がり、彼女は私の膝の上に飛び乗る。


 何をする気だ…?


「めをとじてください」


 頰を少し赤らめ、彼女はそう言う。


 大体彼女がこれからしようとしている事ぐらい分かる。

 だが、そもそもそんな事で自分が子供ではないと主張する事自体が彼女の幼さを証明している。


 しかし、彼女はそれに気付いていない。

 やはり彼女は子供であり、少なくとも大人ではないのだ。


 ナーシャならば拒否するところだが、真剣なナディアに冷たく拒絶を突き付ける程私とて鬼ではない。

 黙って目を閉じ、為されるがままにする。


 彼女はぎゅっと私の服を掴み、そのまま動かない。

 目を閉じているせいでよく分からないが、覚悟を決めかねているのだろうか?


 …


 …三十秒程経っただろうか。


 そろそろ目を開けてみようかと思ってきたところに、彼女はやっと行動に移す。

 チュッと可愛らしく頰にキスが一つ。


 …ん?


 終わり…?


 いや、別に期待していた訳でもないのだが…

 唇にキスぐらいは想定していたのに、まさか、頰にキスとは…

 予想以上にナディアは子供だ…


「ね?こどもじゃないですよ?」


 残念ながら逆に自分が子供である事を証明してしまったのだが、彼女はそんな事には気付いていない。


「そうか。キスねぇ…」


「はい。ナディアのはじめてです」


 うむ…何と反応すれば良いのやら…

 自分は夏休みにワイハに行ったのに、友達がサウスコ◯ア如きで偉そうに自慢しているのを見るかの様な…

 苦笑いが溢れ出てくる感じ。


「ナディア、やはり君は子供だ。その程度で認識が変わる訳がない」


「そんな…」


 だが、私は少し安心していた。

 嫌われたとばかり思っていたが、彼女はまだ私に好意を寄せてくれていたのだから。


 やはりこれでお終いにしよう。

 ここまでなら、ちょっと苦い思い出程度で終わる。


 しかし、私がそう思っていたのとは裏腹に、彼女は全く諦めていなかった。


「ならば、しかたありませんね…こうなったらさいしゅーしゅだんです」


「何をする気だ…?」


「へーかがみとめてくださるまで、かえりません」


 帰らない…だと?


「そもそも、ここにきたのもそのためです」


「駄目だ。それに、ご両親も心配するだろう?」


「ごあんしんを。もうすでにおとーさまのきょかはえています」


 まあ随分と手際が良いな…


「それでも駄目だ。早く帰りなさい。それに、そんな無茶が可能なわけがない」


「でも、ナディアはへーかのこんやくしゃですよ?」


「駄目と言ったら駄目だ」


「とめてください!」


「駄目!」


 むむむ、と彼女は唸り、頰を膨らませる。


「へーか、ゆるしてくださらないなら、いいふらしますよ?」


「何を?!」


「ようじょをたぶらかし、ヤりすてた、と!」


 コラ!そんな言葉、何処で覚えてきたのだ!?

 くそっ、ナーシャめ…!


 この手口も何だか妹のものと似ている。

 まさか、ナーシャが関わっているのではあるまいな?


「ナディア、お願いだから考え直してくれ!」


「もんどーむようです!メイドさ〜ん!へーかがぁ!」


「こら、止めろ!」


 必死に彼女の口を押さえて、ぎりぎりのところで食い止める。


 ふぅ〜セーフ…って、ん?


「陛下?」


 ガチャリ、という音と共に副メイド長が入って来る。


「お呼びでしょうか…あ…」


 途中で彼女は動きを止め、硬直する。


 彼女の視線の先は…

 ナディアの口を押さえる私…


「陛下…そういうプレイがお好みだったのですか…どうぞごゆっくり…(この変態め)」


「な!?ち、違う!誤解だ!!」


 彼女は、はいはい分かりましたよー、返事しつつ部屋から出て行く。


 あ〜〜〜〜!!!

 絶対勘違いされた…!


「へーか、いまのもだまっておいてあげますから、ここにすむことをおゆるしください!」


 嗚呼、もうどうにでもなれ…!


「もう好きにしろ…」


「やったーー!」


 こうして、居候が一人、居座る事となりましたとさ。

 めでたしめでたし。

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