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CLI.瓦解

 それは綺麗な夕焼けが雲間から覗く頃だった。

 案の定降ったほんの少しの雪は直ぐに融け、今や地面にはぬかるみすら無い。

 雲は次第に風に乱され、ほぐれていき、美しく彩られた空がその隙間から照れる様に少しずつ顔を出していた。


 彼は思う存分酒を飲んだ後、そのまま酔っ払って眠っていた。

 彼の周囲には同様にして三人がだらしなく寝転がっていびきをかいている。

 残りの二人はそれを尻目に、ふらついた様子で一応の見張りをしていた。


 彼等の周りの地面には、そこら中に空の酒瓶が転がっており、その量から彼等がどれほど飲んだのか知る事が出来る。

 つまり──呑み過ぎだった。

 何せ、水でも飲むかの様に、御構い無しにガブガブと呑んでいたのだ。

 最初はグラスに注いでいたのが、終いにはそれすら億劫になり、好い歳こいたおっさん共が瓶から直接飲んでいたのだから。

 確実に羽目を外し過ぎた、と言える。


 しかしそれも仕方がないと言えば仕方がない。

 帝国軍の迫る中、それを待ち受けるのがどれ程の重圧か。

 訓練された兵ならいざ知らず、彼等は強制的に徴兵されただけの一般人だった。

 銃の使い方すら先程少しばかり簡潔に教わっただけなのである。

 そんな状況で酒に逃げてしまうのは仕方がなかったのだ。


 幸い、直ぐにでも来ると思われた帝国軍の姿は未だどこにも見えず、建物の隙間から見える、都市のすぐ外に広がる針葉樹林には何の変化も無い。

 北方に広がるこの森は帝国の侵攻を遅らせる天然の要塞の役割でも果たしているのだろうか。


 もしや、味方の救援が来るまで持ち堪える事も不可能ではないのでは?もしや、敵は諦めて帰って行ったのでは?

 などという淡い希望が胸に浮かんでは消えていく。


 その希望を消していくのは、他の何でもない彼等自身の直感だった。

 彼等は知っていた。世の中そんなに甘くない、と。

 そんな現実主義な自己が、浮かんだそばから希望を握り潰していくのだ。

 こういう時こそ、大人にはなるものではないな、と最も思ってしまう瞬間だった。


 年齢などというもので大人になるのではない。ほろ苦い現実というものを知ってしまった時、人は大人になるのだ。

 彼等が知るその現実というものは得てして甘くはなく、期待だけさせて無情に走り去って行くものなのだった。


 故に彼等はアルコールで鈍った脳ではあったが、その頭で考えた結果、今日敵が来襲するであろうと推測していた。

 出来れば外れて欲しい推論ではあったが。

 大体、本当なら推測ではなく正確な情報として彼等に与えられるべきものである。


 そしてそんな彼等の予測は当たってしまう。

 それに気付いたのは突然の砲撃音によってだった。


 相変わらず四人は気持ち好く居眠りし、見張りに立っていた二人もウトウトとし始めた頃だった。


 突然の大気が震える様な大音量の爆音。

 そして数秒遅れて、自分達からは少し離れた所にある建物が爆発、大量の煙を吐きながら吹き飛んだのだ。

 流石にこれで起きない訳はなく、寝ていた面子も不快そうに起き出す。


「う〜ん…何の音ですか?」


「あとちょっとだけ寝かせて…」


 そんな呑気な事を言っていた彼等だったが、起き上がると直ぐに目の前に上がる土煙が見えたためか、はっと我に帰り、すぐさま戦闘準備を始める。


「帝国軍ですかっ?」


「分かりませんが、恐らくは…」


 彼等が今いるのは、街の中でもかなり南寄りの位置だった。

 つまり、街に幾重にも張り巡らせられた塹壕の中でも、特に後方だという事だ。

 故に余り前方の状況が掴めない。


 見える恐怖よりも見えざる恐怖の方が大抵恐ろしく思えるもので、自分達には見えていないだけで、本当はあの森の向こうに野を埋め尽くす程の大軍が揃っているのではないだろうか、などという余計な不安を感じてしまう。

 自然に皆の息も荒くなり、表情から隠し切れない程の緊張と恐怖が滲み出ていた。


「取り敢えず皆さん、危ないから頭は引っ込めておきましょう」


 こうして効果があるかは兎も角として、塹壕から首を出さないようにしよう、という方針が決まった。

 本当は当たり前の事なのだが、そんな事すら注意されない程に彼等は軍から殆ど何の説明も受けていなかったのだ。


 しかし、無線機も無いので全く状況が掴めないが、作戦などは無いのだろうか?いや、ここを守るだけなのだから作戦もクソもないか、と口々に言い合っていると、誰かが塹壕に沿ってこちらに走って来る。


「帝国兵?!」


「いえ、私服ですね。多分味方側です」


 その通り、敵ではなく、強制的に徴兵された者の一人だった。

 その男は、息を切らしながら、何とか要件を伝えた。


「敵襲!敵襲!各員、直ちに戦闘準備…はあ…持ち場を死守せよ、との命令です…はあ、はあ…」


 どうやらその男は伝令らしかった。

 古典的方法で、持ち場を死守、要するに「ここで死ね」という命令を伝えに来たのだ。


「分かりました、有り難うございます」


 彼はその男を労って──彼が辛うじて持ってきていた飲料である──水を飲むように勧めた。

 男は、ごくごくと一気に飲み干すと、ぷはあ、と幸せそうな顔をした。

 こういうのを“生き返った”と言い表わすのだろうか。


「すいません、あの…はあ…はあ…この連絡なのですが…はあ、あなた達の誰かが走って…他の人にも伝えに行って頂けませんか?」


 男によると、この連絡はバケツリレーの要領で伝わって来たものらしかった。

 ならば、彼等も誰かが伝令をしなければならなかった。


「では、私が行きます。こういう時こそ若者の出番でしょう?」


 一番年若い青年がそう言って、周囲が何か言う間も無く駆け出した。

 それを見送るおっさん達の脳裏に浮かんだのは、若いって良いなぁ、などという情けないものだった。

 それは、歳をとった今では出来そうにない軽快な走りだったのだ。


 伝令に来ていた男もそれを見ると、有り難うございました、と小さくお辞儀をして、そのまま元いた場所へと帰っていった。



 ✳︎



 彼が伝令に駆けて行った後、しばらく砲撃音が聴こえてこないので不思議に思っていたのも束の間、突然、永遠にすら思える爆音が連続して響き始めた。

 それは砲撃音でもあり、砲弾がどこかに命中して何かが吹き飛ぶ音でもある。

 彼等が恐る恐る覗ける範囲だけでも、信じられない程の砲弾が降ってきていた。


 ゆっくりと弧を描いて鉄の塊が落ちて行き、地面に降り注ぐ。

 着弾する度に撒き散らされる土によって、周囲は直ぐに見えなくなってしまう。


 塹壕もクソもない。

 砲弾は土ごと全てを抉る。

 周囲は赤く輝いている。そしてそれは決して夕陽によるものではなく。


 近くに着弾する度に、上空を砲弾が掠め飛ぶ度に、皆の身体がビクッと強張る。

 銃も剣も無意味だと彼等は知った。

 彼等はただ、砲弾の雨に身を晒す以外にないのだ、と。


 それから三十分程立っただろうか。いや、もしかするともっと短い間の出来事だったのかもしれないが。

 砲弾が降らなくなった時、周囲に建物と言える様なものは一つも存在していなかった。

 全てが跡形も無く消え去っていた。


 今のでどれだけの人が死んだのか、味方はどれだけ残っているのか、作戦は続行なのか、いくらでも疑問はある。

 しかし、それを誰かに尋ねる事すら出来ないのだった。


 生きている心地がしない。

 何故自分達はまだ生きているのか。

 これだけ周りの何もかもが破壊し尽くされ、それでも尚自分達が生き残っているのは何故なのだろうか。

 それとももう既に死んでいるのか。

 そうでなければ運命のいたずらとしか思えなかった。


「あの青年は大丈夫でしょうか…あっちの方に行ったんですよね?」


「ええ。無事だと良いんですが」


 伝令を請け負った青年の向かった方向には、ここよりも凄まじい数の砲弾が着弾していた。

 彼の安否は不明だが、余り楽観視は出来ないだろう。


「何か…聴こえませんか…?」


 一人がふと、ぼそっと呟いた。


「何が?」


 皆もその()()に耳を傾ける。


「さっきの砲撃のせいで耳がおかしくなっているのでは?」


「ああ、私もずっとごーん、ごーんって変な音が聴こえてますが、耳がおかしくなってるんじゃないんですか?」


「いえ、違うかと。音が、どんどん大きくなっていってるんです」


 何か、とは?

 それは直ぐに分かった。

 無数に上がる黒煙を蹴散らす様にして低空を飛ぶ…航空機だ。


「爆撃機のエンジン音か!!」


 とてつもなく大きな機体が、空を埋め尽くす程に飛んでいた。

 いや、実際にはそれ程数がいた訳ではないし、そこまで大きくはなかったし、そもそも爆撃機ですらなかった。

 しかし、彼等にはそう感じられた。

 絶望の影を彼等に投げかける、グレビッチの一編隊。


「制空権はこちらが握っているという話では?!航空隊は何をやってるんですか!」


「ああ、政府の公式発表では、ですけど。今更そんなもの信じられるはずもないですよ」


 一応、航空優勢という政府の発表は正しいのだが、それを彼等が知る由もない。

 この爆撃機の一群は首都防空部隊が見逃してしまった攻撃部隊だった。


「まさか…あんな低空を飛んでいるのも、砲撃の次はあれで爆撃するつもりだという事ですか?」


「…かもしれないですね」


 皆が空を見つめる。

 曇天の空。向かって来る爆撃機。


 ああ、また雪でも降らないだろうか。その方がずっとマシなのに。


 爆弾の雨に降られ、儚く散る運命か。


 憎むべきは敵か、それとも運命を強いた味方か神か。


「──何してるんですか!?早く頭隠して!」


 誰かの怒鳴り声で我に帰って、彼は頭を両手で抱え、その場に伏せた。

 ぎゅっと目を瞑り、歯を食いしばり、直ぐに襲いかかってくるであろう衝撃を待ち構える。


 ──が、いつまでも爆撃は始まらない。


「爆撃は…しないんでしょうか?」


 隣で誰かが顔を上げた。

 頭上を通り過ぎて行くグレビッチの腹を見つめて、誰かがそう言った。

 彼も恐る恐る顔を上げ、辺りを見回す。


「はあ…助かりましたねぇ」


 不幸中の幸い、爆撃はしてこない、という事実に安堵の溜め息が漏れた。

 …助かった。少なくとも、まだ生きている。


「確かにそうですが、それは決して良い事などではありませんよ」


 彼が指差す先、爆撃機の編隊よりも遥か後方には、まだ機影があった。


「あれは?」


「多分、敵の兵員輸送機か何かかと。爆撃機と輸送機は我々には目もくれず、通り過ぎて行く…これがどういう事か…分かるでしょう?」


 さっと血の気がひいた。

 それが意味するのは、後方への爆撃及び降下作戦だった。

 このままでは敵に前後で挟み撃ちにされる。


「俺達を…挟み撃ちにすると?」


「いえ、そうではなく、どちらかと言うと後方の破壊及び占拠が主でしょう。我々は放っておいても勝手に陸上兵力で全滅させられますから、挟み撃ちなどとは考えていないはずです」


「つまり…?」


「民間人や生産施設がターゲットです」


 皆がハッと息を飲む。

 まさか、そんなはずはない、と。

 しかし状況から言って、十分に有り得る。


「民間人なんかを狙ってどうするんですか?何の戦略的意味も無いでしょう?第一、国際法違反では…?!」


「国際慣習法は所詮守るべき暗黙の了解に過ぎぬのであって、強制力はありません。戦争前に宣戦布告するのも慣習の一つではありますが、今回、帝国は無視しました。どうやらプラトークはルールなど無いものとして扱っている様です。民間人を巻き込まないというルールも、簡単に破られてしまうでしょう」


 それを聞いて彼が思い出したもの、それは勿論妻子だった。


「妻と…娘も…狙われているのですか?」


「残念ながら…巻き込まれてしまう可能性は高いです」


 彼はその場にへたりと座りこんだ。

 目の前が真っ白になった。


「どうすれば…どうすれば…!」


「しっかりして下さい。大丈夫ですか?」


 周りの声もろくに聞かず、彼は立ち上がった。


「助けに、行かないと…助けに…!」


「落ち着いて!ねえ!」


 彼は手を振り払うと、走り出した。


 それは普通なら咎められるべき敵前逃亡だった。

 しかし、咎める者など、どこにもいない。

 生き延びた者達は、彼ら同様、皆一目散に逃げていたからだ。


 砲撃で塹壕は所々崩れていた。

 その崩れた所から、穴の外へと出て行く。


 航空機の編隊が向かった方向の空には、もう何も見えない。

 今更自分が戻ったところで、どうしようもない事ははっきりと分かっていた。

 しかし、彼には家族の元に戻る、という選択肢しか無かった。


 残りの四人も、それぞれの荷物を急いで掴むと、後ろから彼を追い掛ける。

 彼等にも分かっていたのだ。ここに残る、などという選択肢は有り得ないと。


 恐らく味方はほぼ全滅。

 首都に迫る敵軍を食い止める事は最早不可能。

 結局時間稼ぎにすらなったのかどうか怪しいが、もう彼等はお役御免であろう。

 誰もがこんな所から逃げ出したいと思って当然だった。

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